風祭文庫・人魚の館






「海割れの日」



作・風祭玲


Vol.132





15歳の誕生日の夜…

あたしは自分が人間でないことを知った。

それは家族とのささやかな誕生パーティの後、

自分の部屋に戻ったあたしの体を異変が襲った。

突然足の力が抜けその場にうずくまったあたしの目に映ったのは、

形を失っていく足と、

その足を湧き上がるようにして覆っていく紅い鱗…

そして、足先が魚のような尾びれのような形に変形していく、

「ひぃぃぃぃ!!」

そこであたしの記憶は消えていた。

ハッと目を覚ますと既に朝になっていて

カーテンから零れる朝日があたしの身体を照らしていた。

「あっ…」

目覚めたあたしは変身のことを思い出すと、

あわてて自分の脚を見たが、

しかし、目に飛び込んできたあたしの脚は、

そう、いつもと変わらない色白の2本脚の姿をしていた。

「…夢?

 でも…」

あの生々しい感覚がそれが夢であることを否定しようとしていた。

そして、起きあがったとき、

あたしはあれが事実だった証拠を見つけた。

パラリ…

数枚の鱗があたしの脚からこぼれ落ちると

日の光を受けキラキラと輝いていた。

「鱗だ……やっぱり…」

あたしは鱗を拾い上げると黙ってそれを見つめていた。



それから3年…

あの夜以降、

あたしの体は再び変身する事は無かったものの、

しかし、確かに身体は以前とは変わった。

父さんや母さんや妹も気がつかない、

ただ…

ただ、あの日以降あたしは泳ぐことができなくなっていた。

いや、泳ぐことはできる。

自信はある。

でも水の魔物を連想するあの姿になるのでは…

という恐怖もあるが、

なによりもプールに飛び込んだ途端、

「…くっ…ダメ…この水は…」

激しく身体が水を拒否をする。

ブハっ

息苦しくなってものの5mも泳がないウチに

あたしの足は底に脚をついてしまう。

「…ダメッ!!、出て!!…早くココから出て…」

身体の中から叫び声が上がってくる。

こんな声、コレまで聞いたことはなかった。

でも、いまはハッキリと聞こえる。

「………………」

そして、その声に押されるようにしてあたしはプールサイドから這い上がると、

指導の先生はしかめっ面をしてあたしを眺めていた。



「……きゃ〜っ、

 海よ!海よ!!海よ!!!」

突然わき起こった叫び声に、

あたしはハッと目を覚ますと、

あたしが乗ったクルマの窓に大海原が姿を現わしていた。

そして、それを見た妹の千晶が大声を上げてはしゃいでいた。

「夢?…か…」

あたしは思わずキョロキョロしていると、

「どうした、疲れたか?」

ハンドルを握っている父さんがあたしに声をかけた。

「……うっ、うん

 ちょっと疲れたみたい」

そう返事をすると、

「ははん、判ったっ…

 お姉ちゃん…

 泳げないから夕べ眠れなかったんでしょう」

千晶が横目であたしを見ながらそう言うと、

「うるさいわねぇ…」

あたしは体を起こすと妹を一括した。

「なによぉ〜っ…

 だったらこなくても良かったのに…」

と妹は反論するが、

「あんたねぇ〜っ」

あたしが拳を持ち上げながらあたしが怒鳴ろうとすると、

「あっ、怒った…

 ってことはやっぱり図星なんだ…」

一瞬、千晶の顔がにやけた。

「うるさいっ」

それを見たあたしはムッとすると千晶に飛びかかった。

「こらっ、由里に千晶っ、

 クルマの中で暴れないのっ」

助手席に座っていた母さんが怒鳴り声を上げる。

「お姉ちゃんが悪いのよっ」

あたしに殴られた頭を手で押さえつつ千晶が口を尖らせて文句を言と、

