風祭文庫・獣変身の館






「獣化病」
(第8話:小雪の変身)



作・風祭玲


Vol.1046





とある夏の夕方、

陽が落ちるのに合わせて、

カラン

カラカラカラ

カラン

カラカラカラ

戸に付けられた鈴の音と共に、

引き戸が開いて閉じると、

「ただいまぁ

 ふぅ、暑い暑い」

汗ばむ顎にハンカチを押し当てながら、

半袖Yシャツ姿の男性が帰宅してきた。

そして、

「おーぃ、

 小雪ぃ」

靴を脱ぎながら玄関から続く廊下の奥に向かって名前を呼ぶと、

チリン

小さな鈴の音が響き渡り、

トッ

一匹の白ネコが姿を見せる。

見たところ、

どこにでも居るごく普通のネコ。

そのネコが尻尾を立てながら男性に近づいていくと、

「おーよしよし」

そのネコの頭を男性は愛おしそうに撫でて見せる。

すると、

ゴロゴロゴロ

プルプル

ネコは喉を鳴らし、

立てていた尻尾を軽く揺らしつつ、

体を男性にこすり付ける所作をする。

「そーか、

 そーか、

 一人でお留守番は

 さびしくなかったか?」

そのネコの顔を覗き込むようにして男性は問いかけると、

ニィ

ネコは小さく声を上げて、

スリッ

その顔を男性の頬に触れさせる。

「あはは、

 くすぐったいぞ、

 こいつぅ」

満足げに笑いながら靴を脱いだ男性はネコを抱き上げ、

「新しいネコ缶を買って来たぞぉ!」

と近所にあるペットショップのロゴが入っているレジ袋を掲げて見せると、

「さっごはんにしようなぁ」

の声と共に奥へと消えていった。



どこかの海岸で撮影したものだろうか、

サーブボートを抱えて笑みを浮かべるウェットスーツ姿の女性と、

この男性とのツーショット写真が飾られているダイニングキッチンに

【…打ちました!!

 この当たりは…大きい、

 ホームラン!

 ホームランです!】

興奮口調のアナウンサーが声が響き渡ると

「…今頃、ホームランを打っても遅いわ、ボケ」

などと文句を言いつつ男性は焼き鳥を肴に缶ビールに口を付ける。

そして、男性の足元では、

ネコが静かに小皿に盛られたネコ缶を食べていた。

「ちっ、今日も負けだな、これは。

 まったく、GWの頃には仲良く最下位にいた

 他の2つの球団はいまじゃぁ、首位争いをしている言うのに、
 
 もぅ…」

応援をしている球団の不甲斐なさに男は不機嫌になると、

グィ

残っていた缶ビールを一気に飲み干し、

「さぁーて、

 さっさと片付けて風呂にでも入るか」

の声と共に腰を上げたとき、

ピンポーン!

玄関脇の呼び鈴が鳴る。

「はーぃ」

その音に男性は返事をすると、

「こんばんわぁ」

玄関先に立っていたのは中年の女性だった。

「あっどうも」

「今なら帰っていると思ってね。

 あら、ネコちゃんこんばんわ」

という挨拶を互いに交わし、

男性と女性はアレコレと話し始める、

そして、話が終わりに近づいたとき、

「そういえば、

 あなたの彼女、最近見かけないけど、

 どうしたの?」

男性と同棲しているはずの女性の姿が見えないことを指摘した。

「いや、

 ちょっと、訳ありで…」

頭を掻きつつ男性は返事をすると、

「ケンカ?

