風祭文庫・獣変身の館






「獣化病」
(第1話:安恵の変身(前編))



作・風祭玲


Vol.0766





それは良く晴れ渡ったとある秋の休日のことだった。

「明日、西口改札の待ち合わせコーナーで11時…」

昨日約束したこの時間に間に合うよう俺は仕度を整え、

しかも待ち合わせ時間の20分前にはこの場に到着していたのだが、

しかし、待ち合わせ時間は当の昔に過ぎ去り、

改札前の時計は午後1時を指していた。

「遅いっ!

 いつまで待たせるんだ」

苛立つ俺はその気持ちを抑えるかのように

取り出したタバコを咥えるとそれに火をつける。

そして、羽織っているジャケットの内ポケットより

ケータイを出して開いては情報を確認する動作を繰り返していた。

「くっそう、

 着信は無しか。

 まさか忘れているのかな、

 いやいや、

 待ち合わせ場所と時間を指定してきたのは向こうだし。

 何かあったのかな…

 いや、

 急に行けなくなる事情が出来たのなら、

 真っ先に連絡があるはず。

 あいつはそっちは几帳面だから、

 仕方が無い、直接掛けてみるか、

 いや、

 それはしないでくれ。

 って言われていたっけ、

 あぁもぅ、

 面倒くせー!

 こう言う中途半端な状態が、

 ヘビの生殺しみたいで一番イヤなんだよ」

さすがに堪忍袋の緒が切れてきたのか、

ケータイをいじりながら俺は愚痴を言い続ける。

「落ち着けぇ

 落ち着けよ、俺ぇ。

 こんなことで苛立ってどうする。

 これはプレイだ。

 俺がどこまで心が広いかを試すための試験だ。

 大丈夫。

 まだ、大丈夫。

 うん、絶対大丈夫だ」

込みあがってくる感情を押し殺しつつも。

俺の指は記録してある電話帳からある番号を探し当て、

そして、その番号に電話をかけようとしたその時、

「篤志ぃ〜!」

俺の名を呼ぶ女性の声が響くと、

「ごめん。

 遅くなっちゃった。

 待ったでしょう」

と言う言葉が続いてきた。

まさに”待ち人来る。”である。



「遅いぞ、

 どれだけ人を待たせるんだ。

 電話の一本ぐらい入れろ」

声がした方を向き、

そして、走り寄ってくる女性に向かって

俺は反射的にそう怒鳴るが、

すぐに出掛かっていた言葉を飲み込んでしまうと、

「って、

 何だ、その格好は?」

と驚きながら俺のところに来た女性・安恵を指差した。



紹介が遅くなってしまったが、俺の名前は木村篤志。

現在就職活動真っ最中の21歳、

某大学工学部に在籍している。

一方、この女性・横田安恵は隣町の病院で看護士をしている。

年齢は俺よりも上の23歳である。

大学生の俺がなんで看護士の女性と知り合ったか?

それはまぁ、大人の事情というか。

飛び出してきた猫を避けようとして、

乗っていた自転車もろとも用水路にダイブしたこととは

無論無関係ではない。



「やっぱ、このメガネおかしいかな?」

俺の指摘に安恵は掛けているメガネの弦に

両手の指を当てて見せると、

「いや、おかしい。

 おかしくない。

 じゃなくて、

 安恵、

 お前、眼鏡掛けていたっけ?」

と普段眼鏡なんか掛けてない彼女が

いきなり眼鏡を掛けて来たことを指摘した。

「うっうん、

 それなんだけどね。

 このところ急に視力が落ちちゃって、

 それで、急いでメガネを作ったの。

 今日遅れちゃったのもメガネの調整に手間取っちゃって、

 ねぇ、やっぱり似合わないかな?」

約束の時間に遅れてしまったことについては

さほど罪悪感は感じていないのか、

安恵はペロッと舌を軽く出しておどけて見せると、

外したメガネを再び掛けてみせる。

「にしてもだ、

 遅れるなら連絡の一本ぐらい入れろよ」

「いやぁ、入れようと思ったんだけどね、

 タイミングが取れなくて…」

「まったく…」

悪びれる様子も無い彼女の調子に俺は半ばあきれると、

ペロッ

安恵は再び舌を出し入れして見せた。

「ん?

 こんな癖あったっけ?

