風祭文庫・モノノケ変身の館






「水神の贄」



作・風祭玲


Vol.151





元号が明治と変わる少し前のこと…

ギラ…

容赦なく照りつける太陽

チーチーチー

虫が乾いた声を立てる稲田には水は無く、

傍を流れる小川も枯れ果て、

干からびた小魚がその底に無惨に転がっていた。

「どうしたものかのぅ」

「どうもこうも…」

「田植えをしてからこっち全く雨が降らねぇ…」

村人達が集まると必ず尋常でないこの話題がのぼり

「雨乞いはどうなっているんだ…」

「半月ほど前から宮司さんがやっているそうなんだが、

 まだ何にも…」
 
「そうか…」

「代官様から目こぼしをして貰っている上の田はまだ諦められるが、

 もしも下の田までやられると…」

「そうだな、下の田は今のところ御池様の水で

 つないでいるようなものだからな…」

「しかし、名主様やお社には隣やその先の村からも

 御池様の水を回してくれ

 と使いの者が来ているとか」

「それは、できない相談だ…」

「もしも、よそに水を回して

 御池様が枯れるようなことになってしまったらどうするんだ」

「…間違いなく飢饉…だな」

「ばかっ、その言葉を言うでねっ」

「しかし…」

そう村人達には考えては行けないその2文字が頭の中に浮かんでいた。


その時…

「たっ大変だ!!」

一人の若者が鎮守の杜から大声を上げて走ってきた。

「どうした!!」

「みっ御池様の水が…」

「御池様がどうかしたのか」

「ひっ干上がっている…」

顔を真っ青にして言う若者の言葉に

「なんだとぉ!!!」

村人達は我も我もと鎮守の杜へと走っていった。


「ばかな…」

「こっこんなことが…」

村人達の前に現れた御池は完全に干上がり、

無惨な底を見せていた。

まさに村中が大騒ぎになった。

「名主さまっ、どっどうしましょう…」

「う〜む…」

干上がった池を目の前にして名主は考え込んでいた。

「ここままでは飢饉です」

「わかっておる」

「20年前の日照りの時でも枯れることはなかった御池が枯れるなんて」

「だれだ!!、ここで悪さをした奴は!!」

「騒ぐな…

 宮司…コレをどう思う」

名主は社の宮司に訊ねると、

「聞いてみましょう」

と宮司はそう言い残すと社にこもった。

翌日…

「ご託宣が降りました」

「なんて…」

「あなた方は御池の水を他の村に送ることを拒みましたね、

 水神様はそのことにひどく立腹なされ、
 
 我々から池の水を取り上げてしました」
 
「なんと…

 で水神様を鎮める方法は…」
 
「贄を一人」

「贄を…?」

「はい」

「明日、水神様より白羽の矢が放たれます

 それを受けたものを水神様の贄にせよとのことです」

「白羽の矢をか…」

宮司の言葉に村人達は一斉に顔を見合わせていた。



「大変なことになったんだね」

キヨは帰ってきた父親から

その話を聞かされると事の深刻さを感じていた。

「水神様の贄ってどういうことなの」

妹のトモが訊ねると

「河童になれ…ってことだよ」

夕餉の支度をしていた母親が答えた。

「え?、河童になるの…

 うわぁぁぁいいなぁ…」
 
トモが目を輝かせながらそう言うと

「バカタレ…

 河童になると言うことは人ではなくなる

 ということだ…」
 
父親がトモを叱りつけると、

「あんた…

 そうムキになることはないでしょう

 ウチの者に白羽の矢が立ったわけではないんだら」

と言った。

「いいか、トモ…

 河童になると言うことは、
 
 ずっと水の中にいて自由に外には出られず

 また、こうしてご飯を食べたりする事も出来ないんだぞ」

キヨは妹に言い聞かせていた。


深夜…

ヒュン!!

