風祭文庫・獣変身の館






「深夜の決闘」



作・カギヤッコ(加筆編集・風祭玲)


Vol.T-170






グォォォォーンッ!

キャァァァァーッ!

夜の街に獣の咆哮と女性の悲鳴がこだまする。

「ブルー!」

「くっ、またやられちゃったの?」

夜の闇を割く様に声の響いた方向へ向かって駆ける五つの影。

「何男だか何女だか知らないけど、絶対ぶっ飛ばしてやる!」

赤い仮面を付けた影が歯を食いしばりながら走る。

「レッド、

 気持ちはわかるけど、

 うかつに先走らない方がいいわよ!」

黄色い仮面を付けた影が赤い影を鎮める様に言いながら駆ける。

しかし、その声からは怒りがにじみ出ている。

五つの影は悲鳴がしたであろう場所に降り立った。

「やっぱり…」

「遅かったみたいね…」

惨劇の後を感じさせないかのような静けさの中、

五つの影は引き裂かれた衣服が散らばっているその一点に集合していた。

「…その場で食べられたとか言う訳じゃないみたいだけど

 …でも、一体どこに…」

紫色の影が辺りを見渡しながらつぶやく。

一同の頭上にはウサギの耳を模したものが備わってはいたが、

それをもってしても悲鳴の主、

そして咆哮の主の行方を追う事はできなかった。

「ちくしょう…」

赤い影が拳を撃ちつける音が夜のしじまに響く…



「ふわぁ〜ぁ…」

わたしは大きく伸びをしながらマンションを出る。

「おっはよ、芽衣ちゃん」

ふいに背中を叩かれ、わたしは思わずビクリとなる。

「み、美央さん…」

のんきそうに手を振る美央さんに対し半分呆れた視線を送る。

「寝不足みたいだけどどうしたの?

 何ならわたしが

 “ゆっくり眠れるおまじない”

 でもしてあげようか?」

「…わたしは今度の講義に出すレポートを作るのに忙しいんですっ。

 美央さんほどのんびりする暇はないんですよ」

思わずムッとなりながらそう言い返すものの、

美央さんは屈託のない顔で返す。

やれやれとため息を付きながら大学への道を歩く。

朝の空気が寝不足な心と体に気持ちいい。

“目覚めて”

以来余計にそう言う空気を敏感に感じられるようになった。

ドンッ!

「きゃっ!」

「うわっ!」

ボーっとしていたせいで曲がり角で誰かとぶつかってしまった。

「ご、ごめんなさい、

 ボーっとしてて…

 あっ、隼人くん?」

顔を押さえている学生服姿の少年…

それは近所に住む高校生の五十嵐隼人くんだ。

「ててて…

 どこ見てんだよっ…て、

 芽衣さんじゃないですか!

