風祭文庫・獣の館






「絵梨のピアス」
− 闘牛祭奇譚 −



原作・こうけい(加筆修正・風祭玲)

Vol.T-017






1:木曜日
長かった梅雨がようやく明けた初夏の午後

夏祭りの準備が進む神社の前を、

3人の女子高生が話に花を咲かせながら歩いていた。

「あっ、夏祭りの看板が出てる…」

一人が看板息づいて声を上げると、

「そっか、今度の日曜か。気づかなかったね」

もぅ一人が頷きながら答えた。

「絵梨、千晶、今年も3人いっしょに行こうよ!」

最後の一人がそう言うと、

「うん。あたし、いっぱい食べるぞ!」

ガッツポーズをしながら一人がそう宣言すると、

「玲香はいつもそれなんだから」

「キャハハハ…」

と笑いながら他の二人は彼女の肩を

ポン!!

と叩いた。

小島絵梨、植野千晶、長谷川玲香の3人は

共に県立高校の1年4組の同級生で親友同士。

もうすぐ、年に一度の神社の夏祭りが迫っていた。



「そうそう思い出した。今年は御牛様があるんだよ」

何かを思い出したように千晶が言うと、

「うんうん。前はあたしたち幼稚園だったよね」

玲香は思い出しながら頷く、

「10年前だもん」

ふっと空を眺めながら絵梨が呟くと、

「あのときもあたしたち3人いっしょに行ったよね。

 背がちっちゃくてよく見えなかったけど…」

そう言いながら千晶は自分の腰あたりに手を差し出しながら言う。

「うん、今回こそはしっかり目に焼きつけておきたいよね」

唇に指をあてながら絵梨がそう言うと、

「絵梨、大丈夫?

 あのとき泣き出しちゃったでしょ?

 牛が大怪我をしているのを見て…」

と絵梨をのぞき込むようにして千晶が言う。

「もう、千晶ったらよく覚えてるなあ。

 でも、今は平気よ。
 
 だってこれって闘牛なんでしょ?」

そう絵梨が言うと、

「そっか。

 じゃ、3人でおもいっきり盛り上がろうね」

「賛成!!」

と3人は手を挙げた。



御牛様とは10年に一度、

川を挟んで対岸にある神社との間で行われる闘牛のことで、

事の起こりは、平安の昔…

境を巡って両岸の村が争いを起きた時に

たまたま通りかかった得の高い僧侶の提案で、

双方の村から一頭ずつの牛をだし、

綱引きをさせて境を決めたことがそもそもの発端である。

その後、牛の綱引きは徳川の頃に境が確定されたこともあって、

綱引きから闘牛へと姿を変え、

そして今ではこの地方独特の祭りとして注目を浴びるようになっていた。



絵梨達が神社から少し離れたところまで来たとき、

キラリ☆

ふと、絵梨は道端で光るものを見つけた。

「あれ、なんだろう…指輪かな?」

相違ながら絵梨が拾い上げたものは、

直径2センチ、

幅2ミリほどの金属の輪だったが、

しかし、その輪の一部は無惨にも欠けていた。

「指輪じゃないね。ピアスみたい」

目の前でじっとそれを眺めながら絵梨がそう告げると、

「ほんとだ絵梨…」

千晶と玲香も相づちを打つ。

「どうしようか、これ?」

手のひらの上で転がしながら絵梨が尋ねると、

「どうせ落とし主なんてわからないでしょ。

 捨てちゃいなよ」

と千晶達は絵梨に告げたが、

「でも、きれいだよ。

 あたし…これ身につけてたいな、ピアスにしてさ」

と絵梨はまるでピアスに魅入られた様な目つきで二人にそう言うと、

「やめなよ絵梨。

 いまどきピアスなんてはやらないよ」

「どうしてもピアスしたいなら、ちゃんとしたものを買えば?」

と千晶と玲香は絵梨を止めたモノの、

「いいじゃない。

 ただなんだから。

 どこに付けようかな?
 
