風祭文庫・醜女の館






「さらば美しき人」



原作・ラックーン(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-076





「ウグッ!」

針金で出来たその物体が相手男優の手により鼻の穴に引っ掛けられ

新人SM女優・楠木いずみこと綾瀬さやかはその異物感に思わずうめき声をあげる。

自らの顔を見るすべはないものの、頭の中でイメージが勝手に出来上がり、

両親から授かったた気品に溢れる美貌が破壊されることに涙がとめどなく流れてくる。

しかし、

「だめよ、あの顔を手に入れ、あの人を振り向かせる為には必要なことじゃない。

 これくらいのことに耐えられなくてどうするの、さやか!」

とさやかは自らに言い聞かせると、

その責めに耐えた。

「いずみちゃん、

 あの涙は実に良かったよ。

 ファンにはああいうのがたまらないんだよな」

撮影終了後、

撮影の出来にご機嫌の監督は涙も乾き切らないさやかに声をかけると、

「は…はい。ありがとうございます」

撮影の疲れか、さやかはそぅ返事をするだけで精一杯になっていた。

一人暮らしのアパートへの帰途、

彼女の脳裏にここ一年半の出来事が走馬灯のように去来して行く。



【ジャンボ機軟着陸失敗、乗員乗客486名全員死亡】

事前の速報より動揺していた綾瀬グループの重役会の面々はこの確定記事に硬直した。

それもそのはずだ。

グループの会長夫妻及び基幹三部門の社長がこの事故で帰らぬ人となったのである。

物故したいずれもが綾瀬家一族。

舵取りを失った綾瀬グループは暫く大きな混乱を抱えることになったが、

実は、事故の報告を聞いて重役達の中には心の中で快哉を叫ぶ者もいた。

円高の影響で輸出を基幹ビジネスとしていたグループ全体の赤字が膨らんでいる上に、

ワンマン会長とその息子達の方針ミスで、赤字は解消される見込みは皆無だったからである。

そして、残された重役達は遺言のないことをいいことに

従業員の生活がかかっているとの大義名分で世論を味方につけると、

綾瀬家の数千億と言われる総資産の大部分をグループの赤字解消と新たな投資に充当し、

一人残された綾瀬家の娘・さやかには僅かな分与を認めるに留めた。

1億5000万の現金と5000万相当の別荘、及び特記事項として記された特典である。

総資産を考えれば確かに僅かだが、

しかし、一人の女性が静かに生きていくには決して少ない額ではない。

そして、特典というのは、

大学卒業後には綾瀬コンツェルンの中核である綾瀬電工の受付嬢として任用、

月給も25万円と初年度としては破格の条件を指している。

せめてもの温情だったのだろうか。

そして、気立ての良い深窓の令嬢は事故直後のショックで対抗する気力を持ち合わせておらず、

あっさりとその条件を呑んでしまうのだった。

実は本人も知らないうちに皇太子妃の有力候補として秘密裏に事が進められていたさやかだが、

会長の死により表沙汰になることは決してなかったことを参考までに記しておく。

さやかが大学2年の夏、一年半前の出来事である。



事故より半年後、

悲しみから漸く抜け出そうとしていた彼女は幼い頃から親しんでいたテニスの練習を再開した。

この鮎浜テニス・スクールに集う周囲の女性たちは

怪我の為にプロ選手になるのを断念した若くてハンサムなコーチに夢中だったが、

さやかは別の男性に惹かれていた。

テニス場の裏方として真面目に働くフリーターの石毛大輔である。

一目惚れだった。

彼の黙々と働く様子は蝶よ花よと育てられた彼女にはひどく魅力的に映り、

日ごとに思いは深まっていく。

元来大人しく、さらに躾の厳しい家庭に育てられていたということもあり、

なかなか思いを打ち明けられずにいたが、

ある時じっと彼を見ていると、先方から声を掛けてきた。

「君さ、

 最近俺の事を見ているようだけど、どういうつもり?

