風祭文庫・獣変身の館






「獣化病」
(第2話:安恵の変身(後編))



作・風祭玲


Vol.0768





脱皮の毎に人ではなくなっていく安恵…

どんなに不安なんだろうか、

どんなに心細いのだろうか、

そんな安恵を俺は支えてあげないと、

安恵が残していた痕跡を見つめながら俺は決心すると、

「会います」

と返事をした。

「判りました。

 ではお会いさせましょう。

 いま横田さんはお食事中です。

 しっかりとその目でご覧になってください」

看護師は言い、

俺を部屋から隣の部屋へと連れて行く、

そして、

ドアを明けた途端

部屋の中を漂う血の臭いと、

クチャ

クチャ

と響く粘り気を帯びた音が俺に襲い掛かってきた。

「うっこれは…」

思わず怯んでしまうと、

「変身途中に方はカロリーを使うため、

 とても大喰らいでして、

 それと横田さんは新鮮なお肉でないといけませんので」

と看護師は説明をしながらドアを閉め、

目の前のカーテンを一気に開いてみせる。

すると、

「うっ!」

俺の目に飛び込んできたもの…

それは無機質なコンクリの床の上で

一抱えもある巨大な生肉に全身で巻きつき、

大きく開いた口で頬張っているヘビの姿だった。

まさに衝撃の光景だった。

ヘビは褐色に艶かしく光るウロコに覆われた体を小刻みに動かして、

生肉を開いた口中に押し込む動作を幾度も続ける。

そして、俺の目の前で生肉を平らげてしまうと、

ピュロッ!

ピュロッ!

っと先が割れた舌を幾度も伸ばしながら、

ヘビはトグロを巻きなおし、

瘤が盛り上がった流線型の頭を持ち上げると左右に振ってみせる。

「お食事が終わりましたか、

 横田さん」

ヘビに向かって看護師はやさしく声を掛けると、

ピュロッ!

生き物は舌を伸ばし、

差し出した看護師の手を舐めてみせる。

「横田…って、

 これが安恵なのか」

完全なヘビとは言い切れないその眺めながら俺はそう呟くと、

「はい、

 この方が横田安恵さんですよ」

と看護師は紹介した。

「やっ安恵…」

舌を動かしつづける生き物に向かって俺は恐る恐る声を掛けると、

「彼女の聴力はヘビと同等に退化しているので

 あなたの声は届きませんし、

 視力もあまり良くはありません。

 ヘビは臭いと熱でしか見ることができません。

 さっ、安恵さんに向かって手を伸ばしてください。

 彼女、あなたの臭いは忘れまい。と頑張ってきたのですから」

と看護師は言う。

「頑張って?」

その言葉に俺は聞き返すと、

「見れば判りますが、

 横田さんは脱皮の毎に頭が小さくなって居るんです。

 この瘤もあと3回目の脱皮までには無くなってしまうでしょう」

で言いながら安恵の頭に大きく突き出ている瘤を撫でて見せた。

「きっ記憶を無くしているのか」

「記憶もそうですが、

 複雑なことを考えることが出来なくなっている。

 と言った方がいいかもしれません。

 知能は確実に下がります。

 人間並みの複雑な作業が出来なくなる。と言うことでして、

 日常生活では物忘れが多い程度ですし、

 本物のヘビと比べれば知能は天と地ほどあります」

と説明をする。

話の区切りを見計らってか、

スルスルスル…

ヘビは巻いていたトグロを解き、

音を立てずに安恵は這いながら俺に近づいてくる。

その身長は正確には判らないけど、

3mはあると見ていい。

そして、俺のそばに来たとき。

ピュロッ

ピュロッ

ピュロッ

まるで確かめるかのように

舌を俺の体に触れさせると、

程なくして頭を上げて俺の手の甲に頭の瘤を押し付ける仕草をして見せた。

と同時に、

『…篤志?』

安恵の声が俺のスグ耳元で響いた。

「え?」

その声に俺は左右を見るが、

だが、何所を見ても安恵の姿は無く、

『…ねぇ、あたしの声聞こえるの?』

とまたしても安恵の声が響く。

「安恵?

 どうやって話しているんだ?」

ピュロッ!

