風祭文庫・醜女の館






「コールドスリープ」



原作・ラックーン(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-071





時は2020年…

キュイ〜〜〜ン!!

軽快な機械音とともに綺麗に歪曲している透明アクリル製フードがゆっくり回りながら

銀色に光る土台の中へと飲み込まれていくと大きな口を開ける。

シューン…

まるで手招きするかのように湯気のような煙が立ち昇る口を

「………」

22歳の美女・鰐淵茉莉亜は覗き込むように眺め、そして息を呑んだ。

「さあ、どうぞ」

下半分がにび色の棺桶のようなその物体を指差しながら

コールドスリープを施術するTM社の医師が彼女に声を掛ける。

運命の瞬間である。

緊張しても致し方あるまい。

「はい」

茉莉亜は震える声でそう答えると、

身に着けていた白い貫頭衣を脱ぎ捨てると、全裸になり、

恐る恐るその”棺桶”に足を入れると静かに横たわる。

彼女が横たわったのを見届けた医師がスイッチを入れると、

キュイ〜〜〜ン。

再び機械音が響き渡ると透明アクリル製の蓋がせり上がり始めゆっくりと閉じていく。

この装置…そう、コールドスリープ装置はフードが閉鎖されるのと同時に

睡眠ガスが一斉に噴出すると彼女を睡眠にいざなっていく。

そして、睡眠ガスに包まれながら彼女は2ヶ月前のことを思い出していた。



2ヶ月前、

彼女の元にプレイメイト・オブ・ザ・イヤー選出の一報が届いた。

「やったぁ!!」

日本人としては初めての快挙だった。

ただ正確には茉莉亜はハーフであり、

母親はエミリー、元ミス・アメリカ。

そんなアメリカ人の母親と父親であり日本人の鰐淵大輔が知り合ったのは

今から20年前の大聖年の年にカリフォルニア宇宙工学大に留学した父・大輔が

ハンバーガーショップでエミリーに声をかけたのが始まりであった。

馴れ馴れしく話しかけてくる大輔にエミリーは軽蔑の眼差しを向けるが、

街で薬中毒の暴漢に襲われたエミリーを助けたことを境に

エミリーは大輔のことを意識するようになっていった。

けど、もともと気位が高いエミリーはそのことを否定し続けるが、

しかし、2年後

留学期間を終えた大輔がカリフォルニアを後にした途端、

エミリーは完璧な英語で見事なジョークを操る明眸皓歯の大輔のことを好いていたこと気づき、

「行くからには頑張って口説き落として来い!

