風祭文庫・モノノケ変身の館






「姫沼奇譚」



作・風祭玲


Vol.286





「うわぁぁぁ…綺麗…」

「はは、どうだ、凄いだろう」

「うんっ」

車から降り立った夏子はクルリと一回りをすると、

高原の澄み切った空気を胸一杯に吸い込む。

さわっ

そして快い風が俺の喉元を駆け抜けていくと、

「それにしても、よくこんな別荘を借りられたわね」

そう言いながら夏子が南欧風の別荘を仰ぎ見た。

「あぁ…

 インターネットで偶然見つけたんだよ」

俺はそう答えると、

「でも高かったんじゃない?」

心配そうに夏子が尋ねた。

「いや、そーでもなかったよ、

 まぁ少しは高かったけど、
 
 でも、相場と比べると安かったな」

「へぇぇぇぇ…」

夏子は俺の説明を聞いたのち、

そっと俺に近づいてくると、

小さく、

「ありがと…」

と囁いた。

「いえ、どういたしまして…」

そう返事をしながら俺は夏子の顔をじっと見つめると、

そっと唇と近づけていった。

すると、

フンギャァァァァ!!

ガサッ!!

突然沸き起こった鳴き声とともに2匹のネコが茂みから飛び出してくるなり、

俺のスグ横を突っ切っていくと再び茂みの中に飛び込んでいった。

「………なんだあれは…」

「さぁ?」

「あっ」

「え?」

バッ

突然のハプニングで我に返った俺と夏子は慌てて離れると、

「あっあたし…

 別荘の中…あっ先に行くね、

 ねぇ預かった鍵貸して」

と言うな否や俺の手から鍵を横取りするように奪っていくと、

まるで飛び込むようにして、別荘の中へと入っていった。

「……ねっネコの馬鹿野郎!!」

俺はやり場の無い怒りを地面に叩きつけると、

それを忘れるかのようにクルマから荷物を降ろし始めた。

そして、しばらくして、

「裕也!!

 ちょっと来て来て!!」

と建物の中から夏子の叫び声が響き渡った。

「なんだぁ?」

俺は作業を中断して、別荘の中に入って行くと

「ねぇねぇねぇ!!

 これこれこれ、これを見てよ」

と興奮気味の夏子は俺の腕を引き、

リビングへと引っ張っていく、

すると、

「ほぉ…」

キラキラと光る水面が俺の目に映った。

「これはまた…」

水面と白樺林との見事な調和に俺は声を上げると、

ガラッ

居ても立っても居られないのか、

夏子はリビングのガラス窓を開けると裸足のまま飛び出していった。

「おいおいっ、はしたないぞ」

「だって誰も見ていないんでしょう、

 だったら別にいいじゃない」

小さくなった夏子がそう叫ぶ。

「ったくぅ」

俺は夏子がたまに見せる子供っぽさに苦笑すると、

「荷物どーすんだよ」

と声を張り上げるとクルマへと戻っていった。

「はぁ…あぁ言う所はいつまで経っても治らないな」

俺はそう呟きながら作業をする。



姫沼…

そう呼ばれる小さな湖を中心にこの別荘地は立っていた。

バブルの頃、不動産屋はここを高級リゾートにしようと目論んだようだが、

しかし、その後の景気低迷とデフレにより

わりとリーズナブルに借りられる貸し別荘地に変貌していたのだが、

少々シーズンから外れているのと平日だったためか、

今日ここに来たのは俺と夏子ぐらいしかいなかった。

そして小一時間後、ようやく荷物を運び終わると、

「ねぇ…泳がないのぉ」

いつの間にか水着に着替えた夏子が湖の中から手を上げた。

「なんだ?

 おいおい、気が早いなぁ」

そんな夏子を眺めながら俺が呆れながら声を上げると、

「だぁって気持ち良いんだもん!!」

と夏子は答えながら、

スィーッ

っと湖面を移動していく。

「ったくぅ…」

スポーツ飲料を口にしながら俺は、

運び込んだ荷物の中から海パンをほじくり出していると、

ふと、

『旧暦の大払いの日、姫池には河童様が出るから入るでない…』

と言う言葉が脳裏に響いた。

「…河童か…

 はは…そんなもんこの世にいるわけないじゃないか」

俺は軽く笑い飛ばしていると、

スゥゥゥ…

突如明るかった空がにわかに曇りだすと、

ボタ

ボタッ

ドザァァァ!!

