風祭文庫・人魚の館






「潮騒の島」
【第5話:人質】

作・風祭玲

Vol.199





−1−

サァァァァァァ…

降り続いていた雨がやや小降りになった頃、

「さっ帰ろうか…みんな心配していると思うから」

水姫は多恵達にそう告げると、

先に海岸沿いの道を歩き始めた。

すると、

「お客さぁ〜〜ん」

と言う鮎香の声が響いてまもなく、

ガサ!!

彼女が草をかけ分けながら山から降りてきた。

「あれ?」

「鮎香さんだ」

鮎香の姿を見た友香と圭子が声を上げると、

「ご無事だったのですね?」

そう言いながら彼女は近寄ってきた。

「ご心配をかけてしまったみたいで、ごめんなさい」

多恵が謝りながら頭を下げると、

「良かったぁ〜っ…」

彼女たちに何事もなかったと悟った鮎香は、

そう言いながらホッと胸をなで下ろした。

ところが、

「あっ、鮎香さん…」

そう言いながら戻ってきた水姫を見たとたん、

「え?」

鮎香は軽く声を上げ、

「おっお客さん…その髪は…」

と水姫のうっすらと翠色に輝く髪を指さした。

「え?、あぁっ」

彼女に指摘されてふと自分の髪を見た水姫は声を上げた。

そう、水姫の髪はまだ元の黒髪には戻ってはなく人魚の翠色のままだった。

――いけないっ!!

咄嗟に水姫は判断すると、

「え?……あぁこれ?

 ………えぇっと…

 あっ…体質なんですぅ
 
 はい」

と半ば言い繕うようにして答えた。
 
「体質?」

首を傾げながら鮎香が聞き返すと、

「そっそぅ…

 あたし…髪が水に濡れるとこういう風に翠色になるんですよ」

水姫はそう返事をしながら微笑むと、

「そう…なんですか…」

鮎香は伺うようにして水姫を眺めていた。



ガラガラ!!

「ただいまぁ!!」

漣屋の玄関の引き戸が開いて水姫達が戻った頃には夜も更けていた。

「お前等、何処に行ってたんだ?」

飛び出してきた海人と藤一郎が声を上げると、

「いやぁちょっと道に迷ってね」

頭を掻きながら圭子が答えると、

「ったくぅ…心配かけさせやがって…」

「ごめんなさい」

と言った様なやりとりしている横で、

「海人、ゴメン…”力”使っちゃった」

と水姫は海人に小声で謝った。

「相手は海魔か…」

海人が訊ねると、

「うん…」

水姫は静かに頷いた。

「まぁ…海魔が相手だったんだから仕方がない。

 で、ここに帰ってくるまでの間、

 他に何か起きなかったか?」
 
との海人の問いに

フルフル

水姫は首を横に振った。

「そうか…しかし、

 お前が力を使ったとなると

 何らかの形で接触があるかも知れないから注意しろ」

彼女の返事を見た海人はそう小声で告げると

「うん…」

水姫は頷いて答えた。


−2−

ピチョン!!

深夜――

降り続いていた雨はようやく上がり、

雲間から月が見え隠れするようになっていた。

そして、皆が寝静まった頃、

カラカラカラ…

漣屋の戸が開くと一人、白装束姿の鮎香が辺りを注意しながら表に出ていった。

「ん?、あれ?

 鮎香さんじゃないか?
 
