風祭文庫・人魚変身の館






「ガラスの人魚」
(前編)



作・風祭玲


Vol.739





昼間、灼熱の輝きを放っていた太陽だったが、

時の経過と共に次第に力を失い、

やがて深紅の輝きを放ちながら南海の海へと消えていく、

そして、夕闇が迫り始めた頃、

香川慶介は一人で島の海岸通りをブラブラと歩いていた。



10回目の結婚記念日はこの島で祝おう。

新婚初夜を同じこの島で過ごした慶介と妻・杏奈はそう約束し、

そして、その約束を果たすために再び訪れていたのであった。

「やれやれ、

 この島とも今夜でお別れかぁ…

 明日には成田行きの飛行機に乗って、

 まぁた忙しい日々の始まりかぁ

 はぁ、仕事溜まっているだろうなぁ…

 あぁ帰りたくねぇなぁ…」

慌しい喧騒から離れた7日間は

慶介にとってつかの間の安らぎであったが、

だが、それも今夜限り。

明日の昼には島を離れ、

また、喧騒とストレスの真っ只中へと戻っていくのであった。

「はぁ…

 杏奈もなぁ…

 昔はもっと気が回ったものだけど…」

ふと立ち止まった慶介は

道路から見える暗い波間を眺めながら、

帰国後、

彼を待ち受けているであろう職場のことや

すれ違いが目立つ家庭内のことなどを

思い浮かべた途端、

その表情は一気に曇る。

そして、

「はぁ…」

大きくため息をつくと、

再び歩き始めだした。



程なくして慶介は

海岸道路沿いに土産物店が立ち並ぶ一角へと入っていく。

「っと、

 なにか土産物でも買っていくか…

 手ぶらで帰国…と言うのもアレだからな」

様々な店が放つ幻想的な光に魅入られながら、

慶介はそう思うと一軒、一軒、

丹念に土産物屋をチェックし始める。

だが、

「うーん、

 どれもこれも…

 ってなんだ?

 "xxに行ってきました。"クッキー?

 おいおいっ

 いくら日本人が多いからって、

 これは無いだろう…」

日本の観光地なら必ずあるであろう包装に包まれた

土産物に思わず呆れ顔をすると、

「ナッツ入りのチョコ(これって世界共通?)もパス!

 なんか、

 もっと記念になりそうなもの…は無いかな?

 と言っても、

 ありきたりのものはつまらないし

 ここだけのオリジナル品!!」

とこの島での思い出をいつでも思い浮かべられそうな、

ユニークな土産物を求めて慶介はさ迷い歩く。

だが、めぼしい物には出会えずに

東洋と西洋が消化不良を起こしたような土産物屋街を通り過ぎてしまうと、

あたりは急に暗くなった。

「ちぇっ、

 ここで終わりか…

 この先には何もなさそうだし、

 仕方が無い、

 ホテルに戻るか。

 土産物なら杏奈がブランド品をいっぱい買い込んでいるだろうし

 それでいいか…」

ポケットの中に忍ばせていた現地の紙幣を軽く握り締め、

慶介は引き上げることを決めると、

トトト…

っとクルマが切れたのを見計らって

道路の反対側へと渡った。

とそのとき、

「あれ?」

慶介の目にユラユラと輝くかがり火に照らし出される、

古びれたレンガ造りの建物の姿が飛び込んできた。

「うわっ、

 何だこれぇ?」

驚きながら、

慶介は”黒蛇堂”を書かれた重厚そうな看板が掛かる建物に近づき、

そして、見上げていると、

ギィ…

正面の扉がゆっくりと開いた。

そして、

『ほっほっほっ

 判りました。

 黒蛇堂殿は例の場所へと向かわれたのですね。

 では、早速向かってみます』

この建物の中に居るであろう誰かに向かって話しかけながら

中肉中背、紫がかったチャンチャンコを羽織った

和装をした男が後ろ向きで扉から出てくると、

『おんやぁ?』

慶介と顔が合う。

「え?

 和服?

 日本人か?

 ってなんで」

この場にはあまりにも場違いな男の服装に、

慶介は呆気に取られてしまうと、

『おやおや、

 早速お客様ですかぁ?

