風祭文庫・醜女の館






「毒蛾」



原作・ラックーン(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-073





ガヤガヤガヤ…

「小百合、

 あれ、もう飽きちゃったね」

さらさらとしたロングヘアを輝かせながら美少女・池辺真里奈が

同じ髪質ながらショートヘアの美少女・森村小百合に話しかけると、

「そうね、

 そろそろ新しい遊びを考えないとね。

 さてと、退屈だから今夜は久しぶりにカラオケでもしようか」

と話しかけられた小百合はそう答える。

そんな話をしている二人の後ろには腰巾着らしい四人の少女が付いて回り、

真里奈と小百合は女王然と大股で学校の廊下を歩いていた。

すると、六人が出てきたばかりのトイレから

ドンドンドンドン…

ガタガタガタ…
 
大きな物音が廊下にまで響いてきた。

「真里奈さん、

 小百合さん、

 出してよ、お願い、

 ここから出してったらっ!」

トイレの中で真里奈と小百合にトイレに閉じ込めれた同じクラスの牛尾笑子が泣き叫んだが、

既に関係者全員が消え去った放課後のトイレはし〜んと静まり返っていた。

トイレの個室の前から壁際まで隙間なく五台の机が二列に連なっていて、

彼女は自力では抜け出せないでもがいている。

1時間後…

「何だあんた、また閉じ込められたのか!

 犯人は誰なんだっ?

 私のほうから担任に伝えてもやっても良いが。

 黙っていても解決しないよ」

通りがかった庶務係のおじさんに何とか助けられたものの、

高校三年になってから一ヶ月間毎日のように笑子は二人に閉じ込められ、

堪忍袋の緒が切れ始めていた。

しかし、彼女は何度訊かれても庶務のおじさんに決して犯人の名前を明かさなかった。

彼女はクラス一、

それどころか学年一の優等生だが、

その80キロは越えようかという巨体にのろのろした動作から周囲のいじめを受けていた。

趣味も昆虫採集やオカルト遊びで、

ファッションやアイドルを追い掛け回す周囲の者と気が合うわけもない。

特にミス洋光学園を争う校内一、二の美少女と言われる真里奈と小百合からは

「不細工すぎる」

「スカートが長い」

「おかっぱ頭がうざったい」

「ブスなのに成績が良すぎる」

「動作がのろい」

「メガネがださい」

などと因縁をつけられてほぼ毎日トイレに閉じ込められているのだ。

時には髪を一房切られたり、

スカートを捲られパンティーを露出させた姿を写真に収められたりもするが、

このトイレ監禁が一味の一番の楽しみであるようだった。

これまではじっと耐え大人しくしていた笑子だが、

一刻も早く帰り受験勉強に専念しようと思っている時ということもあり、

トイレで無為に過ごす時間にストレスが極端に溜まり始めている。

「何とかしないと、

 目標のT大の理学部に入れなくなる」

笑子は寝過ごせない夜を過ごした。



1週間後…

例によって庶務係のおじさんにトイレから救出された笑子が帰宅する為

体育館の裏をとぼとぼと元気なく歩いていると、

小さな物体が夕陽を反射しているのが目に入った。

「何だろう、あれ?

