風祭文庫・醜女の館






「鏡」



原作・ラックーン(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-111





バタン!!

ポ・ピーポーピーポーピーポー…

患者を押し込んだ救急車が赤色灯を廻しながら小奇麗なアパートから立ち去っていく。

「じゃっ、

 あと頼むな」

「あっはいっ」

「警察が来たら、

 事情を説明して、

 それから署に戻い」

「判りました」

警察による現場検証が行われることになり、

救急隊員の中で最年少の若者が患者の部屋で留守番をすることになった。

「ふぅ…

 全く、何で急に現場検証なんて…」

一応、第1発見者である隊員は軽く文句を言いながら

所在なさそうに部屋をきょろきょろと見渡すと、

まだ患者の体温で温かいベッドの上に日記帳があるのに気付いた。

「日記か…」

日記帳を見ながら隊員はそう呟くと、

何気なく開いてみる。

表紙には<香織の日記>と書かれていた。

***********

6月30日(月)

結婚してまだ3週間というのに、秀樹が出張に出かけ今日から1週間もひとりぼっち。

つまんな〜い。

退屈しのぎに内装を整えることにしよう。

そう言えば昨日お気に入りの鏡、落として割っちゃったし、

化粧台の鏡はあたしを綺麗に映してくれないし…。

善は急げということで、ゆっくりと街並みを散歩しながら鏡探索の旅に出かけてみる。

アパートから出て10分ほど歩いていると、

黒光りするレンガが周りを囲んでいるいかにもという荘厳な店が眼に入った。

この町に越して3週間しか経っていないけど、こんな店は全く記憶にないよ。

「ふぅぅん、古風な店ね。

 でもアンティークな鏡でもありそうな雰囲気。

 入ってみようっと」

僅かに力を加えただけなのに重そうに見えたドアがすっと開き、

中には中学生と思しき年頃の黒髪の美少女が座っていた。

「ようこそ、

 ここは心を彷徨わせている者達が集うところ…

 そしてここにはそのような者達が求めているものがあります」

あたしが話しかけようとするのを遮って美少女は続けた。

「いえ、分ります。

 探しているのは、貴女の美しさを永遠に映し出す鏡ですね」

彼女はそう言うと、

あたしが欲しいと思っていた豪華な縁取りのあるアンティークな楕円形の鏡を

部屋の奥から持ってきた。

「わぁ、素敵っ!」

「でしょう。

 貴女の美しさを100%、いいえそれ以上映してくれますよ。

 そして鏡に映した自身をご覧になることにより益々美しくなれる逸品でございます。

 でも、お気をつけください。

 1日に10分以上眺めてはいけません。

 あなたの一生にかかわることですから、きっと守ってくださいね」

不思議なことに少女は代金は要らないと主張した。

結婚式の時と同じくらい幸せなるんるん気分で

あたしはきびすを返してアパートに戻ると、

早速包みをあけてベッドの脇の壁に掛け、自慢の容姿を映してみる。

「うわぁ、我ながら綺麗!」

普段化粧台で見る自分よりどこか清楚な美しさが漂い、申し分がない。

「こりゃ秀樹でなくても惚れるよ。

 あっ、10分以上は厳禁っと言われたっけ」

もっと見ていたいという気持ちを抑えて注意事項を守り壁紙を張り替えた後、

一人寂しく夕食を取る。

お気に入りのTVドラマ「夏のソナタ」を見て今日は眠ろう。



7月1日(月)

朝一にも拘らず、

どうしても我慢できなくて起きたばかりの顔を昨日買った鏡に映してみる。

3年連続でミス・キャンパスに輝き芸能界からも誘いがかかったさすがのあたしの美貌も、

起き立ては寝ぼけた顔で他人にはとても見せられないドブス顔。

でも、今日は違った。

というかこの鏡では違った。

昨晩見た時よりももっと光り輝いているみたい。

見ほれているうちに10分経ってしまった。

仕方なく化粧台の鏡に向ったが、例の鏡に比べると見劣りするものの、

いつもの寝ぼけ顔とは大分違う。

うきうきと洗濯、掃除と家事をしているうちにお昼の時間になった。

食事も進んでちょっと昼寝と思ったけど、

ええい、もうちょっとだけとカバーを外して鏡を覗き込む。

自分でもうっとりしちゃった。

10分を超過しても特に何も変化はないし、

あの忠告は一体何だったの?

