風祭文庫・人魚の館






「人魚の雫」



作・風祭玲


Vol.560





「ふぅ…

 またこの季節か…」

街中に響き渡るクリスマスソングを鬱陶しく感じながら

あたしは家路を急いでた。

あたしの名前は海老名真美、27歳独身。

駅前にあるスイミングスクールのインストラクターをやっている。

「まったく…

 クリスマス

 クリスマス

 ってみんなバカみたいに浮かれちゃってさ…」

クリスマス気分を演出する色とりどりの明かりに彩られた商店街を抜け、

そして、落ち着くこともなく明滅をする住宅街のイルミネーションを

脇目に見ながらあたしは自分が住むマンションへと向かっていく。

「はぁ…」

ため息をつきながらエレベータを待っていると、

「あぁ、海老名さん!」

向かいの管理人室から管理人の工藤さんがあたしを呼んだ。

「はい?」

その声にあたしは振り返ると、

「えっとね。

 なんか荷物が届いているから預かって置いたよ」

白髪混じりの工藤さんはそうあたしに言うと、

「はいっ」

と言いながら小さな小包を掲げてみせる。

「あっありがとうございます」

このマンションは小さな小包程度なら

管理人の工藤さんが預かってくれることになっている。

あたしは工藤さんにお礼を言いながら包みを受け取ると、

「だれかしら?」

差出人を確認するためクルリと包みをまわした。

すると、

「なぁんだ、誰かと思ったら勇作じゃない」

包みの伝票に記されている弟の名前に

あたしはやや失望しながらも安堵して、

その小包を携えながら部屋へと入っていった。

そして、外出着から着替え終わると、

送られてきた小包を解き始める。



『メリークリスマス、姉貴。

 いまこれを読んでいるということは、

 無事に荷物が届いたようだな。

 実はこっちで面白いものを見つけてな、

 とりあえず姉貴に送って見ることにした。

 同封したものは「人魚の雫」といって

 なんでも人魚が零した涙によって出来た真珠だというんだけど、

 俺には珊瑚を丸く加工した物にしか見えない。

 まっ思いっきり値切ったのでそんなに高くはなかったけど、

 どうせ、今年も一人さびしいクリスマスを過ごすことになるであろう

 姉貴の慰め用にと思って受け取ってくれ』

「なっ

 ぬわにが、慰め用よっ

 だったら、ブランドバッグの一つでも送ってきやがれっ

 って言うんだ!!」

小包の包装を解いて真っ先に出てきた手紙を読みながら

あたしは怒鳴り飛ばすと、グシャグシャに手紙を潰し、

そしてゴミ箱めがけて放り投げる。

そう、弟はいま日本には居ない。

なんでも、自分探しをしてくると言って家を飛び出し、

地球のあっちこっちを気ままに旅をしている。

「はぁ…」

そんな弟からの便りを読んで、

なんか置いてけぼりを食ったような欝な気分になると、

ブンブン!

その気持ちを振り払うように首を左右に振り

パン!!

気合を入れ直す意味も込めて両頬を叩くと、

「どれ?」

勇作の手紙にあった「人魚の雫」というのを取り出してみた。



「へぇぇぇ…」

キラ☆

それは心の中を覆い始めていた欝を一気に吹き飛ばしてしまうような

不思議な輝きを放つ直径1cmも満たない小さな玉だった。

「綺麗じゃない…」

これまでに見たことのない淡いピンクの光を放つ丸い玉を

あたしは眺めていると、

「確かに…

 これを真珠と言い切るにはちょっと違うかな?

 でも、珊瑚を加工したものには見えないわよねぇ」

手にした玉を眺めながらそうつぶやくと、

子供の頃に見ていた夢を思い出した。



『人魚姫になるんだ』

子供の頃、あたしはいつもそう思っていた。

長く伸びた金色の髪、

腰から下を覆う朱色の鱗、

そして、魚の尾びれを使って海を泳ぐ姿に

幼いあたしは心をときめかせていた。

そして、今となっては滑稽にも感じる御伽噺の世界に少しでも近づこうと、

スイミングスクールに通い、

そして、学校では水泳部に所属していた。

一歩でも人魚に…あの人魚に近づきたい…

いつもそう思っていた。

そして、その甲斐あって、

こうしてインストラクターで生活をしていることは、

ある意味、あの頃の思いを実現出来たと思うけど、

でも、本当にそうなんだろうか…

玉を眺めながらあたしはそんなことを思っていると、

サワッ!!

玉の輝きの中に何かの影が横切った。

「あれ?

 何?

 いまの?」

横切った影にあたしは目をぱちくりさせると、

ジッと目を凝らしてみる。

すると…

ササッ

またしも玉の中を何かの影が横切っていく。

「え?

 なんか…

 魚のような…

 うーん、

 良く見えないよ…」

2回横切った影の正体を知ろうと、

あたしは立ち上がって部屋の照明に翳した途端、

ツルッ!!

「あっ!!」

翳した手より玉が滑り落ち、

開いていたあたしの口の中に玉が転がり込んでしまった。

そして、

ゴクリ!!!