一本の矢が鎮守の杜より放たれると

カッ

ある者の頭もとにそれは突き刺さった。


チュンチュン

「あっあんた、起きてぇ…」

「ん?どうした」

「はっキヨの頭もとにコレが…」

そう言ってキヨの母親は起きてきた父親に白羽の矢を見せた。

「なにぃ!!」

父親は矢を眺めると

ヘタァ

っとその場に座り込んでしまった。

「そっそんな…キヨが…」

「あっあんた…」

父親は呆然として矢を眺めていた。



「おいっ、キヨっ

 お前に白羽の矢が立ったのは本当か?」
 
父親と父親と共に宮司に白羽の矢が立った事を告げに

キヨが社に行ってからの帰り

キヨは婚約者である作哉に呼び止められるとそう尋ねられた。

「うん…」

キヨは力なさそうに答える。

「断ることは出来ないのか」

「出来る分けないでしょう」

「しかし…

 じゃぁ俺との祝言はどうなるっ」

作哉の言葉に

「…無かったことになるわ

 明日にでも作哉の所に父さんが行くわ」

とキヨは返事をした。
 
「そんなぁ」

「仕方がないよ…

 誰かが水神様のお怒りをお諫めしなければ
 
 この村は飢饉で滅びしてしまうわ」

と言うキヨに

「そっそれはそうだけど…

 しかし…」
 
「ごめんね、急ぐので…」

キヨは作哉にそう言うと足早に立ち去った。

「おっおい…」

作哉は追いかけることなく彼女の後ろ姿を見送っていた。



家に戻ったキヨは宮司からの言付けを先に帰っていた父親に話した。

すると

「なにっ、今夜だとぉ」

父親は大声を上げてキヨに聞き返した。

「はい…水神様は次の満月の夕刻に

 あたしが来ることを望んでおられるそうです」

「次の満月と言ったら、3日後じゃないか」

そう言う父親に

「支度に3日かかるから今晩から社に来いと…」

と力無く言う答えるキヨに

父親は無言で座った。

母親は肩をふるわせながら袖で顔を覆う

「おねぇちゃん…河童になるの?」

トモが不安そうにキヨに尋ねた。

「うん…お姉ちゃんねっ

 水神様のお怒りを解くために水神様の所に行くのよ」

と言うと、

「いっちゃやだ」

とトモがキヨに抱きつくと泣き始めた。

「お願いっあたしを困らせないで…」

キヨは困惑しながらトモに言い聞かせるが

トモはキヨから離れなかった。



その夜キヨは両親に見送られて、

迎えに来た宮司と名主と共に社へと向かっていった。

「覚悟は出来ているか?」

宮司に尋ねられたキヨは静かに頷いた。

「すまんのぅ…

 私たちの過ちのために、お前が犠牲になるなんて」
 
そう言う名主に

「そんなことはありませんっ
 
 あたしは水神様の誤解を解くために参るんです。
 
 犠牲だなんて思っても居ません」
 
と気丈に答えた。

社に到着後、

御祓を済ませ巫女装束に身を固めたキヨは宮司と共に

社の奥にある小さな建物へと向かっていった。

「ここは…」

キヨの問いかけに

「支度部屋だ…

 キヨ…お前はここで生まれ変わる」
 
宮司は言葉少な目に戸を開けるとキヨを中に入れた。

そして、中央に座らせると、

彼女の目の前に1つの杯を置き

中に祭ってあった御神酒徳利を取り出すと、

杯に中のを注ぎ込んだ。

「コレを飲めば、お前は生まれ変わる…

 いま飲めとは言わない、
 
 ただし、支度に3日かかるので、
 
 間に合う為にはいまから一刻の間に飲め」

そして彼が外に出るとき、

「キヨ、ここにはお前が居る内側にしか

 鍵はない…
 
 この意味判るな」
 
と言い残して去っていった。



カチャ…

キヨは鍵を内側から閉めると

「………」

杯に手を伸ばし、それ一気に飲もうとしたが

なぜか身体の動きがすんでの所で止まってしまう。

何度も何度もやっては見たがどうしても出来なかった。

「……作哉に逢いたい…」

杯を置きふと天井を見上げたキヨはそう呟いた。

すると…

「…キヨ…キヨ…聞こえるか、

 俺だ作哉だ」

という声がした。

「!!

 作哉?
 
