風祭文庫・人魚変身の館






「恩返し」


作・風祭玲

Vol.616





青く透き通った空と、強烈に輝く太陽の下。

キィッ

一台に車椅子が沖へと突きだした防波堤の突端に停止する。

「うん、この辺が良いかな」

周囲を見渡しながら河田まどかは大きく頷くと、

「何か良いの?」

付きそう母親が心配そうに理由を尋ねた。

「え?

 あぁ、大したことないのよ、ママ。

 うん、ありがとう」

その問いかけにまどかは慌てて口を濁すと、

「それでさ、

 ちょっとお願いがあるんだけど、

 2時間ほどあたしをここにおいといて欲しいんだけど」

と頼み事をする。

「え?」

その言葉に母親は真剣な顔で驚くと、

「あっ

 あのね。
 
 別に自殺なんかしないから…
 
 天気良いしさ、
 
 ちょっと、ここで遊んでみようかなぁってね」

母親の表情にまどかは慌ててそう言い繕うと、

「でも、

 まどかちゃん、脚が…」

「あぁ、

 大丈夫大丈夫、
 
 ほら、海もこんなに穏やかでしょう、
 
 大丈夫だって、
 
 ねっ
 
 お願い。
 
 一人になりたいの」

まるで拝み倒すようにしてまどかは手を合わせると、

「うっうん、

 まどかちゃんがそこまで言うのなら…
 
 2時間よ、
 
 2時間経ったら、迎えに来るからね、
 
 変なコトしちゃあイヤよ」

まどかの懇願に母親は根負けすると、

心配そうに幾度も振り返りながら防波堤から去っていった。

「ふぅ…

 ママったら心配性なんだから…
 
 と言っても無理はないか」

大きく手を振りながらまどかは母を送ると、

一人、そう呟く。

そして、

「ようし…」

誰もいなくなったのを確認すると、

まどかは大きく息を吸い込み、

カチッ!

車椅子にロックを掛けると、

「よっこらせっ」

ズルッ!

身体をゆっくりとずらしながら下に降りようとした。

「よっ

 くっ
 
 落ちるなよ、わたし」

水泳部で鍛えた筋肉をフルに使い、

まどかはゆっくりと防波堤の上に降りる。

「うわっあちち!!」

短い足の先端が防波堤に振れるのと同時に伝わってきた熱さに

思わず飛び上がりそうになるが、

しかし、

「くっ我慢我慢」

まどかは歯を食いしばりながら身体を下ろすと、

ズルズル

と身体を引きずるようにして防波堤の端へと向かっていった。

「くぅぅ…

 歩ければこんなの簡単なのに」

健常の人ならなんと言うことないことながら、

しかし、まどかの両足は股までしかなく、

その先にあるはずの膝は存在していなかった。



「え?

 切断ですか?」

「はいっ」

かねてから両足の膝にまどかは違和感を感じていたが、

それは只の疲労によるものだと彼女は考えていた。

女子水泳部キャプテン…

その重責を背負うまどかは、

今度開かれる大会には最低でも入賞をしなくてはならないし、

また、まどかの目標はそれより上の優勝の二文字であった。

そして、毎日の過酷な練習の中、

まどかの膝は徐々に悪化し、

ついには立つことすらおぼつかないようになってしまっていた。

「悪性の…ですか?」

「はい…」

まどかの脚を診察した医師から告げられた言葉にまどかと両親はしばし言葉を失う。

「もぅ少し早く発見できていれば薬で押さえ込むことも出来たのですが、

 もはや、それを行う時間がありません。

 転移をする前に切除するしかありません」

と医師は理由を告げた。

「そんな…」

小学校の頃から水泳に打ち込み、

そして、ここまで来たまどかにとっては

医師の説明はまさに死刑宣告であった。

無論、

「いやよっ

 この脚を切るのなら、
 
 あたし、死んだ方がましよ」

とまどかはキッパリと手術を拒否するが、

しかし、

「お願い、まどかちゃん。

 言うことを聞いて」

と再三、両親や医師から説得され、

また、両脚を襲う激痛についにまどかはついに手術を了解すると、

程なくして手術は行われ、

まどかの脚は病魔が巣くう膝上より切断されてしまったのであった。



術後のまどかの経過は順調であったが、

しかし、

「いやぁぁぁ!!

