「もうっ! こんな大事な日に寝坊するなんて! 今日は、絶対遅刻できないのよ!」 五月下旬の初夏の青空の下。 一人の女性が自分に腹を立てつつ、街中を急いでいた。 服装からすると社会人なのであろうが、 顔立ちを見るとまだ十代にすら思える。 なんとか時間ぎりぎりに職場へと到着し、 息を切らせつつ玄関の扉をくぐった。 「おはようございまーす!」 「遅いよ、小夜子ちゃん。 今朝は、君が主役なんだからね」 「はい!」 彼女の名は泉川小夜子。 フリル付きの白いブラウスにタイトスカートにローファーという、 ごく普通のOLの服装だが、 しかし、単なるOLではなかった。 その理由は彼女の職場と実際の仕事にある。 そう、彼女がいまくぐった玄関は警察署の玄関なのであった。 「9時過ぎから表彰式だからね。 ちゃんと準備しておきなさいよ。」 「はい、もちろん!」 元気にそうこたえつつ、彼女は所属する部署へと向かう。 配属された当初、この廊下をたどるのは気が重かったが、 今は少しもつらくない。 職場の同僚と上司に挨拶して後、着替えのため更衣室へと入る。 普通より大きめのロッカーを開け仕事着を取り出す。 かさばるしちょっと重いが、頑張って中央の台にそれを広げる。 それが終わると今度は馴れた手つきでブラウスとタイトスカートを脱ぎ捨てる。 ためらうことなくブラを外し、ショーツを降ろす。 一糸まとわぬ姿で脱いだものをロッカーに収め、仕事着の背中から脚を入れると、 腰まで引き上げ両腕を中に入れる。 内側は生ゴムのような感触で触れた瞬間はひんやりとするが、 すぐに冷たさは感じなくなる。 頭を被り全身をすっぽりと仕事着の中へと埋める。 スーッ 背中の裂け目がひとりでに閉じて行く。 直後、彼女の体型が変化を始める。 仕事着が肌にぴったりと貼り付き、彼女の身体を締め付ける。 脚が短くなり腕が細く引き締まる。 程なくして小夜子は立っていられなくなり、その場に両手をつく。 そして、変化が終わった時、 そこにいたのは、一頭の狼に似た大型犬であった。 そう、小夜子の仕事着とは犬型のバイオスーツにほかならず、 彼女が所属するのは通称「警察犬課」と呼ばれる、 警察の中でも最も特異な部署なのであった。 人間の身体を獣に変えてしまうバイオスーツがこの世に出てすでに十数年。 ここ警視庁において警察犬の廃止が決定されてからも、 すでに七,八年になる。 人間の知能を持ち、人間の言葉がわかる警察犬がこの世に存在できるのなら、 普通の警察犬にもう存在する理由も意義も無い。 それまでの警察犬は段階を追って廃止され、 その役目は犬型(または狼型)のバイオスーツを着た警察官が引き継ぐことになった。 人間が変身した警察犬は専門の訓練士も必要ないし、 そもそも犯人逮捕のそれ以外、訓練自体がほとんど必要ない。 バイオスーツの価格も近年大幅に下がっているし、 経費の絶対金額は大差なくとも、 コストパフォーマンスという観点から見れば、大いに節約となるのだった。 しかし、もちろん問題はある。 最大のそれは(心情的には当然であるが)進んで警察犬になりたがる者など、 現実にはまずいないということであった。 結果として「警察犬という仕事」をやらされる者は警察内での問題児か、 他の部署での役立たず、または失敗して左遷された者ばかりということになり、 「警察犬課」は発足早々「吹き溜まり」と呼ばれることになった。 とは言っても「警察犬課」が警察にとって必要な存在であることは事実だし、 中には大きな手柄を立てて表彰される者も現れる。 