風祭文庫・人魚変身の館






「人魚姫・マーエの冒険」


作・風祭玲

Vol.401





銀貨のような満月が天空に掛かる夜…

『では、お父様、お母様、

 行って来まーす』

月の明かりが差し込む人魚の王国では王女・マーエが旅立とうとしていた。

『気をつけるのですよ、マーエ』

『大丈夫だって、

 お母様ったら、もぅ心配性なだから』

不安がる母親に既に旅支度を済ませたマーエは屈託のない笑顔でそう返事をすると、

『うむ、

 だが、しかし、くれぐれも陸の人間には注意をするのだぞ、

 連中は我々を食料の一つとして見ているからな』

マーエの父親は威厳のある言葉で彼女に注意を促した。

『はいはい

 その話はもぅ聞き飽きました。

 あたしは人間に見つかるようなヘマはしませんよ』

マーエはそう言い切ると自分の胸をドンと叩く、

『あなた…』

『まぁ待て、これはマーエの試練だ、

 私達はマーエを信じて送り出そうではないか』

なおも心配する母親に父親はそう告げるとふと横を向き、

『ティーナ』

マーエに気づかれないように小声で叫んだ。

すると、

『はっここに!』

と言う声と共に彼の背後に1匹のアンドンクラゲが姿を見せる。

『…判っておると思うが、

 マーエに気づかれぬように、

 付かず離れずマーエを監視しろ』

マーエの父はそうアンドンクラゲ・ティーナに命令をすると、

『畏まりました、

 このティーナ、

 命に代えてマーエ様をお守りします』

と答えフッと姿を消した。

『お父様?