 それにいまの舌の形…

 なんか変じゃなかったか?」

彼女が自分の口から軽く舌をだし、

そしてそれを上下に動かす仕草と

突き出した舌の形に違和感を感じつつも、

改めて彼女が掛けているメガネを見ると、

強い度が入っているらしく

メガネの向こう側は大きく歪んで見える。

「なぁ、そのメガネ、

 結構”度”がきつそうだけど、

 そんなに目が悪いのか?

 仕事のし過ぎなんじゃないのか

 頑張るのも程ほどにないと、

 取り返しのつかないことになるぞ」

とメガネを指差し

彼女の体調を気遣う台詞を言い、

続けて、

「それにさ、

 随分と着込んでいるけど、

 風邪でも引いたの?」

と指摘した。



時刻は午後1時を回ったところ、

天気は快晴とは行かないが、

でも秋の陽光がさんさんと降り注ぎ、

駅前の広場の電光掲示板に表示されている気温は20℃を示し、

シャツ一枚でも十分しのげる気温だ。

にもかかわらず、

安恵はなぜかオーバーコートを着込み、

さらにはセーターまで着ているのか、

体全体がモッコリと膨らみ、

さらにマフラーまで首に巻く完全防寒状態。

「風邪ってわけじゃないけど、

 なんか寒くてね。

 暖かくしようとアレコレ合わせていたらこんなになっちゃった」

とこれから雪中行軍でもするかのような服装についてそう言い訳をする。

そして、

「熱はないから大丈夫よ」

看護士としての貫禄か安恵はそう言い切ってみせた。

「そっそうか、

 まぁ”その道のプロ”が大丈夫と言うなら

 大丈夫なんだろう。

 さて、昼を回ってしまったし、

 お腹が空いたよ。

 どこかで何か食べないか」

俺はお腹を軽く触りながら言うと、

「じゃぁ、遅刻の埋め合わせで、

 お姉さんが何か奢ってあげよう」

と彼女は胸を叩いて見せた。

「何が埋め合わせだよ」

その言葉に俺は笑いながら歩き始めると、

「ねぇ、何にする?」

歩き始めた俺を追いかけるようにして安恵は後に続き、

やがて、二人並んで歩き始めるとき、

俺は手を伸ばし彼女の手を掴んだ。

ところが、

「あれ?」

握った彼女の手の感触がいつも妙に違うことに気づくと、

俺は何度も手を握り直して感触を確かめた。

確かに安恵は手袋をしているが、

それにしても、

掴んだときの感触がどこか変だ。

そう骨の感触と言うより、

何か砂袋を掴んで握っているような、

強く握るとグニュッと動く感触は薄気味悪く、

程なくして俺は自分から手を離してしまった。

すると、

「どうしたの?」

安恵が突然俺が手を離してしまったことの理由を尋ねてきた。

「いや」

その質問にどう答えるべきか俺は困惑していると、

ペロッ

また安恵は舌を一瞬、出しては引っ込める所作をしてみせる。

「なぁ、

 さっきから気になっているんだけど

 唇でも荒れているの?」

我慢できずにそのことを俺は指摘すると、

「え?

 あたし何かした?」

と彼女は指摘に心当たりがない事を言う。

「いや、いま、

 舌で唇を舐めているような仕草をしたからさ」

「えー、そんなことしないよ」

「そーか?」

「当たり前でしょう。

 あたしそんな癖無いもん」

俺の指摘を頑なに否定する安恵の態度を見て、

俺は見間違いかと思いつつ、

タバコを一本取り出すと、

「ねぇ、

 タバコ止めない?」

と今度は安恵の方から言ってきた。

「なんだよ、

 いきなり。

 まっそのうちに…な」

確かに値上げに禁煙条例だとかで、

街中で吸う事すら困難になってきている昨今ではあるが、

しかし、タバコは俺にとって手放すことが出ない人生の友である。

そう簡単には手放せるものか。

などと思いながら適当な返事をすると、

「もぅ、あたしの前ではタバコ禁止!

 とっても臭いんだから」

鼻を手で覆い臭くてたまらない。

と言う姿勢を見せつつ安恵は文句を言い、

ペロッ

っとまた舌を動かしてみせた。

「なんだよ、

 それにやっぱり唇を嘗め回しているじゃないか」

それを見た俺はお返しにと指摘すると、

「だから、

 唇なんて舐めていないって」

また安恵は否定し、

ペロッ

っと舌を動かした。

本当にそれを無意識にやっているのか?

