風祭文庫・獣の館






「リチャードの恋人」



原作・にこちんたーる(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-030





義人にその相談を受けたのは久しぶりのデートの帰り道だった。

「変な女なんだよ。ストーカーって言ったら大げさだけど、

つきまとわれて困っちゃってるんだよな」

少し混み始めた夜の首都高は、雨が降り始めていた。

「なんか、ずいぶん自分勝手でさ。なんかどっかのお嬢様らしいんだよな。

今までわがまま貫いて生きてきたって感じ?」

「がつんと言ってやりゃいいじゃない」

「言ってやったよ。俺にはちゃんと大貫絵美理って言う恋人がいるってな」

「えー、勘弁してよ、名前出しちゃったの?」

「あ、まずかった?でもさあ、向こうも名乗ったからさあ・・・」

「何て?」

「吉村恵子」

「え?」

アタシの、高校の時の同級生に、同じ名前の女がいた。

そいつは確かに父親がバイオテクノロジー系の企業をやっており、

相当甘やかされて育ったような女だったのだが・・・

「まさかね」

「え?」

「ううん。気をつけてね」

「おう」

雨が、少し強くなったようだ。

ワイパーの音が、車内に響いている。

「・・・ねえ」

「ん?」

「・・・ずっと一緒にいようね」

「・・・おう」

義人の横顔が、好きだ。



「ありがとね」

「じゃあな、また」

結局、家に着いたのは1時を回っていた。

義人の車を見送り、家に歩き出した瞬間、

街灯に照らされた電柱の影から、黒ずくめの女があらわれた。

「大貫絵美理さんですね?」

「え?」

「一緒に来ていただきます」

有無を言わさない口調だ。

夜だと言うのにサングラスをしており、その顔はよく分からない。

「誰か・・・ぐ!」

助けを呼ぼうとした瞬間、みぞおちに強烈な一撃をくらい、

アタシは気を失ってしまった。



ちくん、と針の痛みを感じた。

薄く目を開けると、目の前には自分の左手があった。

ゆっくりと握ってみる。

記憶が、少しづつ蘇ってくる。

そうだ・・・あたし、変な女に・・・

「気がついたみたいね」

聞き覚えのある声がする。

「!・・・あんたは・・・恵子!」

「お久しぶりね絵美理ちゃん」

そう、目の前にいたのはまぎれもなく高校時代の同級生、吉村恵子だったのだ。

「こ・・・ここはどこなの?」

くらくらする頭を抱えながら、あたりを見回す。

殺風景な部屋だった。

家具と呼べそうなものは壁にかけられた大きな鏡ぐらいで、

コンクリート剥き出しの壁には窓も無く、

やたら頑丈そうな扉がひとつあるだけだ。

奇妙なのは、なんとも言えない嫌な臭いが部屋の中を満たしていることだった。

「私のうちの地下室・・・私が呼ばない限り、誰も来ないわ」

恵子は手に持っていた空の注射器を投げ捨てると、満足そうに微笑む。

「・・・それ、何?アタシに、なんの注射をしたの・・・?」

「どうだっていいじゃない。いずれ分かることよ。

そんなことより、義人さんからあなたの名前を聞いた時はびっくりしたのよ」

「こっちの台詞よ!あんたストーカーなんてみっともないことやめなさいよ!」

アタシは自分でもびっくりするほど大きな声を出した。

「みっともない?ふふふ・・・そうね、今は私のほうがみっともないかもしれない。

でも、あなたの方がもっとみっともなくなれば・・・」

ふ、と真顔になる。

「義人さんも、私に振り向いてくれるんじゃないかしら?」

その表情に、アタシは何かぞっとする物を感じた。

「どういう意味よ!?」

アタシは声を荒げる。

なぜか、さっきから気が高ぶってしょうがない。

動悸も、なんだか早くなってきている気がする。

「そんなに興奮しなくても、今に分かるわ。

 そういえば恵美理ちゃん、動物はお好き?」

「嫌いよ!それがどうしたって言うの?」

「それは楽しみだわ」

「え・・・?」