 あと美央さんも」

隼人くんは怒りをぶつけようとしていたのが一転、

思わず嬉しそうな顔になる。

どことなく調子のよさそうな笑顔を見せる隼人くんに

ついつられて乾いた笑顔を見せる。

隣では美央さんが愛想笑いを振りまいている。

「おーっ、

 こんな所で芽衣さんにぶつかれるなんて

 おれも朝から縁起がいいや…イテッ!」

空手部で鍛えているとかで

しっかりした体格をそらして明るく笑っていた隼人くんだが、

突然どこからか伸びた手に耳をつね上げられる。

「朝っぱらから何バカやってんのよ、

 遅刻するわよ」

その声と共に隼人くんの幼馴染である三宅圭子さんが

ムスッとした顔をのぞかせている。

「辻さん、

 大賀さん、

 朝っぱらからこのバカがバカやって本当にすみませんでした。

 さっ、隼人、さっさと行くわよ!」

「こ、こら、圭子、

 みっともないとこ見せるなよ…」

まさしく連行と言う言葉がふさわしい勢いで

圭子さんは隼人くんを引っ張りながらその場を去って行く、

一陣の風が吹き抜けた。

その言葉がピッタリと当てはまる光景だった。

「ははは…」

「やれやれ、朝っぱらから元気がいいねぇ」

乾いた笑いを上げる事しかできないわたしに対して

美央さんはうんうんと納得した感じで首を振る。

「あっ、そう言えば芽衣ちゃん。

 瓜生くんとはどうなってるかな〜?」

突然美央さんが耳元で囁いてくる。

わたしはその行動はもちろん、

その内容にビクッとなってしまう。

「か、和雄さんとはまだそんな風には…

 一応またデートするとは約束しているけど…!」

つい本当のことを言ってしまった。

それに気づいて思わず口に手を置いてしまうが後の祭り。

「うんうん、

 公園で待ち合わせて

 映画館かどこか行って

 お茶して、

 日付変更のかなり前に帰る…

 今時珍しい純愛カップルだねぇ…

 ホント、こちらが照れちゃうくらいだわ」

「美央さん!」

顔中を真っ赤にしながら思わず怒鳴りつけてしまう。

しかし美央さんは構う事なく、

「でも、ホントにあなた達って進まないわね。

 そこへ行くと“満月の時”は激しいんでしょ?

 最近相手してくれないんだもの」

と言ってのける。

「ミ〜オ〜さ〜ん〜!」

握る拳と噛む歯ぐきに力が入る。

さすがに美央さんも言い過ぎたと手を振っている。

ふと時計を見ると、

電車の時間が迫っているのが見える。

この電車を逃すと次が来るのは30分も先…

「やば…電車来ちゃう」

それに気づいたわたしは慌てて駅へと向かって走り始めた。

美央さんもやれやれと言う感じで後を追っていた。

とにもかくにもわたしこと辻芽衣の

“人間としての”一日はこうして始まった。



“人間として”と言うのにはもちろん理由がある。

実はわたし、こう見えても実は俗に言う

「狼人間」…なるものなのである。

もちろん狼人間と言っても

「狼になる人間」やら

「人間になる狼」やらいるとは思うが、

一応わたしは生まれてからずっと人間として生きてきており、

人間として生きている事に満足感を感じている。

それに変化が起きたのはつい先日、

大学の先輩である大賀美央さんに連れられ

とある山の中に連れていかれた事に端を発する。

満月に照らされた中、

山の中で一糸まとわぬ姿になったわたしは美央さんの導きのもと、

人間の“芽衣”から狼の“メイ”に“戻って”いった。

そこまでならその手のパターンではよくある話だが、

実はわたしは…その…狼になると…オス、

そうオス狼になってしまうのだ。

早い話、「狼男女」などと言うとんでもない存在が

わたしのまぎれもない“もう一つの姿”なのである。

なんとか“メイ”としてのわたしを受け入れ、

紆余曲折を経てなんとか普通の狼女にもなれるようにはなったが、

その道のりについては今はまだ話したくない。

ちなみに、美央さんは普通の狼女であり狼の時は“ミオさん”、

もしくは“ミオ”と呼んでいる。

“メイ”の時は思い切りリードを取っているわたしだけど、

ご覧の通り“芽衣”の時は美央さんに振り回されてばかり。

でも、“目覚める”以前から色々世話になっていたし、

もちろん“目覚めて”からも色々教わる事は多い。

かなりやっかいな点も多いけど…。

不意に脳裏に浮かんだ色々な記憶にふけりながらも

わたし達は駅を降り、キャンパスに向かう。

「おはよう、辻さん」

不意に呼び止めた相手の顔を見てわたしは思わず赤くなる。

「か、和雄さん、おはようございますっ」

“芽衣”としてのわたしの大好きな人である瓜生和雄さんと

いきなり顔を合わせてしまった幸運にわたしの胸は高鳴った。

“もしかしてさっきの隼人くんもおんなじだったのかな…”