 誰と話しているのですか?』

『あっいや、なんでもない。

 とにかく気をつけていくのだぞ、
 
 そうだ、クジラ達より今宵、北に向かうと言う知らせがあったから
 
 彼らと共に行くが良い』

マーエの質問をはぐらかせるように父親は北帰行するクジラのことを告げると、

『わかりました。

 じゃぁ、行ってきまーす』

元気よくマーエは旅立ちの挨拶をすると、

月明かりに朱色の鱗を輝かせながら王国を飛び出していった。



…人魚の姫は生まれてから二百目の満月の夜に

 北極海にある人魚の聖地に向かって一人で向かわなくてはならない…



マーエの住む人魚の王国にはそういう掟があり、

マーエはその掟に従って旅立ったのであった。

『はぁ…王宮の外に出るなんて久しぶり…

 ここには小言を言うティーナも、

 行儀作法にうるさいツォルもいない…
 
 うふっ
 
 はぁ、なんて気持ちがいいのかしら…』

旅立ったマーエは久々に味わう自由を満喫しながら

ひたすら海面に向かって上っていくと、

やがて、満月がやさしい光で迎えてくれる海面に顔を出した。

『ぷはぁ

 ふぅ』

マーエは大きく深呼吸して地上の空気を思いっきり吸い込むと、

『人間達があたしを食べてしまうだなんて、

 もぅお父様ったら心配性なんだから、

 人間はそんなことを絶対にしませんよ』

遠くに見える漁船の明かりを眺めながらマーエはそう呟く。

そしてそのとき、マーエの脳裏には

地上の時間で約10年前に起きたある事件のことが思い浮かんでいた。



その日、ティーナから王女としての礼儀作法を習っていたマーエは、

ふとしたことでティーナを大喧嘩をしてしまい王宮を飛び出してしまった。

ところが、

その数時間前、城からさほど遠くないところで海底地震の衝撃波が

こっそり王宮から抜け出したマーエに襲い掛かってきた。

『きゃぁぁぁぁ!!』

瞬く間にマーエは衝撃波に流され、

そして、気づいたときには日本という国にある砂浜に打ち上げられていた。



『篠原俊一くんっていったっけ…

 いまどうしているかなぁ』

月を背にしてマーエはあの時に出会った少年のことを思い出す。



翌朝、

「あっ人が倒れている…」

砂浜に打ち上げられ傷ついたマーエを砂浜を散歩していた少年・篠原俊一が見つけると、

あわてて駆け寄り、マーエを抱き起こそうとしたとき、

「あっ

 人魚だ…」

俊一少年は砂浜に打ち上げられている少女の腰から下が魚の姿をしていることに驚き、

あわてて周囲に人がいないか確かめた。

そう、人魚は食用として珍重され、

その肉は高値で引き取られていることを親やTVなどで知っていた。

そして、

周囲に誰もいないことを確かめると、

ヨイショ

と傷ついたマーエを抱き上げ、自分だけが知っている秘密の洞窟に連れて行った。

『うっ』

「あっ気がついた?」

『だっ誰?』

洞窟の中にある冷たい水の中に沈められたマーエが気がつくと、

その目の前にはにこやかに微笑む俊一少年の姿があった。

『きゃっ!』

周囲から人間の恐ろしさについて聞かされていたマーエはあわてて水の中に潜ろうとするが、

しかし、その途端、衝撃波で傷ついていたマーエの体が悲鳴をあげた。

『痛いっ!!』

体中を走り抜けていった痛みにマーエの体が硬直すると、

「あっ、だめだよ

 ジッとしてて」

俊一少年は水の中に飛び込み、マーエを介抱する。

『え?』

予想もしていた無かった俊一少年の態度にマーエは驚くと、

「大丈夫だよ、

 怖がらないで、
 
 いま薬と、何か食べるものを持ってくるから」

俊一少年はマーエにそう告げると洞窟から飛び出していってしまった。

その日から俊一少年とマーエの交流が始まり、

すこしづつマーエは俊一少年に心を開いていった。

そして、マーエの傷が全快したとき。

「行ってしまうの?」

『うん、

 お父様とお母様が心配しているから…』

「そうだね、

 マーエにもお父さんとお母さんがいるもんな」

その日の夕方、洞窟の外でマーエは俊一少年に別れの挨拶をしていた。

『あたし…忘れない、

 ここで俊一に会ったことを…』

マーエはそういうと、

『コレあげる』

と行って胸に付けていた星の形をした真珠を俊一に手渡した。

「これは?」

『あたしの宝物よ』

「え?だめだよ」

真珠を手にした俊一少年は困惑すると、

『いいの、

 あたしを助けてくれたお礼』
 
マーエはそう告げると、

チュッ

彼の頬に軽くキスをすると、

『じゃぁねっ』

と一言言って外海に向かって泳ぎ始めた。

スグに俊一少年のマーエを呼び声が聞こえると、

マーエは手を振ってそれに応えると海の中に潜っていった。



そんなことを思い出していると、

『そうだ、

 ちょっと寄り道するくらい良いわよね、

 うん、あそこの潮の匂いはしっかりと覚えているし、

 よし、北極に行く前に行ってみよう』

とマーエは俊一少年に再び会いに行くことを決断すると、

スー…

一個のボールがマーエの前を横切っていった。

『?

 なにかしら?』

音もなく過ぎ去っていったボールの姿にマーエは興味を持つと、

バシャッ!!

尾鰭で水面を叩きボールを追いかけ始めた。

『どこに行くのかな?』

まるで何かに引っ張られるかのように動いていくボールにマーエは不思議に思うと、

ジュボッ

っと海面下に潜る。

すると、マーエの視界に飛び込んできたのはボールの下にはピンと張ったロープがあり、

そして、そのロープから等間隔に並ぶようにして下へと降りていく別のロープがあった。

『変なの?』

ロープの意味が分からないマーエはそう思いながら

ロープからさらに下に向かって伸びるロープを追いかけていくと、

やがて、彼女の目には、

口に何かを引っ掛け必死でもがいているマグロの姿だった。

『まっマグロさん、

 どっどうしたの?』

マグロはマーエの質問には答えずただもがき続ける。

『まって、

 いまそれを取ってあげる!!』

マーエはもがくマグロに取り付くと、

手を伸ばし、

そして、マグロの口に引っかかっている物を外してあげた。

すると、

ヒュン!!

マグロは礼も言わずに離れていくと、

そのまま闇の中へと姿を消してしまった。

『なによっ

 御礼の一つぐらい言ったたらどうなの?』

取った物を片手にマーエが文句を言っていると、

突如、

グンッ!!

っとロープが動いた。

『え?』

その瞬間、マーエの手からそれが離れると、

ザクッ!!