「あたしをからかうのが悪いのよっ」

あたしも負けてはいなかった。

「本当のことを言っただけじゃない」

「もぅいっぺん殴られたい?」

「いい加減にしなさいっ!!!」

再び母さんの怒鳴り声が車中に響いた。

「…えっえっと、どこの角で曲がるんだったっけ」

割り込むようにして父さんが口を開くと、

「あぁ、2つ先の信号を左ですよ」

膝の上に広げてある道路マップに視線を落としながら即差に母さんがアドバイスする。

「…カーナビつければいいのに」

あたしはそう呟きながら海を眺めた。

「海かぁ……」

あたしは横に広がる海原を故郷に帰ってきたような面持ちで眺めていた。



夏が目の前に迫ったとある休日、

海に面したその街は明日に迫った海象現象を一目見ようとする観光客でにぎわっていた。

「うわぁぁぁ〜人がいっぱい…」

あたしたちを乗せたクルマは目抜き通りを走るが、

どこの宿泊施設もおおかた満員御礼のようだった。

やがて、海岸通りに出ると、

あたしはクルマの窓を開けた。

ふわっ

潮の香りが鼻をくすぐる…

「…なんでだろう、この匂いが…懐かしく感じる」

あの変身以降、閉ざされていた扉が開かれたように

古い記憶が次々と蘇る事が多くなった。

そして思い出される記憶の殆どが海の記憶だった。


「ずっと昔…

 あたしはこの香りに包まれていた事を思い出す。

 一面の青い世界の中であたしは常に誰かに抱かれていた。

 ……そう、あれは…」

そう思いながら自分の手をボンヤリ見ていると、

「……ちゃん、お姉ちゃんってば」

千晶の声で、はっと現実に戻った。

「え?」

「なに、ボケっとしているのよっ

 とっくに宿に着いているわよ」

腰に両手を置いて千晶が呆れた顔であたしを眺めていた。

「へ?…え?…あっ」

クルマはいつの間にか止まっていて、

前の席に座っていたはずの父さんと母さんの姿が無く、

クルマの中にはあたし一人が座っているだけだった。

「着いたなら着いたって言ってよ」

大慌てで車から降りるとあたしは千晶に怒鳴った。

「何度も言ったわよ、

 だけどお姉ちゃんったら

 あっちの世界に行っちゃったままで

 全然、応えてくれないんだもん」

ぷっと膨れて千晶が言う、

「あはは…ごめんごめん」

車から降りるとあたしは千晶の肩を叩きながら謝った。


「ふぅ〜〜ん、海神荘ねぇ…」

民宿の看板を眺めながら、そこの玄関に立ったとき

「えっ…」

在る光景があたしの脳裏を走った。

…驚く男の人

…そして賢明に説明をするもぅ一人の人

…そしてあたしをギュッと抱きしめる女の人

「なにこれ…」

驚きながら玄関のドアを開けると、

宿泊の手続きが終わったらしく、

父さんが荷物を持って部屋に向かうところだった。

「お姉ちゃん連れてきたわよ」

千晶が言うと

「そうか…」

父さんはチラリとあたしを見てそう言うと、

さっさと先に行ってしまった。

「怒っているの?」

こそっと千晶に聞いてみると、

「まさか…」

と言う目で千晶はあたしに言った。

父さんの後を追って部屋に入ると、

部屋の窓からキラキラと輝く海が大きく見えた。

「うわぁぁぁ綺麗…」

光り輝く波間を見ながら千晶が声を上げる。

「ほんと…綺麗ねぇ…」

あたしも妹の横に立って海を眺めていた。

「16年ぶりね…」

荷物を整理していた母さんが言う、

「え?来たことあるの?」

母さんの台詞に驚いたあたしが思わず訊ねると、

「えぇ…結婚する直前…、

 お父さんがあたしに

 ”おもしろいのを見せてやるよ”

