『あーん、 どうしよう! どうしよう!! どうしようどうしようどうしよう!!!』 黄金色に輝く広大なススキの草原・嵯狐津野原。 大海原を想わせる嵯狐津野原の行き着くところに この野に群れる妖より嵯狐津様と呼ばれている城があり、 その城門の前で悲鳴に近い声が響き渡っていたのである。 キッ! ンッ! 響き渡る声に気づいたのか、 周囲の妖の視線が一斉に城門へと向かっていくと、 『どうしよう… コン・リーノさんに”またまた失敗しました。”なんてこと言えないし』 城門の前には肩を落としてみせる狐耳巫女・玉梓の姿があり、 『う〜っ 昨日のコン・リーノさんの様子では また負けちゃったのを知った途端、 間違いなくアレを渡されちゃうだろうし、 とは言ってこのまま知らん振りして帰らないわけにも行かないし、 うーん』 そう呟きながら頭をクシャクシャに掻き毟った後、 頭を抱え座り込んでしまう。 そして… チラリ と伏せた顔をわずかに横に向け、 閉じられている城門に視線を動かすと、 『こういう事は… 日を改めるのが常套よねぇ』 そう呟くや否や、 パンッ! 『よしっ、 そうしよう! 今日はいったん引き上げましょう』 自分の手を叩いて勝手に結論付けると、 玉梓はススキの穂のような尻尾を左右に振りつつ城門に背を向け、 第一歩を踏み出そうとする。 すると、 『おやおや、 その様なところで何をなさっているのですか? 玉梓さぁん?』 と男性の声が玉梓の背後から響くと、 カチンッ!!! まるで石になったかのように玉梓は微動だにしなくなり、 さらに ザワザワザワ!! 頭の先から尻尾の先までの全身すべて毛が逆立たせてしまった。 『こっこっこっ こんにちわ、 コン・リーノさ…ん』 首をミシミシ言わせながら振り返ってみせると、 『どちらに向かおうとなされているのです? お城はこちらですが』 細い目をさらに細くしてスーツ姿のコン・リーノは玉梓に尋ねると、 『あぁ… そっそれがその… そっそう、忘れ物をいたしまして、 すっ直ぐに取ってきます』 ギクシャクした言葉遣いをしながら、 玉梓はそう言い訳をする。 しかし、 『忘れ物ですか? それはいけませんねぇ、 で、忘れ物とはどのようなもので?』 とコンリーノは考える素振りを見せながら問い尋ねると、 『(ひっ) えぇっとぉ… まぁなんて言いますか… その… 青春の…1ページとでも…』 追求される緊張からか玉梓は次第にシドロモドロになり 意味不明の返答をし始める。 すると、 『はぁ? 何を言っているのですか? 忘れ物よりも嵯狐津姫さまへのご報告を早くしてください。 姫様はあなたの報告を待ち望んでいます。 さぁさぁ』 そう言いながら硬直している玉梓の背中をコン・リーノは押して見せ、 『いや、その… ですからぁ…』 必死に言い訳をする玉梓を城門の中へと押し込んだのであった。 『嵯狐津姫さま、 玉梓がご報告に参りました』 城の奥深く、広大な広間にコン・リーノの声が響き渡ると、 『そうか…』 広間に据えられた玉座にもたれ掛かるうにして座る嵯狐津姫が 背後から伸びる9本の尾をゆっくりと払いながら返事をする。 『さっ、 何をなさっているのです? 嵯狐津姫さまにご報告を』 嵯狐津姫を前にして 相変わらずカチコチに固まった状態になっている玉梓にコン・リーノは話しかけ、 トン! と玉梓の背中をつき押してみせると、 『あっ』 その勢いを受けて玉梓は2・3歩前に進み出る。 