風祭文庫・モノノケ変身の館






「水神様のご利益」



作・風祭玲


Vol.887





それは真夏の蒸し暑い午後のことだった。

「くっ久美子がぁ!

 ひぃぃぃ!!!

 かっカッパになっちゃったぁ!

 だっ誰かぁぁ!」

悲鳴を上げながら部屋から飛び出していく競泳水着姿の少女を見送りながら、

『クワッ!』

あたしは不気味な鳴き声を上げると、

緑色に染まりベトベトとした粘液に覆われる自分の肌を眺めつつ座り込んでいた。

『クワッ!』

3本指になってしまった手と指と指の間に張る薄い膜の水かき、

固い甲羅が盛り上がる背中、

頭には水を頂く皿が口を開けている、

そう、あたしはカッパになってしまっていたのであった。

『クワッ』

(なっなんで?」)

『クワッ』

(どうして?)

『クワッ』

(誰か説明をして!)

カッパとなってしまった身体を水かきが張る手で抱きしめながらあたしは悲鳴を上げるが、

だが、あたしの口から出る鳴き声は虚しく響き渡るだけであった。



新学期早々に開催される大会を控え

あたし・茅場久美子が所属している水泳部は夏休み返上で猛練習に明け暮れていた。

無論、リレーメンバーに大選出されていたあたしは期待に応えるように

毎日競泳水着を身につけ塩素が満ちている水の中を泳ぎ続けてきたけど、

でも、ここに来て思うようにタイムを上げられなくなっていた。

俗に言うスランプという奴かも知れない。

「おーぃ、

 茅場ぁ、

 なんだこのタイムは!

 あとコンマ5縮めろ!

 じゃないとメンバーから外すぞ!」

水から上がってきたあたしに向かって記録表を叩きながら鬼コーチは指示を出すが、

「はぃっ

(ってそれがあたしのベストタイムよぉ

 これ以上上げるって無理に決まっているでしょう!)」

あたしは表では声を張り上げて返事をするものの、

でも、心の中ではコーチの無茶な要求に舌を出していた。

「はぁ、

 何でこんな事をして居るんだろう」

フェンスに水に濡れた身体を押しつけ、

真っ青な夏空を見上げながらあたしはそう思っていると、

コンッ!

いきなり水泳キャップを被っている頭が小突かれ、

「なにボケッとしているのよ」

とあたしの右横に友人の小野瀬奈津が日に焼けた顔に笑みを作って尋ねてきた。

「別にぃ…」

嫌みに見えるその笑顔からあたしはプィッと横を向き少し拗ねてみせると、

「あはは、

 コーチに無茶言われて膨れているの?」

と彼女は屈託無く居たいところを指摘する。

「うっ、

 いっいいじゃないっ」

図星を突かれたあたしは慌てながら返事をしてしまうと、

「久美子って

 ホント、スグに顔に出ちゃうのよね。

 判りやすいって言うか、

 なんて言うか」

と奈津は笑いながらに言い、

「えーぇ、そうですよ」

これ以上隠そうとするとボロばかり出てきそうになったので、

ついに開き直ったあたしはそう言い切ってしまったのであった。

「もぅ、素直じゃないんだから」

奈津は呆れた表情で膨れるあたしを見つめ、

そして目の前を2・3歩き歩き始めると、

「!っ

 そうだ、久美子ぉ!

 水神様に願を掛けてある?」

と尋ねてきた。

「水神様?」

奈津の口から出た言葉にあたしはキョトンとすると、

「ほらっ、

 夕べ先輩が話していたでしょう。

 ウチの水泳部の守り神であるカッパよ」

と奈津はいまから何十年も前に不振に喘いでいた水泳部に力を貸し、

大会優勝に導いてくれたカッパのことを指摘した。

「はぁ…

 神仏に頼るようになっては人間お仕舞いだよぉ」

奈津の指摘を聞いたあたしは思わず肩を落としてしまうと、

「溺れる者は藁をも掴む。って言うでしょう。

 要は気分よ気分!

 スランプなんて気分次第でどうにもなるんだから」

奈津は身も蓋もないことを言いながらあたしの背中を盛大に叩き、

そして、練習の終わりと共にあたしの腕を引いて水神様を祭っている祠へと向かっていったのであった。



「ねぇ、なんで水着のままなの?」

つかの間の昼休み幾分水が切れたのの湿り気を帯びる競泳水着姿のまま靴を履き、

校庭を進み始めたあたしは先を行く奈津に尋ねると、

「ん?

