風祭文庫・モノノケ変身の館






「鬼の手形」


作・風祭玲

Vol.868





「悪いっ、姉ちゃんっ

 ちょっとお金貸してくれないか」

とある休日のとある神社の境内、

その境内に大学に通う野畑博の縋るような声が響き渡ると、

「えぇっ」

博の姉である香奈美の困惑する声が追って響いた。

「大事な話があるって言うから来てみたら、

 お金の無心?」

呆れた表情でめかし込んだ香奈美は弟を見ると、

「いまスッカラカンなんだよ」

と今風イケメンスタイルの博は

恥も外聞も捨てて香奈美を拝むようにして手を合わせる。

「もぅっ

 だってこの間バイト代が入ったとか言ってたじゃない」

プィッ!

と横を向きながら香奈美は博が先日バイト代が入ったことを言っていたことを指摘すると、

「いやぁ、

 入ったことは入ったんだけど、
 
 ほらっ

 俺って何かと付き合いとかコンパとか色々あるだろう」

と博はバイト代を全て遊行費に使ってしまったことを言い、

そのことを誤魔化すかのように笑って見せる。

だが、

「知らないっ、

 博が自分で招いたことでしょう?

 あたし、知らないからね。

 もぅ、人を待たせているんだから失礼」

博のその態度を見た香奈美は不愉快な表情を見せると、

彼を置いてさっさと歩き出してしまったのであった。

「あっ待ってよっ

 待ってよ姉ちゃんっ」

ズンズンと参道を戻っていく香奈美を博は追いかけ、

「ちょちょっと、

 俺の話を聞いてくれ。

 なっ姉ちゃん」

と呼びとめると、

境内の中にある小さな祠の前へと連れて行き、

「この通りだ!」

と姉の前で土下座をして見せたのであった。

「なっなによっ、

 そっそんなことをされても…」

思いがけない弟の姿に香奈美は困惑すると、

「今日どうしても外せないコンパがあるんだ、

 無論、そんなものにお金を使うなっ

 というのは痛いほど判る。

 でも、このコンパには”僕”の憧れであった

 渋塚美穂さんが来てくれるんだよぉ!」

と博は泣きながら懇願をした。

「まったく…

 あんたって…」

そこまでしてみせる弟の姿に香奈美は呆れてしまうと、

「負けたわよっ、

 いいわっ

 お金を貸してあげる」

とついに根負けしてしまったのであった。

パアアア!

それを聞いた途端、博の表情は明るくなるが、

「ただしっ」

香奈美はそう付け加えると、

「お金はあげるんじゃなくて、

 あくまでも貸すのよ。

 ”確かに借りました”

 って借用書を書いてね」

と念を押す。

「うっうんうん」

香奈美のその注文に博は幾度も頷くと、

バッ!

早速祠の屋根に手持ちのレポート用紙を押し付け、

サラサラと借用書を書き上げていく。

そして、書き上げるのと同時に、

「姉ちゃん、書いたよ」

と言いながら振り返ると、

「まったく…あんたってぇ…

 はいっ」

明るい弟の表情に香奈美は諦め顔で数枚の諭吉を差し出し、

「サンキュー姉ちゃんっ」

そう言いながら博は香奈美に借用書渡し現金を得ようとした。

ところが、

博の手から香奈美に借用書が渡った途端、

パキンッ!

辺りに何かが弾けとんだような音が響き渡ると、

「?

 なに?」

このような場所には不釣合いな音に博は周囲を見渡し、

そして小さく小首を傾げて、

「なっ、なんの音かな…」

と尋ねながら香奈美を見た。

だが、

「!!!!っ」

香奈美を見た途端、博の顔が凍りつくと、

ペタンッ!

とその場に座り込んでしまった。

そして、

「ねっ姉ちゃん…」

と話しかけるが、

コォォォォォ…

髪を逆立たせ、

金色の光に包まれている香奈美にはその声は届いては居なかった。

「なっなんだこれぇ!」

全身を震え上がらせながら博は声を上げると、

ボコッ!

ボコッ!

っと香奈美の体から瘤が盛り上がり、

しだいにその数を増やしていくと、

メキメキメキィィィ!!!!!

見る間に香奈美は身体を膨らませていく、

そして頭から角が生やし、

さらに膨れていく体は服を引き裂いてしまうと、

引き裂けた服は虎皮の褌となって香奈美の股間を締め上げる。

『コーホー』

『コーホー』

香奈美の口は大きく裂け、牙が覗く口から不気味な息遣いが響き始めると、

色白の肌は紅蓮色へと染まっていった。

「おっおっ鬼…

 ねっねえちゃんが鬼になったぁ!!」

目の前に聳え立つ鬼を化した姉を見上げながら博は悲鳴を上げるが、

鬼は金色の目を見開くと眼下の博史を睨みつける。

そして、

ムキッ!

体の筋肉が大きく盛り上がると、

ガコンッ!

無言のまま棘がだらけの金棒を振りかざしたのであった。



「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!」

静かな境内に博の悲鳴が響き渡ると、

「誰かぁぁぁ!!!」

物陰より必死の形相で博が飛び出し、

アタフタと逃げ出していく。

そしてその後を、

ズシン!

