風祭文庫・モノノケ変身の館






「エレベータの怪」


作・風祭玲

Vol.846





「深夜のエレベータに妖怪が出るですってぇ?」

街中に聳えるとあるビル。

その昼休みの洗面所で、

手を洗っていたあたしは思わず声を上げてしまうと、

「しーっ」

「静かにぃ!」

口に人差し指を立て周囲を気にしながら同僚の牧子と美也が注意をしてきた。

「ちょっとぉ、

 二人とも真面目な顔をして

 あたしをからかっているの?」

そんな二人に向かってあたしは眉を寄せて言い返すと、

チラッ

二人は気まずそうに互いを見た後、

「そりゃぁあたしも最初は出来の悪い嘘だと思ったよ。

 でもねぇ」

「うん、これって嘘のような本当のことなのよ」

とそう言い合いながらあたしに言ってくる。

「またまたぁ、

 そんな手には引っかからないんだから」

真面目そうな表情の二人にあたしは言い返すと、

「本当だって…

 現に行方不明になっている人がいるんだから」

と口を揃えて二人はあたしに迫った。

「行方不明って…」

彼女達の言葉にあたしは気押されしてしまうと、

チラ

二人は互いに顔を見合わせた後、

「その人…

 急な仕事が入って遅くまで残業していたんだって…」

突然、牧子が話し始め、

「でね、

 ようやく仕事が片付いて、

 帰ろうとしたとき、

 事務所の中にはその人だけになっていて、

 時計を見ると丁度夜中の0時を指していたんだって」

と牧子を受けて美也が続ける。

「そっそれで」

二人の話の続きをあたしは聞くと、

ゴクリ、

牧子と美也は生唾を飲み込み、

「それでね、

 その人は1階の保安さんに連絡をして、

 自分が最後の一人であることを確認した後、

 タクシーを呼んで戸締りをしたのよ、

 そして、帰るためにエレベータに乗ろうとしたとき…」

「エレベーターの前に来たら、

 どういうわけかエレベータが動いていて、

 しかも、一階ずつ丁寧に止まりながら上から降りてくるの」

「誰も居ないはずなのに…

 そう思いながらその人はエレベータを待っていたんだけど、

 なにか嫌な予感がして、

 階段で帰ろう。

 と思って背を向けた時」

「ちょうどエレベータのドアが開いて、

 ふわぁぁぁ…

 って生暖かい空気が流れくると、

 サワサワと何かが蠢く音が…」

「すると、その音共に髪の毛のようなものがその人の身体に纏わりついてきて…」

と交互に話をした後、

「いやぁぁぁぁ!!!」

二人はいつの間にか出していたハンカチを握り締めながら悲鳴を上げてしまうと、

「ちょちょっとぉ、

 静かにしなさいって」

今度はあたしが周りを気にして二人を宥めてしまったのであった。



「まったく、

 妖怪だなんて…」

経理部で書類を作りながらあたしは一人で文句を言っていると、

「やぁ、美佐くん、

 ご機嫌はいかがかな」

と企画部6課の文尾課長が話しかけてきた。

「はい、何でしょうか課長」

髪をオールバックにまとめ

キザったらしくあたしの横に立ってみせる文尾課長を横目で見ながら、

あたしはやや冷たくあしらうと、

「おやぁ、

 ひょっとしてご機嫌斜め?」

と課長は覗き込んでくる。

「用件はなんでしょうか、

 手短にお願いします」

キーボードを打つ手を休めずにあたしは用件を尋ねると、

「いやぁ、

 実はねぇ、

 霧間君がまた仕事をミスっちゃってね、

 ちょっと始末書と報告書を作って欲しいのよ。

 専務の河利野さんを納得させる書類を作れるのって君だけでしょう。

 だからお願いしているの」

あたしに向って馴れ馴れしく文尾課長はそういうと、

「課長…

 またですかぁ」

ため息をつきながら返事をする。

「荒玖根君ともども頑張っているみたいだけど、

 思うように結果が出せなくてね、

 いやぁ、僕が良いアドバイスがあれば良いんだけど」

ジロリと見上げるあたしから視線を逸らして課長はそう言うと、

「だったら、

 自分がやればいいじゃない。

 あなたのプロジェクトだけですよ。

 こんなに経費がかかっているのは…」

とあたしは呟く。

すると、

「え?

 いま、なんか言った?」

あたしの声が聞こえたのか課長は聞き耳を立てるふりをすると、

「いえ、別に…

 この間のと同じ書式でよければ作っておきます」

一刻も早く課長に立ち去ってもらいたいあたしはそう言うとキーボードを打ち始めた。

「じゃぁ、お願いしちゃうね」

無言で書類を作り始めたあたしに課長は投げキスをすると、

ゾワァァァ…

あたしの背筋を悪寒が走っていったのであった。



「あれ?