 黒蛇堂殿も繁盛しますなぁ』

と男はしゃくれ顎を突き上げてそう言い、

そのまま両袖で顔を隠すと、

そのまま夜の闇の中へと消えて行った。

「ふ〜ん、

 ここって日本人が経営している店か」

男が姿を消した辺りを眺めながら慶介はそう思うと、

閉まろうとする扉に手をかけ、

そのまま建物の中へと入っていった。



慶介が建物の中に入った途端、

フワッ

奇妙な気配が慶介を一瞬包み込むと、

パッ

っとそれが離れ、

その途端、

ポ・ポ・ポッ

店内を照らし出すように

各柱から明かりが点灯し輝き始める。

「うぉっ、

 すげー仕掛け…

 なんか凝っているなぁ」

一瞬、魔術を思わせる演出に慶介が驚いていると、

『ニイハオ!

 ようこそ、黒蛇堂へ、

 ミスター慶介』

バスローブに似た黒い衣を羽織った老人が姿を見せるなり、

微笑ながら話しかけてきた。

「え?」

老人の口から出たその言葉に慶介は驚き、

そして、

「(なんで俺の名前を知っているんだ?

  まだここに来てから1分も経ってないのに…

  つーか、

  この爺さん、随分と洋風の格好をしているじゃないかよ)」

と老人を見つめながらそう思うと、

「爺さん、

 なんで爺さんが俺の名前を知っているんだ?

 まだここに来たばっかりなのに」

驚きながら尋ねた。

すると、

老人は目をきょろきょろさせながら周囲を見た後、

『教えて進ぜよう、

 なぜ私が君の名前を知っているのか、

 それは私が魔法使いだからなのだよ、

 魔法使いの私にとって、

 君の名前を知ることなど…

 ふふ、大したことではない』

ズイっと慶介に迫りながらそう答えると、

「なぁるほど」

老人に威圧されるように慶介は肩をすくめると

感心した様に返事をする。

ところが、

『とはいっても、信じてはくれないか…』

迫っていた老人はいきなりため息交じりにそうつぶやくと、

『これまでも多くの客がそのドアを開けて、

 この店にやってきて、

 そして、私のいまの説明をした途端、

 そそくさと店を出て行く…

 はぁ、寂しいものよのぅ』

と体の力を抜き丸めた背中を慶介に見せる。

「それはそうでしょう、

 いきなり迫られて、

 私は魔法使い。なぁんて言われれば、

 誰だって引きますよ」

棚に置かれている品物を見渡しながら慶介はそういうと、

老人は一瞬目を光らせ、

『だが、

 さっき、私が話した事は本当だ、

 私は魔法使いだ。

 その証拠に君が私の店に来た理由を…』

と言い始めたところで、

「まぁまぁ、

 爺さんとノンビリとゲームをしている暇は俺には無いんだよ」

慶介は痺れを切らしたようにそう切り出すと、

「なぁ、爺さん、

 なにか面白いものは無いかな?

 俺、土産になる物を探しているんだよ」

日本語が通じる気軽さからか、

慶介は老人に問い尋ねた。

『ふーむ、

 土産物とな』

慶介の言葉に老人は顎に手をあて考え込むと、

「なんだよっ、

 この店って土産物屋なんだろう?

 いろいろ変なものが置いてあるじゃないかよ」

土産物屋の主人とは思えない老人の態度に

慶介は少し不安になりながらそういうと、 

「明日には日本に帰らないとならないんだよ」

と付け加える。

そして、

「はぁ…

 とは言っても本音では帰りたくないけどね」

と漏らしてしまうと、

『ふむ、

 何かあるのかね?』

老人は慶介が漏らした言葉を聞き逃すことなく、

その意味を尋ねてきた。



「え?

 はぁ…まぁいいか、

 実はさ…」

老人のその言葉に釣られるように、

慶介は仕事上の悩みや、

妻・杏奈との夫婦生活の悩みなどを思わず打ち明けてしまうと、

『なるほど、

 そういうことか。

 まぁ誰も似たような悩みは抱えるものだよ。

 この私でさえも悩み事は尽きない。

 君が抱えている様々な悩みに関しては

 私が直接的に手助けをすることはできないし、

 まぁそういう時は環境を変えてみるのも手だが…』

と、老人は言ったところで言葉を止め、

『ふむ…環境か…』

何か考えながらそう呟くと、

『ほら、あそこの棚の上。

 あの棚の上に置いてあるものが、

 君の生活環境を変えることが出来るな…

 まぁ、君が何所まで望むかは判らないが」

と老人は店の中の棚を指差した。

「あれ?

