風祭文庫・人形変身の館






「大一番」



作・風祭玲

Vol.124





バシッ

バシッ

支度部屋に鉄砲の音が響く

バシッ

バシッ

「大関っ、時間です」

付き人の声がすると、

「おぅ…」

大関・海起竜は鉄砲をやめた。

先場所優勝し横綱に大手をかけた彼は

今場所優勝すれば念願の横綱に…

しかし、その彼の前に一つ星が先行している横綱が立ちはだかっていた。

「負けられない…絶対に…」

彼は自分が締めている廻しを眺めるとそうつぶやいた。

彼が締めている廻しは色が黒い幕下力士が締めている黒廻しである。

ふつう十両以上に出世すれば稽古には白廻しを、

そして場所には絹の廻しを締めるのが通例となっているのだが、

なぜか彼は稽古でも場所で土俵に上がるときは

この幕下時代からの黒廻しをひたすら締めてきた。

「大関っ、廻し替えなくていいんですか?」

廻しを替えようとしない彼の様子に付き人が心配する。

「いや、いい」

海起竜はそう一言言うと

ドカ

っと腰を据えた、

床山が髷を整える。

「あと、2回…

 あと2勝てば、久美の呪いは解ける…」

そう思いながら海起竜は廻しをそっとなでた。

彼が締めているその廻しは長年使いつづけ、

彼の汗と土俵の砂を吸い込んでいるはずなのに

不思議と生地の痛みは少なく、

また、どんなに稽古で汚しても、

翌日には汚れが落ちているという奇妙な代物で

部屋の7不思議のひとつに数えられていた。


さわっ

海起竜の手にかすかに人の髪の感触が彼の手に伝わる…

『…あと2つよ、頑張ってね…』

と言う声が彼のみに聞こえた。

「わかったよ」

海起竜はそう呟くと

ポンっ

と廻しを叩くと立ち上がった。

『頑張って…隆…』

と言う声とともに

キュッ!!