 悪いけど、

 俺、結婚しているし、

 君って全然好みじゃないんだよな」

「…そ、その」

「世間じゃ多分君は美人とかゴージャスとか言われるタイプだろうけど、

 俺の目はかなり変わっているからね。

 俺には君はブ…

 …独身でもちょっと付き合えない…と思うよ」

最初は激昂していた大輔も話が終る頃には大分落ち着きを取り戻していたが、

しかし、大人しいようで芯の強いさやかはこれくらいではめげなかった。

そして練習後に詰め寄った結果、なんとか会話だけはしてもらえるようになり、

慣れない手で彼の為に弁当を作る日々が続いた後、

やがてその日が訪れる。

ピンポーン…

ある日曜日の午後、

大輔の暮らすさびれたアパートの一室でチャイムが鳴った。

「誰だろう?」

妻の花子がその小太りの体を難儀そうに起こすと、のしのしと玄関へ向う。

「い、石毛大輔さんのお宅ですか?」

「そうだけど、あんた誰?」

恐る恐る尋ねるさやかに花子はぶっきらぼうに訊く。

「綾瀬さやかと申します。

 ご主人とはテニス・スクールで知合いの間柄で…」

彼女は思わず失神しそうになり、心の中でうめいていた。

「これが大輔さんの言う【絶世の美女】なの?

 勝負にならない…」

さやかは花子の凄まじい容貌に圧倒されたのである。

ぱらぱらと辛うじて生えているといった風情の眉

狐を思わせる細くて吊りあがった目

…眉を剃った不良少女を連想させるその顔は正視するだけで恐ろしかった。

ベテラン歌手・北畠二郎よろしく大きく上を向いた鼻は大きな穴をさらし、

見事に生え揃った鼻毛を見せ、

かつ、あぐらをかいている。

タラコのように厚ぼったい唇からは、

下品な出っ歯がいつも顔を出している。しかも、すきっ歯である。

笑うと歯茎が丸出しになった。

そして、頬はブルドックのようにだらしなく垂れ下がっているではないか。

顔全体のイメージはカバに近いかもしれない。

大輔は27歳で、この妻は年上の32歳と聞いていたが、

ブルドックを思い出させる弛んだ頬や二重顎は50過ぎにも見えるほどだ。

胸よりも前に突出している腹は彼女の怠惰な性格を見事に象徴している。

これが【絶世の美女】?

大輔から花子のことは聞いてはいたが

しかし、彼の審美眼のズレはさやかの想像を遥かに超えるものだった。

決してブス・フェチなどではなかった。

かなりのハンサムである彼自身の顔も醜いと感じて仕方がないという。

「どうした?」

大輔が花子のそばに近寄ってきた。

「綾瀬さんとか言うらしいけど、あんたの知ってる娘?

 何か急に意識朦朧としちゃってさ」

「ああ、テニス・スクールの生徒だよ。

 ちょっと君、しっかしりして」

「な、中でお話をさせてください」

大輔に揺さぶられて意識を取り戻したさやかはやっとの思いでこう告げた。

石毛夫婦の殺風景な部屋に入ると手土産を渡す。

お茶を用意したのは大輔で、

すぼらな花子はタバコをすぱすぱ吸っては大きな鼻の穴から煙を出している。

生気を取り戻すと、彼女はいきなり花子に詰め寄り、叫ぶように言った。

「奥様、1日50万円で大輔さんを貸し出して下さい」

「ええっ、50万円?