不意にそんな事を考えてしまう。

「…ほらほら、二人とも、

 早くしないと講義が始まっちゃうわよ」

美央さんに背を叩かれ、

わたしと和雄さんはキャンパスの中に足を運ぶ。

「辻さん、今日は少し遅れてたみたいだね。

 いつもは教室で会う事が多いのに」

「え、ええ…少しレポートが遅れちゃって…」

そう言いながら少し顔をそらす。

和雄さんはワザとそれに気づかないふりをしてくれている。

スポーツマンとか二枚目とかじゃないけど、

とても優しくてしっかりした和雄さんの事をわたしは大好きだ。

ちなみに、わたしの“秘密”については

…少なくとも“芽衣”としては言いたくはない…。

そんな気分を振り払うかのように

わたしは和雄さんにとっておきの笑顔を見せると、

そのまま教室に足を運んでいった…



「ふぅ…大分遅くなっちゃったな…」

すっかり暗くなった夜道をわたしは歩いていた。

講義が長引いた上、

友達に引っ張られてあちこち歩いていたので

すっかり遅くなってしまっていたのであった。

ほとんど人気のない夜の街角。

静まり返った空間はそこ知れない恐さを伝えてくる。

いくら狼になる力があるとは言え、やはり恐いものは恐い。

もちろん“メイ”の時は逆に暗がりの方が心地よくも感じるが、

あいにく今夜は新月である。

おまけに、ここしばらくこの近辺で若い女性達が

相次いで姿を消していると言う事件が多発している。

新聞で見た記事では「大きな獣の影を見た」と言う目撃談もあり、

案の定美央さんから

「芽衣ちゃん、イライラするのはわかるけど、女の子襲っちゃダメよ〜」

とシャレにならない冗談を言われてしまった。

少なくとも“メイ”の時のわたしは

そう言う気分になる時もあると言うのは否定しない。

でも、実際にそう言う行動に出た事はない。

わたし自身が言うのだから間違いない。

ため息をつきながら歩いていると見覚えのある背中が見えた。

わたしはついイタズラ心を起こしてこっそり近付き…。

ポンッ。

「うわっ!」

突然大声を上げながら振り向く隼人くんに

わたしの方が驚いてしまった。

「…隼人くん、こんな時間まで部活だったの?

 ホントに頑張ってるのね。

 そこへ行くと私なんか、

 友達に付き合わされてあちこち遊び回されちゃって…」

ふぅとため息をつきながら並んで歩く。

「おれの場合そんなカッコいいもんじゃないですよ」

そう言いながらも自身ありげな顔をする隼人くん。

何だかいい笑顔だ。

そんなこんなで取りとめのない話をしながら歩く。

さすがに例の事件の話が出た時はドキッとしたが、何とか話をそらす。

(わたしが犯人と言う訳ではないのだが、

 やはり「狼」と言う単語がでるとつい…)

公園まで歩いた所で,

「それじゃ隼人くん、またね」

そう言ってわたしは階段を上ってゆく。

ここからわたしの暮らすマンションまではそう遠くない。

そして静かに階段を登り切る。

そこで…

グオォォォ…。

そいつはいた。

「お、狼…?」

わたしのもう一つの姿にも似ているが、

漂う空気は似ても似つかない。

わたしの中の本能が危険を知らせる。

しかし、さっきも言ったが今夜は新月。

抗う術は乏しい。

そして、その迷いが命取りだった。

「キャーッ!」

ガブッ!

わたしの左肩にその顎が食い込む。

激痛―なんて言葉では言い切れない痛みが走る。

次の瞬間、わたしはそのまま意識を失ない、

怪物が顎を放すと同時に地面に滑りこんだ。



痛い。

苦しい。

そんな感情がわたしの中でうごめく。

これが死ぬって事なのかな…そんな考えも浮かぶが…

“えっ、何?この感覚…”

不意にわたしの中で異様な感覚が生まれる。

とても激しく凶暴で、そして甘美な感覚が。

その感覚は次第にわたしの意識に迫ると激しい勢いで蝕み始める。

それに押し上げられるようにわたしは静かに立ち上がる。

“い、いや…やめて…”

そう言いたくても体も、

そして心も動かせない。

そうしているうちにわたしの両腕は服をつかむ。

「グオォォォォーッ!」

“メイ”でさえ上げた事のない不気味な咆哮が喉から響くと、

わたしはそのまま服を引きちぎる。

ズズズズズ…

その直後、わたしの全身を獣毛が覆う。

ミシッ!

メキッ!

“うっ、

 くっ!”

