パラ… パラ… 「ふーん」 壁に大きく掛かる新体操選手のポスターの下。 トレーナー姿のわたしはうつ伏せになりながら ベッドの上でレディスファッション雑誌を眺めていた。 「そろそろ秋物も買わないとねぇ」 机の上に置かれた卓上カレンダーを横目にページを捲っていくと、 いきなり様々な動物が掲載されているページが姿を見せた。 「あらまぁ、 これにも獣化のファッションが掲載されるようになったかぁ」 感心しながらそのページをわたしは眺め、 「なになに ”カエルになってしまったあなたに、 カエルで使えるウィッグ…” ”サメなあなたに、サメ肌を隠すファンデーション10品” ”ワニだって口を小さく見せたい??”」 と紙面に書かれている記事をつい読んでしまう。 「いやぁ、 動物になっちゃったら、 お化粧なんて諦めるんじゃないかな? 普通…」 記事に思わず突っ込みを入れつつページを捲っていくと、 「!!っ」 あるページの広告に思わず手が止まってしまった。 『あなたもバストアップにチャレンジしませんか? 特製ヨーグルトを食べるだけで、 3cmアップぅ?』 大書きの煽り文句を眺めつつわたしは驚きの声を上げた。 わたしの名前は三島摩耶 名門、白薔薇学園高校の3年生であり、 そして、新体操部のキャプテンである。 新体操。 それは女性が持つ全ての能力を使って美を競う、 まさに女性のための競技。 わたしはその新体操の魅力に惹かれ、 そして、青春の全てを注ぎ込んで身体に磨きをかけてきた。 だが、そんなわたしに強力なライバルが現れたのであった。 無論、この競技を続けていく上でライバルは幾らでも居るし、 居たほうが技に磨きが掛かるというものだけど… 「ふむっ」 記事の衝撃度に大げさに驚いたみたものの、 でもあまりにも怪しすぎる。 ヨーグルトを食べるだけでバストがアップする。 しかも脅威の3cmだ。 3cm… わたしにとってはまさに喉から手が出るほど欲しい数字である。 実を言うと新体操部は既に引退モードに切り替わっているのである。 部の活動は既に後輩達が仕切り、 わたしは肩書きだけのキャプテン職。 レオタードを着て、 手具を操り、 眩しい照明の中を舞い踊るのは進学後までお預けである。 ボトン! そんな音ともにわたしの競技人生に時間が出来てしまった。 いや、その時間を次の晴れ舞台のために備えて 己を磨くのが筋ってものである。 わたしもそう思う。 けど、わたしに与えられたこの時間は悪魔が囁くのに十分すぎる時間である。 バストの3cmアップ。 現在のバストサイズは新体操をする上では極めて都合が良いのだが、 だけど女性として見ると貧弱すぎる。 わたしも女である。 ツンと胸を突き出しながら颯爽と風を切り、 愚かな男どもの視線を釘付けにしたいものである。 もし、いまのわたしにこの3cmが加えられたとすれば… ”勝てる!” 新体操で磨きを掛けてきたこの肉体に、 3cmのパストアップのオプションが加わるのである。 ”勝てる! アイツに…” 3cm程度なら進学後の競技生活にはさほど支障はなさそうだし、 その一方で女性らしさをグーンとアップ出来る。 ”勝てる! わたしこそ女王!” まさに悪魔の囁きである。 ふと横を見ると、 山羊の角を頭から伸ばし、 蝙蝠の羽をパタパタと羽ばたかせながら、 醜顔の悪魔がわたしに向かってオイデオイデをしている。 「くっ、 誰がそこに行くかっ! たとえ貧乳でも悔いは無い!」 居もしない悪魔に向かってわたしは声を上げるが、 でも、身体はそんなわたしの意思とは裏腹に、 悪魔の腹の中に据えられているパソコンを立ち上げ、 広告に書かれている通販サイトにアクセスを始めていた。 「やめろっ! わたしは、 わたしは、 たかが3cmではないかっ やめるのだ。 3cmごときで! このようなことを」 心の中であたしは声を張り上げる。 すると、 「なにマジになっているの? たかがヨーグルトじゃないっ」 という声が響いた途端、 「あれぇぇぇぇ!」 あれほど反対をしてたあたしは遠い世界へと消し飛び、 同時に カチッ! あたしはヨーグルトの購入ボタンを押してしまっていた。 代金引換でヨーグルトが届けられたのはそれから3日後、 「ありがとうございましたぁ」 宅配のお兄さんがさわやかに去っていくと、 わたしの手にはヨーグルトが入った箱が乗せられていた。 「毎度ありがとうございます。 当牧場自慢のナチュラルヨーグルトです」 謝辞を述べる紙一枚と 厳重に温度管理とパッケージされたヨーグルトが5つ箱の中に入っていた。 