彼女の右の脇の下に突き刺さってしまった。

『痛い!!』

脇の下からの激痛にマーエは悲鳴を上げると、

それは大きな針だった。

白いマーエの体より赤い血がまるで糸を引いていくように伸びていく。

『はっ針?』

マーエはそれが針であることに気づくが、

しかし、針は脇の下から表に向かってマーエの体を貫き、

さらに針につけてある”返し”のせいで簡単には抜き取ることが出来なかった。

『いたーぃ、

 痛いよぉ』

脇から血を流しながらマーエは泣き続ける、

しかし、マーエを引っ掛けてしまった針はロープに引っ張られ、

マーエをある方向へと引っ張っていった。

そして、

小一時間近くが過ぎた頃、

カッ

マーエが引っ張られていく先に明かりが見えてきた。

『なにあれは?』

見る見る近づいてくるその明かりにマーエが目を細めた途端、

グンッ!!

針が上へをあがっていくと、

ザバッ!!

マーエは海中から引き上げられてしまった。

そして、それと同時に、

ヒュンッ!!

鉤棒が飛んでくると、

ザクッ!!

『ぎゃぁ!』

今度はマーエの腰に鉤棒の鉤が突き刺さり、

血を噴出しながらマーエは一気に船の上へと引き上げられてしまった。



ドサッ!!

『うぐっ』

腰から血を噴出しながらマーエが船の甲板の上に落とされると、

「おいっ人魚だ人魚!」

という人間の男達の声が響き渡る。

『たっ助け…』

甲板の上を這いずりながらマーエが男達に縋ろうとするが、

ゲシッ!!

男は無情にもマーエは足蹴にし

それどころか乱暴に針が抜かれると、

「おいっ人魚が行くぞ!!」

と言う声が響くと、

ザクッ!!

再びマーエの身体に鉤棒が突き刺さると

甲板に開いている穴からマーエは中へと落とされてしまった。

ゴウンゴウン…

地獄のような機械音が響く中、

ドサッ!!

山と積まれた動かなくなったマグロの上を滑り落ちるように

血まみれのマーエが床に落ちてくる。

『うぐぐぐ…』

吹き出す自分の血で血まみれになったマーエが這い出してくると、

突然、手袋を填めた作業員の腕が伸び、

ガシッ!!

マーエの翠色の髪を鷲づかみにしてそのまま作業台の上へと引っ張り上げる。

幾多の魚をここで処理をしたのか、

魚の血のにおいが染み込んだ作業台にマーエが乗せられると、

『なっ何を…』

震える声でマーエは自分の横に立つ作業員にたずねた。

しかし、作業員はマーエの質問には答えずに、

ジャッ!!

っと海水をマーエにかけると、

ギラリと光る刃物を取り出した。

『あっまっ待て!!』

まるで物を見るような作業員のその視線にマーエは本能的に怯えたとき、

作業員の腕がマーエの左腕を掴み上げると、

ガシッ!!

マーエの左肩めがけて作業員の腕が振り下ろされた。

『うがぁぁぁ!!』

一瞬、マーエの左腕全体に痺れるような感覚が走った後、

スグに激痛がマーエを襲う、

『うぎゃぁぁぁ!!』

その激痛にマーエは悲鳴を上げるが、

しかし、作業員は2度、3度と腕を振り下ろすと、

ボトッ!!

マーエの左腕は彼女の体から離れ、

そして肩から激しく血が噴出した。

『あぁぁぁぁ』

左腕を失ったマーエはかっと目を見開き、

そして口をパクパクさせる。

「おいっ何をやっているんだ、

 さっさと処理をしないか」

作業員の手際の遅さを指摘する声が飛ぶと、

「あぁ判っているって」

マーエの左腕を切り落とした作業員はそう答えると、

今度は右腕を持ち上げた。

そして、

ガシッ!!

さっきよりも勢いよく作業員の腕が振り下ろされると

瞬く間にマーエの右腕が切り落とされ、

さらに、マーエを王女らしく彩っていた尾鰭も切り落とされてしまった。

両腕を尾鰭を失い、まるで芋虫のような姿にマーエがなってしまうと、

作業員はモノを言わずにマーエの首を押さえ、

そして腕を振り下ろした。

ゴトッ!!

