風祭文庫・モノノケ変身の館






「沼から呼ぶ声」



作・風祭玲
お話・にこちんたーる


Vol.369





 …むかしむかし、それはきれいな姉さまがおったそうな

 姉さまは毎日、不自由なく暮らしておった。

 ある晩のことじゃ。

 遠くから声がする。

 姉さまを呼んでいる声じゃ。

 声にひかれるまま歩いていくと、村はずれの池に出た。

 その時じゃった。

 姉さまはからだじゅうがかゆうなっての。

 ばりばりかきむしっているうちに、姉さまは気づいた。

 じぶんのからだが、おかしゅうなってしもうたことに。

 人とは違う、娘ッコとは違う、汚らわしい姿になってしもうたこと、

 姉さまの尻から、ぬとりと玉が落ちた。

 尻子玉じゃ。

 そうじゃ。

 姉さまは、河童になってしもうた。

 いくら叫んでも言葉が出てこん。

 姉さまのきれいな声は、どこかにいってしもうた。

 かわりにけええ、けええと、

 からすの啼くようなしわがれた叫び声が出るだけじゃ。

 姉さまは泣いた。

 泣いて泣いて泣いて泣いた。

 じゃが、いっぺん河童になってしもうたからだは、

 二度とは元に戻らんかったそうじゃ。

 じゃからお前も、夜中に声がするからといって

 ふらふら外に出て行ってはいかん。

 河童になって、しまうでの。…



「何を読んでいるの?」

梅雨明けを間近に控えた図書室に初芝美由紀の声が響くと

「えっあぁ…初芝さん」

声をかけられた少女・佐嶋ひびきは顔を上げた。

「民話の本?」

「えぇ…

 あたし、あっちこっち転々としているでしょう?

 だからこうして、まずその地方に伝わる民話を読むのを習慣にしているの」

美由紀が着ているセーラー服とは違うデザインの制服姿の美由紀はそう答えるとほほえんだ。

「ふ〜ん、苦労しているんだ。

 あたしなんて、生まれてこの方この街の外で暮らしたことがないから、

 なんか、よその土地って言うのにあこがれちゃうなぁ」

美由紀はひびきとは机を挟んだ反対側の席に座るとそう言いながら天井を眺め、

そして心持ちため息をつく、

「うん、その気持ち、判る気がする。

 でも…半年から1年程度で引っ越すのも正直言って辛いよ」

「あはは…

 そうね…確かに…」

ひびきの体験談に美由紀は笑いながら答えた後、

急に表情を変えると、

「で、考えてくれた?」

ズイッ

っとひびきに迫ながら尋ねてきた。

「え?」

美由紀の質問にひびきは驚くと、

「うちのバレー部に入ってくれる話よっ

 向こうの学校でもバレーやってたんでしょう?」

「うんまぁ…」

「うちのバレー部

 この間、レギュラーの先輩が居なくっちゃってから定員割れを起こしているのよ、

 このままじゃぁ試合すらもできないの」

と深刻そうな表情で美由紀はひびきに訴える。

「……でも」

美由紀の訴えにひびきは消極的な返事をしようとすると、

「お願いっ」

美由紀は拝むように両手を合わせるとひびきに深々と頭を下げた。

「あっちょっと…

 そんな…」

そんな美由紀の姿にひびきは困惑した表情をした後、

「判ったわ、

 いつまでここにいられるか判らないけど、

 それで良ければ入ってあげる」

とバレー部入部の承諾をした。



「居なくなったって…

 その人、退部なされたんですか?」

図書室からの帰り、

ふと、ひびきが美由紀にその先輩という人がバレー部を辞めた訳を尋ねると、

「それがね…

 大きな声ではいえないんだけど、

 行方不明になっちゃったのよ」

と美由紀は小声でひびきに事情を説明をした。

「行方不明?」

「しっ!!」

「あっごめん」

「うん、あれは…

 佐嶋さんがこの学校に転校してくるひと月ほど前の雨の日のことなんだけど、

 バレー部の練習が終わって、みんなで片づけが一段落した時、

 先輩が、

 ”残りの片づけはあたしがやるから、先に帰っていいよ”

 って言ってくれたので、あたし達は”ラッキー”って思いながら帰ったのよ…

 ところが、その夜遅くになって

 ”先輩がまだ家に帰ってこないけど、心当たりない?”