早速、一つを食べてみる。 ジワッ ヨーグルトを掬ったスプーンを舌の上に置いた途端、 口の中にさわやかな牧場の景色が広がっていく。 「この豊穣な香りと、 滑らかな舌触り、 うーむ、 女将っ 女将はおるかぁ!」 思わず美食家で著名な陶芸家の口癖があたしの口からもれ出てしまうと、 瞬く間にヨーグルトを平らげてしまった。 そして、二個目に手を伸ばすが、 「うーん、 残りは明日にしよう 一個の場合の効き目も見たいし」 とその手を引っ込め残ったヨーグルトを冷蔵庫に仕舞った。 翌朝、 ベッドから飛び起きたわたしはメジャーで胸を計った。 ジリ…ジリジリ… メジャーのメモリを慎重に見ながら動かしていくと、 「おっ!」 なんと1cmバストが増えているではないかっ。 リンゴーンッ! リンゴォン! 頭の中に祝福の鐘の音が響き渡る。 1cm! そう、たったの1cmである。 でも、わたしにとってはまさにルビコン川を越えたのである。 ノルマンディーの上陸である。 イケイケゴーゴー目指すはベルリンである。 「ふはははははははは!!!!!!」 すかさずベッドの毛布をマントのようにはためかせながら、 わたしは勝利の雄叫びを上げていた。 そして、その日、 レオタードを身につけたわたしは 誇らしげに胸を張って見せたのである。 「どうだ、 小娘どもよっ 昨日までのわたしとは違うのだよ」 わたしはわざと胸を強調して見せるが、 だが、わたしの身体に起きた革命に気付くものは誰も居なかった。 世の中、そんなものである。 真の改革者とは常に蔑まれているのである。 しかし、わたしは諦めない。 そうだ、わたしにはまだヨーグルトは4つもあるのだから… 2つ目のヨーグルトを食べた翌朝、 わたしのバストは2cmになっていた。 1個食べて1cmのアップ、 5つ食べれば5cmのアップ 当初のノルマである3cmは余裕で達成できるが、 でも、何かだまされたような錯覚に陥る。 「こんなものかなぁ…」 メジャーを机に置き、 わたしは少しガッカリしていた。 だが、3つめのヨーグルトを食べた翌朝、 「うっそぉ!」 わたしのバストは4cmアップしていたのであった。 これはまさに垂直立ち上げ。 さらに4つ目を食べると、 ユッサッ ついにわたしはたわわに実るバストを得ることが出来たのだ。 「うわぁぁぁ ちょっとこれは大きすぎたかなぁ…」 体の動きにあわせてユサユサと動くバストにわたしは少し焦った。 わたしは新体操選手である。 身体を磨き競技に命を懸ける新体操選手である。 その新体操選手がユサユサ揺れるバストを持つことは、 あまり好ましいものではなかった。 「ちょぉぉっと、 いくらなんでも大き過ぎるよねぇ… こじゃぁ体重調整大変だなぁ…」 女性として憧れのバストを手に入れたのと同時に 己の浅はかさを後悔をしていた。 そして、5つ目のヨーグルトを手にしたとき、 「そうだ、 これ、 坂田さんにあげよう」 と考えが頭の中をよぎった。 坂田優香。 わたしの1年後輩であり、 そして、わたしの強敵である。 そう、冒頭で告げた強力なライバル。 それが彼女である。 幸いにも同じ学校の同じ新体操部で汗を流してきたので、 彼女が私の前に立ちはだかることは無かったが、 でも彼女の新体操センスは抜群で、 ゆくゆくわたしの新体操人生を脅かす存在でもあった。 だが、しかし。 わたしは白薔薇学園高校・新体操部を率いるキャプテンである。 間もなく始まる大会に調整をしている後輩のために 一肌脱がなくてはならない立場なのである。 わたしは涙を飲んでお昼のあと、 このヨーグルトを彼女に差し上げた。 「キャプテン、とっても美味しいです」 そう言いながら見せた彼女の笑顔がいつまでも輝いていた。 「はぁ… なんか終わったな…」 大会前日の夜。 わたしはベッドの上で意味も無くそんなことを考えていた。 別に全てが終わったわけでもない。 わたしの人生はまだまだ続くし、 選手生命も尽き果てたわけでもない。 でも、なにか終わったような… そう祭りのあとに感じる気だるさを感じていた。 「あーだるい…」 そんなことを言いながらわたしは ゴロンゴロンとしていると、 体がだんだん熱くなってきた。 「何かしら、 やたらと暑いなぁ」 火照ってきた顔を鬱陶しく感じながら、 エアコンのスイッチを入れるが、 それでも、体の火照りは治まらない。 「もぅ!」 なかなか治まらない火照りに苛立ちながら、 わたしがそう呟いたとき、 メキッ! 