風祭文庫・醜女の館






「魔法の手」



原作・ラックーン(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-090





ガサガサ…

「それでは、200X年度アカデミー主演女優賞の発表致します。

 ウィナーは…シオリ・オイカワ…『ゴールデン・ガール』」

プレゼンターの発表と同時に会場は満場の拍手に包まれる。

候補者は原則的に出席を義務付けられているが、

主演女優本人は重病を理由に欠席していた。

代わりに黒づくめで不気味な雰囲気を漂わせた脚本家が壇上に上がっていく。

「残念ながらシオリはこの作品に打ち込んだ余り病に倒れ、

 本日ここへは来られませんでした。

 彼女の完璧な演技が私の作品、

 いや私自身に命を吹き込んでくれたのです。

 ブラボー、シオリ!」

異色の人生ドラマ映画「ゴールデン・ガール」は特殊メーキャップ賞も併せて受賞し、

華やかな祭典は幕を閉じるのであった。



遡ること一年前。

バタムッ

「詩織さん、英語のメールが入ってます」

マネージャーが居間でビデオを観ていた女優の及川詩織のところへ駆け込んできた。

「で、内容は何なの?」

「それはまだ…」

「馬鹿!

 あんた何年私に付いているのっ!

 あたし、まだるっこいのは大嫌いなんだから、読んでから来なくちゃ!」

「申し訳ございません。すぐに」

大学を卒業したと言っても三流大学出身で、

英語が苦手なマネージャーの加藤が辞書を引きながらメールと格闘し始める。

およそ30分後、

「ハリウッドの映画会社からの映画出演オファーのようです。

 それも主演で、オーディションはなし。

 出演料は、200万ドル…というから、えーと約2億円…だそうです」

「何ですって、2億円!?」

7年前、20歳でデビューし、

人を魅惑しないではおかない美貌と日本人離れした身長167cm、

スリーサイズ90−59−95の悩殺ボディーで一躍人気女優になったものの、

我侭で尊大な性格が祟って

3年前から業界からほされていた詩織には願ってもない話である。

「もし交渉が成立したら、

 お前にも3年ぶりに給料を払えるわよ。

 頑張ってOKと返事を打って頂戴」

そう、加藤の給料支払いが止まって3年も経っていた。

しかし、資産家を親に持ち、

詩織の追っかけからマネージャーになった彼はお金は必ずしも問題ではない。

一緒にいられるだけで幸せを味わっていた。

「あっ、その前に大体どんな物語なのかしら?

 何か書いていない?」

「アウトラインによりますと、

 美しい日本娘が米国の大富豪と結婚して迎える波乱の一生を描く物語のようです。

 仮題は『ゴールデン・ガール』です」

「言葉はどうなるの?

 撮影中のコミュニケーションは?」

「専任の通訳がつくようです。

 映画の中でも余り英語の上手くない娘の役なのでさほど気にしなくても良いとか。

 吹替えの可能性もあるらしいです」

「そう?