 ですか?」

老人が指差した棚を見ながら、

慶介は覗き込むと、

キラ☆

そこには明かりを受けて輝くエキゾチックなケースに入った

一つのガラス細工が置かれてた。

「なに?」

少し離れているために詳細は判らないが、

だが、女性か何かを形どったガラス細工を慶介が見つけると、

フワッ

老人は身軽に飛び上がり、

ヒョイッ

っとケースごとガラス細工を手に取る。

「………」

飛び上がると言うよりまさに宙に浮かんだ。

と言ったほうが正しい老人の動きに

慶介の目が点になると、

『ははは…

 私は魔法使いだと言ってるだろうが』

と老人は笑って見せ、

カウンターの前にそのガラス細工を置いてみせる。

「これは…」

ケースの中で輝くガラス細工をしげしげと見つめながら、

慶介が尋ねると、

『これはこの島の海を象徴するガラス細工…

 とでも言っておこうか。

 如何かな?』

と老人が説明をする。

「なっ中を見てもいいか?」

その説明を聞きながら慶介は老人に尋ねると、

『どうぞ…』

老人はそう答えてケースを開け、

人魚を形どったエメラルドグリーンのガラス細工を手に取ると、

慶介に手渡した。

そして、

『じっくりとご覧ください』

そう老人は告げると、

慶介は慎重に、

そして、壊さないように注意しながら、

ガラスの人魚を見詰めた。

「はぁ…

 すげー細かいなぁ…

 特にこの鱗。

 一枚、一枚植えたのか?

 つーか、

 まるで生きている人魚をガラスにしたみたいだ」

大きさは手のひらに乗る程度の小ささだが、

だが、その緻密さ、

豊かな表現力に慶介はただ感心すると、

「腕のいい職人が作ったのですね…

 この島にこれほどの物を作ってみせる職人が居ただなんて、

 うーん、

 勉強不足だぁ」

慶介は自戒の意味も込めて軽く頭を叩いて見せる。

すると、

『気に入ったかい?』

老人はそう話しかけると、

ピタッ

慶介の手の動きが止まり、

「で…」

と何かを尋ねるようにして老人を見た。



二人の会話が止まり、静寂が店内を包み込んだ。

1分、

2分、

3分、

そして、5分後

その静寂を破るようにして、

「いくらだ?、

 爺さん?」

と慶介が人魚の値段いついて尋ねると、

『では逆に私が尋ねる、

 このガラス細工の人魚の価値…

 如何ほどと思うか?』

今度は老人が聞き返してきた。

「うっ

 客に値付けをさせる気か?」

老人の問いかけに慶介は身を引くと、

「ふっふっふっ

 この店の主なら金銭ではなく別の代償を求めるが、

 私はそうはしない。

 さぁて、一頭の駿馬に金10枚の値をつけた男が昔おったが、

 おまえさんはこのガラスの人魚に幾らの値をつける?」

老人は慶介に迫ってきた。

『ぐぐっ

 って爺さんっ

 この店はあんたのじゃないのかよっ』

迫る老人から逃げるようにして慶介は尋ねると、

『ふふっ

 私のことかぁ?

 私は言うなればただの店番じゃっ

 さぁ、このガラスの人魚。

 幾らだと思うかっ』

慶介の質問に答えながらも老人はさらに迫ると、

「くぅ…

 50元…

 80元…

 100元…

 にっ200元かぁ…

 いやっ、

 さっ300元!

 え?

 ごっ500?!

 500元でどうだ?」

険しいままの老人の表情に押されるように、

慶介はポケットの中から次々と紙幣を取り出し、

老人に向かってそう値付けをすると、

ついに500元を言う大金を提示して見せた。

すると、

パッ!

一瞬の間を置いて慶介の手から紙幣が消え、

「ガラス細工の人魚、

 お値段、500元

 毎度ありぃ〜」

の声を響かせながら

老人は指先をなめつつ紙幣の枚数を数え始める。

そして、値段どおりの紙幣があることを確認すると、

手際よくガラスの人魚を薄紙にくるみ

さらにケースに入れると

それをボール紙で出来た箱へと入れた。



『さぁて、

 これで売買契約は成立。

 私と君との縁もこの人魚を手渡した時点で切れる。

 ふっふっ、良い買い物をしたなっ

 その人魚は500元以上の価値を君に与えるであろう。

 だが、その前に警告を2つしておこう。

 一つ、このガラスの人魚は決して日の光に当てない。

 一つ、このガラスの人魚は決して水に濡らさない。

 以上だ』

慶介に向かって老人はそう告げると、

ズイッ

っと手にした箱を押し付ける。

「え?

 それってどういう意味ですか?」

老人の警告について慶介が聞き返すと、

『さぁな、

 君が悩み苦しみから逃れず、

 これまでどおりの生活を送りたければ、

 いまの戒めを守れ。

 そうでなければ…

 …自分で考えな』

突き放すように老人は答えると、

「?

