風祭文庫・人魚の館






「人魚鉢」



作・風祭玲


Vol.432





「はぁ

 夏休みもあっという間だったわよねぇ…」

始業式の帰り道、

制服姿のこづえは夏休みの思い出を振り返りながら


隣を歩く双子の妹・みちえに話しかけた。

「そうねぇ…

 でも、
 
 来年は受験だからノンビリとした夏休みはこれで最後ねきっと」

いまだ夏の名残を見せる日差しを見上げながらみちえはそう言うと、

「もぅ、

 みちえちゃんは真面目なんだから…
 
 少しは感傷に浸ったらどうなのよっ」

妹のつれない返事にこづえは口を尖らす。

すると、

「もぅお姉ちゃんこそ、

 過ぎたことに固執しちゃぁ駄目よ、

 受験はすぐなんだから、
 
 で、志望の学部は決まったの?

 今週中には提出なんでしょう?」

とみちえはさりげなく注意をした。

「むっ」

妹のその言葉にこずえがカチンとくると、

二人の間に言い知れぬ風が吹きぬける。

すると、


チリーン…


まるでそのときを待っていたかのように涼しげな風鈴の音色が響き渡った。

「え?」

突然鳴り響いた風鈴の音色にこづえとみちえが振り返ると、

「もしもし、そこのお方…

 人魚鉢は如何かな?」

「え?」

「は?」

男性の声と同時に

キィ…

手ぬぐいで頬かむりをし、古めかしいリヤカーを引いた初老の男性が寄ってきた。

「人魚鉢?」

「はいっ

 大きいの

 小さいの

 中ぐらいの

 いろいろありますよぉ」

手ぬぐいの隙間から白髪を覗かせ、男性はそう言いながら

「ほらっ」

とリヤカーの中から古風なデザインの金魚鉢を一つ取り出して見せる。

「へぇ」

「うわぁぁぁ」

冷涼感漂う透き通るようなガラスと球形の上にぽっかりと口を開いている鉢に

たちまち二人は虜になった。

「いかがですかぁ?

 お安くしておきますよぉ」

じっと眺める二人に男性はそう囁くと、

「あっあたしはいいわっ」

真っ先に離れたのは妹・みちえの方だった。

そして、

「お姉ちゃん、

 そんなに見つめていないで

 行こう!」

と声をかけるが、

「待って」

急かす妹を呼びとめ、

こづえはガラスの鉢を眺めていた。

「気に入りましたか?」

「えぇ…

 いくらですか?
 
 これ?」

鉢を眺めながらこづえはその値段を尋ねると、

「えぇ!!

 お姉ちゃん、
 
 それを買うの?」

様子を見ていたみちえが声を上げた。

「いいじゃないっ

 あたしが何を買おうと、あたしの勝手でしょう?」

みちえのブーイングにこずえは思わずそう返事をすると、

「はいっ

 人魚鉢一個、500円、
 
 毎度あり」

男性はそう言いながらこづえに手を差し出した。




ジャー!!!

バシャバシャバシャ!!

「どーする気なの?

 結局金魚鉢買っちゃって」

家に戻り、買ってきた鉢を洗い始めたこづえにみちえは呆れるようにしてそう言うと、

「どーするって?」

手を休めずにこづえは聞き返した、

「だぁって、ウチに金魚居ないじゃない」

「別に居なくたって良いじゃない?」

「は?」

「ふふふ…」

みちえの問いにこづえは意味深な笑みを浮かべる

「なによ」

そんな姉の姿にみちえは膨れると、

「あれ?」

傍のテーブルの上に置いてある一枚の紙に気がつき、

そして、

「ねぇ、お姉ちゃん、

 これ何?」

と紙を片手にみちえは尋ねると、

「あぁ、

 この金魚鉢についてきたのよ、
 
 気にすることはないわ」

水洗いが終わり、鉢の水を切るこづえはそう返事をすると、

丁寧に鉢を拭いた後、

「さて」

手を拭き、自分の部屋へと向かっていった。

そして、色とりどりのビー球を持ってくると

「これは、こうやって使うのよ」

と言いながら、

改めて鉢に水を張り、

チャポン

チャポン

チャポン

とこずえの手から色とりどりのビー球が落とされると

キラッ

ビー球は鉢の底で光をキラキラと輝きだした。

「うんっ、

 これでよし」

「へぇぇぇ…」

その様子を満足そうに頷くこづえに対して

みちえは感慨深そうに眺める。

「丁度、あたしの部屋に合いそうな金魚鉢を探して居たところなのよ」

「ねぇ、金魚は入れないの?」

「生き物は駄目っ

 すぐに死んじゃうし、

 それに水が汚れるわ」

「ふぅぅぅん」

「これはこうして、

 インテリアとして使うのよ」

「なんかもったいないなぁ…

 折角の金魚鉢なのに…」

「いいのっ」

使い方を惜しむ里美の言葉にこずえはキッパリと言い切ると鉢を改めて眺めたのち、

「さて、どこに置こうかなぁ…」

そう言いながら自分の部屋へと向かって行った。



「ふぅぅん」

一人残されたみちえは興味深そうに鉢を眺めた後、

何の気なしに

スッ

と手を差し出すと、

鉢の口へと近づけていった。

するとそのとき、

シャッ!!!