血を噴出しながらマーエが首が転がっていく、

薄れていく意識の中、マーエが見たのは

腹を切裂かれ、次々と内臓が引き出されていく自分の体と、

「おいっ、

 卵巣と肝は分けとけよ、

 それと、頭かち割って脳ミソも出しておけよ」

という男の声だった。

『うっ…

 あたし…』

マーエはそう言い掛けたところで目を静に閉じた。

やがて、処理が終わったマーエの肉体は再び洗浄されると、

そのまま氷点下60度の保冷庫へと送られていった。

そして、その瑞々しい肉体を保存するかのように白く輝き始めると、

瞬く間にコチコチに凍結してしまった。



それから数ヵ月後…

「イッキ!

 イッキ!

 イッキ!」

居酒屋にはやし立てる声が響き渡る。

ウグッ

ウグッ

ウグッ

煽り立てる声の中、

二人の若い男がまるで競うかのようにビールが入ったジョッキに口をつけ、

ビールを自分の胃の中へと落としていった。

「がんばれー」

「負けるなぁ」

その様子に周囲から声援が飛ぶが、

しかし、

ウッ!

ゴボッ!

向かって左側でジョッキを呷っていた篠原俊一の口からビールが零れ始めると、

ブハッ!!

ゲホゲホゲホ!!

俊一は思いっきり咽ぶと、

飲んでいたビールを吐き出してしまった。

「うわぁきたね!」

そんな声が上がる中、

「はいっ

 ただいまの勝負、

 三条君の勝ちぃ!」

と司会役の声が響き渡ると、

俊一の隣で競っていた男性がガッツポーズをした。

そして、

「はい、では惜しくも敗れた篠原君には罰ゲームをやってもらいまーす」

と司会役がいまだ咽ている俊一を指差すと、

「罰ゲーム!」

「罰ゲーム!」

一斉に罰ゲームコールが巻き起こった。

「うわっ、罰ゲームかよ」

司会役のその言葉を復唱しながら俊一は生唾を飲み込むと、

ゴトッ

合図と共に彼の目の前に盛り付けられた大皿が置かれ、

それと同時に

「おぉー!」

一斉にどよめきが上がった。

「なっなんですか?

 これは?」

大皿に山と盛り付けられたものを見ながら俊一がたずねると、

「ん?

 これか?」

俊一の質問に司会役はニヤリと笑うと、

「はいっ

 これは人魚の盛り合わせでーす」

と声を張り上げた。

「おぉ!!」

その声が響くと周囲から一斉にどよめきの声が上がる。

「人魚の盛り合わせ?」

「そうだよ

 ここのマスターがわざわざ焼津で買い付けてきたんだよ」

「すげー」

「では、マスターどうぞ」

感心しているメンバーをよそに司会はそう告げると、

「いやぁどうも…」

と言う声と共に人のよさそうな居酒屋のマスターが姿を見せ、

「いやぁ、

 ちょっと前にね、

 私の友人から生きの良い人魚が釣れたって話があってね

 それで、頼んだものなんですよ」

と事情を説明した。

「はぁぁ」

マスターの説明と共にメンバーから一斉に感心した声が漏れると、

「で、俺にこの人魚の肉の毒見をしろというのか」

その話を聞いていた俊一がそう聞き返した。

すると、

「いえっ

 人魚の肉をただ食べるだけでは罰ゲームの意味がないので、

 趣向を凝らしました!」

司会役はそう告げると、

ゴト!

俊一の前に出されていた皿が下げられて、

メンバーの方へ持っていかれると、

代わりに別の皿が出された。

「なっなんすかこれは?」

俊一の前に出された皿の中身に俊一自身が驚くと、

「ふっふっふ

 聞いて驚け、

 これは、かの秦の始皇帝が所望してもついに食べることが叶わなかった、

 人魚の脳ミソと肝臓、そして卵巣でーす」

と司会役が声を張り上げる。

「すげぇ!!

 人魚の脳ミソって最高級の食材じゃねーか」

「いいなぁ」

「俺のおじさん香港で食べたことがあるって言っていたけど、

 旨かったらしいぞ」

「コレのどこが罰ゲームなんだ?」

羨ましがるようなその声に

「ふっふっふ

 そう、これらは高級食材といわれていますが、
 
 しかし、それらはきちんと調理され味がつけられての話です。

 それに対してコレは見ての通り、

 何も味をつけていません!!