そう、今回の小夜子のように… 実は二週間ほど前、警察犬課のメンバーは警察官二十数名と共に、 とある麻薬取引の現場を急襲し、 その際、小夜子は密輸組織のボスをその牙で噛み伏せるという大手柄 (と言っても、半ば怪我の功名に近かったのだが) を立て今回の表彰となったのである。 初夏の青空の下、 署長を初めとするお偉方が正面に並ぶ中、 警察犬課のメンバーがその前に整列する。 管理職以外の大半はバイオスーツを着けた警察犬姿だ。 「気をつけ!」 課長の号令に全員が一斉に威儀を正す。 すると、いかつい顔をした署長がいささか演技過剰とも思えるほど大きくうなずいた。 「特殊捜査第五課所属、泉川小夜子巡査!」 名前を呼ばれ、警察犬姿の小夜子が署長の前へと進み出る。 次の瞬間、その体型が変化を始めた。 大型犬の体型が、人の女性のそれへと変わっていく、 小夜子の身体が、彼女本来のそれに戻ろうとしているのだ。 やがて、 犬の背中が割れ本来の小夜子がロングヘアの可愛らしい顔立ちの女性が顔を出す。 同僚の婦警二人がバイオスーツを支え彼女が両腕を出すのを助けた。 肩から上と両腕・背中だけをバイオスーツから出し、署長の前に立つ小夜子。 その姿がかえってスーツの下が全裸であることを意識させる。 腕でバイオスーツを押さえ胸を隠すその仕草が、 とてつもなく艶っぽく見える。 署長がかたわらの婦警が持つトレイから小夜子に渡すべき表彰状を取り上げる。 スケベ心が顔に出ないよう必死で抑えているのが見え見えで、 周囲は皆、笑いをこらえるのに苦労した。 「泉川小夜子巡査、 貴官は先日の麻薬密輸組織撲滅作戦にあたり、 組織内最重要人物の逮捕に多大なる貢献をした。 その功績大なりと認め、 ここにそれを表彰するものとする。 西暦20XX年5月22日、 ○○警察署署長、高見沢 賢」 左腕でバイオスーツを押さえ胸を隠しながら、 残った右手で小夜子が表彰状を受け取ると、 できる人数が少ないが故のまばらな拍手が周囲から沸き起こった。 警察犬姿の同僚たちが小夜子の裸の背中を見つめる。 中には、心底うらやましそうな視線を送っている者もいた。 表彰されたことがうらやましいのか、 彼女のきれいな背中がうらやましいのか、 そこまではわからなかったが。 皆が見つめる中、小夜子が自分の元の位置へと下がる。 制服姿の同僚に表彰状を渡し、 再び、自分の仕事着へともぐり込む。 数十秒後には、彼女は元の警察犬の姿に戻っていた。 「よろしい、では、解散!」 その声が響くと同時にこの場は散会となった。 自分たちの部署に引き上げた後、 バイオスーツを着ていた課員の半数以上は人間の姿に戻る。 報告書の作成等人間の姿でなければできない仕事があるからだ。 そんな中で、小夜子は内心ほっとしていた。 今やるべき事務仕事が無いことと、 警察犬の姿のままでいていいことにである。 どこの職場でも数多いが、彼女もまた 「身体を動かしていないと、 仕事をしているという実感が得られないタイプ」 であり事務仕事は苦手なのだ。 特に現在の部署に回されてからはその傾向が強くなっていた。 警察犬の姿になっていると人間の時よりもずっと身体が軽く、 動き回りたくて仕方がない。 最初はつらかった「犬型のバイオスーツに入ること」が今は楽しくて仕方なかった。 もちろん、今やるべき仕事が無いからと言って遊んでいられるわけではない。 仕事の無い時には訓練に励むのが警察官というものの務めであるからだ。 事実、小夜子の訓練を担当する警察犬姿の課員がその準備を始めている。 彼はまだ本物の警察犬が配属されていた頃の担当者で、 警察犬としての行動を熟知しているのである。 その光景に、警察犬姿をしている他の者は皆、心中で溜め息をついていた。 前述した通り、彼らは懲罰的にこの部署に送り込まれた者がほとんどであり、 大半は嫌々この仕事をやっている者たちなのだ。 