風祭文庫・獣変身の館






「鮫肌」



作・風祭玲


Vol.806





「世界水泳かぁ」

オリンピックと並ぶ水泳競技の世界大会を告げるポスターを見上げながら、

あたし・永江由利はそう呟くと、

「もうそんな時期なんだねぇ…」

と同じ水泳部に所属し、親友の長島信子は声を合わせた。

「狙っているんでしょう?

 これ?」

不敵な笑みを浮かべながら信子はあたしに尋ねると、

「あはは、

 まさか…」

とあたしは軽い返事をする。

すると、

「ウソおっしゃいっ

 顔には出たい。

 って書いてあるわよ」

信子はそう言いながら人差し指であたしの頬を

プニッ!

っと押す。

「はぁっ、

 信子には叶わないわね」

そんな信子を見ながらあたしはため息をつくと、

「そりゃぁ、

 水泳部に籍を置く身としては、

 世界水泳はオリンピックと並ぶ憧れであり夢よ、

 でも、それに憧れるのと出場するとでは、

 運代の差があるわ。

 いまあたし達がしなえればいけないのは…」

と言いかけたところで、

「目の前の大会で上位に食い込むこと…

 でしょう?」

信子はあたしの台詞に割って入り、

先に結論を言う。

「うっ、

 あのね。

 一番いいところを持っていかないでよ」

そんな信子にあたしは食って掛かると、

「さーさ、

 こんなところでモサモサしてないで、

 明日の為のその1!

 身体に合う水着を買うべし。

 が先決なんじゃないの?」

といまここにいる目的を告げ、

信子はあたしの背中を押した。



そうだった。

中学時代はあたしはずっとチビだったが、

高校に入ってしばらくしてから

思い出したように急激に身長が伸び始め、

よそ行きの服からお気に入りの普段着まで、

あたしは服の買い替えに迫られていた。

幸い、制服は成長を見越して作っていたために、

作り変える必要は無かったが、

部活で使う競泳水着が限界に来ていた。



ぴちぴちに張り詰め、

すっかり身体のサイズに合わなくなってしまった水着は

あたしの足を引っ張りタイムは落ちる一方。

「まったく、

 水着のせいでタイムが伸びない。だなんて、

 水泳選手としては失格だよ」

そんなあたしに信子は呆れながら指摘すると、

「すみません」

あたしは素直に謝った。

「あら、随分と素直じゃない?」

あたしの言葉に信子は意外そうな顔をすると、

「じゃぁ、

 ここ行ってみようか」

と彼女お勧めの水泳専門のスポーツ用品店に入るが、

ものの10分ほどで飛び出してくると、

「だぁぁ!!

 あんなに高いのは買えないって!」

とあたしは叫んだ。

「無茶言わないでよっ、

 ちゃんとした競泳水着って結構高いものよ」

叫ぶあたしに向かって信子はそういうが、

「もちょっと、安いところを探そう」

信子の袖口を掴んであたしはそう言うと、

あたしたちは安い水着を探しはじめたのだが、

やはり、彼女の指摘どおり価格は伊達にはついてなく、

結局流れ流れて、

国道沿いに立つディスカウントストアの前に来ていた。

「あれ?

 何か名前が違うし、

 それにお店が新しくなっている…

 リニューアルしたのかな?

 とにかくここ入ってみよう。

 たしか、前まではスポーツ用品コーナーがあったんだけど…」

真新しい看板が掛かる店を指差しながらあたしは言うと、

「はいはい」

半ば諦め顔の信子は反論もせず大人しくついてくる。

ここはディスカウントストアと言う割には店内は広く、

商品棚の間隔も大きく取ってあるので、

あたしたちは余裕でショッピングが出来る。

そして、案内に導かれながらスポーツ用品の売り場に向かうと、

ズラリ…

ハンガーに掛けられ並べられた競泳水着の種類の豊富さに目を引いた。

「へぇぇ、

 ここって、こんなに品揃え良かったっけ?

 それに値段も安いわ…」

商品の量とその価格に信子は驚くと、

「はぁ、見たことが無いメーカーのもあるわねぇ、

 良くぞ取り揃えた。

 と言いますか」

あたしもまたどれにしようか迷ってしまうくらいの商品量にただ感心すると、

「由利っ、

 ここで決めるのよ」

と信子はあたしに命じた。

「判っているわよ、

 どれにしようかなぁ」

信子のその言葉にあたしはそう返事をすると、

半ば嬉嬉としながら競泳水着を選び始めた。

だが…それから1時間後。

「うわーん、

 どれいいか判らないよぉ!!」

迷い始めたあたしは頭を抱えると、

「無理に絞り込んじゃなくて、

 直感で決めるのよ、

 値段はどれも同じなんだから、

 中身は大して変わらないって」

と信子はアドバイスをしてくれた。

「でも…」

そんな信子をあたしは訴える目線で見ると、

『いらっしゃいませぇ』

と言う声と共にお面の様なものを頭に付けた女性店員があたし達のそばに来ると、

『これなどはいかがでしょうか?

