風祭文庫・モノノケ変身の館






「処刑」



原作・HARU(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-008





21××年4月8日

最高裁判所、第3小法廷に年の頃は20代半ばと思える一人の女性が立っていた。

彼女の名は若井香夏子。

保険金目当てに夫に睡眠薬を飲ませ車に乗せたあと、

湖に車ごと葬り去った罪で裁判にかけられており、

その判決が下りる時を真剣な眼差しでジッと待っていた。

やがて裁判官は神妙な面もちで判決文を読み上げ始める。

「被告人若井香夏子!

 自己中心的かつ残虐非道な行為は許しがたいモノがある、

 その上計画性もあり、
 
 同情の余地は無い、
 
 従って生物転換刑を以って被告人を処する!」

香夏子は覚悟をしていたのか、

裁判長の判決を表情一つ変えずに聞いていたのであった。

そう生物転換刑とは約50年ほど前に死刑に変わって設置させられた刑罰で、

クローン技術の応用し人間から他の生物へと変えてしまう

死刑制度が廃止された現在の刑罰では一番重い刑罰なのである。

人間である事実を強制的に消滅させられるのだから、

まさに事実上の死刑と言ってよいだろう。

一方で、この刑罰のもぅ一つの趣旨は他の生物に姿を変える事により、

崩れ去りつつある生態系の秩序を回復させる狙いもある。

ただ単に死刑にするよりかは利用する事によって罪を償う。

といった風潮が生んだ刑罰で、

主に殺人もしくは姦淫を犯した者に適用される。

そして変身させられる生物の種類も様々である。

判決文を読み終えた裁判長が退廷するのを見計らうかのようにして、

香夏子は看守と共に護送車へと連れて行かれた。

バムッ!!

香夏子を乗せた護送車が裁判所を出発してから、

約1時間程で目的地である執行所でもある研究所へと到着する。



研究所に着いた香夏子まず医師によって

身体検査を行ったあと診療台に仰向けに寝かされた。

そして、口を強制的に開けさせられると

ホースの様な管を差し込まれた。

スッ

医師の腕が上がると

そこから粘質な液体が勢いよく流し込まれ始めた。

ゴボッ!!

「う、う…!!!」

液体が逆流しないように管は喉の奥深くに差し込まれ、

香夏子はただひたすら藻掻き苦しむ。

グブグブグブ…

仰向けな状態でも分かる位にお腹が上に膨らみ

それによって呼吸も満足に出来ない程に変化していたが、

やがて身体中に吸収されたのか

膨らんだお腹も時間が経つに連れて元の状態へと戻っていった。

ムズムズ…

身体が痒くなってきたのを感じながらも香夏子は独居房へと送還された。

そこは重罪人を収監するのに何故かユニットバスが完備されており、

バスにはしっかりと水も張られていた。

「何で転換刑の囚人にこんな設備のある部屋を提供したの?、

 最後の贅沢ってヤツ?」

もっと不衛生で粗末な部屋を想像していただけに

香夏子にとってそれは意外ではあった、

しかし、彼女がユニットバスのある独居房へ収監された意味を知るのに

そう時間はかからなかった。

収監されてすぐに食事が運ばれたのだが、

その皿の上に出されたモノを見て香夏子は唖然とした。

なんと、生臭さが漂う魚が1匹皿の上に置かれただけであった、

「ちょっと!、なによこれ!?

