風祭文庫・獣変身の館






「夏想い」



原作・冬風(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-160






噂の痩せ薬がある事をご存知だろうか?

曰く、飲むだけで良い。

曰く、食事制限しなくて良い。

曰く、すぐに痩せる。

…とまぁ良い事尽くめばかりが流れているのだが果たしてそうなのだろうか?

もし、ここで胡散臭さに少しでも気が付いたらあなたは賢い、

しかし気が付かなかったら…

愚かと言う他無いであろう。


田端浪江は先日、あるよく痩せると評判の痩せ薬を購入した。

入手した場所はネット上の余り有名ではない場末のオークションサイト。

そこで彼女は最低落札価格1500円のその薬を3500円で落札する事に成功した。

商品が届いたのはそれから2日後、

今時珍しい木箱に入れられて運ばれてきたその薬は

カプセルに詰められた一見すると風邪薬か何かにしか見えない代物であり、

彼女は風邪薬と共に台所の脇に置き付属の説明書の時事通りに服用を始めた。



浪江の現在体重は98キロ、

背が高めである事も幸いして体重の割には太っている様には見えなかったが、

それでもいざ服を脱いでしまうと

腹はたるみ、

尻は落ち、

また太っているが故に皮膚も悪くてあちらこちらに皮膚炎が散見させれる。

さらにグリセリンと脂肪酸により体臭もキツく、

そのせいで彼女はこれまで異性と付き合った事がなかった。

最も、それを体型のせいにするのもおかしいだろう。

こう書く前に彼女自身も元来は、

全く男に対して興味関心を持っていなかった事を知っておかねばならない。



そして、田端浪江と言う名前は、

体型以外でもある事で良く知られている事も…

それは極めて高い学力。

元々自分の体型では異性と付き合うのは有り得ない上に、

余計なことを考えるのは無駄だと自ら悟っていた故に

同性の友人達との付き合いを楽しむほかは

ひたすら学業に打ち込んでいた。

その甲斐あって中学二年以来、

校内の定期テスト、全国一律各種模擬テストでのトップ成績は当たり前。

さらには珠算や簿記会計・TOEICを手始めに

高校に通っているため受ける必用もない大検すらも合格してしまうと言う才女ぶりを発揮。

ついには某有名私立大学へ一切の費用の免除された特待生として入学出来たのであった。



その出来事から今年で6年。

今や大学院2年に在学している彼女はもう将来の進路も決まり、

学士となるのに必要な論文の作成も終えて、

順風万帆の言うなれば満ち足りた日々を過ごしていた。

そんな彼女の心境に変化が生じたのは数週間前の晩、

それは論文の最終確認を終えた翌日の事だった。

恐らくそれまでに彼女の学んだ全ての知識と経験を元にし、

全精力を注ぎ込んでいた論文の完成…

それの完成は彼女の心に安堵と空白を生じせしめていた。

恐らく無意識の内にその空白を埋める何か別の柱を欲していた。

それが意識されていなかったのは、

完成したと言う事に対する達成感と安堵感が、

それだけ強く彼女の心中を覆っていた事の裏返しに他ならない。

幸いな事に意識される前にそれは彼女の目の前へと現れた、

この点そう言った事を求めて悩む無駄な時間を費やさなくて済んだのは幸いであったし、

彼女に言わせて見れば『合理的』かつ『迅速』であったと言えるだろう。

だが、それは彼女自身の崩壊の前奏に過ぎなかった…。



夕食後、ふと昼間に学内の食堂で手に入れた校内ミニコミ誌を彼女は読み始めた。

これまでこう行った物は全く読んだ事が無かったので、

興味深くページを捲って行くと、

あるページに釘付けとなった。

題名には『○大良い男コレクション』、

ミニコミ誌を発行しているサークルが

幾つかのサークルの協力の下、

女子学生からアンケートを取ったもので

そこには総勢10名の選ばれた"良い男"達の名前と写真、学部が載せられていた。



名前と写真、学部以外のプロフィールを載せている者もいたが、

これは恐らく本人の希望によるものだろう。

ページの端には掲載に当たって当人からの了承を求めたと書かれており、

了承しなかったのか学部名だけが書かれた欄が2つ、

写真の無い欄が1つの計三名分の欄が寂しげに空いていた。

浪江が興味深く読んで行くと

彼女の視線はある1人の男に釘付けとなった。