 ケンカなら、

 さっさと仲直りしなさいよ。

 遅くなればなるほど仲直りは難しくなるからね。

 そうそう、さっきの話、よろしく頼みますね。

 後で持ってくるから」

と言い残して中年女性は去っていく。

「ケンカですめば、

 苦労しないんだけどね」

女性を見送った後、

男性はネコの頭を撫でながらそう言うと、

「さて、

 遅くなっちゃった」

と言いながら食事の後片付けを始めだした。



「じゃぁな、お休み、小雪」

夜も更けた頃、

毛づくろいをするネコに向かって男性はそう声を掛けると、

寝所にしている部屋へと向かい戸を閉める。

そして、

ニャー

そんな男性をネコはちょこんと座って見送る仕草をするのだが、

男性の姿が消えた途端。

『はぁ!』

突然、ネコは大きくため息をつくと、

『ペットのフリをするのって、

 疲れるわぁ』

と後ろ足で耳を掻きつつ愚痴を言う。

そして、

『それにしても、

 武夫の奴、調子に乗っちゃってさ、

 なにが”じゃぁ、お休みぃ、小雪”よ。

 やってらんないよねぇ。

 かわいいネコちゃんなんて、

 第一、あたしのキャラでもないしさ、

 まったく病気でネコになったからって、

 なんであたしがここまでネコらしくしないといけないのよ』

などと文句を言いつつ、

んしょ

んしょ

ネコは全身を使って器用にテーブル下から椅子を引き出すと、

それを冷蔵庫の傍へと移動していく。

そして、

パタンッ

その冷蔵庫の中から冷えた缶ビールを1本取り出すと、

さらに、男性が食べ残した焼き鳥串を数本持ち出し、

電子レンジへと放り込んだ。

チンッ!

加熱終了の音が鳴り響き渡り、

シュバッ!

それを合図にしてネコはスプーンを梃子の様に使い、

缶ビールのプルタブをあけてしまうと、

トクトク

シュワァァァ

冷えたビールを底の深いネコ皿へを注いでいく、

そして、

ピシャッ!

皿に舌を付けて飲み込んだ途端、

『くぅぅぅぅ!!!

 きくぅぅぅ!!!』

ネコは全身の毛を思いっきり逆立たせ、

『最高の至福ぅぅぅ

 五臓六腑に染み渡るわぁぁ』

と声を上げた。

『では焼き鳥をご相伴に…

 おっとネギは食べちゃいけないんだよね。

 んんっ、

 味は判らないけど、

 んっ、

 噛み応えと、

 匂いだけでもいけるわ、これ。

 串一本でも結構おなかが膨れるわね、

 あぁビール呑み切れるかなぁ…』

深夜のテーブルの上、

デーンと腰を下ろし後ろ足を大きく開いた白毛のネコは、

ビールと焼き鳥で宴会を続ける。

そして、

『あれ?

 ビールなくなっちゃったわね』

ネコ皿のビールが無くなったことに気づくと、

「どうぞ」

の声と共に、

トクトクトク

空のネコ皿に新たなビールが注がれた。

『あら、ありがとう』

礼を言ってネコが皿に舌を伸ばそうとしたそのとき、

「こんな夜中に宴会ですか?

 小雪さん」

と男の声が響く。


ギクゥッ!


その声が響くのと同時に、

ネコの毛が総立ちになり、

『あら、起きていたの、武夫クン』

顔を引きつらせてネコは振り返ると、

「やれやれ困った方ですね。

 最近、ビールや惣菜がなくなることが多いので、

 もしやと思っていましたが、

 僕との約束を忘れてしまったのですか?」

と男性・武夫は椅子を1つ引き出すとそれを跨ぎ、

そしての背刷りに胸を付けながら、

ネコ…いや彼女・小雪と結んだ約束について問いただした。

『別に忘れたわけじゃないわ、

 いっ息抜きみたいなものよ、

 ちょっとぐらい、

 いいじゃない…』

その指摘に小雪はばつが悪そうに返事をすると、

「やれやれ、

 獣化病患者の訓練センターで君はなんて言って

 僕に泣き付いたのか

 覚えていますか?」

と武夫は冷静に尋ねる。

『そっそれは…』

「お願い、

 武夫のところに置かせて、

 武夫の言うことなら何でも聞くから…

 って約束したでしょう」

『うっ』

「僕としては、

 君を飼うことは嫌ではないけど、

 ほら、獣化病に罹った人を毛嫌いする人っているでしょう。

 もし夕方来たあのおばさんに

 君が獣化病に罹ってネコになってしまったことが知れたら、

 ここを追い出されてしまいますよ。

 だからあまり獣離れした行動をして欲しくないんですよ」

と武夫は事情を説明する。

彼の言う言葉一つ一つが小雪の胸に突き刺さり、

『わっ悪かったわよ』

バツの悪そうに小雪は返事をすると、

「とにかく…

 君には”罰”が必要だね」

と武夫は黒い笑みを見せたのであった。



『なっなによっ

 その顔は…』

ネコとしての本能だろうか、

言いようも無い身の危険を感じ取った小雪は

目は縦に細くし、

フッ

毛を逆立て身構える。

しかし、

「何を警戒しているんだい?