 携帯電話?」

近づいてみるとまがうことなき新品の携帯電話である。

カチカチカチカチカチッ

拾い上げた携帯電話チェックしているうちに

それが彼女の通う洋光学園サッカー部の主将・小林弘樹が落としたものと判明すると、

この時聡明な笑子に一つの大きなアイデアが浮かんだ。

「そうだ!」

弘樹は校内ばかりか近隣の女子高生たちの憧憬を一身に集めるスポーツマン。

ミス洋光学園を目指す真里奈や小百合も例外ではない。

嫌でも男子生徒が寄ってくる二人だが、

ストイックな彼には振り向いてもらったことがないのだ。

笑子はトイレに閉じ込められた時二人のこんな会話を聞いた事があった。

「小林君って他の奴らと違って、

 軽々しく声を掛けてこないところがステキよね」

「そうだけどさ、抜け駆けしちゃだめよ。

 何かあった場合は私に話してよね」

「分ってるって」

二人は憧れの君の話に花を咲かし、

閉じ込めた同級生のことなど既に関心なくトイレから出て行ったのだ。

しかし、この何気ない女生徒らしい会話が数週間の時間を経て

笑子に大きなチャンスを与えることになった。

「携帯ってこんな時に便利よね…」

笑子の目が怪しく光った。



チンチロリン

チロチロチロリン

真里奈の携帯電話がメールの着信を知らせた。

「小百合からかなぁ」

携帯のチェックに入った安城真里奈の目がらんらんと輝き出す。

予想外の人からのメールだった。

「サッカー部の小林弘樹だけど

 今度の日曜日夜8時に会えるかな。

 打ち明けたいことがあるんだ。

 待ち合わせ場所は…」

このメールに真里奈の心は乱れ、躍った。

「小林様

 時間は空いているよ

 会いに行くね

 …真里奈」

実は小百合とカラオケの約束があったが、

人生の一大事、

小百合なんかどうでも良い。

それどころか本来ライバルであるはずの小百合を好いているはずなどなく、

共同戦線を張って美少女同盟を組んでいるだけである。

「憧れの小林様からメールとは…

 やはり美人に生まれてよかったなぁ!」

その頃小百合も同じようなメールを受け取ってはしゃいでいた。

こちらはアポイントの時間が8時半である。

今度の日曜日まであと五日。

これが最も幸せだったと言える最後の日々となるとも知らずに

二人は興奮で眠れない五日間を過ごすのだった。



ポッポッポッポーン

日曜日、

つけ放しのテレビが午後7時の時刻を告げた。

真里奈は美しいストレートの髪を入念に梳かし、眉毛を整える。

くりっとした目を彩る長い睫毛をカールさせ、

小さく愛らしい唇にナチュラルなピンク色の光沢性リップスティックを走らせた。

「今日はアイシャドウなし。

 彼のようなタイプには清潔感を持たせるのが大事だからね」

鏡の中の自分に言い聞かせる。

夕食も食べずにかれこれ2時間も鏡に向っていた。

トテトテトテ…

「ママ、

 あたしは小百合と外で食べてくるから夕食は要らない」

真里奈は2階から降りるなり母親にこう告げると、

洗面所へ駆け込んだ。

歯を磨き、マウスウォッシュ液で総仕上げをする。

臨戦態勢が整った。

「完璧!」

自分の容姿を点検を終えた真里奈は家から出てタクシーを捕まえると、

市街中心部から20分ほど離れている郊外の小さな公園へと向った。

公園には人影もなく些か怖い気持ちを振り絞って、木陰のベンチで待ち呆ける。

「何だか怖いところ。

 こんなところで待ち合わせなんて小林君も意外と趣味悪いなぁ」

と思っていると、

後ろから彼女の口元に手が伸びた。

「あっ!」

クロロホルムを嗅がされた真里奈は僅かに声を上げただけで昏睡する。

「これで5万円か、

 楽なもんだな」

学生らしき角刈りの大男がもう一人の坊主頭の大男に向って話しかけた。

「そうだな。

 それにしても芸能人みたく可愛い娘だぜ。

 あのブスから解放されたら、

 この5万円で相手にしてもらいたいよ。

 よっこらせっと」

二人はぐったりと正体を失った真里奈を軽々と担ぎあげ、

顔を上に向けた状態で上半身と下半身を持つと、

公園から牛尾家の豪邸へと細く延びる100mほどの行程を歩み出す。

行程の半ばを過ぎた頃、

「くくく…」

下半身を担当していた角刈り男が嫌らしい含笑いを洩らした。

