風祭文庫・人魚変身の館






「人魚すくい」


作・風祭玲

Vol.862





テンツクテンツク

テンテンツクツク

鎮守の杜に祭囃子が響き渡る夕べ、

ガチャッ!

ガチャガチャ!

とあるアパートの一室にカギを開ける音が響き渡ると、

バタン!

閉じられていたドアが開き、

「ふぅ!」

大きく息を吐きながら、

俺・津野田節は汗だくになって自分の部屋に戻ってきた。

「あちぃ!」

部屋にこもる熱気の中をかいくぐり、

ガラッ!

閉めてあった窓を大きく開け放つと、

「ったくぅ、

 夕立が来るって言うから閉めて行ったのに、

 結局こなかったじゃないかよ」

と星が瞬く夜空に向かって文句を言いながら、

カチッ!

部屋の明かりを灯す。

「はぁ、

 神輿って結構しんどいもんだなぁ」

コキコキ

と肩を鳴らしながら俺は壁に掛かる扇風機のスイッチを入れたとき

チャポン!

左手に下がる水が入ったビニール袋がその存在を伝えるかのように微かに水を揺らすと、

「おっといけねっ」

それに気付いた俺は慌てて台所へと向かっていった。

ザーッ!

水道の蛇口を捻り、

洗い桶として使っているステンレス製の丸ボールへ生ぬるくなっている水を注ぎ込む、

そして、

「うん、これくらいかな」

全体の7割ほどを満たしたのを確認すると、

「ちょっとカルキ臭いけど我慢してな」

と囁きながら、

手にしていたビニール袋を持ち上げ、

ザァァァ…

ボールの中へと入っていた水を注ぎ込んだ。

だけど、

ボールの中に入ったのは水のみで、

僕が目的としたものは中々ボールへ落ちてはこなかった。

「あれ?」

落ちてこない”それ”を探して水が抜けたビニール袋を見ると、

ヒシッ!

ビニールの底をしっかりと握り締めて、

掴まっている”それ”が居たのであった。

「あぁ、

 ごめんごめん」

怯えた表情で下を見る”それ”の姿に、

僕は軽く謝りながら

ビニール袋をボールの水の中につけ、

促すように袋を揺らすと、

ジロッ

”それ”は僕を見上げ、

ビニール袋の中からボールの中へと泳ぎ始めた。



人魚…

人間の女性の上半身に魚の下半身を持ち、

美しい歌で船乗り達を惑わせたり、

嵐を巻き起こしたりすると言われる。

空想の生き物…

僕が小さかった頃、

人魚についてはそう教えられていた。

しかし、10年ほど前、

水曜ナントカと言うスペシャル番組で

某口探検隊がネス湖に住むといわれるネッシーの単独撮影挑むために

人跡未踏の灼熱のジャングルをさ迷い歩き、

そこで出合った謎の原住民より教えてもらった地底湖で探検隊は湖面を泳ぐ謎の生き物を発見。

隊長自らが命を顧みずに湖に飛び込み、

悪戦苦闘の末、ついに謎の生き物を捕獲に成功。

ハラハラして見守っていた隊員達に戻ってきた隊長が見せたのは紛れも無い人魚だったのであった。

それ以来、人魚は現実に存在し、

ペットとして身近な生き物へとなっていたのだけど、

新聞のTV番組欄と番組の冒頭で語っていたネッシーの話はどこに消えたのか、

なぜ、未開の原住民が金ぴかの腕時計をしているのか、

世紀の大発見なのに偉い学者達が騒がないのか、

放送後、近くのペットショップに”人魚あります”の幟が立っていたのか、

そしてなにより、ジャングルの木立の奥にチラチラと見える富士山の存在と

木の枝に掛かる縄の輪と画面に浮かんでは消えていく透ける人の顔が

不思議で仕方がなかったのだが、

クラスの友達が勇気を持ってTV局に電凸したところ、

「子供は知らなくていい、大人の事情」

と言う返答に僕はさらに首を捻ったのであった。



チャポン!

そんなことを考えていると、

水面を叩く音が響いた。

「ん?」

その音に僕は我に返ると、

ニコッ!

ボールの中の人魚は顔に掛かる蒼い髪をたくし上げ、

僕を見上げながら笑みを浮かべていた。

「なっなんだよっ」

急に見せた人魚の意外な表情に僕は戸惑うと、

パクパク…

人魚は口を動かし何かを言う仕草をし始めた。

「え?

 何を言いたいんだい?」

そんな人魚に向かって僕は優しく話しかけると、

パクパク

パクパク

人魚は盛んに口を動かすが、

声の類は一切聞こえてはこなかった。

まぁ当たり前といえば当たり前である。

…人魚は言葉を話さない。

 話す振りをするのは人間の真似をしているだけ…

ペット屋で人魚を買うときには必ずそう言われる。

ましてやコイツは”金魚すくい”ならぬ”人魚すくい”で取って来た人魚である。

歌を歌って見せるような値段の張る高級人魚ではない。

「まっ、

 明日の朝には死んじゃうだろうなぁ…」

そう思いながら僕は人魚の目の前に指を入れると、

ヒシッ!

