風祭文庫・獣変身の館






「獣化病」
(第7話:瑤子の変身)



作・風祭玲


Vol.811





透き通る空、

青い海原、

白い砂浜、

全く汚れを知らないビーチに、

「あーもぅ、いやぁっ!!」

少女の悲鳴にも似た叫び声が響き渡ると、

「ん?」

周囲のスタッフが一斉に振り返る。

その声に

「どうしたの、遥ちゃん!」

マネージャの篠原武が飛び出すと、

天幕の下へと飛び込んで行く。

「ちょっとぉ!

 篠原さんっ

 いつまでこんな所に居るのよっ、

 あたしもぅいやっ!

 耐えられない!」

やってきた武に向かって、

高橋遥は近くにあるものを手当たり次第に放り投げながら怒鳴った。

「遥ちゃんっ、

 落ち着いて、

 何がいやなのっ

 何が耐えられないのっ」

そんな遥をなだめるように武は話しかけると、

「イヤといったらイヤなのっ、

 こんな暑いだけで、

 何も無い島だなんて、

 あぁんもぅ、

 ショッピングしたい。

 美味しいものを食べたい。

 ゆっくりと遊びたい」

と遥は訴える。


  
「あーぁ、また始まったよ」

「いい気なものだぜ、お姫様はよ」

天幕の下の遥と武のやり取りを聞いていたスタッフ達は

そんな言葉を交わしながら手を動かす。

日本から数千キロ離れたこの島はいまだ夏真っ盛りで、

遥たちはプロモーションビデオの撮影に来ていたのであった。

だが、自然溢れる島=何も無い島という公式どおり、

島にはこれといった娯楽施設や、

ショッピングセンターなどは無く、

半ばそれを目的とした遥にとって

ただ暑いだけの地獄の島と言っても過言ではなかった。



「どこかの財閥のお嬢様だっけ?」

「遊び半分でアイドルだなんて、

 なんかこの世界を舐めきってませんか?」

駄々をこねる遥の姿を見て、

さらに過激な言葉がスタッフの中に沸き起こると、

パコッ!

パコン!