「そろそろ薬の効き目が出てくるころね、ああいつ嗅いでも嫌な臭い」

恵子は鼻を覆いながら眉をしかめる。

言われて、気付いた。

さっきから気になっていた異臭が、自分自身から発せられていたことに。

「これは・・・?」

「それにしてもあなたってほんとにいやらしい女よね。すっかり発情しちゃって」

「え?何、どういうことよ!?」

「そんなに興奮しないでよ。臭いが広がるじゃない」

興奮。

そう、確かにアタシは興奮していた。

動悸はますます激しくなり、

汗がとめどなくふき出てくる。

だが、自分でも信じられないことにその興奮の源は、下半身のうずきにあったのだ。

自分の腹部の内側に黒くて、熱くて、ねばねばした塊がつくり出され、

びくん、びくんと脈打っているイメージが、頭に取り付いてはなれない。

その脈動に合わせ、

アタシの陰部からじゅくん、じゅくんと熱い液体があふれ出して来る。

驚くほど大量のそれはもはや下着の吸水力をはるかに超え、

スカートからのぞく内腿をつたって靴下に染み込んでゆく。

「嘘・・・」

アタシは、その異常な量だけでなく、その臭いにも驚きを隠せなかった。

そのころもう「悪臭」と呼べるほどになっていたアタシの体臭にもまして、

その臭いはひどいものだった。

ショックのあまりよろめくと、

すっかり膣分泌液でぐしょぐしょになった下着と靴下が汚らしい音を立てる。

「何を注射したの・・・?」

くらくらする頭を必死で働かせて、問いを口にする。

「いやらしいあなたにとっては最高のクスリよ。

ほら、もうオスが欲しくてたまらないんでしょう?」

「オス?」

びくん、と身体が震える。

「そう、オス。欲しいんでしょう?オスの、おっきいのが」

恵子が「オス」という単語を口にするたび、

アタシの体中にうずきが走り、息が荒くなる。

ろれつが回らなくなってくる。

「ひがう・・・オスなんて・・・あ、あはぁぁあ」

自分で「オス」という言葉を口にしてしまったとたん、体中が燃えるように熱くなり、

あたしはへたへたと倒れこんでしまった。

「そろそろいい頃ね・・・

 待ってなさい。あなたにふさわしい相手を紹介してあげるから」

恵子は嬉しそうにそう言い残し、部屋を出てゆく。

一人取り残されたアタシは、必死で心を落ち着かせようとしていた。

このままでは、見知らぬ男に抱かれてしまう・・・

そして恐ろしいことに、

それをアタシが自分で楽しんでしまうことにもなりかねないのだ。

おそらく、さっきの注射は催淫剤だったのだろう。

そうしてアタシが他の男と交わっているところを写真か何かにおさめ、

義人に見せるつもりなのだ。

そんなことをされたら・・・・

逃げなきゃ。

そこまで考え、おぼつかない足取りで立ち上がったアタシは、

よろよろとドアまで歩いていった。

鍵をかけていったのではないかという懸念に反してノブはスムーズに回り、

外開きの扉は簡単に開くことができた。

だが次の瞬間、アタシは悲鳴をあげていた。

黒く、醜く、巨大な影が、そこに立っていた。

体中を覆う獣毛。

丸太ほどはあろうかという太く、長い両腕。

つぶれたような鼻と、どこまでも黒く光る眼。

筋肉で盛り上がった背中は、身体の中で唯一白く輝いている。

扉の外にいたのは、巨大なマウンテンゴリラだったのだ。

恐怖のあまり腰を抜かしてしまったアタシを、ゴリラは興味深げに眺めると、

ひょい、と片手で持ち上げてしまった。

「あ。ああ、た。たす、た、すけ、ああ。た。た」

ゴリラは言葉にならない言葉をわめいているアタシを片手で抱えたまま、

部屋の中に入ってきた。

「あはははは。いいざまね恵美理ちゃん」

突然、部屋に恵子の笑い声が響く。

だが、どこにもその姿は見えない。

パニックを起こしかけているあたしの目に、

部屋の壁にかけられた巨大な鏡が飛び込んできた。

「察しが良いわね。そう、この鏡はマジックミラーになってるのよ。

 そんなことよりどう恵美理ちゃん?
 