実際に出動する時は警察官としての使命感に燃えられても、 訓練ではやる気を出せない者がほとんどなのである。 好きでこの仕事をやっているのは、 少なくともこの署では、小夜子くらいなものであった。 小夜子がなぜ、喜んで「警察犬という仕事」をやれるのか? それは、バイオスーツに入るのが楽しいことと、 「ドジで周囲に迷惑をかけ通しだった自分が、 世のため人のため役立っている」 という実感が得られるからに他ならない。 事実、この部署に配属されるまでの彼女は、 自分のドジで周囲に迷惑をかけてばかりだった。 小夜子の場合「正義の味方願望」は元々強いし、やる気もあるのだが、 注意力散漫の粗忽者でいつも何かしら”うっかり”や”見落とし”をやってしまう。 上司には散々怒られ、同僚にはなじられ、 結局は役立たずとみなされて「警察犬課」に放り込まれるはめとなった。 無論最初は落ち込んだが、 しかし、自分のせいである以上、納得せざるを得ず、 とにかく精一杯やってみようと考えた。 その結果、警察官としてはともかく、 警察犬としては役に立てることがわかり、 怪我の功名的だが大手柄を立てることもできた。 警察官になって初めて「世のため人のため役に立っている」という実感が得られ、 だからこそこの仕事を好きになることもできたわけである。 ちなみに、他の部署ではドジばかりやっていた小夜子が、 なぜ警察犬課では役に立てたのかについては、 友人の一人が端的かつ的確な説明をしている。 「結局、小夜子の場合、 一度に一つのことにしか気を配れないのが、 問題だったのよね」 担当者に先導され、 小夜子たち警察犬姿の数名が裏の訓練所へと回る。 まずは警察犬の命である、鼻の訓練である。 一頭ずつ、 いや一人ずつ、 ついたてに隔てられた向こうに回り、 台に置かれた品物の中から指示された臭いのする物を選んでゆく。 もっともこの程度のことは、彼らにとっては小手調べに過ぎず、 鼻が衰えていないことを確認する程度の意味しか無い。 もともと、警察犬用のバイオスーツは、 犬科タイプの中でも特に嗅覚に優れたそれを選んで使っているのである。 これまた前述した通り、 本番はむしろその後、犯人逮捕の訓練である。 手足に厚手のパッドを巻き付けた担当者相手に、 一頭ずつで、または二,三頭が組になって、 『戦いを挑む』 相手が武器を持っている状況を想定し、 担当者はプラスチックの棒を持ったり、 玩具のエアガンを持ったりする。 それらの攻撃をかわしながら犯人を足止めし、 あるいは捕らえるための訓練を積むのだ。 後半は捜査課の刑事たちと組んで、 彼らが犯人を捕らえるための補助を訓練する。 そうした厳しく、しかし、傍からの見ようによっては滑稽な、 そんな訓練が午前中一杯続いた。 人間の姿に戻って昼食をとり、 昼休みを終えると仕事の無い者はまた訓練。 普通はそうなのだが、 今日は午後一番で出動命令が飛び込んで来た。 女子高校生が昨日の夕方、 塾へ行くと言って家を出たまま行方不明。 しかもそれだけならともかく、 今朝になって本人の携帯が遺失物として届けられたのである。 何らかの事件に巻き込まれた可能性が強くなり、 足取りをつかむため、警察犬課に出動が要請されたのであった。 パトカー数台に分乗し、まずは女子高校生の自宅へと向かう。 家族から本人の臭いのついた品物を借り出すと、 ここで二手に分かれる。 一方は自宅から本人の足取りを追跡し、 もう一方は携帯の発見された場所へと向かう。 小夜子は後者の班であった。 発見者の示すところによると、 携帯が落ちていたのは、河原の土手、その道脇である。 