鉢の口に青白い光が一瞬走ると、

グンッ!!

鉢の口に差し伸べたみちえの手が思いっきり引っ張られた。

「え?

 きゃぁぁぁぁぁ!!」

突然の力に思わずみちえが悲鳴を上げると、

「どうしたのみちえ?…

 えぇぇ!!!」

丁度戻ってきたこづえの目には

シュポン!!

っと鉢に吸い込まれていくみちえの姿が映っていた。

「みっみちえちゃん!!」

ついさっきまで妹が居たところにこづえが駆けつけると、

『お姉ちゃぁぁんー

 助けてぇ!!』

みちえの小さな声が響き渡る。

「どっどこに居るのみちえちゃん!?」

『ここよ

 ここ!!』

「ここって言ったって」

響く妹の声にこづえは翻弄されると、

バシャッ!!

鉢から水の音が大きく響き渡り、

『ここよ』

その直後にみちえの叫び声が鳴り響いた。

「え?

 金魚鉢?」

それに気づいたこづえが改めて鉢を見ると、

なんと、身長が5cmほどに小さくなってしまったみちえが

鉢の中でもがいている最中だった。

「みっみちえちゃん!!」

ようやく見つけた妹の姿にこづえはホッとするのと同時に、

鉢のなかで小さくなったその姿に目を剥いた。

「なっなんで?」

『知らないわよ

 そんなところで見ていないで助けてよ』

目の前に迫る巨大な姉の顔にみちえは文句を言うと、

「わっわかった

 いっいま助けてあげるね」

鉢の中で浮き沈みしている妹を救うべくこづえが手を差し伸べようと、

鉢の口にその手が近づいたとき、

シャッ!!

再び鉢の口が青白く光り、

グンッ!!

差し込まれようとしたこづえの手が思いっきり引っ張られた。

「え?

 きゃっ!!」

シュポン!!

こづえもみちえと同じように、鉢の中へと引きずり込まれてしまった。

『いやぁぁぁ!!』

鉢の中に吸い込まれたこづえが悲鳴を上げなら水面に落下してくると

ドボン!!!

大きな水柱をあげる。

『もぅお姉ちゃんのバカぁぁぁ!!

 なんで、あたしと同じように手を入れるのよ』

『そんなこと知らないわよっ

 もぅ、みちえちゃんが呼ぶからよ』

『なによ、あたしのせいにする気?』

浮かび上がってきたこづえに向かってみちえは怒鳴ると、

こづえも負けじと言い返してきた。

そして、鉢の中で毎度の妹妹ゲンカが始まるが、

『ねぇ…

 こんなことしている場合じゃないわよね』

お互いに掴みあっているポーズをしながらふとみちえが漏らすと、

『そっそうよ』

こづえも大きく頷いた。

『ねぇ、誰か居る?

 助けてぇ』

上の口に向かってこづえが声を張り上げると、

『あのねっ

 お姉ちゃん、

 パパもママも明後日まで帰ってこないわよ』

とみちえは冷静に指摘した。

『そんな…

 じゃぁどうするの?』

『う〜ん、

 携帯は水に浸かって使い物にならないし

 困ったわねぇ…』

みちえの指摘にこづえは不安そうな表情で見ると、

みちえも打つ手なしと言う表情で

上にぽっかりと開いている鉢の口を見上げた。

と、そのとき、

グンッ

見上げていた鉢の口に翠色の光が走ると、

ビクン!!

『あっ』

みちえは一瞬痺れを感じた。

『どうしたの、みちえちゃん』

みちえの反応に気づいたこづえが話しかけると、

『かっ体が…

 しっ痺れ…』

みちえは体の自由が利かなくなって来たことを

こづえに詰まりながら言うと、

ジャボッ!!

水面の下に沈んでしまった。

『みっみちえちゃん!!』

それに驚いたこづえが慌ててみちえを引き上げると、

『あっあっあっ

 かっ体が…

 へ…ん…』

カッと目を見開き身体を強張らせながらみちえは姉に訴えた。

『変って、

 一体どこが?』

みちえの訴えにこづえは妹の身体の様子を見てみると、

ミシッ!!!

