風祭文庫・人魚の館






「年越し夜話」



作・風祭玲


Vol.562





「お疲れ様でーす」

「おうっ」

「先輩、よいお年を…」

「はい…よいお年を…」

挨拶をし次々と退室していくスタッフを僕は次々と送り出してゆく、

12月31日、お昼からの雪がやっと止み、

白く化粧をした入り口には休館の案内と注連縄が飾られる。

明日・元日はこのシーワールドの数少ない休館日だった。

日は既に没し、

寒風が吹きぬけるここに訪れる訪問者はもういない。

「じゃぁ何かあったら守衛室までお願いします」

僕たちと一緒に年を越す守衛の守山さんが守衛室の控え室に引っ込むと、

残ったのはここで世話をしている海獣たちと一緒に年を越すことになる

当番の飼育員である僕・勝俣忠のほか数人だ。

カチ

カチ

逝く年の残り時間を刻む時の音を聞きながら、

残った僕達は宿直室で年末恒例のTV番組を見ていると、

「あっ!」

突然、イルカ担当の穂積美咲が声を上げた。

「ん?」

「どうした?」

彼女のあげた声に訳を尋ねると、

「うっうん…

 大したことじゃないんだけど…

 イルカのプールにちょっと忘れ物をして…

 ちょっと取り行ってくるね」

その質問に彼女はそう答え、

タタタっ

っと宿直室から飛び出していった。

「あん?

 イルカのプールに忘れ物?」

彼女のその言葉に僕達は顔を見合わせると、

「そういえば穂積さんって不思議な娘だよなぁ…

 ここに入ってスグにイルカ達と芸ができるようになって、

 さらに、ほかの海獣達の病気なども見抜いたりもしたし、

 彼女…動物と話せるのかな…」

この中で一番年配の加藤さんがふとつぶやいた。

加藤さんの話を横で聞きながら僕は急須に湯を注ぐと、

「たまたま偶然が当たったまででしょう」

そう言いながらお茶の入った湯飲みを手渡す。

「おぉ、さんきゅー

 でも、

 彼女見ていると、

 ほらっ

 御伽噺の人魚姫を思わせるよな」

「えーそうですか?」

「あぁ、

 なんか、人間とは違う。

 そう、海から来た。

 そんな感じがするんだよなぁ」

湯飲みを啜りながら加藤さんはしみじみとつぶやくと、

「さて、マッキー達の様子でも見てくるか」

背伸びをしながら僕は担当であるセイウチのマッキーが居る檻へと向かった、



グォォォ…

「おーぉ、

 幸せそうな顔をして…」

コンクリート造りの檻の中でその巨体を横にするマッキーの姿に

僕は一安心すると、

「そういえば、お前も穂積さんの世話になったんだよなぁ…」

とこの夏、調子を崩したマッキーの世話を穂積さんがしたことを思い出す。

「確かに、獣医でも気がつかなかった原因を

 穂積さんはまるでマッキーと会話するようにして見つけ出し、

 そして、手際よく処置をした。

 あの時は獣医も舌を巻いていたっけ…」

真夏の騒動を思い出しながら僕は宿直室に戻ろうとしたそのとき、

パシャーーン!!

イルカのプールから何かが飛び跳ねる音が響き渡った。

「え?

 イルカのプールから?」

除夜の鐘も響き渡り始めたこんな夜更けに響く音に、

僕は訝しがりながらイルカのプールに足を向け、

「そういえば、穂積さん

 イルカプールに行ったんだよなぁ

 何をしているんだろう」

忘れ物をとりに行った穂積さんのことが気になると、

「なに…

 やっているんだ?

 アイツ…」

穂積さんがイルカをプールに放したのだろうと思いながら、

プールに続くドアを開けた。

すると、

『じゃぁ今度はあたしね』

穂積さんの声が響くと、

パシャッ!!

バジャーーン!!

雪を降らせていた雲が消え、

煌々と輝く下弦の月明かりに体を輝かせながら、

プールの中より夜空に向かって人影が高く飛びあがると、

ほどなくして水しぶきを上があがる。

「んなっ」

それを見た僕は思わず自分の目を疑った。

なぜながら、飛び上がった人影は上半身こそ人の姿をしていたのだが、

しかし、その下半身には二本の足はなく、

一本の魚の尾鰭となっていたからだ。

「なんだ?」

僕は幾度も目を擦り、

そして目を瞬かせながらプールのふちへと走ってゆく、

その途端、

『誰!!』

プールの中より穂積さんの声が響くと、

「穂積さん、

 プールの中に居るの?

 どうしたの?

 中に落ちたの?」

と尋ねながら

カチッ

手にしていた携帯電灯に明かりを灯した。

すると、

『きゃっ!!』

突然の光に思わず手を上げる穂積さんと、

彼女の周りを取り囲むイルカ達の姿が闇の中に浮かび上がった。

「え?

 えぇ?」

透き通るような翠の髪と水面より肩の肌を晒す穂積さんの姿に

僕は戸惑っていると、

バシャッ!!

いきなり僕の足元に水の音が響き、

それと同時に

ガブッ!!

