風祭文庫・モノノケ変身の館






「河童の淵」

作・風祭玲

Vol.026




トプン……

トプン…

トプン・トプン…

音をあげて何かが池の底にめがけて降ってくる。

コン!!

「痛い…」

その中の一つが私の肩に当たると

私はふっと目を開けた…

トプン…

トプン…

コン・コン

それはさらに降ってきて容赦なく私の体に当たっていく。

『もぅ…』

そう思いながら自分に当たったものを拾ってみると、

それは握り拳ほどの石…

トプン・トプン

また音がする…

上を見ると”天井”から石がゆっくりと降り注いできているのが見える。

私は身体を折り曲げて石が降り止むのをじっと待つ…

コン・コン・コン

石は背中の甲羅に当たって跳ね返る…

『お願い…静かに寝かせて…』

そう思いながらそっと自分の手を見ると、

そこには”4本の指の手”と

指と指の間に大きく張った”水掻き”がいまの私の姿を物語っていた。

やがて、天井は暗くなり、石も降り止んだ…

私は何も降ってこないのを確認すると天井に向かって泳ぎ始めた。


チャプン…

そっと天井から顔を出してみると…

日が落ちて人影が無くなった沼の様子が私の目に入ってきた。

私は静かに岸から陸にはい上がると

藪の隙間から周囲の様子を眺めた。

藪の向こうには街の灯り、

ついこの間まであそこで暮らしていたなんて夢のよう…

ふと水面に視線を移すと、

月明かりに照らし出された自分の姿が映っている。


そこに映っている私の姿は何も身につけていない全裸だけど

肌の色は濃い緑色…、

胸の膨らみの先には何もなく…

股間にあった女の証も無くなっていた…

頭の見ると、

髪がすっかり抜け落ちた”坊主頭”の上には

水を湛え目を見開いたような”皿”があり…

そう、水面に映った自分の姿はまさに”河童”そのものだった。

私がこんな姿になったのは……

そうだ、あれは夏休みの旅行の時のことだった。




忙しかった仕事の合間を縫ってようやくとれた夏休み。

日頃のOL生活の鬱憤を晴らすべく、

勝手気ままな一人旅を満喫していた私はとある街の宿に着いた。

宿帳を記入しているとき、

私は宿の主人から町外れの淵の話を聞いた。

主人の話では「河童が住んでいる。」ということだったが、

このような”物の怪”が絡んだ話が大好きな私は荷物を置くと

さっそくその淵へと向かった。

宿から歩いて小一時間、

山道を歩いてようやくたどり着いたその淵はエメラルドグリーンの水を湛え、

いかにも”何か”が出そうなそんな感じがするとこだった。

私は淵のそばの石に腰掛けると、

しばらくの間河童が出てくるの待ってみたが、

当然そんなものは出くるわけはなく、

水の音と森のざわめきがあたりを支配していた。

やがて日が沈み暗くなり始めた頃、

私は腰を上げ宿へと歩き始めた。

と、そのとき

”とぷん”という音が淵から響いた。

「鯉で跳ねたのかな?」

と思ったけど、再び

”ぱしゃ”という音がしたとき、

私は何気なく淵を覗き込んだ。

すると、淵の中にヒトの頭のようなものが

ポッカリと浮かんでいるのをみた私は、

「…河童?」

そう思って我を忘れて身を乗り出したとき、

「あっ」

バランスを崩して淵の中へ落ちてしまった。

淵の水は冷たく、

また上から見ていた以上に水の流れは複雑で、

なんとか水面に出ようと必死で藻掻いたものの、

私はどんどん底の方へと引っ張られて行った。

「…息が続かない…もぅダメ…」

私が観念しようとしたとき、

『助けてあげようか?』

という声が突然聞こえてきた。

「…え?」

声はさらに続き、

『そのかわり一つ条件がある。きみの尻子玉をくれればの話だけど…』

「尻子玉?」

『そう』

「なっなんでもあげるから早く助けて…」

『わかった』

というところで私の記憶は途切れた。


はっと気がつくと私は淵から少し離れた川岸に横たわっていた。

「あれは夢?」

私は起きあがって周囲を見回したが河童の姿はどこにもなかった。


宿に戻ると主人はずぶ濡れになった私の姿に驚き、

そして無事に戻ってきたことを喜んでくれた。

私は、主人に心配をかけさせたことを謝ると、

「そのままでは風邪を引くから早くお風呂に入ってきなさい。」

と優しく言いい、私は風呂で冷えた身体を暖めそして遅い夕食をとった。

そのとき、私は宿の主人に淵で起きた奇妙な出来事を話した。

主人はしばし考えた後、

「それは、河童の仕業だな」と答え、

そして、淵の河童にまつわるいろいろな話を話し始めた。