 と言ってココに連れてきて貰ったのよ…」

昔を懐かしむようにして母さんが答えた。

「16年前と言ったら…

 前の”海割れ”があったとき?」

宿の玄関に張ってあった”海割れ”の説明をしているポスターに

書かれていた文言を思い出しながらあたしが聞き返すと、

「そうよ…

 いやぁ、凄かったわ…

 そこの海岸からあそこに見える島までの間の海が文字通りに裂けてね…」

と母さんが沖に見える島を指さして言うと
 
「まるでモーゼね」

千晶が頬杖をつきながら言う、

「はぁ…」

あたしも感心しながらしばらくの間海を眺めていると、

「…由里っ、ちょっと父さんに付き合ってくれないか」

という父さんの声がしたので

「え?」

あたしが振り向くと父さんが部屋の入り口のところに立っていた。

「?」

あたしが不思議そうな顔をすると、

父さんの視線が一瞬母さんを見ると静かにうなずいた。

すると、

「…お前に大事な話がある」

と小さく言うと部屋から出ていった。

「なんなの?」

母さんを見ると、母さんは妙に神妙な顔になって

「……由里っ、父さんと行ってあげて」

とあたしに言った。

「あっあたしも行く」

あたしたちについていこうとして千晶が腰を上げようとすると、

「ダメっ、父さんが用事があるのはお姉ちゃんだけなんだから」

突然、母さんはキツイ声で千晶を制した。

「なによ(ちぇっ)」

膨れた千晶をよそにあたしは訳の分からないまま父さんの後を追って宿を出た。

「?…ねぇ、父さん、どこに行くの?」

宿を出て道を歩いていく父さんに追いついて訊ねると、

「…………」

父さんは何も答えずに黙ったまま歩き続けた、

「?」

こんな父さんの様子ははじめて見るだけに、

あたしは父さんとの間を少し空けてついて行った。

やがて父さんは途中にあった店に寄るとそこで線香と花束を買い、

それをあたしに手渡した。

「…お墓参り?」

「………………」

あたしの問いに相変わらず父さんは何も言わなかった。

しばらく道を進むと、道路から海岸の方へと分けれていく小道が姿を現した。

「…ここか…」

父さんはまるで懐かしむようにして小道を眺めると、

その小道に入っていった。

そして、まるで勝手を知っているように、

父さんはどんどんと先に行く、

「あっ、待って…」

あたしも急いで後を追うと、

道は徐々に海に向かって降り始め、やがて海岸のすぐ傍にでた。

ザザ〜ン…、

目の前に波が打ち寄せる岩場を見たとき、

再びあたしの脳裏に一場面がよみがえった。

…カニと戯れる私…

 そして、あたしをじっと眺めている女性…

 その女性の腰から下は鱗に覆われていた。

「おい、置いていくぞ」

父さんの声にはっと我に返ると、

あたしは慌てて父さんの後について行った。

「なんなの…この記憶…

 こんなトコ来た事はないはずなのに」

あたしは戸惑いながら歩いていくと、

やがて大きな洞窟が姿を現した。

「凄いねぇ…」

洞窟を眺めながらあたしは声を出した。

「…昔と変わらないなぁ…ココは…」

父さんは懐かしそうに眺める…

「……来たことがあるの?

 ココ…」

恐る恐るあたしが訊ねると、

「あぁ…ずっと昔な…」

父さんはそう呟くと洞窟の中に入っていった。

「あっ、待って…」

あたしも慌てて洞窟に入っていく、

ヒヤッ…

洞窟の中に入ったとたん冷気があたしの体を包む。

「…寒い…」

ゾクッとくる寒気に思わず身を縮めたが、

でも…

「知ってる…ココ…

 初めて来たはずなのに…

 ココ…知っている…」

あたしは洞窟の周囲を見ながら、

大昔ココで遊んだ事を思い出していた。

そして、

遊んでいるあたしの傍らに一人の女性がいたことも

思い出していた。

「…誰なんだろう…あの人は…

 懐かしい…

 でも、あの人は人間ではなかった…

 あたしも…」

思い出すことをためらいながらあたしは歩いた。

すると洞窟の奥で先で父さんが立ち止まっている姿が見えた。

「どうしたの?」

父さんの傍らに来て、あたしがそう尋ねたとき、

父さんの視線の先に一人の人影があった。

「…おっ女の人?」

水の張った大きな窪地の中に全裸の女の人が静かに眠っていた。

いや、上半身を見ると確かに人間の女性だが

翠色の髪の毛に

腰から下は魚の尻尾の姿をした。

まさに人魚そのものだった。

「…死んで16年経っても朽ちもせず

 ずっと娘が来るのを待ち続けたか、

 沙里っ」

父さんは愛おしい表情で人魚を眺めた。

「娘って…」

あたしが声を出すと、

「そうだ、由里っ

 この人がお前の本当の母さんだよ」

その人を背に父さんはそうあたしに告げた。



「!!っ

 母さん?…

 この人が?