 貸すと言ってもねぇ…」

と言いかけた花子だが、すぐに心変わりした。

「大輔、断る理由はないよ」

「しかし…」

「あんたの15万の給料じゃ家計かつかつじゃん。

 あたいもたまには良い服も着たいしさ」

こうして、さやかは毎日大輔を毎日50万で借り出すことになった。

午前10時から午後11時に帰宅するまでが独占できる時間帯である。

そして、強欲な花子が二ヵ月後に100万円に契約金のアップを提言しても、

さやかにはOKするしか道はなかった。

親友の心配をよそに大学へも滅多に顔を見せないこうした生活を続けた結果、

十ヶ月後、別荘も売って手に入れた総額2億円の総財産は150万に目減りしていた。

一方で、元々華やかな生活に憧れていた花子は己の生活を大きく変えたが、

それに留まらず、さやかを別の人生に導くことになる。

花子はさやかから得た1億5千万円余りの大金で高価なドレスや宝石を買い込み、

甲斐性のない大輔を放ってホスト・クラブ通いを始め散財の限りを尽くした。

そして…



「そして、花子は整形してしまったんだよ。

 何であんなパッチリした目のブス顔が良いんだか…」

最近では500万ずつ前渡して5日分借りていた大輔が洩らした一言だった。

「あんなブス顔…」

彼女の顔に灯りがさし、また曇った。

「大輔さんは"不細工"になった花子さんと別れるかもしれない。

 しかし、今の私はそれ以上に"醜い"。

 彼に本当に好かれるには以前の花子さんのような顔にならなければならないわ。

 それが可能にするのは整形…」

翌日、行動を起こした彼女は

かつて父親の大火傷を見事に治した日本一と信じる小さな整形外科病院・石塚医院のドアを叩いた。

「ええっ!?

 私の目にはどんな女優よりも美しく見えますがね。

 よりによってこんな狐かブルドッグか分らないように顔に変えたいなんて!

 しかも見事に崩れたこの体型!」

差し出された数枚の花子の写真を眺めながら初老の医師は叫んだ。

写真は、さやかがストーカーまがいに近くのパチンコに向う花子の後をつけて

12倍ズーム付きのデジカメで撮ったものである。

「私は整形医と言っても美容整形は引き受けないことにしている医師ですよ。

 やけどやその他の事情でやむを得ない人のみに施術を行っているわけで、

 美容整形は本来私の守備範囲じゃないんですよ。

 あなたの場合はさらに特殊だし」

「私は自分が醜く見えて仕方がないんです!

 望みを叶えられる腕を持つのは貴方しかいないと信じて参った次第です。

 私の幸福がかかっているんです!

