風祭文庫・人魚の館






「KIRIE」
−エルドラドの人魚−


原作・ユノー 加筆編集・風祭玲

Vol.T-048





『ラ・グラスの海の何処かに理想郷・エルドラドがある…』

このラ・グラスの海の周辺で生まれ育った者達なら

誰でも一度は聞かされる古くから伝わる伝承…

そして、幾人もの者達がこのエルドラドを追い求めて消えていった。

皆嵐の夜に船出した者ばかり…

そう、この伝承には続きがあり、

『…エルドラドへの道は嵐の夜に開かれる』

と伝えられていた。



ザザザザザ…

帆に光を受けながら一隻の帆船がラ・グラスの海を走る。

俺の名はディーン…

この海で育ち、そして、この海に伝わる伝承の都エルドラドを追い求めていた。

「おぉぃっ、港が見えたぞ!!」

マストの先端で見張りが声を上げる。

「よぉぉし、面舵いっぱーぃ」

俺そう叫ぶと目の前の舵輪を思いっきり回した。

ギギギギギ…

船はきしむ音を立てながらゆっくりと見張りが指さした方向へと進路を変える。

ミシッミシッ

それに合わせるようにして船倉に積み込んだ積み荷が音を上げる。

アスラサンから積んできた荷を

俺の故郷でもあるエルマの港に送れば今回の航海は終わる。

そう俺の普段の仕事はこうした海の運び屋だ、

こうして船を操ってあちらこちらの港に寄れば自ずと情報は集まってくる。

お陰で随分情報が集まってきたが、未だに抜けている部分がある。

ホントお宝探しと言うのは

部屋中に飛び散ったパズルのピースを集め組み立てていく根気のいる仕事だ。

程なくして大きな岩山に抱かれるような港町が水平線から浮き上がってきた。

エルマである。

「よっ、ディーン

 今夜はどうだい、一杯やらないか」
 
そう言いながら日に焼けた顔が一つ二つ、俺に近寄ってくると、

「いや、今日はちょっと」

「はははは…

 そうか、この港にはディーンの”コレ”が居るんだっけな」

そう笑いながら男達は右手に小指を立てて俺に言う、

「只の幼なじみだ、そんなモンじゃねーよ」

と俺は言うが、

「なかなかの別嬪だと言う話じゃねぇか、

 今度、俺達にも紹介しろよ」

男達はそう言い残して船倉へと降りていった。

ザザザザ…

船は何事もなかったかの様にエルマの港に入って行く。



積み荷が無事届け先の倉に収まるのを見届けると、

俺は港町の外れにある一軒の酒場へと足を向けていた。

キィ…

やや古びれたドアを開けたとたん、

ドシン!!

「うわっ」

入ろうとする俺とは反対に店の中から出てきた老婆とぶつかってしまった。

「あっすみません」

反射的に俺は謝ったが、

「………今宵……嵐が起きる…道が…」

老婆はそう呟きながらそそくさと立ち去っていった。

「なんだ?…嵐?」

俺は空を見上げたが月明かりの夜空には雲一つなく、

銀貨のような満月が中空に掛かっていた。

「雲なんて出て無いじゃないか

 それにしても見かけない顔だなぁ…」

俺はそう呟きながら去っていく老婆の後ろ姿を眺めていると、

「よぅっ、ディーンじゃねぇか、

 そんなところで突っ立ってないで早く入って来いよ」
 
店の中から俺を呼ぶ声が響いた。

「あぁ…」

そう応えながら店の中に入ると

ザワザワ…

と言う喧噪と同時に、

ムワッ!!

