風祭文庫・蟲変身の館






「蟲化病」
(第6話:羽化)



作・風祭玲


Vol.558





カチッ

カチッ

カチッ

さっきから規則正しく聞こえてくる音…

『うっ

 なっなに…

 時計の音?』

その音に呼び起こされるようにして

あたしは目が覚めると周囲を見る。

ところが、

『あっあれ?』

あたしの視野に映る景色はぼんやりとしか見えず、

いくら目を擦ってみてもその状態は一向に治らなかった。

すると、

「あぁ気がつかれましたか」

あたしの耳元で男性の声が響くと、

『はっはいっ』

あたしは声を上げて返事をする。

しかし、その時、

自分の口から出てきたしわがれた声にあたしは驚くと、

「声帯も変形してきていますねぇ」

と男性はまるで医者のような口調で言う。

『あっあの(ゴホッ)

 ここは…どこですか…』

舌が麻痺しているのか呂律の回らない口調で尋ねると、

「あぁ、

 ここは病院です。

 貴方は倒れて運ばれてきたんですよ」

と男性はあたしに告げた。

『病院ですか?

 では、あなたはお医者さん?』

男性の言葉にあたしは思わず尋ねると、

「えぇ…

 そうです」

医者であることを認めた男性から返事が返ってくる。

『あっあのぅ…

 あたし、

 何の病気なのでしょうか?

 目は良く見えないし、

 言葉もうまく発音できません。

 また体もしびれて動けないんです。

 それに、さっき仰っていた、

 声帯の変形ってなんですか?』

話しているうちに体中がしびれ、

自由が利かなくなっていることにも気づいたあたしは

それを含めてたずねると、

「そうですね…

 耳は聞こえているようですので、

 では、聞こえているうちにご説明いたします」

ギシッ

椅子に座り直したのか医者は椅子の音を上げると、

「えっと、

 五十嵐十萌さん。

 じつは、あなたは進行性体質変化症候群という病気を発病していまして、

 通称蟲化病という病気に罹っています」

と告げた。

『蟲化病…ですか?』

聞いたことのない病名にあたしは困惑すると、

「えぇ…

 発病者の姿があまりにも変わってしまうために

 どちらかといえば患者は隠されてしまうため、

 表には出てきませんが、

 ここ10年ほどの間に患者数が増えている病気です」

『姿が変わってしまうって…

 にっ人間ではなくなってしまうのですか?』

医者の言葉にあたしはショックを受けると、

「はい、

 病名にあります通り、

 発病した人のほとんどは蟲の姿になってしまいます」

と告げる。

『蟲って…

 あの…ハチとかチョウとかの虫に…ですか?』

「はいっ

 蟲といっても幅広く、

 ハチやチョウと言った昆虫の他、

 クモ、ミミズ、カタツムリなどといった

 生き物の姿に変身した人もいます」

『そんな…』

医者が告げた言葉にあたしはショックを受けると、

『くっ薬は無いのですか?

 あっあたし、イヤです。

 そんな気味の悪いものになるなんて、

 先生っ

 お願いします。

 あたしを助けてください』

と懇願するが、

「貴方を助けてあげたいのは、

 無論なのですが、

 しかし、

 いま、貴方の体に取り付き、

 細胞を変化させているウィルスを取り除く薬はないのです」

医者は苦痛に満ちた口調であたしに告げる。

『そんな…』

医者のその言葉にあたしは絶望を感じると、

「いいですか、

 ここからが肝心ですので良く聞いてください。

 まず、この病気の症状の進み方ですが、

 発病後、

 体の神経が侵され、体の自由が利かなくなってきます。

 いま十萌さんの状態はまさにここです。

 で、その後、

 皮膚が角質化し、

 それにあわせて体の筋肉組織が溶融していきます。

 これが第2段階です。

 その後、皮膚の角質化はさらに進行し、

 やがて殻のようになると、

 貴方の体はその殻の中で内臓組織、骨格まで細胞レベルで溶融してしまいます。

 これが第3段階。

 すると、その溶融した細胞が再び新しい体を構成し、

 殻の中で成長していきます。

 これが第4段階。

 そして、殻を破り、

 新しい体となったあなたが出てきたときが

 第5段階でそのときの貴方の姿はヒトではなく蟲となっています」

と説明してくれた。

『いやぁぁぁ!!

