風祭文庫・モノノケ変身の館






「鬼の霍乱」


作・風祭玲

Vol.860





「へっっぷしっ!」

静かな教室にくしゃみの音が響き渡ると、

ジロッ!

鼻を啜る俺にみんなの視線が一斉に注がれる。

「なっなんだよ」

突き刺さってくる視線に僕は思わず言い返すと、

「おーぃ、東風っ

 今度は何の病気だぁ?」

古文の教科書を持つ担任の綿重が呆れ半分に尋ねてきた。

「せっ先生っ

 まだ病気と決まったわけでは…」

綿重に向かって僕はそう言い訳しようとすると、

「ふわっ…

 ぷしっ!!!」

そのまま2発目のくしゃみをしてしまった。

「判った、

 判ったから、

 さっさと保健室に行って来いっ、

 また病気を流行らせられたらかなわいからな」

少し身を翻して綿重はそう指示をすると、

ザワッ

クラスの中が急にざわつき、

「ねぇ、今度は何かしら」

「たまんねーな」

「ハシカに水疱瘡に百日咳」

「この間流行ったオタフクのときは

 俺、子無しになるんじゃないかってヒヤヒヤしたよ」

「あはは、

 そしたらニューハーフになればいいじゃないか、

 堂々とオッパイ膨らませられるぞ」

「やめてよ、そんなことは!」

と言う声がクラスの方々から響き渡り始めた。



僕の名前は東風(こち)光孝。

とある県立高校に通うごく普通の男子高校生なのだが、

この苗字が祟ってかとにかくよく病気を貰ってくる。

僕としてははっきり言って迷惑なのだが、

そんな僕の意向を全く無視して、

細菌やウィルス、スピロヘータ…

とにかく病気の元となるヤツラは挨拶代わりというわけなのか、

真っ先に僕の体を襲い、

そして、僕を踏み台にしてクラス中に感染の輪を拡大していくのであった。

まったく、迷惑千万な話である。

去年の冬はノロウィルスを筆頭にロタウィルス、遅れてきたインフルエンザ、

さらにはこともあろうかハシカや百日咳のウィルスまで僕の身体を通っていったのである。

「へぷしっ!」

3発目のくしゃみが僕の口から飛び出してしまうと、

もはやクラスにはいられなかった。

”さっさと保健室に行って来いっ、この病原菌野郎!”

クラス中から津波の如く押し寄せてくる口には出てこない無言の圧力が容赦なく僕を叩き始め、

その圧力に押し出されるかのように、

「保健室行ってきます…」

僕はそういい残して教室を後にした。

すると、

「あっあたし、付き添ってきます」

その声と共に日和田鈴子が手を揚げて担任にそう伝えると、

「待ちなさい!」

と僕の後を追いかけてきた。

「んだよぉ、

 一人で行けるよぉ」

追いかけてきた鈴子を僕は鬱陶しそうに追い払う仕草をすると、

「なぁに言っているのよっ、

 保健委員がつきそうのは当たり前でしょう!」

と鈴子は言い返す。

「感染しても知らないぞ」

そんな鈴子に僕はふとそう漏らすと、

「あはは、

 それはないない、

 あたしって病気に罹ったことなんてないんだから」

と元気よく言い返した。

確かにそうである。

この日和田鈴子はとにかく元気だ。

この学校に入ってからコイツが病気で休んだところを見たことが無い。

もっとも、僕が休んだときに休んでいるかもしれないけど…

でも、みんなから聞いた話を総合しても

”皆勤賞間違いなし”

と言う評価を受けている以上、

コイツは病気とは無縁なんだろう。

まったく羨ましい限りだ。

と言うか、

本来、こういう奴こそ病気に掛かるんじゃぁ…

そう考えてくると、無性に鈴子がにくくなり、

「くしゃんくしゃん」

僕は構わずにくしゃみをし始めた。

「ほらぁ、

 大丈夫?」

くしゃみをする僕のことが心配になったのか、

鈴子は僕の前に回りこみ、

そっと額に手を当ててくれた。

「え?」

小さくて柔らかい彼女の手が僕の額に触れた途端。

ドキッ!

僕の心臓は高らかに高鳴り、

カァ…

瞬く間に僕は赤面してしまった。

「うん、ちょっと熱っぽいね」

それを発熱と勘違いしたのか鈴子はそういうと、

僕の手を握り、

「急ぎましょ」

と保健室へと引っ張り始めた。



「すみませーん!」

「あれ?」

保健室に到着した途端

鈴子はこの部屋に常駐している保健の先生を呼びながらドアを開けるが

だが、先生は席を外しているのか誰も保健室には居なかった。

「うーん、どこか行っているのかな?」

部屋の方々を見ながら鈴子はそう言うと、

「とにかく、ベッドに寝て」

と僕に指図した。

ところが、

「ふぁぁ…クショッ!」

その途端、鈴子はくしゃみをしてしまうと、

「あれ?