っとした海の男達の人息が俺を包み込んだ。

「あっいらっしゃーぃ」

店の奥から元気のいい声が響いて来ると、

黒く長い髪を後ろでまとめた女性が姿を現した。

「あら、ディーン…お久しぶり」

彼女は俺を見るなり、

「いつものでいいんだよね」

と言うと奥へ引っ込んでいった。

彼女の名はキリエ…

俺とキリエとは年は同じ生まれた村も同じ、

さらに家は隣同士の俗に言う”幼馴染み”と言う奴だった。

そして、俺と同じように伝承の理想郷を探している仲間でもあった。



俺は半ば自分の指定席となっているイスに腰掛けると、

窓越しに夜の帳が降りた港を眺める。

「ふぅ…」

この時が一番落ち着くときだ。

「で、どうだった?、

 なにか成果はあったの?」

キリエは俺の目の前にドンと山盛りに盛りつけられた皿を置くと、

今回の航海の成果を尋ねてきた。

「いや、残念ながら…」

俺は肩を窄ませながら返事をすると、

「ふふん…」

キリエはまるで勝利者の様な笑みを浮かべながら、

「じゃーん、コレなんだか判る?」

っとボロボロになった一冊の手帳を俺に見せた。

俺が不思議そうな顔をしながら、

「さぁ?」

と聞き返すと、

「こういう酒場には色々な情報が集まってくるのよねぇ…」

と得意満面な表情で俺を見る。

「もったいぶるなよ」

俺は不機嫌そうな表情を繕って文句を言うと、

「これはねぇ…今から数十年前に起きたある事件について

 その当事者が書き残したものなのよ」

と彼女は手帳のいわれを説明した。

「ある事件?」

「ディーンも知っているでしょう?、

 ”嵐の夜に王子が消えた”と言…」
 
「あぁ…あれか…」

彼女が言い終わる前に俺は返事をした。

「確か、ある国の王子と王女との婚礼パーティの最中に

 船が突然の大嵐に巻き込まれて危うく沈没しかけた話だよな」
 
「そう、で、嵐を乗り切った後になんと王子だけの姿が消えていた」

と俺の話に続いてキリエが残りの話をする。

「で、…この手帳はその船の船長が港に戻った後、

 その時の詳しい経緯や王子が消えた海域の場所を記したものなのよ」

「へぇ…そいつは凄いじゃねぇか」

俺が感心していると、

「そしてもぅ一つ…」

と言ってキリエは青く輝く小さな玉を俺の目の前に差し出した。

「コレは?」

「当ててみて」

「?………」

しばらくの間俺は玉を見つめているとある物の名前が浮かんできた。

「あっ、これってまさか…」

「判った?」

「アクア・クリスタル!!」

「ピンポーン!!」

アクアクリスタルとは

それを持つ者のみがエルドラドへ行くことを許されている。と言う代物で、

エルドラドを探し回っている俺達にとっては

どうしても手に入れたいアイテムだった。

「なんで、こんな物がココに…」

驚きながら俺が尋ねると、

「旅のおばあさんに譲って貰ったのよ、

 なんでも、おばあさんの息子さんが
 
 あたし達と同じようにエルドラドを探していたんだけど、
 
 不治の病で死んでしまって…
 
 それで、旅をしながら息子さんの意志を継いでくれる人を
 
 探していたときにあたしと出会ったワケよ」

とキリエは入手した経緯を俺に話した。

「はぁぁぁ…」

俺は感心するそぶりをしながらキリエがテーブルの上に置いた

アクア・クリスタルに手を伸ばそうとすると、

パン!!

キリエは俺のその手を叩き落とした。

「痛てぇ、何しやがるんだ!!」

手を押さえながら文句を言うと、

「ダメよ、コレはあたしの成果なんだから…」

そう言いながらキリエはクリスタルと手帳を大事そうにしまうと、

「おいおい、こう言うときは助け合いだろうが、

 なぁ、ちょっとだけでも見せてくれよ」
 
と懇願してみたが、

「ダメよ…だってディーンはこの間約束破ったでしょう」

とキリエは言う。

「約束?そんなモンしたっけ?」

「あっひどーぃっ、

 あたしの買い物つき合ってくれるって約束したじゃない」

「あぁ…あれか、あれはたまたま…」

「ディーンの言い訳なんて聞きたくもないわ、

キリエはそう言ってプイッと横を向くと、

「いーぃ、これはあたしのモノなんだからね、

 誰にもぜーったいに見せないんだから」

と念を押すように俺に言った。

その態度にカチンときた俺は、

「あぁ判ったよっ、はんっ、そんな偽物、俺には興味ないな」

と言うとグラスを中身をクイっと空けた。

「あぁっ、言ったわねぇ…

 じゃぁ、コレが偽物かどうかあたしが証明してやろうじゃないのっ」

「おもしれぇっ、見つけられるモノなら見つけてみな

 言って置くが俺の船は貸さないぞ」
 
「わかったわよ、ディーンには頼まないわよ」

売り言葉に買い言葉、お互いに振り上げた拳の納めどころが無くなっていた。

「なんだなんだ、ケンカか?」

俺とキリエの口喧嘩聞いて店の中にいた男達がワイワイと寄ってきた。

「…あぁ、ディーンとキリエのいつものケンカだ」

「…まったく飽きない奴らだなぁ」

「…ワハハハハ」

こうしてこの夜は更けていった。



……ディーン…

…なに…?