彼の名は横井潤治、

21才の商学部在籍の”良い男”である。

そのプロフィールの隣に載せられている写真は、

全く”良い男”と言うのに問題の無い素晴らしい顔をしていた。

しかし、何故、これほどの男が1位ではなく5位なのか、

これだけ美形なら、絶対に1位であるはず。

写真をみながら彼女は即座に考え、

そして次の瞬間、考えている自分に驚いた。

そう、この様な事は彼女にとって全く初めての事だった、

男の写真を見て自らの感想を想う…全く未知の経験だった。

彼女は一目惚れしてしまったのだ。

そして、その時から彼女は如何にしたら潤治と対等の立場になれるのか、

またそのためには何をしたらいいのか。を考えるようになり。

やがてそれは、自分の体型…強いては痩せる事への切実な想いへと変わり、

その願望が彼女の心の中を満たすようになっていた。



そして、才女と周りを言わしめた彼女の頭脳が導き出した答えは

痩せ薬による手っ取り早いダイエットであった。

唯一の楽しみとも言える食事を減らす事に拒否感を覚える事から、

食事制限等はやっても無駄だろうと考え、

そして時間も余り残されていない事から運動しても効果が疑わしい。

効果が卒業後に表れても意味は無い、

私は在学中に彼と話がしたい…その切なる思いによって彼女は、

手っ取り早く効果を得られる薬・ドラッグを選んだのである。

そうと決めたからには早速と言わんばかりに彼女はネットを立ち上げると、

以前友人から聞かされた話の微かな記憶を思い浮かべて巡り回り、

そのオークションサイトでのあの出会いに繋がったのだった。



薬の効果は驚くべきものであった。

まず、三日目までに彼女の長年の悩みである便秘が解消された事を皮切りに、

体温が常に微熱を持つ様になった。

そして汗が以前とは量、回数共に比べ物にならないほど増え、

彼女自身も自らが臭いと感じるほどになっていたが、

体重は確実に減っていた。

寝る度にキロ単位で減っていく体重に彼女はすっかり夢中になり、

痩せ薬を服用する前は98kgであったと記憶される体重は、

一週間後には70kg、

二週間後には58kg、

と急激な現象ぶりを見せ、

目標にしていた47kgを下回る45kgになった所で服用を止めた。



急激な体重の減少による負担のせいか、

彼女はその後に目眩と吐き気を訴えて2日ほど床に就くも、

治ってしまえば後は何も感じる事は無かった。

そしてある意味変化したと言える新しい体に慣れるのにやや手間どり、

服などの身の回りの物を変える事に数日を費やした後の時間には

彼女の新しい人生が待ち受けていた。

痩せた彼女を見て友人達は皆一様に驚きを示し、

賞賛の声をおくった。

また心なしか以前よりもよく付き合ってくれるかのようにも感じられたが、

それ以上の変化は男子学生の態度である。



それまではあからさまに、

その体型を馬鹿にする視線を送ってきた彼らは

最早その様な事をしなかった。

それどころか最初は見慣れぬその姿に驚き、

更にその正体を知って驚くと言う様な調子で

数度の驚きを味わった彼らは、

彼女に憧れを抱き始めた。

そして浪江のもとには。

どこで住所を知ったのか幾つかのラブレターが送られて来る様になり、

声を掛けられる回数も飛躍的に増えたのである。

彼女は喜んでそれらを受けて応えたが、

しかし、どうしてもこのような事に至る事を決意するきっかけとなった

あの”良い男”横井潤治とは中々巡り合えず、

もどかしさを感じていたがとうとうその機会は浪江へと舞い込んできた。



舞い込んで来た機会とは彼女が以前所属していたサークル主催の小旅行である。

それまでも誘いは来ていたが、

研究に集中したいと断っていたものの、

今年はそれは最早無いので最初で最後だから想い出にしようと参加する事にした。

そして当日、東京駅に行った彼女は思わず我が目を疑った。

彼女の所属していたサークルは、

基本的に女子の比率の高いのが伝統で男子は数名しかいないのが常道であり、

冴えない奴ばかりなので彼女は事前に全く確認を取っていなかった。

だが、今目の前のサークルの現部長と話をしている男は紛れも無い、

彼女の一目惚れした初恋の相手…横井潤治その人である。

「ねぇちょっと…」

彼女は脇で暇そうにしていた後輩に尋ねた。

「あの男の人の名前って…

 横井潤治で良いのかしら?