が、その話の中で「尻子玉を抜かれると河童になる」という話を聞いたとき、

私は妙な胸騒ぎを覚えた。

「…尻子玉?…」

そういえばあのときの河童はそんなようなことを言ったような気がした。

私は主人にその話をもっと詳しく聞かせてほしいと頼んだけど、

残念ながら主人はそれ以上詳しいことは知らないと答えた。


しかし、翌朝になっても私の身体には何も異変は起きなかったので、

あれはきっと夢だったんだ。と考えることにした。

そして、そのまま旅行を続け自分の部屋に帰ったにはあの淵のことは殆ど忘れていた。

しかし、私の身体に異変が始まったのは旅行から帰った翌日からの話だった。


翌日の朝、起きるとなぜか部屋中に生臭いような奇妙な臭いが充満していた。

「うわぁぁ、なによこれ」

私は蒸せるような臭いに鼻をつまみながら部屋中の窓を開けて臭いの元を探した。

しかし、いくら探しても臭いの元は見つからず、

ふと自分の腕を嗅いでみると、

臭いは自分の身体から漂っていた。

私はあわててシャワーを浴び、

臭いを消そうとしたが、

臭いは消えるどころか益々強くなっていった。

香水を目一杯つけてなんとか臭いを誤魔化してみたけど、

翌日にはその香水も利かなくなっていった。

それどころか、肌の色が徐々に緑色へと染まり始め、

さらに粘液が肌を覆う様になっていった。

私は自分の身体の変化におびえた。

そして、あの淵で起きたことと、宿の主人の話を思い出した。

私は風呂場に駆け込むと、自分の手で肛門のあたりをさわってみた。

主人の話だと、尻子玉を抜かれた人間には玉を抜いた穴があると言う話だったが、

しばらくさわっていると、肛門のほかに別の穴が開いているのに気づいた。


「尻子玉が抜かれてる…」

衝撃の事実が私を襲った。

「なんで、あのとき気づかなかったんだろう」

後悔しても遅かった。


身体の変化はさらに進み、

肌の色は2日程ですっかり緑色に変わり、

粘液も厚く肌を覆うようになった。

それどころか背中に小さな盛り上がりが現れると、

見る見るうちにそれは大きくなり、

そしてついには肌を引き裂いて表に出てきた。

恐る恐る鏡で自分の背中を見てみると、

そこには黒い輝きを放つ大きな甲羅が映っていた。

「私…河童に…なるの…」

自分が向かっている先のことが頭の中をよぎる。

そのころから私は一日中風呂場で水に浸かるようになった。

もぅ、半日も外で過ごすことは出来ない。

やがて掌から指が1本姿を消すと、

残った指と指の間に水掻きが張った。

そのころから私は一つの決心をした。

「完全な河童になってしまう前にココを出よう」

そして、

「新たな住処は…そうだ町はずれのあの藪が生い茂る沼がいい」

と考えていた。

そう決心するとすぐに準備に取りかかったが、

しかhし、考えてみれば沼に持っていくものなんて…何もなかった。

日が暮れてきた頃には私の髪の毛はすべて抜け落ち、

そして、頭の上がムズムズしてきた……

「あぁ…もうすぐ”皿”が開く…いくなら今しかない。」

覚悟を決めた私は着られる衣服を探すが、

背中に甲羅が大きく張り出している体に着られる服はなかなか見つからなかった。

「急がなくっちゃ、時間がない…」

焦る気持ちを抑えつつ、私は何とか着られる服を身につけると、

音を立てずにそっと部屋を出て、沼に向かって歩き出した。

幸い、部屋を出る頃から雨が降り出し身体が乾く心配はなくなったけど、

でも、人に見つかりたくなかったので、暗がりを探して歩いた。

そしてようやくついたあの藪に囲まれた小さな沼。

私は藪をかき分けて、池の畔に立つと、

「この沼がこれから私が生きて行くところか…」

そう思ってじっと眺めた。

そして、着てきた服をすべて脱ぎ捨てると池の中へと身体を沈めていった。

完全に沈んだとき、頭の上が弾けて河童の皿が姿を現した。

「もぅ、外の世界では生きていけない。」

私はそう覚悟をした。



そして、しばらくしてからこの沼に河童が出ると言う噂が持ち上がったらしい

どうやら、夜、陸に上がった私の姿を見た人がいたみたいだけど、

でも、それ以来私の姿を一目見ようと沼に石を投げ込む輩が増えてしまって

おかげで落ち着いて暮らすことが出来なくなってしまった。


久しぶりに昔のことを思い出していると、

ふと、ある考えが浮かんできた。

「そうだ、

 今度、石を投げた奴の隙をついてこの沼に引きずり込んで、

 私と同じようにそういつから尻子玉を抜いてやれば…」

私は陸から水の中に戻ると、そして、じっと待った。

自分の仲間を増やすために…



おわり