 脚を!
 
 あたしの脚を返して!!」

「まっまどかちゃん。

 落ち着いて!」

「いやぁぁ!

 脚が、
 
 あたしの脚がない!!」

両足を失ったまどかのショックは大きく、

ほぼ毎日、彼女はパニックに陥り泣き叫んでいたのであった。

「大丈夫、

 大丈夫よ…」

悲鳴を上げ、無き狂う彼女を母親は必死になだめるが、

傷の治り具合とは裏腹に心の傷は癒えることがなかった。



そんなある雨の降りしきる晩、

「うっうっううう…」

母親が自宅に戻ったあと、

まどかは膝上より失った脚をさすりながら泣いていると、

『あのぅ…』

っと彼女の耳元に誰かが声を掛けてきた。

「!!っ

 だれっ!!
 
 出て行って!」

その声にまどかは即座にそう怒鳴るが、

『いやっ

 帰れと言われても…

 やっとココまで来たのですから…』

と声は困惑した様な返事をする。

「誰よっ

 何しに来たのよ!!」

なかなか消えない気配にまどかが怒鳴りながら起きあがると、

「え?」

彼女の目の前に現れたのは一匹の小さな熱帯魚であった。

「さかな?」

まるで水の中にいるようにして

ゆらゆらと空中を泳いでみせる熱帯魚の姿にまどかはきょとんとすると、

『えーと、

 あの、ちょっとよろしいでしょうか?』

と熱帯魚は話しかけてきた。

「うそっ

 魚が話しかけてきた。
 
 あっあたし…
 
 本当に気が狂ったのかしら…」

面頭向かって話しかける熱帯魚の姿に、

まどかは自分の頬を2・3回叩くと、

「痛い…

 てっことはこれって現実?」

と呟きながら熱帯魚に顔を近づけた。

『えーと、

 よろしいですか?
 
 あの、わたくし、
 
 以前、あなたに助けていただいた魚です』

と熱帯魚は説明をする。

「助けた?

 あたしがあなたを?」

『はいっ

 あの、
 
 この夏、海辺で網に掬われた私を逃がしてくれたでしょう』

助けたという言葉に心当たりがないまどかに向かって

熱帯魚はその時の状況を説明する。

「うーん、

 そう言えば…
 
 そんなことがあったかな」

まどかが立てなくなる少し前、

水泳部の合宿でまどかは、

近くの浜辺で部員が掬った網の中に掛かった熱帯魚を

海に帰したコトを思い出した。

『そうです、

 あの時の熱帯魚です。

 いやぁ、仲間と共に黒潮に流され、

 ここまで来たのは良いのですが、

 どうやって南に帰ろうかと、
 
 仲間達と相談しているときに網に掬われてしまったのです。
 
 本当にあの時助けていただいてありがとうございました。
 
 おかげで仲間共々戻れました』

と言いながら熱帯魚は幾度も頭を下げた。

「はぁ…

 まぁ、それは良かったですね」

礼を言う熱帯魚にまどかはそう言うと、

『今夜参上いたしましたのは、

 その時のお礼をしたかったのですが、
 
 なにか、相当お困りの様子…』

と熱帯魚は病床のまどかを見下ろしながら呟いた。

「えっ

 えぇ、まぁ…
 
 病気でね、
 
 脚を切っちゃったんだ…」

そんな熱帯魚にまどかは事情を説明すると、

膝がない脚を隠す素振りをする。

『そうですか…

 それは大変でしたね…
 
 うーん、どうしましょうか、

 お礼に脚をプレゼントできれば良かったのですが、
 
 残念ながらわたしは海の生き物…

 脚は差し上げられませんが、

 このようなお姿にして差し上げることは出来ます』

と熱帯魚がまどかに告げた。

すると、

ムクリ!!

「え?」

突然、まどかのヒップの後ろが動くと、

ムクムクムク!!

と膨れあがり始めた。

「うわっ

 なっなによこれぇ!
 
