風祭文庫・モノノケ変身の館






「迷い子」


作・風祭玲

Vol.872





スィッチョ…

スィッチョ…

西に傾いた日差しが容赦なく照りつける夏の午後。

「あぢぃ…」

あたしは額から滴り落ちる汗を拭いながら夏草が生い茂る小道を歩いていた。

「へんねぇ…

 もぅ見えてきても良い頃だけど」

とある目標物を探しながらあたしは立ち止まると、

持ってきた地図を広げ、

いま自分が居る場所を確認しようとするが、

「…………どこ?」

しかし、いくら地図を眺めてみても、

この地図の中の何所に居るのか、

どっちの方角に向かっているのかを知ることは出来なかった。

「…ひょっとして道に迷っちゃった?」

考えたくもない最悪の事態が脳裏をかすめていくと、

言いようもない不安が心の奥底から沸き起こってきた。

「だっ大丈夫よ、

 いっ一本道じゃないっ、

 こんな一本道で迷うような人なんていないわ」

気温35度を越す猛暑絶好調の中にも関わらず、

あたしの肌には鳥肌が立ちはじめる。

「…もぅチョット先よ

 そうよ、あの山を越えた辺りよ」

次第に見えてくるこんもりと生い茂る森を指差し、

あたしは自分にそう言い聞かせて歩き始めるが、

だが、その足取りは重く、

「やばいなぁ…」

という心の声が重く響き始めた。



一本、

また一本と明かりを落としている蛍光灯の下をあたしは歩いていく、

夕方、日が落ちてこれらに明かりが点ると、

道が果てる彼方まで延々と続く光の行列になることは間違いない。

だが、それを眺めるわけには行かなかった。



「ちょっと出かけてきます」

そういい残して遊びに着ていた親戚の家を出たのはお昼前。

教えて貰った近道を通って駅前に出た後、

さっさと用事を済まして帰ろうとしたとき、

駅前の交番に行方不明者の安否を尋ねるポスターが貼られていたのであった。

年齢は学生からOLまで、皆、綺麗な女性ばかりで、

あたしがいま通っている道を夕方以降歩いていて忽然と消えてしまったそうだ。

”神隠しの道”

用事を済ませているときに地元の人たちがそんな噂話をしているのを思い出すと、

「まったくなんでこんな道を通らせるのよっ」

とあたしは地図に向けて不満をぶつける。



スィッチョ…

スィッチョ…

道端の草むらからは相変わらず乾いた虫の音が嫌というほど響いてくる。

大学の夏休みを利用して久方ぶりに訪れた親戚の家は、

子供の頃に訪れたときと何も変わりはしなかったが、

しかし、変わっていたのはあたしの方、

子供の頃は何所に何があってなんてことはすべて頭の中に入っていたし、

いま通っているこの道だって借りた自転車で幾度か通ってきた。

しかし、視線が変わり、

都会暮らしが祟ったかこの年になってあたしは迷子になっていた。

「はぁ、どうしよう…」

西に低く傾いてきた太陽を眺めながらあたしは道端に立つ地蔵の傍で座り込んでいた。

この道に踏み込んでからクルマは一台も通らない。

まるで、あたし一人がこの回廊に閉じ込められている…

そんな錯覚に陥りながら視線を動かしていくと、

「あら?」

道のすぐ傍に川が流れているのが目に入った。

「川だ…」

川幅は2m近くキラキラと水面を輝かせて流れていく清らかな流れを見ながら、

子供の頃、川の中で水浴びをしていた事を思い出すと、

「はぁ…

 子供だったらいまこの場で飛び込んじゃうのに…」

顎から落ちてくる汗をハンカチで拭いながらあたしはそう呟き、

「………………」

ふと耳を澄ましてみた。

「………………」

1分

「………………」

5分

「………………」

10分が過ぎても相変わらずクルマどころかネコの子一匹もやってこない。

「誰も居ない…か

 入っちゃおうか」

あたしの口からふとその言葉が漏れると、

バッ!