 私のお友達のリチャードって言うの。

 いい男でしょ?あはははは」

「ひ、ひい」

ゴリラはしきりにアタシの脚の臭いをかいでいる。

いや、違う。アタシが流している愛液の臭いをかいでいるのだ。

「リチャード、どう?メスの臭いがするでしょう?」

恵子の言葉に反応するかのように、ゴリラは興奮の度合いを増して行く。

一方で、なぜかアタシも屈辱的な「メスの臭い」という言葉を聞いたとたん、

身体のうずきが高まってきていた。

恐怖はもちろんあるのだが、

いや、あるからこそ奇妙な興奮があたしの体を覆い尽くす。

愛液の臭いが、一段と強くなったようだ。

ゴリラは一通り臭いをかぎ終わると、あたしを床に座らせた。

「そ、そうよ、

 あた、あたひ、ひがうから。
 
 に、に、にんげん、だ、から、ね、ね、ね・・・」

アタシはゴリラに語りかける。

はたから見ればさぞや滑稽だろうが、アタシは必死だった。

「嘘おっしゃい!」

恵子の声が響く。

「うそ・・・?」

「そう、嘘よ。あなたはとっくに・・・

 ああ、リチャードは分かってるわねえ・・・」

「え・・・?」

恵子の言葉につられてゴリラの方を向き直ると、

その股間には見たこともないような巨大な男根が天高くそそり立っていた。

「ひ、ひ、ひぃやあぁああああ」

あたしは情けない声を出して、思わず失禁した。

いや、失禁ではない。

あまりに大量の膣分泌液があふれ出て、

熱い水溜りをあたしの足元に作ったのだ。

それをいぶかしげに思う間もなく、ゴリラの手がアタシに伸びてくる。

「ひいい」

毛むくじゃらの太い指が、ちょっと意外なほどの器用さで

アタシの上着、そしてスカートをいとも簡単に剥ぎ取ってしまった。

「あ、ひ、いやあぁあああああっ!」

下着だけになってしまったアタシは悲鳴をあげる。

だが、その悲鳴は恐怖によるものではない。

驚愕の悲鳴だ。

ムダ毛などとは無縁であったはずの、アタシの乳白色の肌。

そこにあってはならない物・・・黒く太い体毛が無数に生じていた。

それらは脇や陰部を中心にしてはいるが、

あきらかに太腿や腕をも飲み込みつつあり、

あまつさえアタシの豊満なバストの谷間に

胸毛と呼んで差し支えないほどの体毛を生じさせていた。

「あはははは、なんてきたならしい身体・・・

 まるでサルね!リチャードにお似合いだわ」

恵子の嘲笑が響く。

「ひっ、ひぎぃいいい」

自分でも何を言っているのか分からないまま、無心でそれらの毛をかきむしる。

「ひがぁいっ(痛いッ)!」

毛をむしるたび、体中に激痛が走る。

それはそれらの黒く忌まわしい毛が

まぎれもなくアタシの体から生えているという証しに他ならないのだ。

嫌悪感に、身体中がつつまれる。

鳥肌が立つ。

すると、

新たに生じた体毛の一本一本が自らの存在を誇示するかのように立ち上がり、

アタシの淫らな体臭をいっそう辺りに撒き散らす。

「あ、あああぁあ・・・」

混乱のあまり頭を抱えることしかできなくなっているアタシに

アタシの体臭によって発情の度合いを高めたゴリラの手は容赦なく襲い掛かり、

たちまちのうちに残った下着と靴下をもむしり取ってしまった。

全裸になったアタシの脳裏に、

この姿を恵子に見られているのだという記憶が点滅し、

必死で裸体を隠そうとする。

だが、そんな努力をするぐらいなら、

眼前の黒い巨獣の手から逃れることを考えるべきだったのだ。

ゴリラは、信じられないような怪力であたしの体を高く持ち上げると、