 決まっているでしょう、

 水神様にお願いするんだから、

 水着で行かないとダメでしょう」

と奈津はあっけらかんと返事をした。

「でもぉ、

 こんな格好誰かに見られたら…」

夏休みで一般の生徒が居ないものの、

他の部活で汗を流す生徒の視線を感じながらあたしはそう訴えると、

「もぅ、五月蠅いわね、

 水着だから何だって言うのよ。

 体操部や新体操部の子なんてほらっ

 レオタードのままでうろついているじゃない。

 久美子は意識しすぎよ」

と奈津は体育館の前で涼んでいるレオタード姿の部員を指さすが、

「でもぉ」

野球部やサッカー部の部員達から投げかけられる視線にあたしは頬を染めると、

「やっほー!」

こともあろうか奈津はその野球部員達に向かって盛大に手を振ったのであった。

「…ヒューッ!」

「…そんな格好で恥ずかしくないのかよ」

日焼け顔の部員達から投げかけられる言葉に、

「なっなんてことをするのよ!」

あたしは真顔で奈津に講義すると、

「サービス、サービス!」

と奈津は取り付く島もなく笑って見せる。

「どーしよ、

 奈津はともかくあたしまで同格に見られちゃったよぉ」

ここから1人で引き返すわけにも行かず

落ち込みながらあたしはトボトボと奈津に着いていくと、

「着いたわよぉ」

ようやくあたしと奈津は校庭を挟んでプールや水泳部の部室と反対側にある水神様の祠へと到着したのであった。

「はぁ…

 なんでこんな目に…」

さらし者にされてきたあたしはうつろな目で朽ちかけている祠を見下ろすと、

「あっ、

 うんっ、

 うふんっ

 んっ」

突然あたしの横で奈津の艶めかしい声が響き、

どこから出てきたのか奈津の手に一本のキュウリが握りしめられると、

「さぁーて、お供えのキュウリを添えて…」

そのキュウリを祠の前に供える。

「奈津?

 そのキュウリ、

 どうやって持ってきたの?」

ネットリとした粘液にまみれたキュウリを指さしてあたしはその出所を尋ねると、

「うふっ、

 もぅ、久美子ったらエッチね。

 女の子なんだからそれくらい判るでしょう」

と奈津ははにかみながらあたしの肩を叩いてみせる。

「まさか…」

その言葉にあたしの背筋を冷たいモノが走ると、

「このイボイボがくるのよねぇ…

 うふっ、

 みんなに見られたしとっても興奮しちゃった」

屈託もなく奈津は言い、

「久美子もやってみたらいいよ、

 ストレス解消にもってこいなんだから」

と勧めてくるが、

それを聞いた途端、

「結構です!!!」

奈津に向かってあたしは力を込めて思いっきり怒鳴ると、

「もぅ、さっさとお願いして帰ろう…」

と腰を落としたあたしはついさっきまで奈津の胎内に収められていたであろうキュウリと、

そのキュウリの背後に建つ祠に向かって、

「(はぁ…なんでこんな目に…

  こんな目に遭うなら人間辞めたいよぉ)」

愚痴に近い言葉を祠に向かって投げかけていたのであった。

と、その時、

『…その願い、叶えてあげよう』

と言う声があたしの頭の中に響いたような気がした。

「え?」

突然の声にあたしは顔を上げてキョトンとするが、

「あれ?」

ついさっきまで供えられていたはずのキュウリが忽然と消えていて、

隣に座っている奈津がモゾモゾと腰を動かしているのが見えた。

「げっ

 まっまさか…」

そんな奈津を見ながらあたしはあることを想像すると、

「あれぇ、

 見て、久美子ぉ

 キュウリが消えちゃったよ」

としらばっくれるようにして奈津はキュウリが消えた祠を指さしてみせた。

「そっそうねぇ、

 きっと願いが叶うってことの証なんじゃない?」

もはやこの場に1秒たりとも居たくないあたしは思わず奈津に向かって怒鳴ってしまうと、

スタスタと彼女をその場に置いて部室へと戻りはじめた。

「(もぅ!、

  一度出したモノをまた入れるってどういう神経の持ち主よっ、

  しかも、洗いもせずに!)」

奈津の無神経さに怒りながらあたしは部室に向かって歩いていくと、

「あっ待ってよぉ」

先を行くあたしに向かって奈津が追いかけ、

「なに怒っているの?

 でも、不思議ね、

 キュウリが消えちゃうなんてさ」

と横に並んだ彼女は話しかけてくる。

「(はぁ、

  なにが消えちゃった。よ、

  どうせ奈津の身体の中にあるんでしょう?

  あのキュウリは!

  なんでこんな変態女と友達になってしまったんだろう)」

あたしは返事もせずに半ば後悔しながら歩くものの、

グラァ

突然視界が傾きはじめると、

「あっあれ?

 あれ

 あれ

 あれ」

まるで地の底に引き込まれるような感覚と、

「久美子ぉ?

 ちょっとぉどうしちゃったの?」

驚く奈津の声に送られながら気を失ってしまったのであった。



『…ねぇ君っ、

 …人間辞めたいんだって?

 …ねぇ、本当に辞めたいの?

 …じゃぁ僕が手を貸してあげるよ、

 …くくくく

 …実はねぇ

 …僕は僕のヨリシロとなってくれる身体を探していたところなんだ。

 …僕たちは利害が一致しているから心おきなくいじれるね。

 …そうそう、キュウリ美味しかったよ、

 …女の子の味がしっかりと漬け込まれていて、

 …じゃぁ、はじめるよ』



頭の中に響いてくる声を聞きながらあたしは目を開けると、

「大丈夫?」

と心配そうにのぞき込んでくる奈津の顔が視界に入ってきた。

「あれ?

