風祭文庫・モノノケ変身の館






「鬼一口」


作・風祭玲

Vol.908





「このバス、・・山に行きますか?」

冷たい季節風が吹き抜けていくとある街のとあるバスターミナル。

停車しているバスの運転手に向かって一人の少女が話しかけると、

「あぁ、行くよ。

 運賃後払い、整理券とってね」

と発車準備をしていた運転手は愛想良く返事をする。

「ありがとう」

リュックを背負った少女は礼を言うとバスへと乗り込み、

それと同時に

フォン…

クラクションの音と共にバスは駅前のターミナルは発車した。

少女を乗せたバスの行く先はこの先に聳える峠を越えた先にある霊場。

ウォォォン…

エンジン音を響かせバスは街を取り囲む国道バイパスを潜り抜け、

街から出ると峠に向かってすすんでいく。

ターミナル出発時にはほどほどの乗客が乗っていた車内も停留所に止まる毎に

一人、また一人と乗客が降りていき、

ついに乗客は少女ともぅ一人の若い女性だけになってしまった。

「ふぅ…」

最後部の座席に座る少女は思いにふけるかのように視線を車窓に映す。

ザザザッ

ザザザッ

車窓には鬱蒼と茂る藪が流れ、

路肩の一歩向こうは人知が及ばぬ異世界のようにも見える。

「はぁ…」

そんな藪を眺めつつ、少女はため息をつくと、

「もう、いいや、

 何もかも嫌になっちゃった」

と呟きながら、

ギュッ

手の中にある整理券を握りしめる。



ゴォォォ…

乗車して30分近くが過ぎ、

峠が迫り勾配がきつくなってくるにつれ

エンジン音はさらに大きくなり唸り声を上げ始める。

またハンドルを握る運転手の動きも慌しくなってくると、

ゴロロロ…

突然天から雷鳴がとどろき始め、

雷光を明滅させる黒雲が見る見る迫ってくると、

ザバァァァァァ…

みぞれ交じりの叩き付ける雨が降り始めた。

「うわっ雨だ…」

窓をたたきつける雨を見ながら、

「どうしよう、

 傘持って来てなかった」

と少女は困惑した口調で呟くが、

スグに、

「別にいいか、

 もぅあたしには必要が無いんだから」

作り笑いを浮かべながらそうつぶやく。



程なくして雨は雪となり、

吹き付ける雪の中をバスが進んでいくと、

バスの進行方向にポッカリと口を開けているトンネルが姿を見せる。

すると、

オォォォォン…

なぜかエンジン音が下がり始め、

キキキッ…

雪の中、バスはトンネルの前で停車した。

「なっなにかな…」

運転席の方を見ながら少女は不審に思っていると、

パタン…

閉じていたドアが開き、

『整理券をお取りください』

のテープの声と共に

コト…

和服姿に日本髪を結う女性がバスに乗り込んで来た。

「え?

 こんなところで、女の人?」

奥深い山中にあまりにも不釣合いな女性の登場に少女は目を丸くすると、

ス…

女性はバスの最後尾までくると、

静かに少女の隣に腰を下ろす。

フォン

女性の着席を見届けるようにバスはクラクションを鳴らすと、

オォォォォン…

エンジン音を響かせトンネルへと入って行った。



峠を貫くトンネルは竣工から長い時を経ているようで道を照らす照明はなく、

壁からは地下水によるシミが幾重にも浮き出し、

また、路面が荒れているのか、

ガタガタとバスを大きく揺さぶってくる。

そして、少女は室内がの様子が反射する車窓を見つめ、

じっとトンネルを出るのを心待ちにしていた。

「あれ?」

少女が自分の隣に座る女性の奇妙なことに気づいたのは

それから程なくのことだった。

「やだ、この女の人、

 傘を持ってないのに

 全然濡れてないじゃない」

そう、吹雪く雪の中、

傘も持たずに乗り込んできた女性が着ている着物には水のシミが一つも無く、

また、日本髪を結う頭も濡れている気配がどこにも無かった。

「どこかで雨宿りでもしていたのかな」

そう思いながら少女は視線を窓に映る女性に集中させていると、

『そんなに俺の顔が珍しいか?』

と言う男を思わせる唸るような声が響き、

ジロッ!