廻しが彼の下半身を締め上げた。

花道を歩く海起竜の頭に

昔起きたある出来事が思い出されていた。



数年前………………………

「おい、海起竜っ、慰労会はどうするんだ?」

宿舎で声をかけられた海起竜は、

「わりい…おれは、遠慮するわ」

そう言うと廻しを締めはじめた。

「なんだ…稽古か」

「あぁ」

口数の少ない海起竜に

「ほっとけほっとけ、

 あんな無様な負け方をしたんじゃぁ

 慰労会なんて気分じゃないだろう」

と言う兄弟弟子に、

「…………」

何も言い返せず、海起竜は稽古場で四股を踏み始めた。

しばらくして、四股を踏むのをやめると、

「はぁ、1勝14敗じゃな……」

とため息をはきながら彼は表に出た。


「あ〜ぁ、負け越しちゃったか…

 これじゃぁまた番付落ちるなぁ…

 ごめんな、久美…

 なかなか横綱になれなくて…」

空を見上げながら彼がそうつぶやいたとき、

「嬉しいっ、

 あたしの約束を覚えてくれたんだ」
 
と言う声とともに

ポンと背中を叩かれた。

「えっ」

海起竜は突然かけられた声に振り向くと、

そこには幼なじみの久美が立っていた。

「オッス…隆っ元気にしているか」

「くっ久美っ、何時ココに」

驚く隆に

「え?、いまさっきよ

 ふぅ〜〜ん…」

「なっなんだよ」

久美は隆をジロジロと見るなり、

「すっかり相撲取りなってんじゃない」

と言いながら隆の腹を肘でつついた。

「そうか?、

 ぜんぜんだよ…」

そう言う隆に

「で、隆のしこ名は何っていったけ?」

「海起竜…」

隆はやや俯き加減で言う。

「海起竜……

 あぁそうだったそうだった。

 それにしても強そうな名前じゃない」

と言う彼女に、

「あぁ…まぁ名前はね…」

隆は視線を逸らしながら言う。

「なぁに、しょぼくれているのよ」

「うっ、うん…」

そんな彼の様子を見た久美は、

チラリ

と稽古場をのぞくと、

「ねぇ中入ってっていい?」

と尋ねた。

「あっ駄目だよ、勝手に入っちゃ」

隆が久美を制止しようとしたときには、

すでに彼女は稽古場に入っていた。

「まずいよ、こんなところ他の人に見られたら俺が怒られるんだから」

と言う隆に、

久美は両手を腰に置くと、

「なにそんなに消極的になっているのよ、

 隆がそんなんだから、出世しないのよ。
 
 あたしとの約束覚えているんでしょう?」

と言った。

「うっ」

隆は一歩引く、



そう…5年前…

「え?、相撲取りになるの?」

学校帰り…

隆は久美に自分が相撲部屋に入門することを告げた。

「うん」

「どうして…」

突然のことに久美は隆に聞き返した。

「相撲取りを目指してみようかと思ってね…」

「目指すったって…

 アンタ、相撲とれるの?」

「頑張ってみる」

「信じられない、

 だってあたしと一緒に始めた柔道だって

 未だに白帯なのに相撲なんて出きるの?」

幼なじみだった隆と久美は一緒に柔道を習い始めたものの

久美は持ち前の積極性が功を奏して柔道2段の腕前だったが

隆はなかなか初段を取ることができなかった。

しかし、何かを決心した隆は周囲を説得した上

相撲部屋に入門した。

そして入門する際に彼は久美に

”5年以内に横綱になってみせる”

と約束したのだった。




「へぇ…こうなんってんだ…」

久美は稽古場の中をキョロキョロしながら歩き回る。

「誰もいないの?」

「場所が終わったからみんなその慰労会をやっているんだよ」

「そうなんだ」

「じゃ、何で隆はここで稽古しているのよ」

「うん、負け越しちゃったからね…」

そう言って俯く隆に久美は

「よしっ、じゃぁ

 あたしが稽古を付けてあげるわ」

そう言うなり久美は裸足になると土俵へと向かいはじめた。

それに驚いた隆は、

「久美っ、土俵に入っては駄目だ!!」

慌てて彼女の腕をつかもうとしたが、

ヒラリ

久美は巧みに隆をかわすと、

「忘れた?、あたし柔道黒帯ってこと」

ニンマリとして言う久美に、

「わかっているよっ、

 でも土俵に入っては駄目だ」

隆は叫ぶ、

「あら、例の女人禁制ってやつ」

「そうだ」

「なに古いこといってんの…

 それに誰もいないのならバレないじゃない」

と言いながら久美は土俵に入ってしまった。

「へぇ…土俵ってこんな感じなんだ」

久美は足で土俵の感触を確かめながら中を歩き回った。

「さっ、隆っ

 稽古を付けてあげるわっ」

そう言って久美が蹲踞の姿勢になったとき、


パシーン

木を割るような音が稽古場に響いた。

「?…

 何の音?」

久美はあたりを見回す。

再び

パシーン

音が響くと、

『…神聖な土俵を汚す者…

 スグにそこから立ち去れ…』
 
低い声が稽古場に響いた。

「久美っ早く土俵から出るんだ」

青くなった隆が叫んだが、

「誰よっ、手の込んだ悪戯をするのは

 そんなことをしないで姿見せなさいっ」

勝ち気な久美は動じなかった。

『……そうか…そんなに相撲が取りたければ…』

と言う声がしたとたん

きゃっ

ドタッ

突然足をすくわれた久美が土俵上に倒れた。

「久美っ、大丈夫か」

隆が慌てて駆け寄ると、

「イタタ…、

 足が…

 え?」

自分の足を見た久美が驚きの声を上げる。

「久美っ…それは…」

久美の足下を見た隆も驚きの声をあげた。

シュルン…

シュルン…

そう彼女の足先から黒い布状の物体が

湧き出すかのごとく吐き出し始めていた。

「なっなによコレ…」

シュルン…

シュルン…

まるで久美の体を材料にするようにして

ソレが彼女の体から編み出されていく。

「これは…

 …廻し?」

それを確かめた隆は

彼女の身体から編み出されている物体が廻しである事に気づくと、

『…そうだ、

 土俵を犯した罰として廻しとなるがいい…』

声が響く、

「お願いです。

 久美を廻しにしないでください」

隆は正座すると頭を土俵の上につけて謝った。

その様子を見た久美は、

「隆っ、何で謝るの?