 まっ気が向いたら帰っておいで」

と両親に優しく送り出されて、日本へと向ったのである。



茉莉亜は、身長179cm、55kg、B96、W60、H98と、

母親譲りのダイナマイト・ボディーでスーパーモデルとしてトップに立った。

同時に、プレイボーイ社から声がかかると、その見事な肢体を惜しげもなく晒し、

今では世界で一番有名な日本人と言われている。

殆どの米国人はカールした見事な金髪を誇るこの美女を米国人と思っているようだが、

木目の細やかな美しい肌や柔らかい目の形に日本人の特徴を見出す日本人もいた。

高い鼻、大きな口は母親譲りだが、勿論、それらは彼女を美を損なうどころか

大輪の華のような美しさを作り出す。

「まあ、ほどほどにしておくれ」

放任主義の大輔が娘がプレイメイトになると告げた時の反応である。

勿論、プレイメイトがあられもなく秘所を晒すこともあることを知った上でのささやかな忠告だった。

さて、プレイメイト・オブ・ザ・イヤーに選出されたことは、

彼女の精神状態に大きな変化をもたらした。

ミス・アメリカの面影もなくぶくぶくと肥え太った皺だらけの母親を見るに付け、

「死ぬまで美しいままでいたい」

これが彼女の唯一無二の願いとなったのである。

そしてある時、雑誌で

「2500年までに不老不死の不死の部分は100%可能になる」

との記事を発見し、

それ以降、彼女の思いはコールドスリープ技術と結びつくと、

「あっ、これだ」

と膝を叩いたのだった。

この時代、既にコールドスリープ技術は熟成して、

全米に5社、日本にも1社施術を行える企業がある。

コールドスリープは一種の医療行為だが、病院ではなく企業の担当となっている。

一度決めたら行動が早い茉莉亜である両親には内緒で検討を進め、

その名もコールドスリープ社とTM社に絞り込んだ。

米国のコールドスリープ社は施術費用200万ドルだが、事前に血液を抜く必要がある。

日本のTM社は300万ドルと費用は張るが、

患者への負担は軽微、というのを売りにしている。

毎年500万ドル以上を稼ぐ茉莉亜には費用は問題ではなく、

最終的に彼女が選んだのは、今こうして体を横たえているTM社だった。



茉莉亜はにび色の装置の中で目を覚ました。

「今は2520年?」

そう、ちょうど500年後の2520年に目を覚ます手はずとなっていたのだ。

「その時に戦争などで日本あるいは地球がなくなっていない限り、

 貴女は100%無事に蘇り、
 
 500年後の技術で永久に美しいままでいられます」

と契約の時に言われたのを思い出す。

彼女が目を覚ますや否や、アクリルの蓋が

キュイ〜〜〜ン

と音を立てて開き、彼女は静かに立ち上がった。

500年間眠っていたはずだが、いつもの睡眠と何ら変わるところがない。

「楽なものね」

周囲には人は全くいなかったが、天井に付けられたスピーカーから突然声が聞こえてきた。

「茉莉亜様、ご生還おめでとうございます。

ただ今、私たちは自動翻訳機を通して話しています。

茉莉亜様も部屋の隅に置いてある小型の自動翻訳機を通してお話ください」

茉莉亜は訝しがった。

「ここは日本のはず。どうして翻訳機が?