瘤を押し付けている蛇の頭を眺めながら俺は問い尋ねると、

『篤志ぃ

 会ってくれてありがとう。

 あたし、こんな姿になっちゃった…』

と安恵の声が響く。

「そっそうか…

 これが…

 安恵…なのか」

そう思いながら俺はヘビを見ると

ピュロッ

ピュロッ

瞬きをしない目が俺を見詰めている。

『ねぇ、

 あたしの食事ってどうだった?

 この間、川原で見せたときよりも上手くなっていると思うけど』

と安恵はあの葦の中で見せた時の事と比較してみせる。

「あっあぁ…

 あの時よりもヘビらしく食べていたよ」

答えに困りながら俺は感想を言うと、

『ありがとう…

 こうやって頭をくっつけるとお話が出来るらしいの、

 ほらあたしってもぅ人の言葉を話すことが出来ないでしょう』

「そうか」

『そうだ、

 ねぇ、篤志に見て欲しいの、

 いまのあたしの体』

安恵はそう言うと、

スルッ

頭を俺から離し、

俺の足元に落とす。

そして、

グリンッ

体を回転させ白い腹を俺に見せた。

確かに、

こうしてみると安恵はヘビと言い切ることが出来ない体をしていた。

萎縮し切れない脳を収めるために瘤がある頭。

人間の歯が残る口。

そして下に視線を移すと、

頭から長く伸びる首の下には左右に突き出す瘤があり、

その瘤よりさらに伸びる人差し指ほどの突起が蠢いている。

一方、瘤の下は樽のように膨張し。

あばら骨であろうか、

規則的に並ぶ凹凸の筋がウロコ越しに見て取れる。

そして、その下はさっきの生肉が入っているのか、

長く引き伸ばされた部分が更に大きく膨らみ、

その膨らみの下、

胴体のほぼ真ん中の位置にも平べったく出っ張った瘤があり、

その瘤にも上の瘤よりも太いながらも突起が突き出している。

「これってもしや…」

体の上下左右4箇所から出ている突起を見た俺は

それが彼女の手足の痕跡と思いつつ視線を動かしていくと、

瘤より下はスーッと途切れていく尾が伸びていた。

生肉を丸呑みし、

トグロを巻けるなど

まさにヘビのようではあるが、

しかし、”ヘビ”と言い切ってしまうにはいささか酷で、

人間がら手足を無くし、

褐色のウロコを貼り付け、

そして無理やり引き伸ばしたような姿。

と表現が正しいかもしれない。

「ご覧の通り、

 安恵さんのこの首の下の瘤は肩の名残でして、

 そこから伸びるこの突起は萎縮した腕です」

と看護士は突起を指差し俺に説明をすると、

「そっそうですか…」

俺はそう返事をするだけだった。

「そして、この下で膨らんでいるのは胸です。

 ヘビの肺は一つしかないため、

 このように膨らんでしまっていますが、

 片方の肺が萎縮してしまえば他のヘビと同じ様に細くなります。

 そして、この括れはウェストですが、

 さっきの食事のためにご覧の通り大きく膨らんでしまっています。

 ウェストの下の膨らみとこの突起は腰と脚の名残でして、

 脱皮でこれらは消えてなくなります」

と看護士は続けて安恵の体について説明した。

そのとき、

『篤志ぃ、

 ごめんね。

 こんなことになってしまって…

 篤志…なにか喋っているの?