 ほら、私の顔がケロイドに覆われているようには見えませんか?」

さやかは懸命に嘘をつき、マシンガンのようにまくしたてた。

「いや、そんな風には見えませんな」

石塚は暫く考え込んだ後、口を開く。

「しかし、そこまで言うのならやむを得ない。

 条件があります。

 結果に文句を言わないで戴きたい。

 成功すればするほどあなたは美から遠のいていくわけだから。

 私は失敗を願いたいが、

 それは同時に別の醜悪さを作り出すし、医師としての面子も許さない」

先ほどまでの躊躇ぶりが嘘のように彼は手術のプランを次々と披露していった。

「まばらな眉は一旦完全脱毛して植毛にし、

 くっきりした二重まぶたは肉をつまんで縫合して線をなくし腫れぼったい目にする。

 肉のつまむ方向で細くて吊り上がったきつね目をこしらえよう」

ひしゃげた鼻はもっと簡単だと医師は告げた。

「横から見て30度と60度の角からなる綺麗な直角三角形をしている鼻柱隔の60度の部分を

 ばっさり切り取って二等辺三角形に近づければ、見事に低い鼻ができます。

 俗に豚鼻とでも言うのですかな。

 鼻翼の切り貼りであぐらをかかせるのもそれほど難しくはないでしょう。

 それから、たるんだ頬と二重顎、垂れた乳房、

 ポテッとした太鼓腹と太い手足は私が開発した人口脂肪を使わせて戴く」

石塚の解説によれば、

彼の人口脂肪は生理食塩水と違い自然であるし、

やがて本物の脂肪に変わり抗体上も問題がないらしい。

「たらこ唇を作るにはヒアルロン酸というスウェーデン製の薬剤があります。

 危険性が全くない優れものです。

 1cm上顎前突(出っ歯)させるのはさほど難しい作業ではないとしても

 すきっ歯はちょっと厄介だな。

 安易に歯を削るのも良くないし、これは宿題としておきましょう。

 大体こんなところで、

 今の段階では全くの概算ですが、1千万の費用がかかります。

 それでも良ければ…」

「いっ、1千万円…ですか。
 
 分りました。

 今は持ち合わせがないので、ちょっとお待ち戴きたいのですか」

さやかは大学4年になっていた。

医院を訪れた翌週からナイトクラブで働き始めたが、

上品な店なので月給も30万がやっとである。

大輔との変則デートも途絶え、完全に復帰していた大学から店へ通う途中で男に引き止められる。

「ねぇ、彼女っ!

 良い稼ぎが出来るんだけど、ちょっとおいらのところへ来ない?」

声をかけてきたのはAVのスカウトマンらしい。

良い稼ぎと聞いて彼女はためらいながらも翌日事務所に行ってみることにした。

スカウトの若者から社長に紹介される。

「昨日話した女の子です」

「うひょー、

 想像以上の別嬪さんやね。

 こいつが綺麗な女の子を捕まえたというもんでね、

 失望しない程度に期待もしていたが、我が事務所始まって以来かもしれんね。

 で、早速だが、君は本番はOKかい?」

「本番って何ですか?」

「えっ、今時の娘が本番ちゅう言葉を知らない?

 たまげたなぁ。

 要は、男と女がする四文字のことだよ。

 皆の前でするのは抵抗あるだろうがね」

「それは…困ります。

 私、し、処女ですし」

「処女?

 全く驚かされる娘さんだなぁ。

 それはともかく、まあ、編集の段階でぼかしてしまうんで擬似本番も出来るんだけど。

 あっ、SMなら本番はさほど重要じゃないし、
 
 シネトリックあたりがいいかもしれないな」

AVモデル事務所の社長は最後の方は独り言のように言った。

「俺は汚いのは嫌いなので…浣腸はこちらからいつも断っているが、

 鼻責め・顔責めがOKならプラス30万。

 都合100万円のギャラが手に入るが、どうだろう」

鼻責めって何だろう…

といぶかしくも思いながらも、さやかはギャラの多さに惹かれ契約書に捺印した。

SM女優・楠木いずみの誕生である。

撮影は一週間後開始され、

監督から「これを穿いて」と真紅のTバックを渡される。

Tバックを穿いた経験はなかった。

クラスメートにばれるのが嫌なので監督に要請し認められた濃い目のメークアップ、

ソバージュの茶髪のかつらとセクシーなTバックにより

普段の清楚さが嘘のように別人のように淫らで妖艶となったさやか。

着やせする乳房は上下を縄で締め上げられて前に大きく飛び出し、

股間に縄を通される。

「ウグッ」

自慰さえまともにしたことのない彼女には

いま自分のされている行為はまるで別世界のことだった。

まして、針金製のクリップで鼻を吊り上げられるというにわかには信じがたい異常な行為に、

悶絶し涙で顔がぐちょぐちょになる。

恥ずかしさで目を閉じた瞬間、監督がカメラを止めさせた。

「いずみちゃん、

 涙はそそるんだけど目をつぶっちゃあいけないよ。

 ファンは元の顔との落差に興奮するんだ。

 もう一回取り直し」

さやかはがっかりしたが、今度は目を開いたまま必死に耐えた。

上品さを絵に描いたような彼女の顔が下品の代名詞と言えるほどに歪められ、

慣れているはずのスタッフの中にさえ唾を飲み込む者がいた。

カメラは彼女の鼻の穴に近づくとアップでなめ続け、

男優は彼女の目を指で吊り上げたり下げたり細くしたり無理やり広げたり、

口を大きく縦横に勝手気ままに大きく開かせ、彼女の美貌を蹂躙し続ける。

これが顔責め?