 至れり尽くせりね。

 2億円かぁ。

 今までの出演料全て併せたよりもずっと多いわね。

 ハリウッドはやっぱり凄いなぁ」

と興奮冷め切らぬ様子の詩織。

確かにハリウッドは凄かった。

2億円というギャラは日本の映画では到底考えられない大金で、

日本のトップ・スターの10倍以上である。

実はハリウッド映画の主演俳優の最低保証ギャラは20万ドルで、

つまり日本のトップ・スターのギャラはハリウッドの最低保証額にも満たないのが実情。

ハリウッドのトップ・クラスになると一本当り2000万ドル、

日本円で22億円相当が支払われる。

200万ドルというギャラは中堅俳優の主演ギャラに相当し、

ハリウッドでは全く無名の詩織にとっては破格のギャラと言ってよい。

加藤がそんなことを考えていると、

「いいわ。

 OKを出しておいて」

詩織から最終決断が言い渡され、半日かけて拙い返事を書くのだった。



1ヵ月後、

交渉は上手くまとまり

「ゴールデン・ガール」の撮影クルー及びキャストの面々が日本を訪れた。

3月になったばかりで花粉症の詩織にはつらい季節。

詩織が出演する場面は全て日本のホテルや別荘を利用して撮影されることが事前に告げられ、

ハリウッドに行けるものと期待していた彼女は一瞬がっかりしたが、

それ以上に日米を何往復もできる破格のギャラに胸が弾む。

暫くは実際の彼女より若い18−20歳のぴちぴち時代の撮影が続く。

ヒロインが大富豪をたらしこむ一連の場面である。

ちょっとかがめば下着が見えそうな短いスカートに胸の谷間が覗く深いV字ネックのブラウス。

その扇情的なスタイルに

「ちょっと恥ずかしいなぁ」

と言いながらも満更ではなさそうな詩織だった。

やがてシューティングはヒロインの中年時代に差し掛かっていく。

ペラッ…ペラッ…

詩織が脚本を読み返している。

20歳で結婚したヒロインは25歳で最初の不倫を経験、

相手のハンサム青年と深い関係になっていくのだが、

30歳で不倫が発覚して、激怒した60歳になる夫から恐ろしい復讐を施される。

夫が彼女に言う。

『私の遺産が欲しければ、命令に従いなさい』

『命令って?』

『簡単なことだ。

 1年間家から出ず、私が与える食事を残さず食べるだけで良い』

『えっ、食事?

 残さず食べるだけ?