いきなり大粒の雨が降り始めた。

「あっ雨?」

俺は驚きながら窓から身を乗り出すと、

不思議にも雨を降らしている雨雲は姫沼を中心にした狭い範囲のみにかかり、

その外側では日の明かりが差していた。

「なんだこれは?」

その光景を俺は不思議に思っていると、

「いやぁぁぁぁぁ!!」

夏子の悲鳴が響き渡った。

「夏子っ」

その悲鳴に俺は夏子に方に視線を向けると、

バシャバシャバシャ!!

池の中央部で夏子が必死になって藻掻いていた。

「足を攣ったか…

 待ってろ、いま助けに行く」

俺は声を張り上げると、

ザブン!!

足にまとわりつかないようにズボンを脱ぎ捨てると姫沼に飛び込んだ。

そして、藻掻く夏子に近づいたとき、

「え?」

夏子の体の回りに猿のような身のこなしをする不思議な生き物が

数匹まとわりついていた。

「なんだ貴様らぁ」

俺は手を伸ばしてそのうちの一匹を捕まえようとすると、

ヌルリ

その生き物の皮膚を覆う粘液に手が滑ってしまった。

「なっなんだ、コイツ等…?」

俺がそれに驚いていると、

「ぎゃぁぁぁ!!」

夏子が突然絶叫をあげた。

と同時に

『やったぁ、取ったぞ』

『コイツの尻子玉を取ったぞ』

と言う声が響くと、

バシャバシャバシャ

夏子に群がっていた生き物は一気に夏子から離れていった。

「尻子玉?」

その言葉を俺は復唱しながら、

とにかくグッタリと浮かんでいる夏子を庇いながら岸へと泳いでいくと、

そっと岸に引き上げた。

「おいっしっかりしろ!!」

俺は夏子に呼びかけながら幾度も頬を叩く、

すると、

「うっうん…」

夏子はうめき声を上げた。

「良かった…水は飲んでいないようだな」

俺はホッとしながらそう思っていると、

彼女の水着が下にズリ下げられていることに気づいた。

「何があったんだ…」

「あっ…祐司君?」

ようやく気がついたのか夏子はうっすらと目を開けた。

「だっ大丈夫か?」

俺は夏子を抱き上げながらそう尋ねると、

「うん…」

夏子は疲れたような返事をした。



ザァァァァァ…

雨は相変わらず降り続いていた。

ベッドの上では夏子が静かに寝息を立てている。

「う〜ん、一体彼奴らはなんだったんだ?」

俺は夏子を襲った奇妙な連中のことを考えていた。

『姫沼には河童が…』

「…まさか…河童…?」

俺はこの別荘地に来る途中、

道を尋ねた老婆の台詞を思い出していると、

「うっうぅん…」

夏子が苦しそうに息をし始めた。

「おっおいっ、大丈夫か?」

夏子の容態変化に俺は慌てて傍によると、

「くっ苦しいの…身体が苦しいの!!」

と彼女は盛んに俺に訴えた。

「苦しい…って何処が?」

俺は介抱しようと夏子を抱き起こそうとすると、

ヌルリ…

彼女の体中から生臭い匂いを発する粘液が滴るように流れてきた。

「なんだ?、これは」

手に着いた粘液を見ていると、

昼間、池で夏子を襲った連中の粘液のことを思い出した。

すると、

ズルリ…

夏子はベッドの下に転がり落ちると、

ズルッズルッ

っと這いだした。

「おっおいっ!!」

俺は慌ててその後を追っていくと、

「はぁはぁ」

夏子は苦しそうに呼吸をしながらテラスに出ると、

そのまま雨が叩きつける庭の上に寝転がった。

「おいっ風邪を引くぞ」

慌てて俺が飛び出て、抱き起こそうとすると、

ムク…

ムクムク…

夏子の背中で何が蠢いていた。

「なんだ?」

俺はそっと夏子のシャツ越しに蠢いているものに手を触れると、

ビクッ

「あんっ!!」

夏子が喘ぎ声をあげた。

「どうした?」

「かっ感じるの…

 ねぇ、もっと触って…」

上気した顔で夏子が俺にそう懇願する。

「え?」

俺は夏子にいわれるまま、再び背中に手を触れると、

モリッ!!

背中の中央部に膨らみが姿を現していた。

「なんだ?」

俺は不思議に思いながらその膨らみをまさぐると、

「あっ、いぃ…

 かっ感じちゃう…

 あぁん、あぁ!!」

夏子は身体を痙攣させながら喘ぎ声をあげた。

すると、

ムリ…

ムリムリムリ!!

