風祭文庫・人魚の館






「釣り」



作・風祭玲


Vol.242





「よう、兄ちゃん釣れるかい?」

「ん〜〜?

 見ての通りだよ」

犬を連れた通りがかりのオヤジに尋ねられた俺は

そう答えるとピクリとしない釣り竿を見せた。

「あははは…

 そこじゃぁ無理だよ、

 釣るならホレあっちの方に行かなきゃぁ」

オヤジはそう言うと

釣り竿が鈴なりになっているになっている反対側の岸壁を指さした。

「無理無理!!

 もぅ場所なんかないよ」

一目岸壁を見た俺はそう言うと、

「はは…ちげーねや

 まぁ、頑張ってみるんだな」

オヤジはそう言うと去っていく、

「はぁ…

 誰も好きこのんでこんな所に糸を垂らさないって」

俺はそう呟くと視線を戻した。



「え?、新港で入れ食いなの?」

「あぁ、すげーぞ、兄ちゃん

 鱸や鮃なんやかんやがわんさと押し掛けて居るんだ」

俺がその話を聞いたのは勤務先からふと立ち寄った居酒屋だった。

新港の完璧付近に大量の魚が押し寄せてきていると言う噂は聞いていたけど、

でも、その話をするオヤジのクーラボックスに

ぎっちりと詰め込まれている魚を見た翌日、

俺は仕事を休むと新港へと向かっていた。

「うわぁぁぁぁぁ…なんじゃぁコレは…」

TVでも取り上げられた為か、

新港は大勢の太公望で賑わいを見せていたのだが、

しかし、その数はハンパではない。

「おいおい、ラッシュは電車だけで勘弁してくれよ」

完全に出遅れてしまった俺は

魚が押し寄せていると言う岸壁には入ることは出来なくて、

仕方が無く少し離れたところにある岸壁から糸を垂れた。

しかし…

昼を回っても一向に俺の竿には当たりは来なかった。

「ったくぅ…

 向こうとはそんなに離れていないのに、

 なんでココでは掛からないんだ?」

恨めしそうに海を見つめていた俺は苛立ちを押さえながら竿を引くと、

思いっきり遠くへと針を飛ばした。

ヒュルルルルル…

餌を引っかけた針は遠くへ飛んでいくと

ポチャン!!

っと海面下に没していった。

「はぁぁぁ…

 コレでダメだったら今日は帰ろう…」

海面を見つめながらそう思っていたとき。

クン!

クンクン!

竿の先が動き始めた。

「かかった!!」

俺はコレまでのイヤな思いすべてを忘れて竿を引くとリールを巻き戻し始める。

しかし、

リールは見る見る重くなると、

それに併せて

グググググ…

竿は撓り始めた。

「くおのっ!!」

俺は掛かったのが大物だと確信すると、

笑みを浮かべながら海面下の魚と格闘を始めた。

「えぇぃ、大人しく釣り上げられろ!!」

小一時間近い格闘に業を煮やした俺は渾身の力を込めて、

竿を思いっきり引いた。

その途端、

「きゃぁぁぁぁぁ」

っと言う悲鳴と共に、

バシャッ!!

っと何かが海面から飛び出してくると、

一直線に俺に向かって飛び込んできた。

「なっ」

ゴン!!

避ける間もなく、俺とそいつは激突した。



イテテテ…

目の前に飛び交う星を横目に俺が起きあがると、

「んなっ」

俺は横たわるそいつを見て驚いた。

黄金色の長い髪を靡かせ、

透き通るような白い肌に、

細い腕と形の良い乳房を持つが、

しかしその身体の下半分は朱色の鱗に覆われ、

そしてその先には桜色をした半透明の尾鰭が付いていた。

「なっ、人魚!?」

それを見た俺は思わず目を疑った。

しかし、間の前にいる生き物は間違いなく

昔絵本などで見たことがある人魚そのものだった。

ツンツン!!