 何処に行くんだろう…」
 
たまたまトイレに起きた敦が出ていく彼女の姿を見かけると、

「…追いかけるか」

いつの間にか孝・重信・敬太の3人が敦の後ろに立っていた。

「うわっ!!」

思わず敦が声を上げると、

「シィー!!」

3人は口の前に人差し指を立てる。



サッサッサッ…

白装束に身を包んだ鮎香は夜更けの街中を歩いていく、

「…なぁ、どこに行くのかな?」

その鮎香の後を物陰に隠れるようにして付けながら孝が訊ねると、

「さぁな…」

「このまま行くとあの神社だけど」

「草木も眠る丑三つ時に白装束姿で神社までとは穏やかじゃないな」

などと敬太たちが囁きあうが、

孝達がつけていることに気がつかないのか、

鮎香はそのまま湊神社へと続く参道を登って行った。



やがて、鮎香の目の前に湊神社の境内が姿を現してきた。

ザワッ

彼女が到着した境内にはすでに同じ白装束姿の女性達が大勢集っていて、

これから始まるであろう何かを待っている様子だった。

「…遅れてすみません…」

鮎香が小さく言いながら女性たちの中に入っていく、

「なにが始まるんだ?」

境内を取り囲む木立に隠れて敬太が伺うようにつぶやくと、

「お祭りの続きかな?」

と孝が言う。

「ばーか、深夜だぞ」

敬太が頭ごなしで言うと、

「でも、そういう深夜にお祭りをする神社って聞いたことがあるよ」

孝が反論した。

「白装束でか?」

敦が聞き返すと、

「そっそれは…」

孝のトーンが下がったとき。

ザザザザザ…

境内にいた女性達が一斉に整列すると、その場に正座した。

「なっ何が始まるのかな?」

「しっ」

敬太達にも緊張が走る。

やがて、

彼女たちの目の前にある能舞台に白襦袢に緋袴姿の巫女”みなと様”が静かに姿を現した。

「…あの娘…」

「あぁ、奉納の舞を舞ってきた娘だな」

「でもよく見えないよ…」

「場所を変えるか」

敬太達はその場を離れると、

”みなと様”の姿がよく見えるポイントを探して境内を移動し始めた。

『……皆の者…ご苦労様でした。』

か細いながらも透き通る声が境内に響いた。

ははっ…

女性達は返事をするようにして頭を下げる。

と同時に3人の老巫女に担がれるようにして瓶が現れると

ゴトン!!

と彼女の前に置かれ老巫女達は視線でみなと様に合図を送った。

コクリ…

彼女はそれに頷いて返事をすると、

『では、これより輝水を渡す。

 皆の者…己の竜玉を掲げなさい』
 
と静かに命じた。

――竜玉?

境内に覆い被さるようにして生えている木によじ登っていた敬太は

それを聞くと思わず手の動きを止めた。

――竜玉って、水姫さんが持っているあの玉ことか?

  ってことはここにいる人たちって――

などと考えていると、

「おっおい、勝手に止まるなよ、

 後が支えるだろうが」

後続の孝が声を上げた。

その一方で、

境内にいる女性達は一斉に懐から翠色に光る玉を取り出し掲げようとすると、

「ちょっと待った!!」

そう叫びながら神職姿の男達が飛び出してくるなり、

「おいっ、どういうつもりだ!!

 水我神様の許可無く勝手に輝水の分け与えることは認めないぞ」

と言いながら

グッ!!

みなと様の胸ぐらをつかみあげた。

「ひっ姫様!!」

その様子を見た女性達が腰を浮かせると、

バッ

彼女達を制するようにしてみなと様は手を挙げると、

キッ!!

と男達をにらみつけ、そして、

『…おまえ達の分はすでに渡した、

 ここは我らの聖域ぞ、無粋な者はすぐに立ち去れ!!』

そう命令すると、

「なんだとぉ」

彼女の様子にキレた男達が殴りかかろうとしたとき、

「まぁまぁ…」

といきがる男達を宥めながら一人の男が現れた。

『水我神…これはどういうことだ、おまえ達の分は渡したはずだが』

なおも気丈に”みなと様”が水我神に言うと、

「いやね…

 突然ですまないのだが、

 急に状況が変わりましてね。

 悪いのだが、その輝水、すべて我々が管理することになった」
 
と告げた。

「なに…」

「あたし達に死ねというのか」

それを聞いた女性達が一斉に声を上げると、次々と水我神の所に詰め寄る。

一瞬、水我神の口元がへの字に曲がると、

「やかましいっ!!」

パシッ!!

一番傍に近寄っていた女性の頬を叩いた。

ドサッ!!