ゆっくりと女性の顔が少女の方へと向いたのであった。

「ひぃ!」

金色に輝く女性の瞳を見て少女は悲鳴を上げると、

ブワッ!

瞬く間に少女の周囲は漆黒の闇に覆われ、

闇の中には少女と目を輝かせる女性だけになってしまった。

「誰か!」

「運転手さぁぁん!」

辺りを見回しながら少女は悲鳴を上げるが、

『無駄だ…

 この場には俺とお前しかいない』

と女性は少女に向かって声を響かせ、

グッ!

腕を身構えて身体に力を入れると、

メリッ!

ベキベキベキ!!!!

不気味な音を上げながらその身体を膨らまし始めた。

「ひぃぃ…」

身体を膨らませていく女性を見つめながら少女は恐怖に慄く、

そして、その少女の前では

バリバリバリ!!

着ていた着物を引き裂き、

結い上げた髪を振り解いた女性が

小山のように盛り上げた体を真紅に染めていった。

「おっおっ鬼ぃ!!!」

女性の額から突き出した角を見て少女が悲鳴を上げると、

『コーホーッ

 おうよっ

 俺は鬼さっ』

不気味な息遣いと共に着物から姿を変えた虎皮の褌を締めなおして鬼はそう言うと、

ゴッ!

鋭い棘が光り輝く金棒を掴み上げ、

『お前も俺と同じ地獄の者になりたいんだろう?

 いいぜ、

 俺が連れて行ってやるぜ、

 地獄にさ』

と獣を思わせる爪が伸びる指で少女を指差した。

「だっ誰が、地獄なんかに!」

鬼に向かって少女は言い返すと、

『あははははは!!!』

それを聞いた鬼は大きな声で笑い声を上げ、

『定められら天寿を全うせずに自ら命を絶とうという罰当たりは、

 有無も言わさず地獄に落ちる。

 それくらい言われなくても判っているだろう』

そう少女に向かって言い、

『くくっ、

 さぁ、鬼になって俺と一緒に来るんだ』

と燃えるよう真紅の肌が覆う大きな手で少女の腕を掴みあげた。

「いやぁぁ!

 離して!

 離して!」

闇の中に少女の悲鳴が上がり、

ズルズル

と少女は金棒を担いだ赤鬼に引きずられていく。

「誰か、

 誰か助けて!」

少女はひたすら悲鳴を上げ続けていると、

ゴボッ!

突然口から血が噴出し、

「うぐっ!」

瞬く間に息が詰まってしまう。

「っ苦しい…」

ヒューヒュー喉を鳴らしながら少女は必死になって喉を掻き毟っていると、

『苦しいか、

 それが命を落とすときの苦しささ、

 なぁに、その苦しさは永遠に続くのさ、

 そして、苦しみながらお前は鬼になる』

苦しむ少女をせせら笑うように鬼は言うと、

メキメキメキ!!!

少女の足や手に筋が立つと、

ボコッ!

ボコボコボコ!!!

筋肉が盛り上がり、

肌が青く染まり始めだした。

「いやだ、

 いやだいやだ、

 死にたくない。

 鬼になんてなりたくない」

服を引き裂き、

身体を膨らませながら少女は必死に訴える。

すると、

『うるさいなぁ…

 ならその頭を落として未練を断ち切ってやろうか、

 なぁに、後から俺みたいな鬼の顔がちゃぁんと生えるんだから問題は無いさ』

少女の腕を引く鬼はそういうや否や、

ガコンッ!

担いでいた金棒を構えると、

首から下は青鬼と化してしまっている少女を見据え、

『おらよっ』

の掛け声を共に

ブンッ!

少女に向かって一気に振り下ろす。



それは一瞬のことだった。

「ひぃ!」

目を剥く少女の顔を金棒が抉り取ろうとしたとき、

カァァァァン!