 あたしの?」

あたしは再び人魚に視線を戻した。

「由里…

 お前…父さん達に隠していることがあるだろう」

父さんのその言葉にあたしはハッとした。

「まぁいい…

 それはお前自身のことだから、

 父さん達は何も言わないし、何も出来ない」

と言うと再び人魚を眺めた。

「……知ってたの?、

 あたしの体のこと…」

あたしはためらいながら訊ねると、

「…ずっと、迷っていた。

 いつかはお前に本当のことを言わなければならない…

 いつかはお前を海に返さなければならない……

 そう言う思いと、

 すでに私の娘となった前を手放したくない思いとがな…

 でも、コレはお前の問題であり、

 お前が決めることだ。

 人魚の血を引くお前が、

 由里としてこのまま人間界にとどまるか、

 それとも、人魚として海に帰るか、

 お前が決めなくてはならない…」

父さんはそう言うと洞窟の出口へと向かいそしてそこから見える海を見つめた。

「そっ、そんな…

 突然そんなことを言われてもあたし困っちゃう…

 そりゃぁ、あたしの体が人間でないことには前から知っていたけど…

 だからといって、

 いきなり海に帰るか、

 ココに残るかと言われても…」

あたしはそう言いながら人魚の骸を見つめた。

「…それに、

 この人があたしの本当の母さんだなんて…
 
 そんなこと…」

あたしは混乱していた…

どうしていいのか判らなかった…

「……明日…

 ココの海が割れる…」

「うん、

 ここに来たのもコレを見ようって

 父さんが誘ったからでしょう?」

「そうだ、

 そして、そのときお前に海から迎えが来る」

「え?」

「お前を連れにな…」

「そんな…」

「そのもの達と共に海へ行く行かないはお前の意思だ、

 好きにするがいい」

父さんはそう言うと、

再び戻ってきて人魚の骸に線香と花を添えた。



宿に戻ってからもあたしは考え込んでいた。

あまりにも一度にたくさんの情報が入りすぎた。

父さんは、あたしが人間でないことを知っていた。

そして、あの洞窟の人魚があたしの母さんだった…

明日、海からあたしを迎えに来る者達…

「どうすればいいの…」

食事後ぼんやりと夜空を眺めていると

「悩んでいるのね…」

いつの間にか母さんがあたしの傍らに立っていた。

「母さん…」

振り向きながらあたしが声を上げると、

「お母さんに会ってきた?」

母さんはにっこりと微笑むとやさしく言った、

コクン

あたしは黙ったまま頷くと、

「そう…」

「あのぅ…」

「沙里さんはねぇ父さんの幼なじみでもあり、

 そして、あたしの命の恩人なのよ」

と母さんは夜の海に視線を移しながら言う。

「え?」

母さんの意外な言葉にあたしが驚くと、

「父さんは沙里さんと結婚する気だったそうだわ…

 けど、沙里さんは悩んだ末に自分は”人”ではない。

 と言うことを父さんに告白すると、

 一人海に帰っていったの…

 父さんはだいぶショックだったらしい…

 そのときあたしと出会ってね…」

「ふぅ〜ん」

「で、結婚の直前…

 父さんは沙里さんがここに居ることを知ったとたん

 あたしを連れてここに来たのよ」

「なんで?」

「よくは判らないけど、

 きっと沙里さんを安心させて

 向こうへ送ろうとしたんじゃないのかしら…

 無論、あたしは面白くなかったけどね…」

「それで…」

「この下の海岸で沙里さんに会ったの

 そのとき、

 うわぁぁぁ…人魚って本当にいたんだ。

 って感動したんだけど

 でも、それと同時に父さんは重大な事実を知ったわ」

「え?」

母さんは一呼吸置いて、

「……それは沙里さんに父さんとの子供がいたのよ…」

と言った。

「子供?…それって…まさかあたし?」

あたしが自分を指さして言うと

母さんは頷いた。

「父さん…悩んじゃってね…

 もぅあたしをほっぽらかして…

 で、ついにあたしと大喧嘩…」

「………」

「その時だったわ…

 怒って帰ろうとしたあたしが足を滑らせて

 海に落ちてしまったの

 しかも、運悪く”海割れ”が始まってね、

 潮に流されるあたしを沙里さんが追いかけてくれてね」
 
「そっそれで…」

「あたし…

 その時もぅダメだ…

 って観念しそうになったんだけど

 その時”諦めちゃダメ”って

 沙里さんに励まされたのよ、

 それと同時に彼女はあたしの手をグィと

 引っ張っていってくれて岸に引き上げてくれたんだけど