 よく聞こえないの。

 姿もはっきりと見ることが出来ないし、

 ただ、そこに看護士さんとは違う、

 光る何かが立っているのが見えるのと、

 そして、匂い…で篤志が居るのがわかるの。

 でも、どうしよう、

 あたし、もぅ…篤志のお嫁さんになろうと思ったのに、

 告白しようと思ったのに』

と安恵の涙ぐんだ声が耳元に響く。

「だっ大丈夫だよっ

 俺が…」

その声に向かって俺はそう言い返すが、

しかし、ヘビとなってしまった安恵を見るうちに、

その先の言葉が出てこなかった。

すると、

『あっ』

安恵の身に何か起きたのか、

彼女の体がビクッと震えた。

「かっ看護師さん…」

それを見た俺は慌てると、

「5回目がきたのね」

看護師は冷静な口調で安恵に話しかけた。

そして、

「判っていると思うけど、

 今度の脱皮はあなた一人で行いなさい。

 誰も手助けはしません。

 あなたが一人で皮を裂き、

 そして古い皮を脱いでいくのよ。

と安恵の瘤に手を置いて諭すように言う。

コクリ

その言葉が通じたのか、

安恵は静かにうなづくと、

スルスルスル

さっき食事をした場所へと貼っていくと、

その場で体を捩るような動きをはじめだした。

「変態中のいまは毎日のように脱皮をするけど、

 本物のヘビに変身してしまったら、

 脱皮は年に2・3回しかしないの。

 本物のヘビは生まれたときから脱皮を経験しているから、

 脱皮を失敗するモノは居ないけど、

 病気で途中で爬虫類に変身してしまった場合、

 そんな経験を積むことが出来ないから、

 訓練をするのですよ」

と俺に説明をする。

「うっうん」

目の前で始まった安恵の脱皮、

5回目となるこの脱皮が終わった時、

安恵は自らの力で脱皮を成し遂げてしまう。

そうなったら安恵は安恵でなくなってしまう。

人としての安恵の痕跡は探しても見つからなくなるかもしれない。

そうなったら…俺は

そんなことを思っていると、

ピシッ

褐色のウロコに覆われた安恵の背中が割れ、

その中から白いながらも模様を持った新しい皮が姿を見せる。

「背中が裂けたわ、

 さぁ、頑張って」

背中が裂けた安恵に向かって看護士はハッパをかける。

すると、それに応えるように、

背中の裂け目は頭へと伸びて行き、

ズルッ

瘤がこれまでより小さくなった頭が飛び出した。

そして、

ズルズル

ズルズル

それに続いて這い出してくる安恵の体は、

更に細身が増し、

肺の膨らみは潰れ、

肩の跡の瘤、

腰の瘤、

脚の名残、

などの人間・安恵の名残も一層の萎縮が進んでいた。

ヘビに…

ヘビに…

ヘビに…

安恵はヘビへと確実に進化している。

いやだ…

いやだ…

こんなの嫌だ!

ヘビになってく安恵は安恵じゃない。

ただのヘビだ…

脱皮をする安恵の姿に嫌悪感を持った途端、

うっぷっ

俺は強烈な吐き気をもよおした。

そして、

「うげぇぇぇ!」

ついにその場に嘔吐してしまうと、

『篤志…

 まさか吐いたの。

 あたしの脱皮に吐いたの?』

人間以上に臭いに敏感な安恵の声が俺の脳裏に響いた。

「なんで、安恵の声が…」

思いがけない彼女の声に俺は驚くと、

「いけない。

 すぐにここを出ましょう…」

看護士は俺の傍によってくるなり。

俺の手を引いた。

その途端、

ブワッ

押し込めていた俺の感情があふれ出てしまうと、

「うわぁぁぁぁ!」

悲鳴をあげて部屋から飛び出してしまったのだ。

最低だ。

まったく最低な男だ…俺は…



この騒ぎの後、

俺は反省文を書かされると、

当分の間、この病棟への立ち入りは禁止された。

無理も無い、

あれだけの騒ぎを起こしてしまったのだから…

そして、安恵の容態についてだけど、

俺が嘔吐してしまったことがショックだったらしく心を閉じてしまうと、

翌日に6回目、

その翌日に最後となる7回目の脱皮すべてを一人でこなし、

安恵はアミメニシキヘビへと変身し、

全てを終えた。

もぅこの世に安恵は居ない。

かつて安恵だったヘビが居るだけだ。



変身が終わった安恵は退院し、

本人の希望で病院に併設されているリハビリセンターで

自然界の中でアミメニシキヘビとして生きていくための

捕食訓練を受けていることを聞かされた。

そして、

「あなたの態度から、

 彼女はヘビとしての自分を拒否されたと思い込んでいます。

 そして、自分を一匹のヘビとして身体だけではなく、

 心もヘビとなろうとして苦しんでいるのです。

 早く彼女の心を溶かしてあげないと

 取り返しのつかないことになってしまいます」

と安恵の面倒を見ていた看護士は俺に告げる。

「そんなことを言っても…」

リハビリセンターの脇で俺は頭を抱えていると、

カポン

カポン

蹄の音が俺に近づき。

ブルルルルッ

すぐ傍で鼻が鳴った。

「え?」

その音に俺は顔を上げると、

ヌッ!

白く大きな馬の顔が俺に迫り、

ジッと見詰めていた。

「うわっ!」

突然の事に俺は思わず声を上げてしまうと、

『くすっ、

 とっても驚きやすいんですね』

と女性の笑う声が響いた。

「え?