ズシン!

金棒を振りかざした赤鬼が追いかけてくると、

ブゥンッ!

ブゥン!

と逃げる博めがけて振り下ろすのであった。

「ひっ」

「ひゃぁぁ」

幾度も降り注いでくる風切り音を肌で感じながら博は逃げるが、

ガシッ!

「あっ」

小石に気躓いてしまうと、

ズザァァァァ!!!

参道の中央で倒れてしまった。

間髪いれずにすぐに立ち上がろうとするが、

ズガンッ!

博の目の前に振り下ろされた金棒が突き刺さってしまうと、

「あわわわわわ…」

博の逃げ道はもはや無かったのである。

『コーホー…』

背後に立つ鬼を見返すことも出来ずに博は固まってしまうと、

ガコンッ!

目の前の金棒がゆっくりと抜かれ、

自分を覆う鬼の影がその金棒を大きく構えるところが目に入る。

「うっうっうっ

 なんで、こんな目に…」

涙を流しながら博は理不尽な目に遭ったことを呪うが、

ブォッ!

鬼にはその様なことは関係なく一気に金棒を振り下ろした。

とその時。

「伏せろ!」

突然女性の声が響き渡ると、

「ひっ!」

反射的に博はその場に身を伏せた。

と同時に、

ガァァァン!!!!

博に向けて金棒が何かに当たったのか大きな音を立てると、

ギリギリギリギリ…

博の目の前に一本の竹棒が立ち、

間一髪、金棒を止めていたのであった。

「へ?」

涙でクシャクシャになった顔を持ち上げて博は前を見ると、

髪を水引で結い、白衣に緋袴姿のうら若い巫女が立っていて、

「鬼が…

 迷うたか」

と言いながら鬼を睨みつけていた。

「あっあなたは…」

凛と立つ巫女に向かって博は尋ねると、

「ん?

 何をしている、

 さっさとそこをどけっ」

巫女は博に言い放つと、

「はっはいっ!」

博はアタフタと逃げ出し、

近くの樹の陰へと逃げ込んだ。

すると、

『コーホー…』

鬼は振り下ろした金棒を担ぎ挙げて博を追おうとするが、

「させるかっ」

すかさず巫女は先回りし、

スチャッ!

払い串を鬼の喉下に突きつけると、

「この先にはいかせんぞ」

と身体を張って鬼の動きを封じてみせる。

『コーホー』

『コーホー』

境内に鬼の息遣いが響き渡り、

その鬼と対峙する巫女は一歩も引かない。

ガサッ!

その硬直した場面を見ようとこわごわと樹の陰から顔を出すと、

「おいっ、

 貴様っ」

巫女は博に向かって怒鳴り、

「あの祠の近くで金子の借用書を書いたであろう」

と指摘した。

「え?

 はっはいっ」

その指摘に博は頷いてみせると、

「このっ愚か者っ!!!

 金子の借用書は”鬼の手形”と言うのだ。

 しかも、あの祠は大昔の鬼を封じた祠っ、

 その祠の前で”鬼の証文”を差し出せばどうなるか、

 判るであろうがっ!」

と巫女は怒鳴り、

「借りた金子をこっちにもってこいっ」

と命じたのであった。

「ひぃぃ、そっそれは!」

その命令に博は躊躇うと、

「この鬼がいつまでも鬼で良いのかっ」

と巫女は言う。

「うっ」

彼女の言葉に博は背中を突き動かされるようにして出ると、

「どうぞ…」

と巫女に香奈美から借りた金を手渡したのであった。

巫女は博から金を懐に忍ばせていた退魔札に重ね合わせると、

「よしっ!」

と気合を居れ、

改めて鬼を見上げた後、

「いまはお前が出る時ではないっ、

 この金を持って早々に立ち去れぃ!」

の声と共に鬼の胸元に退魔札を突きつけた。

すると、

パキィィィィン!!!

鬼は金色の光に包まれ、

シュルルルルルル…

その巨体を急速に萎ませていく。

そして、

ポンッ!

最後に包み込んでいた光がはじけ飛んでしまうと、

「あっあれ?

 あたし…何をしていたのかしら」

と香奈美がキョトンとしながらその場に立っていたのであった。

「あははは、

 よかったぁ!」

姉の無事を確認した博は香奈美に抱きつくが、

「ちょちょっとぉ

 なによぉ!

 気持ち悪いわねぇ、

 貸したお金は来月ちゃんと返してもらいますからね」

鬼だったときの記憶が無いのか、

香奈美は抱きつく弟を気味悪がりながら引き剥がしてそう申し付けると、

「まったくもうっ、

 遅くなっちゃったじゃないのっ」

とブツブツ文句を言いながら立ち去って行く。

「え?

 お金って?

 借りたまま?

 だって、お金は…」

一人残された博はそう呟きながら、

さっき自分を助けた巫女の姿を探すが、

広い境内には誰の姿の無かったのであった。



おわり