 さぁ、篠原君には、

 この3点セットを10分以内に平らげてもらいます、

 あっ念のために言っておきますが、

 一応、湯通しをしておいてあるそうです。

 それと、醤油はコレね」

司会役はてきぱきと俊一に醤油が入った小皿を手渡すと、

「では、レディ…ゴー!!」

響き渡ったその声と共に、

「うっ」

覚悟を決めた俊一は箸を持つと

プルン

と震える人魚の脳ミソに箸をつけた。



「うー気持ち悪い…」

帰宅途中の俊一がそう言いながら蹲ると、

「なによ、

 無理して食べることなかったのに」

俊一の背中をさすりながらガールフレンドの大野朋美が呆れたような声を上げる。

「だって、

 途中で降りることなんて出来ないぞ(うっぷ)」

朋美の声に吐き気を抑えながら俊一が言い返すと、

「はいはい

 だからといって明日の講義には欠席しないでよね。

 いくらなんでも、入学早々の欠席は目をつけられるわよ」

俊一の状態に朋美が指摘すると、

「あぁ判っているって」

口を押さえながら俊一はそう返事をして

フラフラと立ち上がった。

そう、俊一はこの春、無事大学に進学し、

そして、この日、入ったサークルの歓迎会に出席していたのだった。



「じゃぁ、あたしはここまでだけど、

 ちゃんと部屋に帰るのよ」

俊一のアパートの前で朋美はそう言い残して別れると、

「判った…」

弱弱しい声を上げて俊一は自室へと向かう、

そして、

バタン!!

ドアを開けて部屋の中に入ると、

早速胃薬を口の中の放り込むと

そのまま倒れるように大の字になった。

「うっぷ…

 ナニが高級食材だよぉ

 気持ち悪くて…うっ!!」

俊一はそう呟くと、

あの時皿に盛られた人魚の脳ミソと肝臓・卵巣をすべて平らげてしまったこと後悔した。

その一方で、ふと10年前に助けた人魚の少女のことを思い出すと、

「人魚といえば…

 あの時の人魚の娘、いまどうしているかなぁ…」

そうつぶやく俊一の視線は壁にかかる星型をした真珠へと向き、

あのとき自分に向かって笑顔を見せる人魚の少女の姿を思い浮かべた。

その途端、

ドクン!!

俊一の心臓が大きく脈を打つと、

「うぐっ」

俊一は飛び起きて胸を押さえた。

ドクン

ドクン

「なっなんだこれは?」

まるで暴れるかのように脈を打ち続ける心臓に俊一が驚いていると、

ミシッ!!

今度は全身の皮膚がまるで捲りあげられるような激痛が襲ってきた。

「ぐわぁぁ」

絶え間なく襲ってくる激痛に俊一は悶絶し、

部屋の中を転げまわる。

すると、

メキメキメキ!!

空を掻く俊一の手が次第に小さくなり始めると、

ムリッ!!

彼の胸に膨らみが姿を現した。

そして、

俊一の変化はさらに進み、

ズルッ!!

穿いていたズボンがずり下がっていくと、

その下から朱色の鱗に覆われた下半身が姿を見せる。

「うぐぅぅぅぅぅ」

生えてきた翠色の髪を振り乱し、

俊一は首を押さえたながら突っ伏してしばらくすると、

『!!っ

 ぷはぁ!!』

身体を震わせながら勢いよく顔をあげた。

しかし、その表情は俊一ではなく、

俊一が食べた人魚…

そう、あの人魚姫・マーエのものだった。

『あっ頭が痛い…』

マーエの姿をした俊一はそう言いながら頭を抑え、

ピチッ

ピチッ

と魚の尾鰭となった足で床を叩く、

すると、

『目が覚めか、マーエ』

と言う声が部屋に響き渡った。

『!!っ

 その声って…』

俊一の口からマーエの声がでてくると、

『あっ

 あれ?

 あたし、

 え?

 腕がある…

 あっ鰭も

 首も…なんともない!!』

そう言いながら起き上がった俊一は文字通りマーエになっていた。

『え?

 ここは一体どこ?』

見慣れない人間の部屋の様子にマーエは驚くと、

『まったく、

 マーエ殿はあれほど人間には気をつけなさい。

 と注意を受けたのに…』

声はマーエに向かって愚痴を言う。

『ちょっと、

 この声ってまさか…』

聞き覚えのある声にマーエは声を上げると、

『ここじゃよ、ここ』

あきれたような声の後、

ザブン!!