 え?」

その声に俺はキョトンとしていると、

『この間は弟がご迷惑をおかけしました』

と声が響き、

目の前の白馬が頭を下げる素振りをする。

「弟?

 あぁ、あの時の…」

その声に俺はハタと手を打ち、

名刺をくれた少年の事を思い出す。

『はじめまして…

 まだお名前を聞いていませんでしたね』

そんな俺に向かって声は挨拶をすると、

「え?

 あぁ、俺ですか?

 木村篤志って言って大学生です」

と俺は自己紹介をした。

『私は坂田優香。

 白薔薇学園高等部2年でしたが、

 でも、もぅこの身体では学校に戻ることは出来ないでしょう』

声はそう告げると、

ブルル…

目の前の白馬は少し寂しそうな目線をした。

「そうですか…

 で、僕に何か…」

白馬に向かって俺は用件を尋ねると、

『いえ、

 弟の話し相手になっていただいたお礼を…

 と思いまして…

 実は弟はあたしが馬になってしまったことを

 非常に嫌がっていたんです。

 あたし、実は人間だった頃、

 新体操をしていたんです。

 で、発病したときはその大会の真っ最中。

 これって最悪でしょう?

 しかも、病気が進行が非常に早くて、

 大勢の人が見ている前で馬の姿になりかかってしまって…
 
 そんなあたしの姿を目の当たりにしたんでしょう。

 あたしのことを”お姉ちゃんじゃない。”って泣いてしまって』

と声は経緯を説明する。

「そうですか…」

それを聞いた俺は彼女が背負っているものの重さを感じ取ると、

正面に立つ白馬を見る。

すると、

『ただ、変身が終わっても大変でした。
 
 あたしの自宅では馬となったあたしを置いておけるような場所は無く、

 また、みんなの目の前で変身を始めてしまった手前、

 どこか遠くに行かされることになったのです。

 それで、両親がいろいろ掛け合って、

 牧場で乗馬の馬としてお世話になることになり、

 それで、ここで人を乗せて歩く訓練を受けていたのです。

 ただ、心残りは弟のこと…

 あたしはなんとか弟と仲直りが出来ないか、

 いろいろ試してみたのですが、

 弟は馬となってしまったあたしを許せないらしく、

 心を開いてくれませんでした。

 そんな時、あなたに出会ったのです。

 あなたはヘビになってしまった恋人のことを大切に思っていること、

 そして、彼女といつまでも一緒に居ることを弟に話してくれたのです』

と声は俺に言う。

「そうか…

 じゃぁ、あのとき…」

俺はトイレで少年が見せた表情の意味を探ると、

『あなたに会ってから弟は変わりました。

 馬になってしまったあたしを毛嫌いしなくなり、

 そして、うふっ

 あたしの世話もしてくれるようになったのです。

 これも、すべてあなたのお陰です』

と声は俺への感謝を口にすると、

2度3度、白馬は頭を下げる。

「そんな…

 俺はただ…」

白馬に向かって俺は頭をかきながら、

「ただ、

 俺の本音を言っただけですよ」

と言った時、

「!!っ

 俺って…

 あの時、弟さんに言ったことをちゃんと実践したか?」

とあの時の自分の振る舞いを思い出した。

安恵だって自分の脱皮を見られたくは無かっただろう。

でも、それを見せることで俺にヘビとして生きてゆく自分を

受け入れてもらいたかっただろう。

なのに、俺は…

安恵が消えていくそんな幻に惑わされて、

最悪のことをしてしまった。

「何をやっているんだよ、俺は…

 あれじゃぁ、

 安恵は傷つくだけだ」

自分の頭を幾度も叩き己の非を認めると、

「ありがとう、

 君に言われて大事なことを忘れていたよ」

そう白馬に話しかける。

『どういたしまして、

 安恵さんはあなたを待って居ますよ』

と言い残すと、

カポン

カポン

蹄を鳴らしながら去っていった。

「え?

 ちょっと待って、

 君は安恵のことを…」

それを聞いた俺は慌てて去っていく白馬を呼び止めようとするが、

ヒヒンッ!