『うそっ

 みっみちえちゃん!!』

こづえの目に映ったのは

妹の足にまるで湧き出すように生えてきた朱色の鱗と、

左右の足が1本に癒着していく姿であった。

『みちえちゃん!!

 なっ』

変化していくこづえの脚にこづえは絶句するが、

しかし、肝心のみちえは

『うっ

 うううううう…』

何かに堪えるかのように歯を食いしばっていた。

ミシッ!!

メリッ!!

不気味な音を上げながらみちえの脚は癒着し、

次第に流線型に脚は姿を変えていく

そして、その表面を鱗が覆い尽くすと、

やがて、脚の先に植物が葉を開くようにして鰭が大きく開いてしまった。

『さっ魚?』

ユラユラと蠢く妹の下半身をこづえは呆然と眺めていると、

チャポン…

みちえはこづえの手を離れゆっくりと沈んでいってしまった。

『みちえちゃん、

 そんな、

 みちえちゃんが金魚になるなんて…』

上半身は人間のままだが、

しかし、その下半身は完全に魚類の姿に変わってしまった妹の姿を見て

こづえはそう呟く。

そして、

ビクン!!

妹を襲った変化がこづえを襲い始めると、

『いっいやぁぁぁぁ!!!

 金魚になんてなりたくない!!!』

こづえは泣き喚きながら鉢を押しはじめだした。

ミシッ

メリメリメリ

湧き出るように出てきた鱗が見る見るこづえの脚を覆い、

その一方で里見の脚は一本に癒着していく、

『いやぁぁぁ!!

 助けてぇぇぇ!!』

ドンドンドン!!

変化していく自分の身体を感じながら

こづえは鉢の壁を叩き、ユサユサと揺らした。

すると、

ゴトン!!

何かの拍子で鉢全体が動きはじめると、

『!!!!』

それを合図にこづえは無我夢中で鉢を揺らした。

メリメリメリ

すでにこづえの下半身は流線型の魚の尾びれと化し、

その先には長い鰭が姿を見せていた。

『助けて

 助けて!

 助けて!!』

ありったけの力を振り絞ってこづえが壁を押したとき、

ゴトン!!

ゴロゴロゴロ…

鉢は大きく円を描くようにテーブルの上で回り始め、

ゴロゴロゴロゴロ…

ゴッ!

テーブルの端から床に向かって落ちていった。

そして間髪居れずに、

ガシャーーーーン!!!

ガラスが割れる音が響き渡ると、

ドンッ!!

ドタン!!

飛び上がるようにして普通のサイズに戻ったこづえとみちえが

鮮やかな鱗を輝かせながら部屋の中に弧を描いた。

「痛ぁ〜っ」

程なくして割れた鉢から放り出されたこづえが起き上がると、

ピチャピチャ

テーブルの下には無残に砕けてしまった鉢の残骸が落ちていた。

「はっはっ

 でっ出れたんだ…

 あの鉢から…あはははは」

それを眺めながらこづえは自分が鉢の中から脱出できたのと、

そして元のサイズに戻っていることに安堵したが、

けど…

ピチピチ!!

自分の眼下で床を叩く朱色の魚の尾びれを見たとき、

「ひぃぃぃぃ!!!」

こづえの顔から一気に血の気が引いていった。

「そんな…

 なんで、

 鉢から出られたのに

 なんで金魚のままなの?」

そう呟きながらこづえが呆然としていると、

ヒラリ…

一枚の紙がテーブルの上から落ちてくるとこづえの顔に掛かった。

「ん?

 なに?」

顔に掛かった紙を手に取り、

そして、そこに書かれている文句にこづえは目を通すと、

「いっ

 うっっそぉぉぉぉぉ!!!」

間髪居れずにこづえの驚く声が響き渡った。



…この度は人魚鉢をお買い上げ下さりありがとうございました。

 この人魚鉢はどなたでも海の妖精・人魚を味わえますように作られた鉢でして、

 鉢の中に適量の水を入れ手をかざしますと鉢の中に引き込まれ、

 その中で約1時間の間、人魚に変身することが出来ます。

 なお、初めての時は変身時に少し痺れを感じることもありますが、

 それも、回数を重ねることで弱くなっていきます。

 では、人魚姫の気分をご存分に味わってください。


 注意) 変身時に人魚鉢を割ってしまいますと

      元の姿に戻れなくなることがありますのでご注意ください…



「なっなにぃ!!!」

顔を真っ赤にしてこづえは説明書に目を通していると、

「ふぅぅぅん

 そういうことなんだ、

 で、お姉ちゃんこれ、どうするの?」

そう言いながらピチピチと尾びれで床を叩くみちえの姿があった。



おわり