 やはり500年も経つと言葉は通じなくなってしまうのかしら?」

小型の自動翻訳機は大きめの携帯電話のような長方形の物体。

下の部分から飛び出しているイヤフォンを耳に付け、質問をしてみた。

「今は何年なのかしら」

「2520年です。

 TVを付けてください。
 
 確認することが出来ます」

部屋には100インチはあろうと思われる超高解像度TVが設置されている。

超高解像度、

100万本の走査線から繰り出される映像は現実と区別することが出来ない。

「確かに2520年のようね。ありがとう」



施術室兼病室の中で所在ない茉莉亜がリラックスしてTVを眺めている。

「おデブちゃんばかり、コメディーなのかしら」

ドラマの最終場面らしく間もなく番組は終了したが、

音声が絞ってあるTVからは正確な内容を把握することは出来ずにいた。

ヒロインは自分の母親よりもさらに太ってはいるが、

涙を流したその様子は喜劇とも思えない。

しかし、相手役の男性も同じように肥えているし、もう一人の男性はさらに大きい。

彼女の感覚ではコメディーにしか思えないが、

3人の登場人物の深刻な表情は全く腑に落ちないのだ。

TVの下にあるテーブルに今日の番組表とリモコンが置いてあった。

幸い、文字は2020年と全く変わっていない。

後5分で120チャンネルで【ミス日本コンテスト】の中継が始まるらしい。

それを見た途端、美に執着する彼女の心は踊る。

チャンネルを合わせるのに悪戦苦闘して120チャンネルに合わせることに成功、

ちょうどその時【第570回ミス日本コンテスト】という文字が大きく表示された。

「あっ、音を出さなくっちゃ。

 ボリュームはどれかな」

しかし、次の瞬間、茉莉亜の目は点となる。

200kgは優にあろうかという男性と

150kgはありそうな女性のカップルが進行役として登場したのだ。

薄汚れたジーンズを着込んだ男性司会者の頭髪は何とモヒカン狩り、

皮のつなぎを身につけた女性は、頭の頂点に残した直径5cm以外は完全に剃髪していて、

直径5cmの部分を長くがちがちに固め頭から聳え立たせている。

まるでパンク連中の格好だ。

続いて、ミスと思しき女性たちが登場してくる。

「思しき」と言うのは、茉莉亜の感覚ではそう思えないからである。



「わたくしの目標は、通訳となって世界各国の架け橋になることです」

と言いながら登場したのは、

ミス北道海、21歳。

身長155cm、体重180kg、B150・W190・H180である。

続いて、19歳、身長153cm、体重165kgのミス青岩が登場した時、

彼女は2520年の日本語をじかに確認したくなってイヤフォンを外す。

ミス宮島の発言はこうだった。

「俺の目標はよ〜、

 はくい役者になってよ金をがっぽがっぽ稼ぐことよ、
 
 まあそういうこっちゃ」

続くミス栃馬曰く、

「おいらの目標ってか。

 死にぞこないの糞ばばあや糞じじいをよ、
 
 屁こくみたいに楽にあの世に送ってやるってとこよ」

茉莉亜は言葉を失い、顔をしかめた。

「意味は100%解るけど、何よこの人たち。

 全く下品な…」

聞くに堪えなくなって再びヘッドフォンをつけると、

「あたくしの将来の目標は、大使となりまして…」

と聞こえるのだ。

翻訳機の目的は言葉感覚の時代差を補正するもののようである。

さて、次々と現れるミスは皆ぶくぶくと肥え、

基本的にスキンヘッドにワンポイントのアクセントが少しあるという髪型ばかりだった。

例えば、ちょんまげに、清王朝の辮髪もどき。

彼女は観るに耐えなくなってTVを消した。



自動翻訳機を通したスピーカーが言う。

「そろそろ街へ出てお買い物などいかがですか。