ただ痛い、苦しい感覚と同時に

わたしの両手、両足は大きく、いびつに変化する。

同時に頭の中もどんどん“そいつ”が入りこんでくる。

“やめて…

 わたしを食べないで…。”

自分が別の何かに食い尽くされる感覚が頭中に広がってゆく。

それ自体は“あの時”にも味わったのだが、何もかもが違う。

慣れてきたからなのかも知れないが、

“メイ”になる時はどこかそう、

普段着から余所行きに着替える感覚にも似た感覚を覚える時がある。

“芽衣”と言う服を脱ぎ捨て

“メイ”と言う服に着替えるどこかワクワクした感覚。

不謹慎な事を言えば全身を覆う苦痛も、

そしてオスになってしまうと言う動揺もある意味その一部でもあるのだ。

それは全て“メイ”も“芽衣”も同じ

“わたし”なのだと言う実感から来るものなのだが、

いまわたしを襲っているこの感覚は明らかに違う。

今のわたしをこなごなに砕き、

別のものに作り変えようとする意志。

もしかすると“メイ”も本当はそう言う存在だったのだろうか。

そんな不安も感じてしまうが、

それをも押し流すかのようにわたしは身も心も“そいつ”に侵されて行く。

グキグキメキメキ…。

“うっ、

 ああっ、

 いやっ…”

体はどんどん大きくなり、

お尻から尻尾も伸びる。

そしてわたしの顔を突き破るかのように

いやらしい牙をたたえた大きな顎が伸びる。

必死で抗おうとするがわたしにはなす術もない。

“いや…

 助けて…

 和雄さん…

 美央さん…メ…イ…。”

薄れゆく意識の中でそうつぶやいた瞬間、

“わたし”の最後の一欠片が噛み砕かれた。

最後の咆哮は“わたし”のものか、

それとも“そいつ”のものだったのか…。

しかし、そんな事はもうどうでもいい。

今のわたしにはヤマイヌの本能、

そして、わたしの“ご主人様”である

ヤマイヌ女様のお言葉こそが全てなのだから…。

ふと、わたしの鼻においしそうな匂いが届く。

その先には全身を赤いスーツとウサギ耳、

そして仮面をつけた妙なメスがいた。

“うふふ…おいしそう…。”

その姿を見るやわたしの口の中はヨダレでいっぱいになる。

グルル…

「…さん…」

メスウサギが何か言っている。

わたしの事を呼んでいるようだけどそんな事どうでもいい。

グォォーッ!

わたしは一声吼えるとメスウサギに襲いかかる。

紙一重でかわされるが逃がしはしない。

転がった所にすかさず食らいつく。

ガバッ!

その瞬間、メスウサギはわたしの方に転がるとそのまま逃げ出す。

わたしはしたたかに顎を地面にぶつける。

“ぐっ…。”

痛みをこらえながらわたしは起き上がる。

メスウサギは何やら赤い棒を手にしているようだが、

所詮はウサギ、ヤマイヌのエサになるのがオチだ。

メスウサギが飛びかかる。

わたしは腕を伸ばして叩き落とそうとするが、

メスウサギは棒を盾にそれを受け止める。

それならと左腕を伸ばすが、

メスウサギは棒を軸に外に逃げると一気に飛び上がる。

ビュッ!

ビシッ!

“うぐっ!”

メスウサギの棒が突然ムチの様になりわたしの額を撃った。

苦痛の余りそこを押さえる。

ダラリ…

血がドクドクと流れる感触がする。

その血を舌を出してズルズルとなめまわす。

“おいしい…”

自分の血だと言うのにとてもおいしい。

もっと飲みたい。

すすりたい…。

そんな感覚に浸っていた時…。

ドクン。

鼓動が響いた。

“えっ?

 何?”

ドクン。

また響いた。

額から流れた血を飲んでからわたしの中で何か熱いものが湧き出している。

ドクン。

“ああ…

 熱い…。”

わたしの中でさらに強い力が湧き出そうとしている。

恐れながらヤマイヌ女様をも越えてしまいそうな熱い力が…。

その力は一方では食い破るかのように突き上がり、

一方では包み込むかのように覆いかぶさる。

欲しい、その力が欲しい…。

ドクン、

ドクン、

ドクン、

ドクン…。

わたしは鼓動に身をゆだねる。

熱いエネルギーはみるみるわたしの中でみなぎってゆき、

遂に薄皮一枚まで満ちた。

ガブッ!

“えっ?”