 ひとつしかないから耳はだめだし…鼻にしよ」

そう言いながら絵梨はピアスを鼻につける仕草をする。

「鼻ピアスゥ!?

 恥ずかしいな」

「いいでしょ、あたしの勝手なんだから」

絵梨が自分の鼻に輪を取りつけると、

輪は彼女の鼻にピッタリとはまってしまった。

「うん、なかなかいけてる!」

自分の手鏡を見てガッツポーズをとる絵梨。

「絵梨ってセンス悪いのが欠点だよね…」

そう言いながら千晶と玲香が顔を見合わせた。



「ただいまーっ」

絵梨が自宅のドアを開けると、母親の佳枝がしかめ面をした。

「…いやだ絵梨、どうしたのその鼻?」

「あたしね、鼻ピアスすることにしたの。

 鼻に穴開けたわけじゃないから、安心だよ」

と鼻につけたピアスを指さしながら言うと、

「でもね、みっともなくないの?」

怪訝そうな顔をして佳枝が言う、

「あたしの勝手でしょ!

 さぁ…ごはんにして!」

文句を言いながら絵梨はそのまま自室へと向かう、

「ねえあなた、絵梨になんか言ってやってくださいよ」

「ん?なんのことだい?」

佳枝が夫の勇作に声をかけると、

勇作は面倒くさそうにテレビから視線を離した。

「絵梨の鼻ピアスのことですよ。

 みっともないったらありゃしない」

如何にもイヤそうな表情で佳枝がそう告げると、

「そうか?俺はいいと思うぞ。

 若いうちくらいいろんなファッションに挑戦しないとな」

ハハハ…

勇作は軽く笑いながら妻にそう言うと、

「あなたまでのんきな…、

 絵梨が不良の道に走ったらどうするんですか」

真顔で佳枝は勇作に迫ると、

「佳枝、ピアスくらいで不良だなんて時代が古いぞ。

 な、絵梨」

と勇作は居間に戻ってきた娘に声をかけた。

「そうだよママ!

 ありがとうパパ」
 
心強い味方がついているためか、

絵梨の態度はいつもより強気だった。

「もう…しかたないわね」

二人の様子に渋々佳枝は承知すると、

「ところで、佳枝も絵梨も知ってるか?

 神社の牛が行方不明になったんだってな」

話題を切り替えるべく勇作は帰宅途中で耳に入れた情報を絵梨達に言った。

「まぁ…それは大変

 もうすぐ御牛様だというのに大丈夫かしら?」

心配そうに佳枝が言うと、

「あぁ、町に牛はあの1頭しか居ないから、

 これでは不戦勝になってしまうって町内は大騒ぎだぞ」

ややオーバー気味に勇作が続ける。

「えーっ!

 じゃあ、御牛様はどうなっちゃうの?
 
 中止?」

困った表情で絵梨が声を上げると、

「ここままだったらそうなるな。

 でも、祭り自体は予定通りやるそうだ」

娘を安心させるべく勇作はそう告げると、

「絵梨は千晶ちゃんたちと行くの?」

佳枝は祭りに行くメンバーを尋ねた。

「うん、千晶と玲香と3人でね!」

3本の指を立てながら絵梨が言うと、

「悪い男には注意しろよ

 まぁ彼氏を連れてくるなら話は別だがな」

「もぅあなたったら…

 でもそんなピアスしてるんなら、
 
 なおさら気をつけたほうがいいわよ」

と両親は絵梨に一言くぎを差した。

「はーい」

やや上の空で絵梨が返事をするが、

「俺は射的に燃えるぞ!