 翻訳機をお忘れなく」

茉莉亜の服は500年前に着た最後の一着しかない。

新しい服を買うのも良いだろう。

TM社が用意したエアタクシーに乗リ込むと、ブティック店へつけてもらった。

肥えに肥えたブティック店の店員は彼女を見るなり一瞬顔をしかめたが、

すぐに営業笑いに戻って話しかける。

「よく来たな。

 てめえみてえなドブスに着せるべべはねえけどよ、まあ見てくんな」

それを聞いた茉莉亜は

「何と言う口の利き方、でもここでは標準語ね。

 仕方がないわ」
 
と心の中で思いこう話しかけた。

「そうね。

 明るいワン・ピースが欲しいんだけど、お一つ探して戴けないかしら」

茉莉亜が言い終わった瞬間、店員の顔は真っ青になり震えだした。

そう、ここでは彼女のような上品な言葉遣いは

まるでチンピラかヤクザの言葉遣いのように聞こえるのだ。

自動翻訳機のスイッチを入れ忘れていたことに気付く。

彼女の言った言葉はこういう感じに翻訳される。

「このドブス店員、耳の穴かっぽじってよ〜く聞けよ、

 俺はよ〜、うんこ色のワン・ピースなんか着てみてえんだが、

 ちょいとそのぶっとい足で探してくんねぇか」

今度は、スピーカーから聞こえるその言葉に彼女自身が青くなる。

店員は言われた通りに黄色いワン・ピースを持ってきたが、

しかし、サイズは彼女の三人前はある。

「私どもは仕事ですから仕立て直し致しますが、

 お客様はかなり痩せすぎのようです。

 もう少しお太りになったほうが後々宜しいかと」(翻訳済み。以下同じ)

店員の言うとおりだった。

続いて、立ち寄った下着店では、一番小さなブラジャーが110cm用。

彼女の豊満なバストをもってしても大きすぎる。

仕立て直しもないのでお手上げだった。

続いてパンティーを探すが、どこにもそれらしいものは見当たらない。

店員に訊くと、

「パンティー?

 ああ、ロイクロのことですね。
 
 ロイクロは目の前に垂れ下がっていますよ」

茉莉亜の目の前には色とりどりのロイクロが長い手ぬぐいのようにぶら下がっていた。

「ふんどし?

 ロイン・クロース…ロイクロか」

「男性が付ける場合ふんどしという場合もありますが、

 女性用はロイクロと言うんですよ」

ロイクロの正体は所謂六尺褌だが、

ここの住人は皆肥えているので実際には20尺程度はあるようだ。

しかし、ロイクロには

事実上サイズがないので、彼女の病的に細い(ここではそういうことになるのだ)

腰でも問題はなかった。

「オーマイゴーッド、この私がふんどしを締めることになるなんて!」

しかし、試着してみると、付け心地は存外快適だった。

「なるほどサイズは自由自在だし、きつくもゆるくも出来る。

 Tバックより良いかも。

 あそこもけつの穴も気持ちよいし。
 
 ううん」

茉莉亜は自分の言葉が一部現地風になっているにも気付かないまま、

ちょっとあえいだ。

10分後、ロイクロを10枚購入するとTM社へ舞い戻った。



こうして3月が過ぎていった。

茉莉亜はプールサイドでかなり大きくなった腹を突き出して寝そべっていた。

現地風に食べに食べて僅か3ヶ月で体重を20kg増やすことに成功、

110cmのブラジャーが今ではちょうど良くなった。

「はーっ、やっと中学生なみになったわ」

髪の毛も周囲の人々に合わせてワンポイント・スキンヘッドにしている。

頭の上には太さ2cm直径15cmの紫の輪が出来ていた。

輪の正体は紫に染められた長さ5cmの髪。

自慢のブロンドは影も形もない。

流行に従って眉毛もそり落とした。

水面に反射する自分の顔を眺め

「ああ、気持ち悪い。

 まさかここまで美的感覚が違うなんて!