 あたしがこんな目にあって悔しくないのっ」

久美が怒鳴り声をあげた。

「そんなこと言ったって…」

隆がそう言いながら久美を見ると、

すでに久美の下半身は廻しに替わり、

彼女は両手で体を支えていた。

しかも、残っている上半身も徐々に廻しに替わりはじめていた。

「くっ久美ぃっ」

「えぇい、情けない声を出さないのっ」

と久美が怒鳴ると、

キッ

彼女は神棚をにらみつけると、

「土俵の神様だかなんだか知らないけど

 あたしをこんな目に遭わせて只ですむと思ってんのっ」

と怒鳴った。

「やっやめなよ…」

「アンタは黙ってなさいっ」

声をかけた隆に久美は一括した。

『…ほほぅ、そんな目にあっても威勢はいいな…』

「当たり前でしょう、

 こんな事でビビルあたしじゃぁないわ」

あくまでも勝ち気を通す久美。

『…しかし、その威勢もいつまで持つか…』

「ふんっ、あたしが廻しになったら、

 あたしが隆をギュッと締めて横綱にさせるわよ」

と久美が叫ぶと、

『ほぅ、その者がか…

 おもしろい
 
 なれるかな…』

「なれるわよ」

『どうだかな…』

「じゃぁ、隆が横綱になったらあたしを元に姿に戻してくれる」

『………よかろう』

しばらくの沈黙の後、その声が稽古場に響くと、

久美は隆を見るなり、

「と言うわけだから、隆っ

 あたしを元の姿に戻したければ

 勝って勝って、絶対に横綱になるのよっ」

と言った。

しかし隆は

「そんなぁ…横綱なんて無理だよう」

泣き言を言い始めた。

「何いってんのっ

 5年前、アンタはあたしに約束したでしょう

 横綱になってみせるって…」

シュルン

シュルン

黒染めの布帯が土俵上に蜷局を巻いていた。

「久美ぃっ」

隆はそう言いながら久美を抱きかかえると

「いぃ?

 絶対に横綱になって

 あたしを元の姿の戻すことっ

 ソレがアンタに課せられた使命よ」

なおも気丈に発破をかける久美のその声に、

「……わかったよ」

何かを決意した隆がそう答えると、

彼女の表情は柔らかくなり、

「信じているから…

 隆が横綱になるって…
 
 だから、頑張て…」

そこまで久美が言ったとたん、

フッ

隆の前から彼女の姿が消え、

その下にはとぐろを巻くようにして1本の廻しが落ちていた。

「久美ぃ…」

隆が廻しになってしまった久美に手を差しのばそうとすると、

『大丈夫…あたしが一時も離れずに隆の傍にいるわ

 さっ、隆っ、
 
 いま締めている廻しをはずして…』

と言う彼女の声に
 
「うん…」

海起竜は締めている廻しをはずした。

『よし…行くわよ』

「あっ」

すると、久美だった廻しがスルスルスル

っと彼の下半身に巻き付くと、

ギュッ

と彼の腰を締め上げた。



それ以降、隆こと海起竜は人が変わったように稽古を始め、

そして、これまでの事が嘘のように出世街道を走り始めた。

事情を知らないマスコミなどは彼のことを”遅咲きの花”と例えたが、

海起竜は只ひたすら横綱になることを目指して突っ走っていった。


うわぁぁぁぁ!!

観客の声が響く、

そう、隆の目の前であの横綱が突っ伏していた。

「勝った…」

土俵上で呆然と横綱を見る海起竜…

同じ星で並んだ2人の勝負は優勝決定戦に…

「久美…次だ…

 次に勝てば、お前は元に戻る、

 頑張ってくれ…」

そうつぶやいて、

廻しをポンと叩くと

キラ…

廻しの一部が光った。

後で気がついたのだが、

久美の髪の毛の一部が廻しになりきれず、

そのまま編み込まれていたのだった。

その光に勇気づけられた隆は土俵に登る。

泣いても笑っても、この一番…

横綱も気合い十分で構えた。



短いような、長いような

そんな一番だった。

あっと思ったときには横綱の体から力が抜けていた。

「え?、勝ったの?」

勝ち名乗りを受けていた彼にとってそれが勝利の実感だった。



『………よかろう…

 約束通り…
 
 女にかけていたのろいは解いてやろう…』

あのとき聞いた声が海起竜に頭に響いた。

「良かった…」

その声を聞いて彼が、

ホッ

とした瞬間。

ズル…

廻しがゆるみ始めた。

「え?、まさか…」

サッ…

あることに気づいた海起竜はみるみる青くなっていく…

「わっ、わっ、わっ、ちょっと待って…」

そう声を上げたとたん、

ポン!!

海起竜が締めていた廻しは衆人環視の元、人の姿に戻った。



おわり