 佳枝、絵梨、今年も賞品楽しみにな」

腕まくりをしながら勇作が宣言すると、

「わーっパパ、人形いっぱいとってね」

笑みを浮かべながら絵梨は勇作に抱きついた。

平和な家庭のヒトコマであった。



2:金曜日

「おっはよー!」

「おはよー絵梨、あれ、それは?」

登校してきた絵梨を見るなり、

クラスメイト達は一斉に絵梨の鼻を指さした。

「よくぞ尋ねてくれました。

  ピアスだよぉ、
  
  鼻ピアス。
  
  かっこいいでしょ?」

絵梨は自慢気にピアスを見せびらかす。

「なにそれ〜?趣味悪〜い」

「あれ?そうかなあ」

「いまどき鼻ピアスなんて遅れてるよ」

ほかのクラスメイトの反応も同じだった。

「(ぶー)」

「絵梨…ほらね。

 昨日あたしたちが言ったとおりでしょ」

ふくれっ面をする絵梨に千晶と玲香が諭すように声をかける。

(みんな…あたしの趣味わかってくれないんだなあ…)



この日のホームルームは、抜き打ちの服装検査だった。

そして…

「小島、なんだそのピアスは?」

絵梨のピアスは、真っ先に生活指導の教師のやり玉に上がった。

「えーっ、ダメなんですか?」

注意を受けた絵梨が声を上げると、

「華美な装飾品は禁止って校則で決まってるだろ。

 今すぐ外せ」

面倒くさそうに教師が告げると、

「…はぁい。

 …あれ…痛、いたたた…」

皮膚に食い込んでしまったのか、

絵梨がどうやっても鼻のピアスは外れなかった。

(あれ…痛、いたたた。食い込んじゃってるのかな…)

「すみません先生、ちょっと外せなくなっちゃって…」

申し訳なさそうに絵梨が申告すると、

「しかたないな、そのままつけてろ。

 その変わり帰ったら医者に行くんだぞ」

と絵梨をゆび指しながら告げた。

(あーラッキー!!。

 せっかくのピアスなのに、簡単に外しちゃたまらないわよ。

 本当に外したくなったら医者に行くんだから)

絵梨は胸をなでおろしながら鼻のピアスに指をやる。

(あれ…心なしか、大きくなってるんじゃ?)

そう思いながら手鏡で確かめてみると、

昨日と変わっているようないないような大きさだった。

(うーん…気のせいなのかな?…)



「ねえねえ、神社の牛が行方不明って、知ってた?」

休み時間、千晶が絵梨と玲香に話しかけてきた。

「知ってたよ。ママから聞いた」

「あたしは初耳。どうなっちゃうんだろう、御牛様…」

「御牛様が中止だったら夏祭りもつまらないよねえ!」

「なんとか牛が無事見つかるといいね」

絵梨達はそう囁きながら無事祭りが執り行われることを祈る。



3:土曜日

「おっはよー!」

「おはよー絵梨、あれ、それは?」

クラスメイトが、今日も絵梨の鼻を指さした。

「昨日も言ったでしょ、ピアスだよ」

鼻に手をやりながら絵梨はそう答えると、

「ピアスはわかるよ。

 でも昨日と変えてない?」

首を傾げながらクラスメイトが言うと、

「えーっ、変えてないよ」

と絵梨が言うと、

「うっそー!

 それ、ずいぶん大きくなってるよ」

驚きながらクラスメイトは声を上げた。

「…大きい?」

絵梨が改めて手鏡で見ると、

ピアスの直径はすでに5〜6センチほどになり。

昨日と比べても、明らかに大きくなっていた。

(なんだか気味悪くなってきちゃったな…

 外しちゃおうか。
 
 でも、昨日は外れなかったもんな…)

そう思いながら、

「ねえ千晶。このピアスの外し方知らない?」

と尋ねると、

「医者に行けば?」

と彼女はあっさりと答える。

「あっ、今日臨時休業って、貼り紙出てたよ」

思い出したように横から玲香が補足を入れた。

「そうなの?

