風祭文庫・人魚変身の館






「地下室にて」


作・風祭玲

Vol.982





その日の水球部の練習が終わり、

俺は一人で当番となっているボール整備をしていると、

不意にクラスメイトであり、マネージャの剣持美鈴が姿を見せ、

「一人でボール整備?」

と話しかけてきた。

「ん?

 なに?」

響き渡ったその声に俺は顔を上げずに返事をすると、

「あのさっ、

 野島君たちが今度の日曜に水瀬さんの所に行くって本当?」

と美鈴は水泳部キャプテンを務める水瀬那美子の自宅に

俺達水球部のメンバー数人がが遊びに行くことを尋ねた。

「あぁ、誘われているな、

 俺のほかに3人ほどで行くけど…」

彼女の質問に俺はそう答え、

「剣持も一緒に来たいのか?」

と聞き返すと、

「そう…」

俺の返事を聞いて美鈴は少し深刻そうな顔をし、

「悪いことは言わないわ、

 水瀬さんの所に行くのって中止できない?」

と言ってきた。

「はぁ?」

美鈴の言葉の意味が判らずに俺は聞き返すと、

「水瀬さんって危険なのよ」

と真剣な表情で言う。

「危険?

 彼女の何処が?」

食って掛かるようにして俺は尋ねると、

「女の勘って奴かしら、

 それに知っている?

 水瀬さんって結構男子を呼んだりするけど、

 呼ばれていった人で帰ってこない人が居るのよ」

と美鈴は指摘する。

「何を言って居るんだよ、

 何かの間違いじゃね?

 それともまさか水瀬さんと張り合っているの?

 マネージャは!」

その指摘に俺は笑いながら彼女の肩を叩いて見せると、

「もぅ、

 知らないっ!

 二度とここに帰ってこられなくなって知らないからねっ!」

俺の言葉が気に障ったのか美鈴は膨れ、

プィッ

と横を向くと小走りに走って消えていったのであった。



「うわぁぁ…」

「すごい…」

日曜日、

俺は同じ部の仲間3人と共に那美子の自宅を訪れていた。

「お屋敷とは聞いていたけど、

 これほどのものとは…」

まさに大邸宅と言っても過言ではない規模の自宅を眺めながら、

水球部の仲間である菅田健二は

キョロキョロと周囲を見回しながら感心したようにを言うと、

「そっそう?」

と那美子は恐縮しながら返事をしてみせる。

その直後、

「おいっ、

 あれを見ろよ。

 プライベート・プールだよ

 すげーな」

廊下のガラス越しに見えてきた水面を輝かせるプールを指差して野畑文雄が声を上げると、

「はぁぁ…

 やっぱり違うんだなぁ」

と俺はしきりに感心して見せるが、

「あっありがとう」

そんな俺達に向かって那美子は小さな声で礼を言うだけであった。

「で、今日、

 ご自宅に招いていただいたのはどういう理由で?」

そんな那美子に俺は招いてもらった理由を尋ねると、

「え?

 うん、

 実は大切なお話が…」

俺の質問をはぐらかす様に那美子は言い、

先を急ぎ始める。

「大切な話?」

「なんだろう?」

それを聞いた俺達は顔を見合わせていると、

「どうぞこちらへ」

俺達に向かって那美子は廊下の突き当たりから下へと降りていく階段を指し示してみせた後、

その階段を下り始めた。

「うっうん」

先を行く那美子と共に俺達は階段を降り始めるが、

トタトタ

トタトタ

那美子を先頭にして俺達はらせん状になっている階段を下りていくと

「随分と降りていきますが…

 この先には何があるんです?」

と俺は那美子に尋ねる。

すると、

「うふっ、

 とても良いところですよ」

那美子はそう答えた途端、

行く手を遮るようにして扉が正面に姿を見せる。

その扉の前で俺たちは立ち止まると、

カチャッ!

その扉を那美子が開いてみせ、

開く扉と共に

「おぉ…」

「なんと…」

俺達の目の前に巨大なガラス張りの水槽が姿を見せたのであった。

「すげーっ、

 そん中そこらの水族館とは規模が違うぞ」

確かに高さ10m以上、

横幅は100m以上はあると思える巨大水槽を仰ぎ見つつ、

俺達は呆気にとられていると、

「お飲み物を用意しましたので、

 ここで待っていてください」

と那美子の声が響いた。

「はい?」

その声の方を振り返ると、

カチャリ

丸テーブルの上にジュースらしきものを入った洒落たガラスのグラスを置きながら

那美子は微笑んで見せていた。

「あっどうも」

そんな那美子に向かって俺は頭を下げたとき、

「ん?」

ふと水槽のほうから視線を感じると、

クルッ

と振り返ってみせる。

しかし、

「………」

水槽には悠然と泳ぐ魚しかおらず、

「気のせいか?」

小首をひねりつつも俺はそう呟きながら丸テーブルのグラスを手に取り、

クイッ

と口をつけるが、

「ん?