 確かにここでは永久に同じ容姿を維持できるかもしれないけど、

 今の私が美しいなんて絶対思えない。

 しかも、あいつら、永久脱毛しやがって」

 しかし、プライドの高い彼女は、
 
 この世界でも最高の美人にならないと気がすまなかった。

75kgの体重ではまだ少女なみだし、髪の毛だけで男性が寄ってくるはずもない。

500年前ゴージャスで人気を博した彼女の顔もここでは貧相の極みで、

眉毛を落としたくらいでは問題外である。

一月前のことである。

彼女が美容院へ行った帰り、驚いたことに

2020年当時

楚々とした風情で絶大な人気を誇っていた美人女優・黒森瞳にそっくりな美人に出会った。

眉毛がなく、ちょんまげの髪には笑わずにはいられなかったが、

頭の中で眉と髪を補うとうっとりするくらい美しい容姿が出来上がる。

「ここへ来て貴女みたいに美しい人に会うのは初めて。嬉しいわ」

ところが、

「何ですって!

 私みたいな醜い女は他にいないわよ。

 子供の頃から石を投げられるくらいドブスで。

 体は骨と皮ばかり。
 
 鼻は高すぎる上に幅も狭い、まつげは長すぎるし…。

 こう言っては何ですが、貴女もさぞお辛い目に」

泣きながら26世紀の黒森瞳は消えていった。

その日、茉莉亜はこの時代の究極の美人になることを堅く決心したのだった。



蘇生した日より4ヶ月後。

茉莉亜は流行しているだけではなく、世の男性が最も魅力的に感じるという

ある部分へのピアシングを実施することにした。

2020年の美意識が強い彼女はなかなか実行に踏み切れなかったのだが、

ウィスキーをがばがば飲んで勇気を奮い起こし、

けばけばしいピアス・ショップに足を踏み入れる。

「へいいらっしゃい。

 何かようかい?」

顔中ピアスだらけのピアス・アーティストが声をかけてきた。

さすがに言葉遣いも少々荒っぽい。

「アイホール・ピアスなんですが」

「了解、マドモアゼル。

念の為に言うが、一度したら接合部分が一体化しちゃうんで二度と取り外せねえよ。

そこんとこ、よく考えてな。

まあ綺麗になるんだから考え直す必要もねえだろうが」

彼は見慣れない機械で彼女のアイホールのサイズを正確に測り、図面化する。

「もう帰っても良いぜ。

 今日中にアイホール・リングを作っとくからさ。

 明日また来な」

翌日、茉莉亜は再びウィスキーをしこたま飲んでピアス・ショップへ足を運ぶ。

いよいよ今日が本番だ。

まず最初に長い睫毛がピンセットで抜かれていく。

軽い麻酔がかかっているの痛みはない。

しかし、睫毛を総て抜かれ、渡された鏡に映し出されるメリハリのない顔に彼女の心は痛んだ。

「ワオーッ、少しは見られる顔になったじゃん」

男は彼女の気持ちとは全く逆のことを言う。

それから、

右目のアイホールの上に繊細に横たわっている皮膚に上下左右に4つの小さな穴を穿つ。

そこへ昨夜作られたばかりのアイホール・リングがはめ込まれていく。

すると、彼女の目は見開かれ、眼球が1.5cmほど突出し、

毛細血管が細かく走っている白目の端の部分が見事に露出される。

左目も同じようにピアシングを施されると、鏡を渡された。

「…」

声も出ない。

少女時代、世界の不思議な人間を一同に集めた番組で、

目を自分の意思で飛び出させることの出来る人を見たことがあったが、

彼女は今、自分がそうなり、

しかも元に戻すことはできないことを悟り、泣き崩れた。

ピアス・アーティストは何を勘違いしたのか、

「そんなに喜ぶことないじゃん。

随分綺麗になったよ、あんた。

これからは目は閉じられねえけど、

そのリングは自動的に水分補給してくれるから目の乾く心配もいらねえよ」

と、自分の仕事振りに満足気にそう告げた。



いつも驚いているような飛び出した目にもいくらか慣れたその2ヵ月後、

茉莉亜は総合整形病院に横たわっていた。

意識はしっかりしているが、声を出すことも体を動かすことも出来ない。

「最初は鼻の整形から行きます」

と医師は告げるや否や手術用のハサミを取り出し、

鼻柱隔の先を覆っている皮膚及び組織を切り離す。

チョキン!

自由になった鼻の外枠はゴムの如く面白いように伸び、

看護婦がリトラクター(牽引器具)で目の辺りまで思いっきり引っ張り上げる。

鼻柱隔を構成していた軟骨が血に染まりながらプツンと飛び出す。

「あんなに大きいんだ!

 それにしてもグロテスク。私の顔、もう人間じゃないよ!!!」

「貴女の3cmの鼻高を半分の1.5cmまでに低めます。

 もう見苦しくなくなりますよ」

と医師は言いながら、メスで飛び出した軟骨を3分の2ほどザクッと切り取る。

「何を言っているの、このひとぉ〜!!」

「続いて、4cmしかない醜い鼻の幅を8cmにまで広げます。

 そのままでは皮膚と組織の量が足りないので、

 人の皮膚と相性の良い豚の鼻を利用します」

 彼女の美しい、否、醜い鼻翼を切り取って、豚の鼻の一部をそこに移植する。

 真理亜の新しい鼻は豚のそれとは明らかに違うが、

 鼻の穴が正面を向いているひしゃげた、低くすこぶる幅広いものに変えられた。

「別人のように綺麗になりましたよ、お嬢さん」

「…」

「次は唇の組織を3倍ほどに拡大し、そこに唇専用の脂肪を注入します」

唇に注射をすると、赤い部分がどんどん広がっていく。

僅か6mmの高さだった上唇が1.5cmに、

8mmだった下唇が2.5cmに拡大され、

そこへ脂肪を注入すると、たらこを思わせる分厚く飛び出した唇が出来上がる。

「ビューティフル!