 やめて聞きたくない!!』

医者が告げるショッキングな話にあたしは泣き叫ぶと、

「聞きたくないかもしれませんが、

 第5段階となった後、

 あなたが受けるショックを和らげるため、

 あえて話させてもらいました」

あたしに向かって医者そういうと、

『出て行ってください

 お願いですから

 出て行ってください』

あたしは泣きながら医者に出て行くように命令をする。

すると、

「わかりました。

 でも、これは蟲化病を発病してしまった人にとっては

 避けられない運命ですので
 
 覚悟はしてください」

まるで労わろうとしない台詞を言いながら医者は腰を上げると、

パタン!!

ドアが閉まる音ともに病室から出て行った。

『そんな…

 そんな、あたし…

 人間じゃなくなっちゃうの?』

医者が病室から出て行ったあと、

あたしは不自由な体で泣き続けていた。



しかし、あたしの体は時間が経つごとに変化を続け

体に入ったウィルスは傍若無人にあたしの体を壊していた。


カチッ

カチッ


相変わらず時計の時を刻む音が病室に響き渡る。

その一音一音が鳴るたびに、

あたしの体は確実に壊されていた。

チャッ

「えーと、

 五十嵐・もとえさん?

 おはようございます」

ある日、

聞きなれない声が病室に響き渡った。

「ともえさん、

 起きていますか?」

あたしの返事が無いことに男性と思える声は耳元でそう呼ぶと、

『…違う、それはあたしの名前じゃない』

あたしは声を振り絞りながら返事をした。

「えぇ?

 いまなんて仰いました?」

壊れたスピーカーのようなあたしの言葉が聞き取れなかったのか、

男性は聞き返してくると、

『うぅっ

 あたしはその名前じゃない!!』

とあたしは出来る限りハッキリと伝えた。

すると、

「え?

 ちょっと待って、

 トモエさんじゃないんですか、

 じゃぁなんて呼ぶんですか?」

男性はそう聞き返してくると、

『トモ…トモエじゃなくて、

 トモ…』

とあたしは男性に向かって告げた。

「あっ

 トモ(十萌)さんって言うんですか」

暢気そうに男性はそう返事をすると、

「あっ、僕ですが、

 今日より十萌さんの担当となりました看護士の高水です。

 なんか、蟲化病って男性には罹らないそうなので、

 僕があなたのお世話をしますね」

と高水と名乗った看護士はそう自己紹介した。

しかし、

『そう…』

あたしは看護士の言葉に一言返事をするだけで、

それ以上は言うことは無かった。



それから数日後、

「今日は天気がいいので、

 ここから出てみませんか?」

の言葉の元ベッドより車椅子に乗せられたあたしは

高水看護士の手助けを受け医院の内を散策する。

すっかり視力落ち、

ぼやけた世界の中をあたしは進んでいくが、

でも、なんとかいま自分がいるところのことを知ろうと目を大きく開ける。

しかし、すっかりまぶたが垂れ下がってきているためか、

視界は十分に確保されず、

『うぅ…』

あたしは動きが悪くなった手を持ち上げると、

顔へと近づけていった。

ところが、

「あっ駄目ですよ」

看護士の声が響くのと同時にあたしの手は止められ、

「いま、顔を掻きますと大変なことになります」

と注意された。

『大変ってなんですか?』

その注意にあたしは聞き返すと、

クルッ!

あたしを乗せた車椅子は向きを変えると、

あるところへと向かい始めた。

そして、

スーッ

視界に同じ速度で動くものが現れると、

「どうしようかと考えたのですが、

 やはり、ちゃんとご確認したほうがいいかもしれません」

そう看護士はあたしに言うと、

「よく見えないかもしれませんが、

 あなたの前にあるのは鏡です。

 今の自分の姿を見てください」

と告げながら、

クッ!