その話をしたスタッフの頭が次々とメガホンで叩かれ、

「おいっ、

 文句がある奴は日本に帰ってもいいんだぞ」

とドスの聞いた声が響く。

「うわっ」

「すっすみません」

その声に皆は一斉に縮こまってしまうと、

ノッシッ

巨漢の監督はゆっくりと身体を椅子に沈め、

「遥ちゃーん、

 準備はおっけー?」

と猫撫声で遥のご機嫌を取る。

「ほらっ、

 遥ちゃん。

 監督さんが呼んでいるよ」

その声を聞いた武は

むくれる遥の耳元で促すように囁くと、

「………」

最初はツンと横を向いていた瑶子かだったが、

チラっ

武を横目で見るなり、

「高くつくわよ」

と告げると、

南国の花を付けた麦藁帽子を手に取り、

羽織っていた薄手のガウンを剥ぎ取ると、

「遥、行きまーす」

の声を残して飛び出していく。

そして、

「まったく、

 世話の焼ける」

そんな遥の後ろ姿を眺めながら武はその場に座り込み、

そして、頬杖をつくと、

「罰が当たっても知らないからな」

と呟いていた。



高橋遥・19才。

いま人気絶頂のグラビア・アイドルの一人。

元・華族という家柄の良さと、

バレエで鍛えた抜群のプロポーション。

そして、わずかに癖のある顔が若い男心を擽り、

彼女の写真集・DVDの売り上げはどれもトップクラスであった。

そんな人気絶頂の遥だが、ある問題を抱えていた。

それは”トップクラスのワガママ娘”であること。

裕福な家庭で過不足無く育ってきたためか、

一目見て欲しいと思ったものは

それを手に入れなければ気が済まさず。

お決まりのブランド品はもちろん、

ドラマで競演をした男性タレントから、

CMに出た子犬まで、

「欲しい」

という言葉が遥の口から出た途端。

ブランド品ならコンテナを押さえて最高の品を選りすぐり、

交際相手が居る男性タレントなら相手の女性を脅して別れさせ、

買い手がついている子犬なら、大金を積んで手を引かせる。

だが、それらの苦労も手に入れるまでの話。

手に入れるまでは散々尻を叩いておきながら、

一度でも自分のモノにした途端、

瞬く間に遥の心から執着心が消え、

「ありがとう。

 もぅ要らないわ…」

と遥は放り出してしまうのであった。

まさに人気絶頂をかさに着たやりたい放題。

そして、それによって起きる数々のトラブルもまた、

金の力で全て闇に葬っているのである。



そんな遥と遥のご機嫌を取る取り巻きの姿に、

武は危惧を抱いていた。

そして、

「だめだ、

 このままでは遥ちゃんは…」

恵比須顔の監督の前でおどけてみせる遥の姿を見ながら手を握ると、

「そうなる前に僕が…

 やっぱり僕が
 
 僕の手でこんなことは終わりにしないと」

そう呟きながら武はケータイを出し、

あるところにメールを打ち始めた。



南の島での撮影はそれから1週間ほど続き、

成田に降り立った遥の後ろには、

山ほどの買い物袋が積まれていたのであった。

「やぁ、遥ちゃん。

 今回の買い物…

 あぁいや、撮影はいかがでしたか?」

待ち構えていた芸能レポーターが遥に群がり、

遥の口からスキャンダルの種を得ようとしてくる。

だが、

「あーっ、

 ちょっとぉ、

 遥ちゃんは帰ったばかりで疲れているの、

 話は事務所を通してにしてください」

すかさず武は割って入り、遥を先に行かせる。

バタン!

リムジンのドアが閉まると、

「ふぅ…」

遥はようやく落ち着いたのか、

深呼吸を一つすると、

今回の撮影後に買ったウミガメのヌイグルミを取り出し抱きしめる。

「そのヌイグルミ、

 飛行機の中でも抱いていたけど、

 気に入ったのかい?」

そんな遥を見ながら武は話しかけると、

「なによっ、

 別にいいでしょう?」

と遥は言い返した。

「そういえば遥ちゃんって、

 大好きな動物ってウミガメって言っていたよね」

遥の態度を気にせずに武は話を進めると、

「ちょっとぉ、篠原さん。

 あなた、あたしのマネージャの癖に

 あたしがウミガメが大好きなの知らないのぉ」

と呆れた口調で言うと、

「いやぁ、

 ごめんごめん」

武は軽い口調で謝った。

ところが、

「ムッ」

そんな武の態度が気に入らないのか、

遥の口元がへの字の曲がると、

「もぅあなたの顔を見たくないわっ

 このクルマから降りなさい!」

と命令をした。

「え?

 ここでって、

 ここ、高速道路だよ、

 勝手に降りては叱られるよ」

遥の言葉に武は言い返すと、

「ちょっとっ

 あたしに歯向かう気?」

赤い顔をしながら遥は武に迫るが、

「はっはっはっ」

次第に息苦しさを感じてきたのが、

無意識に胸に手を置くと、

「息が…

 息が…

 くっ苦しい…」

と言いながら崩れるようにして倒れこんでしまった。

そして、

「はっ遥ちゃん?

 ちょっとぉ!

 運転手さん。

 大急ぎで病院に!」

それを見た武は顔を青くしてそう叫ぶと、

リムジンは高速道路から降り、

近くの病院へと直行して行ったのであった。


ドタドタ!

「おいっ、

 遥ちゃんが倒れたってぇ?

 篠原っ、

 お前は何をしていたぁ」

トップアイドルの突然の知らせに、

事務所の社長である大木戸をはじめ大勢の人が病院へと押しかけ、

武の襟首を掴みあげた。

すると、

「しゃっ社長!