あらわになった陰部の臭いをしきりに嗅ぐ。

相手が獣であるとか、そういったことを凌駕して羞恥心が悲鳴をあげる。

次の瞬間、ゴリラはその赤黒い舌でアタシのもっとも敏感な部位をぞろりとなめた。

「!!」

声が出なかった。

その瞬間アタシを支配していたのは羞恥や嫌悪、ましてや恐怖などではなかった。

快楽。

電撃のような快感が下腹部を中心に体中を駆け巡り、

びくん、と身体を震わせるのが精いっぱいだった。

ふたたび滝のように愛液を分泌し始めたアタシの陰部を確認して、

ゴリラはそれを自らの巨大な一物に近づけて行く。

自らが人間でないものに犯されようとしているという状況を、上手く把握できない。

やめて、と叫びたいが、身体が痺れたようになって上手く口が動かない。

アタシは巨大なペニスがゆっくりと自分の身体の中に沈みこんでくるのを

ただじっと受け入れるしかなかった。

不思議と痛くはなかった。それが、奇妙でもあった。

いっそのこと痛みのあまり気を失うようなことができれば、

この後の嫌悪感を味わうことも無くて済むのに・・・

そんなことを考えているうち、ゆっくりとゴリラがその鈍重な腰を動かし始める。

「あぐ、うぐふぅっ・・・」

思わず、獣じみた声をあげてしまう。

屈辱感とないまぜになった暗い欲望が、快感となってアタシの体に襲い掛かる。

壁にかかった鏡に、よだれを垂らして乱れるアタシの姿が映っている。

ひどい、と思った瞬間、その裏から

「全くおあついわねえお二人さん」

と、恵子の声が響いた。

「リチャードのこと、気に入ってくれたようね絵美理ちゃん」

「うぅ、うぅ」

反論したくても、快感のせいか言葉にならない。

「あはは、お邪魔みたいね、私」

「ぐ・・・ぎ、じ、冗談、じゃ、らい・・・」

アタシはやっとのことで言葉をつむぐ。

「あら、無理して嘘つかなくてもいいのに。

ほら、そんないやらしい腰の動き、どこで覚えたの?」

「!」

自分でも信じられなかった。

恵子の言う通り、いつの間にかアタシの腰は

まるで自ら獣の肉棒を求めるかのように淫らに動き始めていたのだ。

「二人の仲が上手くいって、私も嬉しいわ。元気な子を授かると良いわね」

「・・・?」

恵子の言っていることが、うまく理解できなかった。

子を授かる?

アタシが、ゴリラの子を?

バカバカしい。

「バカバカしいと思う?」

あたしの考えを見越したように恵子がたたみ掛ける。

「ところがそうでもないのよね。

さっきのクスリ、ただの最淫剤だと思ってるの?

いくら強い催淫剤だって、あなたみたいな我の強い女を

ゴリラに欲情させることなんてできやしないわ。

・・・さっきのクスリはね、催淫獣化安定剤。

早く言えば・・・あ、説明は要らないようね。

自分の目で確かめるといいわ」

恵子の言葉を合図にしたかのように、

ゴリラは腰の動きをいっそう激しくして行く。

だが、アタシの眼は鏡に写っている自分の姿に釘付けになっていた。

いつの間にか、黒い体毛の占める面積がずいぶん広がってきている。

いや、そうして見ている間にもアタシの体が快感にびくん、びくんと震える度に

見る見る体毛、いや獣毛はその面積と密度を高めてゆく。

「うほぉ・・・(嘘・・・)」

つぶやいたアタシの言葉を聞いて、恵子が勝ち誇ったように言う。

「どう?見ての通りあなたはもう人間じゃないわ。ケダモノよ。

さあ、とっとと雌ゴリラになり果てるがいいわ!」

ゴ・・リラに・・・?

