「ねぇねぇねぇ 博美のヤツ、 もぅ一ヶ月近く家に帰ってないんだろう?」 「もぅ夏休みになっちゃったよ。 どこに行っちゃったのかな」 「それってめちゃヤバいじゃん」 「お前ら、誰も博美を見た奴はいないのかよ」 夏休みに入った公園に少女達の声が響く。 「そんな事言われても」 怒鳴り声を上げた美沙の前で 髪を染め化粧をしている少女達が俯くと、 美沙は腕を組み、 不機嫌そうに歩道と植え込みの間に立つ石柵の頭に腰掛けた。 「あの日、博美はこの公園に向かって歩いていった」 約ひと月前、皆で遊びに行ったプールの帰り、 美沙たちと別れた博美は 別れの挨拶代わりに手を上げてみせる後姿が、 美沙が覚えている彼女の最後の姿だった。 「博美… 本当に何処に行っちゃったんだよ」 石柵に腰掛ける美沙は足元に散らばる小石を蹴りながら呟くと、 「ねぇねぇ、ママ。 ラッコ、居なくなっちゃったね」 池を覗き込む子供の声が響いた。 「そうねぇ、 おうちに帰ったのかもね」 子供の側で同じように公園内に広がる池を見下ろしながら、 母親らしき女性が腰を屈め話しかける。 ”公園の池にラッコが居る。” ひと月前の早朝、 散歩をしていた人からのネット掲示板への書き込みによって、 ここの池は突然姿をあらわした謎のラッコ目当てに 我先にと見物人が押しかけるようになると、 それを聞きつけたTV局が大げさに取り上げ、 さらにその様子が動画サイトに投稿されると、 この広い公園がかつてパンダ人気で 盛り上がったどこぞの動物園と同じような様相となった。 そして、ラッコ人気を利用して再選を諮りたい市長の発案で、 市役所からの名誉市民の表彰が行われる頃には、 公園内には移動販売のドーナツ屋、タコ焼屋、クレープ屋、ケハブ屋等が軒を並べ、 さらに保健所、動物愛護団体、環境保護団体、 映画撮影やドラマの撮影、 果ては世紀末救世主伝説を唱える怪しげな宗教団体まで現れると、 公園は文字通り人間の欲望のみが渦巻くコスプレ大会会場と化し 昼夜問わずのお祭りが始まったのであった。 そんな騒々しい毎日に嫌気が差したのか、 本来の主役であったラッコが姿を消してしまうと、 ”ラッコの居ない公園は只の公園だ” とばかりにまるで潮が引くように公園から人々が姿を消し、 そして、残された膨大なゴミの山を 市の清掃局がひたすら処理をしたのであった。 なお、このときのかかった経費は有料ゴミ袋の大幅値上げと言う形で 市民負担に摩り替えられたのは公然の秘密である。 「はぁ、一体なんだったんだろうなぁ、 あのバカ騒ぎは…」 「たかがラッコ一匹に夢中になってさ、 お陰で博美の捜索は後回し」 「何もかもが手遅れなんだよ」 この公園に出店した出店のバイト料で自分の財布が潤ったは少女達は 自分たちのことを棚にあげて持って行き場のない怒りをぶつけてみせるが、 妙案があるわけでもなく、 「あたしじゃどうにもならないし、 ここは、警察に任せるしかないよね」 「うん…それしかないよ」 西に傾いた夏の日差しを浴びながら 自分で納得するように皆は腰を上げ、 「はぁ…」 美沙もまたため息をつきながら腰を上げる。 そして、 「じゃぁ、バイバイ」 その言葉を残して仲間と分かれると、 街路灯に明かりが灯り始めた公園内を歩き始めたのである。 気が付けば人っ子一人居ない黄昏時の公園。 「こんなに静かな場所だっけ?」 等間隔に並ぶ街路灯の下を歩きながら、 美沙はそう思いながら周囲を見た。 暗くなったと言っても、 西の空には昼間の光が紫色になって残り、 また東の空には満月が顔を覗かせている。 蒸し暑さを誘う草葉からの虫の音色が響きはじめるが、 しかし、公園の歩道を歩くのは美沙のみであった。 「おかしい… 誰もいないだなんて」 そのとき、 美沙は自分以外の人の気配がないことの異常さに気づくが、 それと同時に 「もし」 と彼女を呼び止める声が響いた。 「ひっ」 突然の声に美沙は飛び上がりそうになりながら振り返ると、 「これを…落としましたよ」 メガネを月の光に光らせる男性が美沙に向かって何かを差し出した。 「え? わたしが? どっどうも…」 髪を伸ばした優男に向かって美沙は礼を言いながら 差し出されたものを受け取った途端、 急に彼女の表情がこわばると、 「おいっ、 コレを何処で手に入れた」 と男の胸倉を掴みあげて問いただす。 「さて、何のことでしょうか?」 鼻息荒い美沙をあざ笑うかのように男は返事をしてみせると、 「ふっふざけるなっ! こっこれは博美のケータイじゃねぇかっ、 お前っ、 博美のことを知っているんだろう。 博美はどこだ。 居場所を教えろ!」 男の手を払いのけて美沙は怒鳴る。 