真里奈のミニスカートから見える白いパンティーに笑いをこらえ切れなかったのだ。

「おいっ、

 俺にもそろそろ見せろよ。

 もう半分くらい来ただろう」

と坊主頭は催促する。

「へへへ、たまらんな」

坊主男が喜びにふける間もなく牛尾邸に到着した。

「誰にも見られなかったでしょうね?」

豪邸の門にもたれかけている笑子が到着したばかりの男達に話しかけた。

「いやぁ、

 ここ一時間ガキの一人も通らなかったよ。

 安心しな」

「それでは残りの3万円渡しておくわ。

 あと一人終ったらもう3万円差し上げるから、

 もうひと頑張りしてね。

 その前に、

 こいつを私の研究室へ運んでちょうだい」

三人が笑子の研究室に用意された椅子に真里奈を縛り付けている頃、

臨戦態勢を整えたショートヘアの小百合がスキップを踏むようにタクシーに乗り込んだ。

薄く塗った青いアイシャドウ、ピンクの口紅を施され、大人っぽい雰囲気だ。

他方、チェックのミニスカートは溌剌として若々しい。

「辰巳公園ね。

 お嬢ちゃん、

 あそこは昼間はともかく今時分は誰も寄り付かないところだから、

 気をつけたほうが良いよ。

 近くに大豪邸があるにはあるが」

「そう。

 でも、今日デートなの。

 そこで待ち合わせっていうわけ。

 ちょっと変な場所らしいけどさ」

運転手の言葉に小百合はそう言って赤面する。

しかし、それから20分後小百合は真里奈と同じ運命を辿ることになった。



「む〜む…

 んむ〜…」

昏睡から目覚めたばかりの真里奈と小百合が

手ぬぐいの猿轡を噛ませられている為こもったうめき声を上げる。

「いつもお美しいお二人さん、

 こんばんは。

 ここは私の研究室兼実験室なの。

 素敵でしょ?

 パパは貿易会社の社長なんだけど、

 儲かって儲かって仕方がないらしいの。

 私が昆虫の研究室と実験室が欲しいとおねだりしたら、

 こんなに大きなのを作ってくれて…」

意識を戻しつつある二人の美少女は、

殺風景な灰色の壁に飾られている無数の昆虫標本に思わず震え上がった。

日本で見られる昆虫もいるが大半は見たこともない。

「如何、このコレクション?

 見たことがないでしょう。

 日本産のものも結構珍しいものが多いし、

 まして外国のチョー珍しいものも含まれているからね。

 蝶だからチョー珍しいなんて洒落を言っているわけではなくてよ。

 ちょっとした財産よ、これ。

 しめて5000万円くらいかしら」

笑子は外国産と思われる大きな蛾を集めたコレクションを壁から外すと、

二人に見せながらこう話し続けた。

「私が好きなのはこの蛾なのよね…」

不気味な紋様に二人の美少女は言い知れぬ恐怖を覚える。

「世界で初めて捕獲された三頭よ。

 蝶や蛾は一頭二頭と数えるの。

 ご存知かしら?

 折角の貴重品なのにすげない態度ねぇ。

 そんなに早く次へ行きたいの?

 仕方がないわね、

 そろそろ始めましょうか」

笑子は標本を元の位置に戻すと、

5円玉を吊るした紐をズボンのポケットから取り出し、静かにそれを振り始める。

「あなたは段々眠くなる。

 そして、

 覚めた時には

 ここにずっといたいと思う。

 えいっ」

完璧な催眠術を操れると日頃から自負していた笑子は、

生まれて初めて本格的に催眠術を使うチャンスに恵まれ、すこぶるご機嫌だった。

彼女の自信を裏打ちするように、

男達の手により縄を解かれた真里奈と小百合が逃げ出す気配すらない。

その癖、この不気味な実験室に留まりたいという意識以外はいつもと同じなのだ。

「男性方、

 とりあえず催眠術が無事済んだから

 帰ってくださる?」

「そうかい?

 これから面白くなりそうだがな。

 10万円ももらったことだし、

 まあ良かろう」

後ろ髪を惹かれるように後ろを振り返りつつ二人組は退散していった。

数秒後、

「笑子、

 こんなところで何してんのさ」

と真里奈が話しかけた。

「何しているったって、

 ここは私の家よ。

 それは自分に言うべきではなくて?」

「あっ、

 そうなの。

 私、

 何してるんだろ?

 あれっ、

 小百合までいるじゃない!

 そう言えば、

 今日は小林君と会うはずだったっけ」

「えぇっ、

 あんたも!