 あたし…」

クラクラする頭を押さえながらあたしは起きあがろうとすると、

「あっあぁ、

 起きちゃダメよ、

 いまキャプテンを呼んでくるから、

 久美子はそこでジッとしていて」

起きあがろうとするあたしを抑えながら奈津はそう言うが、

どうやらこの部室に戻る途中で倒れてしまったらしいあたしを介抱しつつ奈津はここに運んでくれたらしい。

「大丈夫よ、

 うん、大丈夫よ」

奈津に感謝しつつもあたしは起きあがると、

「プールに行こう、

 もぅ午後の練習が始まっているんでしょう?」

と言うものの、

その直後、

「うっ」

グラァ…

あたしはまた強烈な目眩を感じてしまうと、

項垂れるようにガックリと膝を突いてしまった。

「あぁ、

 だから言わんこっちゃない」

それを見た奈津はスグにあたしを介抱しようとするが、

その手がピタリと止まってしまうと

「くっ久美子

 そっそれ…なぁに」

信じられないような表情をしながら尋ねてきた。

「え?

 何って?」

奈津の言葉の意味が判らずにあたしは自分を見下ろすと、

ミシッ!

日に焼けた肌がまるでカビが生えていくかのように緑の領域が覆い始め、

瞬く間に覆い尽くしてしまうと、

ゴリ…

ゴリゴリゴリ…

最初は小さく、

そして段々と拡大してくる違和感が身体を包み込みはじめてきた。

「なっなによっ」

肌の色が変わっただけではなく、

身体そのものが作り替えられていくような感覚にあたしは驚愕し恐れ戦くが、

そんなあたしの事情など考えてくれるわけもなく、

メリメリメリ!

ゴキッ

バキバキっ!

「ひぃぃ!!」

変貌していくあたしの姿を見た奈津の悲鳴が響き渡ると、

「ぐわっ!」

あたしは人間ではなくなっていったのであった。




【目指せ優勝!】

水泳部の合宿所の合間を縫って書かれた部員全員の寄せ書きの垂れ幕の下、

『クワッ!』

変身を終えたあたしは水かきの張った三本指の手を見ながら呆然と座り込んでいた。

『クワッ!』

日々の練習で小麦色に焼けていた肌はスイカを思わせる緑色に染まり、

三本指となった手には水かきが張り、

背中には硬く引き締まる甲羅、

そして、頭には水を湛える皿が口をあけていたのであった。

御伽噺の絵本に見るような小さな背丈と嘴のようにとがった口にはならかったが、

着ていた競泳水着は緑色の肌から流れ出る粘液をたっぷりと吸い込み、

そして、背中に突き出す甲羅に思いっきり引っ張られていた。

『クワッ!』

(なっなにが…)

『クワッ』

(いったいどうして)

あたしは自分の体に起きた異変に驚いていると、

「一体何があったって言うのよ」

と奈津に連れられて女子水泳部のキャプテンや部員達が部室に押しかけてきた。

そして、皆の目があたしを見つけた途端、

「きゃぁぁぁぁぁ!!!!」

まるで化け物に遭遇したかのような悲鳴が響き渡っていったのであった。

「なっなに?」

「カッパ?」

「本当にカッパなんて居るの?」

「やだぁ…」

あたしの周囲1m程の空間を設けて、

水着姿の女子部員達はあたしを取り囲んで怖々とのぞき込んでくる。

そして、その円陣のなかで、

『クワッ!』

覚悟を決めたあたしは腕を組みながら独特の声を上げていると、

「なんだ、

 水神様に取り憑かれたのが出たって?」

の声と共に鬼コーチがのぞき込んできた。

「コーチッ!」

「ここは女子更衣室ですよ」

競泳パンツ一枚姿でなにも構わずに女子更衣室に乗り込んできたコーチに向かって、

3年生部員は警告をすると、

「細かいことは気にするな、

 ん?

 お前は…茅場かぁ…

 あはは、なにやって居るんだ

 カッパなんかになってもタイムは上げられないぞ」

とコーチはあたしを指さし豪快に笑って見せる。

『うっコーチまでそんなことを』

その言葉にあたしはまぶたの無くなった目から涙を流しはじめると、

「おらっ、泣いても無駄だ、

 さてこれからどうするか、

 たしか水神様に憑かれてカッパになった者はいわば部の守護神。

 水と嗜むわが水泳部にとっては守りの神様だ」
 
キッパリとコーチは言い、

「よーしっ、

 決まりだ。

 リレーのメンバーから茅場を外せ』

と命令をすると、

「茅場っ

 お前には新しい役割を与えよう、

 水神様としてみんなの活躍を見守ってくれ」

と小さくなってしまったあたしの両肩に手を置き、

豪快に笑ってみせると、

大会の日にはあたしは部のマスコットとして連れて行かれたのであった。



「なんで、こんなことに…」



おわり