 なんか不思議な味だなぁ…」

と口の中に広がる果実のような甘さと、

どこか生臭い匂いに顔をしかめてみせる。

「変な味…」

同じように口をつけていた健二がベッと舌を出してそう感想を言うと、

「なんの果物なのかな?」

同じように三津屋浩二が首をひねってみせる。

「まぁ、こういうお金持ちが出すものなんだから、

 財力を見せ付けるものなんじゃないの?」

皆の顔を見ながら俺はそういうと、

グィッ

っと残りのジュースを飲み干して見せるが、

「そうかなぁ…」

そんな俺の姿を見ながら文雄も飲み干して見せた。



「しかし…

 水瀬の奴は遅いな…」

あれから一時間近くが過ぎ、

俺は水槽の魚を見ながらふとそう呟くと、

『…マダ ナミコハ モドッテコナイヨ』

と言う声が水槽から響いてきた。

「え?」

思いがけない声に俺は慌てて水槽を見ると、

スーッ

っと一匹のナポレオンフィッシュが目の前を通り過ぎていくだけだった。

「なんだ、いまのは…

 空耳か?」

小首を捻りながら俺は振り返ると、

「誰だ!

 さっきからコソコソとぉ」

突然健二が声を張り上げ怒鳴り始める。

「おっおいっ、

 菅田ぁ」

それを見た俺は慌てて健二の傍に行くと、

「野島っ、

 なんかココおかしいぞぉ

 さっきからヒソヒソヒソヒソって、

 俺達がどうのこうのって誰かが囁いているんだ」

と訴える。

「はぁ?

 そんなの何も聞こえないけど」

健二の訴えに俺は眉をひそめると、

「野島っ

 菅田の言うとおりだよ。

 聞こえないのか、お前は?」

と文雄と浩二が訴えてきた。

「まさか…」

その言葉に俺は耳を澄ましてみると、

『…サンニンハ ボクタチノコエガ キコエテイル ミタイダヨ。

 …ヒトリ ニブイノガ イルミタイダネ。

 …キキメガ ワルイノカナ』

と言う囁く声が確かに聞こえてきた。

「誰?」

その声に俺はようやく気づくと、

『…ア ヤット キコエタミタイダヨ。

 …アァイウノヲ シュウカイオクレ ッテイウンダヨネ』

と俺を小馬鹿にしたように囁いた。

「誰だぁ!!!」

姿が見えない相手に俺はムカムカしながら怒鳴ると、

『…ソロソロ オマネキスル?

 …ヘンタイモ ハジマルコロ ダロウシネ』

と声が響いた。

「なっなにが起きるんだ?」

「さぁ?」

謎の声を聞いた俺達は言いようもない不安を感じつつ身を寄せ合うと、

ピチャッ

「え?」

いつの間にか床に水溜りが出来ていたのであった。

「水?」

それを見た俺は足元の水溜りを見ると、

ススッ

ススッ

何処からか水が漏れ出しているのか、

水溜りは次第につっくきはじめ、

程なくして床を覆い尽くしてしまうと、

徐々に水位を上げ始める。

「ひぃ!」

それを見た途端。

バシャバシャバシャ

俺達は慌ててこの部屋に入ってきたドアに向かい、

ガチャッ!

力いっぱいドアを開こうとするが、

ドアは向こう側から施錠されているらしく、

ビクともしなかった。

ドンドンドン!!

「おーぃ!

 水瀬さぁぁん!!

 水槽の水が漏れていますよぉぉぉぉ!!!

 水瀬さぁぁぁん

 直ぐに来てくださぁぃ」

閉じられて居るドアを思いっきり叩いて俺は声を上げるが、

だが、いくらドアを叩いても

叫び声をあげても那美子の返事は返って来なかった。

その間にも水位は上がり、

既に水は膝上まで上がると、

「野島っ、

 もぅ無理だ!