そして、 『さっ嵯狐津姫さま… あの… その… でっですから…』 背後にコン・リーノ、正面に嵯狐津姫に挟まれた形の玉梓は 失敗の事を言い出せずに見る見る泣き顔になっていくと、 フゥ 嵯狐津姫は大きくため息をつき、 玉座の肘掛の先を軽く叩いてみせる。 すると、肘掛の先に幾本も光る線が姿を見せ、 嵯狐津姫はそのうちの一本を弾こうとする。 ニヤリ それを見たコンリーノは小さく笑みを浮かべるが、 なぜかその指先が線から離れ、 『役目ご苦労。 下がってよいぞ』 嵯狐津姫はそう告げたのであった。 『ほっ』 その返事を聞いた玉梓は安心した表情になると、 『なぜです? 嵯狐津姫さま』 とコン・リーノは声を上げる。 『へ?』 思いがけないコン・リーノの言葉に、 玉梓は驚いた表情を見せると、 『わらわの仕置きに不服があるのか? コン・リーノ』 『いっいえ』 『ならばよかろう』 『しかし』 なおもコン・リーノは口を挟むと、 『コン・リーノ。 いつまでわらわを待たせる気か?』 と嵯狐津姫は問いただす。 『待たせる? と、言いますと…』 『白蛇堂じゃっ、 昨年の年始、 今年の年始、 ずっと献上品が滞っているではないかっ、 どうなっておるのだ? 来年の年始まで待てと言うのか?』 嵯狐津姫は年始の献上品が ここしばらく滞っている事について問い詰める。 『はっ、 もっ申し訳ありません。 その件につきましては現在…』 『言い訳はいらぬっ、 わらわはもぅ待てぬぞ』 『かっ畏まりました』 大汗をかきながらコン・リーノは頭を下げると、 玉梓を引きつれ謁見の間から飛び出していく、 そして、 『玉梓さぁん、 名誉挽回のチャンスを与えましょう。 嵯狐津姫さまに滞っている去年と今年の献上品を持ってくるのです。 手段は選びません。 献上品を持ってくればあなたが犯した失敗は不問にいたしましょう』 目を細めながらコン・リーノは玉梓に告げたのであった。 『と言われても… どうすればいいんですか、 コン・リーノさん』 大都会を一望できる高さ634mの塔の頂上で玉梓は愚痴をこぼしていた。 この高さから見下ろす夕暮れの街はまさに宝石箱。 キラキラと燦然と輝く街は見るものの心を奪うが、 しかし、玉梓の心を癒すことはなかった。 『あぁっもぅ、 腹が立つっ 世界よっ、 最悪の結末、バッドエンドに染まれ! 白紙の未来を黒く塗りつぶすのだ!』 突然、玉梓は声を上げると、 懐より取り出した本を見開き、 無地のページを手で黒く塗りつぶして見せるが、 しかし、彼女が期待していることは何も起きなかった。 『あたしにもぅちょっと力があれば、 人間達からバッドエナジーを奪えるのに、 これじゃぁ、虫をバッドエンドに染めることも出来ないよ… はぁ…』 肩を落としてため息をつく、 すると、 『おやおや、 子狐さんが こんなところで何をしているのかしら』 と女性の声が響いた。 『え?』 その声に慌てて振り返ると、 紅い衣を身に纏った女性が一人街の明かりを背景に立っている。 『誰?』 『通りすがりの…って事にしておきましょうか。 コン・リーノに無茶言われて困っているんでしょう。 ちょっとだけ手助けしてあげるわ』 警戒する玉梓に向かって女性はそう言うと、 『これを使いなさい』 と手に握れるサイズの紫色の玉を手渡した。 『これは?』 『それはね、 紫っ鼻と言って、 人間を動物にしてしまう妖力が詰まった玉。 嵯狐津姫への贄で足りないのは、 ”ウサギ”と”竜”。 適当に二人の人間を選別して その玉を使ってさっきの動物にしてしまえば、 あなたの任務は終わりよ』 と説明する。 『あっありがとうございますっ なんとかなりそうです』 光明が見たのか、 玉梓は笑顔でそう返事をすると、 シュッ! 