 作哉なの?」

キヨは扉の所に行くと声を出した。

すると

ガッガッ

っと扉を開けようとする音が響き始めた。

「鍵をかけているのか?」

作哉の問いかけに

「だっダメよ、作哉…」

「なぁ、ここから逃げよう

 そしてどこかで2人で暮らそう」

と言う作哉の声にキヨの両目から涙が溢れてきた。

「うっ嬉しい…

 作哉がそう言ってくれるなんて…
 
 でも…」
 
「でも…ってなんだ」

「でも…もぅ遅いわ…

 あたし飲んでしまったの…」
 
「え?」

「水神様の杯を…」

「なっなんだって…」

「だから…もぅ…」

「おっおいっ、

 ウソだろう…

 ウソって言ってくれよ」
 
「ううん…本当よ…」

キヨはそう言うと、

杯を口に付けると一気に飲み干してしまった。

冷たい感触が胸の中を通っていく。

「だからお願い…あたしのことは忘れて…」

「そんなぁ…」

「作哉の事は好き…愛してます…だからさようなら」

そう言い残すとキヨは部屋の真ん中に戻ると静かに座った。

「おっおいキヨ!!」

ドンドンっと

作哉は何度も戸を叩いたが

キヨからの返事は帰ってこなかった。


翌朝…

キヨは苦しみの中にいた。

ハァハァハァ…

「くっ苦しい…」

部屋の中でのたうち回るキヨの身体からは滝のような汗が噴き出し、

巫女装束はベットリと濡れ、キヨの身体にまとわりついていた。

夕刻に汗は粘液へと替わり、

苦しみのあまりキヨが動くたびに

ジュクジュクと音を立てながら

はいずり回る彼女の跡をつけて行っていた。



翌日

キヨは苦しみではなく激痛に襲われていた。

「ぐぅぅぅぅうぅぅぅぅ…」

粘液に覆われた彼女の肌は緑色に染まり、

さらには背中では背筋がゆっくりと盛り上がり始めていた。


ムク…ムク…

時間と共にそれは成長してゆき、

やがてキヨの背中を覆い尽くすと

今度はグィグィと張り出しはじめた。

”それ”の成長と共に彼女の肌は引っ張られ、

巫女装束の上からでもそれの存在はハッキリと判るようになる。

「うぅぅぅぅぅっ

 うぅぅぅぅぅっ」

それが大きくなるに連れ、キヨのうめき声が大きく、

背中の皮膚はいまにも引き裂けそうな悲鳴を上げる。

ムク…

さらに”それ”が成長したとき

ビシッ

と言う音を立てて、キヨの背中が裂けた。

と同時に、

ニュルン…

黒く輝く”甲羅”がついに顔を覗かせた。

「はぁはぁ…」

「くぅぅぅぅ…」

しかし、キヨを襲う激痛は手を緩めることなく彼女を襲い続けた。

程なくして、キヨの両手から小指が欠落すると、

残った指と指の間に水掻きが張り、

さらには長い黒髪が糊を剥がすように抜け落ちると、

キヨはまるで尼のような坊主頭になってしまった。

さらに、

その坊主頭の上には後に”皿”となる膨らみが現れ始めていた。



「キヨ…」

作哉はあの夜以降、まるでキヨを守るかのようにして

部屋の前に座り込んでいた。

そして、中から聞こえてくる音に彼女の変化を感じ取っていた。



そして3日目の朝が来た。

その頃にはキヨを襲っていた苦しみや激痛は既に遠のき、

キヨは久しぶりにまどろみの中にいた。

しかし、キヨの身体はこの2日間の間に大きく替わり、

誰が見ても河童と言う姿に変貌していた。

『あたし…河童になってしまったの?』

緑色に染まり、水掻きが大きく張った手を

見ながら呟く彼女の口には嘴がつきだしていた。

しかし、キヨの変化はコレで終わりではなく、

もぅすぐ皿が開こうとしていた。

『コレが開いたら…あたしはもぅ』

少しずつ膨らんでいく皿を感じながら

キヨは扉を見つめると、

何かを決心したように

そこへとゆっくりと歩いていく、

カチ…

カギを外した。

キィ…

小さな音を立てながら戸が開いてゆく、

と同時にずっとキヨを守ってきた作哉の姿が見えてきた。

『作哉…』

眠っていた作哉は突然開いた扉に驚くと後ろを見た。

「…はっキヨなのか?」

驚く彼の後ろには巫女装束姿の河童が立っていた。

『……作哉…お願い…あたしを見て』

そう言うと、巫女装束を脱ぎ始めた。

脱いでいくゴトにゆっくりと緑色の肌が露わになっていく、

クルリ…

キヨは作哉に背中を見せると、

彼女の背中を大きく張り出した黒い甲羅が覆いつくしていた。

ペシャ…

ペシャ…

粘液で湿っていた巫女装束が音を立てながら落ちてゆく、

やがて全裸になったキヨは

作哉を見ると、

『ねぇ見て…

 あたし…まだ…
 
 お皿が開いてないの…

 だからまだ河童じゃないの…』
 
と言いながら頭の水袋を作哉に見せた。

ブユン…

頭の動きによって揺れ動く水袋の中では既に皿が出来上がっていて、

いつでも表に出てこれる状態になっていた。

「キヨ…」

作哉はキヨを抱きしめた。

『作哉…』

キヨも作哉を抱きしめる。

『お願い…作哉の手でコレを破いて…』

「え?」

『あたし、作哉の手で河童になりたいの』

「!!」

『お願い…』

囁くようにキヨは作哉に言う。

「………いいのか?」

作哉の言葉にキヨは静かに頷いた。

「………」

作哉は両手をキヨの頭に持っていくと水袋を触る

キヨは目を閉じた。

『じらさないで…早くして…』

「……うん」

一瞬ためらった後、作哉はギュッとキヨの水袋を握りつぶした。

ブシュッ!!!