飛び込んできた玉を反射的に飲み込んでしまうと、

「しまった!!!」

あたしは顔を真っ青にすると、

バタバタバタ!!

玉を吐き出そうとあわてて洗面所へと向かおうとするが、

そのとき、

ビクン!!!

「あんっ」

体の中を電撃に似たショックが走った途端、

ドッドタン!!

あたしはその場に倒れてしまった。

「なっなに?

 かっ体がしびれて…」

ショックと同時に襲ってきた全身を覆う痺れに

あたしは体の自由が利かなくなってしまうと、

『フフフフ…』

あたしの耳に女性の笑い声が響く、

「なっだれよっ」

『クスクス…』

「ちょっと誰よ」

『フフ…』

「いったい誰よ」

どこかに誘うか様に響く笑い声に、

あたしは恐怖を感じることなく呂律の回らない口で叫ぶ、

すると、

『…してあげる…

 あなたを…

 人魚にしてあげる』

と女性の声があたしの耳元で響いた。

「え?

 あたしを人魚に?」

その言葉にあたしは驚くと、

ドクン!!

「うっ」

強烈な衝撃があたしの体を襲い、

ジワジワジワ…

水泳のために短くカットしていたあたしの髪が伸び始めた。

ゾワゾワゾワ…

「なっなに?」

まるで湧き上がってくるように伸び、

そして視界を覆い始めた髪にあたしは驚くと、

その髪がエメラルドグリーン色に染まっていることに気づく、

「なっなによ…

 なにが起きているの?」

伸び続ける髪にあたしの心は驚きから戸惑いへと変わり、

そして、

ムリッ

ムリムリムリ!!!

今度はオヘソの下がまるで伸びるような感覚にとらわれた。

ビリッ

ビリビリビリ!!

瞬く間に履いていたズボンを引き裂いて下半身が飛び出すと、

体を覆い尽くすまで伸びた髪を体に巻きつけながら伸びていく、

「やだ、

 なっなによっ!!」

自分の体を襲う異変を知ろうと、

あたしは痺れる体を必死に仰向けにすると、

首を上げ変化する下半身を見た。

すると、

ムリムリムリ

あたしの下半身はまるで一本の棒のような姿に変わり、

その棒の先にはチョコンと幾本もの筋が顔をだすと、

小さな鰭を作り上げていた。

「うっそぉ!!」

ニュニュッ!!

驚いている間にも筋を伸ばし大きさを増していく鰭に

あたしは驚いていると、

ジワジワ…

今度は肌色の肉棒の表面に染み出すようにして、

朱色の鱗が下半身を覆い始める。

「やっやだ、

 あたし、本当に人魚になっちゃうよ」

耳が変形した鰭を顔の両側から突き出し、

足を失い尾鰭を得たあたしは必死にもがく、

そして、体を覆っていた痺れがようやく引いた頃、

ビタン!!

ビタン!!

文字通り”人魚”になってしまったあたしは

出来上がったばかりの尾鰭をひたすら床に打ち付けていた。

「どっどうしよう…

 あたし、人魚になっちゃった…」

下半身と同じ鱗が覆う腕と、

指と指の間に水掻きが張る手を見ながらあたしは困惑していると、

『ふふふっ

 あたしは何もしていないわ…

 あなたをその姿にさせたのは

 あなたの心の中にある人魚への想い…

 その想いがあなたを人魚にしたのよ』

とまたしてのあの声が響いた。

「ちょっと待ってよっ

 あたしは何もいま人魚になりたかったわけじゃないわよ。

 元に戻してよ、

 こんなところで人魚になっても仕方がないのよ」

姿が見えない声に向かってあたしは怒鳴り返していた。




それから1週間後、

バシャッ!!!

年末で人の居ないスイミングスクールのプールに水しぶきが上がる。

「ふぅぅ…」

そのプールの中”二本足”のあたしは静かに泳いでいた。

「海老名さぁん、

 終わったら戸締めお願いしますね」

そんなあたしにスイミングスクールの管理人が声をかけると、

「はぁい」

あたしはプールの中から元気良く返事をする。

バタン!!

あたしの返事に送られて管理人がドアを閉めたのを確認した後、

「よしっ」

あたしは速攻で水着を脱ぎ捨てると、

「うんっ!」

体に力を入れる。

すると、

ムリムリムリ!!!

あたしの体が見る見る姿を変わり、

バシャッ!!

瞬く間に朱色の鱗を輝かす人魚へと変身する。

「はぁ…

 元に戻る方法を見つけるまで大変だったわ…」

バシャッ!!

スィィィ…

人魚となった私はプールの中を悠然と泳ぎながら、

あの日、人魚に変身してから3日がかりで

元に戻る方法を探し回った日のことを思い出していた。

そして、

「でも、こうして

 好きなの時に人魚になれるんだから、

 まぁいいか」

子供の頃に夢見た人魚になれたことを実感しながら、

あたしは泳ぐ。



夏になったら海に行こう…

行くならやっぱり沖縄か、

それともグワムにしようか…

ふふっ楽しみだわ…



おわり