掻き消すように女性の前から姿を消した。 そして、玉梓が去った後、 『はぁ、 お姉さまの尻ぬぐいも大変だわ』 残された女性は文句を言うと、 玉梓の後を追うように姿を消したのであった。 『さぁて、 誰にし・よ・う・か・な』 紫鼻を手に入れた玉梓は足取り軽く、 日が落ちて賑わいを見せる歓楽街を歩いていく。 「なんだ、あれは?」 「何かコスプレか?」 頭からは狐の耳を立て、 緋袴からは狐の尾を伸ばす、 十代前半と思える巫女が歩いていく様子に、 通りを歩く人たちは皆振り返ってみせる。 しかし、 『うーん、誰にしようかなぁ』 当の玉梓は周囲の視線を浴びていることは一切気にせずに、 獲物となる人間を探しながら歩き続けていた。 それから程なくして、 歓楽街の稲荷明神近くに来たとき、 「もしもし、 そこの君」 と男性から声を掛けられた。 『はい?』 その声に彼女は振り返ると、 「君、年はいくつ? 中学生?」 制服姿の警察官が怪訝そうな表情で玉梓を見下ろしていた。 『えっと、 なにか?』 不機嫌そうに玉梓は聞き返すと、 「いま、何時か判っている? 子供がこんなところを居てはいけないよ。 お父さんかお母さんの電話番号教えてくれるかな」 と警官は言う。 『子供? 失礼ねっ、 あたしはこれでも お前達、人間よりもずっと長く生きているんだよ』 警官の言葉にカチンと来た玉梓はそう言い返すと、 「何を判らないことを言っているんだ。 学校はどこ?」 警官もまた玉梓の返事に不機嫌そうに質問すると、 「あれ?」 目の前に居たはずの玉梓の姿が消え、 代わりに稲荷境内に置かれている石の狐像が鎮座している。 「おいっ こらっ」 玉梓の姿を求めて警官はキョロキョロするが、 すでにその時、玉梓は離れたところを歩いていたのであった。 『アイツ、動物にしてやろうかと思ったけど、 嵯狐津姫さまの好みじゃないよね。 もっと、こう性根が腐ったのが…』 後ろを振り向きながら玉梓がそう呟いたとき、 ドンッ 『きゃっ』 「あいたっ」 玉梓は何者かとぶつかってしまうと、 双方とも尻餅をついてしまったのであった。 『いったぁ…』 痛む尻を玉梓はさすっていると、 「こらっ、 どこに目をつけているんだ」 と女性の声。 『なに?』 その声に玉梓は顔を上げると、 まるでゴリラのような女性が立ちはだかっていた。 『うわぁぁぁ、 動物…』 女子高校生であろうか、 丈を短くしたチェック柄のスカートをなびかせて、 腕を組む女性を見上げながら玉梓は呟くと、 「なんだとぉ!」 その言葉が気に入らなかったのか、 女性は玉梓の襦袢を掴み上げ、 「てめぇ、 いまなんて言ったぁ?」 と鼻息荒く問いただす。 すると、 「真由美ぃ、 どうしたの?」 「なにこれ? コスプレ女ぁ?」 彼女の友人だろうか、 同じ制服を着た二人の少女が相次いで姿を見せると、 玉梓の周囲を取り囲んだ。 そして、 「狐の尻尾に耳をつけて、 なにこれ?」 「頭おかしいんじゃない?」 少女達は玉梓の耳と尻尾を引っ張りながら、 笑って見せると、 『気安く触るんじゃない』 彼女達の行為に腹が立ったのか、 玉梓は怒鳴り声を上げる。 その途端、 グイッ 玉梓ののど元を真由美の手が締め上げると、 「お前のその目、 どこかで見たなと思ったけど、 中学のときの木之下ってヤツと同じ目だ。 胸糞悪い」 と言う。 「あぁ、そういえば」 「似ている」 彼女の指摘に他の二人もうなづくと、 「ここじゃ人目につきやすい。 