 明日は日曜で休みだし…
 
 月曜に外してもらうか」

絵梨がそう呟くと、

「うん。そうしなよ、絵梨」

千晶は絵梨のピアスを眺めながらそう言う、

「そうそう。

 神社の牛、まだ行方不明だよね」

頃合いを見計らっていた千晶が話題を切り替えてきた。

そして、

「絵梨と玲香は、あの牛の名前って知ってる?」

と尋ねた。

「知らない」

首を振りながらふたりは口をそろえて答えると、

「御牛様の牛はね、

 “まほらま”って名前なんだってさ。
 
 ママから聞いたんだ」

と千晶が言うと、

「そうなんだ。

 でさ、それ、どういう意味なの?」

絵梨が尋ねると、

「古語で、“すぐれたよい所”って意味。

 まほろばとも同じ意味ね」

えっへん

と威張りながら千晶が説明すると、

「わあすごい、千晶よく知ってるね」

玲香は思わず感心しながら手を叩いた。

しかし、

「何言ってんの玲香、

 それこの間、古文で習ったばかりじゃないの」

と絵梨はすかさず突っ込みを入れた。

「そういえば、あたしたち、こないだ牛に餌あげたことあったよね」

今度は絵梨が話をそらす。

「うんうん。高校に合格したお礼参りで、3人で行ったときだよね。

 神主さんが特別に牛小屋を見せてくれてさ、楽しかった」

そう千晶が言うと、

「あっ思い出した!

 そういえば神主さん、あのとき”まほらま”って呼んでた」

ポン

と手を叩きながら玲香が声を上げた。

「”まほらま”、あたしたちが鼻輪を撫でたら喜んでくれてたね」

「ほんと、いい牛だったよ。体格も良くてさ…

 ”こんどこそ向こうに勝つ”って神主さん言っていたもんね」

「御牛様までに見つかってほしいよね…」

「うん」

そう言いながら絵梨達は神社の方へ視線を送っていた。



4:日曜日−1

(息苦しいな…あと一日の辛抱か…)

絵梨の鼻ピアスは、外れないまま昨日よりも大きくそして太くなっていた。

直径7〜8センチ、太さ5ミリほど。鼻で息をするのも難しいほどだ。

昼過ぎ、

浴衣を着せてもらった絵梨は、待ち合わせ場所の交差点へと向かった。

「千晶、玲香、待った?」

「ううん、今きたところ。

 それにしてもなによ絵梨、そのピアスまるで牛みたい」

あきれながら千晶と玲香が、

すっかり巨大化した絵梨の鼻ピアスを指さしながら言うと、

「牛?それだけは言わないでよぉ」

情けない顔をして絵梨が反論する。

「わかったわかった」

「でもさぁ、浴衣に鼻ピアスは似合わないでしょ」

そう言いながら二人は横目で絵梨を眺める。

「仕方ないでしょ、あと一日のガマンよ

 あっ行こう!!」

絵梨はそう結論づけると、

二人の背中を押すようにして神社の境内へと入っていった。

そんなこんなで3人は夏祭りをじっくりと楽しみ、

そして残すは夕方のクライマックス、

御牛様を残すだけとなった。

すでに、本殿の前には闘牛場が設けられ、

観客席には大勢の地元の人間や観光客が時を待っていた。



「あれえ?御牛様やるんだ?」

人が入っている闘牛場をワタアメを食べながら絵梨が言うと、

「何言ってるの絵梨、あたりまえでしょ?」

と玲香が”何を今更”と言う表情で言う、

「でもさ玲香、

 御牛様の”まほらま”って牛、見つかったの?」

絵梨が肝心なことを尋ねると、

「さっきだれかが見つかったって言ってたよ」

千晶が割り込みながら告げた。

「そっかー、それはよかったね」

安心した表情で絵梨が言うと、

『みなさま、まもなく当神社の神主の手によりまして、

 ”まほらま”が入場されます!』

司会者がマイクで告げると、

パチパチパチ!!