すると、 キラッ 男はメガネを一瞬光らせ、 「ほぅ、そこまでして彼女に会いたいですか?」 と聞き返した。 「お前… まさか、博美を誘拐したのか?」 それを聞いた美沙は聞き返すと、 「誘拐? それでは私が犯罪者みたいじゃないですか、 保護をしている。 そう言った方が現状にあっていますね」 伸ばした人差し指でメガネを直しながら男は言う。 「保護だとぉ?」 「えぇ、 折角、彼女はこの公園の住人になられたのに、 人間達はバカ騒ぎを始めだしたので、 私がお助けして保護をしているのです」 「何の話をしている?」 「判りませんか?」 「当たり前だろう、 なんだよ、公園の住人って、 それじゃぁまるで博美が ホームレスになったような言い方じゃないか」 「当たらずしも遠からずだと思いますが」 「お前の言っていることは、 何がなんだかさっぱりわからないんだよ。 どうでもいいから博美を返せっ!」 質問にからかいながら受け答えをする男に 苛立った美沙は殴りかかろとするが、 「おっと」 男は彼女の拳を軽く交わしてしまう。 そして、交わし際に、 美沙の髪を掴みあげると、 「なら、 彼女と同じ目に逢って見ますか? 野島美沙さん?」 と美沙の名前を告げながら、 ブッ 彼女の首筋に針の様なものを打ち込んだのであった。 ズキッ 「ひぐっ、 なっ何をした」 首に針を打ち込まれた美沙は痛みを堪えながら聞き返すと、 「じっとしていてくださいね、 針が折れたり空気が入ったらそれこそ一大事。 会いたいお友達とは会えなくなりますよ」 美沙に向かってそう話しかけながら、 男は注射器のシリンダーを押す。 ジワジワ ジワジワ 首から広がってくる言いようもない不快感が美沙の体を蝕み始め、 「あっ くくっ」 首筋に注射針を付きたてながら彼女は苦悶する表情を浮かべる。 そして、それが耐え切れなくなったとき、 スッ 刺さっていた注射針が抜かれると、 美沙を束縛していた力が抜けた。 「あっ」 ドサッ 半ば支えられていた力が消えてしまったため、 美沙はその場に崩れ落ちるように倒れこんでしまうが、 「体に…力が… はいらない」 立ち上がることすらままならないほど 美沙の体から力が消えうせ、 まるで糸が切れた操り人形を思わる姿となる。 「おやおや、 何も力が入らないみたいですね」 そんな美沙の姿を見て男は話しかけると、 「(あ・た・し・に・な・に・を・し・た)」 口すら動かせなくなった美沙は目で男に抗議するが、 その直後、目が大きく見開かれると、 その顔面が蒼白となる。 「いけませんね、窒息ですか。 体を乾かしているからいけないんですよ」 苦しみ始めた美沙を見下ろしながら男は冷静に言うと、 バシャッ! 美沙の体に汲み上げてきた池の水を浴びさせた。 すると、 ジワッ 水を浴びて濡れた肌に緑色が浮かび上がりめ、 それがゆっくりと広がっていくと、 グリッ 見開かれた美沙の両目が飛び出す。 そして、 パク パク 動き始めた口が左右に広がっていくと、 両手の親指が手の中へと飲み込まれ、 両足の筋肉が盛り上がっていく。 そして、 ゴボッ 美沙のお腹が膨れていくと、 ぐっグェェェェェェェ… 大きく開いた口から彼女の声とは思えない、 いびつな声が響き渡った。 グェェェェェェ グェェェェェェ グエェェェェェ まるで泣く様に美沙はその声を響き渡らせると、 ズルリ 染めた髪がシールを剥がすように抜け落ちてしまい、 さらに肌から分泌される粘液でペタリと張り付くワンピースの下では、 彼女の体を覆う緑色の皮膚は次第に黄色と黒のまだら模様に染まり始っていく、 そして、赤く染まり大きく膨れたお腹を晒し始めたとき、 グェ グェ グェ 美沙は丸く膨れた4本指の手を地面について這い回り始める。 ピョン 筋肉が大きく発達した後ろ足で地面を蹴ると、 美沙は空高く飛び上がる。 そして、 ピョン ピョン ピョン と何度も飛びながら人間だったときに着ていた服を脱ぎ落とすと、 彼女は肌に猛毒を盛つ毒ガエルとなって公園の池へと向かっていく、 そして、 ピョン! 大ジャンプをして水面に落ちると、 夕闇の空に音を響かせたのであった。 「古池や 蛙飛び込む 水の音…か なるほどな…」 美沙の変身を見届けた男は満足そうにうなづくと、 「さて、 問題はあのカエルをどうやって回収するかだ。 アマゾンの毒ガエルをベースにしたのはまずかったかな… いざとなればラッコにやらせればいいか」 と上ってきた月を背にしてカエルの回収方法を思案し始める。 「はぁ、今夜も月がきれいだ」 夜空に輝く月を見上げながら男はそう呟く。 男の名は月夜野幸司、 だが彼にはもう一つの名前がある。 ”Dr.ナイト” 彼が次に狙う獲物は…すでに決まっている。 おわり