ちょっとツラ貸しな」 真由美は有無も言わさずに玉梓を、 人気がない稲荷の境内へと連れ込むと、 「お前とは関係ないが、 昔の腹が立つことを思い出した。 悪く思うなよ」 そういいながら玉梓を境内の玉砂利の上に突き飛ばし、 バキボキと手の関節を鳴らし始める。 そして、 「梨華! 早苗! 人が入ってこないように見張っていろ」 と指示をすると、 「はいっ」 着いて来た二人はその場から離れていく。 「どうした? 怖気づいたか? たっぷりと可愛がってやるよ。 覚悟しな」 ボリュームのある胸を揺らしながら、 玉梓をいたぶることを考える真由美は笑みを浮かべたとき、 『くくっ、 人間風情が調子に乗るな』 玉梓もまた、自分の目を赤く光らせると、 犬歯が伸びる口元を緩めた。 そして、 ザワッ 袴から伸びる尾の毛を一斉に逆立てると、 『その腐った性根っ、 嵯狐津姫さまがもっともお好みになられる。 決めた』 と呟くと、 バッ 紫鼻を高々と掲げ、 『いでよっ、 あっかんべー』 と声を張り上げる。 すると、 ギンッ 境内の狐像に魂が宿り、 『こぉぉん!』 真由美の前に紫の鼻をつけた巨大なキツネが姿を見せたのであった。 「なんだ? こぅこいつ 化け物…」 目の前に立ちはだかるキツネを見上げながら 真由美は2・3歩下がると、 「どうしたの?」 「ってなにこれ?」 騒ぎを聞きつけて戻ってきた梨華と早苗も 巨大キツネを見るなり腰を抜かした。 『あははは… 人間よっ、 お前達は嵯狐津姫さまの贄となるのだ。 光栄に思え』 キツネの頭の上に立つ玉梓は勝ち誇ったように笑うと、 『やれっ』 とキツネに命じる。 すると、 『こぉぉんっ』 巨大キツネは大きく声を上げると、 ブルッ 大きく身震いし、 その尻尾を真由美たちに向かってひと払いする。 最初に変化が起きたのは梨華と早苗だった。 「痛いっ」 二人が痛みを訴えながら両耳を押さえると、 メリメリメリ 手で押さえている両耳が手の指の隙間を押し広げて伸びてくると、 ジワジワジワ 彼女達の手首はもちろん、 スカートから覗く足にも白い獣毛が生えてきた。 「ひっ ひぃぃぃ」 それを見た二人は悲鳴を上げるが、 変化は留め様も無く進み、 腕の形が変わると、 足もまたその姿を換えていく。 靴が脱げ落ち、 制服のスカートの下から丸い尻尾が飛び出すと、 モグモグ モグモグ 二人の口はせわしく動き始めた。 そして、 ピョンピョン と飛び回り始めると、 そこには人間ではなく赤い目をしたウサギが二羽、 仲良く飛び跳ねて見せる。 「うそっ、 梨華と早苗がウサギになった…」 衝撃の光景に真由美は目を丸くすると、 『くくっ、 それで終わりではないぞ。 今度はお前の番だ』 と玉梓が言い終わる前に、 「ひっひぃぃぃ」 真由美は自分の腕に生えてきたウロコをみて悲鳴を上げる。 そして、 ザワザワザワ ウロコは見る見る真由美の体を包み込んでしまうと、 彼女の口が裂け、 頭から角が伸びると、 口の両側に一対の髭が伸びていく。 さらに、手足が短く縮んでしまうと、 それに反比例して胸の膨らみを失った胴が伸びていく。 こうして真由美は竜へと変身してしまうと、 『うんっ、 卯と辰。ちゃんと揃ったわね。 これなら嵯狐津姫さまもお許しになってくれるはず、 さっお城に戻ろう』 一仕事を終えた玉梓は満足げにうなづくと、 ふっ 干支の獣となった3人を引き連れて、 嵯狐津野原へと戻っていったのであった。 『やれやれ、困ったものですねぇ… こうもあっさりとミッションをクリアされてしまうと、 私の立場が危うくなるではありませんか』 おわり