 半分腐ってる生魚じゃない!」、

香夏子が看守に食ってかかったが

しかし彼は表情一つ変えずに

「すぐに自分から食べたくなるようになる、

 それまでは強制的にでも口にいれてもらう」

と答えると

ガシッ

香夏子の口に器具を押し込むと無理矢理こじ開け、

そして手早く魚を丸ごと口の中に押し込んだ。

「う、おぇーッ」

そして香夏子のあまりにも短い食事タイムは終わり魚への嫌悪感だけが残った。

そして次の日も、

彼女への食事のメニューは生魚1匹でしかも同じ種類であった。

その頃から香夏子の身体に次第に変化が現れ始め

2日目には彼女の身体の色は深緑色へと変貌していった。

そしてさらに、当初は受け付けなかった生魚も

すっかりと彼女の主食と化してしまい好物となり、

実験として看守が他の食物を持ってきて食べさせても

香夏子は拒絶反応を起こしてしまう程になってしまっていた。



「第一段階通過、これより第二段階への経過を見守ることとする」

食事をしている香夏子の様子を鉄格子越しから覗きながら

看守は通信機で状況を伝えていた。

3日目に入る頃には香夏子は身体の乾きをひどく感じる様になり、

バスに入り浸りするようになった。

そして手足には水掻きが張り、

さらに爪は鉤爪の如く鋭く長く変貌を遂げていた。

また、以前から痒みを感じていた背中の皮膚が裂けると

甲羅が日に日に成長していくのであった。

食事の量も以前とは比べ物にならない程急加速的に増大していった。

1食につき1匹だった例の生魚も30匹に増え、

完全に腐臭を漂わせているモノまで食べるようになった。

そして、食事量が増えるにつれ香夏子の身体は大きく変貌を遂げ始めた。

顔に変化が現れると、目は青色へと変色し顎や頬も異常に発達してきたのである。

そして唇が固く尖る様になったかと思うと、

縦横に広がり鳥の様な嘴へと変わっていった。

舌も長細く黄色いものへと変化しており、まるで蛇の様にうねらせていた。

「これはもしかして…、でも架空上の生き物のはず?」

香夏子は変貌していく自分の体を見ながらそう一人呟くが、

その声もすっかり変わってしまいより甲高い声域を保っていた。

「頭が、頭が痒い…」

と頭を強く掻くとパラパラと抵抗も無かったかの様にスルリと髪が抜け落ちていく、

「どうせ髪が無くなるなら自分の手で…」

パラパラパラ…、

と頭を水掻きの張った手で滑らせていくと

彼女の頭にあった黒と深緑色の境界線がどんどんと上に上がっていく、

手の動きが頭部全般に及ぶと香夏子の頭は、

見事なまでのツルツルの坊主頭になっていた。

頭を触ってみるとペタッとした感触しかなく

やがて眉毛も抜け落ちていったのである。

「はは…あはは…」

独居房に香夏子の乾いた笑い声が響く頃、

「第二段階通過、観察用水槽への搬入可能な状態になる事を確認!」

と経過を見守っていた看守が通信機を通じて連絡すると、

「出ろっ!!」

その声が響くと香夏子は独居房から出された。

「みっ水…」

わずか数十メートルを歩いただけなのに

香夏子は異常なまでに身体の乾きを感じるようになる。

そして、水槽のある部屋に到着する頃には

水の中に入りたい欲求が彼女の頭の中で支配していた。

しかし、水槽に入る事は許されず、

香夏子は近くの診療台へと縛り付けられた。

そして、彼女の頭には人工的に作られた皿を手術によって装着させられ

さらに神経系機能も通された。

「この皿に水分が無くなったとき、被告人は消滅するからそのつもりでいたまえ」

と執刀医から説明を受け、

身体検査が終わった後ようやく彼女は水槽の中に入る事が出来た。

あらゆる魚を水槽に泳がせていたが

河童と化した香夏子はあの魚以外食べなかった。

そう、あの魚とは害魚の事でありその姿を満足げに執刀医や助手が見守っていた。

「今回初めて架空上の生物形態の転換手術でしたが、

 予想以上に成果を収めましたね」

「うむ、害魚だけを主食とする生物がいればとのコンセプトだったが上出来だな、

 繁殖能力と生命力が高い魚だけに
 
 環境対策担当者も頭を抱えていたから喜ぶ事だろう」

助手の一人が連絡をすると2時間後にスーツをまとった男が到着した。

男の名は片瀬春利と言いS湖の環境対策部門の担当者であり研究の依頼主でもあった。

彼は香夏子が他の魚には見向きもせず

害魚のみを貪る姿を見ると満足げな表情を浮かべた、

「我々の需要にピッタリです!、すぐにでも引き取りたいぐらいですよ」

春利が満足げに答えると

助手が更に用意してあった既に死んだ害魚を水槽に流し込んだ。

もう既に1時間で100匹以上のペースで

魚を食べているはずの香夏子であったが止まらない。

新たな餌を見つけると勢いよく泳ぎだし

流し込んだ害魚を残らず食べ尽くしてしまったのだった。

「ほぅ、この害魚は焼いても臭いし勿論食べられないから

 釣り人にも不人気で困っていたのに、

 これだけの食欲ですから実に頼もしい限りですし
 
 他の魚への影響が無いのが嬉しいです」

片瀬はそう言って絶賛した香夏子は

既に腹回りは大きく膨れ、まるで相撲取りの様に大きく張っていた。

やがて全てを食い尽くした香夏子は水槽から引き上げられると、

用意されていた搬送用の水槽へと移された。

香夏子の搬送先は害魚の被害により生態系が大きく狂ってしまったS湖、

S湖に到着すると香夏子は定期的に成果を調べる為の発信機付の首輪を締めると

湖の奥深くへとその身体を潜らせていった。

それから、日を追うごとに害魚の数は減り、

さらにこの魚によって食い荒らされた魚達も少しずつではあるが増え始めた。

1ヵ月後再調査の為発信機を辿り香夏子を引き上げてみると、

彼女の甲羅には苔が生い茂り、

お腹は更に膨らんでいるものの腕と足の筋肉が盛り上がっていた。

乳首の無い胸も柔らかみが消え

触診してみると完全に筋肉へと変貌していったのである。

「ここの居心地はどうだね?、食料は豊富だし言う事無いだろう」

と香夏子に質問してみると首を左右に振りながら答えた、

「魚が日に日に激減していて困っています、あぁもっともっと食べたいのに…」

と言う答えを聞くと

研究員と春利は別の湖で捕獲した害魚の入ったバケツを香夏子に見せた。

「よく働いてくれている様だから私達からの心ばかりの差し入れだよ」

と言うやいなや香夏子はバケツの中に顔を突っ込むと

中身をあっと言う間に全て平らげてしまった。

食べ終わるのを確認すると再び香夏子を湖へと返しその姿を見守っていた。

そして、1年後には害魚の存在は確認されなくなり、

S湖での香夏子の存在意義も無くなった。

そう、S湖の生態系における機能も回復し問題は全てクリアされたのであった。

「では次はR湖に…」

S湖の害魚を食い尽くしてしまった香夏子はR湖へと搬出されていった。

こうして彼女は害魚があふれる湖を転々とした後、息を引き取った。

なぜなら害魚が消滅してしまったこの国では、

害魚を食べることしかできない彼女は餓死するより他になかった。

遺骸は引き上げられると、

研究所へと運ばれた後、標本としてその姿を晒している。



おわり




この作品はHARUさんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。