それでも気にはなったので10分だけ見たところで止めたが、

夕食後もやはり10分間の誘惑には勝てなかった。



7月2日(火)

今日も寝起き顔を見る。

美しい自分の姿に言葉を失ってしまう。

10分のルーティンの後

お気に入りのローウェストのジーンズに着替えようとしたんだけど、

参ったわよ。

パンパンと体を押し込むようにしないと入らない。

たった2回しか洗濯してないのにもう縮んじゃったみたい。

2万円も出した高級品なのに、意外と粗悪ね。

お昼の後余りの美しさに今度は20分も鏡に見入ってしまった。

ちょっとお昼寝した後トイレの掃除をしようとしゃがんだら

ビリビリッ…

いやあねぇ、

ジーンズが破けて、90cmのヒップが丸出しになっちゃった。

大き目のスカートに替えてその場は何とかしのぐ。

夕飯後好きなTV番組も見ずに15分も鏡の中の自分にうっとり。



7月3日(水)

いつものようにスレンダーで美しいあたし。

でも、理由が不明なんだけど、ジーンズもスカートも穿けるものがない。

日曜日以来外出もしていないので、

大男の秀樹のジーンズを借りて(それでもきついわ)

新しいジーンズとスカートを買いに出かける。

すぐに縮まない高級品でいつもよりツーサイズ大きなものを買ってみよう。

高級ブティックへ入ると、

店員が嫉妬の眼を向け、暫く間をおいて愛想笑いで迎える。

「何もあんなに眉をひそめることはないのに…」

ちょっと不愉快になったが、素敵な洋服の数々にすぐにご機嫌になる。

しかし、いつもよりツーサイズ大きい13号を店員に差し出すと、

「お客様、それは13号でして、

 23号は奥のほうに僅かに置かせて戴いております」

と訳の分らないことを言うのでまた切れかかるが、

結局、店員の奨める大きな服を2着購入させられてしまった。

下着専門店でも同じことが起きた。

とてつもなく大きなブラジャーとパンティーを買わされたが、

穿いてみるとぴったり。

でも、鏡に映すとぶかぶかなの。

おかしいな。

ま、いいか。

そんなこんなで今日は都合1時間鏡を眺めました、ちゃんちゃん。



7月4日(木)

日本人にはどうでも良いけど、今日は合衆国独立記念日。

だから盛大に1時間も鏡を覗いても良いはず(意味わかりませんね、うふっ)。

今の私には敵なしって感じ。

クレオパトラと楊貴妃と小野小町を併せてもきっと私には勝てないわよ。

早く秀樹が帰ってこないかな。

以前にもまして美しいこの姿、早く見せたいよ。

綺麗になるに従って食欲もまして

昼にはスパゲッティ2人分に食パン1斤平らげてしまった。

小食だったあたしがまるで嘘みたい。

そして朝の1時間に加え、昼と夜に30分ずつ2回鏡を眺めた。

段々少女の警告がどうでもよく思えてきた。



7月5日(金)