まるで弾き飛ばされるようにして彼女が倒れると、

静寂が境内を支配した。

「まだ、あなた達の立場が判っていないようですね」

水我神はそう言うと女性を見下ろす。

「……うわぁぁぁ

 …ひでぇー事をするなぁ…」

木の上から一部始終を眺めていた敬太が呟くと、

「暴力反対!!」

敦達が小声で叫ぶ、

「ほんと…女性の敵ね」

「え?」

いつの間にか多恵達も敬太達の後ろでのぞき込んでいた。

「おいっお前ら、いつの間に…」

敦が驚きながら訊ねると、

「漣屋さんを出たときからよ」

っと友香がアッケカンと答えると、

「まさかあたし達のこと気がつかなかったの?」

意外な顔をしながら圭子が言った。

それを横目で見た敬太は、

「オホン!!っ

 まっ人間、

 意識を集中させると周囲のことはわからなくなるものだ」

と結論づけたが、

しかし、そのとき、

ミシミシミシ…

彼らがよじ登っていた木の幹から繊維が破断していく音が漏れ始めていた。



−3−

「…おいっ、早く輝水を運び出せっ

 明日、首領様に捧げるのだから…」

水我神は男達にそう命じると、

「はっ!!」

神職姿の男達がみなと様の前に置いてある瓶に手をかけると、

それを持ち上げ始めた。

「あっ」

その様子を見ていた女性達の間から声が漏れる。

「ふふふふ…」

水我神が口に笑みを浮かべた途端。

バキバキバキバキッ!!

敬太達が乗っていた木の幹がついに音を立てて根本から折れると、

「え?」

「なに?」

「うわぁぁぁぁぁぁ!!」

倒れ始めた木と一緒に敬太達が悲鳴を上げながら水我神に向かって落ちてきた。

「んな?」

突然の音に気づいた水我神が上を向くと、

彼に向かって巨木と数人の人の姿がその視界に入ってきた。

「うわぁぁぁぁぁ!!」

悲鳴を上げて水我神は逃げ出したが、

しかし、コースが悪かった。

ゴン!!

ちょうど目の前に持ってきていた瓶に彼は脚を思いっきりぶつけると、

そのまま瓶に抱きつくようにして倒れ込んだ。

刹那

バシャァァァァ!!

ひっくり返った瓶の中の輝水が舞台の上にまき散らされる。

と同時に

ブワッ!!

バサバサバサ!!

「うわぁぁぁぁぁぁ!!」

ガシャーン!!

ドドォン!!

巨木が水我神とそして傍にいた神職姿の男達を巻き込むようにして倒れた。


沈黙が完璧周囲を支配していた。

境内にいた女性達は何が起きたのか判らずに呆気にとられ、

また、間一髪、

難を逃れた”みなと様”は老巫女達に支えられるようにして

呆然と倒れた巨木を眺めていた。

「痛たたたた…」

頭を抑えながら敬太が起きあがると、

彼の下には木っ端微塵に粉砕した瓶と共に

一人の男が口から泡を吹いて倒れている様子が目に入った。

「やっやべぇ…」

痛む腰を押さえながら敬太は舞台を覆い尽くす木に枝に隠れるようにして

這って孝や圭子達の所に行くと、

「おっおい、お前ら、ズラかるぞ」

と声をかけた。

「うっうん…」

孝達もすぐに起きあがると逃げ出し始めた。

「あっあの人達は…」

こそこそと逃げていく敬太達の姿を見た鮎香は声を上げると、

すぐさま彼らの所へと走っていく、

「……ゆっ許しませんぞ」

鼻血をながしながら水我神が起きあがると、

「出会え出会え!!

 くせ者だ!!

 あの者どもを引っ捕らえろ!!」

と声を上げた。

すると建物の影から袴姿の男が飛び出してくると、

あっという間に逃げようとする敬太達を取り囲んでしまった。

「うっうわぁぁぁぁぁ」

ジリ…

逃げ場を失った彼らは文字通り袋の鼠になっていた。

「貴様らぁ…人間の分際で…」

異様な低い声で水我神はそう言いながら敬太達に近づくと、

「ぶっ殺してやる…」

と言い放つと、神職の男から手渡された刀を引き抜いた。

「…こっこいつ、藤一郎よりもアブないヤツだ」

敬太の顔に恐怖が浮かび上がった。

「怖いよぉ…」

知美がしがみつく

と、そのとき

「…おっお待ち下さい!!」

鮎香が飛び出してくると水我神の前に跪き、

「この人達は島の者ではありませんっ

 ですからこの島の掟については何も知らないのです」
 
と言って懇願を始めた。

「なにぃ…」

水我神の顔がゆがむ…

「ふざけるんじゃない!!

 首領様に捧げる輝水を台無しにされて、
 
 こいつらを許せると思うかっ!!」
 
彼はそう叫ぶと刀を振りかざした。

『お待ちなさい!!』

それを見たみなと様が声をあげたが、

完璧に頭に血が上っていた水我神は、

「貴様もろともたたっ切ってやる!!」

そう叫ぶと

ブン!!

一気に刀を振り下ろした。

ヒッ!!