考えを纏める間もなく着ていたワンピースを脱いでしまい、

さらに下着とサンダルを脱ぎすてて、

ザバッ!

あたしは素っ裸になって小川に飛び込んだ。

「ひゃあぁぁ!!

 冷たーぃ!」

小川は思っていた以上に深く、

あたしの膝は完全に水の下に隠れてしまったが、

でも、流れは緩やかで流される心配はなかったので、

一人歓声を上げながら天然の水の中に身体を沈めた。

「…そういえば、渇水って騒いでいたけど…」

汗を流しさっぱりとした顔であたしは立ち上がると、

マスコミの報道とは打って変わって豊富な水量を誇る川を眺め、

「ここって、そんなに渇水じゃないのかな…」

と呟きながら道路の方を見ると、

赤茶色に染まり枯れ掛けている雑草が目に入った。

「…雨は降ってない…

 …でも、川には水がある…」

周囲の世界と流量がある川とのアンバランスさにあたしは思わず小首を捻る。

すると、

『その川は違うんだよ』

と子供の声が響き渡った。

「キャッ!」

予想外の声にあたしは悲鳴を上げると、

『おねーちゃんっ、

 そんなところで何をやっているの?』

と何所の子だろうか、

薄汚れたランニングシャツとくたびれた短パン。

そして、大きな麦藁帽子を被った7・8歳と思えしき少年が

日に焼けた顔をあたしに向けながら

ニコッ

っと笑って見せる。

「ちょちょっとぉ、

 あっち向いてよ」

思いがけない少年の登場にあたしは胸と股間を隠しながら、

慌てて川から上がろうとするが、

バンッ!

「あ痛ぁ!」

まるで川べりに透明な壁が置かれているのか、

川の外へと出ることが出来なかった。

「なっなんで…」

外に出られないことにあたしは驚いていると、

ドボン!

少年は難なく川に飛び込み、

『ふぅーん』

とまるで品定めをするかのようにあたしを見た。

「なによっ」

まるで大人の男性に見られているような錯覚を感じながら、

あたしは頬を赤らめると、

『まっ、

 コイツでガマンするか』

と少年は呟き、

スッ

あたしを指差すと、

『お前、俺の馬になれ!』

と命じた。

「はぁ?」

少年の口から出た言葉にあたしは呆気に取られると、

シュルルルルル…

膝下を流れていた水から小さな触手のようなものが

あたしの足を這うように伸び始め、

見る見る身体に絡んできた。

「ひぃ!

 たっ助けてぇ…!」

透明な水の触手を身体に絡ませながらあたしは必死で逃げようとするが、

メリィ!!

触手が絡んだ肌からウロコのようなものが顔を出してくると、

見る見るあたしの身体をウロコが覆い、

そして、ウロコに覆われた体が変化し始めた。

メリメリメリ

ゴキゴキゴキ!

手には鍵爪が伸び、

身体も伸びていくと、

ブルンっ

お尻から尻尾が伸びてくる。

「ああああ

 あひあひあひ

 あがぁぁぁ」

手足は萎縮し、

口が裂け、

髭が伸びていくと、

同じように頭の両側から角が伸びる。

『ぐぁぁぁぁぁ!!!』

そうあたしは竜の姿になって川の中をのた打ち回っていたのだった。



『チョット不恰好な竜だけど、

 まぁ、無いよりかは増しか』

竜と化してしまったあたしを見ながら少年は苦笑いすると、

トッ!

ウロコが覆うあたしの背中に立ち、

『普通、雨乞いをするなら、

 普通、贄を用意するものだけど、

 まったく、最近の人間は手を抜きすぎる。

 私自身が贄を自腹で用意しないとならないんだからな』

そう文句を言うと、

『ほれ行くぞ!』

とあたしに声をかけた。

すると、

『ごわぁぁぁぁ!』

あたしは遠吠えをあげながら水面を蹴り、

ビュォォォォ!!