大変なことになった。

朝トイレに行った後ベッドに金縛りになってしまったのだ。

上半身は何とか動くので、鏡をベッドの脇に移動した。

これで美しい容姿はいつでも確認できる。

昨日の晩からきつくなった下着もパジャマも脱いで全裸なので、

美の女神も逃げ出すような美しいおっぱい、

蜂のように見事にくびれた腰、

形よく程よく大きなお尻も丸見えなの。

でも、残念ながら手が何かに邪魔されるようにあそこに届かなくて悶々。

TVをつけて好きな番組を観るが、すぐに鏡に目が行ってしまう。

今日は多分5時間は観たんじゃないかしら。

秀樹が日曜に帰ってくるのが待ち遠しい…

************

ここで日記は終っていた。

日記の主である若い女性からSOSの電話が入ったのは7月6日の朝一番。

「息苦しい、動けない、助けて!」

というだけの短いメッセージだった。



待ちくたびれた若い救急隊員は一本だけ足の折れたベッドに腰掛け日記を膝に置いたまま

汗をかきながら眠っている。

彼は夢を見ていた。

鏡の精に話しかけられる夢を。

************

私は鏡の精だ。

退屈だろうから、私が面白い話をしてあげよう。

黒蛇堂から私を買ってくれ先ほど君の仲間が運んでいったあの女性は香織という。

いや、日記を読んだからもう知っているね。

黒蛇堂は、香織が自らの美に異常に固執していて

さらに美しくなろうとしていたことを知っていて良かれと考え私を提供したのだ。

思い起こせば、私は古代エジプト時代に作られ既に5000年近い月日を美女と共に過ごしてきた。

クレオパトラに楊貴妃、この国日本では小野小町とも。

最近では、あのハリウッドの大スター、リズ・テイラーも持ち主の一人だった。

私を覗き込むとその女性はどんどん美しくなっていく。

しかし、1日に10分以上覗くのは厳禁なのだ。

何故ならそれ以上見続けると私が女性たちに美を与えるパワーが枯渇してしまう。

それを挽回する為に否応もなくファット・パワーが放出されるのだ。

つまりだね、

10分を超過したら1分につき1kg体重が増えてしまう、恐ろしいパワーなのだよ。

しかしだ、鏡の魔力で本人はそのことに全く気付かない。

それが一番恐ろしい力なのかもしれないな。

持ち主に見てもらえなくなると私は一旦粉々に砕け散って、

新しい出会いを求めて旅立つ。

女性はこの瞬間魔法から解放され、自分の真実の姿に気付くのだ。

残念なことに真実の姿に気付いた時の彼女達の悲鳴は聞いたことがないが、

それは私の本分ではない。

女性たちに長く可愛がってもらい、

どんどん美しくなってもらうのが私の本分であり夢なのだが、

この秘めたる力のせいで1ヶ月以上持った女性はいないのだ。



鏡を買った時の香織を映してみよう。

これが彼女だよ。

いや、神々しい美しさだろう。

君が応援する芸能人でもこれだけ美しい娘はいないのではないかな。

綺麗な二重の目に整った眉、こぶりですっと筋の通った鼻に白い歯が光る可愛い口、

小さく色白な顔には黒い髪がきれいに垂れ下がっているのが見えるだろう。

8頭身近く、究極の砂時計体型…非の打ち所がない。

結婚したい?