…ねぇ知ってるエルドラドの話…

…あぁ…昨日もおばあちゃんに聞かされたよ…

…行ってみたいなぁ…

…何処に?…

…エルドラドよ…

…なんで?…

…決まっているじゃない、誰も行ったことがないんでしょう…

…まあな

 そうだ、俺が大きくなったら連れて行ってやるよエルドラドへ…

…ホント?…

…あぁ約束する…

…約束よ…

そう言いながらお互いの小指と小指がクロスする…


とそこで俺の目が覚めた。

「夢…?」

ぼーっと天井を眺めていると、

何時の間にか雨が窓を激しく叩いていた。

「嵐?」

穏やかだった月夜がいつの間にか風と雨が吹き荒れる嵐の夜に変わっていた。

そして、

ドンドンドン!!

「おぉぃディーン、起きているか!!、一大事だ」

激しく叩かれる戸の音に俺は微睡みからたたき起こされた。

「誰だ…?、こんな夜遅くに…」

文句を言いながら扉を開けたとたん、

スブ濡れの男が転がり込むようにして入ってくると、

「ディーン、たっ大変だ、

 お前の船に女が乗り込んできて、
 
 この船を借りるぞ…って」
 
「女?、何寝ぼけて…あッ!!」

俺はスグにそれがキリエの仕業だと理解すると自宅を飛び出した。

「あんにゃろう…

 船は貸さないって言っておいたのに」

そう叫びながら風と雨が吹き荒れる街中を俺は港目指して走って行く。
 
港に着くと案の定大騒ぎになっていた。

そして俺の船はと言うと既に舫綱が外され港の外へと向かっていた。

「おぉ、ディーンか、

 スグに止めさせろ!!
 
 こんな嵐の夜に無茶だ」
 
「判ってますって!!!」

呼び止める声に俺はそう答えると、

「おぉぃ、キリエ!!

 馬鹿な真似はよせ!!」
 
堤防を走りながら出ていこうとする船に叫んだ。

すると、

「あっ、ディーン…

 悪いけどちょっとこの船借りていくね!!」

キリエの歯切れの良い声が船から響く、
 
「ぬわにぃが”借りていくね”だ、

 さっさと船を港に戻せ!!」
 
「見てよこの天気…

 それにホラっ、アクアクリスタルが光っているのよ

 間違いなく今晩エルドラドへの道が開くわ」
 
とキリエが叫ぶ、

確かに彼女の胸に掲げてある

あの透き通った青い石がまるで自ら光を放つようにして光り輝いていた。

「まさか…」

俺は思わず立ち止まると、

「だからおとなしく待っててね、ディーン」

と言う言葉を残して俺の船はキリエを乗せて嵐の海へと船出していった。

「おいっディーン、どうする?

