風祭文庫・人魚変身の館






「貸し切り」


作・風祭玲

Vol.758





カタン…

『本日は午後5時で終了です』

入り口にこの札が下がる夕暮れの市営プール。

入り口上に掲げられた時計の針がゆっくり動いて5時を差すと、

程なくして最後の利用客が去って行き、

やがて業務を終えた監視員も帰宅の徒につくと、

ゴボゴボゴボ…

未だ波打つ屋内プールより水が抜かれはじめた。

ザザザ…

満々を水をたたえていた水は急速に水位を下げ、

やがて水の中に沈んでいた底が姿を見せてくると、

シャァァァァ…

複数の注水口より再びプールに水が注ぎ込まれ始め、

午後7時半を回るにはプールサイドを水が洗うようになった。

そして、午後8時。

カタン…

入り口には『本日貸切』の札が下がる。



シャァァァ…

夜の闇を抜け、

1台のスポーツサイクルに跨った少年が

市営プールの前を通り過ぎようとした。

「あれ?

 明かりがついている…

 今日の夜は無いって聞いていたけど…」

スポーツサイクルを止めた高田直充は市営プールを見上げながら、

「なんだ、やっているなら一泳ぎしてくるか」

と呟き、スポーツサイクルから降り立った。

時間は午後7時15分。



直充は高校1年の16歳。

水泳部に所属し、間もなく始まる大会のため、

今日も一日学校のプールで泳いできたのであった。

「すみませーん…

 あれ?

 誰も居ないのかな?」

開いていた事務所に顔を出して声をかけるが、

しかし、明かりが点る部屋には人影は無く、

ただ、監視用のモニターが無人の屋内プールを映し出しているだけだった。

「変なの…

 神津さんが居ると思ったんだけど…」

直充がこの街に家族と共に引っ越してきたのは今年の春。

と同時に直充はこの市営プールを拠点に活動しているスイミングスクールに通い。

プールを管理している職員とは顔なじみになっていた。

「誰も居ないのかな?

 まぁいいか」

部屋に明かりがついているにもかかわらず、

プールの何所にも職員の姿が無いことに直充は不審に思うが、

しかし、何か事情があってのことだろう。と判断すると、

そのまま男子更衣室へと向かっていった。

そして、Yシャツを脱ぎ、

まだ水が滴る競泳パンツに足を通した。



「おぉ、

 すげーっ

 マジで誰もいねーっ!」

競泳パンツにゴーグルを頭に上げた姿で

屋内プールに入った途端。

全く無人のプールの様子に感動の声を上げた。

「へぇぇ、

 貸しきりかよっ、

 こりゃぁ、明日の朝まで泳いでいるかな?」

ムンッ!

っと鍛え上げた肉体を揉み解すように、

直充は念入りな柔軟運動を行い、

それを終えるとスタート台の上に立った。

「へへっ」

口元を少しゆがめて小さく笑うと、

キュッ!

目にゴーグルをつける。

一瞬の沈黙をおいて、

タンッ!!

直充は宙に躍り出ると、

ザブン!!

華麗な軌跡を描いて水の中へと飛び込んだ。

だが、

「ぐぇほっ!

 ゲホゲホゲホ!!!」

瞬く間に激しく咳き込みながら水面から顔を出すと、

「うげぇぇぇ!!

 しょっぱいっ!!

 なんだこりゃぁ?

 しっ塩水だこれぇ?」

と思いっきり叫んだ。



チャプン…

「どっどーなっているんだ?

 なんで塩水になっているんだよ」

満々とたたえるプールの水を見ながら直充は浮かんでいると、

「あはは…」

「へぇそうなんだ…」

「でねでね」

と女性の声が聞こえてきた。

「え?

 女の人?」

突然響いてきたその声に直充は気付くと、

「あら、

 先客よぉ」

と女性も直充の存在に気付いたのか声を上げた。

そして、その声を聞いた直充が振り返った途端。

「いっ!」

その表情が一気に硬直をしてしまった。



「うふふふっ」

「なぁにを見ているのぉ?」

「きゃはっ」

20代だろうか、

プールサイドに立つ女性は3人であったが、

何よりも直充を驚かせたのは、

彼女達が水着も何も身に着けていない全裸だったからだ。

「うわっ、

 なんだよ、

 ぬっヌードぉ?

 ちょちょっと待って!」

急速に元気になってくるムスコを押さえ込みながら、

直充は戸惑っていると、

「あはは…

 見てみて、

 彼、真っ赤になっているぅ」

と女性の一人が直充を指差すと、

「だめよっ、

 からかっちゃぁ」

その隣の女性がたしなめた。

そして、

ジャブン!

ジャブン!

ジャプン!

3人が一斉にプールに飛び込むと、

潜ったままプールの淵に沿いながら泳ぎ始めた。

「なんだ?

 あいつら…

 全然息継ぎをしないで潜ってやがる…」

既に5周以上水面に顔を上げずに泳ぎ続ける彼女達の姿に、

直充は困惑するが、

キラッ!

その時になって彼女達の足元が光り輝いているのに気がつくと、

「え?