何かが噛み付く。

「うわっ」

まさに一瞬のことだった。

プールの中から飛び出してきたイルカが僕の足に噛み付くと、

一気にプールの中へと引きずり込んだのだ。

そして、引きずり込むのと同時にイルカは

プールの中を速い速度で泳ぎまわる。

ガボガボガボ!!

イルカの物凄い力に僕は翻弄されていると、

『クール!!

 やめなさい!!』

穂積さんの声が響く、

すると、

『いーのかよっ

 こいつ、お前の姿を見たんだよ、

 始末しないとまずいだろう』

とその声に答えるように男の声が響くと、

『だめっ

 勝俣さんはあたしの仕事仲間よ、

 クールだって知っているでしょう』

と穂積さんの声。

その後、

『そーよっ

 クールっ

 いきなりは反則よ、

 こういうときはまず話し合わなければ…』

『ホント、ホント、

 一応、世話になっている人なんだから』

『恩を仇で返すことはイルカとしてみっともないぞ』

別の男女の声が次々と響いた。

「なっなんだ…

 この声は…

 イルカだってぇ?

 あはは…

 なんだ?

 あいつ等がしゃべっているのか?」

遠のいていく意識の中で

僕はここで飼っているイルカ・クール、ミヤコ、シルク、ジャージ

の4頭が会話をしているような錯覚に陥りながら気を失ってしまった。



『…さん

 勝俣さん…

 しっかりしてください勝俣さん』

「ん?

 んん?」

深い眠りから呼び起こされるようなその声に僕は気がつくと、

パッ!!

閉じていた目を開ける、

すると、

『大丈夫ですか?

 勝俣さん』

僕の視界いっぱいに穂積さんの顔がアップで迫ると、

「え?

 あっあぁぁ!!」

僕はあわてて飛び起き、

そして、目の前に居る穂積さんの姿を見てさらに驚いた。

「ほっ穂積さん…

 その姿は…」

月明かりを受けて輝く穂積さんの姿は、

体を覆い尽くすように伸びたほんのりと輝く翠の髪、

そして、腰から下は朱色の鱗に覆われた一本の尾鰭…

そう、まさしく、

”人魚”

の姿をしていたのであった。

『あっ』

僕の指摘に穂積さんは手で

体の下から広がる尾鰭を隠すしぐさをすると、

『ごめんなさい…』

と一言僕に謝る。

「え?」

穂積さんの口から出た言葉に僕はさらに驚くと、

『あたし…

 みんなをだましていました…

 穂積美咲と言う女の子ではないのです。

 見てのとおり、人魚なのです』

と僕に話し始める。

「は?

 何を言っているんだ?」

穂積さんの話に僕は唖然とすると、

『海の中からここはいつも見ていました。

 人間もそうですが、

 ここで面倒を見てもらっている

 イルカ達やアシカやセイウチも楽しそうで、

 それで…
 
 あたしも、お手伝いできたら…

 と思って…

 あの…

 本当にすみませんでした…』

穂積さんはそう言うと僕向かって頭を下げ、

そして、その頬には光るものがゆっくりと流れる。

「いやっ

 あの…

 そういうわけじゃ…」

肩を震わせる彼女の姿に僕は戸惑い、

そして、

「いっいいんじゃない…かな?

 人魚が居たって…

 それに、僕だって君には色々世話になっているし、

 ほっほらっ

 夏のマッキーの時、

 君の的確な処置がなかったら

 マッキー、大変なことになっていたんだから、

 いや、

 僕こそ君に頭を下げなきゃいけないんだよ、

 この1年、お世話になりました。

 来年もよろしく」

俯く穂積さんに向かって僕は手を差し伸べると、

『いっいいんですか?』

穂積さんは驚きながら僕を見る。

「別に…

 だって、ここはイルカやアシカ達が

 好きな人が集まっているところ、

 人間だろうと人魚だろうと変わりはないよ」

と僕は彼女に言うと、

『あっありがとうございます』

顔中に満面の笑みを湛えた穂積さんは僕に抱きつき、

そしてキスをしてくれた。

甘い潮の香りのする不思議なキスだった。



翌朝…

ガチャッ

「明けましておめでとう、

 マッキーっ

 今年もよろしくな」

新年の挨拶をしに僕はマッキーの檻に行くと、

『はいはい

 こっちこそよろしくね』

マッキーの口から返事が返ってくる。

「え?」

遭い得ないはずのその返事に僕が驚くと、

『ふふっ

 やっと言葉が通じたみたいだね、

 人魚さん』

ムクリ

マッキーは巨体を起こしてそう告げた。

「人魚って…」

『あら、忠くん、

 夕べ、あの人魚とキスをしたんでしょう?

 ふふっ、みんなの噂になっているわよ、

 人魚ったらよっぽど嬉しかったのね、

 満月の晩以外に人間にキスをしたら、

 その人間を人魚にしてしまうことを忘れちゃって…

 まっでも、あたしにとっては

 君が人魚になってくれたほうが都合が良いわね。

 なんて言っても、こうして話ができるんだから』

マッキーはそういうと、

パチッ

僕に向かってウィンクをしてみせる。

「人魚って…

 僕が…人魚になったの…

 え?」

ハラリ…

淡く輝く翠髪が伸びると、

ムク!!

ムクムク!!!

僕の体は人魚へと変身を始めだしていた。



2005年正月…

まさに一大事の始まりであった。



おわり