 わっわっわっ
 
 大きくなる!!
 
 いっいやぁぁ!!」

急速に膨れていくヒップを押さえながらまどかは悲鳴を上げるが、

膨らみはさらに大きくなり、

「うわっ」

ついにまどかが前のめりになって倒れてしまうと、

ブルンッ!!

まどかのヒップから尻尾のような肉棒が飛び出してしまった。

「え?」

「え?」

「えぇ

 尻尾ぉ!?」

自分のヒップから飛び出した肉棒にまどかは混乱するが、

ムクムクムク!

肉棒はさらに伸び、

そして、大きさも大きくなっていくと、

ついにまどかのヒップを飲み込んでしまった。

また、それに併せて、

短くなったまどかの脚が肉棒に取り込まれてしまうと、

「あっあっあっ

 脚が…
 
 あたしの脚が…」

ピタン

ピタン

聳え立つ肉棒を左右に振りながらまどかは悲鳴を上げるが、

さらに、

ジワジワジワ…

まどかの肌と同じ肌色をした肉棒の表面に朱色の花が咲くかのごとく、

鱗が覆い始めると瞬く間に肉棒全体を覆い尽くしてしまった。

そして、

肉棒の先端が平べったく押しつぶされると、

その先には鱗と同じ朱色の鰭が姿を見せる。

「うそ

 これって…

 まさに人魚じゃない…」

ピタッ

ピタッ

朱色の鱗に覆われた尾の先についている鰭でベッドを叩きながらまどかが呟くと、

『まぁそうですね。

 人間の世界では人魚と呼ばれている姿と同じですね』

と熱帯魚は返事をした。

「へぇぇ」

「ふぅぅぅん」

しばしの間、まどかは人魚となった自分の下半身を見ていると、

「で、これって泳げるの?」

と尾びれを指さしながら熱帯魚に尋ねた。

『それはもちろんです、

 大体、海で生きる私たちのプレゼントですから』

まどかの質問に熱帯魚は胸を張って答えた。

「そうなんだ…

 また…
 
 泳げるんだ」

その返事にまどかは安心したような表情をするが、

「あっ

 でも…

 こんな格好でどこで、どうやって泳ぐのよ」

と指摘すると、

『え?

 何か問題があるんですか?』

と逆に熱帯魚が聞き返してきた。

「あっ当たり前でしょう!!

 人魚の姿でプールで泳いだら無茶注目浴びるし、
 
 第一、怒られるじゃない」

熱帯魚の問いにまどかはそう怒鳴り返す、

『やれやれ、

 人間の世界とは難しいものですな』

「あーもぅ、サイアク!

 考えてみれば、

 こんな身体じゃぁ息継ぎだってしにくいだろうし、

 それに、溺れちゃったらいい笑い者よ、

 とにかく、気持ちだけ有り難く頂戴しておくわ、

 もぅいいから元に戻して」

考え込む熱帯魚を横目で見ながらまどかはため息をつくと、

バフッ!