車椅子を鏡の正面へと向けた。

『鏡?』

相変わらずぼやけていて詳細はわからないものの、

あたしは好奇心から鏡に映し出される自分の姿に目を凝らした。

すると、

だんだんと鏡に映る自分の姿が見え、

そして、その様子にあたしは息を呑んだ。

『うそっ

 これがあたし…

 なの?』

鏡に映し出される自分の異様な姿にあたしは愕然とする。

「はい、

 蟲化病が進行し、

 貴方はサナギへの変態の途中なのです」

そう高水看護士はあたしに言う。

『サナギって、

 あの蝶やカブトムシがなるサナギですか?』

その言葉にあたしは聞き返すと、

「えぇ

 先生から説明を置けていると思いますが、

 蟲化病に罹ったあなたは残念ながら蟲になるしかないのです。

 サナギになるのはその為の…」

『そんな…』

看護士の言葉をさえぎるようにしてあたしは声を上げると、

再度自分の姿を目を凝らしてみた。

しかし、

鏡に映るあたしの顔はまるで腐乱死体のごとく膨張し、

髪の毛のほとんどは抜け落ち、

そして、赤黒く染まった肌の表面は

溶けかかった溶岩のごとく垂れ下がっていて、

肌の至る所が角質化していた。

『うそよ、

 これがあたしだなんて…

 そんな…

 そんな…』

まさに生ける屍…ゾンビのような自分の姿にあたしはショックを受けると、

『いっいやぁぁぁぁ!!!』

あたしは思いっきり悲鳴を上げ、

肌が崩れかかる腕を振り上げた。

「あっ駄目です。

 落ち着いてください

 いま体を傷つけたら死んでしまいます」

あたしの行動に驚いた看護士がとっさに止めに入るが、

『いやぁぁ!!

 こんな姿で生きるなんてイヤ!

 死なせて!!』

取り乱したあたしは車椅子の上で暴れる。

すると、

ボロボロ…

いきなり口の中に硬い物が転がり落ち

『うっゲホッ!!』

思わずそれを吐き出すと、

口の中から出てきたのは抜け落ちた歯だった。

『ひょんな…』

急に暴れたために奥歯を中心に一気に10本ほどの歯を失ったあたしは

満足に話すことが出来なくなってしまった。

そして、その日を境にあたしの体はさらに動かなくなり、

崩れかけていた肌は赤茶けていくと、

硬く引き締まった殻へと変化し、

その殻の中に閉じ込められたあたしの体は日に日に溶け、

ついに筋肉を失ってしまうと、体を動かすことが出来なくなり、

また追って骨を失うと周囲を覆う硬い殻があたしの体を支え始める。

『………』

言葉を失い、

光を失い、

そして音を失ったあたしは文字通りあたしをサナギとなり、

あたしのこのような姿にした蟲化病のウィルスは

かつて十萌という名前の女の子の体を溶かして作ったスープを材料に

新しい体を作り始めだした。

何になるのか、

どんな姿になるのか

あたしは期待と不安を抱きながら

うっかりすると消えてしまいそうな意識の中、

じっと時を待っていた。



ジュク

ジュクジュク

ウィルスはスープの中からしっかりと体を支える細くて軽くて頑丈な脚を作り、

また、どんなものに集っても振り落とされたない立派な鍵爪がついた手を作っていく、

そして、筋肉がびっしりと詰り、背中から生える羽を絶え間なく動かす胸、

体の動きから邪魔にならないように外へと押し出され、

自由度の高い幾重ものリングで構成されるお腹、

そして、広いエリアを見通せるよう視野角の広い大きな複眼、

また、どんな深い位置にある蜜でも確実に吸い取れるようストロー状に作られた口、

サナギという殻の中で完全に溶けてしまったあたしをウィルスは

時間を掛けて”蟲”という新しい体を作り上げていく。

そして、

新しい体がほぼ出来上がったとき

あたしはサナギの中で羽化をする時をじっと待つようになっていた。

『あたし…

 あたし…
 
 どうしていたんだろう?』

ピク

ピク

動きを取り戻しつつある腕をかすかに動かしながら、

あたしの意識は次第に鮮明になってくる。

そして、

『一体どれくらいの時間が経ったのかな…』

『みんな、どうしているんだろう』

『勉強、すっかり遅れちゃったな…』

サナギとなる前に感じていた無気力とは打って変わって、

積極的に物事を考え始めていた。

しかし、

体の成熟を待っているうちに、

『あぁ…

 男が欲しい…』

『さっきから胸が疼く、

 お腹が熱い…』

『卵を

 卵を産みたいの…

 お願い、

 誰でもいい、

 あたしの相手をして…』

あたしはいつしか発情し、

そして、それしか考えられなくなったとき、

ピチッ!!

割れることがなかった殻が背中から割れた。

『あっ

 あっ

 あぁ!!

 でちゃう、

 あたしの体が出ちゃう』

急速に広がっていく亀裂を背中で感じつつ、

あたしは体に力を入れると、

ズルルルルル!!!