白馬はひと啼きしただけで尻尾を振りつつ去っていった。



「すみませんっ、

 あのっ

 面会をお願いしたいのですがっ」

スグに俺はリハビリセンターの窓口に駆け込み、

安恵への面会を求める。

そして、

「こちらでお待ちください」

と通された面会室は調度品は何も無く、

また窓も無い鉄製のドアがあるだけの部屋で、

明るい明かりの下、

俺はフローロングの床の上に胡坐をかいて座り込んでいた。

「ここで、いろいろあったのかもしれないな…」

見た目は掃除が行き届きゴミ一つ無い部屋だが、

壁に残る無数の引っかき傷を見詰めながら、

俺はこの部屋で起きたであろう、

様々な出来事を思い浮かべていた。

程なくして、

ガチャッ!

閉じていたステンレスのドアが開くと、

「お待たせしました」

の声と共に台車が部屋に入り、

その上に巨大な麻袋が口を閉じた状態で載っていた。

「いっ!」

ジャングルなどで捕獲したヘビをこのような麻袋に入れて、

保護をするシーンをTVなどで見てきた俺は、

いきなり目の前に現れた麻袋に驚くと、

「よいしょっ」

係員の掛け声と共に麻袋は床に置かれ、

シュルッ

口を閉じている紐が解かれる。

「誓約書にも記していましたが、

 この部屋の状況につきましてはビデオ撮影はしていますが、

 もし、ここで何かが起きたとしても我々は何もいたしません。

 くれぐれも不測の事態に陥いる事だけはなさりませんように」

係員は事務的な口調で俺に言うと、

「では、失礼します」

一礼して係員は台車と共に去って行き、

ガシャンッ

鍵がかけられたこの面会室は俺と麻袋だけが残っていた。

「さて」

意を決した俺は麻袋を見つめると、

モゾッ

モゾモゾッ

生き物のように麻袋が蠢く。

もはや、人間としての扱いではない。

一匹の動物。

一匹のヘビとしての扱いである。

蠢く麻袋に近づき手を当てると、

「この間はごめんな…

 安恵…」

と謝るが、

「………」

無論、返事は返ってこなかった。

その代わり、

ピュル

ピュル

開かれている麻袋の口から何かが盛んに出入りをし、

そして、

ヌッ!

尖った顔のヘビが顔を見せると、

スル

スルスル

ウロコに浮かぶ見事な網目の紋様を見せながら

アミメニシキヘビとなった安恵が麻袋から這い出てきた。

「安恵…」

もはやこのヘビのどこにも人間・安恵の痕跡を見つけ出すことは出来ない。

頭の形、

スタイル、

動き、

いまは3mほどの安恵はアミメニシキヘビのなかでは小さな身体かもしれないが、

でも、事情が知らない者から見れば、

立派な猛獣であるに違いない。

音も無く部屋の中を這いずり回る彼女を横目に見ながら、

「なぁ、聞いてくれないか」

と話しかける。

しかし、

『………』

安恵は相変わらず返事をせずに、

ただ、這い続けるだけだった。

「安恵、

 俺の話を聞いてくれよ」

一瞬動きを止めた安恵に向かって俺は手を伸ばし、

そして、そう話しかけたとき、

クッ!

一瞬、

彼女の体がSの字状に曲がったかと思った次の瞬間、

ヒュン!

安恵は俺に向かってジャンプをすると、

ドンッ

一気に押し倒し、

シュルルルル

「え?

 うわぁぁぁぁ!!」

その勢いのまま俺の体に幾重にも巻きつき、

強烈な力で締め付け始めた。

ギリギリギリ!!

「ぐわぁぁぁ!!」

全身の骨を砕くかと思うほどの

強い力で俺は呼吸をすることが出来なくなってしまった。

「や・め・る・だ」

絞るように俺は声を上げ、

彼女を振り解こうするが、

しかし、

ギュウウウウ…

締め付ける安恵の力の方が遥かに勝っている。

「くっそぉ!」

口から泡が吹き零れ、

次第に意識が遠のき始めたとき、

『…きらいよ、

 …きらいよ、

 …篤志なんて大嫌い』

泣き叫ぶような安恵の声が聞こえてきた。

「安恵…」

『なんで篤志は人間で居られるのよ、

 なんであたしはヘビにならないといけないのよ。

 あたしだって好きでヘビになったわけじゃないわ。

 それなのに…

 それなのに…

 篤志の、

 篤志のバカ!』

初めて聞く安恵の心の叫びだった。

それを聞いた途端、

「悪かったよ、

 お前、勇気を出して俺に脱皮を見せたんだろう。

 それなのに俺ったら…

 でも、唯一つ言わせてくれ、

 俺はお前が脱皮して、

 消えてなくなってしまうような気がして怖かったんだよ…」

と叫びに向かって話しかけた。

すると、

『うるさい、

 うるさい、
 
 うるさーぃ』

の声と共に

ギュッ!