落ちていた釣り竿の先で人魚をつつくと、

「うっ…ん」

その途端、彼女?はうめき声を上げた。

「…生きているのか?」

どうやら彼女?はマニアが作った作り物などではなく、

れっきとした生き物であることが証明された。

「…人魚なんて…

 本当にいたんだ…」

俺は驚きながら釣り上げた人魚をシゲシゲと眺めた。

しかし、眺めれば眺めるほど、

俺はある違和感を感じた。

そう、釣り上げた人魚は頭から尻尾の先までが50cmあるか無いか、

と言う代物だった。

「う〜ん…人魚ってこんなにチビだったのか…」

ある種の失望感に似た気持ちで俺は人魚の頬を2・3回叩いたが、

しかし、彼女?は目覚めることはなかった。

「あれ?、死んじゃったのかな?…」

一瞬”このまま海に捨ててしまおうか”と俺は考えたが、

しかし、持ってきたバケツの中に人魚を押し込むと、

誰からも見られないようにその上にタオルを掛け、

そして、荷物をまとめると俺は岸壁から立ち去った。



「さて、どうしようか」

アパートに戻った俺は釣った人魚を風呂桶の中に沈めると、

しばし考え込んでいた。

人魚は相変わらずグッタリとしたままピクリともしない。

「…やっぱ死んじゃったみたいだな…

 仕方がない…鍋にでもしちゃおうか」

俺はそう考えると俎板と包丁を風呂場に持ってきて、

そして、沈めていた人魚を俎板の上に乗せると、

血抜きをしようと包丁を持った手を大きく上げたとき、

パチッ

人魚が目を覚ました。

「あっ」

俺は目を開けた人魚と目が合ってしまい、そのまま固まってしまった。

人魚は周囲をグルリを眺めた後、再び俺を見つめ、

そして、

スゥゥゥ

と息を吸い込むと、

「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」

と悲鳴を上げた。

「うわっ、たったっ」

俺は人魚から手を放すと包丁を持っていた手を引っ込めた。

「きゃぁぁぁ」

人魚は悲鳴を上げながら風呂場の隅へと這いずっていく、

そこでガタガタと震え始めた。

「あっ、いや、てっきり死んじゃったのかな?と思って

 別に殺すつもりはなかったんだ」

と俺は言い訳めいたことを言うと、

人魚は恐る恐る顔を上げると俺を見つめた。

「あっ、あのぅ…

 うっ海に帰りたい?

 それなら連れて行くけど…」

俺が人魚にそう言うと、

フルフル

人魚は首を横に振った。

「え?、海に帰りたくないの?」

彼女?の意外な反応に俺が驚くと、

人魚は一瞬何かを考え込むと、どこから取り出したのか

サッ!!

小さな玉を俺に差し出した。

「ん?

 なにそれ?

 俺にくれるの?」

そう俺が訊ねると、

コクンコクン

人魚は2回首を縦に振った。

コロン…

差し出した俺の掌に仁丹を少し大きくしたような玉が転がる。

「へぇ…綺麗な玉だねぇ…」

風呂場の灯りに照らしながら俺がそう感想を言うと、

ニヤッ

人魚は微かに笑った。

「え?」

彼女?のその異様に冷たいような笑顔に俺が驚くと、

ムクッ

ムクッ

っと掌に乗せた玉が大きくなり始めた。

「うわっ、なんだ気持ち悪い!!」

その様子に俺は慌てて玉を捨てようとしたが、

玉はまるで接着剤でくっついたのかの様に俺の手から放れなかった。

「なっ、なんだよっ、コレ!!」

そう叫びながら俺は何度も腕を振っていると、

ジワッ

掌にくっついている玉から俺の体の中に何かが流れ込み始めた。

そして、それを体の中で感じたとき、

ドクン

俺の心臓が大きく高鳴った。

「え?」

ドクン

ドクン

心臓の鼓動が徐々に早くなっていくと、

ミシミシ

俺の身体のあちらこちらから異様な音が漏れ始めた。

「え?、え?、え?」

俺は自分の体に起きている異変に戸惑った。

ミシミシ…

「あっ、手が…」

目の前にある自分の掌が見る見る白く細くなっていくと、

まるで女性の手の様に変化していく。

それだけではない、

体中がまるで絞られていくように細く小さく変化し始めた。

「うわぁぁ…

 なんだこれぇ」

悲鳴を上げる俺を人魚は微笑みながら眺めていた。

「おっおいっ、

 お前、俺に何をした」

俺は開いている手で人魚を掴み上げるとそう怒鳴った。

すると、コレまで言葉を喋らなかった人魚の口から、

「ふん、知れたこと、

 お前は人魚になっているのだよ、

 私の変わりにね」

と俺に向かっていった。

「人魚に…」

その言葉に俺が驚いていると、

バサッ

いつの間にか伸びてきた金色の髪が俺の身体を覆い始めた。

「うわっプップッ」

それに驚いた俺が慌てて髪をかき分けると、

「(キャハ)髪は大事にしろよ、

 海の中では命に関わることだからな」

と人魚は笑いながら言う、

「やっヤメロ!!」

俺は怒鳴ったが、その声は女性の甲高い声へと変わり、

プルン!!