 商学部の…」

「あっ先輩知っていたのですか、

 説明する手間が省けましたよ」

「それってどういう事かしら?」

「あのですね、

 事前に配りました名簿には横井君の名前は載っていないのです。

 実を言いますと彼は、一昨日になって急に入部して来た為で…」

「へぇ、そうなんだ…

 ありがとう教えてくれて。」

と後輩の話を断ち切って一方的に話を終わらせた。

これは彼女にしてみると、

彼に気がある事を悟られない為の行動であるのだが、

彼女よりも知力は劣るも恋愛経験の豊富なその後輩に、

その行動によって想いを悟られてしまった事なぞ夢にも思う事無く、

どこか浮ついて時間を過ごしていた。



宿に着いた翌日、

彼らは宿の前に広がる海へ泳ぎに行った。

やや風邪気味であった浪江は大事を取って、

海岸での日光浴で済ませたが憧れの人、

横井潤治は他のメンバーと共に海に入って遊んでいた。

その光景は浪江にとっては悔しい以外の何物でもなく、

もしその傍に誰かいたら彼女のする歯軋りに驚いた事だろう。

これ程までに強い彼女の想いは翌日、

絶対海へ入ろうという思いに繋がっていった。

その晩、浪江はもってきた風邪薬を3錠服用した。

この薬は昔から飲んでいるもので、

地味で有名ではないが効果はかなりあるので愛用しているという次第である。

”よし…

 これで明日は大丈夫だわ…

 今日は早く寝ましょうか。”

そして彼女は布団へ潜り、

電気を消してすぐに寝息を立て始めた。

だが、彼女は思いもしなかった。

彼女の飲んだ薬が間違えていた事に…

正確には3錠の内の1錠が風邪薬ではなく、

あのそっくりのカプセルに包まれた痩せ薬であるなんて…

恐らく誰も予想はしなかっただろう。



事の顛末は次のような物だ。

出かける前日の夜、

深夜帰宅した彼女は寝る前になって風邪薬を入れ忘れた事に気が付き、

薄暗い赤電球の下で半ば手探りで瓶を下ろした。

その時本来なら左側の風邪薬の瓶を降ろす筈であったのだが、

その時に限って誤って右側の痩せ薬の瓶を掴んでしまったのである。

薬を取り出してからラベルの違いに気が付いて、

すぐに風邪薬の正しい瓶を降ろして中身を出したが、

ついうっかり出してあった痩せ薬と混ざってしまった。



浪江はその6錠の中から風邪薬と思われるカプセルを3錠手にして、

残りは全て痩せ薬であると決めつけて瓶へ戻し、

棚の上へと両方の瓶を上げた。

そして、出しておいた3錠のカプセルを袋に詰めて荷物の中にしまったのだが、

この時風邪薬3錠の内の1錠がクシャミをした際に転がって

痩せ薬1錠と入れ代わってしまったのである。

だが、薄暗い上に早く眠りたかった浪江は

それらは全て風邪薬と思い込んでしまっており、

ろくに確認をせずにしまってしまったのだった。

誤って飲まれた痩せ薬の成分は胃の中で風邪薬の成分に反応して、

新たな成分へと変質していた。

そもそも彼女は知らないのだが、

その痩せ薬の中には数種類の未認可の医薬成分が含まれており、

その内の幾つかは世界の何れの国、

あの共産中国でさえも認可されていないある意味未知の成分なのである。

それが認可済みの医薬成分と混ざり反応して出来た成分…

最早、これが何なのか、

何に効果をもたらすのかを知る事は出来なかった。



翌日、早々と目を覚ました浪江は

まだ涼しさの残る浜辺をジョギングするなどして目を覚まさせると、

朝食に望み軽くシャワーを浴びてやや遅れ気味で皆の後を付いて行った。

浜辺の脱衣所に到着した時、

丁度彼女と入れ替えになる形で着替え終わった後輩達が出て来る所だった。

「あっ先輩お先に失礼しますね〜」

後輩達が浜辺へ出て行くと浪江は、

人気の無い脱衣所のロッカーの1つに100円を入れて開けて服を脱ぎ、

持ってきた水着を身に着けた、

お世辞にもそれは垢抜けては無い、

古臭い水着ではあったが今の彼女には如何でも良かった。

とにかく横井潤治と一緒に海に入れれば良かったのだから…

そして、もう1つ。

実を言うと彼女はこの方泳いだ事は無い、

小学生の時に軽くやって以来一度として泳いだ事は無いので、

泳げる自身は無かったが入れればそれで良いと考えていたのだ。

”泳いでいる内に上手くなるわよ…

 多分ね…”