それにやっぱり舌の形が変だよな、

人間の舌ってあんなに尖らせることって出来たっけ?

仕草もともかく彼女の舌の形の変化に気づくと、

「そういえば…」

それ以外にも彼女の変化に気づいた。

度のキツそうなメガネの中の目は切れ長の目ではなく、

目が飛び出しているような丸い目になっているし、

肌も色白いと言うより、

血の気の無い蒼白さが目立っている。

さらに口の周りやあごの周囲が妙な皺が浮かんでいるし、

明らかにいつもとは様子が違っていたが、

でも、俺とのデートを楽しんでいる姿は、

いつもの安恵と変わりは無かった。



「そーいや、

 なんて言ったっけ、

 人間が獣になってしまう病気がある。って聞いたけど」

話題を変えようとして今朝出かける前、

TVで特集が組まれていた病気のことを話題にする。

なんでも、最近女性ばかりが動物に変身してしまう病気が流行っているらしい。

「あぁ、獣化病のこと?」

それを聞いた安恵は即座に返事をし、

「あたしの病院にも来ているわよ、

 その患者さん」

と自分が勤めている病院にもその患者が入院していることを言う。

「え?

 そっそうか?

 TVで言っていたように

 やっぱり獣の姿になっちゃうって本当なのか?」

画面に映し出される動物になってしまった女性の姿を思い浮かべながら、

病気のことを尋ねると、

「うん…

 あたしが看てあげた患者さんはまだ若い奥さんだったけど、

 大きなトカゲになっちゃったなぁ…

 旦那さん、これからどうするんだろう…」

と安恵は看護をした患者のことを思い出し、

そして、

「でさっ、

 トカゲの肌って良く観てみると鱗が光って綺麗なんだよ、

 あたし、きれいだなぁ…

 ついつい魅入ってしまったのよ…」

と目を輝かせて言う。

「おいっ、

 当の本人はそれどころじゃないんだぞ」

それを聞いた俺は注意をすると、

「あはは…

 そんなにジロジロ見てないって…」

と笑って返事をして見せるが、

しかし、獣化病…

自分が挙げたその病気の名前が黒い不安感となって

俺の心に薄くゆっくりと広がっていく



「そうか…

 ならいいけど

 でもその病気って感染するらしいけど、

 大丈夫なのか?」

と安恵に尋ねると、

「うん、

 発病から特定の期間は完全隔離だけど、

 でも、それを過ぎれば大丈夫よ。

 予防注射もちゃんとしているしね。

 そうそう、あたし、

 奥さんの身体を洗ってあげたりもしてあげたよ。

 喜んでいたなあの奥さん。

 トカゲになってもお風呂は毎日入りたい。

 って言っていたな」

と返事をする。



「感染しない…

 ならいいんだけど…

 でも…」

安恵の変化と獣化病とが何か関連があるようにしか

思えてならない俺の心の中に

ドロッ

とした黒い不安感が俺の心に薄くゆっくりと広がっていく、

そして、それを打ち消すかのように、

俺はタバコを咥え、

それに火をつけた。

その途端、

「キャッ!」

安恵の悲鳴が上がると、

「痛い!」

と叫びながら鼻から口の周りを両手で塞いでしゃがみこんでしまった。

「え?

 わっ悪い!

それを見た俺は慌てて介抱しようとすると、

パンッ!

彼女の平手が俺の頬を打ち、

「タバコ、

 禁止って言ったでしょう!」

そう怒鳴るや、

「もぅ知らない!」

と言う声を残して、

安恵は走り出してしまった。

「あっ、

 待てよ、

 悪かったよ」

人ごみの中に消えていく彼女の後姿を俺は追いかけるが、

しかし、いくら目立つ格好をしているとはいえ、

人間慌ててしまうと見失うことも案外と簡単であった。



「安恵っ、

 どこだ」

人通りがある手前、

俺は大声を挙げるわけには行かず、

視線で彼女が消えた当たりを俺は探し続ける。

一時間ほど経過して、

また駅前に俺は戻ってくると、

「くっそう、どこに消えたんだよ。

 安恵…」

後悔の念に駆られつつ再度彼女の姿を追い求める。

すると、どこかのスーパーに寄っていたのか、

大きく膨らんだレジ袋を持って出てきた彼女を見つけると、

「おーぃ、

 安恵ぇ!」

と手を振り呼びかけるが、

しかし、俺の声には反応せず、

安恵は足早に駅前を通り過ぎていく、

「俺の声が聞こえないのか、

 それにレジ袋なんて抱えてどこに行くんだ」

彼女の行動に不審を感じつつ俺は後を付けて行くと、

安恵は脇目も振らずに歩き、

商店街を抜け、

それに続く住宅街を抜けていく。

そして近くの河川敷へと降りて行ったのであった。

「なんだよ、

 こんなところに来て、

 おいっ、安恵っ、

 俺が悪かったよ」

俺は走り出すと、

河川敷に降りていく彼女の肩を掴んだ。

すると、

クワッ!