 って部の子から連絡があってね、

 それから大騒ぎになって、

 みんなで先輩を探したんだけどなかなか見つからなかったの。

 ところが、次の朝、

 ほらっあそこに見える大沼に

 先輩が部活で着ていた練習用のユニフォームが浮かんでいるのが見つかってね、

 それで、お巡りさん達が大勢やってきて探したんだけど、

 結局、先輩は見つからなかったわ」

と美由紀は廊下の窓から見える大沼を指さしながら事件のことを説明をすると、

「そうなの…

 なんだか怖いね…」

とひびきは大沼を見ながらそう呟いた。



「はーぃ、あと10本っ

 みんなっがんばって!!」

放課後…

体育館に少女達の声があがるなか、

Tシャツに短パン姿のひびきはバレー部の面々とともに練習をしていた。

「はぁ、これで試合に出ても勝てるかもしれませんね」

「そうねぇ…

 1年生もなんとかついてくれるようになったけど、

 でも、経験者が来てくれるのが一番助かるわ…」

ひびきの練習光景を見ながら女子バレー部の顧問とキャプテンがそんな話をしていると、

バズン!!

ひびきが放ったアタックがコートに炸裂した。

やがて西に傾いた初夏の陽が山の中に落ち、体育館に灯りが点る頃、

ゲコゲコゲコ!!!

大沼から蛙の鳴き声が甲高くひびき始めた。

「うわっすごい!!」

その音量に驚いたひびきが思わず耳をふさぐと、

「驚いた?

 あの大沼って結構、蛙が居るからね」

鳴き声に驚くひびきに向かって美由紀は汗を拭いながらそう言うと、

「あたしも色々なところに行ったけど、

 こんなにすごいのは初めて!!」

「そう?

 あたしは慣れているけど…開けてあるドア、閉めようか?」

「いいよっ、

 閉めると暑くなるし…」

同じように流れ落ちる汗を拭いながらひびきはそう答えた。

そのとき、

「ひと雨来そうですね…」

ほかの部員達が空を見上げながらそう呟くと、

ゴロゴロゴロ…

すでに空の半分近くは頂上部を夕日に輝かせるわき上がった雲に覆われ、

そして、その雲間の所々からは稲光が明滅を繰り返していた。

「大丈夫かなぁ…」

それを見ながらびびきがそう呟くと、

「あぁ大丈夫よっ

 ここ山だから、降っても1時間ほどで上がっちゃうよ」

心配顔のひびきに向かって美由紀は宥めるようにしてそう言った途端、

カッ!!

ドドドドーーン!!

体育館の中を一瞬真っ白にして稲光が光り輝くと、

それと同時に、

ボッボッボッ

ボボボボボボボボ

ドザァァァァァァァァ!!

バケツをひっくり返したような大粒の雨が降り始めた。

「あーぁ、

 言った途端に降り出しちゃった」

瞬く間に川と化した校庭を眺めながら手を休めた部員達がそう言うと、

ゲコゲコゲコ!!!

それに負けじと蛙の声が高らかにひびき始めた。

「うひゃぁぁぁぁぁ

 まるで空とケンカしているみたい」

雨音と鳴き声との協奏曲にひびきが驚くと、

「そう言えば…

 先輩が居なくなったのもこんな雨の日だったね」

部員の一人がふと呟いた。

「うん、こんなに激しくはなかったけど、

 でも、雨の日だったね…」

その声に同調するようにして別の部員がそのときの模様を語り始めた。

とそのとき、

「ねぇ何か聞こえない?」

別の部員が声を上げた。

「え?」

その声に全員が驚きながら彼女を見ると彼女は聞き耳を立て、

「聞こえるわ…

 ほらっ

 けぇぇぇ…

 けぇぇぇ…
 
 って何か鳴いている声が…」

っと呟く。

「けぇぇぇ?」

彼女の言葉に皆が首を捻りながら一斉に聞き耳を立てた。

すると、

「あっ本当だ…聞こえる」

「うん」

と雨音と蛙の鳴き声に混じって聞こえる微かな鳴き声に皆が気づき始めた。

「何の声かな?」

「さぁ?

しかし、その鳴き声の正体になると思い当たる生き物が浮かんでこなかった。

「ねぇこれ…先輩の声に似ているような気がする…」

突然、一人がそう呟くと、

「えぇ?」

体育館の中に驚いたような声が響き渡った。

そして、

「そう言われれば確かに…」

「うん…先輩の声にも聞こえるね」

「ねぇ行ってみようか…」

「え?でっでも、雨が降っているよ」

土砂降りの雨が降っている校庭を指さしながらひびきはそう言うが、

「でも、

 なんだか、あたし達を呼んでいるみたいなの…」

その少女はそう言った途端、

バシャッ

土砂降りの雨が降る校庭に飛び出していってしまった。

すると、

「あたしも行ってみよう…」

「あたしも…」

とその子の後を追うように次々とバレー部員達が体育館から表に飛び出していってしまった。

「あっちょっと

 ねぇ、雨が降っているのよっ」

練習を放棄して外に向かう部員達にひびきは思わず怒鳴ると、

「じゃぁ、あなただけここに残っていればいいわ」

といいながら美由紀が表に向かっていった。

「はっ初芝さんっ

 ちょっとどうしたのよっ

 みんなおかしいわよっ

 第一、けぇぇぇ、けぇぇぇなんて声…聞こえないじゃない」

美由紀の腕を必死で引き留めながら、ひびきはそう怒鳴ると、

「離して!!