ラッシュを観た彼女は、

自らの崩れた顔に花子の姿を見出し一瞬嬉しさを覚えるが、また沈む。

しかし、彼女のデビュー作は好評でさらに2作が僅か2ヶ月の間に立て続けに撮られた。

そのうちの一本では何ともグロテスクなゴングロ娘の化粧も施されて、

初めての鼻責めを受けた時と変わらぬほどみじめな思いに、また泣いた。

しかし、この2作ではギャラが増え2本で300万円を得ただけでなく、

美貌の顔責め女優として名を馳せることになったAV女優楠木いずみこと綾瀬さやかは、

シネトリックのライバル業者・アーク社と2本契約を交わし、

こちらも300万円のギャラが約束された。

アークの鼻責めは鼻を三角形に吊り上げるシネトリックとは違い、

激しい痛みを伴う強力なつり上げと鼻フックの形状により正に完璧な豚鼻を作り出す。

幾分慣れてきたとは言え、鼻の変形ぶりはショックだった。

さらに、平均50万円のギャラで4本の顔責めインディーAVに出演することになるが、

中でも唯美会ではノーズ・クリップを上下左右に幾つも通された上に、

クリップで引き裂かれた口から突き出した舌を輪ゴム付きの割り箸で挟まれ、

屈辱的なまでに顔を破壊された。

口から溢れ出る涎が惨めだが、顔を破壊するサディストは股間にテントを作っている。

「惨めだよねぇ。嫌だよねぇ、こんなの」

監督でもある責め師はお得意のこの言葉責めで追いうちをかけた。

慰めているようで実は責めとしての効果は絶大で、

泣き虫のさやかはボロボロと大粒の涙をこぼすのだった。

彼女はこうして三ヶ月足らずの間に900万円を稼ぎ出し目標額に達すると、

突然事務所を引退を社長に告げた。

「えっ、どうして?

 そのうち本番やアナル関係もやってもらおうと思っていたのに」

と社長は悔しさをにじませるが、

個別契約でやってきた以上は本人の意思を尊重せねばらならない。

「気が向いたらまたやって来てよ。

 金を稼げるのは若くて綺麗な今のうち。

 年増やブスにも仕事がないことはないが、ギャラが一桁いや二桁違うからな」

という社長の声に

「今度逢っても私とは分らないでしょうね」と心の中で言うと、

自嘲的な表情を浮かべるのだった。



「先生、お金が用意できました」

腕は抜群ながら仕事を断り続けている為客のいたためしのない石塚医院に

さやかが再び訪れたのは最初の訪問からおよそ五ヵ月後、残暑の厳しい九月初旬だった。

病院に来る前日、

彼女は大学に退学届けを出し、テニス・スクールも辞め、ナイトクラブも辞した。

それに留まらず、

思い出を彩るあまたの銀塩写真をスキャナーに取り込むと、オリジナルは焼却しもした。

デジタル化されたオリジナルを秘密のフォルダに格納した後、

コピー全てを整形後の容姿にコラージュもしくはレタッチするつもりなのである。

「君、その髪は?」

長いストレート・ヘアの代わりに

何と大仏のような所謂おばさんパーマが頭を飾っていたさやかに石塚が尋ねた。

「とてもファッショナルブルとお思いになりません?

 友人達の手前、今まで自分の審美眼を裏切る格好をしてきたんです」

「はぁ。

 家内を思い出すよ。

 若い君に似合うとは思わないな。

 まあ、髪はいつでも戻せるから良いが、

 これから君のやろうとしていることは取り返しが付かないことなんだよ。

 再度手術しても限界がある。

 後悔しないだろうね」

と石塚は念を押す。

「ええ」

30分後、医師はさやかに全身麻酔を打ち、プラン通り胸、腹、手足の手術の準備を開始した。

彼は四週間の間に三回に分けて全身に手術を施す計画を立てていた。

三日後退院した彼女は、

病院を訪れた時の誰もが羨むスタイルの良さとは全く正反対の崩れた中年女性の体型で帰途に就く。

歩くたびに揺れる腹の脂肪が疎ましく、余裕のあったはずの上着の袖がきつく不愉快さを覚えた。

穿いてきたスカートは細すぎてはけなくなった為先生から借りたスラックスに替えている。

「この格好、恥ずかしい!