 抜け駆けしようとしたのね。

 ひどい!」

「『あんたも』と言うことは、

 あんたもなのね。

 お互い様じゃないのさ」

真里奈と小百合は普段の仲の良さが嘘のように本音をぶつけ合う。

にやにや黙って見ていた笑子は

「まぁまぁ、

 そういがみ合わずに仲良くしましょうよ。

 それはそうと、

 貴女方にふさわしい面白いゲームを考えたの。

 名付けて【ブスメイク・ゲーム】よ。

 私が用意した小道具を使ってブスメイクをするんだけど、

 よりブスになった方がここから出て

 小林君に会う権利を得るの。

 面白そうでしょ」

「ブスになって会うのは嫌よ」

笑子の提案に二人は異口同音に返事をした。

すると、

「勿論、

 化粧を落としてからで良いのよ。

 制限時間は10分。

 さぁ、椅子にすわった、すわった!」



催眠術の影響なのか

それとも小林弘樹に会いたい一心なのか

二人は妙に乗り気である。

ベリッ…

真里奈はセロテープを10cmほどの長さに切り取り

自らの彫刻のように美しい鼻の下の部分に貼り付けると、

上のほうに思い切り持ち上げた。

普段はひっそりと姿を潜めている鼻の穴が大きな顔を出すだけでなく、

鼻の上に幾重にも皺ができ、上品な顔が一挙に豚のような野卑な顔になる。

「わぁ、

 豚みたいで面白い顔。

 一生こんな顔なら惨めで死にたくなるわねぇ。

 でも笑子よりはまだ綺麗よね?」

真里奈は鏡の中の自分を見て笑いながら小百合のほうへ視線をやる。

「だ、駄目よ。

 終るまではお互いを見たら駄目よ。

 しようがないわね。

 仕切りを持って来ようっと」

あっという間に仕切り板でさえぎられた二人は一心不乱にブスメイクに専念する。

チョキチョキチョキ…

キュルキュルキュル…

ベリッベリッ…

「さあ、10分経ったわ。

 制限時間いっぱいよ。

 審査員の私にたっぷり見せて頂戴」

笑子はそう言うと、近い小百合からチェックに入る。

彼女もやはりテープで優美な鼻をめいっぱい持ち上げていた。

テープは目にも貼られ極限にまで細くかつ左右非対称に歪めている。

完全に捲りあげられた上唇と下唇がテープで留められている為、

真っ赤な歯茎が完全に露出しグロテスクこの上ない。

眉毛は墨で一本眉に変えられていた。

「あははは。

 あんたも私と大して変わらないブスじゃなくて?

 美人もブスも大した差じゃないということがこれで解ったでしょ?

 それにしても、歯茎はかなりグロね。

 小百合、

 あんたの勝ちかもしれなくてよ。

 上出来だわ」

と言いながら、仕切りの向こう側の真里奈の方へ歩み寄る。

「ワオーッ。

 あんたもなかなかやるじゃない。

 豚鼻は同じだけどさ、

 眉毛を剃るとは思い切ったことをしたわね。

 あれっ?

 そこに見えるのは鼻くそじゃなくて?

 学園の女王にしては管理が行き届いていないわ」

眉毛を剃り、テープで豚鼻になった真里奈は

学園を大股で闊歩するいつもの女王然とした姿とは似ても似つかない。

赤い口紅で口の周りを墨で目の周りをパンダのように塗り込んだ顔は

彼女に憧れる男子学生たちにそれが真里奈であることを気付かせることがありえないほど変えられていた。

「眉を剃った真里奈のリードと言いたいけれど、

 小百合の歯茎も捨てがたいわ。

 う〜ん、

 残念ながら、

 今回は勝敗なしといったところね」

滑稽な二人の顔を見ながら笑子はジャッジを入れた。

「えぇ!!」

「なんでー!」

その途端、真里奈と小百合から文句の声が上がると、

「あはは、

 大丈夫よ、

 次のゲームを考えるから

 何か良いアイデアはないかな」

笑子は数え切れないほどの昆虫標本を見渡しながら半ば独り言のように言う。

そして、

「あっそうだ!

 さっき見せたあの蛾を使いましょう。

 実は、あれ世界でも殆ど目撃されたことがない珍しい毒蛾なの。

 スズメドクガ科の一種で、

 と言っても私が命名したばかりなので誰も知らないんだけれど…。

 それから、

 決められなかった種名は、あなた方の名前を取って

 マリナサユリスズメドクガというのはどうかしら?」

笑子は楽しそうに話しながらどこへやら姿を消し、

暫くして洗面器を二つ持ってくると、

ビーカーに入っている液体をどくんどくんと洗面器に流し込んだ。

「さあ、

これでさっき汚した顔を洗って!