 追いかけるか?」
 
俺を追いかけてきた男が声を掛ると、

「いや、いま無闇に船を出すととんでもないことになる、

 俺の船はああ見えても色々と細工をしてあるから簡単には沈まない、

 嵐がやんだらスグに追いかけよう」
 
風向きと潮の流れを判断すると、俺はそう返事をした。

しかし、そのとき俺は意地でも彼女の出航を阻止するべきだった。

翌日、俺の船はここエルマから遠く離れたカミルの近くの海岸で見つかったが、

しかし、船内にはキリエの姿がなかった。



「ちくしょうっ…!キリエっ……」

俺は拳を固く握り締めて、

この怒りをどこへぶつけたらよいのか分からなかった。

仕方がないこと…と割り切れる事が出来ない。

もしも、俺があの時船に飛び移ってでも止めていたなら…

悔しさと後悔が俺を飲み込んでいた。

『…エルドラドへの道は嵐の夜に開かれる』

呆然としながらも俺の頭の中には言い伝えの言葉が円を描くように回り続ける。

もしも…

もしも…キリエがエルドラドへ行ったなら…

いや…彼女は間違いなくあの夜、エルドラドへ向かったはずだ。

俺は見た。

彼女の胸であの青く輝くアクアクリスタルが輝いているのを、

それならキリエは生きている。

このラ・グラスの海の何処かにあるエルドラドで…

失意と言う名の嵐の中で微かな希望の灯が必死に持ちこたえていた。

しかし、キリエが嵐の海に消えて既に半年が過ぎようとしていたが、

以前彼女の消息は不明で、

俺の仲間も方々の港に立ち寄っては話をしてみるのだが梨の礫、

そして、俺は船を出すことなくただ海を眺める日々が続いていた。



「こらっディーン…

 仕事もしないで、なにボサっとしているの!!」

突然そう呼びかけられたような気がして思わず周囲を見渡したが、

何処にもキリエの姿は無かった。

「畜生!!、アイツの存在がこんなに気になるなんて…」

既に俺は自分にとって彼女の存在の大きさが骨身にしみていた。


女でありながら気が強くて、例え相手が誰であっても一歩も引がずに食らいつく、

けど俺は知っている。

キリエは弱いものには優しくて、気が利いて…

そして何より、だれよりも彼女はこのラ・グラスの海を愛していることを。

「ばっかやろー…

 何処に行っちまったんだ、お前は…」

言いようもない焦燥感がじわりじわりと俺の心を締め上げる。

追いかけていきたくても、この広いラ・グラスの海の何処に、

そのエルドラドへの入り口があるのかすら判らなかった。


とそのとき、一人の老婆が通りを歩いていく姿が俺の目に入った。

「あっあれは…確か…」

そうだ、キリエが嵐の海に漕ぎ出す前、

彼女にアクア・クリスタルを手渡した老婆だ、

反射的に俺は通りに飛び出すと歩いていく老婆を追いかけ始めた。

「おいっ待ってくれ、話があるんだ」

行き交う人をかき分けながら俺は老婆を追いかけていく、

しかし、不思議にも歩いているはずの老婆にいっこうに追いつくことはなく、

逆にどんどんと引き離されていた。

「(そんな…)おいっ待てって言っているだろう!!」

声を張り上げながら追いかけていくと、

やがて老婆はエルマの港を取り囲む突堤へと歩いていく、

「しめた、この先は行き止まりだ」

俺はゆっくりと追いつめるようにして老婆に近づいていく、

やがて突堤の突端で立っている老婆の傍に立つと、

「婆さん、ちょっと話があるんだ」

と声を掛けたとたん、

「ほぅ…お前がディーンかぇ?」

っと老婆は鋭い眼光で俺を見つめた。

ドキッ

俺は反射的に後ずさりする。

「ほほぅ…

 キリエがどうしても招きたいと言うから見に来たのだが…」

「なっ」
 
俺は老婆の口からキリエの事が出てきたことに驚き、

「婆さん…キリエを知っているのか?」

と思わず聞き返した。

「ほっほっほっ…良く知っているとも…」

「キリエは今どこにいるんだ!!」

「さぁ?」

「なっ、おいっ婆さん…隠すとタメにはならないぜ」

老婆の態度に俺は指の骨をならしながら尋ねると、

「全く、最近の若者はモノの尋ね方と言うのを知らんのか、

 ホレ…」
 
老婆はそう言うとポンと青く輝くものを俺に向かって放り投げた。

ハシッ

俺は受け取って見てみると、

それは透き通るように青く輝くアクア・クリスタルだった。

「これは…」

「それを持ってエルドラドの入り口にまで来るんだな…

 キリエはエルドラドの入り口でお前を待っているよ」
 
と老婆が言ったとたん。

ドバァァァァァ!!

凪の海に突如大波が盛り上がるとあっという間に老婆を飲み込んだ。

「婆さん!!」

『ほっほっほっ、

 まぁお前が無事エルドラドの入り口にまで来れるかどうか
 
 楽しみじゃのぅ』

老婆の声が俺の耳に響いた。

俺は大急ぎで自分の船に戻ると出航の準備を始めだした。

「おいっ、ディーンどうしたんだ!!」

俺の様子を見た仲間が慌てて声を掛ける。

「いまからキリエを迎えに行く」

俺がそう言うと

ザワッ!!