闘牛場を埋め尽くした観衆の拍手が巻き起こる。

すると、

白装束に身を固めた神主が本殿からやぐらの前に現われ、

観衆の前で右手を挙げた。

ザザザザザ…

すると、立ち見の観衆達が絵梨の前でふたつに割れ、通路ができた。

神主はその通路を歩いて、絵梨の目の前へとやってくる。

呆然とする絵梨に神主は告げた。

「”まほらま”、探しましたぞ」

(神主さん?なに?どういうこと!?……うっ、痛い!)

グン!!

神主の言葉と共に絵梨の鼻ピアスがさらに大きくなったのだ。

頭にズンと重みがのしかかり、鼻の穴は今にも裂けそうだ。

鼻ピアスは直径10センチ、太さは10ミリほどの黒光りする鉄に変わっており、

表面には難しい漢字や記号が刻まれていた。

(どうなってるの…?これじゃ鼻ピアスじゃない、牛の鼻輪だ……)



5:日曜日−2

絵梨がそれに気づくと、

「この鼻輪こそ、御牛様である”まほらま”の証…」

神主は、絵梨の鼻輪を手でつかみながら確信する。

「痛い!

 なんであたしが!
 
 人違い、ううん牛違いよ!」

そう叫びながら絵梨は後ずさりすると、

「また逃げるおつもりですか、”まほらま”」

神主は太さ3〜4センチはありそうな綱を取り出すと

それを絵梨の鼻輪に通そうとした。

「痛い、痛い!」

鼻に走る激痛に絵梨は激しく抵抗するが、

グッ

スグにふたりの若い神官が背後から絵梨の体を拘束した。

少女の体ではとてもはねのけられない。

「あたし人間よ!

 小島絵梨よ!
 
 ”まほらま”じゃない!
 
 千晶!
 
 玲香!
 
 ママ!
 
 パパ!
 
 だれか!助けて!
 
 痛い!痛いよー!」

必死に泣き叫ぶ絵梨だが、

しかし、観衆はだれひとりとして反応しなかった。

隣の千晶と玲香も、

少し離れたところにいる勇作と佳枝も、

決して絵梨を助けようとはしなかった。

「”まほらま”準備ができました。

 さぁ、参りましょう」

神主はそう言うと絵梨の鼻輪に結びつけられた太い綱をグイと引っ張った。

と同時に後ろの若い神官が絵梨の体を放す。

「うわっ!」

いきなり強い力で鼻輪を引っ張られたので、絵梨は前につんのめった。

そのとき、絵梨の肉体に異変が始まった。


トスッ

つんのめった両足が一度目に着地する。

その瞬間、両足に履いていた草履が消え、裸足の爪先が地に着いた。

「痛っ!」

(草履が脱げちゃった!)

だが、草履は脱げたのではなく姿を消したのだった。


トン!!

両足が二度目に着地する。

その瞬間、

ビクン!!

両足の爪先が唐突に太く、黒く変化した。

爪がふたつに割れている。

「うっ!」

(あたしの爪先、なんだか変!)

爪先が固くなったためか、絵梨の悲鳴もいくぶん小さい。


トン!!

両足が三度目に着地する。

ビキビキ!!

その瞬間、絵梨の両脚、

いや、下半身の筋肉までもが一気に発達した。

頑丈になった両足は黒い毛で覆われており、

浴衣の下からも黒毛が覗いている。

「うっ!」

(気持ち悪い…お腹が痛い!)

グルグルグル…

絵梨の腹部から音が漏れると、

ググググ…

っと腹部が膨らんでいく。

モコッ!!

一方、浴衣の腰の部分が幾分盛り上がったのは、

しっぽが生えてきたためだ。



ドン!!

両足が四度目に着地する。

その瞬間、絵梨の体の変化は上半身にまで及んだ。

両腕は浴衣が半袖に見えるくらいに伸び、

そして黒い毛が生えてきた。

「ひっ!」

(胸が苦しい!張り裂けそう!)

着地の衝撃がまた大きくなった。

増えた体重を脚が支えきれないのだ。

「”まほらま”相手が待っております」

グィ!!