変な音ともに目の前の左手の甲が盛り上がった。 「え?」 手の甲が盛り上がる。 そんな非現実なことが起きたことに、 わたしは目を丸くしながらも 盛り上がった手を見るが、 だが、幾ら目を擦ってみても、 それは現実のことであった。 「なっなにかしら?」 原因不明。 意味不明。 理解不明。 ”不明”の文字がわたしの頭の中を埋め尽くしていく。 すると、 メキッ! 今度は右手の甲が持ち上がった。 「おっ」 左右両方の手が仲良く持ち上がり、 わたしは思わず両方を見比べた。 「うん、左のほうがちょっと大きい…」 こんなとき何でそんなことを比べてしまったのか、 わたし自身良くわからない。 でも、そのときは確かにわたしは手を見比べていた。 すると、 モリモリモリ!! 臍の下、 女の子にとって大事なところで近くで何かが盛り上がり始めると、 瞬く間にシャツを持ち上げ、 ボロンッ とそれが飛び出してきた。 「えっ、 なにこれぇ?」 肌色の塊… いや、良く見ると縦に並んだこげ茶色のものが2列になって4つついている。 ますます意味不明だ。 「一体わたしの身体に何がおきているのだ?」 困惑しつつも、 わたしは起き上がると、 両親のところに行こうとした。 だが、立ち上がった途端、 わたしは強烈な眩暈に見舞われ、 音を立てながらその場に倒れてしまった。 何がおきたのか判らない。 ただ言えることはわたしはそのまま気を失ってしまった。 ということだった。 目が覚めるとどこかの病院だろうか? 点滴の管がわたしの視界に入った。 『ちっ、 貧血で病院に担ぎ込まれたとは、 部員に笑われるな』 あくまでもわたしは新体操部のキャプテンである。 そんなわたしが貧血ごときで倒れ入院したとなれば末代までの恥。 スグに立ち上がって… としたが、なぜか体が思うように動かない。 そして何よりも、 「んもぉぉぉ んもぉぉぉ」 とわたしが口を開けるたびにウシを思わせる啼き声が響くのである。 何が起きたんだ? わたしはどうなっているのだ? 妙に広く見える視界の中、 わたしはそう考えていると、 一人の男がわたしの横に立った。 『おっ、 白い巨塔っ』 その男を見てわたしはドラマの題名を思い浮かべる。 年齢は30前後、 ちょっとアウトローっぽい出で立ちながらも 白衣に聴診器を見せつけるように着こなし わたしは医者です。 とさりげなく自己主張する男をわたしは見上げていると、 「三島摩耶さん」 男は静かに話しかけてきた。 『ハイ、なんでしょう』 その言葉にわたしはそう答えるが、 「もぉぉぉぉ〜っ」 わたしの口から出た言葉はウシの啼き声。 『一体何なのよっ!』 思わずそう怒鳴りたかったが、 「もぉぉぉぉ!」 またしてもウシの啼き声が響くと、 わたしは口を開くのを諦めた。 すると、 男はわたしの首筋に手を載せ、 「無理に言葉を言おうとしなくてもいいですよ。 心の中で話しかければわたしに聞こえますから」 と告げる。 『え? それってテレパシー? まさか、 わたしとあなただけの秘密の回線が出来てしまったの?』 男性のその言葉にわたしは驚きドキドキするが、 「もぉぉぉっ」 わたしの口から出るウシの啼き声が全てを台無しにする。 『もぅっ!』 なかなか思うように進まない事態にわたしは苛立ってくると、 「すみませんが、 麻耶さんにはいま自分がそのような姿になっているか、 それを見てもらいます」 クールな横顔を見せながら男性はそういうと、 わたしの周囲を看護士達が集まり、 そして、わたしの身体を起こし始めた。 ”え? ちょっと” 突っ張ったままの手と足が床に付くと、 ズシッ! 体重が掛かるのと同時に肘と膝が折れ、 わたしはその場に蹲ってしまう、 すると、 「脚に力を入れて立ってください」 と男性はアドバイスをする。 『そんなこと言っても 立つってどうやって』 わたしは困惑しつつも、 グッ 手を脚に力を入れたとき、 『あれ? わたしの手が…』 そう、わたしの手は手でなくなっていて、 黒い蹄が2本飛び出し、 その周りを乳白色の毛が多い尽くしている脚になっていたのであった。 まさに青天の霹靂。 『なっなにこれぇ』 右も左も同じような蹄をもつ脚になっていることに、 わたしは悲鳴を上げると、 「判りましたか、 麻耶さんあなたは獣化病と言う病気に罹ってしまったんです。 そして、あなたの身体はウシの姿になってしまったのです」 と男性は説明し、 わたしの斜め横にキャスター付きの鏡がすえられた。 『うそぉ これがわたし?』 