 そのドアはこっちに向かって開くドアだ。

 仮に向こう側に人が来ても水圧で開かない」

と健二が俺の肩を叩いて言う。

「そんなぁ…

 ってどうすんだよ?」

刻々と上がってくる水位に怯えながら俺は健二に掴みかかると、

「ばかっ、

 俺達は水球部だろう!

 泳ぎはばっちりだろうが!」

と健二は俺に怒鳴ってみせる。

「あっそうか…」

そのことに気づくと、

「水位が上がるってことは何処からか空気に抜けているってことだよな…

 大方天井から空気が逃げているんじゃないかな。

 だからもしこのまま水位が上がっていけば

 あの天井をぶち破って天井裏に潜り込めるんじゃないか?」

と文雄が指摘する。

「よーしっ」

健二は履いて来ていた靴やズボンを脱いで見せると、

「お前らも早く靴とズボンを脱げっ、

 じゃないと溺れるぞ!」

と声を上げた。

「おっけっー」

「わかったぁ!」

健二の声に皆は泳ぐのに邪魔になる靴とズボンを脱ぎ捨て、

上がる水位と共に天井を目指した。

「なぁ、不思議だと思わないか?」

水に浮きながら俺は声を掛けると、

「何が?」

と健二は尋ねる。

「こんなに水が漏れているのに

 水槽の魚はなんともないみたいだけど、

 どうなっているんだ?」

と俺は水槽内の魚が何も変わらずに泳いでいることを指摘すると、

「さぁなっ、

 こんな馬鹿でっかい水槽を維持しているんだ。

 ろ過装置もそれなりの大きさなんだろう」

俺の指摘に健二はそう答えると、

「もう直ぐ天井に届くぞぉ、

 みんな急いでぶち破れそうなところを探すんだ!」

と皆に指示をした。

そして、俺の手が天井に届くのと同時に、

ダンダンダン!

俺は思いっきり天井を引っぱたくが、

だが、天井はまるでコーティングされているかのごとく頑丈なつくりになっていて

手で叩いただけではビクともしなかった。

「おっおいっ

 ぶち破れないぞ!」

顔を蒼くして俺は怒鳴ると、

「こっちも駄目です」

「こっちも駄目だ!」

と他の声も響いてくる。

「なっなんて…

 そんなぁ…

 あぁ…剣持の言うとおり来なければ良かったぁぁ」

水死体となって水の中を舞う自分の姿を思い浮かべながら俺は悔やむが

だが、それは後の祭りであり、

天井に俺の頭が着いてしまうと、

空気の層は急速に薄くなっていく。

そして、

ガボガボ

ついに俺は水の中へと落ちていったのであった。

「…なんで…

 …こんな目に…」

離れていく天井を見ながら俺の意識が遠のいていくと、

ムズッ!

ムズムズムズ…

突然、頭の毛がうずき始め、

さらに体中がうごめき始めた。

『え?』

体に変化に俺は気が付くと、

息苦しさは急速になくなり、

次第に意識がハッキリしてきた。

『なっ何が?』

そう思いながら俺は周囲を見ると、

ブワッ!

まるで俺を覆うかのように俺の頭から翠色の髪が伸びていて、

それどころか水に揺られるTシャツの下には、

プックリと膨れる二つの膨らみが存在を主張してみせていた。

『え?

 なんだこれは?』

膨らむ胸を両手で持ち上げながら俺は怒鳴ると、

ビュオッ!

俺の足元から蒼い鱗に覆われた魚の尾びれが持ち上がり、

しなる様にして目の前を横切って行く。

と、同時に、

『うわっ!』

俺の視界がグルリと一回転してしまうと、

『何をやっているのよっ

 思いっきり尾びれで水を叩けば

 バランスを崩すに決まっているでしょう』

と呆れたような声が響いた。

『へ?』

その声に俺は周囲を見ると、

『うふふ』

『うふふ』

翠色の髪を揺らせつつ、

赤い鱗の尾びれを持つ半人半魚の女性が俺の周りを取り囲んでいたのであった。

『にっ人魚…』

彼女達を見ながら俺はそう呟くと、

『人魚を見るのは初めて?』

と一人が問い尋ねてくる。

コクリコクリ

その問いに俺は幾度もうなづいて見せると、

『まぁ…

 ナミコったら何をしていたのかしら』

と人魚達は呆れて見せ、

『ナミコぉ!』

水瀬の名前を呼んで見せた。

すると、

スーッ…

真下からすまなさそうに一人の人魚が上がってくると、

『あの…』

と俺に話しかけてきた。

『みっみっ水瀬っ!

