風祭文庫・モノノケ変身の館






「御池」



作・風祭玲


Vol.259





テンツクテンツクテンテンツクツク…

林越しに聞こえる祭囃子を横で聞きながら

ガサガサ…

草の葉が揺れると、

「こっちこっち」

「おいっ待てよ!!」

という声と共に男女が林の中を駆け抜けていく。

「なぁ、やっぱ止めようぜ…」

「なに言ってんの、

 最初にご神体を見たいって先に言い出したのはシンゴじゃない」

先を行くアズミが文句を言うと、

「まぁそれはそうだけど……な」

そう返事をしながらシンゴは浮かぬ表情をする。

すると、

「なによ、怖気づいたの?」

とアズミが聞き返すと、

「だっ誰が!!

 ただ…その…なんていうか…なぁ」

アズミの言葉に思わず反論しようとしたシンゴだったが、

しかし、その台詞は徐々に消極的なものへと変わっていった。

「じゃぁ、どうするの?

 行くの?

 それとも止めるの?」

アズミはシンゴの前に立ち止まると、腰に手を当て改めて尋ねた。

その彼女の後ろには高さ2メートルほどの朱で塗られた両開きの門が

まるでシンゴたちを飲み込もうとしているがごとく開かれていた。

「止めるんなら、あたしは一向に構わないけど、

 でも、シンゴに意気地がなかったなんてショックだわ」

アズミは頬に手を当てそう言うとショックを受けたようなポーズをとる。

その途端、

「判ったよッ!!

 行きますよ、

 行けばいいんでしょッ!!」

アズミのそのポーズと台詞にシンゴはカチンと来ると、

怒鳴り声を上げながらノッシノッシと門へ向かって歩き始めた。

「だっダメよ

 そんな大声を出しては、

 もしも、神社の人に知られたら大変なんだから…」

シンゴの怒鳴り声を聞いたアズミはたちまち青い顔をすると、

スグに彼の後を追いかけて行いった。



御池水神・奥院…

シンゴとアズミがくぐっていった門の上にはそう書かれている額が掛かっていた。

そもそもこの社は御池水神と呼ばれる古より続く社で、

麓にある御池水神の本殿とその裏方に聳える御池山が神域である。

またそれ故、御池山への入山は硬く禁じられ、

その周囲には山を俗世から守る結界が張られていて、

俗世よりの様々な邪気を防いでいた。

その一方で、本殿の裏方には、

俗世と御池山山中にある奥の院をつなぐ門が設けられていて、

その門は夏の大祭の夜のみ開かれる仕来りだった。

ところがいつの頃からか、

御池山の奥の院の前にはご神体を守る池があり、

そして、その池には河童が住んでいると実しやかに囁かれるようになり、

さらに、山が固く閉ざされているために、

池が本当に存在するのかは定かではなかった。



ガサガサ…

背丈近くまで伸びきった下草を掻き分け、

シンゴとアズミは御池山を登っていく、

「はぁ…そんなに高い山ではないのに

 何でこんなに苦労するのかしら…」

「そりゃぁ、

 ろくに人の手も入っていないんだから無理も無いだろう」

二人は文句を言いながらも獣道と化している登山道を登っていく。

ハァハァ

ゼェゼェ

2時間ぐらい掛かっただろうか、

すっかり息の上がった二人の前に突然、

パッ

っと視界が広がると、

鏡のような水面に中空に掛かる月を映し出した池が姿を見せた。

「池だ…」

「ほぉぉぉ、やっぱりあの噂は本当だったんだなぁ…」

「じゃぁ河童もいるのかな?」

「さぁ?」

目の前の池をながめながらシンゴとアズミは言葉を交わしていると、

パチャ!!

っと言う音が響き渡ると同時に水面に同心円状の波紋が広がって行った。

「河童かな?」

その水面を睨むようにしてアズミが呟くと、

「魚じゃないのか?」

とシンゴが呟く、

「もぅ、デリカシーが無いのね」

シンゴの言葉にアズミが膨れながら文句を言うと、

「その言葉ってこう言う状況には合わない思うが…」

大粒の汗を額に浮かび上がらせながらシンゴが呟いた。

「細かいことはいいの!!

 それより、もぅちょっと池に近づいてみようよ」

アズミはシンゴにそう言うと、

ザザッザザッ

っと草を掻き分けながら池に近づいていった。

「おいっ、落ちても知らないぞ!!」

アズミの行動にシンゴは眉をひそめながらそう叫んだが、

しかし、アズミはシンゴの忠告には一切耳を貸さずに池に近づいていく、

そして、

「ったくぅ」

呆れ半分にシンゴがアズミの後を追い始めたとき、

「キャッ!!」

アズミの悲鳴が響き渡ると、

ドボン!!