仲間達の間からざわめきが広がった。

「別に気が触れたワケじゃない、

 手がかりが見つかったんだ」
 
と言って俺は老婆から貰ったアクア・クリスタルをかざした。



ザザザザ…

俺の船は黄昏時を迎えたラ・グラスの海へと漕ぎ出していった。

風は順風、船足は早い。

ギィ…

船がきしむ音を聞きながら操舵していると、

パサ…

一冊の手帳が俺の足下に落ちた。

「コレは…」

拾い上げた手帳は酒場でキリエが俺に見せていたあの手帳だった。

大急ぎで俺は手帳を開けると中に書いてある文章に目を通し始めた。

「……船はいたって順調に航海していた。

 海は静かで、嵐なんて起こることすら考えられなかった。

 船の客室では厳かにそして優雅に王子と王女の婚礼パーティが開かれ、

 微かに楽器の音や歌声が漏れ聞こえてくるのを私はそっと耳を傾けていた。

 その様子を見た者によると王子の胸には王女から送られた
 
 青く輝く石が一際輝いていたとのことだった。

 その時だった、静かだった海が突然私に牙をむいた。

 歓喜はたちまち恐怖に変わり招待客たちの絶叫が船の中に響く、

 私はあらゆる知識を使って嵐からの脱出を試みた。

 しかし、波は静まるどころか一層高まり、

 船は今にもひっくり返りそうなほど激しく揺れた。

 海水が猛烈な勢いで船の中に入ってくる、

 全員がもう駄目だと思った…。
 
 その時、不思議な事にあれだけ荒れ狂っていた嵐はピタリと収まった。

 まるでウソのように…

 私には何もかもが信じられなかった。

 そして、皆が安堵するまもなく、不吉な知らせが届いた。

 『王子がいない』

 そう王子は嵐の間中ずっと王女の傍にいたはずなのに、
 
 嵐が収まったとたん、
 
 まるで最初からそこにはいなかったかのようにして王子は消えていた…」

と言う文章と共に海図が糊付けされていた。

そしてその海図にはキリエの字で大きい印が付けられていた。

「間違いない、これはエルドラドの入り口…

 キリエはこの場所に行ったんだ」

俺はスグに船の進む向きを変えた、キリエが印した場所へ向けて…



ザザザザ…

日が落ち暗くなり始めた海の上を俺の船は走る。

ゴロゴロゴロ…

いつの間にか船の行く手に黒い雲がわき起こり、

所々から稲光をちらつかせながら、

まっすぐこっちに向かってきた。

「嵐か…」

俺は雲を睨み付けると舵輪をギュッと握りしめた。

老婆から貰ったアクア・クリスタルが光り輝く、

やがて雲は俺の船を飲み込むようにして嵐の中へと誘い込んだ。

ビュォォォォォォォ!!

ドドドドドドド…

「くっそぉ…」

嵐の中を翻弄されながら俺の船は目的の海域へと突き進んでいた。

「ココでくたばってたまるかぁ!!」

そう叫びながらも必死になって舵輪に食らいついていると、

♪〜っ

どこからとなく歌が聞こえてきた。

聞き覚えのある声だった。

まるで母親が子供を寝付かせる時の子守歌のような優しい歌声…

そして、歌が終わると、

『ディーン』

と俺の名を呼ぶ声がした。

キ・リ・エ!?

咄嗟に俺はその声がキリエの声だと悟ったとき、

パシッ!!

アクア・クリスタルが強烈な光を発したとたん、

オォォォォォォン…………

フッ…

あれだけ吹き荒れていた嵐が嘘のように収まった。

まさにそこは静寂の海…

ギィ…ギィ…

静かな波間を俺の船は漂う…

すると再び、

『ディーン………』

静寂の海に透き通るような声が響き渡った。

間違いないキリエの声だ。

どこから?……

海の向こうから?……

「キリエっ………どこだっ!」

俺が大声を上げると、

『ディーン…

 来て…
 
 こっちよ…』

まるで俺を誘うかのようにして海の上をキリエの声が響き渡る。

「こっちって言ったって……

 どこだ!」

『……ディーン…早く……』

声はそれきり聞こえなくなった。

俺は確信した。

キリエは死んではいない。

あの老婆が言っていたように彼女はエルドラドの入り口で待っている。

フワッ

風が吹くと俺は再び船を走らせた。

しかし、嵐と格闘をしてきていた俺の身体はすっかり疲労していた。

睡魔が容赦なく俺を襲う。

「くっそう…もう限界だ。

 もう少し…あと少しなのに……」

俺が歯ぎしりをしていると再び彼女の声が聞こえた。

『来てくれたのね、ディーン…』

「キリエ!生きているのか!?