安恵の体に更に力が入るや、

「ぐわぁぁぁ」

俺を更に締め上げた。

「くぅぅ…

 このままじゃ…」

まさに生と死の境目、

「安恵…

 いっいい加減に…

 ん?

 これは」

前もってヘビの体を勉強してきた俺は、

安恵の首から胸・腹を覆っている腹板と呼ばれる短冊状の肌が

右手の指先を境にして変化していることに気づくと、

イチかバチかの勝負に出た。

「このぉ!」

腕にありったけの力を込め、

グググッ

安恵の束縛を押し始める。

そして、

わずかに余裕が出来た右手の指先を動かすや、

その腹板をめくり上げると、

中に指を突っ込んだ。

その途端

『!!!』

安恵の体が即座に反応し、

『あぁぁぁぁ』

悲鳴にも似たあえぎ声が響くと、

スルッ!

俺を締め付けていた束縛が外れていく。

その機を逃さず左手で安恵の頭を抑えると、

力を入れることが出来ない彼女の体を大きく捻じ曲げ、

足を使って素早く体の動きを封じてしまった。

こうして安恵は俺の下で蠢くだけになってしまうと、

腹板の中に押し込んだ指を小刻みに動かしながら、

「おいっ安恵っ、

 ここってなんて呼ぶのか知っているか。

 総排出口って言うんだ。

 ヘビって大変だな、

 おしっこの穴、お尻の穴、子供を生む穴が一つになっているんだから」

と安恵の脳天に響くように話しかける。

『やっやめて…

 そこに指を入れないで』

蠢く安恵は懇願してくると、

「指じゃなければ何を入れるんだよ、

 オスヘビのチンポかぁ

 そうだな、お前はメスヘビだっけな。

 ここで訓練してもらって自然界で生きていくんだろう。

 薄暗い草の影でじっと身を潜め、

 通りかかったネズミなんかを食べるんだろう。

 お前、そんなことできるのかよ。

 身を潜めているだけならいいけど、

 サカリのついたオスヘビに絡まれたらどうするんだよ、

 オスヘビに巻きつかれ、

 この穴にヘビチンポを突っ込まれ、

 半日以上、ひたすらセックスだ。

 しかもオスヘビは生まれながらのヘビだから、

 お前を思いやる…なんて器用な真似は出来やしない。

 自分の精を流し込み、卵を生ませる。

 生き物の生存理由を純粋に実行するだけ。

 人間みたいに余計なことは一切考えない。

 頭がヘビ並みに小さくなっても、

 人間の感情を消せないお前がそれに耐えられるのか?