鮎香は一瞬目を閉る。

しかし、

ガシッ!!

突然水我神の腕が止まると、

「まぁまぁ…

 そう人切り包丁を振り回すのはどこかのヤツの専売特許にしてくれないか」

と言いながら海人が水我神の腕を握りしめた。

「かっ海人っ」

彼の姿を見て圭子が声を上げた。



−4−

「きっ貴様…」

水我神は海人をにらみつけると、

「どういう事情があるかは知らないが、

 まずはあなた方の大切なものを失わせてしまったのは

 我々の不手際」
 
海人は男の手を押さえたまま境内にいる者達に頭を下げた。

「さて、こういう場合は償をするのが一般的な習わし…

 要するにこぼれた水はまた汲んでくれば良いのだろう?」

と言うと、

「ふんっ」

水我神は海人の手を払いのけ、

「人間ごときが…

 あの水はただの水では無いんだぞ」

と言い放つと、

「ほぅ…どんな水なんだい?」

海人は半分惚けながら聞き返した。

「ちっ」

水我神は舌打ちをすると、

「いいかっ

 あの水はなぁ
 
 この海の支配者いや、神に捧げる特別な水なのだ」

と言い聞かせるように言った。

「ほぅ…特別な水ねぇ…

 よしっ

 じゃぁ俺が汲んできてやろう、

 どこから汲んでくれば良いんだ?」

腕まくりをしながら海人が水我神に訊ねると、

「海人ぉ〜っ」

「何やってんだお前ら…」

と叫びながら水姫と藤一郎が境内に飛び込んできた。

「あっバカ!!」

二人を見て海人が叫ぶと、

「ん?…ほぅ…」

水我神は水姫をまるで品定めするような目つきで眺めると、

クイっ

顎を動かして男達に指示を出した。

その途端、

「きゃぁぁぁぁ!!

 何をするのよっ!!」

「なんだ貴様ら!!」

たちまち水姫と藤一郎に男達が襲いかかった。

スチャ!!

すかさず藤一郎は手にした刀を抜き応戦したが、

しかし、男達は人とは思えぬ動きで藤一郎を封じると、

水姫を瞬く間に羽交い締めにしてしまった。

「…何のマネだ?」

水我神をにらみつけながら海人が呟くと、

「なぁに、保険ですよ、ほ・け・ん」

と彼は海人に告げる。

そして、

「良いでしょう…、

 この夜が明け、そして日暮れるまでに、

 あなたが輝水を用意してください。
 
 もしも、間に合いませんでしたら、
 
 あの者達並びに彼女の身の保証はいたしませんので」

と付け加えた。

「そんなぁ…」

それを聞いた多恵達が声を上げると、

「…なぁ…こんな展開どこかになかったか?……」

孝が敬太に尋ねた。

「太宰治の”走れメロス”…まさにそれだね」

肩を窄めながら敬太が答える。

「わかった、

 ただ、俺一人では無理だから、
 
 鮎香さんと、藤一郎、
 
 この二人を連れて行く、
 
 それでいいだろう?」

と海人が聞き返すと、

「よかろう」

水我神はそう告げると男達に藤一郎と鮎香を解放させた。

「おっおいっ、葵っ

 大丈夫なのか?」
 
腕をさすりながら藤一郎が海人に訊ねると、

「どーんとうぉーりぃ!!」

海人は藤一郎にそう言うなり右手でVサインを作って見せた。

「全く…

 どこにそんな自信があるのだか…」

呆れながら藤一郎が海人を眺めていると、

「では、時間はあまりなさそうですし、

 早速その輝水とやらを汲んできましょうか、鮎香さん」

海人は鮎香にそう告げると彼女に手をさしのべた。



「水我神様…よろしいので、このような約束をして…」

神職姿の男の一人が水我神に近寄って囁くと、

「ふん、輝水などどうでも良い…」

と呟いた。

「はぁ?」

男が彼の言葉の意味が分からないような返事をすると、

「実は首領様からは贄を用意しろと言う命令が来ていた。

 最初は乙姫と輝水で我慢していただこうかと思っていたが、

 ちょうど良い娘が手に入ったわ」

と言うと、捕らえている水姫に視線を送った。

「おいっ、

 まさかと思うがあいつらが竜泉井に近づくことがあったら、

 すぐにやれ」
 
水我神は男にそう命じると、

「はいっ」

男は静かに返事をした。



つづく


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