まずはその付近を嗅ぎ回ってみたが、 落ちていたその場所以外、本人の臭いは残っていない。 範囲を広げ、周辺を捜索してみることになった。 周囲を散々嗅ぎ回ること二時間以上、 ついに小夜子の鼻が行方不明の女子の臭いを捕らえた。 それは、携帯の落ちていた場所からは何百メートルも離れた位置。 たどってみると、その臭いは河原の草むらの中から発している。 そのことに不穏なものを感じ、 小夜子は足早にそちらへと向かう。 側に着いていた同僚が状況を察し、 無線で他のメンバーを呼び集めた。 ところがその途中で彼女の鼻はさらに不穏なものを捕らえる。 まぎれもない男の体臭と、かすかな血の臭い…… これでは、最悪の事態をも覚悟せざるを得ない。 なんとか気をおちつかせようと努力しながら、草むらへと潜り込む。 しかし、そこにあったのは草が踏み荒らされたような跡と、 一組の男女の体臭、そしてわずかな血痕だけだった。 心中で顔を赤らめる小夜子。 とりあえず、別の方向へ臭いが続いていないかを確認する。 思った通り、一筋の臭いの跡が土手の方へと続いていた。 だが、土手の上まで登った所でそれは唐突に途切れた。 どうやら、ここから車にでも乗ったらしい。 バイオスーツを肩まで脱ぎ、 集まって来た同僚たちに状況を説明する。 ここで起こったらしいことと、 場合によっては最悪の事態をも覚悟せざるを得ないことを。 一人が、草むらの中で、問題の血痕を採取していた。 (後で、女子高生の血液型と一致することがわかった) 少女の自宅から臭いを追った班に連絡したところ、 こちらもやはり、途中で唐突に途切れたという。 残念ながら、今はこれ以上のことはわかりそうになかった。 結局この事件は、数日後に急転直下の解決をみることになり、 なおかつ、真に最悪な事態は免れることになるのだが。 疲れた身体で署に戻り、しばらくは一休み。 できればこのままのんびりしていたいところだが、 このあともう一仕事しなければならない。 元々今夜から、小夜子は、 「中身が人間の警察犬にしかできない仕事」 に従事することになっていたからだ。 自分のドジを考えると不安ではあったが、 反面ちょっぴり楽しみでもあった。 なにしろ、恋人の石原俊樹と一緒に仕事できるのだから。 実のところ小夜子は捜査課に恋人がいたから、 俊樹は警察犬課に恋人がいたから、 今回の仕事に選ばれたようなものだったのである。 あたりが暗くなってのち、 当の石原俊樹刑事が「警察犬課」に現れる。 お決まりの背広姿ではなく、 開襟シャツに綿パンというラフな格好だ。 警察犬姿の小夜子に首輪とリードをつけ、 二人で覆面パトカーに乗り込む。 犬とその飼い主のふりをして容疑者に接近するのが今回の任務だ。 「本物の犬になりすましての捜査」 は警察犬課のメンバーにとって最も重要な仕事の一つである。 本物の犬を装って容疑者やその関係者に接近したり、 張り込みをしたりするのだ。 着けている首輪には盗聴器と発信器が仕込まれており、 緊急時の警報装置も組み込まれている。 相手の家を犬の姿で見張ったり、 その側に潜んで聞き耳をたてたり、 時には盗聴器を仕掛けたりもする。 警察犬の中身が人間であることは、 すでに世間に知れ渡っているとはいえ、 少なくとも人間の姿でやるよりはずっと警戒されずに済む。 人間はたとえ頭でわかってはいても、 犬に対しては人間に対するほど警戒心を抱かない。 そう、本能的に。 下町の一角で覆面パトカーを降り、 1キロほど離れた路地へと向かう。 そこに店を出している焼き鳥屋の屋台が今回の目的地だ。 捜査対象である人物はその店の常連なのである。 建設作業員・安田徹、29歳。 