 どこだっ!」

ここは陸はおろか小島も見えぬ海のど真ん中。

キリエの声はするが、依然として彼女の姿は見えない。

「まさか…海の中!?」

咄嗟にそう判断したとき、

『ディーン……エルドラドはここよ…』

と言う言葉が終わると同時に、

ドォォォン

ドォォォン

ド・ドォォォン

突然、船の周囲四か所に高さ10メートくらいの水柱が立った。

そして、さらに

ビュォォォォォォ!!

静かだった海面に再び嵐が巻き起った。

「わああっ…なんだ!?

 水の柱が!!

 嵐が!!

 うわああああっ……」

不意をつかれた俺は船と共に翻弄される。

『我慢して…ディーン、すぐに済むから…』

俺の動揺とは裏腹にキリエの落ち着いた声が響き渡る。

「なに?」

いつの間にか俺の船は巨大な渦に巻き込まれていた。

ゴォォォォォォォォ…

「くっそう!!」

俺は必死になって船を操る。

しかし、船はズルズルと渦の中心へと引きずり込まれていった。

「キリエっ!!
 
 ヤメロ、やめるんだ、
 
 俺を殺す気か!!」
 
思わず叫ぶと、

『ディーン…怖がらないで…、

 ディーンは死なない…生まれ変わるだけ…』

渦の中からキリエの声が響いた。

「畜生!!、どうなんてんだ、

 キリエはこの渦を起こしているのか」
 
ザバァァァァァ!!

巨大な高波が翻弄する船を直撃した。

「うおっ……がぼっ…」

俺は流されまいと必死になってマストにしがみつく、

すると次々と新たな波が俺に向かって倒れてきた。

ドバァァァァァ!!!

ゴボゴボゴボ!!

「(ブハッ)なんてこった…この波はまるで生きているようだ…」

波は次々とまるで小さな人形でも摘み上げるかのような仕草で俺に迫ってくる。

「くおのぉ!!」

ドバァァァァァ!!!

ガボボボボ…

俺を襲った波はいともたやすく俺の身体を渦巻く海の中へと引きずり込んだ。

「キリエ……!!」

俺は思いっきり叫んだ。

できるだけの力を振り絞ったがもう声には出なかった。

意識は薄れていく…。



「………!

 ここは?…」

気が付くと、俺は大きな泡の中にいた。

暖かくて、身を委ねていたくなるような、

先程までの出来事があたかも夢に思えてくるくらい居心地の良い…

そんな無重力状態の中に俺はフワリと浮かんでいた。

「ディーン…逢いたかった」

「キリエ?」

声のした方を振り向くと、

そこには白い肌を露わにしたキリエの姿があった。

「なっ…」

俺は彼女をマジマジと見つめたあと、

「わわっっ…キリエ…

 お前、何て格好をしているんだ……」

俺は目を隠しながら叫んだ。

するとキリエは心外そうな眼差しで俺を見ながら、

「ああ、これえ?

 あはは…
 
 そうね、陸では服を着るのが当たり前だったっけね…」

とケロリとした調子で彼女は俺にそう言った。

「当たり前もなにも……うわっなんだそれは!!」

俺は何気なく視線を下に落としたとたん再び驚きの声を上げた。

そう、彼女の下半身には足が無く、

替わりに虹色に輝く鱗に覆われた魚の尾鰭があった。

「人魚?

 きっキリエ…お前…なんで人魚に……」

俺にはキリエが人魚になってしまったのが信じられなかった。

よく見ればいつも一つに束ねている髪は下ろされ、

さらに、海水に揺られてユラユラとまるで生き物のように動く様は、

なまめかしい雰囲気を醸し出していた。

フワッ!!