何かが当たると金棒を大きくそらし、

ガツンッ!

金棒は少女とは大きく離れたところを直撃し、

ガラン

ガランガラン!

その反動で鬼の手から離れてしまうと音を立てて転がっていく。

『ってぇ、

 誰だ!』

しびれる手を押さえながら鬼は声をあげると、

フッ!

漆黒の闇の中に巫女装束を纏った女性が姿を見せ、

「鬼よ、

 ここはまだ現世、

 冥府の者が暴れるところではない」

とジッ見据えながら警告をする。

『んなっ』

巫女のその警告に鬼は驚くものの、

すぐに笑みを浮かべると、

『何を言い出すんだ。

 この女は死にに来たんだぜ、

 俺は面倒な手間を省きに来たんだ、

 邪魔をするなっ』

と少女を指差し強い態度で訴える。

すると、巫女は少女を見つめ、

『娘、

 その鬼の言うとおり、

 お前は鬼となって冥府の者になる決心はあるか?』

と尋ねると、

フルフル

少女は首を横に振り、

「死ぬなんてイヤよ、

 あたしはもっと生きたいのっ!」

と真剣な表情で訴える。

「という訳だ鬼よ、

 大人しくその娘を置いて冥府に帰れ。

 さもなくば、

 お前を滅するぞ!」

改めて鬼を見据え、

巫女は警告をすると、

『ちっ、うまく行くと思ったのによぉ』

悔しそうに鬼は文句を言いながら少女から手を離すと、

転がっている金棒を拾い上げる。

そしてチラリと巫女を見た途端、

『うがぁぁぁ!!!』

巫女に向かって金棒を大きく振り被った。

「危ない!」

それを見た少女の悲鳴が響くのと同時に、

「悪鬼退散!!!」

巫女の怒鳴り声が響くと、

ゴワッ!

突然、火炎が舞踊り、

『ぐわぁぁぁぁぁ!!!』

鬼の断末魔と思える声が響き渡ったのであった。



ブォン!

サミットを越え下り勾配に差し掛かったのか

エンジンの音が低い音に替わるのと同時にバスはトンネルから出ると、

サァァ…

日差しがバスの中に入り込んでくる。

「あっあれ?」

その日差しを受けながら少女はキョトンとすると、

バッ

バッ

バッ

慌てて自分の体を見るが、

しかし、少女の視界に入る自分の体はいつもと何も変わらなく、

服もそのままになっていた。

「あれは?

 夢?」

そう思いながらふと左腕を見ると、

「あっ」

少女の左腕には何者かが握った跡がしっかりと残り、

トンネルの中で起きた出来事が事実であることを物語っていた。

プシューッ!

それから程なくしてバスは終点である霊場入り口のバス停に止まり、

少女と同じように終点まで乗車していた女性の二人が降り立つ。

「どうしよう…」

荒涼とした火山地形のためか、

一見して地獄にも見える霊場を見渡しながら少女は考え込むと、

「鬼一口であったな」

と一緒に降り立った女性が話しかけてきた。

「え?

 …あっ!」

その女性の顔を見た途端、

彼女がトンネルの中で鬼に引きこまれたときに

自分を助けてくれた巫女であることに気づくと、

「あっあの、

 ありがとうございました」

と礼を言いつつ頭を下げる。

「そなたの悩みは聞かぬが、

 鬼は心の底に開いている隙に付け込んでくる。

 まっ、用心することだ」

少女に向かって巫女はそう言うと一本の払い串を少女に差出し、

「魔除けじゃ、

 帰りもあのトンネルを通っていくのだからな」

と言う。

「はっはぁ…」

言われるまま少女は払い串を受け取ると、

「ここには良い温泉があってな、

 どんなガンコな疲れも瞬く間に取れてしまう。

 全く、日頃悪ガキ共を相手にしていると肩が凝ってしかたがない。

 このようなときなどは効果抜群じゃ」

そういい残して巫女は霊場の中へと入っていくと、

「あっ待ってください」

巫女を追うようにして少女も霊場の中へと消えていったのであった。



おわり