 落ち着いてください。

 それと、静かにしてください」

武は声を絞るようにして声を上げると、

「そうですよ、社長。

 ここは病院です」

と秘書の中井が注意をする。

「ちっ、

 で、どうなんだ、

 我らの遥ちゃんの容態は…」

その注意に大木戸はドカっと椅子に腰掛け

遥の状態を尋ねた。

だが、

「最悪です。

 遥ちゃんは獣化病に罹っていたのです」

と武は残念そうに呟いた。

「うそっ」

「ぬわにぃ!」

それを聞いた全員が顔を青くすると、

「いやぁぁぁぁ!!!!

 そんなのぉ!!!」

病室から遥の悲鳴が響き渡った。

「遥ちゃん!!」

それを聞いた大木戸は病室に駆け込もうとするが、

「社長っ、

 入ってはダメです。

 入ったら社長も隔離されることになります」

と武は警告をした。

「隔離だとぉ!

 隔離が怖くて社長が出来るか!」

警告した武の襟首を再び掴み、

大木戸はそう怒鳴るが、

「社長、篠原さんの言うとおりです。

 あなたが隔離ということは、

 撮影スタッフも…ですか?」

と中井が尋ねると、

「えぇ、

 みんな収容施設のほうへ行きました。

 僕もこれから向かうことにします」

武はそう返事をし、

「社長もすぐにここから離れたほうがいいです」

と告げると、

チラリ…

面会謝絶が掛かる病室を見る。



獣化病…

主に10歳から30歳前後の若い女性が掛かる伝染性の病気である。

原因となるウィルスは発見され、

そのウィルスによって体細胞の遺伝子が書き換えられることにより、

その姿が著しく変化してしまう病気のことである。

伝染の力は弱く致死性は殆どないものの、

発病した殆どの患者が人の姿から動物の姿へと変化してしまうために、

変化後の自分の姿に絶望し、

自ら命を絶つケースが多々報告され、

カウンセリングが重要視されている病気である。

なお、男性も感染はするものの発病をするケースは極めてまれである。



「いやぁぁぁ…

 いやぁぁぁ…

 あたしが獣になってしまうだなんて…

 そんなのいやぁぁ…」

その頃、病室の遥は忍び寄ってくる病魔の影に震えていた。

メリッ!

ミシッ!

獣化病を発病した途端、

遥の身体は変化をし始め、

手の甲や肘、

そして脚など身体の先端部分で顕著な変化を見せていた。

「やめて!

 あたしの身体を変えないでぇ

 まだ、

 まだ、やることがいっぱいあるんだから…」

次々と抜け落ちてくる髪を掴みあげながら、

遥は訴えるが、

だがウィルスは非情に遥の身体の遺伝子を書き換えて行き、

その肉体の変化を後押しして行く。

次の朝には歯が抜け始め。

遥の頭から髪が消えたのはその日の夕方のことだった。

自慢のキメの細かい肌を引き裂く様に、

細かい皺が幾重にも走っていくと、

肌から柔らかさが消え、

硬い皮膚が遥の身体を覆い始めていく。

「うぐぐぐぐ…」

4日目には男達を魅了した顔はゆっくりと尖り始め、

口元は耳へと切れ込んでいく。

そして、

背中の皮膚がさらに硬くなっていくと、

メリッ!

5日目の夕方。

それを突き破るようにして、

硬い甲羅が飛び出した。

「ぐぉぁ、

 ぐぉぁ」

背中から甲羅を突き出した遥は、

声にならない声をあげながらベッドの上を動き回り始め、

硬い皮膚に覆われた手足が萎縮を始めると、

それぞれ大きなヒレ足に変化し、

7日目には遥は大好きだったウミガメへと変化してしまったのであった。



ウミガメへの変身が終わり、

身長1mほどの大きなウミガメになってしまった遥はそのまま、

自立のための訓練センターへと送り込まれ、

ウミガメとして生きていく術をそこで身につけさせられることになった。

『いやっ、

 水には入りたくない!!』

最初は水に入ることを嫌がっていた遥だったが、

半ば強制的にウミガメの泳ぎ方。

餌のとり方。

さらに、本物の雄のウミガメとの交尾の方法や、

産卵方法までもレクチャを受けさせられると、

次第に遥はカメとしての自分を受け入れ始めたとき、

遥が泳ぐ水槽に複数の人物が姿を見せた。

「本当にこのカメがそうなのか?」

泳ぐ遥を指差しながら男の声が響く。

『!!っ、

 社長!』

その声に遥が男達の姿を映すガラスに寄っていくと、

「なんていうことだ…

 あの高橋遥がこんなカメになってしまうだなんて…」

と泣き崩れ始めた。

『社長!