 なんか寒いわ…

 それに眩暈も…」

と病気の症状を訴えながらその場に膝を落としてしまったのであった。

「おっおいっ!」

思いがけない展開に僕は驚きながら鈴子に近寄ると、

「あぁ、大丈夫、

 大丈夫だから」

鈴子はそう言いながら、

僕を押し戻そうとするものの、

クタァァ…

ついに僕に腕の中に倒れこんでしまったのであった。

「うわっ、

 どっどうしよう!」

自分の病気のことなどすっかり忘れて僕は鈴子を抱え起こし、

そのままベッドの上に横にさせると、

「えぇっと

 保健の先生はどうやって呼べばいいんだ」

と右往左往し始める。

ところが、

メリッ

メリッ

メリメリメリメリィ…

鈴子を寝かせたベッドからなにやら不気味な音が響き始めると、

「なっなにこの音…」

それに気づいた僕は振り返って鈴子の様子を見た。

「ひっ!!!」

はっきり言って声なんて出なかった。

ベッドの上の鈴子の身体が真っ赤に染まっていて、

徐々に膨れ上がっていたのだから、

「うわっ、

 なっなんだこれは…」

華奢で小さな身体の鈴子が、

大きく膨れると男のマッチョマンのような身体になり、

引き裂けた制服が虎皮の褌となり、

燃え上がるような真紅色をした肌のアクセントになってしまった。

それだけではない。

鈴子の頭からは角を伸び、

小さな口は大きく裂け、牙が顔覗かせてくる。

それを見た僕は

「うわぁぁぁ!!

 おっ鬼ぃぃ!!」

と声を上げると、

ペタン!

と腰を抜かしてしまったのである。



そう、鈴子は鬼になってしまったのであった。

何でかは判らない。

原因も因果も全く不明であるが、

でも、目の前には鬼となってしまった鈴子が横になっているのである。

「逃げなきゃぁ、

 とにかくココから逃げなきゃぁ」

床に這い蹲りながら僕は必死で逃げようとするが、

だが、腰が抜けてしまっているために思うように進むことが出来ない。

保健室の床の上で僕はジタバタしていると、

『コーホー…』

『コーホー…』

不気味な息遣いが部屋に響き、

ヌッ!

巨大な影が僕を覆い尽くした。

はっきり言って振り返るのが怖かった。

判っている。

いま僕の背後には鬼になってしまった鈴子が立っていることが、

そして、不気味な息遣いをしながら立っていることも…

保健室のドアまであと3m…

床を這いつくばって進むとしたらどれくらい時間が掛かるだろうか、

カラン…

金属音が響き、

スーッ

僕を覆う影の形が変わっていく、

間違いない、

どこから出したのか鬼となった鈴子は金棒を大きく振りかぶっていた。

目標は恐らく僕…

「一体、

 一体、僕が何をしたって言うんだ。

 ちょっと、ワザとらしくくしゃみをして

 鈴子に病気を映そうとしただけじゃないか。

 それだけの事なのに、

 なんで殴り殺されないとならないんだ」

そう思うとポロポロと涙が溢れ、

僕は泣き出してしまった。

しかし、鈴子にはそんな僕のことなどお構いないだった。

影がゆっくり形を変えていくと、

ブンッ!

ドゴォン!

かざきり音を響かせながら僕の右わきの下、斜め30cmの所を金棒が直撃した。

左に50cmほど照準を動かせば僕の背骨は砕け散り、

衝撃で身体が引きちぎれた僕は口から多量の血を吹き上げて絶命していたはず。

万事休すである。

ガコンッ!

床を打ち砕いた金棒が持ち上げられ、

照準が僕の背中にセットされた。

「17歳のはかない命だったか…」

溢れる涙を流して僕は死を覚悟する。

そして、

ブンッ!

金棒が奏でるかざきり音が再び響いたとき、

「悪鬼っ退散っ!」

突然その掛け声が響くと、

ガィン!!!

僕の背中の上で金棒が弾き返される音が鳴り響いた。

「はぁ?」

涙と鼻水でクチャクチャになりながら僕は顔を開けると、

「ふぅ…間に合ってよかったな」

の声と共に保健の先生が戸口端に立っていた。

「せっ先生?」

逞しく見える保健の先生を見上げながら僕は声を上げると、

「心配するな、

 ”鬼の霍乱”と言う奴だ、

 なまじ健康で来ていただけに風邪を引いた途端、

 ”鬼”になってしまったんだろう」

と先生は僕を見下ろしながら涼しい顔で説明をする。

「へぇ?

 そっそんなものなのですかぁ?」

這いつくばったまま僕はそう返すと、

「やれやれ」

保健の先生はため息をつきながら、

一枚の護符らしきものを取り出した。

そして、

シュワァァァァァァ!!!

僕の背後に立っていた鈴子の影が見る見る小さくなっていくと、

「いつまでそうしている、

 起き上がってもいいぞぉ!」

と先生の声が響いたのであった。



その日以降、

なぜか僕は病気をしなくなった。

保健の先生に言わせると、

僕に取り憑いていた”病気を呼ぶ邪鬼”が鈴子が振り下ろした金棒に殴り殺され、

病気を呼ぶことが出来なくなってしまったそうだ。

ある意味、鈴子に感謝すべきところなのだが、

「おっ鬼ですかぁ?」

僕の話を聞いた鈴子が見せた”夢の中で生きる少年とは関わりたくない”と言う表情を見た途端。

「あはは、いまのは作り話だよ。

 ちょっと創作物語にチャレンジしていてね。

 感想を聞きたかっただけなんだ」

と笑って見せることしか出来なかった。



「まっいいか」



おわり