ごき。ごきごきごき。

骨が、きしみだす。

「いが、ぐがぁあああああ(嫌、いやぁあああ)」

筋肉が、見る見る盛り上がってゆく。

華奢だった腕が、もはや丸太のようだ。

肌が、悲鳴をあげて裂ける。

その裂け目すら、血を噴き出す間もなく厚い毛皮に被われて閉じてしまう。

今しがた発達した腹筋が、厚い脂肪に被われてぼってりとした腹部を形成する。

自らの両手両足が確実に増加して行く自らの体重をはっきりと感じている。

鏡が、アタシのくずれてゆく体型を残酷にうつし出していた。

「ひぎぁ!がうげぇえ!!(嫌ぁ、助けてぇ!!)」

骨格の変化は容赦なく進み、ついに顔にまで到達する。

鼻がにぶい衝撃とともに潰れたようになり、

犬歯が奇妙な発達を見せる

左眼の横にシミのような物ができた、と思うと瞬く間に広がってゆき、

顔中が浅黒い色に染まってゆく。

ふと下を見れば、乳首を中心に胸でも同様の変化は起こっており、

アタシの乳白色の肌は瞬く間に黒くざらざらした皮膚にとって代わられていった。

涙を流して泣き叫ぶあたしの声に、雄ゴリラは興奮の度合いを高めてゆく。

肩にかかる熱い鼻息を感じながら、

いつしかアタシの絶叫もよがり声のようなものに変わってゆき、

すっかりたくましくなってしまった腰を盛んに振り立てる。

淫らな音と、アタシの咆哮が部屋を満たす。

恵子が、笑っている。

嫌だ。嫌だ。嫌だ。

こんなの、嘘だ。夢だ。

「!」

その瞬間、雄ゴリラはびくん、と震えたようになってアタシの腰を掴んだ。

熱いものが、身体の芯に向かって発射される。

どくん、どくんと信じられないような量の体液がアタシの体を満たしてゆく。

涙が、とめどなくあふれてくる。

夢だと思いたいのに、あまりにも全てがリアルで、残酷だった。

変形した鼻に、獣の臭いがついて離れない。

今や完全にアタシにふさわしい、アタシの体臭だった。

鏡を見る。

不細工な、まぎれもない牝ゴリラが、こっちを見つめていた。

たくましく、毛むくじゃらになってしまった四肢。

ずんぐりした体型。

唯一残された名残であるロングヘアが、よりいっそう滑稽さを引き立てる。

アタシは思わず、果てた雄ゴリラを残して、ふらふらと鏡に駆け寄った。

どん、どんと大きなこぶしで鏡を叩く。

ねえ、許して、元に、戻して。

「えげぇ、ひゅるひてぇ、もごに、ぉご、もどひてぇ・・・」

泣きながら、必死で発音する。

ひときわ高く笑い声を上げ、愉快そうに恵子は答えた。

「あはははは。いい格好ね。すごく似合ってる。

元に?無理よ。だってあの薬は交尾で安定するんですもの。

犬と交われば犬に、豚と交われば豚に、ゴリラと交わればゴリラになるわ。

遺伝子レベルで変わるから、あなたは一生そのまま。

一生そのゴリラの姿で生きていくのよ。

あは。あははは!あはははは!」

そんな・・・一生?い、嫌ぁあ!