 聞こえますか、

 あたしの声が…

 社長!』

そんな社長に遥は幾度も呼びかけるが、

「仕方がない、

 遥は引退だ。

 いいか、決してカメになったことを公表するなよ、

 ウチの信用にかかわるからな、

 忘れさせるんだ。

 いいな、高橋遥という者ははじめから居なかったのだ。

 ビデオも写真集も回収するんだ。

 そして、代わりの…

 そうだな、美杉が丁度いい、

 美杉望を大々的に押すんだ」

と矢継ぎ早に指示を出すと、

大木戸は足早に立ち去って行く。

『あっ…

 待って、

 あたしのあたしの話を聞いてください』

去っていく大木戸に遥は幾度も呼びかけるが、

その声に足を止める者は誰一人としていなかった。

『そんなぁ…

 あたしがはじめから居なかっただなんて…』

水槽の中をユラユラと泳ぎながら遥は呆然としていると、

また別の男の影がその前に立った。

『あっ、

 篠原さん!!』

それを見た遥は縋る思いで声をかけると、

「やぁ、遥ちゃん。

 すっかりカメさんになってしまったね」

と武は声をかけた。

『篠原さんっ

 あっあたしの話を聞いてください』

そんな武に遥は必死に呼びかけると、

「遥ちゃん、

 先日、君のご両親に会ってきたよ、

 君の発病を何よりも残念がっていてね。

 でも、自宅でウミガメを飼う気は無い。

 希望する水族館があれば譲る。

 と念書を書いて僕に渡してくれたよ、

 さっき社長も着たみたいだけど、

 はっきり言おう、

 君はなにもかも無くしてしまったんだよ、

 グラビアアイドルとしての栄光も、

 良家のお嬢さんとしての生まれも、
 
 全てを捨てて、

 これからは一匹のウミガメとして生きるんだな」

と遥に告げた。

『そんなぁ、

 篠原さんっ、

 お願いです。

 あたしの話を聞いてください!』

武に向かって遥は叫ぶと、

ドンッ!

武は水槽の壁を叩き、

「いいかい?

 みんなはもぅ君の事を忘れようとしている。

 何でか判るかい?

 君はあまりにも我侭すぎたんだよ、

 ただ、君の傍に居れば仕事にありつけるから居ただけだ、

 もぅ少し、みんなの痛みが判っていれば

 こんなことにはならなかっただろう、

 明日にはここを出所だって聞いた。

 もし、今日中に君を引き取る人がいなければ…

 遥ちゃん。

 君は海に放されることになる。

 こんなことは普通無いそうだけど…

 まぁ君のことだ。

 きっと生きていけるだろう。

 じゃな」

一方的に武はそういうと、

『待って!

 待ってください!』

叫び続ける遥の元から去っていった。



「ねぇ、篠原さん。

 ここって獣化病の人の訓練をするところでしょう?

 誰か獣になってしまったんですか」

待たせてあったタクシーに武が戻ると、

席に座っていた美杉望が不安そうに尋ねた。

「ん?

 あぁ、ちょっとな、
 
 運転手さん、出してください」

戻ってきた武は返事をはぐらかして、

運転手にそう告げると、

タクシーは訓練センターから離れ、

「さっそれよりも今日のスケジュールだけど…」

と今日からマネージャを担当する望にスケジュールを伝え始めた。

一方、

『みんな…

 どこに行っちゃったの?

 あたしはここよ、

 ここにいるのよ、

 早く迎えに来て…

 お願い…』

一人取り残された遥はいつまでもそう呟いていたのであった。



おわり