風祭文庫・人魚変身の館






「鱗」



作・風祭玲

Vol.056





「吉田、またタイムが落ちているぞ」

プールから上がってきた競泳パンツ姿の少年に

ストップウォッチを片手にタイムを計っていたコーチが言う。

「どうした、いつものお前らしくないなっ

 このままでは今度の大会からのメンバーから外れて貰うことになるぞ」

と言うと、

「………」

彼は何も言わずにタオルを取るとスタスタと更衣室へと行ってしまった。

「おい、吉田」

「よせ」

ほかの部員が彼を追いかけようとするのをコーチが止めた。

「これは、あいつ自身の問題だ、

 あいつが解決しなければ何もならない」

と言うと、プールから出ていく彼の後ろ姿を眺めた。


ガンッ

「くっそぉ」

更衣室に戻った吉田は思いきりロッカーをけ飛ばした。

彼自身、いま自分が大会を控えてスランプに陥っていることは十分に判っていた。

しかし、藻掻けば藻掻くほど泥沼に陥っていく自分の姿に苛立っていた。

「駄目だ駄目だ駄目だ」

彼は自分の頭をくしゃくしゃにすると、

「はぁ」

っと大きなため息を吐いた。



「どうすりゃぁいいんだ、このままでは俺は」

帰宅途中、彼は常にそのことを考えていた。


自宅に帰ると一つの封筒が彼の元に送られて来ているのに気づいた。

「何だこれ?」

部屋に入って彼がそれを開けると、

丁寧にビニール袋に包まれた魚の鱗のようなものと一枚の紙が出てきた。

「鱗?」

彼はそう思って取り出すとそれを眺めた。

それは一見おもちゃの様にも見える鱗だが、

素材は一般のおもちゃのようなプラスチック等ではなく、

まるで魚からはぎ取ったかのように生々しかった。

「何で出来ているんだろう?」

俊介は明かりにかざしてみたり、

臭いを嗅いでみたりしたが、

それの素性はさっぱり判らなかった。

仕方なく鱗を机に置くと、同封の紙を開いた。

そこには、同封の鱗は「人魚の鱗」と言うもので、

それを身につけると、

いま彼が置かれている状況を一気に解決できるアイテムである。

と言う趣旨の事柄が書いてあった。

「これを身につければ問題解決する?、ホントかなぁ」

彼は鱗を手にとってしげしげと眺めた。

「『人魚の鱗』って言うからには泳ぎが早くなるのかな?」

そう思うと、いま俊介が直面している問題が頭をよぎった。

すると、彼は洗ったばかりの競泳パンツを取り出すと、

尻の部分にその鱗を張り付けた。

「これで、タイムが短くなるなら、誰も苦労はしないけどな…」

と苦笑しながら呟いた。


しかし、彼は同封されていた

もぅ一枚の「注意書き」の存在には気がつかなかった。

そこには

「一週間の間に合計15時間以上の使用すると

 力が無くなるので控えるように」

と言う注意書きがあり、そして、

「効力が無くなった『人魚の鱗』は

 使用者に重大な影響を与えるので注意すること」

という警告がなされていた。


「人魚の鱗」の効果はすぐに現れた。

翌日、再起を掛けてタイムを取ると、

これまでの自己記録を大幅に更新する数字を叩き出した。

「おい、俊介どうしたんだ?」

みんなが彼に詰め寄る。

「すげぇ、あの鱗のおかげだな」

俊介は鱗の効力に驚いた。

そして彼は無事大会のメンバーに選ばれた。



大会当日

俊介は鱗のお陰で順調に勝ち進み、ついに決勝へ出ることか出来た。

「俊介、落ち着いていけ」

「がんばれよ」

「お前なら大丈夫」

コーチや仲間が彼を励ます。

「おぅ、任せておけ」

彼は一言そう言うと第5コースに立った。

一瞬の静寂の後、

合図と共に横一列となった選手はプールに飛び込んだ。

俊介の頭の中には「優勝」の二文字があった。

しかし、競泳パンツの裏側に仕込んでいた「人魚の鱗」は、

すでに注意書きに書かれていた使用限界を超えつつあった。

「よし、いける」

俊介は確かな手応えを感じていた。

そして一回目のターンをした頃、ついに使用限界を超えた。

力を使い果たした「人魚の鱗」は競泳パンツから離れると

主を求めて俊介の身体へと張り付いた。

そして、ジワリジワリと増殖を始めると彼の肌を覆い始めた。

2回目のターンをしたときには増殖した鱗は競泳パンツからはみ出し始め、

鱗が足を覆うに連れ彼の泳ぐスピードは徐々に増していった。

「今日は調子がいい、このまま行けば」

俊介はまだ自分の身体に起きている異変に気がつかなかった。

しかし、彼を外から見ている観客達は彼の異変に気づき始めていた。

「おい、5コースを泳いでいるヤツの足おかしくないか?」

「あぁ、なんだか妙に赤くなってきたな」

たちまちのうちにざわめきが沸き上がった。

3回目のターンの時には鱗は足を覆い尽くすと、

徐々に競泳パンツがずり下がり始めた。

変化は足だけではなかった、

扁平だった胸に小さな膨らみが現れると

風船を膨らませるように見事なバストとなり、

腰は引き締まるようにくびれ、肩は小さく腕は細くなっていった。

やがて、髪がじわり伸び始めると緑色の髪となって彼の後ろ姿を飾った。

そして、4回目のターンのとき競泳パンツが脱げ落ちると、

彼の下半身は美しい朱色の尾鰭となって身をくねらせながら泳ぎ始めた。

会場からは一切の音が消え、プールを泳ぐ彼の姿を皆追っていた。


「あと少し…」

「もぅちょい」

「………」

タン

和宏はついにゴールの壁にタッチした。

「やったぁ」

俊介はうれしさのあまり飛び上がった。

大勢の観客が見守る中、

一人の美しい人魚が水面の上を華麗に舞った。



おわり