先月起こった殺人事件の容疑者として警察がマークしている一人である。 事件そのものは帰宅途中のエリートサラリーマンが、 刃物でめった刺しにされて殺されたというもので、 被害者の持ち物がそのままだったことと、 手口の残忍さから、動機は怨恨の可能性が高いと考えられていた。 安田は、被害者とは同年、 かつ幼い頃からの顔見知りであり、 小・中・高と学校も同じだった。 被害者には常に学業成績で差をつけられており、 社会に出てからも職業や収入で差をつけられていた。 加えて、幼い頃から何をやっても被害者にかなわず、 そのせいで常に見下されていたことも判明している。 その怨みが何らかのきっかけで爆発するのは充分にあり得ることで、 警察がマークするのも当然だった。 「おやじさん、ビール一本。 それに、レバーとハツを塩で焼いて」 安田がいることを確認の上、俊樹がのれんをくぐる。 「犬の散歩の途中、屋台を見つけて立ち寄った」風を装ってだ。 べつに珍しいことでもないし、 事実、少しも不自然には見えない。 「へい、どうぞ。 出されたビールをコップに注ぎ、 まずは一口飲む。 なにげないふりを装って隣を見ると、 作業服姿の安田が仏頂面で酒を飲んでいた。 「おいおい、 あんた、どうしたんだよ? そんな顔で酒飲んでて楽しいのか?」 しばらくその顔を見つめた後、そう声をかける。 お節介な人物なら、おかしくはない行動だ。 「大きなお世話だ。 あんたには関係ないだろうが。」 予想通りの返答が返ってくる。 「そっちこそ、その返事はないだろう。 おやじさん、 この人、いつもこんな調子なのか?」 「へい、そうなんです。 よく来てくださるんで、 うちにとっては大切な常連さんなんですが」 「そうか。 そんな仏頂面で飲んでて、何が楽しいんだよ。 人生、楽しく生きなきゃな。」 「うるせえな。 俺だって、それができるもんならそうしてるよ」 「何か悩みでもあるのか? だったら、内に籠もらないほうがいいぜ。 誰か親しい相手にでも、全部ぶちまけてみたらどうだ?」 「ぶちまけられる相手がいればな」 そんな会話を横で聞きながら小夜子は内心苦笑していた。 俊樹の演技力は相変わらずなかなかのものだ。 相手に好印象を与えると共に、 相手が本音をぶちまけたくなるよう誘導していく。 こうして親しくなっていく内に本音をぶちまけてくれればしめたもの。 小夜子の出番は相手がぶちまけてくれない場合だ。 今夜は、俊樹に焼き鳥をわけてもらいながら忠犬を演じるだけで、 特にやるべき事は無い。 しかし、何度目かの接触からは安田になついてきた風を装っていく。 そうしておいて、今度は小夜子単独で安田に接触するのだ。 人間相手では本心を明かさない相手も、 ペットの前では本音を吐くことがよくある。 それでも駄目な場合は俊樹が安田と充分親しくなったところで、 小夜子は数日間、 犬として安田に預けられることになる。 家の中に入れておいてくれるよう頼んでだ。 そうして、安田が留守の間、家の中を調べ、 証拠や手がかりがないかどうかを探っていくことになる。 ドジな彼女が気づかれずにそんなことができるのかって? 家の中の様子が少しばかり違っていても、 犬がいたずらをしたのだろうと思われるだけだ。 小夜子でも充分可能な巧妙な作戦だった。 30分ほど世間話をした後、 下町をぐるりと回って覆面パトカーの場所へと戻る。 「犬の散歩の途中」である以上、 あまり長くなっては不自然に思われかねない。 「どうします? 一旦署へ戻りますか?」 運転する巡査がそう訊いてくるが、 「いや、いいよ、直帰する。 すまんが、アパートの近くで降ろしてくれ」 と俊樹は指示をする。 幸い俊樹のアパートは署からさほど遠くない。 