大都市郊外にあるニュータウン。 いまだ開発の土音が響く街より10分も歩けばたちまち緑あふれる野山が広がり、 昼間は残された田畑で農作業をする人や、 自然を楽しむべく散策をする人、 そして、近所に立つ学校へと登下校する生徒達で賑わうものの、 だが、日差しが西の山に落ち、 辺りを夜の闇が忍び寄ってくる頃になると、 これまで優しい顔をしていた野山が静かに牙を剥くのであった。 『うーん』 街より離れたところに建つ曰くありげな洋館の中、 薄汚れた白衣を身にまとう月夜野幸司は一人唸っていた。 これまで彼が目標としてきた十二支を代表する動物はすべて揃え、 彼の目標は遂げたはずなのに、 しかし、ここ最近の彼の表情はどこか曇っていたのである。 『何かが足りない』 足を乗せていた机を蹴飛ばして幸司は声を上げると、 『そうだ、何かが足りないんだ!』 と声を荒げて見せる。 だが、 『くーっ、 足りないのは判っているっ、 しかし、それが何なのかが判らないっ、 くそっ、 この天才科学者の頭脳を持ってしても判らないとは!』 沈着冷静、己の感情は一切表に出さず、 彼を知っている者たちは冷血男とあだ名するほどの男が 感情的になって辺りに当たり散らしている。 『うっ』 『うぅっ』 そんな彼の姿を見て、 檻の中に入れられている一二種類の動物たちは一斉におびえてみせるが、 しかし、これらの動物たちはこの幸司の手に掛かり 人の姿から獣へと無惨に変えられた幼気な少女たちであった。 『畜生! 何が足りないんだ! 誰が教えてくれ! 俺は何をすれば良いんだ!』 頭をかきむしりながら幸司は声を上げていると、 『クス…教えて進ぜましょうか』 と女性の声が静かに響き渡った。 『!!っ、 誰だ!』 部外者など訪れるはずのない研究室に響き渡った声に驚くと、 『くすっ、 ここですよ、 ここにおりますって』 の声と共に小さな光の点が姿を見せる。 『なっなんだ。 まさか…組織の差し金か?』 机より取り出した拳銃を差し向けながら問い尋ねると、 『くすっ、 組織? 人間のですかぁ?』 と光点は幸司を見下す様に聞き返し、 『そんなものではありませんわ、 月夜野幸司さん… いえ、Dr・ナイト。 我が主・嵯狐津姫さまよりの御伝言です。 ”いまそなたが知りたいことのへ答えは我が手元にある。 それを知りたくば、我が意の僕となるがよい” とのことです』 幸司に向かって光点はそう告げると、 フワッ っと彼の頬を撫でるように飛んで見せた。 『断る! と言ったら?』 光点を睨みつけるようにして幸司は聞き返すと、 『断ることはご自由です。 ただ、あなた様が知りたがっているものは永遠に闇の中… それでよろしければ…』 と光点は平然と答えて見せる。 『ふっ、 物の怪の類がこの私を脅すのか?』 腕を組みながら幸司は呟くと、 『ふふふっ、 如何なさいます? ちなみに嵯狐津姫さまはこれをご所望ですわ』 光点はそう囁きながら幸司の正面に舞い降りると、 パァ! 大きな光の玉を生み出して見せたのであった。 『クッ! なんだ?』 突然輝いたまばゆい光を受け、 幸司は手で遮ってみせるが、 『ん?』 その光の中にあるものを見いだすと、 『こんなのが欲しいのか? 私の手に掛かればあっという間だが、 まぁ良いだろう。 暇つぶしにつき合ってやるよ だからこの光を消せ』 と命じるや幸司は手早く支度をすると、 風のごとく研究室から姿を消したのである。 「はーぁ、 やんなっちゃうわね」 日が落ちた夕焼けの元、 制服姿の少女が一人帰宅の途についていた。 少女の名前は菅井友江。 この街から電車で1時間ほどのところにある女子校の二年生であった。 「まったく、 先生の説教と来たら長いんだから、 すっかり遅くなっちゃったじゃないのっ」 まるで回廊のごとく続く明かりが灯る蛍光灯の列を見上げながら、 友江は学校で起きたアクシデントについてぼやいていると、 ゾクッ 言いようもない悪寒が彼女の背中を突き抜けていった。 「なに今の感じ…」 背中の真ん中を冷たい水が流れ下ったような悪寒に彼女は立ち止まり、 二度・三度と辺りを見回してみせるが、 ネコの子一匹、彼女の周囲には居なかった。 しかし… 「だっ誰もいませんよね…」 友江の第六感は確かに何者かがこの周囲で自分のことを伺っていると警告を発していたのである。 と同時に最近途絶えたとはいえ、 この界隈では10人以上の少女達が神隠しにあっていることは友江は決して忘れてはいなかった。 「…………」 手していた鞄を抱きしめて友江はしばらくの間、無言で立ちつくしていたものの、 ダッ! 突然に走り出すと一目散に自宅へと向かっていく、 ハァ ハァ ハァ ハァ 背後から迫る何者かの追われるように友江は全速力で走り、 「誰? 誰いるの? やだ、こっちに来ないで、 お願いだから見逃して!」 心の中でそう念じながら友江は走り続けていた。 そして、彼女の息が切れかかったとき、 ドンッ! 「あっ!」 友江は道に立っていた何者かに思いっきり当たってしまったのである。 