 まだ美佐、仕事しているの」

終業から1時間以上経過した頃、

今日の仕事を切り上げてきた牧子と美也が話しかけてきた。

「うーん、ごめん、

 ちょっと仕事が立て込んで…

 先に帰って」

二人を見上げながらあたしは謝ると、

「また、文尾課長に仕事押し付けられたの?」

と牧子は呆れた顔をしてみせる。

「そうなのよ、

 まったくやんなっちゃう」

そんな二人にあたしは呆れた表情を見せると、

「しょうがないわねぇ」

牧子は同情し、

「適当なところで切り上げなさいよ」

と言い残して先に帰っていった。

カチ

カチ

カチ

徐々に人が減っていく事務所の中であたしは書類を作り、

そして、

「よし、出来た」

ようやく出来上がったときは夜の0時になろうとしていた。

「あっこんな時間…

 終電には間に合いそうもないし、

 仕方が無い、タクシーを呼ぶか」

時計を見たあたしは受話器を取るとタクシーの手配と

保安に他の残業者が無いことを確認する。

そして、事務所の戸締りをした後、

コツコツ

と靴の音を鳴らしながらエレベータに向かっていったとき、

ふと、昼間、美也たちが話しをしていた妖怪の事が頭をよぎった。

「まさか…ね」

頭の中で強く否定をしながらあたしはエレベータホールに出ると、

なぜか全てのエレベータが上階にあることをランプが示していた。

「珍しいわねぇ、

 エレベータが全部上にあるなんて」

ランプを見上げながらあたしはそう呟くと、

チッ!

”▼”ボタンを押し、

エレベータが降りてくるのを待つが、

どういう訳か降り始めたエレベータは1階ずつ止まり、

そこで何かが乗り降りしているようだった。

「誰か居るのかしら」

なかなか降りてこないエレベータにイライラしながらあたしは待つが、

「…!!っ

 なんかおかしい…」

閉じられているドアから漏れ出てくる奇妙な気配にあたしの毛は逆立ち始め、

コツッ

一歩、

コツッ

また一歩とエレベータの前から後ずさりし始めた。

「なっなによっ、

 妖怪なんているわけないじゃない。

 しっかりしなさいよ」

本能的に怯える身体にあたしは喝を入れると、

カツンっ

「なんにも…無いわよっ!」

と叫びながらドアの前に仁王立ちになる。

そして、

ポーン!

エレベータの到着と同時に、

ウィィン…

前の扉が開くと、

あたしの目の前は真っ白になった。

「なに?」

普通なら明かりが点るエレベータの室内が見えるはずなのだが、

あたしの目に入るのは全くの”白”だった。

「?」

「??」

意味も判らずにあたしは1・2歩下がると、

グリンッ!

いきなり左右より黒いものが寄り、

ジロッ!

っとあたしを見据えた。

目だ…

しかも巨大な目…

人の何倍もある大きな瞳があたしを見据えていたのであった。

「ひっ!」

悲鳴をかみ殺しながらあたしは後ろに下がっていくが、

グルンッ

今度は下から真っ赤な紅が塗られた巨大な口が出てくると、

『みぃたぁわねぇぇぇ』

とこの世のものとは思えない声が響かせた。

そう、エレベータの箱の中いっぱいに白塗りの人の顔が埋まっていて、

その顔があたしを見ながら声をあげたのであった。

「うわぁぁぁぁぁ!!!」

自分の背丈よりも大きな顔を見てあたしは腰を抜かしてしまうと、

「ひぃぃぃ!」

床を這いずりながら逃げ出そうとするが、

シュルシュシュル

エレベータから髪のようなものが伸びてくると、

ギュッ!

逃げようとするあたしの身体を捕まえ、

「いやぁぁぁぁ!!」

悲鳴を上げるあたしをエレベータへと引きこみ始めた。

「誰か、

 誰か助けてぇ」

必死に床にかじりつき、

あたしは声を上げて抵抗をするが、

だが、その声を聞きつけて駆けつけてくる者の姿は無く、

エレベータの顔が徐々に迫ってくるのを見た。

そして、

クワッ!

エレベータの中の顔がその口を大きく開けたとき、

「ぎゃぁぁぁ!!!」

ガリッ!

バキバキバキ!!!

あたしはエレベータで待ち構える顔に喰われてしまうと、

暗い闇の中へと放り込まれたのであった。



ウィィィン…

”あたし”を乗せたエレベータは今日も何事も無く上り下りをする。

昼間は何も出来ずに、

ただ、乗り降りする人を黙って見過ごす”あたし”だけど、

でも、深夜になるとこの箱は”あたし”の物になる。

あの晩、

巨大な顔に喰われたあたしは気がつくと別のエレベータに鎮座していた。

身体も無い顔だけ妖怪となって…

そして深夜0時過ぎ、

あたしを呼ぶボタンを押す者を待ちながら、

ビルを幾度も往復をしていたのであった。



”うふふふふ…

 誰か来ないかな…”



おわり