大空に舞い上がる。



『ひゃぁぁぁ…

 凄い…

 飛んでいるよぉあたし』

見る見る小さくなっていく下界を見下ろしながらあたしは驚いていると、

『おらっ、

 もっと飛び回れ、

 ちっとも雲が湧かないだろう』

と背中に立つ少年があたしに命じた。

『むっ!

 ちょっとぉ!

 あんたって何者なのよっ』

少年に向かって首を捻りあたしは聞き返すと、

いつの間にか少年はトラ皮のパンツ一枚の姿になっていて、

背中には円形に組んだ太鼓を背負っていた。

『そっそれって…』

それを見たあたしは驚くと、

『おうよっ、

 俺は雷神ってやつよぉ、

 雨乞い、

 雨乞い、

 って人間が煩いから降りてきてやったのよ、

 おらっ、パトラッシュっ!

 盛大に行くぜ!』

角を生やした少年はあたしに命じると、

ドォォォン!

と背中の雷太鼓を鳴らして見せた。

『なっ、

 誰がパトラッシュですってぇ!』

それを聞いたあたしはムッとした表情を見せると、

『人間の世界では拾った下僕をそう呼ぶんじゃないのか?』

と少年は聞き返してきた。

『あのねっ!

 パトラッシュというのは犬の名前なのっ、

 なんであたしがそう呼ばれなければならないのよっ』

少年に向かってあたしは食って掛かるが、

ヒュォォォォォォ…

ふと気がつくとあたしの周囲には黒く立ちこめた雲が湧きあがり、

ポツポツと雨が降り始めていた。

『あれ?

 何時の間に…』

次々と湧き上がってくる雲にあたしは感心していると、

『おらっ、

 もっと飛び回れ、

 雲が育たないだろう!』

と背中の少年はあたしに怒鳴り、

ドドン!

太鼓を叩いて見せる。

その途端、

カカッ!

傍の雲が帯電し、

一気に光が走ると雷光となって地上へ向かって行く。

『へぇぇぇ

 面白い!』

その光景をあたしは興味津々に見ると、

『おりゃぁ!』

『うりゃぁ!』

少年は次々と太鼓を叩き、

それと共に幾筋もの雷光が地上に向けて走っていった。

『雷ってこうして起きているんだぁ』

これまで畏怖の対象と見ていた雷の思い掛けない正体を見たあたしは

少年を背中に乗せたまま盛大に雲の中を駆け抜け、

そして、あたしが飛んだ後からは雲が沸き起こり、

大粒の雨を地上に降らせると消えていく。

『うふふふふふ

 あははははは』

まさに神様になった気分だった。

あたしははしゃぎながら雲海の下に抜けると、

夕立に煙る地上が見えた。

『へぇぇぇ……

 あっあれが駅で、

 道がこれ…

 で、曲がるところは…

 あっやっぱり、行き過ぎていた』

上空から見る地形と地図とを重ね合わせながら、

あたしは帰るべく道を再確認していた。

すると、

『よーしっ、

 これだけ雨を降らせれば十分だろ、

 お疲れさんっ』

背中の少年はそういうと、

フッ!

あたしから離れ、

雲間へと消えていった。

『あぁちょっとぉ

 あたしはどうすれば良いのよ』

消えていく少年に向かってあたしは聞き返すと、

『降りたいところに降りれば変身は解けるよ、

 あっそうそう、

 だからと言って何時までも飛んでいると人間に戻れなくなるから程ほどになぁ…』

と少年の声が響いた。

『ふーん、

 そっかぁ』

その言葉を聞いたあたしはそれからしばらくの間飛び回り、

山の中に妖しげな洋館があることなどを見つけたりした後

地上に降りていった。



ピチャン…

雨は上がり、

雲間から星空が姿を見せると、

あたしは蛍光灯が連なる道を歩いていた。

「竜に変身なんて滅多にない体験だったわ」

未だに興奮醒めない様子であたしはそう呟くと、

「そうだ、

 明日、あの洋館に行ってみよう、

 興味があるのよね、

 あぁ言う建物って」

とさっき空から見つけた洋館に行ってみることを心に決めていたのであった。



おわり