 さぁ、どうするんだよ、安恵」

俺は両手で安恵の頭を掴むと、

見開いたままの目を見据えて問いかける。

すると、

安恵の体が小刻みに震えはじめ、

『そんなこと言っても…

 じゃぁあたしはどうしたらいいのよ。

 手も無いし、

 足も無い、

 臭いと熱さを頼りに

 長い体をくねらせて

 ただ地面を這い回るだけ、

 そんな姿にされて、

 どうやって人間らしい生活なんて出来るのよ』

と呟く 

「だから俺がいるだろうが、

 いいか、

 よく聞け。

 俺はお前がどんな姿になっても離さない。

 たとえ、ヘビになってもだ」

抑えている頭に向かって怒鳴ると、

『……』

安恵の体の震えはさらに大きくなり、

ついに

『うわぁぁぁぁん』

俺の脳裏いっぱいに安恵の泣き声が響いた。

そして、

『あたしだって、怖かったのよ。

 脱皮をするごとに人間じゃなくなっていくし、

 難しいことを考えることが出来なくなってくるし、

 あたしがあたしでなくなっていくのが怖かったのよ。

 だから、篤志に脱皮を見てもらいたかった。

 あたしを理解してくれるって信じていた。

 だけど、篤志はそんなあたしを拒んだわ。

 だから、

 だから、心もヘビになろうとしたの。

 でも、ヘビにはなりきれなかった。

 好きな人が居るのに、

 ヘビになんてなりきれるわけじゃないじゃない』

俺に向かって安恵は自分の気持ちを告白すると、

『うわぁぁぁん』

また泣き声が響いた。

すると、涙が出るわけの無い、

安恵の見開いたままの目の周囲から水が湧いてくると、

ウロコの皺に沿って広がり始める。

「安恵…

 お前…

 涙を流しているぞ」

それに気づいた俺がそのことを指摘すると、

『なんのことよ、

 ヘビが涙を流せるわけ無いでしょう』

と否定する。

しかし、

「嘘なもんか、

 ほら、お前はまだ涙を流せるんだよ。

 その舌先で確認しろよ。

 涙を流せる。

 姿形は限りなくヘビになってしまったけど、

 安恵、お前はまだ涙を流せる人間なんだよ」

掬い上げた涙を、

彼女の舌先に触れさせながら

そう言い聞かせた。

『これって、

 本当にあたしの涙なの?』

「あぁそうだよ」

『本当に本当?』

「俺が嘘をついてどうする」

『あたし、

 まだ涙を流せるんだ。

 体、ヘビになっちゃったけど、

 まだ流せるんだ』

自分が涙を流せることを安恵は自覚すると、

『あたし、

 ヘビじゃないんだ』

と喜びの声へと変わって行く。

そして、

『嬉しい!』

の声と共に、

スルスルスル

また俺の体に巻きついてくる。

「うっ…

 重い……」

気が張っていたせいか、

さっきは気がつかなかったけど、

いまははっきりと重量を感じることが出来る。

「安恵…

 お前太ったか?」

つい女性に向かって言ってはいけない台詞を

俺は口にしてしまうと、

その途端、

『しっ失礼ねっ

 そんなに太って居ませんっ』

と安恵の怒鳴り声が俺の耳元で響いた。

「いやっ太った。

 お前、ヘビになってから食ってばかりだろう?

 この間、丸呑みしてた生肉、

 結構でかかったし、

 いくら変身でカロリーがいると言っても、

 運動をおろそかにしていると、

 それこそツチノコになってしまうぞ」

そう指摘すると、

スルル…

安恵は俺の首周りに巻きつき、

そして、ウロコを光らせながら、

『ねぇ、それ以上何かを言ったら、

 この場で首の骨、砕くからね』

と警告をする。

「ほーぉ、

 出来るのか?

 そんなこと…

 俺を殺したら困るのは安恵じゃないのか」

彼女の脅しには動ぜずに

俺は目の前で舌を出し入れしている顔を撫でてみせると、

パタ

安恵は俺の背中に頭をつけ、

『ねぇ、

 あたしとセックスしよ』

と話しかけてきた。

「え?」

『さっき、指を入れられて感じちゃったの、

 ねぇセックスしよ。

 あたし、篤志の子供を生みたいの』

「えーと、

 お断りします。

 と返事をしたら?」

彼女の申し出に俺はそう返すと、

スルスルスル

ぎゅぅぅぅ!

安恵のウロコが一気に動き、

俺を締め上げる。

「ノー!

 ノー!

 ノー!」

彼女の体を叩いて、

ギブアップをする仕草をして見せると、

『さっきの話は嘘だったの?』

と安恵の声が響いた。

「嘘じゃないって、

 ただここはそういうことをする場所ではありません、

 監視カメラも動いているんだから」

俺は今いる場所のことを指摘する。



程なくして訓練過程全てを終えた安恵はセンターを退所することになったが、

しかし、アミメニシキヘビとなってしまった彼女にとって

人間社会の中で行く当てと言ったら俺の所しかなく、

身元引き受けの念書に記名・捺印の上で

センターの窓口で俺は安恵が入った麻袋を引き取った。

その後、安恵から彼女の家族親戚一同より

縁切りされてしまったことを伝えられたが、

実は彼女が退所する前日、

はじめて会った安恵の両親から幾度も頭を下げられたことは

しばらく伏せておこうと思う。

一方、俺の親はと言うと…まぁケ・セラ・セラで行こう。



人間とヘビ、

12時間にも及ぶセックスは

人間である俺にとってまさに苦行と言っていいかもしれない。

「はぁ…

 終わった…」

終わったのを確信した俺は、

巻きついていた安恵の体を解くと、

彼女は満足げに身を横たえる。




「なんだよ、

 終わった途端、

 寝てしまったか、

 それにしても、

 総排出口の感触って、

 変な感じだよなぁ…

 オスヘビってあれで満足しているのか?」

と俺はついさっきまで自分のシンボルを包み込んでいた、

総排出口の感触を思い出しつつ、

長時間に及ぶセックスで赤く腫れてしまった、

シンボルをいたわる。

そして、

「しかし、

 子供って生まれるのかな?