安恵は大きく見開いた目で俺を睨み付けると、

「おまえ…

 だれ?」

とかすれた声で問いたずねた。

「うっ、

 なんだよ、その目は。

 薄気味悪いな。

 それに、俺に誰ってことはないだろう」

両肩を握り俺は言い聞かせると、

彼女は体を捩って俺の手を振り切り、

「食事の邪魔」

と言うや生い茂る葦原の中へと消えていった。



「食事?

 ここでバーベキューでもするのか?」

安恵の肩を持ったとき、

手にしているレジ袋の中に

ぎっしりとパックに入った肉塊が入っていることを

知っていた俺は小首を捻りつつも、

続いて葦原を掻き分けるようにして中に入り、

彼女の後を追っていく、

程なくして

ガサガサ

ガサガサ

レジ袋を広げる音などが響いているのが耳に入ってくると。

そのあたりの葦が動いてみせる。

「あそこに居るのか、

 それにしても何をしているんだあいつは…」

言いようも無い不安に駆られながら、

俺は彼女に気づかれないように、

そっと葦を掻き分け、

ゆっくりと近づいていく、

そして、

葦の中で蠢くものの姿が経に入った途端、

息を呑んだ。



俺の目に飛び込んできたのは、

全裸となって葦の中に横たわった安恵が、

髪を振り乱しながら這いずり、

あたりに散らばっている生肉に舌先を伸ばすと、

その先を幾度か当てる仕草をしてみせた後、

噛まずに丸呑みにしていく姿であった。

「安恵!

 お前なんて事をしているんだ」

それを見た俺は大声を張り上げて彼女の前に躍り出ると、

「蛇みたいな真似は止めるんだ、

 止めろ!」

と叫び、

丸呑みしようとしている生肉を強引に奪うと、

それを遠くに放り投げた。

その途端、

シャァァァ!!