ここから署への途中で少し回り道をすれば済むのだった。 アパートの近くで二人は車を降りる。 「いいですねえ、今夜はお楽しみですか」 という巡査の冷やかしに俊樹は「馬鹿!」と怒鳴る。 その顔が赤いのは酒のせいだけではなかったろう。 その横で小夜子は内心赤面し、かつ苦笑していた。 それはそうだろう。 誰がどう見たって、巡査の言う通りに決まっているのだから。 アパートの階段を登りドアを開ける。 俊樹が固く絞った雑巾で小夜子の足を拭く。 さすがに土足で上がるわけにはいかない。 ごく普通の2DKの俊樹のアパート。 週に一度は小夜子が掃除に来ているせいか、 男の一人住まいにしては意外なほどかたづいていた。 「どうする、何か食うか?」 俊樹の言葉に小夜子は首を振る。 俊樹もそうだったが小夜子も腹は減っていない。 夕方署で採った軽い食事と屋台で食べた焼き鳥のおかげだった。 その仕草に俊樹は部屋の奥へと小夜子を誘う。 「じゃあどうする? まだ寝るには早いしな。」 そう言って笑いながらベッドに腰を下ろす俊樹。 誘うようなその態度に犬の体型が変化を始める。 後ろ脚が長くなり、胴が短く、前脚が太くなる。 バイオスーツの背中が割れ、 小夜子が顔を出した。 俊樹に微笑みながら、 バイオスーツから肩・腕と抜いていく。 最後に腰を抜きすとんと足首まで落とす。 小夜子の均整のとれた一糸まとわぬ裸身がそこに立った。 「恋人同士が夜やることと言ったら、 決まってるわ。 俊樹もそのつもりだったから、 ここへ来たんでしょ?」 一糸まとわぬ全裸のまま小夜子が俊樹に抱きつく。 俊樹もそれに応じ、 小夜子の裸身を抱き締める。 二つの身体がそのまま、ベッドへと倒れ込んでいった。 「おはよう」 朝の光の中、石原俊樹は目を覚ます。 横からかけられた声に思わずベッドから身を起こす。 小夜子がすでに全裸にエプロンだけを着けた姿で朝食の支度を始めていた。 コーヒーを沸かしトーストを焼く。 ハムエッグを造りサラダの準備をする。 あれよあれよという間に、 恋人同士で採るにふさわしい、 二人分の朝食がその場に出来上がっていた。 幸せそのもの、 といった顔で、二人がテーブルにつく。 俊樹はシャツにガウン姿、 小夜子はまだ全裸にエプロンだけの姿だ。 「いつも、いつまでもこうしていられればいいのにな」 「ほんとね」 笑顔でそう言う俊樹に同じく笑顔で答える小夜子。 そんな他愛もない会話をしながら朝食を進める二人。 本当にこんな幸せな時間がいつまでも続いてくれれば、 どんなにいいことだろう。 しかし、現実にはそうはいかない。 今日もこれから、署に出勤しなければならないのだ。 朝食のあとかたづけを終え一休みすると、 もう出勤までさほど間が無い。 俊樹は自分のスーツに着替え、 小夜子はまたバイオスーツに入らねばならない。 バイオスーツの背中から入り、 スーツの両脚に自分の脚を入れる。 立ち上がり、スーツを腰まで引き上げ、 両腕を中に入れる。 自分一人で着る時と違うのはここで四つんばいになることだった。 俊樹の目の前で小夜子は自分から四つんばいになる。 その隣に膝をつき、 小夜子の裸身に俊樹がスーツを被せる。 その肩を優しく抱いて唇にキスをする。 二人にとって、最も幸福な瞬間の一つであった。 俊樹が持つスーツの頭部に頭を埋め、 小夜子は完全に警察犬の姿となる。 首輪とリードをつけ、二人で朝の光の中へと踏み出した。 今日もさわやかな、初夏の空の下。新たな一日の始まりであった。 この作品はDr.Jさんより寄せられた変身譚を元に 私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。