 お前、

 人魚だったのかっ』

那美子を指差し俺は怒鳴るが、

『あれ?

 水掻き?

 それに腕に鱗が…』

と俺は自分の手に水掻きが張っていることと、

手首から肘に掛けて蒼い鱗に覆われていることに気づくと、

『あらやだ、

 この子まだ自分が人魚になっていることに気づいてないよ?』

と人魚達がヒソヒソ話をし始めた。

『へ?』

その声に俺は急いで下を向くと、

俺のヘソから下は鱗に覆われていて、

さらに足はなく、

代わりに魚の尾びれが伸びていたのであった。

『お・さ・か・な・さん…ですか…』

ゆらゆらと動く尾びれを見ながら俺は呆けたように呟くと、

『ちょっとぉ、

 ショックを受けているよぉ』

『意外と打たれ弱いのね』

と人魚達は囁きあう。

そして、そんな声を聞きながら、

キッ!

俺は那美子を睨み付け、

『おいっ!

 これは一体どういうことなのか説明をしろ!』

と食って掛かると。

『こらっ!

 調子に乗るんじゃないよ』

その声と共に人魚は俺の髪を鷲づかみにし、

そして、その人魚の方に俺を向かせると、

『いいかいっ、

 見た目は人間の女の姿だけど、

 蒼い鱗を持つお前は男の人魚だ。

 そして、紅の鱗をもつあたしたちは女の人魚。

 ふふっ、

 判るか?

 私たち人魚は子孫繁栄のために太古より、

 人間の男を捕まえては人魚に作り変え、

 子作りをしているのさ』

と俺に言う。

『えぇ!』

思いがけないその言葉に俺は驚くと、

『那美子はお前達をおびき寄せる餌さ、

 さぁ、どうする?

 あたし達の子孫繁栄に協力してくれるのなら、

 お前を人の姿に偽装して地上に戻してあげるけど、

 協力しないんなら、そうだねぇ…

 適当にバラして向こうに居る魚達の餌にでもしようか』

と迫ってきた。

『そんなぁ!』

迫る人魚に俺は押されていると、

『あっのぅ』

『さっさとする

 もぅ直ぐこっちは産卵なのっ』

の言葉と共に赤い鱗の人魚に手を引かれて行く蒼い人魚の姿が視界に入る。

『…あの人魚って…』

二人の人魚を見送りながら俺はそう呟くと、

『申し上げにくいのですが…

 あの人魚は菅田さんでして…』

と那美子が説明をしてみせる。

そして、さらに二組の人魚達がそれぞれ手を引き引かれていくのを見送ると、

『そうですか…

 みんな、そういう選択をしたわけなんですね…』

そう俺は呟きガックリとうなだれてしまったのであった。

『決まった?』

そんな俺を見て人魚は尋ねると、

コクリ…

俺は頷いて見せ、

『ふふっ、

 久しぶりの男と女の営みだねぇ…

 うーん、腕が鳴るわぁ』

と人魚は言うと、

ガッシリと俺の腕を掴み、

『さぁさぁさぁ、

 卵をいっぱい産むわよぉ』

の声と共に俺を奥へと引っ張り込んでいたのであった。



「おはよーっ!

 あぁ…ちゃんと学校にきていたか」

月曜日の朝。

登校し机の上に頭を乗せてグッタリとしている俺に美鈴は少し

ホッとした表情で話しかけてくると、

「ん?

 あぁ、剣持かぁ」

と俺は力なく返事をしてみせる。

すると、

「ちょっとぉ、

 どうしたの?

 まるで河童に尻子玉を抜かれたような顔をして」

そんな俺に向かって美鈴は尋ねると、

「はぁ…

 まぁ…」

俺は曖昧な返事をし、

そして、

「なぁ、もし…

 もしだよ、

 俺が人間で無くなっていたらどうする?」

と尋ねると、

「はぁ?

 どうしちゃったの?

 いきなり変なことを言い出して」

美鈴はそう返事をしてみせ、

「人を馬鹿にしないでよね」

と言いながら自分の席へと向かっていった。

そして、残された俺は

「………

 …ごめん、俺、

 もぅ人間じゃなくなっているんだよ」

と呟きながらうっすらと鱗が顔を覗かせる腕を眺めていたのであった。



おわり