 沙里さん、その時に大けがをしてね、
 
 結局それが原因で命を…」

そう言う母さんの表情は曇っていた。

「じゃぁ、あたしを育ててくれたのは…」

「沙里さんが息を引き取る前に、

 あなたのことを心配する沙里さんに

 あたしと父さんがあなたの面倒を見るって

 約束をしたのよ………」

母さんはそれ以上何も言わなかった。

「そうだったんだ…」

あたしは夜空を見上げていた。



翌朝…

あたしは母さんの傍に立っていた。

そして、”海割れ”の時間が刻々と迫っていた。

しかし、あたしはまだ迷っていた。

「…母さん…あたし、どうしたらいいの…」

そう呟くと

『…由里…』

声が洞窟にこだまする

「え?」

あたしが周囲を見回していると、

『…由里…

 大きくなったね…』

と再び声が聞こえた。

「お母さん?」

あたしが声を上げると、

すぅ…

あたしの目の前に一人の人魚が姿を現した。

『……海に戻るか陸に残るかは、

 …あなたが決めることです…

 …あたしは何も言いません。

 …あなたが悔いのない選択をしてくれれば

 …あたしは満足ですよ…』

「お母さん…それで本当にいいの?」

『えぇ…

 ただし…あなたは人間ではない…

 無論人魚だからといって人間と結ばれない。

 ってことはないわ…

 でも、人間の中には色々な考えを持つ人がいるから、

 そう言う人たちの中で暮らしていくのは大変ですよ。

 でも、あなたは長い間人間達の中で暮らしてきました。

 大丈夫っ
 
 自信を持って…』

「うん…」

あたしは自分の手を見つめるとそう呟いた。

『…では、あなたにコレを託します…』

ポゥ…

あたしの目の前にピンポン玉サイズの水晶玉のような玉が姿を現した。

「これは?」

『”竜玉”と言います。

 あたし達人魚族にとって力の源であるのと同時に命の糧…
 
 受け取って…』
 
「………」

あたしは黙って手を伸ばすと竜玉を手に取った。

その瞬間

ズキッ

電気が流れるような痛みが走った。

「ねぇお母さ…あっ」

竜玉を手にあたしは目の前の母さんに視線を移したとき

母さんの骸はまるで砂の城が崩れていくように、

ゆっくりと壊れ始めていった。

「お母さん…」

『…大きくなった貴方に会えて良かったわ…

 あたしはもぅ寝ます…

 由里っ

 辛いことがあるかもしれないけど

 そんな事に負けないで生き抜くんですよ
 
 ………じゃぁね』

と言う声を残して、骸は消えていった。

しばらくの間あたしは母さんの骸が無くなった窪みを見つめていたが

「…ありがとう…

 母さん…

 あたしを元気付けてくれるためにずっと待っててくれて…」

と呟くと洞窟を後にした。

ザザザザザザ…

海割れが始まった。

もの凄い勢いで潮が引いていくと、

見る見る沖合の島との間に一本の道が姿を現した。

「おぉ…」

岬の展望台の上では大勢の群衆がこの現象を見物していた。

そして、その中に父さんと母さんが並んで立っていた。

潮風を受けながら、

「あなた…由里はどっちを選ぶのかしら…」

と父さんに言う。

「さぁな、由里が決めることだ

 僕達には何も言えないよ」

と答えると、

「そうねぇ…

 16年前、沙里さんが身を呈してあたしを助けてくれて

 それが原因で命落として…」

「あぁ、彼女を育て上げる、

 それが沙里さんとの約束だったもんなぁ」

そう言うと父さんは母さんの方の手を置いた。



ゴゴゴゴゴゴ…

あたしは目の前で海面が割れていく様子を眺めていると、

『ユリ…』

海の中から声が聞こえた。

「ここにいます…」

あたしは声を張り上げた。

『お前を迎えに来た…来いっ』

と言う声がすると、あたしは

「申し訳在りませんっ、

 あたしは……陸に残ります」

っと決意を声にした。

『……それで良いのか?』

「はいっ」

『…悔いは無いか』

「はいっ!!」

思いっきり返事をすると、

『よし判ったっ、お前は陸に残るがよい…』

その声がすると、

割れていた海が元に戻り始めた。



おぉっ!!

上の方からどよめきが巻き起る。

あたしは戻り始めた海を見つめながら、

「これでいいんだ…

 後戻りは出来ない」

あたしはそう呟くと、

ギュッ

っと手を握りしめ、

そして、来た道を引き返し始めた。

父さん・母さんの元に戻るために。


「ふぅ…」

洞窟から岬に登ったあたしは、

父さんと母さんが二人並んで海を眺めているのに気づくと

「お父さん!!