 卵で生まれてくるのかな?

 いや、そもそも、

 子供って出来るのか?

 人間とヘビだぞ」

と首をひねりながら、

俺は寝ている安恵に視線を落とすと、

安恵がヘビの身体になってしまったことを改めて実感するが、

でも、人間だろうがヘビだろうが安恵は安恵、

二度と離さまい。と俺は心に誓っていると、

『何を見ているの?』

と安恵の声が響く、

「いや、

 ちょっと考え事していたけど、

 なぁ、これからどうするつもりなんだ?」

と今後について尋ねた。

こうして人間とヘビが一緒に住むといっても、

ヘビとなった安恵にとって

人間としての生活は無理なのは判っているし、

それに元が人間だと言っても

ヘビを拒絶してしまう人は幾らでもいる。

そんな不安を抱きながらの質問だったが、

『うん、

 この身体ではもぅ看護士の仕事は無理だけど、

 でも、東南アジアの方でね、

 伐採で荒れたジャングルを回復するプロジェクトとがあるのよ。

 そこなら、このヘビの身体も役に立つんじゃないかなと思ってね』

と安恵はそう返事をすると、

ピュロッ

舌を出して見せる。

「そうか、

 その手があったか…」

それを聞いた俺は何とかなるかもしれないと思うと、

「じゃぁ、俺も応募してみようかな」

と呟いた。

すると、

『あれ?

 そういえば

 就活、どうしたのよ?』

安恵が聞き返してきた。

「獣化病のキャリア経験者は遠慮して欲しい。

 ってお返事をいただきました。

 別に感染した訳じゃないのに、

 なんか、そんな情報が出回りまして、

 えぇ、全滅ですとも…」

涙を流しながら俺は

自分が置かれている状況を説明した。

『あらまぁ…』

そんな俺の返事を聞いて

安恵は他人事のような返事をすると、

「おいおい、

 少しは同情してくれよぉ」

『さぁ?

 あたしはヘビ頭だから、

 難しいことは判りませーん』

「ったくぅ、

 どこがヘビ頭だ…

 まっ、というわけで

 俺も安恵と一緒に行くことにしたから」

彼女の頭を撫でながら言うと、

『いいけど、

 苦労するわよ』

と声が響き、

「それはお互い様だよ」

と俺は言う。



東南アジア某国

ザァァァァァ…

降り注いだスコールが止むと、

ザザザザ…

天高く枝を伸ばした木々が葉に残った水を一斉に振り落とし始めた。

「ひゃぁぁぁ!!」

そのシャワーに俺は報告書を書いていた手を止め、

上着とズボンを脱ぎ捨てテントから表に飛び出すと、

思いっきり汗を流し始めた。

「はぁ、
 
 蒸し暑いのは叶わないな」

日に焼けた肌を晒し、

伸び放題の髭を掻きながら俺は上を眺めていると、

『ただいまぁ!』

の声と共に

ヒュンッ!

木の上から何かの塊が降って来ると、

ドサッ!

俺の真横に落ちちた。

「うわっ、

 脅かすなよっ

 俺が驚きやすいのは知っているだろう」

落ちたものに向かって俺は怒鳴ると、

ピュルルル

ピュルルル

忙しく舌を出し入れしながら、

4m近くに成長したアミメニシキヘビが顔を上げると、

シュルルルル

俺の身体に絡みつき、

『今日の雨はこれで終ね、

 匂いで判るわ』

と俺に囁く。

「そうか、

 俺の作業も終わりにするか」

ヘビの頭を撫でながら俺はそういうと、

抱き上げテントへと戻っていく、

「今夜は寝かせないぞ」

『それはあたしの台詞、

 もぅはやく…してよ』

「はいはい」

こうして俺たちは足掛け12時間以上、

深く愛し合ったのであった。

「子供できたらどうしよう」

『大丈夫!』



おわり