「わたしの…

 邪魔をするな」

蛇が威嚇するのと同じ声と、

さらに皺枯れた声が響くと、

腕をだらりを下げたまま、

安恵は俺に向かって口を大きく開いて見せる。

「安恵、

 お前、

 まさか…」

彼女の裸体をよく見ると、

顔と同じく裸体から血の気が消え、

それどころか皮が浮き上がっているかのように、

体中いたるところに不気味な皺が寄っている。

それどころか、

大きく見開いた彼女の目からは虹彩が消え、

瞬きをせずに俺を見据え続け、

さらに、大きく開いている口の上あごから、

左右に1本づつ直立する牙が日の光を浴びて光っていた。

「…獣化病に罹っていたのか」

まさに人の姿をした獣と化してしまった彼女を見据えながら、

俺はケータイを取り出すと119番に電話を掛けていた。



「やっぱり獣化病…

 なんですね」

安恵を診察した医師から

彼女が掛かっている病気について説明を受けた俺は大きく頷いてみせる。

「えぇ…

 簡易検査ですが、

 安恵さんの血液から

 獣化病の中でも爬虫類への変身を引き起こす

 Bタイプウィルスによる抗体反応がでましたし、

 また、視力、聴力の低下、

 体温の低下、

 牙の成長、

 尾の形成、

 そして、ヤコプソン器官、

 ピット器官

 ヘビなら持っているそれらの器官の存在が確認でしたこと考えますと

 お気の毒ですが、

 安恵さんはヘビに変身してしまうものと思われます」

と医師は一つ一つ安恵の身体に出ている兆候をあげて説明をする。

「そっそうですか…」

その説明を聞きながら俺はギュッと拳を握り、

「何か、治す手立ては無いのですか?」

と藁にも縋る気持ちで尋ねると、

「うーん、

 発病して時間が経っているしねぇ、

 すでに一回目の脱皮をしていますし…

 こうなっては手の施しようが無い。

 というのが実情なんです」

医師は難しい表情でそう説明をする。

「脱皮って、

 安恵は脱皮をしたのですか、

 ヘビみたいに」

それを聞いた俺はショックを受けてしまうと、

「病気の進行はウィルスによって違いがあります。

 爬虫類変化形のウィルスの場合は脱皮をすることで、

 肉体の変化を促すことが多いですね」

「そんな、

 安恵が脱皮するだなんて」

幾度も呟きながら俺はうな垂れるが、

異様な皺が寄り、血の気が消えた肌など、

確かにその兆候があったのも事実だ。

しかし、

「じゃっ、

 じゃぁ、安恵がヘビになるのをこのままじっと待っていろ。

 と仰るのですかっ」

それを聞いた俺はつい感情的に怒鳴ってしまうと、

「医者の私がこんなことも言うのもアレですが、

 奇跡か魔法でもない限り手立てはありません」

と医者は冷静にどこかで聞いたようなことを言う。

「あっすみませんっ

 先生に当たっても仕方がないんですよね」

その言葉を聴いた折れは我に返るやスグに謝ると、

「いえいえ、

 皆さん、同じような反応を見せますし、

 我々も辛いのです」

俺に向かって医師は静かに頭を下げる。

「そんな…

 安恵が…ヘビにだなんて、
 
 俺はどうすればいいんだ」

就職決まったら彼女にプロポーズする気で居た俺にとって、

彼女の肉体を醜く人外の姿に変身さてしまう獣化病のウィルスは憎くて仕方が無かった。



「悔しいけど、判りました。

 それで、お願いがあるのですが、

 安恵に逢わせてくれませんか、

 俺から病気のことを説明をしたいので…」

臍を噛みつつ俺は安恵との面会を求めると

「いえ、申し訳ありませんが、

 いまは面会謝絶です。

 脱皮から逆算すると、

 安恵さんが発病したのは今朝…と思います。

 獣化病は発病から6時間を過ぎた辺りから3日間は、

 もっとも感染力が強いので、
 
 その間の面会は防疫の観点から禁止しているのです」

と現在、安恵を隔離していることを告げ、

「それと、申し訳ありませんが、

 安恵さんの直接肌を触れてしまった篤志さん、

 あなたも3日の間ですが、ここに入院してください。

 ウィルスの特性から男性が発症ことは無いのですが、

 キャリアの可能性がありますので、

 検査とワクチン投与を行います。

 一応、これは法律で決まってますので…

 無論、あの場に居合わせた街の人も全員が対象となっています」

と医師は俺の強制入院を告げたのであった。

「あっ」

それを聞いた俺は安恵が話していたことを思い出すと、

「そうですか…

 判りました…」

と返事をするだけであった。



俺は入院したのは獣化病患者が入院している隔離病棟から

少し離れた所に建つ準隔離病棟であった。

そして、そこでは俺と同じように彼女や奥さん、

さらには姉や妹が獣化病を発病し、

ここにつれてこられ検査を受けている男達であふれ返っていた。

「はぁ…

 獣化病ってこんなに流行っていたのか…」

病棟のフリースペースで暇そうにしている男性達を見ながら、

俺は呆気に取られているが、

最愛の人を獣化病に罹らせてしまった責任感だろうか、

どの男性の表情も暗く、

これから先のことを心配する者、

頭を抱え泣き続ける者、

何も考えずにただ思い出に浸る者など、

あまり長居するとこっちまでおかしくなってしまいそうな

そんな錯覚に陥ってしまいそうだった。

そのような環境の中で俺に対する検査が行われ、

ウィルスは検出されなかったものの、

念のためワクチン投与が行われた。



「やっぱり、病院で感染させられたんだな、

 トカゲになったって言う奥さんから…」

あの時、安恵が言っていた言葉を思い出しながら、

俺は彼女が収容されている隔離病棟を眺める。

「予防注射していたんだろう。

 それなのになんで罹るんだよ。

 獣化病なんかに」

もって行き場の無い怒りをぶつけるように、

俺は何度もベッドを叩き捲る、

そして

「あの中で安恵はどうしているのかな…

 ヘビになるんだろう…

 脱皮って何回するんだろう、
 
 脱皮のたびにウロコが体中に広がって…

 手足が無くなって…

 尻尾が伸びて…」

と全身をヘビのウロコに覆われ、

手足を失い、

文字通りヘビのような姿になって

ベッド上を蠢く安恵の姿を思い浮かべたとき、

ムクッ

俺の股間が急に充血してくると、

イチモツがそそり立ち始めた。

「わっ、

 バカッ!!