 わ、分ったわ』

そもそもお金目当てで30歳も年上の男と結婚した彼女は愛人を諦め、

命令に従うことを選ぶ。

夫は見張りを付け彼女を軟禁すると、

強制的に栄養価が高く脂肪のつきやすい食事やアルコールを与え続ける。

運動はご法度である。

1年間のそうした生活で彼女の体型は見事に崩れ150kgの大巨漢に変わってしまう。

ペラペラ…

「全く変な話よねぇ〜。

 奥さんをデブにしちゃうなんて。

 でも、不倫防止には効果的かもしんないなぁ」

などと詩織が感想を洩らしていると、

そこへ

ツカツカ

と女性二人がやって来る。

「こちらが特殊メーク担当のジュリア・オケイシーさん。
 
 ハリウッドでは【魔法の手】を持つと言われている特殊メークの第1人者です」

コーディネーター兼通訳から彼女を変身させるメークアップ・アーティストが紹介された。

『えっ、こんなしわくちゃばばあが…』

と心の中で思いながら愛想笑いをする詩織。

確かに太く深く刻まれた皺の中に目鼻が埋もれているといった状態は80歳以上とも思わせたが、

実際にはそこまで高齢ではなく、聞くところによると60を過ぎたばかりということである。

メークの際の機敏な動きはそれを裏付けている。

「私はモットーとして安易なファット・スーツは使わないことにしています。

 私自身が開発した特殊メーク用パテを貴女の肌に塗りつけることになりますが、

 時間はご想像されるほど懸かりませんのでご安心を…」

ジュリアはメーク・プロセスを最初に説明した。

その為詩織は全裸になる必要があったが、

仕事と割り切り惜しげもなく完璧な裸身を晒す。

ペタッペタッ…

ジュリアの手とパテが肌に触れた瞬間詩織は眠くなった。

僅かの間眠っただけ思われたが、

目覚めた詩織が見たのは大巨漢に変えられた自分の姿だった。

「わははは。

 一度太ってみたいと思っていたのぉ〜。

 ダイエットに追われない生活もいいものよね、きっと」

そう話す彼女の形の良い大きな乳房は張りを失って垂れ下がったスイカ大の巨大なものに変わり、

胴回り180cmの見事な太鼓腹がその下に作り出されている。

「思ったより軽いのね」

詩織は相当の重さを強いられることを予想したが意外と軽いのに驚いた。

しかも、いつの間にか生来の体の一部であるかのように一体化し、

歩くたびに乳房も太鼓腹もブルンブルンと見事に揺れる。

「おもしろ〜い!」

脳天気にもそんなことを言う詩織を尻目に、立派な二重顎が形成される。

ジュリアは休むことなく仕事を続け、

今度はくっきりした綺麗な二重の目を潰し、肉に埋もれた一重の目に変えていく。

「やだぁ、これがあたし?」

はしゃいでいた詩織もさすがにすっかり印象の変わった顔にショックを隠せない。

膨れた顔に触っても異物感はないので、詩織は本当に太ったように感じ、

先ほど聞いた【魔法の手】という言葉に頷くしかなかった。



1週間後、撮影はヒロインの晩年に入っていた。

ヒロインの体重が150kgに達した頃、夫は満足したように安らかに逝く。

夫の予想通り極度の肥満体になったヒロインには新しい恋人も出来ず、

莫大な遺産に恵まれながらも薬や酒に溺れ、体をボロボロにしていくのである。

そして、

パサッ

詩織はここでも全裸になる。

ジュリアが今度はセメダインを思わせるジェルを持って彼女に近づいた。

「他のアーティストが使う老化メーク用ジェルと一見同じですが、

 私のは効果が抜群。

 原理はセメダインを皮膚に塗って乾かすと皮膚が干からびるのと同じね」

説明しながら彼女が触れた瞬間、詩織はまたまた眠り込んでしまう。

全裸の詩織は中年時代の撮影が昨日終ったというのに、

依然としてそして何故か太った姿のままだった。

ジェルが垂れ下がっていた巨大な乳房に触れた途端、

それは空気を抜かれた風船のように急速にしぼんでしわくちゃになっていく。

ジェルが触れた瞬間大きく突き出た太鼓腹も空気を抜かれたようにひからびていくが、

決して痩せたと言えるものではなく、

脂肪が抜けた部分は人肌で出来たエプロンといった風情に変わり、

眉をひそめたくなる醜さである。

そして、ジュリアの指とジェルが触れた部位が次々と老化していった。

空気を抜かれた二重顎は本物の顎の下でよれよれの袋と化し、

顔は血色の悪い土気色になった思うと

太くて深い皺が縦横に走り、無数のしみに覆い尽くされる。

窪んだ目に大きく目立つ鷲鼻。

パンパンに膨らんでいた頬は張りを失ってブルドッグのように垂れ下がっていく。

手足は曲がって関節と血管が醜く浮かび上がり、

爪は赤いマニキュアがポロッと剥げ落ち、見る見る黄色く変色していく。

髪は既に灰色を通り過ぎて真っ白になり、半分ほどが抜け落ちる。

その時詩織が目を覚ました。

「フワァ〜、

 体中が燃えるように熱いんだけど、

 どうしたのかな〜?」

と話した瞬間彼女の顔がこわばる。

「あ、あたしの声が…」

彼女の声は本当の老婆のようにしゃがれ声になっていたのである。

「驚かなくても良いのよ。

 私が完璧な特殊メークをしただけだから。

 声が変なのは眠っている間に飲ませた特殊な薬のせい。

 私は完全主義者なの」

ジュリアは通訳を通してそう説明した。

それを聞いていたマネージャーの加藤は首をかしげて

『いつ薬なんか飲ませたんだ?』

と心の中でつぶやいた。

「ハックション!」

しゃがれ声の詩織が花粉症の影響で大きくくしゃみをした。

その瞬間、

ポロッポロッ…

カタカタカタカタカタッ…

「ナイオホレ、アラヒノハア…。ロウイウホロ?」

(何よこれ、あたしの歯が…。どういうこと?)

詩織の歯はくしゃみの勢いで全て抜け落ちてしまったのだ。

加藤は宝物でも拾うように丁重に歯を拾い集めている。

歯が抜けちんくしゃな顔になっていた詩織は満足に話すことも出来なかった。

「ホレモホフフエーフナホ?」

(これも特殊メークなの?)

さすがの詩織もうろたえ、顔を真っ青にして震え出した。

プチュッ!