っと池の水面に小さな水柱が池から立ち上った。

「あーっ、言わんこっちゃない!!」

それを見たシンゴはアズミが池に落ちたと判断すると大急ぎで駆け寄って行ったが、

ウワァァァ!!

突然、シンゴの足元が抜け落ちるようにすべると、

ドボォン!!

シンゴも池へと落ちてしまった。



池は思いのほか深く、

幾ら足を伸ばしてみてもなかなか底には届くことはなかった。

シンゴは仕方なく、

プハァ

っと水面に顔を出すと、

「アズミ!!」

と立ち泳ぎをしながらアズミの名前を呼んだ、

すると、

「シンゴ!!

 ここよ!!」

と言う声が響き渡った。

「アズミっどこだ!!」

シンゴは叫びながらグルリと池の周囲を見渡すと、

池の中央の方でバシャバシャと水しぶきを上げているアズミの姿を見付けた。

「アズミっ、いま行く!!」

シンゴはアズミに向かって声を上げると泳ぎ始めた。

そして、

あと少しで追いつこうとしたとき、

「いやぁぁ!!」

アズミは悲鳴を上げると、

ジュボッ!!

っとその姿が水面から消えてしまった。

「アズミっ!」

一部始終を見ていたシンゴもアズミを追って水の中へ潜り込む、

ゴボゴボ…

池の水は透明度が高く、

そのお陰で月の明かりは池の奥の方まで届いていた。

(アズミ…)

水の中に潜ったシンゴは必死になってアズミの姿を捜し求めた。

すると、

シンゴの居る場所から少し深いところで

何かと揉み合うアズミの姿が目に映った。

(いたっ)

シンゴは夢中になってアズミに取り付くと、

アズミがもみ合っていた相手を引き剥がした。

そのとき、

「え?、河童?」

シンゴはそう呟くと信じられないものを見たような感覚になった。

サッ!!

水掻きが張った手に何か光るものを持ったそれは

すばやく移動していくと、

そのまま池の奥深く姿を消してしまった。

ブハァ!!

気絶したのかぐったりとしているアズミを抱きかかえるようにして、

シンゴは水面に浮き上がると、

アズミを庇いつつ岸へと泳いでいく、

そして、

「よいしょっ!!」

アズミを陸に押し上げると、

シンゴも続いて陸に上がった。

「さっきのやつ…

 まさかホンモノの河童だったのか?」

シンゴはいまさっき遭遇したなぞの生き物のことを

思い出しながら水面を見つめていた。



「あたし…帰る…」

気がついたアズミはそう言うと、

シンゴの背中から飛び降りた。

「なんだよ、

 その言葉は…

 人が折角下に連れてきてやったのに」

あのあと気絶したままなかなか目を覚まさないアズミの様子に

シンゴはただならないことを悟ると

アズミを担ぎながら大急ぎで山を降り、

そして、門をくぐり抜けたところでアズミが目を覚ましたのであった。

それ故に、いきなりそう言われた

シンゴは腹立たしく思ったのであった。

「あたし…帰る…」

光のない目をうつろに開いてアズミが立ち上がると、

「あのなぁ、

 幾らひっぱたいても目を覚まさなかったから

 大急ぎで降りてきたんだぞ、

 少しは礼を言ったらどうなんだ」

とシンゴが文句を言ったが、

アズミは同じ言葉を言うとふらふらと歩き始めた。

「ったくぅ…こんなことなら山の上に放って置いてくればよかった」

アズミの態度にシンゴはそう言い放つと、

祭が終わり、灯りが落とされた参道をひとり歩いて行った。



そして翌朝、

「え?、アズミが行方不明?」

夜遅くまで出歩いていたために完璧に遅刻して学校の教室に入ったシンゴは

アズミがまだ登校してきていないことをクラスメイトから知らされた。

「うん、先生が確認するために自宅に電話をかけたら、

 アズミ、昨日の夜から帰ってきていないんだって、

 それで、
 
 いま担任がアズミの御両親と共に警察に相談に行っているのよ」

心配そうな面持ちでそう話すクラスメイトに、

「わりぃ、俺ちょっと心当たりがあるんだ、

 済まないがこれ預かっててくれ」

シンゴは持っていたカバンをクラスメイトに預けると、

そのまま学校を飛び出していった。

「アイツ…まさか…」

そう呟いてシンゴが向かった先はアズミと最後に分かれたあの御池水神だった。

いつもの通学コースから外れること約30分で、

御池山を背にした御池水神の杜が姿を現してくる。

カンカンカン!!