 さっき罰といったのはちょっと言い過ぎたね。

 くすっ、

 ご近所の平和のため、

 君に一肌脱いで欲しいんだ。

 大丈夫、

 獣化病のネコでも立派に役立つことを、

 あのおばさんたちに認めてもらわないとね」

黒い笑みをますます黒くしながら、

武夫は手を伸ばし、

小雪の首後ろを鷲づかみにする。

フギャッ!

小雪の悲鳴が部屋に響き渡るが、

その直後、

元人間とはいえ今では体重6kg程度のネコになってしまった小雪は

抵抗をしても軽々と持ち上がってしまう。

『やめて!

 あたしに乱暴をする気?

 エロ同人みたいに!』

「どこで覚えたんだ、

 そんな台詞。

 お前、俺が留守のときネットで遊んでいたろ。

 大体、ネコが主役のエロ同人どんなんだよ」

空中でもがく小雪に武夫は小言を言うと

「さて、君に紹介しよう。

 体重18ポゥンド!

 無頼の佐藤くんだ。

 ちなみに佐藤くんと言うのは

 佐藤君と言う人間がネコになったわけではなく、

 佐藤さん家にで飼われているネコと言う意味で

 僕が名づけた」

と小雪に紹介しつつ、

ゲージに入れられているオスネコを見せる。

『なんかやくざ者みたいでイヤ。

 チェンジ、

 チェンジして』

オスネコを一目見た小雪はそう訴えると、

「ふっ、

 そうは行かないのだよ、

 小雪クン。

 この無頼の佐藤くんはだねぇ、

 季節はずれのサカリがついてしまって、

 佐藤さん家はもとより、

 このご近所の平和と安定を著しく乱しているのだ。

 ご町内の平和のため、

 ここは一肌脱いでくれるよねっ」

武夫は念を押す。

『ひっ、

 イヤよ。

 オスネコとセックスなんてイヤ。

 だっ大体、

 武夫は平気なの?

 あなたの恋人が他の男と肉体関係を持つのよ』

「そんな事言っても、

 普通のネコサイズの小雪と僕とじゃ、

 夜伽なんて出来ないでしょう、

 せめて、君がライオンサイズだったら何とかなっただろうけど」

と武夫は体の大きさの違いを指摘し、

「大丈夫、

 サカリの季節じゃないから子供は出来ないよ。

 僕としては小雪の存在がこの町に必要である。

 とみんなに認めてもらうことが大事なんだよ。

 では、がんばって、

 グッドラック!」

そう言って顔を引きつらせる小雪を

武夫はゲージの戸を開けると、

オスネコが待ち構える中へと放り込んだ。

その途端、

フギャァァァ

ンワァァァア

フギャッ

フギャッ

ンワァァァ

フギャァァァァァ!

ネコの鳴き声と共にゲージが大きく揺れはじめると、

一晩中揺れ続けたのであった。



翌日、

「あらぁ、麻呂ちゃん。

 すっかり落ち着いちゃって、

 やっぱりあなたに預けて正解だったわ」

オスネコを引き取りに来たあの中年女性は、

サカリが取れて温和になったオスネコの姿に涙を流して喜んでみせる。

「いえいえ、

 麻呂ちゃんのサカリが取れたのも、

 小雪のおかげです」

それを聞いた武夫は、

ぐったりと横になっているシロネコ・小雪を手で指すと、

「ありがとうね、

 小雪ちゃん。

 感謝しているわ」

小雪に向かっておばさんは礼を言う。

『ぜっんぜん、良くないわよ。

 もぅ、武夫のバカぁ!

 この恨み、必ず晴らすからね』

痛む体を引きづりながら、

小雪はそう決心したのであった。



おわり