 言うことありませんね」

「もう止めて。こんなのイヤーッ」

と叫ぼうにも声にならず、体も動かない。

「ついでに唇に真っ赤な刺青を入れておきますね。

 永久に口紅いらずですよ」

唇はどんどんグロテスクに、否、美しくなっていく。

「唇が膨らんだままでは、上手く喋れませんね。

 そこで1.5cmの上顎突出を作り出し、さらに下顎を1.5cm下げます。

 見た目上3cmの上顎突出が出来上がります。

 これでスムーズに話せるようになりますよ。

唯一の欠点は唾が飛ぶことですが、まあ、美しさのためには仕方がないですね」

目の前にある半身鏡には極端に飛び出した出っ歯が映し出される。

「ウウッ!」

声にならない喉が恨めしい。

「折角飛び出した美しい歯もそんなに真っ白では見栄えが悪い。

 逆ブリーチしましょう」

医師はそう言うと、担当を看護婦に譲る。

看護婦はこの病院が独自に開発した着色剤をブラシに浸すと、

開口器でめいっぱいに広げられた口の中で繊細な作業を始める。

そして、看護婦が離れた後、鏡に写った彼女の歯は黄土色にくすんでいた。

「これなら男性も釘付けですね。

 顔はこれでほぼ終りましたよ。

 これからは体の各箇所へ脂肪を注入します。

 食べずに脂肪を溜めることができるのです。
 
 素晴らしいでしょう。

 注入された脂肪は1週間後には完全に貴女の皮膚と元々ある脂肪と一体化します。

 違和感なく過ごせますよ。

 顔にも注入しておきましょう。

 頬がまだごつごつしていますし、首のたわみも今ひとつですから。

 その前に皮膚の逆ブリーチを実施、

 10000個のそばかす、500個の黒子を移植します。

 そばかすは移植後自然にどんどん増えていくから安上がりですよ」

医師はメラニン異常を起こさせる特殊な光線を彼女の体に照射し、

彼女のしみ一つない肌を浅黒くしみだらけの肌に変えると、

さらに黒子移植マシーンを使って瞬時に数え切れないそばかす、黒子を移植してしまう。

「いよいよです。

 脂肪注入は最も重要な仕上げですから、一生懸命させて戴きます」

と医師も鼻息を荒くする。

最初に両頬に500gずつ、

75kgにまで増えた体重によりかすかに見え始めた二重顎の部分に

脂肪を何と3kgも注入する。

彼女が何か言おうと顔を横に振ると、両頬と首に出来た新しい顎がぶるぶると震える。

「これは理想的な震え方ですな。手術は完全に成功ですよ」

医師は上腕部に5kgずつ注入した後、

胸を無視する(大きな胸は魅力のポイントではないらしい)と、

腹に40kgの脂肪を特大のシリンジを使って注ぐ。

既にぷくっと軽く膨らんでいた腹は大きな西瓜を5つくらい入れた大きさに腫れ上がる。

左右の臀部に20kgずつ、

大腿部にも20kgずつ計80kgの脂肪を注入していく。

「やっと終りました。これほどいっぺんに実施したのは初めてですよ。

 でも、お客様がこれほど美しくなるなら、医者としてこの上ない喜びと言いますか。

 唯一の心残りはお客様の身長です。現在女性の平均身長は157cm。

 理想は153cmと言われていますから、

 貴女は179cmですからちょっと大きすぎますね。

 さすがに身長を変えるのは難しいんですよ。

 それから…申込書によると、美しさが永久に変わらないでほしいわけですね。

 既にその処置は施しておきましたからご安心ください。

 その代わり施術した部分は再施術できません。

 例えば、歯をブリーチしようとすると解けてしまいます。

 お気をつけください。

 さあ、これ以上なく美しくなった新しい貴女をこの鏡で見てみましょう」

と、約134kgの脂肪をつぎ込み終えたばかりの医師は汗をふき取りながら、

相好を崩して流れるように言った。

しかし、美しさで喜色満面と医師が期待していた茉莉亜は意識を失っていた。



2020年の感覚では二目と見られぬ自身の変わり様に

ショックを隠しきれないでいた茉莉亜だが、

翌日、退院してTM社への帰り道、

男性たち、いや女性たちも一斉にこちらを振り返るではないか。

「うわーっ、すっごい美人。

 背が大きすぎるけど、あんな人見たことないなぁ」

といった囁き声が聞こえてくる。

「ああ、2020年の頃を思い出すわ。

 未だに馴染めないこの顔と体だけど、
 
 ここで生きて行く分には文句なしね」

すっかり自信をつけた茉莉亜がそこにはいた。

26世紀の基準でとてつもなく美しくなった彼女には次々と恋人が出来た。

皆脂ぎった太った連中だが、ここではハンサムな金持ち男だ。

「今夜は帰さないよ」

と、この時代の太った伊達男が茉莉亜に熱い息を吹きかける。

しかし、彼女はいつも決まってこう返事をするのだ。

「私は2020年から来た女なの。

 蘇生から10ヶ月間は夜の10時から朝の8時まで

 コールドスリープ装置の中にいる決まりがあるのよ。

 でも、それも今日が最後。
 
 明日からは貴方の好きなようにできるはずよ。

 ああ、もう9時ね。
 
 ダーリン、TM社まで連れて行ってくださらない?」