人魚の姿をしたキリエは尾鰭を巧みにくねらせながら俺に抱きつくと、

「エルドラドへようこそ!、ディーン…」

と耳元で囁いた。

俺の質問に答えず無邪気に抱き付いてくるキリエの態度に少々ムッとしながらも、

「だから!

 どういうことだよ…。
 
 わかりやすく説明してくれ」

俺はキリエの手を丁重にかえすと、肩に両手を乗せて正面から見据えた。

クスッ

キリエは軽く笑うと、ゆっくりとした口調で話し始めた。

「ディーン…

 ここはね、エルドラドの入り口なの。

 ここから下は永遠の都・エルドラド
 
 選定された者のみ立ち入りが許され、
 
 最高の時を過ごす事のできる理想郷……」

「あぁ、それならエルマの港で婆さんから、

 お前がエルドラドの入り口で待っている。
 
 って聞かされたよ」

と俺が言うと、

「そう…ディーンもクィーンに会ったのね」

「クィーン?、あの婆さんが?」

驚きながら俺が言うと、

「そう、エルドラドのクィーン…

 永遠の命を持ち、

 エルドラドに君臨する人魚の女王…」
 
キリエはそう言うと、

俺の胸元で光り輝くアクア・クリスタルに手を伸ばした。

そしてそれを見たキリエは、

「ディーン、

 おめでとう…

 待っていたかいがあったわ、

 あなたもエルドラドへ行く事が出来るのよ。
 
 さぁ…あたしと一緒に…」
 
キリエは笑みを浮かべながら俺にそう言い、

さらに、

「嵐の夜にエルドラドへ行くこと出来るのは、

 光り輝かせることが出来たアクア・クリスタルを持った者のみ、
 
 ディーン、あなたはそれが出来た」

「どういうことだ?」

「アクア・クリスタルを光り輝かせることが出来るのは、

 海を愛し、優しさを持った者…

 そう言う人間だけがアクア・クリスタルに選ばれるの、
 
 男とか女とか関係ないの、そのうち分かるわ」

キリエは両腕を俺の首に廻すとそう囁いた。

「…じゃぁお前も選ばれたのか?」

「ディーンもよ…

 選ばれた者はクィーンより永遠の命とこの人魚の身体を貰えるのよ」

「なに?」

「ディーン、あなたが選ばれたと知った時…

 あたしは嬉しかった。
 
 これからずっと…永遠に一緒にいられるのよ、
 
 さあ、行きましょう。クィーンのもとへ…」

「待ってくれ、キリエ!

 と言うことはつまり俺も人魚になれと言うことか?
 
 第一、人魚って言われても男がなれるもんじゃ…」

俺は眉をひそめながら言うと、

「うふ…ディーン…

 さっき言ったでしょう、男も女も関係ないって」

「なっ…じゃぁ俺はもぅ地上には戻れないという事なのか?
 
 お前と同じ人魚になって…

 (ハッ!!)
 
 と言うことは俺はもう死んだという事なのか?」

思わず俺は叫ぶと、

「ディーンは死んではいないわ、

 人魚に生まれ変わるだけよ」

この時、俺にはキリエの瞳に狂気の色があるように思えた。

ゾクゥ…

俺の背筋が凍り付く、

「やめてくれ…俺を陸へ返してくれ…。」

叫び声を上げたものの、

「うふふ…何を言っているの、

 ほら、ディーン…アナタの脚に鱗が……」

キリエに言われて自分の脚を見ると、

着ていた服はいつの間にか消え失せ、

そして露わになった俺の太股の辺りから鱗が次々を浮かび上がってきていた。

「ウワァァァァァ!!」

俺は思わず悲鳴を上げた。

「キリエ…君はどうかしてる…」

そう言いつつも、

ドクン…

心臓がどんどん熱くなっていくのを感じると、

俺は不可解な気持ちに襲われた。

「どうして?嬉しくないの…ディーン?!」

キリエがもの悲しそうに俺を見ながら言う。

「嬉しいとかそんなんじゃない……」

俺はキリエを見据えてそう言ったものの、

いつの間にかジワッっと涙が溢れてきていた。

「俺は泣いているのか…?