台所の流し台のところから水が噴出すと、

ズルリ…

一匹のアンドンクラゲが顔を出した。

『あっティーナ!!』

『まったく、

 その御仁がマーエ殿の脳と肝、そして卵巣を食べ、

 さらに、マーエ殿のことをご存知だったかららこうして復活できたのですぞ、

 もしも、それらの一つでも欠けていれば、

 いまこうして私と会話できなかったことを肝に銘じなさい』

ティーナはそうマーエに忠告をすると、

『え?

 それってどういう…』

マーエにはティーナの言った言葉の意味がわからなかった。



『うそぉ!!

 あたし…死んじゃったの?』

夜中の部屋にマーエの声が響き渡った。

『うむ』

マーエの声にティーナは大きく頷き、

『いまのマーエ殿は身体を失い、

 その人間の身体を借りている身ですぞ、

 でも、なんで、

 その人間にマーエ殿に関する記憶があったのでしょうかな?』

ティーナは不思議に思いながら触手を伸ばすと、

テーブルの上に置いてあるはがきを拾い上げた。

そして

『ふむっ

 篠原俊一殿と申すのか、

 この御仁は…』

と呟き

『マーエ殿、

 この方に心当たりは?』

と尋ねると、

『うそぉ!!

 俊一君だってぇ!!』

ドアップでティーナに迫ったマーエがはがきをひったくると、

それをしげしげと眺めた。

しかし、

『ティーナ…

 なんて書いてあるかわからない』

と涙を流しながらはがきを返して来ると、

『やれやれ』

そんなマーエの姿にティーナはため息を吐き、

ふと壁に視線を移すと、

『ふむ?

 あれはかつてマーエ殿が無くしたと言っていた、
 
 星真珠ではないですか?』

と壁に掛けられているネックレスのについている星型の真珠を指した。

『え?

 ホント?』

ティーナの指摘にマーエがその方を見ると、

『あぁ!!』

真珠を指差しマーエが声を上げ、

『やっぱり、俊一君だったんだ!』

と懐かしそうに呟いた。

『ほほぅ

 どう言う経緯かは私は知りませんが、

 どうやら、マーエ殿と因縁のある方のようですな、

 まぁ、そういう方と接触が出来たからこそ良かったと言うべきでしょうな』

と感心しながらティーナはうなづいた。

『ねぇティーナ、

 どうすれば俊一君に遭えるの?』

『はぁ?』

『だって、

 俊一君ってあたしの恩人なんだもん』

星真珠のネックレスを手に取りそしてそれを抱きしめながらマーエはそう尋ねると

マーエは自分と俊一との間に起きたあの事件の事をティーナに話した。



『はて、困ったものですなぁ…』

マーエの話を聞いたティーナは困った顔をすると、

『なんで?』

マーエはティーナに迫った。

すると、

『コホン!

 良いですか?マーエ殿、

 いまのマーエ殿と俊一殿は同じ身体を共有している立場、

 しかも、マーエ殿は月の魔力を持ってこうしていられるのです。

 つまり、

 マーエ殿がマーエ殿としていられるのは月が煌々と照らしているときだけで、

 どれ以外のときは俊一殿がその身体を支配します。

 ですので、マーエ殿と俊一殿があって会話をすることなぞ、

 まったく不可能な訳なのです』

とティーナは説明をする。

『そっそんなぁ!!』

ティーナから告げられた衝撃の事実にマーエは驚くと、

『ねぇティーナ!!

 なんとかならないの?』
 
と詰め寄るが、

『さぁて?

 そればかりは私でも…

 あっでも、

 物知りのネーダに聞けば何かわかるかもしれませんな、

 まぁ、一度国に戻ってマーエ殿が無事で居ることを知らせなければなりませんし…』

思案顔のティーナはそう呟くと、

『良いですかな、マーエ殿

 私が居ない間、

 くれぐれも目立つようなことなしないでください。

 既に、ご経験とは思いますが、

 人間には決して油断をしないこと、

 いいですなっ』

ティーナはマーエにそう釘をさすと、

ズルリ…

流し台から排水溝の中へと消えていった。

『はぁ…

 俊一君の中にあたしが居るなんて不思議な気分…
 
 でも、もぅ一度会ってお話をしたいよぉ!』

煌々と部屋を照らす月を見上げながら

人魚姫・マーエはそう呟いた。



おわり