 なに?」

思わず目を疑った。

「何か光っている…

 確か水着はなにも着けていなかったはずだけど」

そう思いながら目を凝らしていると、

女性達は時には手を繋いで横に広がったり、

また、競うように縦になって早く泳ぎながら、

次第に直充に近づいてきた。

そして、

まるで取り囲むようにグルグルと泳ぎ始めたとき、

彼女達の下半身には人間の足はなく、

魚のように鱗を輝かせる尾びれが続いていたのであった。

「え?

 なに?

 にっ人魚ぉ?」

それを見た直充が思わず声を上げてしまうと、

ギュッ!

突然、足を掴まれ、

一気に引っ張れらた。

「うわっ」

ガボボッ!!

まさに一瞬の出来事であった。

女性、いや人魚の一人に足を掴み持ち上げられた直充は

一気に水の中に引き込まれてしまうと、

もがき苦しみ始めた。

すると、

チュッ!

柔らかい感触が直充の唇に当たり、

その途端、急に息苦しさが消えてしまった。

『あ…あれ?』

まるでシールを台紙から剥がしたかように

消えてしまった苦しさに直充は呆気に取られていると、

『うふっ』

『うふふふ…』

水中の直充の周りには翠の髪を靡かせ、

腰から下を朱色の鱗で埋め尽くした人魚達が

笑いながら漂っていた。

『人魚…』

改めてに見る人魚の姿に直充は目を丸くしていると、

『さぁ、

 おいでよ』

『あたしたちと一緒に泳ごう』

と人魚達は手を伸ばし誘ってきた。

『え?

 あっ

 うっうん』

人魚のその誘いに直充は頬を赤らめながら、

足に力を入れようとするが、

『あれ?』

なぜか足には力が入らなく、

また、底に足を着いて立とうとしても、

スルッ…

スルッ…

っと足先が滑ってしまい、

満足に立つことが出来なかった。

『なっなんで?

 さっきまで立てたはずなのに』

そう思いながら直充は自分の腰を触ってみると

その指の先からは滑らかだけど、

硬く、

そして、肌を埋め尽くしているものの存在が伝わってきた。

まるで魚を触ったようなその感覚に

『え?』

直充はあわててプールから上がろうとするが、

ファサッ…

翠色の髪が身体にまとわりついてきた。

『なんだこれぇ

 俺ってこんな長い髪にしていなかったぞ』

いつの間に伸びたのだろうか。

短髪だったはずの髪は腰まで伸び、

ユラユラと水中を漂っている。

すると、

ギュッ!

いきなり手を掴まれると、

グィッ!

直充は人魚達に手を引かれ

プールの淵に沿って引っ張られてしまった。

『ちょちょっとぉ』

自分の手を引く人魚に向かって直充は声を上げるが、

スィッ

別に人魚が真横にぴったりとついてくると、

『ふふっ、

 これなぁんだ?』

と言いながら朱色に白いストライプが入るある物を見せる。

『あぁ!!

 それは、俺の競パン!!』

それを見た途端、直充は声を上げるが。

『もぅあなたには必要ないわね』

と人魚は告げると、

プールサイドの方へと放り投げてしまった。

『あぁ!

 俺のぉ!』

それを見た直充は怒鳴るものの、

あわてて自分の股間を触って見ると、

下半身は完全に一体になってしまってた。

さらに、胸筋が盛り上がっていたはずの胸も

まるで女性のように盛り上がり、

プルン!

二つのバストが身体の動きにあわせてゆれていた。

『そんな…

 そんな…

 おっ俺…

 人魚に…』

認めたくない現実を突きつけられ、

直充は混乱してくる。

すると、

パッ!

いきなり握られていた手が離されてしまうと、

スィーッ!

人魚達はプールサイドへと向かい、

水中からプールサイドに上がっていった。

ところが、水から出た途端。

彼女達の下半身は人魚の尾びれから、

人間の二本の足に変化し、

何事も無く歩き始めた。

『そっそうか、

 水から出れば元に戻るのか…』

それを見た直充も彼女達と同じように上がろうとするが、

『え?

 なんで?

 どうして?』

水から出たにもかかわらず直充の身体は変化はしなかった。

『そんな…

 そんなぁ…』

鱗を輝かせる自分の下半身を見詰めながら直充は困惑していると、

「じゃぁね」

「ばいばい」

「またね」

という声を残して人魚から人間に戻った女性達は

プールサイドをぐるりと回り立ち去っていた。

『あっ待って!

 待ってください』

そんな彼女達を追いかけ、

ザブンッ!

直充はプールに飛び込み呼び止めようとするが、

だが、彼女達は直充を置いて更衣室へと向かっていくと、

そのドアを閉めてしまった。

『そんなぁ…

 置いていかないで下さい…

 どうすればいいんですか?

 にっ人魚のままなんですよぉ

 責任を取ってくださいよぉ』

程なくして電気が消されると、

屋内プールは闇に包まれる。

だが、プールの中には一人取り残された人魚がひとり、

いつまでも浮いていたのであった。



おわり