油性マジックでも簡単に落とせる特殊な液よ」

パシャッパシャッパシャッ…

いつもは高圧的な態度の真里奈と小百合が妙に素直に洗面器に顔を落とすと、

両手にすくった液で顔の汚れを洗い流す。

液は洗い流した効果を誇るように見事に汚濁した。

カチッ。

それを確認した瞬間笑子が何故か照明を落とすと、

大きな建物に僅かに取り付けられた窓から月の光が差し込み、

真っ暗になると思われた研究室を明るく照らし出す。

しかも、真里奈と小百合のいた方向に笑子が目をやると、

奇妙なことに二点だけが明るく輝いていた。

いや、

ここまで全て計画していた彼女にとっては全く奇妙なことではない。

笑子が真里奈と小百合に渡した液には蛍光塗料が含まれていたのである。

二人の顔面は月光に反射して緑色がかった光を帯びていた。

「きゃっー」

二人は目を丸くしている。

「ふふっ。

 思ったより明るいわ。

 スズメドクガが喜びそうよ」

笑子は不適な笑いを浮かべ、隣の部屋から大きな透明なガラスの箱を持ってくる。

パタッパタッパタッ…

箱の中で笑子の言うスズメドクガが数頭羽ばたいていた。

先ほど標本で見たように

不気味な斑紋のある羽根を広げると人の顔の幅ほどにもなるとてつもなく巨大な蛾である。

パタッパタッパタッ…

「さぁ、お行き!

 お前達の好きな光は目の前にあるよ」

そう言いながら笑子が箱の蓋を開けると

パタタタ…

四頭の蛾が羽ばたきながら二人の蛍光塗料で緑に輝く顔にめがけて突進していった。

「きゃーっ!

 やめてーっ!

 来ないでーっ!

 笑子さん、止めさせてーっ!

 お願い!」

「そうは行かないわ、

 お二人さん。

 今までさんざんいたぶられたお返しなんだから」

笑子は冷酷に言い放つ。

「ご存知かしら。

 毒蛾には毒針があって刺されると皮膚炎を起こすの。

 医者の厄介にならなければならないわ。

 これは日本にいる毒蛾でも全く同じよ。

 でもねぇ、

 この毒蛾の毒はそれだけじゃないの。

 燐粉が…

 あっ、

 燐粉なんて高級な言葉はご存知じゃないですわね?

 蝶や蛾の羽根についているあの粉のことですわ。

 ご覧になったことくらいはありますよね?」

笑子の言葉遣いが妙に丁寧なので二人の耳には却って不気味に響く。

「その燐粉に猛毒があって

 触れた皮膚はかぶれてしまうのよ。

 人体実験は初めてだから正確には解らないけど、

 伝え聞くところによれば、

 50匹のアシナガバチに刺された場合と同じくらいという話よ。

 この蛾はアマゾン産とパパから聞いているけど、

 そこで稀に被害に遭う人がいるらしいの。

 蜂より始末の悪いことに、

 一度腫れた皮膚は完全には元に戻らないらしいわ。

 ある意味、

 火傷よりひどいことになるはずよ。

 ふふっ。

 もうお分かりね?

 貴女方に寄り付く人は医者以外、

 金輪際現れないということよ。

 お気の毒様」

そう告げると、

「いやあぁぁぁぁ」

「こないでぇぇぇ」

と叫び声をあげる二人を見つめていた。


10分後、

カチッ!

いつの間にか目だし帽を被り手袋を嵌めていた笑子が照明に電源を入れた。

パタタタタ!!!

その途端、四頭の毒蛾は二人の顔から離れると、

天井の蛍光灯を目指して一斉に飛び去った。

真里奈と小百合が顔を上げる。

そこには目も鼻も口も殆どどこにあるのか解らない、

元の顔から大げさに言えば二倍ほどに腫れ上がりでこぼこになった醜悪な顔があった。

いや、正確に言えば、

腫れ上がった目蓋は両目を殆ど塞いでいるが左右の大きさがかなり違っている状態、

鼻はそれこそ二倍の大きさに膨らんで鼻の穴を殆ど隠し、

唇はたらこのように腫れ上がっている。

二人はそれぞれの顔に触れるやいなや

「何よ、これ。

 顔が熱いよ。

 目も良く見えない。

 私たち、どうなっちゃったの〜?」

と口々に叫んだ。

笑子は泰然自若と話を進める。

「安心して。

 明日になれば顔の熱さと全体の腫れは殆ど引くはずよ。

 でも

 どんなに腫れが引いても

 貴女方の猫のようにくりっとした目は返らず、

 米粒が豆粒に変わるくらいに変わるのが関の山。

 饅頭のような丸まった鼻はせいぜい団子にまでしか復活しないし、

 たらこのような唇から永久に解放されることはないのよ」

笑子はここで一息ついで水を飲んだ。

「あぁ…水がこんなにおいしいの、生まれて初めて。

 貴女方のおかげかしらねぇ?