神社の境内は昨夜で終わった祭の後片付けをする職人でごった返していた。

「すみません、

 あのぅ、今朝方この辺に女の子が居ませんでしたか?」

シンゴは一人の職人を捕まえてそう質問をすると、

「ん?、女の子?」

職人はしばし考えると、

「あぁ、もしかして、あの髪の長い娘か?」

と何かを思いだしたような返事をした。

「やっぱり居たんですか?」

職人の言葉にシンゴは表情を明るくして聞き返すと、

「あぁ、あそこのところで、

 なんかボーっとつたっててさ、

 薄気味悪いったらありゃしない、

 どれくらい居たっけかなぁ…

 気がついたときにはもぅ居なかったな」

職人はそう御池水神の本殿を指差して答える。

「ありがとうございます」

シンゴは礼を言うと、本殿に向かって行く、

「でも、なんか変だったよなぁ…その娘…

 肌なんてまるでカエルみたいな色をしていたし、

 それに、妙に生臭い匂いも撒き散らしていたし…」

首をかしげながら職人はそう続けたが、

けど、その声はシンゴには届いていなかった。



ガシャッ!!

昨夜は開いていた扉は

今朝方神職たちの手によって閉められたらしく硬く閉ざされていた。

「ここが閉ざされるのは今朝の日の出の頃のはずだから、

 アズミはこの中には入っていないか

 となると、どこに行ったんだ?」

門を前にしてシンゴが考え込んでいると、

『シンゴ…』

っとアズミの声が響いてきた。

「アズミ?、どこだ!!」

シンゴは左右に首を振りながら声を上げると、

『ここよ…』

っと声は門の中から聞こえてきた。

「まさか…」

シンゴは門に近づくと、

そっと門を押した。

すると、

ギギギ…

硬く閉ざされていたはずの門がかすかに開いた。

「そんな…さっきは閉まっていたのに」

シンゴは驚きながらも門の中へと入っていく、

『シンゴ…早く来て…』

神域の中に入ったシンゴを誘う様にアズミの声は響いた。

「くっそう!!」

シンゴはそう呟くと再び山を登っていく、

そして、小一時間後、

御池のほとりにやってくると、

『シンゴ!!』

そう叫びながら池の中にアズミが立っていた。

「アズミっ、お前そんなところで何をしているんだ!!」

アズミの姿を見てシンゴはホッとすると、

スグに駆け寄ろうとしたが、その足はぴたりと止まった。

と同時に、

「……アズミ…お前…何処に立っているんだ?」

と言いながらシンゴはアズミの足を見た。

すると、

チャプン!!

アズミの足は水面の上に立っていた。

またそれだけではない、

アズミの肌の色が頭から足の先まで鮮やかな緑色に染まっていたのだった。

「なっなんだよぅ…それは…」

指を指しながらシンゴが声を震わせると、

「あっあれ、シンゴ?

 あたし…なにを…え?えぇ?」

アズミの目に光が戻ると、

自分の置かれている状況に困惑した。

すると、

『クックックッ

 よく来たな、

 神域を荒らした大罪人が…』

という言葉と共に、

ジュボ!

ジュボ!!

ジュボ!!!

っと緑色をした坊主頭が次々と水面上に姿を現した。

「かっかっかっ

 河童だ!!」

シンゴは緑色の肌に、頭の上には青色の皿を輝かせた河童の出現に声を上げた。

『そうさ、我々は水神さまをお守りする警護の者だ、

 お前達は昨夜、禁を犯し、

 年に一度、水神様が寛いでいらっしゃるこの池を汚した。

 これは決して許されるものではないっ』

と河童達はシンゴに告げた。

「だっだからって

 何なんだっていうんだ」

負けじとシンゴが言い返すと、

『ふん、ゆえに、この女には昨夜天誅を下した、

 これを見よ』

河童はそういって淡く光る小さな玉をシンゴに見せた。

「なっ何だそれは…」

警戒しながらシンゴが訊ねると、

『これはな、この女の尻小玉さ、

 この尻小玉を水神様に捧げることでこの女は己の罪の償いをするのさ』

そう河童が言うと、

突然、

「いやぁぁぁ!!」

アズミの悲鳴が水面に響き渡った。

メキメキメキ!!!

アズミの体から骨がきしむ音がこぼれてくると同時に

彼女がかざした両手の形が変わり始めた。

震えながら両手の指が細く長く伸びていくと、

それに併せて小指が手の中へと消えていく、

そして、細長く伸びた指の関節が盛り上がると、

指と指の間に膜が張り、

あっと言う間にアズミの手は水掻き持った手へと変化してしまった。

「まさか…」

シンゴはアズミの手が河童と同じ手になってしまったことに驚く、

『ふふふ…

 そうだよ、尻小玉を抜かれた人間は河童になってしまうのさ、

 俺達と同じ河童にね』

と河童達は悪戯っぽくシンゴにそう告げた。

「止めてくれ、そんなことは!!」

河童達にシンゴは猛然と抗議をするが、

『ははは…

 無駄だ無駄、

 もぅこの女の運命は決まってしまったのさ

 ほらっ、今度は甲羅が出てくるよ』

そう河童が言うや否や、

モリッ!!