 まぁいいかっ

 ありがとうよ、爺さん。

 おかげでいい土産が買えたよ」

老人に向かって慶介はそう礼を言うと、

黒蛇堂から立ち去っていった。



『さぁて、

 あの者…どうするか…

 ふふっ

 人としての生き方を捨てるのも由。

 それとも人のままの生活を続けるのも由』

慶介が去った後、

窓越しに老人はそう呟くと、

チラリ…

あのガラスの人魚が置かれていた棚を見つめ、

『人魚としての生き方も

 なかなか捨てたものじゃないと聞くが』

と言いながら

波しぶきが掛かる岩の上で

誘惑的なポーズを取る若々しい人魚の姿が描かれてている

古びれたポスターを見詰めていた。




タッタッタッ

黒蛇堂を出て夜の街に戻ってきた慶介は

街のネオンに誘われること無く一直線にホテルへと戻っていく。

「ふふっ、

 杏奈の奴、

 これを見たら驚くだろうなぁ…

 あいつ、

 昔っからこういうのが好きだったし」

先ほど黒蛇堂で購入したガラスの人魚細工を見たときの

彼女の反応を一刻も早く見たくて慶介は道を急ぐ。

そして、

「…そうだ、

 夕食はまだだったよなっ

 ようしっ

 この人魚を窓際においての夕食。

 なかなかじゃないか」

人魚の窓辺に置いてのロマンチックな夕食風景を思い浮かべながら、

慶介はホテルに入ると、

杏奈が待つ部屋へと向かうべく、

エレベータのスイッチを押した。



「ただいまぁ…」

その声と同時に慶介は部屋に戻ると、

「あら、お帰りなさい

 何所行っていたの?」

ベッドの上で静かに休んでいたのか

杏奈は起き上がりながら尋ねる。

「あぁ、ちょっとな…」

ロングの髪が軽く梳きながら尋ねる杏奈から視線を外し、

慶介ははぐらかす様に返事をすると、

「今夜でおしまいだな…」

と言いつつ窓の傍へと近寄り、

そこから見える夜景へと視線を移した。

「(黒蛇堂ってあの辺だっけ、

 あの爺さん。
 
 本当に魔法使いだったのかな)」

夜景を見ながらふとそう思っていると、

「あっあのさっ、

 実はな…」

と言いながら慶介は再び杏奈の傍により、

そして、彼女の傍に腰を下ろした。

「なによっ

 変に改まって?

 ん?

 何か買きたの?」

座ると同時に軽く鳴ったビニールの音に杏奈が気づくと、

持っているものについて好奇心旺盛に尋ねた。

「あぁこれ?

 ほらっ、

 今度の旅行の記念にと思ってね。

 そこの道をまっすく進んだ街外れに

 黒蛇堂って漢字の看板が掛かる店があってな、

 そこで買ってきたんだよ」

とおどけながら慶介はそれが土産物であることを杏奈に告げた。

すると、杏奈は困惑した顔つきをすると、

「そっちって今日の昼間行ったけど

 そんな店ってあったっけ?」

と首をひねりながら言う。

「え?

 あったよ、

 俺、そこで2時間近くを過ごしてきたんだからさ」

慶介はそういうと、

「ほらっ、

 そこでこれを買ってきたんだよ」

と言いながら、

慶介は手にしていた袋を開けると小さい白い箱を引き抜いて見せる。

そして、

「いやぁ、

 店番をしている爺さんが面白くてな

 自分のことを魔法使いだって言うんだよ。

 無論、俺は彼を信じないけどさ、

 でも店にはいろいろ見たことも無いものが置かれていてな、

 その中でこれは…

 というガラスの彫刻を見つけて買ってきたんだよ」

作り笑いながら慶介は杏奈に手にした箱を手渡した。

ガサッ

杏奈は手渡された箱をあけると、

中から出てきた薄紙の包装を解いた。

すると、

キラ☆

彼女の手の上に

あの人魚のガラス細工が姿を見せると輝いて見せるが

「………」

彼女の口からは何の言葉も出なかった。

「どうだ?