 先輩が呼んでいるのよっ」

美由紀はひびきが握りしめている手をふりほどくと、

雨の校庭に駆けだしていってしまった。

「そんな…

 どうして…」

ザァァァァァァー

雨音が響く体育館に一人取り残されたひびきは呆然としていると、

ふと、昼間読んでいた民話のストーリーが彼女の頭の中に響き渡った。

「けぇぇぇ…けぇぇぇ…って

 そう言えば…あの民話の中でカッパになった姉様はそう鳴いていたっけ

 それに…

 そもそも姉様は誰かに呼ばれるようにして田圃に行って…

 あれ?

 待って、そもそも先輩って人が行方不明になったのは…
 
 はっ!!
 
 ダメっ!!
 
 大沼に行ってはダメっ!!」

あることに気づいたひびきは大慌てで体育館から飛び出すと、

雨に濡れるのを構わずに大沼へと向かっていった。

そして暗がりの中、大沼のほとりにたどり着くと、

「あっ」

大沼の中でまるで水の中から生えている木のように佇む

女子バレー部の面々が居た。

「みんなっ

 どうしたの?

 すぐに大沼から上がるのよっ!!」

ひびきがそう叫びながら大沼に入ろうとしたとき、

バシッ!!

大沼に拒絶されたかのようにひびきの体が吹き飛ばされると、

ひびきお体は真横に数メートル飛び草むらの中に落ちた。

「痛ぁーーーい!!」

幸い濡れた草がクッションになり

ひびきは怪我をすることはなく起きあがると、

その途端

「けぇぇぇぇぇ」

「けぇぇぇぇぇ」

「けぇぇぇぇぇ」

大沼の中にいるバレー部員達が異様な鳴き声をあげ始めた。

「なっなに?」

ひびきがそれに驚くと、

『けぇぇぇぇぇ』

それに答えるようにして大沼の真ん中のあたりから別の声が響き、

そして、

ジュポッ

と言う音ともに、人の頭のようなものが浮かび上がった。

「なに…あれ?」

街路灯の明かりを頼りにひびきがそのものの正体を見極めようとすると、

ジュポッ

頭のようなものはゆっくりとバレー部員達の方へと近づき始めた。

そして、近づくにつれて水の中からその下に続くものを露わにしていくと、

カッゴロゴロゴロ!!

空を駆け抜けた稲光が一瞬、そのものの姿をくっきりと浮かび上がらせた。

「!!!っ

 そんなっカッパだなんて!!」

ひびきはバレー部員の前に立った人物の姿が、

おとぎ話などで語られているカッパであることに目を見張った。

『けぇぇぇぇぇ』

降りしきる雨に全身を濡らしながら、

カッパはそう声をあげると、

「けぇぇぇぇ」

「けぇぇぇぇ」

「けぇぇぇぇ」

美由紀を初めとしたバレー部員達は一斉に同じように鳴く、

すると、

『げぇぇぇぇぇ』

一番前に立っていた美由紀が異様な声を上げたのち、

ぐっ

腰をかがめると自分の手を肛門から体内へと挿入しはじめた。

「うっ」

美由紀の表情が苦痛にゆがんだ後、

ゆっくりと手を引くと、

キラッ!!

彼女の手には光り輝く玉が握りしめられ、

美由紀はそれをカッパの前に差し出した。

「初芝さん…なっなにを…」

その光景をひびきは驚きながら見ていると、

『けぇぇぇぇぇ』

カッパは大きく鳴き声をあげると、

パクッ

ゴクリっ

とその玉を飲み込んでしまった。

「いや!!、飲んじゃった!!」

衝撃の光景にひびきは呆然とする。

しかし、それはまだ手始めにしかすぎなかった。

『ぐぇぇぇぇぇぇ』

カッパに玉を飲まれてしまった美由紀は異様な声を上げると、

メリメリメリ!!