 こんなので反応する奴があるかっ」

それに気付いた俺は慌てて妄想を吹き消し

股間を叩くと慌ててトイレへと駆け込んだ。

そして、小便器に向かって格闘を始めだすのだが、

そんなとき

「お兄ちゃんっ!」

いきなり俺の横から声が掛けられた。

「いっ」

タイミングの悪さに俺は息を呑んで振り向くと、

「はいっ」

と言う声と共に名刺のようなものが目の前に差し出される。

「え?

 なに?

 あなたの心と体のお悩みを解決?

 真城華…」

出された名刺を受け取り、

そこに書いてある文面を読み上げると、

「なにこれ?」

と名刺を差し出した少年に尋ねた。

「えぇ?

 知らないの?

 いま流行っているんだよ」

年は10歳ぐらいだろうか、

少年はそう説明すると、

俺の隣で放物線を描いてみせる。

「ふーん、

 それにしても変なものが流行っているんだなぁ…」

渡された名刺を表裏にして見せながら俺は言うと、

「お兄ちゃんは何でここにいるの?」

と少年は俺がここに居る理由を尋ねてきた。

「あぁ…

 決まっているだろう。

 俺の大切な人がね、

 病気になっちゃったからさ…」

ぶっきらぼうに俺はそう答えると、

「ふーん、そうなんだ。

 僕はねっ

 お姉ちゃんが病気になっちゃんだよ」

少年は俺を見ながらそう言うが、

その表情はどこか暗かった。

「やれやれ、

 やっぱりこの子も隔離組かぁ…

 まっここに居る時点で決まっているけどな」

そんな少年を眺めながら俺はそう思っていると、

「お兄ちゃんの彼女って何になるの?」

と少年が尋ねてくる。

「うっ」

その質問に俺は声を詰まらせながらも、

「ヘビさ…」

と軽く答えてみせると、

その途端。

「!!っ」

少年の顔は強張り、

「ヘビって…

 お兄ちゃんは怖くないの?」

と聞き返してきた。

「怖い?

 あっそうか、

 子供にとってヘビは怖い存在か、

 俺はただ気持ち悪い。と思っていたけど。

 うん、そうだな。

 確かに手足が無くて、

 ウネウネ動いて、

 そして、毒で獲物を殺して

 丸呑みにする。

 確かに怖いかもな」

「そんな怖いものになってしまうのに

 お兄ちゃんはなんとも思ってないの?