神主がさらに強く綱を引くと、絵梨の体は上半身から前へと飛び出した。

(こ、転んじゃう!)

そう言う間もなく、

ズゥゥンン…。周囲に土煙があがる。

とっさに両手をついたので、絵梨は胴体を打たずにすんだ。

(立ち上がらないと…)

絵梨は曲げたひざを起こそうとして、ひざに力を入れようとする。

だが、なんだかおかしい。

ひざはすでにピンと張っているのだ。

(…ひざ、曲がってない!?)

今度は、両手と背中に力を入れて立ち上がろうとする。

それも無理だった。

(ひざが曲がらないで両手ついてて…どうなってるの…?)

そのとき絵梨は、自分の視界が変わっていることに気づいた。

首を動かしてもいないのに、斜め後ろにいるはずの若い神官たちまで見える。

(景色が変…魚眼レンズで見たように広いし、それにモノクロだ…)

絵梨は理科の授業で習ったことを思い出した。

馬や牛のような草食動物は

外敵をすばやく見つけられるように視野が広いということと、

色の区別がつかないということを。

(も…もしかしたら…)

絵梨が足下を見ると、

地についた両手はいつの間にかふたつに割れた固いひづめになっていた。

それも、両足と同じように黒い毛で覆われていた。

(ひっ!牛の脚!)

思わず首をそむけようとする絵梨。

しかし、首が思うように曲がらない。

絵梨は落ち着きながら自分の体の状況を整理していくうち、体が震えてきた。

(今のあたしは………まさか…牛!?)

絵梨は悲鳴をあげようとした。

しかし、息を吐き出しながら口を動かそうとしても言葉は出てこない。

代わりに、彼女の喉と口からは信じられないような音が飛び出した。

「……ンンンンモォォォォォォォーーーーーーーーッッッッ!」

自分の発したその音は、自分の姿を確信するに十分だった。

(やっぱり牛……いやあぁーっ!)



そう、両手を地についた瞬間に絵梨の体は完全に黒毛の雌牛になったのだ。

ムキッ

彼女の頭の両側には猛々しくツノが生え、

また着ていた衣服も完全に消滅していた。

ブルン!!

ボールのような乳房が下半身で揺れている。



絵梨は、斜め後ろに千晶と玲香を見つけた。

ふたりはじっと絵梨を見つめていた。

しかしそれは、変わってしまった親友に驚いている目ではなく、

これから始まるであろう闘いへの期待と興奮を向けた視線だった。

ほかの観衆たちにも、人間が突然牛に変わったことに驚く者はいなかった。

(千晶…玲香…。

 だれも、あたしが牛になったのにどうして驚いてくれないの?)



6:日曜日−3

「ムォ、グォ、グヴモォーーー!」

絵梨は自分の姿に動揺して、体を震わせていた。

「これ”まほらま”落ち着きなされ」

神主は今度は絵梨の鼻輪を綱で軽く2回引く。

すると、絵梨の鼻から全身へ新たな刺激が走った。

(はっ!!……あたし、なに興奮しちゃってたんだろう…)

鼻輪を2回引くのは“止まれ”の合図。

牛としてしつけられた”まほらま”の体の記憶が条件反射を起こした。

それと同時に、絵梨の心も”まほらま”の記憶と本能に同化されはじめているのだ。

「”まほらま”…10年待ったあなたの晴れ舞台が待っているのですよ」

絵梨に満面の笑顔を向けながら、神主は彼女の鼻輪を何度も撫でる。

絵梨は安らぎの息をもらしはじめた。

「ムォー……ムォー……」

人間だったときと違って、鼻輪を触られても痛くなく、

くすぐったいような心地よい刺激が体全体へと伝わっていくのだ。

(不思議…

 鼻輪を撫でられると、気分が落ち着いてくる…。
 
 あたし、まるで生まれたときから牛だったみたい…)

「さあ…”まほらま”参りましょう」

神主は絵梨の鼻輪を綱で強く1回引いた。

“行け”の合図が鼻に伝わると、絵梨の脚は自然と前へ動きはじめた。

「御牛様!」

「御牛様ーっ!」

絵梨が神主に引かれて闘牛場に姿を現すと、観衆の拍手は一際大きくなった。



大歓声は、絵梨の人間としての意識を再び強めさせた。

(あたし…ここで御牛様として戦うの……)

そう思ったとき、絵梨の心が激しくぶちきれた。

(人間に戻りたい!