首筋に何かが食らいつく感覚を覚えた瞬間、

わたしの首は胴体からちぎれていた。

最後にわたしが見たもの、

それはわたしの体から生えていた荒々しくも

どこか悲しい目をした人間のメスの形をした

“わたしの顔”だった…



“はぁ…

 はぁ…

 はぁ…。”

意識の中でわたしは荒い呼吸をする。

身も心もヤマイヌ女になっていたわたしが感じた血の感触。

その味が“メイ”、

そして“芽衣”としての心―野生も理性もひっくるめて―を呼び覚ました。

さらに理性がヤマイヌ女のあらぶるだけの本能を静かに押さえるうちに

野生がその首筋に噛みついたのだ。

理性だけでもない。

野生だけでもない。

どちらでもある“わたし”の中にある血、

そして心が辛くもわたし自身を取り戻したのだ。

でも、あのヤマイヌ女はやはりわたしの中にもある

「荒っぽい感情」だったのかと思うと

知らずと涙がこぼれてしまうのはなぜだろう…

そんな事を静かに思っていた時、

わたしの目の前にさっきのメスウサギ―

いや、赤いバニーガールが静かに立った。

まだ意識がはっきりしてはいないが、

“わたし”にとって彼女は敵じゃない。

むしろ一緒にあのヤマイヌ女と戦う存在なのだ。

そう思った時わたしは彼女に顔をすり寄せ、

彼女の頬をなめていた。

赤いバニーガールは戸惑っているみたいだし、

わたし自身少し恥ずかしいけど

いまのわたしの本能がそうする事を望んでいた。

そんな時、わたしの感覚の全てが歪んだ気配を感じる。

ヤマイヌ女…あいつだ。

その周りにはおそらくわたしと同じ様にこの姿に変えられたのだろう、

一回り小さいヤマイヌ女達が取り巻いている。

あいつを倒さないとわたしは本当の意味で“わたし”に戻れない

…理性が、本能がそう告げている。

まだ心のダメージが抜けていないのか体を動かすのが鈍い。

でも、やるしかない。

赤いバニーガールは既に身構えている。

わたしもまた闘志は既にみなぎっていた…。



“…ここは…?”

わたしは夢を見ていた。

あのあと、突然現われた紫色のバニーガールによって

ボス以外のヤマイヌ女達は気絶させられた。

ボスのヤマイヌ女にバニーガール達は

苦戦を強いられたものの何とか起き上がったわたしと

赤いバニーガールがあいつを押さえ込み、

そして青いバニーガールの光が貫いた…

そのあとわたしは全身が癒されるような感覚と共に

意識を失ったのだ。

そして今、わたしは夢の中にいる。

何もない空間で“芽衣”の姿、

しかも何も身につけていない姿で…

そこへ誰かが近付く気配がする。

静かに、しかししっかりとした足取りで近付くそれ…

ヤマイヌ女とは似ても似つかない荒っぽさとたくましさ、

そして美しさを持った存在…間違いない。

それはメイ…“おれ”だった。

身をかがめて招き寄せると、

“おれ”はどこか甘えた様子で“わたし”の頬を顔でなでる。

“わたし”も優しく“おれ”の頭をなでる。

そこに、もう一匹の狼が現われる。

メス狼としての“わたし”だ。

オス狼の“おれ”、

メス狼の“わたし”、

そして人間の女性である“わたし”…

“わたし達”は静かに体を寄せ合い…バッと目を覚ました。

「おっ、目が覚めた様だね、眠り姫…いや、狼かな?」

病室のベッドの横で美央さんがいつものきつい冗談をぶつけていた。

結局あの一件でヤマイヌ化した人達はわたしを含め全員元の姿に戻り、

その辺りの記憶はないみたいだ。

そう、わたしを除いて…。

お見舞いに来てくれた和雄さんは

わたしが無事なのを見てほっと肩をなでおろし、

「おれがそこにいれば…」

と本当に悔しそうにしていたし、

美央さんは

「新月だったとは言え、

 天下の狼“男”女が野良犬にされるなんてね…

 でも、なんとか元の可愛い芽衣ちゃん(と二枚目のメイ)に

 戻れてよかったよかった」

と少し軽口混じりながらも気遣ってくれている。

そのやり取りを見ながらわたしは心が休まるのを感じる。

そして、そっと左胸に手を当てる。

ドクン、

ドクン、

ドクン…

狼であり、人でもあるわたしと言う“存在”の鼓動が聞こえる。

ガラリ。

「芽衣さん、お見舞いに…」

病室のドアが開き、隼人くんと圭子さんが入ってきた。

わたしは、

「あ、隼人くん、

 圭子さん、来てくれたの?」

と笑顔で迎えた。



おわり



この作品はカギヤッコさんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。