 なかなかのものだろう?」

そんな彼女に慶介はそう尋ねると、

「…幾らしたの?」

と慶介を見ずに逆に値段を尋ねてきた。

「え?」

てっきり喜んでくれるだろうと思っていた慶介にとって

杏奈からの言葉は予想外のものであり、

「いやっ

 そっそうだな…

 幾らだっけか?」

と答えをはぐらかしてみせるが、

ジッ

自分を見つめる彼女の冷たい視線を感じると、

「あっ思い出した。

 それはな。

 うんフィフティーン元だったよ。

 あはは、そうたった150元。

 もちろん人民元での150元だよ、

 安いだろう?」

杏奈の反応から500元とは言えずに

150元と冷や汗を掻きながら慶介は値段のことを説明する。

「うっそぉ!」

それを聞いた途端、

杏奈はさらに驚き、

そして、額に手を置くと、

「まったく、

 無駄遣いしてぇ」

と呆れた声を上げた。

「なっ」

それを聞いた慶介がムッとした表情をすると、

「お前だって、

 ブランド品をいっぱい買い込んだじゃないかよっ

 それに比べれば俺の人魚は安いものだよ」

と皮肉を込めて言い返した。

すると、

慶介の言った言葉にカチンと来たのか、

「あのねっ、

 あたしのはどれも必要なものなのっ

 ただの飾り物とは違うわ」

杏奈も負けじと言い返す。

「あのなぁ、

 お前が買ったもので実際に使っているものなんて、

 どれくらいあるんだよ。

 みんなクロゼットの肥やしになっているじゃないかよ」

「ストープっ

 判ったわ。

 これ以上話をしても時間の無駄。

 折角の雰囲気が台無しだわっ

 この人魚は慶介のモノ…

 あたしは一切干渉はしません。

 それでいいでしょう?」

と泥沼の一歩手前で杏奈は話を打ち切ると、

ガラスの人魚を慶介に押し付け立ち上がる。

そして、

チラリと慶介の方を見ると、
 
「ねぇ、

 あたしたち、

 性格の不一致が大きいとは思わない?」

と意味深に尋ねてきた。

「知るかよっ」

そんな杏奈の言葉に慶介は横を向くと、

「ちぇっ、

 人魚が汚れてしまったよ」

と小言を言う。

「なんですってぇ!」

その小言に杏奈が怒り始めると、

「キチンと荒って明日返してくればいいんだろう?」

と投げやりに言いながら、

慶介はバスルームへと向かい、

そのままガラスの人魚を湯船の底に置くと、

ジャァァァ!

容赦なく水を掛け始めた。

すると、

「ちょっとぉ、

 汚れたっ

 どういうことよっ!」

慶介を追いかけて杏奈がバスルームに押し入り、

そのまま慶介の胸倉を掴み上げた時、

パキン!

何かが割れる音が湯船から響き渡った。

「え?

 割れたぁ?」

その音に慶介は杏奈を突き飛ばすなり、

慌てて湯船に近寄ると、

シュパァァァン!!

水が注ぎ込まれる湯船から、

エメラルドグリーンの光が煌々と輝き、

その光の中より何者かがゆっくりと起き上がって来るのが見えた。

「うわっ」

「きゃっ!」

さっきまでの険悪な空気などどこかに置き去りにして、

慶介と杏奈は後方にジャンプをすると、

互いにしっかり抱き合い、

そして畏怖しながら

目の前で起きている光景をじっと見詰めていた。

シャァァァ!!

湯船からほとばしる光は強弱を繰り返しながら、

徐々に消えていくと、

フサッ…

美しい翠色をした髪の毛と思えるものが、

湯船のふちから零れ落ち、

そして、その先には、

うら若き女性と思える人物がぐったりとした姿で

湯船の淵にもたれ掛かっていた。

「おっ女?」

「だっ誰よ…」

突然姿を見せた女性に二人は体を震わせながら、

恐る恐る近寄っていくと、

上から女性を見下ろしてみた。

「まっマジかよ…」

「うわぁぁぁ…

 本当に人魚?」

水の張った湯船の中に居るのは

輝くような翠色の髪に

透き通るような白い肌。

そして、ボリュームのある胸と

腰から下は七色に輝く鱗に覆われ、

長さ1メートルにも及ぶであろう魚の尾びれ…

まさしく、それは人魚そのものであった。

「いっ生きているのかな?」

「さっさぁ?」

決して広くは無い浴槽の中を

とぐろを巻くようにしてもたれ掛かる人魚を見詰めながら、

慶介と杏奈は囁き会うと、

意を決した慶介は手を伸ばし、

湯船から零れ落ちる人魚の髪を軽く引っ張ってみた。

すると、

『うっ!』

慶介の行為で目を覚ましたのか、

人魚の目がかすかに動き、

そして、ゆっくりを目を開けると、

ハッ!

何かに気づいたのか、

慌てて顔を上げ、

キョロキョロと周囲を見回し始めた。

「うわっ

 いっ生きているよぉ」

「あっそっそうだな」

人魚が生きていることに杏奈は声を上げると、

なだめるようにして慶介は杏奈を抱きしめる。



つづく