「あぁ、ゴメンなさい」 ぶつかったのと同時に盛大にひっくり返ったものの、 スグに立ち上がった友江は当たってしまった相手に向かって謝ると、 『いえいえ、 道の真ん中に立っていた私が悪いんですよ』 と落ち着いた男性の声が返ってくる。 「ほっ」 その声に友江は少し落ち着きを取り戻しつつ、 「すみませんっ、 誰かに追われているような気がしたもので、 本当にごめんなさいっ」 と幾度も頭を下げ、 「では失礼します」 そう言い残して立ち去ろうとしたとき、 プスッ 友江の首筋に針のような物が突き立てられた。 「!!っ」 声も無く友江は立ちつくしていると、 『じっとしてて、 スグに終わるからぁ』 と男の声が響く。 「なっ何をしているんですか…」 スカート下の足に幾筋もの水の流れを作りつつ友江は尋ねると、 『ふふっ、 お漏らしでしすか? いけませんねぇ。 でも、スグにお漏らしなど気にならない体にしてあげますよ、 とっておきの私の秘薬でね』 と男の声は囁きながら、 ゆっくりとシリンダーを押してみせる。 ジワジワジワ 言いようもない悪寒と共に友江の体内に液体が注がれ、 そして、 スッ! すべてが終わったのか、 自分の首筋から針が抜かれたのを合図にして、 「いやぁぁぁぁぁ!!!」 友江は悲鳴を上げるや男の体を思いっきり突き飛ばすと、 ダッ! 再び掛けだしていくが、 『おやおや、 そんなに運動をしてしまうと、 一気に薬が広がって…変身が早まりますよ』 走り去っていく彼女の背中を見送りながら男・月夜野幸司は呟くと、 『お疲れさまっ、 ではここから先はあたしの領分ね』 と彼の背中より飛び出した光点は友江を追いかけていった。 ジワジワ ジワジワ 「ひぃひいひぃ」 まるで体の中を蚕食していくように広がってくる違和感を感じつつ、 友江は声を枯らしながら走っていく。 そして、自宅に駆け込むやいなや、 バンッ! ガシャツ バッ! カチン! ドスンドスンドスン! 玄関戸のドアと自室のドアに鍵を掛けると、 さらにそのドア前にバリケードの代わりかイスや多衣服を置きまくったのであった。 「ちょっと、おねーちゃんっ、 どうしたの?」 思いがけない姉の奇行に驚いた妹が部屋の外から声を掛けると、 「うるさいっ、 絶対にそのドアを開けないで、 玄関を開けるのも禁止よ!」 と友江は怒鳴り声を上げる。 「もぅ… また喧嘩でもしたの?」 その声を聞いて妹はあきれ半分に呟くと部屋の前から去っていくが、 ジワジワ ジワジワ ジワジワ 友江の体を襲う異変はさらに大きくなり、 ついに、 メリッ! 彼女の耳に異変が起きると、 グッ ググググググ… と顔の横から頭に向かって動き出し、 さらに毛を吹きながら突き出したのであった。 「ひぃぃ!」 耳に起きた異変を感じながら友江は悲鳴を上げると、 ググググッ! 今度はお尻から尻尾が伸び始め、 さらに幾重もの毛を吹きつつその大きさを大きくしていくと、 ズズズッ! 穿いていたスカートを捲り上げて表に飛び出した。 「なっなにこれぇ!」 鏡に自分の姿を映しだしながら友江は絶望ににた声を上げると、 そこには赤茶けた毛に包まれた三角形をした獣耳を突き立てる自分の顔が映し出されていたのである。 しかし、彼女の異変はこれで終わりではなかった。 メリメリメリ ググググググ 細長い手の指が見る見る萎縮し、 代わりに手のひらが細長く伸びながら、 生えてくる赤茶色の毛が覆い尽くすと 友江の両腕は獣の前足となり、 さらに両足も同じように変化すると獣の後ろ足となる。 そして、口が突き出して顔の形が変わり始めると、 「はがががが… あうっ あうっ」 ついに友江は言葉を話せなくなり、 口の中からだらりと舌が伸びてきた。 また、その頃には体中から赤茶色の毛が吹き出し、 ゆっくりと友江の骨格が変わっていく。 やがて、 ガリガリガリ ガリガリガリ 鋭く伸びた爪で友江は盛んにドアをひっかき、 スルリ と着ていた制服から体を抜け出させると、 ハッハッハッ さっきまでいた少女の姿は消え、 一頭の獣…狐が部屋の中を徘徊し始めていたのであった。 すると、この時を待っていたかのように、 フッ その部屋の中に光点が姿を見せる。 と同時に 『ふふっ、 さすがはDr・ナイト… もぅ雌狐を一匹作ってしまったとは、 嵯狐津姫さまの目に狂いはないわね。 さぁ、 狐となたあなたの住処はそこじゃないわ、 私と共に来るのです』 狐と化した友江に向かって告げたのであった。 『はぁ、今夜も月がきれいだ』 夜空に輝く月を研究室より見上げながら 生物教師・月夜野幸司は久々に安息を感じていると、 フッ その幸司の頭元に光点が姿を見せ、 『ありがとうございます、 Dr・ナイト。 嵯狐津姫さまはとってもお喜びでしたわ』 と囁いて見せる。 『ふんっ、 狐を一匹作るなど造作もない。 それよりも私が求めている物の答え、 ちゃんと教えてくれるのだろうな』 そんな光点に向かって幸司は念を押すと、 『えぇ、あなた様が姫様のご期待に応えれば必ず』 と光点は告げその姿を消す。 『ふんっ、 どこまで当てになるか』 端っから光点の言うことを信じていなかった幸司は月を見上げて見せる。 月夜野幸司、彼にはもう一つの名前がある。 ”Dr.ナイト” 彼が次に狙う獲物は…すでに決まっている。 おわり