 でも早くこの体に慣れなくちゃ。次回はいよいよ顔…」

二週間後ほぼ問題なく歩けるようになっていた彼女は、

顎と頬の手術を受ける為ベッドに横たわっていた。

黄色い天然脂肪とは異なる乳白色の人口脂肪を収めたボックスが横に置かれている。

体全体を変形させた前回と比べれは量は圧倒的に少ない。

しかし、石塚は体型を変えた時とは違い、手の震えを止めることはできずにいた。

あの時は、

自ら開発した人口脂肪は時間と共に定着し本当の脂肪に変わるためにダイエットも出来るし、

再生手術も可能であるという心の余裕があったのである。

ところが、これから施す顔の全面整形は戻せても30%程度と判断していた。

心の中で「さらば美しき人」

と苦々しく言葉を吐き、勇気を奮い起こすと顎の骨に沿ってザクッとメスを入れる。

開口部から人口脂肪を慎重に注入していく。

一部は顎の下へ、一部は両頬へ流し、30分後には見事なブルドッグ顔を出現させた。

石塚はその出来栄えに満足し、

同時に彼の大好きな女優オードリー・テイラーにも似た美貌を奪い去った事実に愕然とする。

さやかは包帯をされていた為に顔を確認することが出来なかったが、

おおよその想像がつき、浮かぬ顔をしていた。

「嬉しいはずなのに元気がないね」と、石塚が不思議そうに訊ねる。

「ちょっと痛みというか、違和感があるので…」

「そう…」

「次回はいよいよ眉と目と鼻。

 すっかり面影がなくなるが、宜しいね」

「はいっ!」

さやかは気丈に強い口調で返事をすると、顔の下半分を包帯で包んだ状態で医院を後にした。

その後も暑い日が続いた。

「この顔ですら今日で最後なのね…」

二週間後、

出かける為にさやかは鏡を覗き込んだ。

鏡はたるんだ頬と二重顎が醜悪至極の別人物を映し出す。

「ああっ、醜い!」

この日まで毎日のように崩れた顔を眺めては涙を流しアパートに閉じこもりきりの彼女だったが、

しかし、この段階に至り、今までの自分と完全に決別する覚悟は出来ていた。

やがて、医院の中。

手術そのものは石塚が告げたように呆気ないほど簡単に終った。

鼻は包帯で隠されていたが、

吊りあがった細い目は包帯の間から確認することが出来る。

「ほ…細い!」

驚きとともに溜息をつくしかなかった。



タターン…タンタターン…タターン…タンタターン…

規則正しいボールの音が鮎浜テニス・スクールのコートに響いていた。

コーチと互角に打ち合っているのは…

その快適な音から受けるイメージとは正反対にポコッと腹の突き出た女性だった。

再登録する際に元美女(はじめ・みよ)と名乗った綾瀬はるかである。

現在の彼女の容姿には全く似合わない名前に彼女のせめてもの抵抗が感じられた。

「なぁにっ?

 あのドブスのおばさん?