いや、既に配偶者がいるので、諦めなさい。

次に私が買われてから二日目、彼女が眠る前の姿を見て欲しい。

どこか変わっていないか。

そうだろう。

顎の辺りにいくらかもう一つの顎が見えかかっているかな。

全体が丸くなっておっとりした感じがする。

肩の辺りの丸みが目立ち、

胸もDカップからGカップくらいになっていたりしてね。

腰の括れが目立たなくなったというか、

かなり腹がだぶついているようだ。

でもまだ十分に美しいよ、彼女は。

三日目はどうだろう。

この頃になると彼女は黒蛇堂の警告を段々忘れかけていたのさ。

無理もない。

鏡の中の美を見れば、思い出しても思わずに見入ってしまうだろう。

もはや別人じゃないか。

二重の眼が大分腫れぼったくなり、

鼻が両頬に埋もれるようになってきたね。

前日できかけていた二重顎も見事なものだ。

乳房は張りを失って垂れ下がり、

腰のくびれはなくなって腹が前に突き出てしまったな。

腕の太さは3日前の太腿くらいあるだろう。

いやぁ、ぶっとい。

太腿が互いを押しやり尻へと向う感じが何とも痛ましいね。

店員が特大サイズを薦めたのも当然というもの。

この時の体重は100kgだ。

私を買った時45kgだった体重が二日間で55Kgも増えたのさ。

さあ、四日目だ。

私も見せるのが怖くなってきたよ。

尻がとてつもなく大きくなった。

しかも脂肪斑が見苦しくて眼を背けたくなるね。

まるでできそこないの焼き餅だ。

おやっ、二重顎が消えた…

いや違うな、顔と首が同じ太さになって繋がってしまったんだな。

小顔が売りだった美人も今じゃ、

あの何と言ったっけ、

ふ、福助も逃げ出す巨顔と成り果てぬか。

腹がエプロンのように垂れ、

全裸なのに秘所は見えないじゃないか。

太鼓腹のせいで左右に大きく分離して臍の手前まで垂れたおっぱいに

リンゴ大の乳輪…かつての可憐さはどこへやら。

50kg体重を増やしてこの時150kg。

…余りの暑苦しい姿に私も汗をかいたようだ。

少し水分を補給させてくれ。

ああ、美味い…

さあ、生き返ったところで五日目に進もう。

もはや人間とも思えないこの姿。

あんなに見事だった二重の眼は脂肪のせいで一重に変わり、

回りの肉に埋もれている。

眼が見えるのかなと思えるほど細く小さくなっちまった。

私も随分美女達を太らせてきたが、

こんな顔の激変ぶりは記憶にないぞ。

どこに目があるのか鼻があるのか分らないと言っても言いすぎじゃないだろ?

顔より太くなった首はまるで風船でも巻き付けているようじゃないか、君。

もっとも、顔自体がもはや風船みたいなもんだがね。

調子に乗って2時間も見たら一気にこの様さ。

腹も尻も垂れ下がって膝まで届きそうな勢いだね。

ほら見てごらん、

極端に太ると腹は臍のところで二つに分かれぶよぶよに垂れ下がるんだよ。

まあ人によっても違うんだが。

ここまで急激に太ると動けなくなるのも無理はない。

筋肉が追いつかないのだ。

本人は金縛りにあったと思っていたようだが、

体が重すぎて動けなかったとは、

まさかと思うだろうよ。

推測だがね、上腕は周囲80cm、太腿150cmくらいじゃないのか。

それにしても巨大だ。

ふーっ!

そして最後、これが日記をつけ終わった後、6日目の晩の彼女さ。

もはや肉の山。

肉と脂肪がとぐろのように見えるね。

この日動けなくて5時間も私を見てしまった香織は、

ええと、

260kgに5時間は300分だから、

560kgになるのかな。

世界最高記録さ。

きっとギネス・ブックに載るだろう。

大きな体に顔がちょこんと乗っている様は

蝿がとぐろを巻く大便にたかっているといった感じだな。

おっと、些か汚い表現で失礼。重ね餅と言い直そう。

ちょっと可愛い感じもするが、どうだろ?

冗談じゃない?

それは恋愛の対象で見るからさ。

それにしても臭い部屋だね。

もっとも6日目の朝から動けないので、汗と尿の垂れ流しかぁ。

大の方は我慢できたみたいだが、

憐れなもんさね。

明日旦那が帰ってきて何と思うかな。

携帯がそばにあって病院へ連絡できたのはせめても幸いだったと思うよ。

手術で400kgは落とせるはずさ。

前のような美人には金輪際戻れないがね。

***********

「はっ、夢か」

ここで救急隊員は目を覚ました。

夏風を引いていてマスクをしていた救急隊員には嫌な臭いも余り感じなかった。

その時鏡は割れ床に落ちたかと思うと、間もなく跡形もなく消えた。

鏡はまた犠牲者を求めて、

いや、可愛がってくれる美人を求めて世界各地を転々とするのだろう。



ドタドタドタ…

暑に帰ったはずの先輩隊員の一人が戻ってきた。

「先輩っ

 どうしたんですか?」

「おう、

 さっき警察から連絡があってな、

 事件性はないから検証は中止、
 
 引き上げていいってさっ
 
 まったく、するだ。しないだ。ハッキリしてくれ。
 
 っていいたいよな。

 それにして、まさかあんな化け物…
 
 あいや、凄まじいデブが患者だったとはねぇ

 人間というよりはカバ。

 動かすのに大男7人もかかり、外に出すのに玄関まで壊したんだからな。

 近所の男衆を急遽召集して何とか凌いだが、大変だったよな。

 しかし、手伝ってくれた近所の人が
 
 『ここの奥さんはすげえ美人だったような気がする』

 と言っていたが、部屋を一つ間違えてるんだろう。

 あのカバ女、男から声なんか掛けてもらったことなんかないんだろうさ」

「え、ええ、多分」

若い隊員は日記から剥ぎ取り

こっそりポケットに忍ばせていた美しい香織の写真を思い出しながら、

心の中で首を横に振った。



おわり



この作品はラックーンさんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。