カッパに差し出している彼女の手が見る見る膨らみ始めると、

指と指の間に水掻きが張り、

さらにその手の皮膚も溶けるように粘液を滴り落としながら、

緑色のまるで両生類を思わせるものへと変化していった。

「そんな!!」

その光景にひびきは衝撃を受ける。

しかし、美由紀の変身はさらに続き、

ブリュブリュブリュ…

異様な音を立てながら彼女の皮膚の変化は全身へと及んでいくと、

モリッ

突如、美由紀の背中の真ん中が盛り上がり始めた。

そして、

メリメリメリ!!

小さく盛り上がった背中の盛り上がりが背中全体へと広がっていくと、

ゆっくりと厚みを増していく、

「いったい何が…」

ひびきが固唾を飲んで見守る中、

ビリビリビリ!!

美由紀が着ていたバレー部の練習用のユニホームが引き裂けてしまうと、

その下から黒い輝きを放つ甲羅が姿を見せた。

「甲羅っ?

 まさか…
 
 初芝さんはカッパに…」

目をまん丸にして驚くひびきをよそに美由紀の変身は続き、

ズルリ…

彼女の頭に生えていた髪の毛がほとんど抜け落ちてしまうと、

その下からは頭を覆うように膨らんだ水袋が姿を見せ、

また口からは吐き出すように美由紀の歯が抜け落ちると、

メキメキメキ!!

と口が突き出すようにして嘴が生えていった。

『ぐぇぇぇぇ…

 くぇぇぇぇ…
 
 けぇぇぇぇ…』

変身が進むにつれ美由紀が上げる声はカッパのそれへと変化していく、

「そっそんなぁ…

 初芝さんがカッパになっちゃった…」

『けぇぇぇぇ

 けぇぇぇぇ』

と鳴き声をあげるカッパに変身した美由紀の姿を見ながら、

ひびきは衝撃を受けていると、

大沼の中に居るバレー部員達も次々と玉をカッパに捧げた後

自らもカッパへと変身していってしまった。

『けぇぇぇぇ』

『けぇぇぇぇ』

『けぇぇぇぇ』

降りしきる雨の中、

大沼はカッパに変身したバレー部員達の声で満ちあふれる。

すると、

『けぇぇぇぇぇ!!』

美由紀が変身したカッパが草むらでじっと伺っていたひびきを指さしながら声をあげると、

『けぇぇぇぇぇ』

ジャブンッ

バレー部員達が変身したカッパが一斉にひびきの方へと向かってきた。

「いやぁぁぁぁぁぁ!!」

その光景にひびきは這いずりながら逃げだそうとするが、

しかし、伸びてきた無数のカッパの手に捕まってしまうと

ズルズルズル!!

っと大沼へと引きずられ始めた。

「いやぁぁぁ!!

 離して!!
 
 あたしはカッパなんかにはなりたくない!!」

短パンがズリ下げられ、

白い肌をしたひびきの臀部がさらけ出される。

その途端、

ヒタヒタヒタ!!

ひびきの臀部にカッパ達の冷たい手が次々と当てられると、

ズムッ

そのうちの一本の手がひびきの体内に潜り込んできた。

そして、ひびきの体内をまさぐりだしたその動きにひびきは渾身の力を込めて

「やめてぇぇぇぇぇぇ!!!」

と叫び声をあげると、

「どうした!!」

と言う声とともに懐中電灯の明かりがひびきの方へと向かってきた。

その途端、

『けぇぇぇぇぇ』

カッパ達は鳴き声をあげると、

バシャバシャバシャ!!

ひびきに次々と水をかけると全員が大沼の中に消えていってしまった。

こうして、危ういとことをひびきは助けられたそのまま病院へと搬送されたが、

しかし、退院後、

警察からバレー部員達の集団失踪事件に関して色々と事情を聞かれたものの、

ひびきは決して真実を語ることはなかった。



ミーンミンミン…

あの雷雨の後、待望の梅雨明け宣言が出され、

街はすっかり夏の装いになっていた。

ザッ

腕に包帯を巻いた姿のひびきがあの大沼のほとりに立つとじっと沼の水面を眺める。

「大丈夫…もうすぐあたしもそこに行くよ」

水面を見ながらひびきはそう呟くと、

スルッ

おもむろに腕の包帯を取り始めた。

そして、すべての包帯が取り終わると、

その中から光り輝く玉を握りしめた緑色の肌に水掻きが張ったカッパの手が出てきた。

「あたしにかけてくれたあの水って、

 お皿の水だったのね…

 もぅすぐ…あっあたしもカッパに…

 けっけぇぇぇぇぇ!!」

ひびきの口からカッパの鳴き声が漏れてくると、

モリッ

彼女の背中に膨らみが盛り上がり始める。



…じゃからお前も、夜中に声がするからといって

 ふらふら外に出て行ってはいかん。

 河童になって、しまうでの。…



おわり