鏡に映るのは紛れも無い一頭のウシだった。 身体を覆う白黒斑の毛。 頭から伸びる二本の角。 お尻からは長く伸びる尻尾がビュンビュンと動き、 脚を折りたたんでペタンと座るその姿は… どこかの焼肉屋の看板に使われている姿。 いや、そのマンマであった。 『これがわたしぃ? これが… 白薔薇学園高校・新体操部キャプテンのわたしの姿ぁ?』 首を振って見ると同じように首を振ってみせるウシの姿を眺めつつ、 わたしは悲鳴を上げ、 そして、 脚を震わせながら立ち上がると、 カツン カツンカツン 蹄の音を鳴らしながらわたしは鏡へと寄っていく、 そして、 『いやぁぁぁぁ!』 わたしは絶叫をしたが、 「んもぉぉぉぉぉぉぉ!!!」 響いたのは声ではなく、 またも同じウシの啼き声だった。 家族の話によると 倒れてから4日間もわたしは気を失っていて、 その間にわたしの変身はあらかた終わってしまったそうだ。 原因は… わたしが通販で買ったヨーグルトに 獣化病のウィルスが混入していたらしい。 とのこと 『え? じゃぁ、坂田さんは?』 わたしはヨーグルトをあげたことを思い出すが、 そのとき遅く、 坂田さんは新体操の大会の最中に発病してしまい、 馬に変身してしまった。と言う事を聞かされたのであった。 『あちゃぁ、 まずいことをしちゃったな』 後悔先に立たず。 わたしの不注意で後輩を一人、 人の道から外してしまったことを悔やむが、 だが、悔やんでなんかいられない。 そう、わたし自身も獣に、 ウシになってしまったのだから、 病による変身が完了すると、 わたしは隣のリハビリセンターに送られる。 そこでは、ウシとして草の食み方、 反芻の仕方、 そして、たわわに膨らんだお乳からミルクの搾乳と、 盛りだくさんのカリキュラムがわたしを待っている。 ここを卒業すればわたしは一人前のウシとなるのだ。 はぁ 名門・白薔薇学園高校3年、 新体操部キャプテンのわたしが、 一人前のウシになるために草を食み、 反芻をして、そして乳を絞られる。 たった3cm、 たった3cmバストを増やそうとしただけなのに。 何でわたしはウシにならなくてはならないのか… 理不尽だ。 納得がいかない。 謝罪と賠償を… とはいってももはや後の祭りである。 わたしを引きとてくれるという牧場が見つかったそうだ。 恐らくそこでウシとしての人生… いや、牛生を送ることになるであろう。 ウシという生き物は早くは走れない生き物である。 これまで、全力疾走してきた分、 ウシらしくノンビリ過ごそうと思う。 『はぁ… 今となっては懐かしき、 白薔薇学園高校・新体操部。 みんなわたしのことを覚えてくれさえすれば、 わたしは満足です』 そう呟きながらわたしは牧場行きの荷台に乗せられる。 と同時に ドナドナ…♪ 近所にある幼稚園から縁起の悪い歌声が響いてきた。 『まったく、 縁起でもない』 響き渡る歌声に向かって、 「んもぉぉぉぉっ」 わたしはひと啼きしてみせると、 ガタンッ! わたしを積んだトラックは荷台を揺らしながら走り始めた。 牧場での生活。 それは白薔薇学園高校・新体操部キャプテンの肩書きを持つわたしにとって、 極めて退屈な毎日であった。 だが、そんな日々は長くは続かなかった。 新入りがきたのである。 聞けばあたしと同じ学校で新体操をしていたとか。 それを聞いたあたしはピンと来た。 そして、一頭の馬がこの牧場に到着し、 オドオドしながら歩き始めた。 そんな馬めがけてあたしは近寄っていくと、 『あら、遅かったのね。 もぉーっ 待ちくたびれたわよ』 と話しかける。 その途端、 『え? その声は… きっキャプテン?』 馬はわたしを凝視すると、 『いやぁ… まさかバストアップを謳ったヨーグルトに 獣化ウィスルが混ざっていたとはねぇ』 そんな馬に向かってわたしが事情を話した途端、 『え? いまなんて? まさか、これって全部キャプテンの…』 と馬は目をまん丸にする。 『そんな目で見ないでよ、 もぅ、お互い動物なんだからさぁ』 わたしは罪悪感をあまり感じさせない口調でそういうと、 「んもぉぉぉぉ〜っ」 ととぼけたようにひと啼きして 大きな乳房を揺らしながら歩き始めた。 そして、去り際に 『そうそう…知ってる? あなたの親友の楠田智子さん。 彼女も大変みたいよぉ…』 と彼女の親友の身に起きた異変について言うが、 どうやらその声は届いては無かったようだった。 この牧場に白薔薇学園高校・新体操部の面々が揃うのも、 時間の問題か… おわり