 大事な人なんでしょう?」

と少年は心配そうに尋ねると、

「そうだよ。

 お兄ちゃんにとってとっても大事な人だよ、

 怖いヘビになんてなって欲しくないよ。

 でも、もぅどうすることも出来ないんだ。

 俺が出来ることはこうしてすべてが終わるのを待つだけ、

 あはは、なんか格好悪いよな」

ちょっと涙を浮かべながら、

俺はごまかし半分に頭をかいてみせる。

「逃げないの?」

「え?」

「そんなに怖い生き物になってしまうんでしょう、

 お兄ちゃんの大事な人って、

 だったら逃げちゃえばいいんじゃない」

「それ…」

思いがけない少年の言葉に俺は絶句するが、

ポン

少年の頭に俺は手を乗せ、

「そんなことをしたら、

 誰が支えてあげるんだよ。

 一番怖い思いをしているのは

 この病気で人間じゃなくなってしまう方だろ。

 医者でもない俺がジタバタしても仕方が無いさ、

 俺が出来ることは彼女がどんな姿になっても…

 …そうだな。

 …うん、温かく迎えてあげることなんだろうなぁ」

微笑みながらそう少年に話すと、

「!!っ」

少年は何かに気付かされた表情を一瞬して見せ、

「うんっ、

 そうだよね。

 そうなんだよね。

 そうしなくっちゃいけないんだよね」

とまるで自分に言い聞かせるように呟き、

そして笑顔を見せると、

「お兄ちゃんありがとう。

 お姉ちゃんが退院したらね。

 僕を乗せてくれる約束をしているんだ」

と続けた。

「乗せる?」

少年の言葉を俺は思わず聞き返すと、

「うんっ、

 お姉ちゃんね、

 お馬さんになったんだよ。

 もぅ変身は終わって、

 人を乗せる練習をしているんだよ」

少年はそう言うと、

ヒヒヒーン…

トイレの窓向こうから馬の鳴き声が響き渡った。

すると、

「あっお姉ちゃんが呼んでいる」

少年はそう言うや、

さっさと支度を済ませると、

トイレから飛び出して行く。

「そうか、お姉ちゃんはお馬さんか…

 親御さんは大変だそうに…」

少年に続いて俺もトイレから出ると、

「おっ」

ポニーを一回り大きくした馬体の白馬がゆっくりと歩いているのが見え、

建物から出た少年が白馬と合流すると、

白馬に向かって何かを話し始めた。

そして、その話が終わったのだろうか、

少年と白馬が仲良く歩いていくのを見送りつつ、

「そうなると、

 お兄ちゃんはヘビ使いにならなければいけないのかな?」

ターバンを巻き、

縦笛で籠から頭を出すヘビを操ってみせるヘビ使いを想像してしまった。

と同時に

「あっ、

 そういえばヘビって言っても種類がいっぱいあるよな。

 安恵はどの蛇になるんだ。

 出来れば…毒が無いやつになって欲しいな」

と呟いていた。



あのトイレでの少年との会話から3日が過ぎ、

俺の隔離期間の終了と同時に安恵との面会が出来るようになった。

「安恵がオッケーしたのですか?」

安恵に面会の意思があるのか確認をした看護士より、

彼女の返事を聞いた俺は思わず聞き返すと、

「えぇ…

 本人からも見て欲しいと懇願されたのですが、

 ただ…」

と看護士は浮かない顔をする。

「ただ?」

看護士のその言葉に俺は身を乗り出すと、

「会われた際にオーバーに驚かないで下さいね。

 変身途中の姿を人に見せるのは、

 患者さんにとって凄い負担なのです。

 でも、横田さんはどうしてもありのままの自分の姿を見せたい。

 そう仰ったので、

 その意思を尊重するだけですから…」

と看護士は俺に釘を刺す。

「はっはぁ…」

それを聞いた俺は小さく頷くと、

「あの…

 安恵の変身はどこまで進んでいるのでしょうか?」

恐る恐る状況を尋ねた。

すると、

「横田さんの体調は問題ないですし、

 変態も極めて順調です。

 日にちで言えばあと3日

 脱皮の回数で言うとあと3回ほどで

 全てが終わるでしょう。

 ですけど逆に怖いのです。

 肉体の変態が思わしく進まない場合、

 心が変態に追いついていけますが、

 逆に順調過ぎますと、

 心構えが出来る前に変態が終わってしまい、

 心が変態を受け入れられない状態で、

 変態後の獣の生活をしなくてはならないのです。

 このギャップは本人にとって相当苦しくて、

 多くの方がそれを苦にして死を選んでしまうのです。

 横田さんがあなたに変態途中の自分の姿をお見せるのは、

 まずあなたに自分の変態を認めてもらって欲しい。

 という意思からだと思いますよ」

看護士はそう説明をすると、

「では、参りましょうか」

と俺に告げ、

誓約書と引き換えに入館用のIDカードを差し出した。


俺が入院したときの準隔離病棟の向かいに立つ獣化病専用病棟。

獣化病についてはネタ好きの週刊誌でも取り上げられることは少なく、

無論、一般人がこの病棟に足を踏み入れることは不可能で、

その内情と言うのはまさに秘密のベールに隠されている。

といっても過言ではない。

そう、当事者にでもならない限り

まず足を踏み入れることは無いのである。

その禁断の病棟を俺は看護士に連れられて踏み込んでいく、

「緊張されています?

 篤志さん」

病院関係者以外は入院患者しかいない病棟に踏み入れ、

緊張している俺に看護師はやさしく問いたずねてきた。

「え?

 まっまぁ」

その問いに俺は軽く頭をかいてみせると、

「あっ、

 体をかくような素振りは入院患者に見せないでくださいね」

と俺に注意をする。

「そうですか」

「えぇ、獣化された人は

 私達の何気ない仕草に神経を尖らせているのです。

 ちょっとした癖の仕草でもトラブルとなりますのでね」

「はぁ」

それを聞いた俺は獣化病は本人も

看護をする看護士達も大変なんだなと思いつつ、

ピッ!