 お母さん!!」

と叫びながら走っていった。

「!!っ

 由里っ」

二人はあたしの姿の驚いた顔をすると、

あたしのその中に飛び込んでいった。

「……お前…」

「えへへへ…

 あたし決めたの、

 こっちに残るって…

 母さんもあたしの好きにしていいって言ってたし…」

そう言うあたしに

「母さんって沙里に会ったのか?」

父さんは驚いた口調で言うと

「母さん…

 あたしがここにくるのをずっと待っていたんだ

 でも、あたしと話をしたら行っちゃった…」

それを言ったとき、

あたしの眼から思わず涙がこぼれ始めた。

「あれ?、何でだろう…なんで涙が…」

零れ落ちる涙を何度も何度も手をふき取ると、

「はいっ」

母さんがハンカチをあたしに差し出した。

「…ありがとう…」

あたしがそれで目を抑えると、

胸の奥に押さえ込んでいた感情が噴出してしまた。

母さんは何も言わずそっとあたしを抱きしめてくれた。

「…本当にいいのね…」

とやさしく言う、

あたしは首を縦に振った。

「…だって、あたしは父さんと母さんの娘だもん」

と言うと、

「そうか…」

父さんはそう言うと海を見つめていた。



岬から宿に戻ると、主人が血相を変えて飛び出してきた。

「さっ、三枝さんっ、

 たっ大変ですよ!!」

「どうしたんです?」

「お宅の下のお嬢さんが、

 行方不明になっているんですよ」

と叫んだ。

「何ですってぇ…」

母さんが叫び声を上げる。

「ウチのものが言うにはお嬢さん

 ”海割れ”を見に行くって
 
 行ったそうなんですが、

 それっきり帰ってこなくて…

 で、いま駐在が漁協に捜索の船を要請しに行ったんですよ」

と息を切らしながら喋った。

「海割れって…」

父さんが叫ぶと

「あなた…」

母さんが父さんを見つめる。

「父さん、母さん…あたしちょっと行ってくる…」

あたしがそう言うと、

「由里っ」

父さんが叫ぶ、

「大丈夫だって…

 あたしの力思いっきり使わせてもらうから…

 待ってて…

 必ず千晶を連れて戻ってくるから!!」

そう叫ぶと、

あたしは海に向かって再び降りて行った。

潮は満ちて洞窟は半分以上水に浸かっていた。

「そうか、母さんが居なくなったから結界が切れたんだ」

あたしは懐から竜玉を取り出した。

キン

竜玉は潮風を受け淡く光る。

「お願い…千晶がどこにいるのか教えて…」

そう願うと、

フワッ

っと千晶の姿が映し出された。

『お父さん…

 お母さん…

 お姉ちゃん

 助けて…』

千晶は徐々に満ちてくる潮に行き場かなくなり泣いていた。

「居たっ

 どこ…?」

彼女の居る場所を探す…

「ん?ここは?」

そう、既に腰までに海水に浸かって泣き叫んでいる千晶の居る場所は

目の前の洞窟の奥…

そう、母さんが居たところだった。

「あの子…この洞窟の入ったんだ…

 でも、この状況だと…

 早くしないと…」

あたしは服を着たまま海に飛び込んだ、

ゴボゴボゴボ

海の中で服を脱ぎすてると、

海水に包まれたあたしの身体が変化していく、

サァ…

髪が翠色に染まると、

両脚が一本にくっつき、

紅色の鱗が腰から下を覆い始める。

やがて足先が鰭の形に変化すると、

あたしは人魚になった。

「千晶…待ってて、いま行くから」

あたしは洞窟に向かって海の中を泳いでいく、

「くっ…流れが速い…」

洞窟の入り口はあたしを拒むようにして潮が渦巻いていた。

「母さんを殺したのもこの潮ね…」

あたしはキッと睨み付けると、

潮の目をかぎ分けながら洞窟に向かって行った、

『由里っ、気をつけて…』

母さんの声にハッしたとき、

ドンッ

あたしの目の前を猛烈な潮の流れが走り抜けていった。

「危ない…」

あたしは身をくねらせて流れをよける、

そしてその隙に一気に洞窟内へと飛び込んだ。

「千晶どこ…」

あたしは賢明に洞窟内を探す…

「!!」

「いたっ」