と…



やがて着替え終えた彼女は、

ロッカーを閉める前に靴下を一足入れ忘れたのに気が付いて、

体を屈めてそれを手にして戻ろうと…したまさにその瞬間、

彼女は立ち上がるのではなくそのまま前へとつんのめった。

「え?」

慌てて、両手を付いて体を支えてホッと安堵の息を吐くまでも無く、

今度は全身の皮膚が引き攣り若干の痛みが走った。

「な…何よ、

 急に…ちょっと…」

彼女が戸惑っている最中に一旦痛みは緩くなった。

しかし、すぐに元に戻ると、

それまでにない痛み…まるで全身が裂かれるかのような痛みと異

様な音が耳に響いた。

ビリッ…ビリリッ…

それは何かが、

身に纏っている何かが全身を貫く奇妙な爽快感に比例して破られていく音、

つまりは見に纏っている水着が、

何か内からの物によって破られている事を示していた。

「な…本当に何がぁっ…

 ひゃうぅぅあぁ…」

と口にした途端、

急に言葉が喋れなくなった。

心なしか唇が思う様に動かない、

何だか硬い…それは足や手もそうで硬いと共に重さを感じる。

どうにも手の心地がおかしいので、

そっとおそるおそる視線を下へ向けると

そこには信じられない光景が展開されていた。

比較的大柄な彼女の細い手は今や未熟児の腕の様に、

指一つ一つが肥大化し、

指以降の手の甲、

手首、

肘下が太さと厚みとを兼ね備えて、

その表面は光沢のある明るい灰色へと変色しつつある。

それは左手も同じであり、

やがて肥大化した指同士は融合すると、

途端に体は前のめりになり、

水着が破れて露出した脇の下と二の腕が新たに融合して、

その形はあたかも鰭の様な格好になっていた。

そして、体が下に落ちて床にぶつかったはずなのに

余り痛くない事も妙であった。

何だかクッションの様な物がある様で、

頭を悩ませる結果となったが彼女に代わって見て見ると

浪江の豊満な乳房の姿は何処にも無く、

ただ灰色がやや白くなった同様の光沢ある厚い皮膚に覆われた、

流線型の一部であろう流れを持つ極限までに滑らかな胸があるだけである。

それは顎と融合した首下から腹部を滑らかに膨らみを以って覆い、

本来ならそこから先には何も無い両足の付け根の間を通って尚も伸びる、

そう何時の間にやら彼女の腰と尻からは新たな体の部位、

その形状と色からそれはまさしく魚いやイルカの尾鰭と

同じものが形作られていたのであった。

背中の方は腕と同じ灰色の皮膚に覆われて光沢を放ち、

最早水着は残骸として下に散らばるに過ぎなかった。

肩甲骨のあったと思われるあたりやや下には、

微妙な盛り上がりが確認され

顔もまた首が肥大化したことで胴と顔との一体化が実現しており、

髪の毛を残してあの皮膚に変色し唇は無く、

口元は上下の顎と共に綺麗な流体の形をして前へ伸び、

根元で上下に分かれて細かい歯が幾つか出現している。



瞳は最早全てが黒くなり、

目蓋や睫毛の痕跡すら無かった。

髪の毛も次第に抜け落ち、

薄い茶色のその長い髪が水着と共に床に敷かれる頃には、

口の先端から眉間、

脳天と腹部と同じく何も邪魔する物の無い美しい流線型を描いている。

そして、足はそのまま残るもその表面は他の部位と同じく、

障害となる物の一切を見る事が出来なかった。

その姿は第二の尾鰭と言っても良いだろう。

”な…何?

 本当、

 何が起きているのっ!?

 …ねっねぇ、

 だっ誰か教え…

 はぁっうぐぅっう…!”

最後に全ての総仕上と言わんばかりに全ての力が背中の一転へと集中した。

そこにあるのはあの膨らみ、

それはまるで背中から解け上がるかのように形作られると、

三角形の立派な背鰭、

まるで全てが完了したかを象徴する記念碑の様に背中に鎮座していた。



「ふぅ…

 しまったしまった寝坊したよ…
 
 急がないとなぁ」

その頃、

1人の男が宿から早足で脱衣所へと向っていた。

その男の名前は横井潤治、

そう浪江の一目惚れの相手である。

彼はうっかり寝坊、

本当は朝食後に部屋でウトウトとしてしまった為、

慌てて一人遅れていた。

”でも、

 田端さんが僕に気を持っているなんて嬉しいなぁ…
 
 僕も好きなんだよ、

 田端さんの事…
 
 旅行に来て正解だった…?

 おや、誰か脱衣所にいる…
 
 誰だろう?” 



この作品は冬風さんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。