一気に上半身が殻の外へと引き出され、

『ふぐぐぐぐぐぐぅぅぅぅ!!!』

あたしは久々に感じる外の空気の中、直立する。

『ああぁ…

 天井がいくつも見えるよぉ』

幾重にも重なって見える天井を眺めながらあたしはそうつぶやくと、

クワサ

クワサ

依然とはまるで姿が変わった腕をクルクルと回し、

そして、

グッ!!

その腕の先についている鍵爪が壁を捉えると、

グイッ!!

そこを足がかりにしてあたしは体を引っ張りあげた。

すると、

ズルッ

ズルッ

ズルズル!!

体が持ち上げられていくのに合わせて、

殻の中に残っていた脚やお腹が表に飛び出し、

プリンッ!!!

『あぁっ

 お腹が…

 お腹が…

 膨らんでいく…』

殻の外に出たことにより

本来の大きさに戻ろうとしている腹部の開放感に似た快感を感じていた。

シュルシュルシュル

発病前には存在し無かった羽が

羽の中を縦横に走る管の中を体液が満たされることにより開いていくと、

ファサッ

ファサッ

小一時間ほどであたしの背中には見事な蝶の羽が姿を見せる。

『うっ

 うっ

 うぅっ』

羽をばたつかせ、

あたしは止まっていた壁から降りると、

色を感じることなく物が幾重にも見える目を駆使して周囲を眺める。

そして、

『あぁ…

 花…

 花…』

そんな世界の中で、

強烈な色を放っている唯一のもの、

花を見つけると、

あたしはその傍により、

リュル…

トグロのように巻いていたストローのような口を伸ばすと、

甕に生けてある花より蜜を吸い始めようとするが、

『あぁ…

 なんで、

 ぜんぜん密が吸えないよぉ』

花の大きさに対して口が大きすぎるため、

あたしはあせり始めた。

すると、

「はいっ

 どうぞ…チョウチョさん」

あたしの背後から高水看護士の声が響くと、

コトッ

なにかが詰まった容器がその看護士の足元におかれた。

『あぁ…

 蜜だ…』

匂いからあたしはその容器の中に蜜が入っていることを感じると、

口を容器の中へと伸ばす。

「気分は如何ですか」

蜜を飲み続けるあたしに向かって看護士は体の状態をたずねるが、

あたしは久方ぶりとなる食事に夢中になっていた。

そして、

チュル…

ようやく落ちつたとき、

『あのぅ…』

あたしは顔を高水看護士に向けながら話しかけるが、

しかし、人間としての口を失ってしまったために、

言葉として発音することは出来ず。

キュー

キュー

と鳴くことしか出来なかった。

『なにも話せない…

 何とか見えているのに…』

幾重にも重なって見える高水看護士の姿を見ながら

あたしはもどかしさを感じたが、

しかし、しばらくすると、

『あぁっ』

あたしは無性に男が欲しくなると、欲情し始めた。

そして、

ニュクッ!!

お腹の先より卵管を突き出すと、

『男…

 あぁ…

 男が欲しい…』

と呻きながらじっとあたしを見ている高水看護士へと近づいていく。

やがて、看護士のすぐそばにまで来たとき、

『お願い…

 あたし、卵を産みたいの!!!』

と懇願しながら、

クイッ!!

お尻を上へと上げると。

「駄目ですよ」

そんなあたしに向かって高水看護士は一言そう言い、

その直後、

バシッ!!

あたしの体を強烈な衝撃が走った。

『あうっ!!』

まるで電撃の直撃を受けたようなそのショックに

あたしは背中の羽より燐粉を撒きながら崩れ落ちると

クワサ

クワサ

『キキキッ

 オッオトコ…

 オトコ…

 カラダガ…

 ホシイ…』

体の関節を鳴らしながらそう訴え続けた。

すると、

コトリ…

「ふむ、

 羽化し、

 繁殖することが生きる目的の成蟲となっては

 やはり性衝動でしか行動できないか…」

あたしの行動を見ていた医者が姿を見せる。

「あぁ先生。

 どうします?この患者。

 頭の中までチョウチョになってしまったみたいですが」

倒れるあたしの体を軽く蹴飛ばしながら看護士は医者に尋ねると、

「ふむ、

 仕方があるまい、

 研究室へ運びなさい。

 あっそれと、この患者の死亡届もな」

医者はそう指示をし、

その声を聞きながら

『オトコ…

 オトコ…』

あたしはずっと呟き続けていた。



蟲化病…

それは、人間を、

いえ、女の子を蟲にしてしまう恐ろしい病気…



おわり