大きな音を立ててキヨの水袋は裂け、

中から青い色をした皿が顔を出した。

『…ありがとう作哉…

 あたし…これで河童になれたわ』

河童となったキヨは作哉から離れると部屋の中央に座った。

『もぅスグ宮司さんが来るわ…

 いまなら誰にも見られない
 
 行って…』

キヨはそう言うと目を閉じた。

「……キヨ…」

作哉はひとこと言うと飛び出していった。

『さようなら…作哉…』

キヨの目から涙がこぼれ落ちる。



「支度は終わったか?」

まるで作哉と入れ違いのようにして宮司が部屋のは行って来ると、

『はい…』

キヨは頷いた。

宮司は河童の姿になったキヨの姿を見て少し驚いたが、

「そうか…では、参ろうか…」

と言うとキヨを部屋から連れ出すと、

用意していた輿に彼女を乗せる。

パタ…

戸が閉められ、キヨの姿が誰からも見えなくなると、

男衆に担がれキヨが乗った輿が静かに出発していった。


ゴト…

すっかり水が枯れ、

干からびた底を見せていた御池の横に

輿が据え付けられると、

「どうぞ…」

と言って宮司が輿の戸を再び開けた、

おぉ…

池を取り巻いた村人達のどよめきの中

ペタ…

ペタ…

乾いた地面に湿った足音を立てながら

全身を深い緑色の肌が覆い

黒く輝く甲羅と

頭には目を見開いたような青く輝く皿

顔には嘴を持った

河童となったキヨが姿を現した。

ペタ…

ペタ…

キヨは池の底に向かってゆっくりと歩いていく

その様子を見た一人の老人が

「………」

静かに手を合わせた。

すると村人達は老人に会わせるようにして次々と手を合わせる。

ペタ…

キヨは池の一番底にたどり着くと、

両手を地面につけた。

すべての音が消える。

とその時

「はつぅぅぅぅぅ〜っ」

突如作哉が声を上げた。

『!!…作哉…』

キヨは一瞬作哉を見つめ微笑むと

『トモのこと…お願い…』

と呟くと

「水神様、ただいま参りました」

言ってグッ…と手に力を入れた。

再び静寂が支配する…が…


ゴゴゴゴゴゴ…

山鳴りが起きると

見る見る地面が揺れだした。

わわわわ…

村人達はみな近くの木などにしがみつく


ズズズズズズズズ…

ブワッ!!

突如、キヨが手を置いたところから水が吹き上がると、

瞬く間に巨大な水柱となって村人達の前に姿を現した。

「はつぅ…」

キヨの身体は瞬く間に水の中に没し…

緑色の身体も濁った水によってスグに見えなくなった。

御池に吹き上がった水は御池を満たすと、

さらに川を伝って周辺の田畑に流れ込んでいった。

その勢いはその集落にとどまらず、

近隣の10を越える集落の人たちにその恩恵を与えた。



秋…

御池では盛大な秋祭りが執り行われていた。

みな飢饉に見回れずに済んだと言う安堵と

犠牲になってくれたキヨへの感謝と言う意味で

いつもの年より力の入った祭りだった。

しかし…

作哉は一人気が晴れなかった。

酒宴の誘いを断り、

一人御池のほとりで池を眺めていると、

『なに…しょぼくれているの?』

とキヨの声が耳に入ってきた。

「!!

 キヨ?
 
 何処に居るんだ?」
 
作哉は立ち上がって周囲を見たがキヨの姿は見えなかった。

『ここよ…ここ…』

再びした声は作哉のスグ真下だった。

「!!…キヨ…」

そう、作哉の真下の水面下に河童の姿をしたキヨがいた

「待ってろ、いま行くから」

作哉が着物を脱いで池に飛び込もうとしたとき

『ダメよ作哉…

 ココは神聖な池よ

 もしも作哉が飛び込んでしまったら
 
 池がケガれるわ』

とキヨが叫んだ

ぐっ

作哉は歯ぎしりをするようにして、

一歩池から下がると。

『もぅ…作哉と手を握ることは出来ないけど

 でも、こうして会えるんだからいいじゃない』

とキヨが言う
 
「しかし…」

作哉が目をそらして不満そうに言うと、

『大丈夫…、

 あたしがちゃんと守ってあげるから

 村には飢饉は起こさせないわ

 もぅ2度とあたしのような子は出さないようにね
 
 だから…作哉もあたしのこと守って…』
 
「………」

キヨの言葉に作哉は応えなかった

『じゃぁ、あたし戻るね…』

キヨのその声に作哉はハッとすると

「こっ今度はいつ会える?」

と訊ねると

『次の満月の夜…』

その声を残してキヨは水の中に消えていった。

「…………」

作哉はしばらくキヨが消えた池を眺めながら

「そうだよな…

 キヨが言うとおり

 僕たちのような思いをするのはコレでお仕舞いにしよう」

作哉はそう呟くと何かを決心したようにして池を後にした。


以降、この村ではどんな日照りが続いても

決して御池の水が枯れることはなかったという。



おわり