「うごぉ、うごぉお?う、うがぁああああああ!」

「あはははは!もう何て言ってるかちっとも分からないわよ絵美理ちゃん」

「うご?うがぁ!?うぐ、ぐがあぁ!」

舌が膨れあがって、もはや一言も意味のある言葉を形作れない。

「うがああああ、ああああああああっ!」

力の限り叩きつづけていた鏡に、ぴしりとヒビが入った。

次の瞬間、大音響とともに鏡は粉々になり、

向こうから信じられないといった表情の恵子があらわれた。

その姿を見たとたん、憎悪が溢れ出し、アタシの身体を突き動かした。

コロシテヤル。

恵子の、白くて細い首筋が憎い。

アタシの首は・・・

今やずんぐりとした筋肉と盛り上がった肩に飲み込まれているのに。

その首に向かって、手が伸びる。

唸り声がのどから漏れる。

その瞬間、恵子はにこりと顔をほころばせた。

「・・・強化ガラスを叩き割るなんて、あきれた馬鹿力ね、雌ゴリラさん」

恵子の右手に握られている物。

銃だ。

「お仕置きしなきゃ」

その銃声は、妙にはっきり聞こえた。

恵子の首に両手をかけたまま、アタシの巨体はゆっくりと倒れていった。

意識が遠くなる。

まあいい。

こんなみっともないゴリラの姿じゃ、生きてたってしょうがないし・・・

そんなことを考えながら、アタシは白い無意識の中に飲み込まれていく。

「安心して。麻酔銃よ」

遠くに恵子の声が聞こえた。



薄く目を開けると、目の前には自分の左手があった。

ゆっくりと握ってみる。

だが、目の前の左手は動かない。

おかしいな、と思ってよく見ると、それは手ではなく、足だった。

手のように変形した左足。

握ったり、開いたりしてみる。

握ったり、開いたりできる。

ゴリラの、左足だ。

・・・え?

アタシ、生きてるの?

あわててあたりを見回す。

コンクリートの床と天井。

眠っている雄ゴリラ。

鉄格子から差し込む、夏の刺すような日差し。

むせ返るような真夏の湿った空気が、

一生脱ぐことのできない毛皮をまとってしまったアタシにはいっそうつらい。

その外には、たくさんの見物人・・・

ここは・・・動物園!?

ゆっくりと立ち上がると、よろよろと鉄格子へ歩いてゆく。

「お、起きたぞ」

「こうして見るとやっぱりでけえな」

「でも見てよ、足、超みじかくない?」

「ははは言えてる。うわあ、臭い」

「ほんとほんと」

「しかし不細工だよねえ」

「え、こっちがメス?よかった、あたしこんな顔に生まれなくて」

見物人たちが口にする感想のひとつひとつが、アタシの心をずたずたにしてゆく。

「え、泣いてんのこいつ?」

ふと聞き覚えのある声に思わずふりむいて、あたしは固まってしまった。

「ほら、やっぱり泣いてる」

「うわ、ほんとだ。気持ち悪い顔ね。」

仲むつまじく腕を組んでいるカップル。

それはまぎれも無く・・・義人と、恵子だ。

信じたくない。

嘘。嘘。嘘!

「うごぉ、おごぉおお!」

「うわあああん、怖いようおとうさあん」

近くにいた子供が泣き出す。

「ねえ、このゴリラ、エミリーって言うみたいよ」

恵子がパンフレットを見ながら言う。

「絵美理みたいね」

こっちに目配せして、わざとらしく義人にからみつく。

「馬鹿なこと言ってるんじゃないよ・・・」

義人が恵子を見る。その、横顔。

いつまでもアタシのものだったはずの、大好きな義人の横顔。

アタシよ!ねえ、気付いて!アタシなのよ!全部その女のせいで・・・

「ごあぁあぁあああああ!、があ!あがああああっ!」

どう頑張っても人間の言葉は出てこず、獣の咆哮のみが喉をついて出る。

涙と鼻水が、とめどなく溢れて来る。

情けなくて、たまらない。

目の前には、あっけに取られた表情の義人と、満面に笑みを浮かべた恵子。

「それで、こっちがリチャード、ね」

気づいた時には、興奮したアタシの声で目を覚ましていた雄ゴリラが、

その大きな手でアタシの腰をがっしりと掴み、馬乗りになっていた。

巨大なペニスが、当然のようにアタシの股間へと吸い込まれてゆく。

それを蔑んだように見据える義人や恵子、

その他の無数の群集の視線を感じながら、

アタシは心とは裏腹に自分の巨体が淫らに動き始めるのを感じていた。



おわり



この作品はにこちんたーるさんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。