隔離ゲートを通過していく。



隔離ゲートより向こうはまさに世界が違っていた。

見た目は他の病院の佇まいとさほど変わらないが、

漂ってくる獣臭と、

周囲から聞こえてくる、

すすり泣くようなうめき声や、

獣を思わせる唸り声が入り混じり、

一種独特の世界を作り上げていた。

「……」

その空気に俺は気押されてしまうが、

看護士はそんな俺に構わず先に進んでいく。

「ちょっと簡単に説明しますと、

 この左側のエリアは主に哺乳類系で、

 右側は鳥類系となっています。

 横田さんが収容されているのは、

 奥にある爬虫類系のエリアです。

 なお、両生類系や魚類系・水性哺乳類系は

 大量の水が必要となるので別棟になっています」

と看護士は病棟の区分けについて説明をしていく。

「はぁ…
 
 安恵がイルカやカエルに変身しなくて、

 ある意味良かったかも…」

それを聞かされた俺はそう思っていると、

「はいっ、

 ここからが安恵さんが収容されている爬虫類系のエリアです

 爬虫類系に変身された患者さんは

 どの方も人一倍神経質になっているので

 注意してくださいね。

 特にここは毒を持っている方も多いですので」

と釘を刺しゲートの読み取り機にIDカードを差し出した。

「毒って」

看護士の告げた言葉に俺はビビリながらゲートを抜けると、

ムワッ

エリアに充満している青臭い匂いが俺の鼻を突いてくる。

「あっ臭い違うでしょう。

 これ爬虫類特有の匂いなんですよ、

 慣れないとちょっときついかも知れませんが」

慣れた口調で看護士は言うが、

俺は鼻に当てているハンカチをなかなか取ることはできなかった。

「では行きましょうか、

 ハンカチは取ってください」

立ち往生している俺には余り構わず看護師は先を進み始める。

そして俺の左右を相変わらず病室が続くが、

看護師はどれにも立ち寄らず通過してしまうと、

最後の病室も通過してしまったのだ。

「あの…

 端っこに来てしまいましたが」

看護師に向かって俺は心配そうに話しかけると、

「横田さんにお会いになる前に、

 是非あなたに見てもらいたいものがあるのです」

と看護師は言うと、

カチャッ

病室脇の部屋のドアを開いてみせる。



「ここに何が…」

「本来このようなものをお見せすることは無いのですが

 横田さんからの希望でもありますので」

やや強い口調で看護師は言うと、

俺は促されるようにして部屋の中に入った。

部屋の中には人が丸々入るサイズの金属製のトレーが4つ並べられていて、

その全てに何かが入っている。

そして看護師は向かって右側のトレーの脇に立つと、

「これをご覧ください」

と言いながらトレーに手を差し伸べた。

「ご覧?」

その言葉につられるようにして俺はトレーの中を見ると、

「はっ

 やっ安恵!」

安恵の名前が俺の口から出た。

ちょっと乱れているが整えられた髪、

きれいに化粧された顔、

手入れをされた爪、

形の良い胸、

飾り毛が覆う股間、

トレーの中には中身を失った安恵が

眠るような表情で身を横たえていた。

「これは…」

「えぇ、これは横田さんが1回目の脱皮の際の抜け殻です。

 見ての通り、お美しい方だったのですね」

驚く俺に看護師は軽く目を押さえながら言う。

「じゃぁ」

俺はこわごわとその隣のトレーに視線を移すと、

「うっ」

視線に入ってきた抜け殻を見た途端思わず口を押さえてしまった。

髪の毛は一本も無く歪になった頭、

裂け始めた口、

ウロコを思わせる小さな突起物で覆われた肌、

そして、股間から伸びる小さな尾…

2回目の脱皮の抜け殻は安恵が人から獣…

ヘビへと変態をはじめたこと間違いなく記録していたのである。

そして、3回目の脱皮、4回目の脱皮と重ねるうちに、

頭は小さくなり、

目はその左右へと移動していく、

一方生えた尾は順調に伸びていくと、

4回目の脱皮では身長の半分近くを占めるほどになり、

体を覆うウロコもその存在感を増していた。

そして何より、

脱皮するごとに手足の指は関節部分から皮の中に残され、

4回目の脱皮では手首や足首が皮の中に残されていた。

また、腕や脚も脱皮の毎に萎縮していることが手に取るように判る。

おそらく今の安恵にとって、

手足はただの飾り程度になっているはずだ。

「お判りになっていただけましたか、

 今の横田さんのお姿を…」

声を失ってしまった俺に看護師は話しかけると、

「これでもお会いになりますか?」

と俺に問い尋ねる。



つづく