 さてと、どこまで話したっけ…

 そうそう、たらこ唇だったわね。

 それから

 美しかった肌も荒れた畑みたいにでこぼこになるの。

 貴女方の美しいお母様のファンデーションでも完全には隠せないわ。

 眉毛や睫毛は毛根から完全に抜け落ちる。 

 ついでに邪魔な鼻毛もね。

 私にとって残念なことに、髪には殆ど影響がないらしいのよ。

 生え際が1cmくらい上に禿げ上がる程度かな。

 ご両親がすぐに整形を受けさせると思うけど

 どんなに金をかけても

 今の私の半分にも届かないでしょうよ。

 これからはミスならぬブス洋光学園を争うのね。

 全くいい気味だわ!

 あはははっ」

笑子はここで初めて勝ち誇ったように哄笑した。

「どうしてそんな…」

真里奈と小百合は我が身に起こったことが殆ど理解できずに呆けている。

ご機嫌な笑子はお構いなくさらに話し続ける。

「スズメドクガの燐粉は雌と雄とではかなり違うの。

 私は優しい女だから、

 今回は弱い雄にしておいたわ。

 雌の燐粉は雄より遥かに強力で

 口や鼻から入ると大脳に影響を与えて知能指数を30くらいにまで下げてしまうという話よ。

 それでは美しい青春が楽しめないでしょ?」

言い終わると

笑子は二人にコンパクトを与えて顔を見させる。

「きゃーっ!」

叫び終らないうちに二人は気を失った。

無理もない。

昨日まではどちらがミス洋光学園かと争っていた二人が

今では誰もが出会うのを避けたいほど醜悪な容貌の持ち主に変貌したのである。

「うふっ

 顔が膨れすぎてなかなか入らないわねぇ」

ぐったりしている二人に覆面レスラーのような目出し帽を苦労して被せた後、

気付け薬を嗅がせて目を覚まさせた笑子は

また5円玉を使い催眠術をかける。

「貴女は段々眠くなる眠くなる。

 目が覚めた時、

 ここで起こったことは永久に思い出せない。

 そして、

 どんなに人が顔をそむけようと

 避けて通ろうと

 貴女方は昔どおりの大美人なの。

 大事なのはこの点よ。

 私が貴女方の顔にキスをしない限り、

 (そんな気持ち悪い顔に誰がキスするもんですか)

 二人とも永久に昔の美しい顔に見えるというわけ。

 良いでしょ、

 醜い顔に悩むよりは?

 その腫れぼったいじゃがいもみたいな顔に

 ルージュでもアイシャドウ、何でも塗りたくると良いわ。

 全て了解ね」

催眠状態の二人はこくんと頷く。

「今日はタクシーの運転手が怖がってはいけないので家の近くまで送り届けてあげる。

 催眠はタクシーから降りた後自宅100m前で解いてあげるから

 後は勝手に帰るのよ」



午後11時…

会社からの指令で不気味な郊外に向った中年のタクシーの運転手は、

客となった奇妙な三人連れに驚いた。

高校生らしい太った少女と目出し帽を被った女性らしき正体不明の二人。

「何だったんだ、ありゃ」

しかし、

翌晩定休日でゆっくり休日を過ごしていた彼は、

読んでいた夕刊から目を離してTVに夢中の妻の方に向き直ると、

何故かおぼろげにしか記憶が残っていない昨晩の珍客について妻に打ち明けた。

「昨夜、

 郊外で女子プロレスラーを乗せたような記憶があるんだが…

 どうもよく憶えていないんだ。

 あんな寂しい場所にプロレスラーがいるはずもないし、

 不思議だなぁ」

首をかしげながらそう言うと再び夕刊の社会面に視線を戻す。

その目の先で、

さほど大きくない見出しがある小事件を告げていた。

「蜂の大群、女子高校生二人を襲撃か?」



おわり



この作品はラックーンさんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。