茉莉亜は210kgの大きな体を揺さぶりヨチヨチと歩き、

大きなエアカーに乗り込む。

「よっこいしょ」

ドシン。

エアカーのクッションが深く沈み込む。

「ダーリン、おやすみ」

 彼女は投げキッスをして別れの挨拶をすると、

 臀部の中心部が殆ど丸見えのボロボロのジーンズに包んだ尻を左右に振りながら、

 TM社の赤い絨毯の上をヨチヨチと歩き始めた。

 30分後
 
 今ではひどく窮屈になってしまったコールドスリープ装置に
 
 やっとの思いで体を横たえると、感慨にふける。

「どこでも美人は疲れるのね。ふーっ」

丸々太った顔からふき出す汗を拭い取り終えもしないうちに深い眠りに陥っていった。



「今日で10ヶ月目になるのは、この装置だね、君」

責任者が茉莉亜の眠っている装置を指差しながら、アシスタントに言う。

「準備はOKかな」

「OKです。スイッチを押します。スリー、ツー、ワン。発射!」



いつもと同じ8時に彼女が施術室で目を覚ます。

キュルルルルル

コールドスリープ装置がこれまたいつものように開いた。

しかし、茉莉亜は部屋の様子が昨日までと幾分違うことに気付く。

100インチのハイビジョンに映し出される画像が昨日ほど繊細でリアルではない。

と、その瞬間ニュース番組が始まる。

「2020年の通常国会が今日最終日を迎え…」

「えっ、2020年?」

彼女が驚く間もなく、

施術室へTM社の関係者が数名入ってきた。

「茉莉亜様、おめで…」

彼女の見覚えのある顔は最後まで言い終えずに凍り付いていた。

そう、彼女にコールドスリープ処置を施したあの医師だ。

永遠の美しさを手にしたと思い、彼らが拍手で迎えようとした茉莉亜は、

210kgの巨体に、紫の花畑のようなスキンヘッド、

永久に閉じられない血走り飛び出た目に、幅8cmの上を向いた鼻、

分厚く飛び出した巨大な真っ赤な唇の下には黄土色にくすんだ汚い出っ歯が並び、

全身浅黒い皮膚の上には無数の黒子の類が存在する、

怪物同然の醜い女に変わっていた。

「ま、茉莉亜様、一体どうなさったんですか。

 永遠の美しさを手に入れに行ったはずですが」

「そいつぁ、こっちの台詞だぜ。

 このあほんだら、一体俺様に何をやらかしやがったんだ」

茉莉亜はすっかり身に付けた2520年の言葉でがなりたてる。

本人は普通に文句を言ったつもりだが、

2020年では強烈に感じられるこの言葉に

既に青ざめていた医師らはその言葉遣いに失神せんばかりの風情だ。

「それはその〜、

 わ、私達のコールドスリープは、
 
 じ、じ、実はタイ、タイムマシーンでして、

 しゅ、手術を終えているはずの10ヵ月後に、
 
 こ、こちらに戻る手はずになっておりまして、

 その〜、テ、TM社のTMはタイムマシーンの、り、略で。」

「冗談きついぜ。

 この姿はよ〜、500年後の絶世の美女の姿なんよ。

 でもよ〜、ここに戻ったら意味ねえじゃん。
 
 意味ねえどころか生活できねえぜ。

 向うの糞ったれ医者がぬかしていたけどよ、再手術は出来ねえんだよ。

 てめえら、どう落とし前付けてくれるんだい、ええっ」

乱暴な言葉とは裏腹に、飛び出た眼球から大粒の涙がこぼれ落ちる。

「毎年1億円の給料でTM社の永年専属社員ということで、如何でございますか」

「それっぽっちの銭っこじゃあ形がつくわきゃあねえけど、

 まあしゃあねえ。

 で、何をやらかしゃいいってんだ…」



翌日、TM社のロビーで大きな透明アクリル製の部屋の建設が始まった。

1週間後早くも完成したアクリルの部屋の中で茉莉亜は好き勝手に過ごしていた。

人前で排尿・排便も平気で行う。鼻くそもほじればおならもする。

永久にここに閉じ込められてしまった以上は仕方がない。

両親の許には帰れず、

言わずもがなスーパーモデルもプレイメイトにも戻れず、

それどころか通常の仕事にもつけない以上、

半ばやけくそ気味に「これが一番良い残りの人生」と決め込み、

無駄な抵抗もせずにだらだらと過ごしているのだ。

部屋の前には次のような説明を記したプレートが置かれていた。

【500年後のミス・ワールド。

 将来不老の技術は確立しますが、

 うっかりするとこのような姿になってしまいます。

 コールドスリープ若しくはタイムマシーンを利用しての未来の美容整形は

 くれぐれも慎重に…】



鰐淵夫婦は娘・茉莉亜が姿を消して11ヵ月後より

突然振り込まれ始めた800万円を通帳に見い出してひどく驚いた。

金額にではない。

記載された送金者の名が「maria」となっていたのだ。

「可愛い茉莉亜はどこかで生きている」

しかし、結局、その後3年経っても茉莉亜は発見されず

願をかけるつもりで、エミリーは娘が送ってくれたらしい3億円を使って全身整形を実施した。

大輔は、70kgも痩せ美しく若返った妻の姿に娘を見出し涙を流していた。



おわり



この作品はラックーンさんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。