 しかもヤンキーみたく眉毛がなくて怖い顔!」

というのがコーチ目当てで通っている麗しい生徒達の最初の印象だった。

コーチの鮎浜は、若いのか中年なのか正体不明のごつい顔の女性に

半年前にやめていった美女・綾瀬はるかをダブらせていた。

「あれだけのライジングを打てるのは、

 ここでは綾瀬さんだけだった。

 しかし、どう見ても別人だし」

と心の中で思いながら、

「元さん、

 お上手ですね。

 ここに来る必要はないと思うくらいですよ」

とさやかに声を掛けた。

彼女が怖い顔を崩してにこっと笑うと、歯茎丸出しの醜いすきっ歯が現れる。

同時に、鼻毛も見えそうなひしゃげた鼻が迫り、

鼻息で飛ばされそうな印象さえ与える巨大な鼻の穴に圧倒されてしまう。

「ああっ、

 とてもじゃないがあの百合のようだった綾瀬さんであるわけがない」

鮎浜は彼女から離れると、僅かに横に首を振った。

彼はさやかに片思いをしていたので、

彼女の退校及び失踪にがっかりしていた時期もあったらしい。

美女(みよ)の技術は走力を別にすればさやかに限りなく近い思われたが、

「見た目は天と地以上に違う」と感じて首を振ったのである。

しかし…

そんな彼女を熱い視線で眺める青年がいた。

そう、石毛大輔である。

練習が終ると、彼はさやかに声を掛けた。

「貴女は誰です?

 女房…別れた妻に似すぎている…のですが」

「元美女と申します」

どこか聞き覚えのある声だった。

「はじめみよ?

 声に聞き覚えが…

 もしや、綾瀬はるかさんではないですか?

 以前とは全く変わってお美しく…いえ、その…」

「…」

暫くさやかは黙っていたが、

「おほほ!

 やっぱりばれてしまいましたか。

 そう、綾瀬はるかです。

 ご覧のように整形して別人のようになりましたのよ」

以前に比べて発音が些か不明瞭なのは出っ歯とすきっ歯のせいかもしれなかった。

「先ほど『別れた妻』とおっしゃいましたが、

 離婚されたんですか?」

「ええ、
 
 貴女に最後に逢ってから一ヶ月ほど後に。

 容姿しか取り得のない女でしたから、あの様ではとてもでないが。

 結局お金も使い果たして、今頃何をしているんだか」

二人は暫く沈黙を続けたが、

「貴方がまだここで働いているかが最大の問題でした。

 折角整形までしたのに貴方がいなければ意味がないですし…

 それから、離婚も。

 最後の様子から別れるだろうと思って踏み切ったのですもの…」

さやかは安堵の溜息をついた。



一ヵ月後、全くの偶然だったが、

あの事故さえなければ

その横にさやかが座していたかもしれない皇太子のご成婚と同じ日に二人は入籍を果たした。

さやかは石毛さやかとなり、テニススクールの中では石毛美女を名乗っていた。

「あの管理係の人、石毛さんって言ったっけ?

 ちょっと格好よいでしょ?

 先生が駄目ならあの人でも良いかなと思っていたのに、

 あの今醜女(こん・しこめ)にあんな速攻で横取りされるなんて!

 まったくもう、

 世の中どこか狂っているのよねぇ〜」

そんな生徒達の悪口や元美女をもじって付けられた今醜女やカバ女といった渾名の数々も

幸せ絶頂のさやかには関係なかった。

そして彼女は翌年の一月に受付嬢として四月から勤めることになっていた父親創設の綾瀬電工に結局入社した。

但し生産オペレーター即ち一介の流れ作業者として後継者の改革の成果は目覚しく、大幅な黒字を計上し、

同社が作業者を100名も急募した結果彼女も拾われたのである。

かつてのように美への賞賛を得ることもなく大金とも縁のない平凡な毎日が過ぎていった。

時に美しかった自分を懐かしみ涙を流すこともあるが、

殆どの場合23歳の彼女はそれ以前より大きくなった幸福感を味わっていた。

ただ一つだけ不安がある。

来る九月に生まれる女児が【醜女】として生まれてくるのは間違いなかったからである。

父親が果たして愛情を注いでくれるのか?

一方で、世の男性からは憧憬のまなざしを受け、女性からは嫉妬の嵐を浴びることになるだろう。

芸能界の道もあるかもしれない。

複雑な不安だった。



おわり



この作品はラックーンさんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。