洞窟の奥で千晶の体が波間に浮かんで居るのが見えた。

サッ…

あたしは妹を抱きかかえると、

大急ぎで外に出る。

「お願い…間に合って…」

そう念じながら、渦巻く潮の中を一気に突っ切った。

ザザン…

半ば海から飛び出すようにして、

海岸に這い出ると

「千晶っ、千晶っ」

あたしはそう叫びながら盛んに彼女の顔を手で叩き、

思いっきり胸を押し続けた。

やがて…

ゲホッ…ゲホッ

千晶は海水を吐き出すと、

「うっう〜〜〜〜ん」

気がついたのか妹はうっすらと目を開けた。

「良かったぁ〜」

あたしは思わず千晶を抱きしめた。

「だっ誰?」

耳元で千晶の声がした。

「あたしよ…」

顔を離してそういうと、

「おっ、お姉ちゃん?

 何で裸なの?
 
 それに…その髪…
 
 ……えっ…えっ…えぇっ!!」
 
千晶は翠色のあたしの髪に驚き

さらにその視線を鱗の覆われた下半身に移してさらに驚いた。

「おっ、お姉ちゃんって…人魚?」

呆気に取られている千晶の様子に、

「うふふふ…気づいた?

 あたし…人間じゃなかったのよ」
 
と言って妹に抱きつく、

「そんな…お姉ちゃんが人魚だったなんて…」

「でもね…掟があるの…」

「え?」

「この体を見た者を始末しなくっちゃいけないのよ…」

と言うと、千晶の首筋に爪を立てた。

「いやぁぁぁぁ…」

ドンッ

千晶は叫び声をあげると、

あたしを思いっきり突き飛ばした。


「キャハハハ…

 嘘よ嘘…

 そんな掟が在るわけないでしょう…

 昨日のお返しよ…」

っとあたしは悪戯っぽく笑うと、

クッ

体に力を入れた。

見る見る足先の鰭が姿を消し

一つになっていた足が二本に分かれ、

覆っていた鱗が姿を消す。

スゥ…

翠色の髪が元の黒髪に戻った。

「よいしょ…」

そう言って立ち上がったとき、

「もぅ、脅かさないでよ…」

ふくれっ面をした千晶が文句を言う、そして、

「お姉ちゃん?、服はどこに置いたの?」

と千晶が言ったとたん

「…服?………

 ハッ
 
 しまったぁ!!…」
 
あたしは重大なことに気づくと叫び声をあげた。

「はぁ…やっぱり、いつものお姉ちゃんだわ…」

千晶は頭を掻きながらそう言った。



ガチャ

玄関のドアを開けると真夏の日差しがあたしを照らす。

「行ってきまーす」

あたしはそう言うと家を後にした。

「あっ、おねーちゃん待ってよ」

千晶がそう叫びながら後から追ってきたがあたしはあえて無視をした。

「もぅ、おねーちゃんたら…ひどい…

 あたしを置いてっちゃうんだがら」

千晶は膨れっ面をしてあたしの横を歩く、

「モタモタしているあんたが悪いんでしょう?」

冷たくあたしが言うと、

「………」

千晶はあたしの顔を覗き込むなり、

「ねぇお姉ちゃん、一つ聞いていい?」

と尋ねてきた。

「なによ」

警戒しながらあたしが返事をすると、

「お姉ちゃん…

 人魚なのになんでプールで泳げないの?

 カナヅチの人魚ってあんまり居ないと思うけど…」

と不思議そうに尋ねた。

”くっあたしの気にしていることを…”

と思いながら、

「あんたねぇ…

 プールの水って真水の上に薬品で汚染されているのよっ

 そんな水の中に長く浸かっていたら死んじゃうわよ」
 
と説明すると、

「なるほど…

 そう言えば金魚の水を換えるときって

 水道の水をしばらく置いてカルキを抜くって言うもんね」

と納得をした様な顔をした。

「コラッ!!

 あたしと金魚とを一緒にするなっ」

千晶のその声に思わず怒鳴ると、

「人魚と金魚って一文字しか変わらないじゃない。

 そうだ、こんどお姉ちゃん用に水槽買ってあげるね…」

と千晶はペェと舌を出すと走り出した。

「言わせておけば…

 こらっ、千晶っ命の恩人は誰だ!!」

千晶を追ってあたしも走る。



「……お母さんへ…

 あたし…陸の上で頑張ってみます。

 だから見守ってね」



おわり