身長5cmほどの人魚は甘えるように僕の指にしがみつく。

「へぇ…

 結構可愛いじゃないか」

そんな人魚の仕草に俺は感心していると、

「ふわぁぁぁ〜っ」

不意に眠気が襲ってきて、

俺は大きくあくびをしてしまった。

無理も無い。

夕べはバイトで夜遅く、

そして今日は神輿の担ぎ手に借り出されての重労働。

町内会の頼みとはいえ、来年は御免被りたいが、

そのお陰でこうしてタダで人魚すくいを出来たんだけど…

一回、700円。

腐っても人魚である。

普通の金魚すくいと比較して高いプレイ料金は貧乏学生の僕にとって意外と高いハードルであった。

けど、その人魚すくいがタダで出来る。

前々から人魚を飼ってみたいと思っていた俺にとって、

ちょっとした甘い囁きでもあった。

そんなことを思い出しているうちに、

俺の眼は閉じてしまい、

Zzzzzz…

そのまま寝てしまったのであった。



ザァァァァァ…

ふと気がつくと水が流れ落ちる音が響いている。

「あれ?

 何だこの音は?」

音に気付いた俺は中々開くことができない眼には構わずに、

無意識に手を動かしてみると、

ピチャッ!

足元を水に浸していることに気付いた。

「え?」

思いがけないその感触に僕の眼はパッチリと開き、

そして、慌てて下を見ると、

ザバザバ…

いつの間にか俺の部屋は膝下まで水に浸かり、

その水位は急速に上昇しているではないか、

「げっ、

 なんじゃこりゃぁ!!」

見る見る水没していく部屋の様子に俺は絶句していると、

『うふっ!』

俺の背後で小さな笑い声が響いた。

「え?」

その声に恐る恐る振り返ってみると、

『はーぃ!』

水を猛烈に噴出す水道をバックに、

あの人魚が俺と同じ等身大の大きさとなって流しに腰掛けていたのであった。

「なっ、

 何だお前は!!」

身長たった5cmだったはずの人魚が尾びれのピラピらの先まで含めると

その約40倍、2mに届こうと言うくらいの大きさになっていることに俺は唖然とする。

『うふふっ』

そんな俺を見ながら人魚は再び笑い、

フワッ

と浮かび上がるようにして飛び上がると、

なんと俺に抱きついてきた。

「うわっ!」

突然人魚に抱きつかれた俺はバランスを崩し、

仰向けになりながら人魚もろとも水の中へと落ちていく、

そして、水の中に入った途端。

ゴボッ!

水は一気に嵩を増すと、

瞬く間に俺の部屋を水没させてしまったのであった。

『なっなんだ、

 なにがどうして

 こうなったんだぁ』

口から泡を吹き出しながら俺は怒鳴ると、

『あたしがそうしたのよ』

と女性の声が耳に響いた。

『え?』

突然のその声に俺は振り返ると、

『なかなか素敵でしょう?』

と人魚は俺に向かって囁いた。

『お前…

 言葉を…話せるのか?』

言葉をしゃべった人魚を見ながら俺は驚くと、

『人魚の魂を持つ人魚は言葉を話すことを出来るのよ、

 ただ、人間には判らないだけで…』

そう人魚は言う。

『判らないって…

 じゃぁ何で俺はお前を話しているんだよ』

人魚のその台詞の矛盾点を俺は指摘すると、

『うふっ』

人魚は小さく笑いながら俺の正面に回りこむと、

そっと俺の首に手を絡ませ、

『それはねぇ…』

焦らしながら人魚は俺の首筋にキスをし、

ズキッ!

その瞬間、俺の首筋に痛みが走った。

『!!っ

 いま何をした!』

慌てて首を押さえながら俺は人魚を引き離すと、

ニヤッ

人魚は意味深に笑い、

『あなたに人魚の魂を植えつけてあげたのよ、

 やがてあなたは人魚になるわ、

 うふふっ、

 人間の手で作られたあたしの寿命はすぐに無くなっちゃうけど、

 でも、人魚の魂を受け継いだあなたはずっと長く生きていけるわ、

 無論、人魚としてね』

と俺に向かって囁く。

『なにっ

 お前、なんで…』

『ありがとうね、

 心を持たないバカな人魚の中からあたしを選んでくれて、

 これでも感謝をしているのよ』

驚く俺に人魚はそういうと、

『じゃねっ

 もぅ行かなきゃ、

 楽しかったわ』

と言い残すと、

スルリ

人魚は俺の前からすり抜け、

そのままどこかへと泳ぎ去ってしまった。



翌朝、

俺が眼を覚ますと人魚はボールの中で息絶えていた。

祭りなどで使われる人魚は養殖によって大量生産され、

そのために寿命も極めて短いのが当たり前であった。

まさに一晩限りの命である。

一方で水浸しになったと思っていた俺の部屋は、

何事も無かったかのように健在であった。

「夢?」

俺は祭りで掬ってきた人魚が見せたつかの間の夢かと思いながら、

小学生がするように人魚の亡骸を花壇の片隅に埋葬をすると、

「はぁ…

 やっぱ、人魚すくいの人魚じゃ、

 すぐに死んじゃうんだなぁ…」

とぼやきながら手を合わせた。



それから1週間後…

シャァァァァ!!!

『はぁはぁ

 はぁはぁ

 畜生っ

 どうすればいいんだよ』

俺は頭から水を被りながら途方にくれていた。

なで肩の幅乗せまい肩、

プックリと左右対称に膨らんでいる胸、

腰から下を覆う鱗と、

その腰から伸びる一本の魚の尾びれ…

そう、俺は人魚になってしまっていた。

パシャッ!

扇のように広がるヒレを目の高さに掲げ、

『うー…

 これじゃぁ歩くことも出来ないし、

 まさか、

 まさかこんな事が現実に起きるだなんて』

長く伸びた髪を背筋に払いのけながら俺は途方にくれていると、

『…だったら海に行きなさいよ…」

 …あたしが行けなかった海に…』

とヒレが伸びる俺の耳にあの人魚の声が響いたのであった。



おわり