 闘牛なんてイヤ!!死にたくないよー!!)

「ムウゥゥゥゥオォォォォォォーーーッッ!!!」

牛の本能と綱を振り切り、絵梨は人のいないほうへ向けて駆け出した。

「これ、”まほらま”お待ちくだされ!」

神主の叫び声と共に

ザワ…

観衆がざわつきはじめた。



そのとき

のそっ!!

反対側から対岸の神社で飼っている牛…

そう絵梨の対戦相手が闘牛場に入ってきた。

ジロッ!!

血走った目が絵梨を睨み付ける。

ザッ!!

それを見た絵梨は思わず立ち止まってしまった。

(怖い……でも…)

ムラムラムラ…

知れず知れずに絵梨の心の奥に闘志が燃え始めてきた。

「おぉ…相手を見た途端、

 闘志が沸いてきましたか…

 よしよし」

そう言いながら神主が鼻輪に綱を通すと

絵梨の人間としての意識はまた薄れていった。



ドス…ドス…

敷き詰められた砂をけちらせながら2頭の黒山のような牛は

闘牛場の真ん中でにらみ合ったまま動かなくなった。

パシャッ

パシャッ

観客席から一斉にフラッシュが焚かれる。

そしてそれが絵梨の心を再び戻してきた。

(…あっあたし…この牛と闘うの?

 怖い…
 
 でも…
 
 でも…
 
 …闘いたい…)

そのとき絵梨は牛の本能と人の心がミックスした状態になっていた。

「では、始めましょうか」

「えぇ」

双方の綱を持つ神主が頷くと、

『それでは、始めて下さいっ』

司会の声が響くと、

「セイッ!!」

手綱を握る神主の手が絵梨の尻を思いっきり叩いた。

「グモォォォォォ!!」

絵梨は思いっきり雄叫びをあげると、

目の前の牛へと突進していく、

ゴッ!!

角と角がぶつかり合う音が響き渡る。

ゴッ!!

ゴッ!!

音は何度も響くが、

しかし、体格の差のためか、

絵梨は相手の牛を押すことが出来ない。

「ゴモォォォォォ!!」

相手が一鳴きすると、

今度は相手から

ゴン!!

っと絵梨に角をぶつけてきた。

ズザザザザ…

絵梨の身体は大きく後退した。

「グモォォォォォォ!!」

しかし絵梨は臆することなく何度も突っ込んで行った。

それと共に身体の傷が増え、絵梨は満身創痍の状態になっていく、

「ウワァァァァァ!!」

絵梨と牛の死闘を観客席の観客達は興奮を帯びた歓声をあげる。

「行けぇ!!」

「やれぇ!!」

千晶と玲香は我を失って声援を送る。

しかし、それからも絵梨の死闘は延々と20分以上続き、

ブスッ!!

「グォォォォォ」

ついに均衡が破られたのは絵梨の首に相手の角が突き刺さったときだった。

スボッ!!

角が抜けると

ドボドボ…

絵梨の首から血が噴き出す。

「グモォォォォ…」

鋭い痛みに絵梨は思わず悲鳴を上げた。

と同時に絵梨の闘争心が落ち始め、

ついに相手に押し切られると絵梨は闘牛場の中を相手の牛から逃げ始めてしまった。

『勝負あり!!』

すかさず司会がジャッジを入れる。

「ウワァァァァァ!!」

それを聞いた観客席がひときわ大きく歓声に包まれた。

(…あたし負けちゃったの?)