背中のその膨らみは勢いよく広がり始めた。

「おっおいっ、

 どうなってんだこれは!!」

困惑しながら俺は夏子のシャツをめくりあげると、

そこにはヌルンとした黒い輝きを放つ

なんとも表現のしようがない物体が夏子の背中を覆い尽くしていた。

「?、なんだこれ?」

俺は首を捻りながら、そっとそれに触れると、

プニッ!!

指に押されてその物体は軽くへこんだ。

すると、

ビクッ

「あっ」

夏子の身体は小さく反応する。

「なんだ?」

不思議に思っていると、

『くくく…それは甲羅だよ』

と言う声が池から響いてきた。

「誰だ?」

その声に驚いた俺が声を上げると、

チャプン!!

池の中から数個の頭らしい物体が浮かび上がると、

スゥ〜っ

っとこちらに向かってきた。

そして、

ピチャッ!!

ピチャッ!!

と水の音をさせながらその中の一匹が陸に上がり全身を見せると、

「…河童…」

俺の口からその言葉が漏れた。

…1mほどの背丈、

 深い緑色の肌、

 手と足には水掻きを持ち、

 頭には皿を頂き

 嘴のような口、

 そして、背中には甲羅

まさしく、俺の前に現れたのは河童だった。

『けけ…』

『そうさ』

『俺達は河童さ』

河童達は交代に俺に向かってそう言うと

スッ

水掻きが張った手を夏子に向け、

『今日は神聖な大払いの日…

 なのにそいつは俺達の池に入り込んできた。

 だから、尻子玉を抜いてやったのさ』

「なんだとぉ」

河童の言葉に俺が喰って掛かると、

『美味かったなぁ、コイツの尻子玉は…』

『あぁ…』

河童共はそう言って頷き合う。

「貴様らぁ!!」

そう叫びながら俺が河童共に殴りかかろうとすると、

『うわぁぁぁぁ』

河童共はバカにしたような叫び声をあげながら、

まるで蜘蛛の子を散らすように池の中に広がっていく、

「てめぇらっ、

 一匹残らずぶっ殺す」

俺はそう怒鳴りながら池に飛び込むと、

『けけ…いいのかなぁ…』

河童共は脅迫にも取れる台詞を吐いた。

『君に暇は無いと思うよ』

『ほら、あの女の人、

 甲良がもぅあんなに盛り上がっているよ、

 ねぇこの後どうなるか知ってる?』

『けけ…

 尻子玉を抜かれた人間はねぇ

 段々と河童になっていくんだよっ、

 そして、河童になっちゃったら

 僕たちの下部となって扱き使われるの、

 楽しみだねぇ…』
 
『ねぇ』

「なんだとぉ!!」

河童共の言葉を聞いた俺は大急ぎで岸に戻っていった。

「くはぁ!!」

すっかり成長した甲良剥き出しにして夏子は悶え苦しむ。

そしてそんな夏子を目の前にして俺は狼狽えていると、

『そんなに彼女を助けてあげたいかい?』

と言う河童共の声が響いた。

「当たり前だ!!

 誰が好きこのんで夏子を河童にしたいなんて思うか」

その声に俺は怒鳴り返すと、

『なるほどねぇ…

 じゃぁ、

 相撲で勝負をしようか?』

と一匹の河童が提案した。

「相撲だとぉ?」

俺はそう聞き返すと、

『そうさ、

 俺達河童は相撲が大好きだからね

 なぁ、この勝負受けるかい?』

と言う声に、

「ふん、よかろう…」

俺はそう答えながらシャツを脱ぎ捨てると上半身裸になり、

そして

「さぁ、誰から来るか」

と怒鳴ると池の中の河童共を睨み付けた。

すると、

『くふふふふ…』

河童達は意味深な笑いをすると、

ジュボッ

最初の一匹が陸に上がるなり

『俺達はあまり長時間、

 陸には居られないから、

 サッサと勝負をしようぜ』

と言うと、

グッ

っと構えた。

「よかろう」

俺も河童を睨みながら腰を下ろす。

その途端、

バッ!!

いきなり河童が俺に飛びかかってきた。

「あっ、汚ネ!!」

俺は河童の行動に抗議しようとしたが、

スルリ

俺の手をかわすように河童は俺の懐に飛び込んでくると、

ガッ!!

っと俺の腰に食らい付く、

グググググ!!