 ちくしょう、ガキの頃から一度も泣いてないのに。

 なんだ…この感覚は…」

何かが俺の心を蝕み始めていた。

そのとき、

『ディーンよ、何を躊躇っているのだ、

 さぁ、エルドラドへの門は開かれているのだぞ…』
 
低く威厳を持った女性の声が鳴り響いた。

「さぁ…クィーンもあぁ仰っているわ、

 行きましょう、エルドラドへ…」
 
「ダメだ、あそこへ行ってはダメだ!!

 人魚だって?

 最高の時?

 理想郷?

 そんなものが無くたって……俺は…」

そう言っている間にも俺の体は見る見る人魚へと変化して行く、

短かった髪が長く伸び、

びっしりと鱗に覆われた脚は一つになると魚の尾鰭へと変化していく、

日に焼けた赤銅色の肌は透き通るように白く、

また、ケンカには誰にも負けることはなかった腕は華奢に細く…

そして、鍛え上げた身体からは筋肉が消え失せていった。

「あぁ…」

思わず俺は自分を抱きしめると口から声が漏れる。

言いようもない感情がこみ上げてくると俺の目から涙があふれ出し始めた。

「くぅぅぅぅぅ〜」

俺は必死になって食いしばった。

「ディーン…泣かないで、

 私たち、もぅずっと一緒にいられるのよ」

キリエが、泣きじゃくる俺を優しく抱き締めた。

「なっ」

これまでキリエに抱かれた事なんてなかった。

俺は慟哭の中でもわずかな温もりを感じた。

「愛してるわ、ディーン」

俺は耳を疑った。

「愛してる?

 君は本当にキリエなのか?」

俺には到底信じられなかった。

俺の知っているキリエはこんな事簡単に言えるような娘じゃない。

ついに、俺の身体から足とよばれるものの形跡は綺麗に消え失せてしまった。

俺は顔を上げた、キリエの顔がすぐそこにある。

美しかった。

もう先程の狂気の瞳は何処にも残っていなかった。

「ずっと、好きだったわ。

 もう、周りに目とか気にしなくていいの…
 
 人魚になれば素直になれるわ。
 
 さっ一緒にいこう、ディーン…」

そう言うとキリエは俺の頬にはキスをしてきた。


パン!!


何かが俺の心の奥で弾け飛んだ。

もう、どうでもよかった。

頭がボーッっとする、俺はキリエに抱き抱えられたまま、

どんどんと、深海へ向かっていく、

まどろみのなかで俺は完全に人魚になっていた。



『ラ・グラスの海の何処かに理想郷・エルドラドがある…』

『…エルドラドへの道は嵐の夜に開かれる』



伝説はどれも皆真実だったんだ。

エルドラドという秘境へ導く因果。

もう絶対に拒否する事のできない運命。

そして永遠に…海とともに生きる。

俺と同じように抵抗した者がいるだろうか。

その人達も俺と同じく誰かに愛され、

そしてこの海を落ちていったにちがいない。

その道にいま俺はいる。キリエと一緒に…

「どうしてもね、

 私がディーンを連れてきたかったのよ。

 ごめんね、怒ってる?」

いまだ俺を抱き抱えたまま、キリエはすまなそうに俺を見つめる。

妖しくなんかない、澄んでいて、汚れない瞳。

「ううん…」

そう呟きながら俺は体を起こす。

まだこの(人魚の)体に慣れないが、直にこの体にも慣れるだろう、、

そしてそのときには、きっと俺の目も澄んでいるのだろう。

さっきまでの恐怖は嘘のように晴れている。

これが人魚?

エルドラドへ導かれる選定された者?孤独感はない。

キリエがいるから?

「…怒っているわけないじゃないか…」

キリエを見つめながら俺はそう返事をすると、

「よかった。

 ディーン、さっき怖い顔をしていたんだもん」

安堵の表情で彼女は俺を見つめた。

「怒ってないよ、キリエ」

「愛してるわ、ディーン。ずっと一緒よ」

キリエは焦がれる様に俺を見つめるとそう言った。

「俺もだよ、キリエ…」

そう囁くと、俺は自分の力で泳ぎ始めると、

手をつないでゆっくりと海の底へと向かっていった。

エルドラドを目指して。



−終わり−

(2001.03.09)