アズミの背中で着ていたワンピースを持ち上げるように

小さな盛り上がりが姿を見せると、

「やめてぇぇぇ!!」

アズミの悲鳴と共にそれはムクムクと成長し始めた。

そして、身に着けていたワンピースが見る見るパンパンに張ると

ついには、

ビリビリビリ!!

と言う音と共に引き裂けていく、

すると、

ヌルン!!

引き裂けたワンピースの下から出てきたのは、

アズミの背中を覆い尽くした甲羅だった。

「いやぁぁ!!

 見ないでぇ!!」

ピシピシっ

甲羅が固まっていく音聞きながら、

アズミは水掻きが張った両手で顔を隠したが、

しかし、

ミシッ

その口の両側にスジが走ると、

アズミの口が裂けだした。

ググググ…

それに併せるようにして手を押し出しながらくちばしが伸びていく、

「くっぐえぇぇ!!」

鼻を飲みこみ、くちばしがさらに大きくなっていくと、

後ろで纏めていた髪がズルリと落ちた。

「そんな…

 アズミが…

 アズミが、河童になっていく…」

信じられないものを見るような顔でシンゴが呟くと、

「ぐわぁぁ!!」

くちばしとなった口を大きく開いて声を上げる、

アズミは河童と化してしまった。

『ははは、新しい仲間の誕生だ!!

 さぁ、みんなでコイツの頭の皿を開いてやれ』

河童達は口々にそう言うと、

河童となったばかりのアズミに襲い掛かると池の中へと引っ張り込んだ。

「ぐぁぁぁ…助・け・て」

頭に盛り上がったこぶを庇いつつアズミは抵抗したが、

しかし、多勢に無勢…

幾本もの河童の手がアズミの頭のこぶに伸びると、

ビリッ!!

っと引き裂いていく、

ヒヤッ

池の水がアズミの頭に姿を現した皿に触れた途端。

ビクン!!

っとアズミは大きく痙攣をしたが、

しかし、水がアズミの皿を浸していくと、

アズミの身体は静かに池の底へと沈んで行った。

「あっアズミっ待て!!」

沈んでいくアズミにシンゴが飛び込もうとすると

『ふふふ…

 君の人のことを心配して入られないよ』

と河童達はシンゴに告げた。

「何だって!!」

その言葉にシンゴが食って掛かると、

『ほらっ、君も変身しているよ」

と河童が指摘した途端、

ガクン!!

シンゴの足の力が抜けるとその場に座り込んでしまった。

「なっなんだぁ?」

這いずるようにしてシンゴが自分の足を見ると、

ムクムク!!

腰の辺りが盛り上がり始めた。

「くぅぅぅっ」

全身を襲う身の毛のよだつような気味悪い感覚にシンゴが耐えていると、

ベリッ!!

穿いていたズボンが引き裂けた。

「!!」

自分の視界に入ってきた光景にシンゴは息を呑む、

ジワジワジワ…

それは、青緑色の鱗に覆われていく自分の下半身だった。

鱗はすでにシンゴの腰周りを覆いつくし、

足先に向かって広がっていく、

そして、鱗に覆われた足はお互いに癒着し始めていた。

「なんだ、なんだよ…あ?!!」

突然、自分の口から出てきたボーィソプラノのような声にシンゴは口をつぐむ、

『そうだよ、

 お前は人魚になるのさ…ただし、オスのな…

 まっ、人魚となって水神さまに歌声を聞かせるのがお前の役目だ。

 さて、さっきの女に河童としての心得を教え込んどくか』

河童はシンゴにそう告げると、

次々と水の中へと消えていった。

「あっあっあっ」

シンゴは声を上げながら、

伸びていく髪を背中で感じつつ、

文字通り魚の尾びれへと変化していく自分の下半身を眺めていた。



満月の夜…

御池の水面にボーィソプラノの歌声が静かにこだまする。

その声の主を追っていくと、

チャプン…

池のほとりで魚の尾びれと化した足を左右に振りながら、

歌い続ける一人の人魚の姿があった。

やがて、チャプンと人魚の前に小さな坊主頭が姿を現すと、

じっと人魚が歌う歌声を聴いていた。

「アズミ…」

「シンゴ…」

二人は目でそう言い合うと、

人魚は歌うのをやめ、そして池の中へと入っていった。

「ごめん、こんなことになって…」

「いいよ、もぅ終わったことだ」

河童となったアズミと人魚となったシンゴは

硬く抱き合うとそのまま池の底へと沈んでいった。






おわり