予想以上の猛烈な力で河童は俺の身体を揺する。

「くっそう!!」

俺は歯を食いしばって踏ん張るが、

『うりゃぁ!!』

そう河童が声を上げると、

まるで俺は河童に振り回されるようにして腰を地面につけてしまった。

『うわぁぃ勝った勝った!!』

俺への勝利に河童は大喜びをすると、

「グワァァァァァ!!」

夏子が悲鳴を上げると、

ボトッ

メキメキメキ!!!

夏子の右手の小指が落ちると残った4本の指の間に水掻きが張っていき、

また、手の色も緑色に染まっていった。

「夏子!!」

それを見た俺は声を上げる。

『あーぁ、右手が河童になっちゃったね』

河童は頬杖をつきながら俺にそう言った。

「くっそう!!」

俺は再び腰を落とすと勝負に出た。

しかし、

次も俺は敗れると夏子の左手は河童の手と化してしまった。

『さぁさぁ、

 どうするどうする?』

余裕たっぷりにと河童達は俺を急かす。

「ちっ!!」

俺は舌打ちをしながら河童共を睨み付けると、

グッと腰を落とした。

俺の前には次の相手となる河童が腰を下ろす。

「夏子…絶対お前を元に戻してやる」

俺は自分にそう言い聞かせた。

そして、

「よしっ行くぞ!!」

タンッ!!

俺は勢いよく河童の懐に飛び込むと、

一気に押し出そうとした。

しかし、

ズザザザザザ!!

河童は俺の身体を軽く受け流すと、

あっさりといなしてしまった。

「え?」

ドタッ!!

一回転した俺は無様に仰向けになってしまった。

メキメキメキ!!

『ウギャァァァァァ』

夏子の肌を不気味な緑色が覆っていく、

『きゃははは…

 見てごらん

 どんどん河童になっていくよ』

河童共は緑の肌に覆われてしまった夏子を指差し俺に向かって言う、

「おらっ勝負だ!!」

俺は怒鳴りながら構えたが、

しかし、河童共を負かすことは出来なかった。

そして、それに合わせるようにして、

夏子は徐々にヒトで無くなっていった。

『くはっ』

嘴のように変形してしまった口を大きく開き苦しそう夏子は呼吸をする。

『ほらほら、彼女苦しそうだよ』

『そうだよ、

 もぅ皿を開いてあげて楽にしてあげようよ』

『うん、河童にしてしまえば、彼女苦しまないですむよ』

河童共は両手足に水掻きが張り、頭には皿が開きかけた夏子を指差してそういった。

「むわだむわだ」

全身ボロボロになりながら俺は構えると、

『やれやれ』

河童共の中からひときわ力がある奴が陸に上がってくると俺の目の前に立った。

そして、

『この勝負…君がまけたら彼女は連れて行くからね』

と俺に告げた。

「くっそう」

俺は唇をかみ締めながら河童を睨みつけると、

拳を地面につけた。

バッ!!

その瞬間、

ふぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!

昼間、俺と夏子のムードをぶち壊しにしてくれた

あの2匹のネコが再び現れると俺の目の前を一気に通り過ぎて行った。

「また、お前らか!!」

2度目だった俺は驚かなかったが、

しかし、予想外に事態に驚いてしまったのが相手の河童だった。

『………』

呆然としている河童を見た俺は

「いまだ!!」

思いっきり飛び出すとその横っ面を張り手で叩くなり、

「うらぁぁぁぁぁぁ」

っと叫び声を上げながら河童を水の中へと放り込んだ。

ドボォォン!!

水面に大きな水柱を上がると、

『きゃぁぁぁぁぁぁ』

池の中にいた河童達が悲鳴を上げながら一匹また一匹と、

まるで消しゴムで消すかのようにその姿を消していった。

ぴちゃっ

「終わったのか?」

雨が上がり月明かりが差し込み始めた池を俺は呆然と眺めていた。



『お昼ご飯出来たわよぉ』

キッチンから夏子の声が響くと、

「おうっ」

俺は作業を止めると別荘の中に入っていく、

『はいこれね』

ゴト

そういって夏子が俺の前に出したのはキュウリの山だった。

「………なぁ…」

それを眺めながら俺はそう言いかけたところで、

『文句は言わないのっ

 大体あたしをこんな姿にしたのは祐二さんなんだからね』

そう言う夏子の背中には甲羅があり、

手足には水掻き、

嘴のような口に、

頭にはしっかりと皿が開いていた。

そう、俺の猛攻は一歩及ばす、

夏子は河童になってしまったのだ。



『責任…取ってよね』



そう言いながら夏子は俺の隣でキュウリをかじった。



おわり