呆然としながら傷だらけの絵梨が佇んでいると、

「頑張った!!

 よく頑張った!!」

神主はそう言いながら傷ついた絵梨の身体の止血を始める。

(はぁぁぁぁ…)

奇妙な安堵の気持ちが絵梨の心を包み込む、

しかし、それは長続きはしなかった。

悠々と引き上げていく相手の牛の姿が見る見る小さくなっていくと、

程なくして紺のブルマに白の体操服が眩しい少女となり2本足で立ち上がった。

(…なんで…)

驚きの目で絵梨が彼女を見つめていると、

ニコッ

少女は鼻のピアスを取ると一瞬の笑みを浮かべ、

バイバイ

と手を振るなり観客の中にその姿を消していった。



そう、あの鼻輪はかつて境界争いをしていた2つの村に

牛の綱引きを提案した高僧が残したモノだった。

高僧は綱引きを提案したモノの、

しかし2つの村には満足な牛は居なかった。

そこで一計を案じた高僧は

それぞれの村の娘二人に小さな鼻輪をつけさせると、

彼女達を牛にしてしまった。

しかもその鼻輪は娘の身体を牛にするだけではなく、

娘達の因果律までも変えてしまうと言うシロモノだった。

そして高僧は

勝てば人に戻れるが逆に負ければ次の機会までの間は牛として過ごさなければならない。

そう娘に言い残すと村を立ち去ってしまったのだった。

こうして、10年に一度、

牛にされた娘達の文字通り命がけの闘いが繰り広げられるようになった。



では、絵梨の場合はどうだったのだろうか?

そう、

実は10年前の闘牛で絵梨の町の牛・まほらまは負け、

そして、”まほらま”にされた少女は10年間牛として飼われてきた。

しかし、祭りの3日前の水曜日、

少女を束縛していた鼻輪が外れ、牛にされた少女は元の姿に戻ることが出来た。

そして、自宅に戻る途中

彼女はピアス大になった鼻輪を道ばたに捨ててきたのであった。



(…そんな勝てば人間に戻れるだなんて…

 そんなこと…先に言ってよ!!)

「ウモォォォォォォ…」

絵梨はこれから10年間牛として生きていかなければならないことに

思わず悲鳴を上げた。

しかし、観衆にとってそれは10年後にリベンジすると言う意味と取っていた。

「ウモォォォォォォ…」

人間として生まれ育ったはずのこの街。

そして、両親、親友、クラスメイト、近所の人など、

思い出深い人たちが並んだ観衆。

それらに見守られながら、

傷ついた身体を労りつつゆっくりと絵梨は闘牛場を後した。

それは次の御牛様が開かれる10年の間、

”まほらま”として生きていくとを意味していた…



7:日曜日−4

熱狂に包まれた御牛様は無事終了して、

観衆たちは三々五々と帰路につく。

勇作と佳枝、千晶と玲香もそれぞれ神社を後にした。



「あなた?どうしたの、その人形」

「射的でな、娘に取ってやりたくなったんだよ」

「何言ってるの?うちには子供いないでしょう」

「…そ、そうだな。俺どうしたんだろう」

「もしかしたら、娘って会社の女の子のことじゃないの?」

「ま、まさか!誤解だよ、佳枝」

「…そうね。あなたはそういう人じゃないものね」



「御牛様、すっごく興奮したね」

「うん、10年前とは大違い!」

「傷だらけの牛を見て大泣きしていた、あのときの玲香とは大違いね」

「もう、千晶のいじわる。

 でも安心しちゃった、大した怪我では無いみたいで」

「けど、残念だったね…」

「大丈夫、今度は勝てると思うよ」

「ところで、ねえ玲香。10年前もふたりいっしょで御牛様を見たよね」

「な、何よいまさら」

「この次の御牛様も、ふたりいっしょに行きたいね!」

「そうだね、千晶!」



おわり



この作品はこうけいさんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。