そのままベッドの上に横になってしまった。

『あっ、

 そんな言い方しなくても…

 それはプールとか言うところではどうだか判りませんが、
 
 海ならなんの問題もありません。
 
 それにいま呼吸のことを心配していましたが、
 
 その辺も大丈夫ですよ、
 
 ほらっ、
 
 あならの喉元、
 
 そこにエラが出てきていますから、
 
 それなら窒息することもありません』

と熱帯魚が反論をする。

「え?」

熱帯魚の反論にまどかは驚いて上体を起こすと、

「それって、本当なの?」

と問いただした。

『はいっ

 私は嘘をつきません』

「へぇぇ…

 そう言えば…
 
 うん、確かに喉の所に何かある…
 
 じゃぁ、海なら泳げるのか、あたし。
 
 また、水の中に入れるんだ…」

自分の喉の所に出ているエラの先端を触りながら、

まどかは希望に目を輝かせると、

『そうですよ、

 あっそれと、
 
 コレをお渡ししておきますね』

そんなまどかに熱帯魚はある物を渡した。

「これは?」

キラッ

吸い込まれそうな深紺の輝きを放つそれは、

まどかの指に丁度はまる大きさの指輪であった。

『それを付けていますと、

 人間から人魚に
 
 また人魚から人間に自由になることが出来ます』

と熱帯魚は胸を張る。

「へぇ、そうなんだ、

 じゃぁコレをはめていればいつでも人魚になれるのね」

指輪を握りしめながらまどかは呟くと、

『そうです。

 あっただ、注意してください。
 
 いくら人魚になったからと言っても、
 
 まだ貴方の身体は長時間人魚でいることは負担になります。
 
 そうですね、
 
 はじめのうちは2時間程度めどにして人間に戻ってください。
 
 訓練を続けるうちに長い間人魚でいられるようになれますから』

そう熱帯魚は説明すると、

『では、海で会いましょう!

 待ってますねぇ』

と言い残して。

パッ!

宙に浮かんでいた熱帯魚はかき消すように消えてしまった。

そして、それを合図にして、

シュワァァァァ…

まどかの身体は人魚体から人間へと戻りはじめ、

朱色の鱗に覆われた尾びれが消えると、

手術の痕も生々しい短い脚が姿を見せる。

しかし、その脚を見つめるまどかの視線は生き生きと光り、

「ありがとう…」

と呟いていた。



翌日、

「あっおはよう、

 まどかちゃん」

まどかの機嫌を損ねないように母親が病室に姿を見せると、

「おはよう、ママ…」

先に起きていたまどかは元気よく挨拶をした。

「まどかちゃん?」

予想外のことに母親は驚くと、

「これまでごめんね。

 あたし、迷惑ばかりかけてさっ
 
 今日から頑張ってリハビリするよ」

と驚く母親にこれまでの事への謝罪と、

リハビリをすることを告げた。

そして、その日からまどかのリハビリが始まり、

元々のがんばり性からか

早いスピードでまどかは車椅子を操れるようになっていった。

そして、退院してまもなくまどかは、

「南の島に行きたい…」

と懇願したのであった。



ザザザザ…

潮の音を聞きながらまどかは防波堤の先に座ると、

「よしっ

 んじゃ、
 
 人魚になってみるか」

あの夜から大切にしてきた深紺のリングを取り出すと、

そっと指に填めてみる。

すると、

グンッ!!

その途端、まどかの身体は大きく動き、

ムクムクムク!!!

あの時と同じように人魚へと変身を始めた。

「んくっ」

変身に伴う苦しみを少し感じながらまどかは口をかみしめるが、

その口の下、喉元にエラが姿を見せたとき、

パシャ

パシャ

まどかの腰より先は朱色の鱗に覆われた魚の尾と化し、

その鰭の先端が海面を微かにかすめるようになっていた。

「よしっ

 人魚に変身完了!
 
 泳ぐぞ!!」

人魚になったことを確認したまどかは気合いを込め、

「えいっ!」

と海へと飛び込むと、

パシャッ!

聞き慣れた水の音と共にまどかは海の中へと消えていった。


ps

 2時間後…

 「まどかちゃん」
 
 時間に正確に母親が戻ってくると

 「え?
 
  もぅ、時間?」
 
 車椅子に座るまどかは振り向いた。
 
 「あっ」
 
 心配したようなこともなく健在だった娘の姿に母親はホッとすると、
 
 「2時間も何をしていたの?」
 
 と尋ねると、
 
 「え?、
 
  まぁ、散歩かな?」
 
 とまどかはシレっと返事をする。
 
 「散歩?」
 
 その言葉に母親はいぶかしがると、

 「いいじゃない別に
 
  さっ戻ろう」

 とまどかは言うと、
 
 「う・うん…」
 
 母親は頷き、
 
 「あれ?」
 
 何かに気づいた。
 
 「どうしたの?
 
  ママ?」
 
 母親のその言葉にまどかは顔を上げると、
 
 「まどかちゃんの髪…
 
  濡れているけど、
  
  どうしたの?」
 
 と尋ねた。
 
 「え?
 
  あぁ、これ?
  
  そうねぇ…
  
  なんでかな?」
 
 その問いにまどかは腕を頭の後で組ながら青い空を眺める。



おわり