ジュリアは催眠効果のある注射を打って、暴れようとしていた詩織を寝付かせると、

きちんと演技が出来るように催眠術をかける。

「貴女は27歳の女の子ではなく、

 大金持ちの80歳のおばあちゃんなの。分ったわねっ!」

確かに、目を覚ました詩織は暴れることもなく80歳の老婆のように振舞った。

これ以上はない完璧な演技で、

不得意のはずの英語もぺらぺらと話す詩織。

無能な加藤は次々に起こる不思議な出来事に目を白黒させているだけで、

特に抗議や質問をするわけでもなかった。

こうして全ての場面の撮影が無事完了していくのだった。

しかし、無事でない人物が一人だけいた。

詩織である。

80歳の老婆にさせられた詩織は相変わらずその姿のままであった。

打ち上げパーティーには夢を見ているかのようにボーっとしている主演女優と、

マネージャーを挟んで微笑を浮かべている二十代半ばの謎のブロンド美女がいた。

加藤はマリンブルーの瞳に思わず引き込まれそうになる。

しかし、その服装はゴージャスな外見に不釣合いな地味な灰色のワンピースだった。

マネージャーの加藤はその外国人女性に見覚えがなく、たどたどしい英語でこう話しかける。

「フー・アー・ユー?」

「オー、アイム・ソーリー。

 アイム・ジュリア、メーキャップ・アーティスト」

「えええっ!」

セクシー美女が自らをメーク担当のジュリアと名乗ったため加藤は目を丸くした。

自分を80歳の老婆と思いこみ呆けている詩織からは特に何の反応もないが、

いずれにせよ、

皺に埋もれた老醜のジュリアとこの美女を結びつけることなど誰にも出来ないだろう。

その時、ブロンド美女は自らがジュリアであることを証明するかのように

詩織に向って催眠術を解く仕草を見せた。

ピクッ!

詩織の意識が正気に戻ったらしい。

「アナラ、ファレ?」

(貴女、誰?)

目の前にいる見慣れない美女に詩織は反射的に尋ねる。

「ジュリアさんだそうですよ」

と、加藤から告げられた主演女優は一瞬考え込んだ後

激しくブロンド美女に詰め寄った。

「フリア? ファレハヒンハイヘロ、ハアフモロ二モロヒヘホ!」

(ジュリア? 誰か知んないけど、早く元に戻してよ!)

「残念ねぇ。

 私は悪魔に魂を売って、この話に乗ったの。

 若い女から若い肉体を奪えば

 私に若さが返って来るという話だったのよ。

 しかも、おまけも付いてきたわ。

 生まれついて不細工だったこの私が女優みたいに綺麗になるなんて…。

 多分貴女が思った以上に醜くなったのを喜んだ悪魔のご褒美ね。

 そもそも元に戻す術なんて知らないの。

 悪魔が授けた能力は美人を醜くする片道通行らしいのよ。

 お生憎様」

「ロウヒヘアラヒアヒョウヘヒヒ?」

(どうしてあたしが標的に?)

「それは偶然ね。

 脚本家…どうも悪魔らしいんだけどね…が書いた物語のヒロインが

 たまたま日本人だったので、

 高慢で暇そうな日本人女優ということでキャスティングされたらしいわ。

 私には若ければ誰でも良かったんだけど。

 後で不思議に思うだろうから事前に説明しておくけど、

 ここにいる関係者は貴女とマネージャー以外、

 催眠術にかけちゃっているので、

 ここで起こった不思議な現象には全く気付いていないわ。

 あなたが80のばばあになって私が25歳のグラマーになったこともね」

その言葉にショックを受け崩れ落ちた詩織にジュリアが最後の言葉をかけ、

小さな箱を渡した。

「そうそう。

 お礼に入れ歯を作ってあげたわ。

 特別に全部金歯にしておいたので、

 大事に使ってね。

 オホホホ」

加藤は詩織が気を失っている間ご機嫌のジュリアからこういう話も聞かされた。

「詩織は見かけはしわくちゃ婆さんでも中味は元のまま。

 心臓も脳も27歳よ。

 荒んだ生活をしなければあと50年はしっかり生きられるわ。

 安心したでしょ?

 でもね、大体3倍の年齢で外見は老け込むことになるから

 彼女が本当に80歳になる時外見は240歳くらいの感じになると思うわ。

 240歳の人間ってどういう姿なのかしら?

 ミスター・カトー、楽しみだわね。

 ウフフ」

胸を張って去っていくジュリアの背後では、

孫が祖母をいたわるように詩織を介抱する加藤の姿があった。



翌日、

ジュリアには大きな仕事が待っていた。

パスポートの写真と全く異なる25歳の姿では出国審査に通らないことが十分に予測できた為、

帰国に際して自らに特殊メークを施さざるを得なくなったのである。

若さを得た瞬間悪魔に与えられていた特殊な能力を失った彼女は

詩織を老婆に変えた時のように簡単に済ますことは出来ず、

苦労して自らを老婆の姿に変えた、

いや、より正確には【戻した】と言うべきかもしれない。

そして、これが特殊メークの第1人者ジュリア・オケイシーの最後の仕事になったらしい。

帰国してから彼女は女優に華麗なる転進を遂げたという話である。



おわり



この作品はラックーンさんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。