いつの間にか俺の胸には2つの膨らみが震えていた。

さらに、脚をジワジワと何かが覆っていくのを感じていた。

「あ・あ・あ…」

俺の身体の変化に併せるかのように俺の身体は縮み始めた。

目の前に置いた俎板がグングンと大きくなっていく、

「たっ助けてくれぇ!!」

そう叫びながら俺は着ていたシャツの中に隠れていった。



しばらくして、

「んっはっ」

俺は必死になりながら、

ピタン!!

ピタン!!

と動かなくなった脚を叩きつけながらシャツの中から抜け出した。

そして、外に出たときコレまでとは大きく変わっている景色に驚いた。

「なっ」

そう困惑しながら驚く僕の視界には

すっかり巨大化した浴室の風景が飛び込んでいた。

「そんな…」

そして、自分の下半身を見てみると、

2本の足ではなく代わりに床を叩き続ける

朱色の鱗に覆われた魚の尾鰭が映っていた。

俺は小さく膨らんだ胸を片手で隠しながらそっと触ってみると、

スルリ…

とした鱗の感覚と共に、

ゾクゥ…

っとする言いようもない感覚が背筋を走り抜けていった。

サワッ…

僕の肩を金色の髪の毛が軽く撫でる。

「そんな…

 どっどうしよう…

 俺…人魚になっちゃった…」

そう呟きながら俺は浴室の中で、

人魚となった俺は困惑した表情で自分の体を眺めていた。

「ははは、どうだい?

 人魚になった気分は…」

そう言いながら巨人の女が浴室に入ってきた。

その女は見覚えのあるシャツとズボンを穿いていた。

「おっお前は…」

驚きながら俺が訊ねると、

「ふふ…

 そう、先までの人魚だよ、

 お前のおかげでこうして人間に戻れたんだけどね」

と彼女は俺に言う。

「人間に?」

俺が聞き返すと、

「そうさ、数年前

 あたしは浜に打ち上げられた人魚を拾ったのさ、

 で、自分の部屋に持ち帰ったとき、

 気が付いた人魚から玉を貰った。

 そしたら…もぅ説明する必要はないか、

 そう、いまのお前みたいに人魚になってしまったのさ」

と説明をした。

「じゃぁ…」

俺はそう言うと、

女は俺の身体をムンズと掴み上げ、

「長かった…

 しかし、連中の隙を狙って魚たちを扇動して囲いから逃げ出したのさ

 そこを運良くお前があたしを釣り上げてくれた。

 感謝しているよ」

と言って女は俺に軽くキスをした。

「連中?、隙?」

彼女の言葉の意味が判らないでいると、

「ふふ…

 そのうち判るよ、

 さぁ、海に連れて行ってあげるね。

 恐らくお前を捜していると思うから…」

女はそう言うと、俺が彼女を連れてきたバケツの俺を押し込むと部屋を出た。

ガチャガチャ

彼女の歩のに合わせてバケツは音を立てる。

やがて

ゴトン

とバケツが降ろされると俺は再び掴み上げられた。

そこはあの岸壁だった。

「おっおい…」

焦りながら俺が彼女を見つめると、

「ふふ…

 安心おし、

 お前は人魚だから溺れることはないよ、

 さぁ、お別れだよ、

 元気でな」

女は俺にそう言うと、

ポーーーーン

っと海に向かって放り投げた。

「うわぁぁぁぁぁ!!」

悲鳴を上げながら俺は髪と鰭をなびかせて海の中に落ちた。



ボチャン!!

俺が落ちた海の中には鮫と共に数匹の人魚が待ちかまえていて、

俺が落ちてくるや否や、

たちまち俺は練習に捕まってしまった。

あれ以来、俺は監視されながら海の中の牧場で

魚たちの世話をしたり餌をあげている。

どうやら俺はあの女がしでかした罪の償いをさせられて居るみたいだ。

まぁいいや、俺も早くここから脱出して、

代わりのヤツを探すことにしよう。



おわり