 お客様?』

一着の水着を薦めてきた。

「きゃっ!」

店員の突然の登場にあたしは思わず悲鳴を上げるてしまうと、

「なんだ、店員さんじゃない。

 大きな声で驚かさないでよ」

と信子があたしを嗜める。

「そんなこと言ったってぇ」

信子の言葉にあたしは口を尖らかすと、

『まぁ…

 細かいことは気になさらないで下さい。

 わたしはあなた様に極上の水着をお買い求めいただこうと思いまして』

とネームプレートをつけた女性は返事をした。

すると、

『これがお気に召さないのなら、

 こちらなどは如何でしょうか?

 サメ皮をベースに仕立てた最新型で、

 タイムを1割〜2割あげることが出来る水着です』

と店員は新しくグレー色の水着を差し出すと、

そう言って来る。

すると、

「あっあたし知ってる。

 サメって結構泳ぐのが速いでしょう?

 それの研究をしているところが、

 早い秘密はサメの肌にあることを発見したのよ、

 なんでも、サメの肌の細かいザラザラのお陰で、

 水の乖離が良いんだって」

と信子は説明をした。

「へぇーそうなんだ」

それを聞いたあたしは関心をしながら、

水着を受け取ると、

「本当だ…

 細かいザラザラがある」

と水着の表面を覆うザラザラを触ってみた。

『如何でしょうか?

 その水着と、

 こちらの水着、

 2枚セットでお買い求めいただけますと、

 2割お引きいたしますが』

そんなあたしたちに店員は追い討ちを掛けるように

さらに別の鮫肌水着を出して見せると、

「それって本当ですか?」

目を輝かせながら信子は店員にせまった。

『はっはぁ…

 ポイントも1割増しでお付けいたします』

信子のその迫力に押されながら店員はそう告げると、

「よーしっ買ったわっ、

 由利っ

 二人でお揃いの水着よ、

 これで世界水泳を目指すのよっ」

と信子は燃え上がりながらあたしの財布を奪い取り、

そのままレジへと向かっていった。



翌日、

「はぁ…

 昨日は完全に信子のペースだったなぁ」

そう思いながらあたしは更衣室で昨日買ってきた鮫肌の競泳水着に着替えると、

ピチッ!

水着はあたしの身体に吸い付くように張り付き、

まるで自分の皮のように身体にフィットする。

「へぇぇ…

 すごい…

 まるで何も着てないみたい…」

軽く指先で触ってみると、

指先から感じるザラザラ感と共に、

自分の肌をくすぐられたような感覚が走り、

その間隔にあたしは驚いていると、

「よっ、

 早速着ているね」

と信子の声が響いた。

「あっ、

 信子っ」

その声にあたしは振り返ると、

信子もまた同じ鮫肌の競泳水着を着ていて、

「ふふっ、

 ちょっとデザインが違うけど、

 お揃いね」

と笑みを浮かべながらそう言うと、

二人並んでプールサイドへと向かっていた。

「なになに?

 お揃いの水着なんて着ちゃって」

「ずるーぃ、

 水着を買いに行くなら一緒に誘ってくれても」

「あっそれって、

 鮫肌の水着でしょう、

 高くなかった?」

と部員達が集まってくると、

たちまち話の我が出来上がった。

そして、

「おーぃっ、

 そこっ!

 なに喋っているんだ」

遅れてきた顧問があたしたちを指差して声を上げると、

「あっいけない」

みんな一斉に散って準備運動を始めだす。

そして、

掛け声の中、

ザブーン

ザブーン

次々とプールに飛び込み、

今日の練習メニューを消化し始めた。



カチッ!

「ぶはぁ…」

あたしの手が壁にタッチするのと同時にストップウォッチがとめられ、

「どう?」

水面から顔を上げながらあたしはタイムを聞く。

すると、

「ねぇ、

 どういうこと?

 無茶タイムがあがっているじゃない」

と記録をしていた部員が驚きの声を上げた。

「え?

 そうなんだ…」

その声にあたしは小さくほくそえみ、

「やっぱこの水着のお陰なんだ」

と呟くと、

ポンッ!

あたしの肩が叩かれ、

「やったねっ」

と信子がウィンクをしてみせる。

「うんっ」

それを見たあたしは大きく頷くと、

プールサイドに上がり、

そして、二人でスタート台に向かっていくが、

「あれ?」

横を歩く信子の肩に掛かる水着の肩紐が、

なにやら信子の肌に溶け込んでいるのが見えると、

「?

 何かしら?」

とあたしは不思議に思い、

そして、自分の方を見ようとした。

すると、

「こらぁ!

 お前らっ、

 緊張が無さ過ぎるぞ

 開会まで時間が無いんだぞ」

突然、顧問の怒鳴り声が響くと、

「はいっ!」

あたしは声を張り上げ、

気を引き締めた。

そして、

信子と並んでスタート台から飛び込むと400mを泳ぎ始めた。

50mプールを4往復。

結構これがキツイのだが、

ゴボゴボゴボ

なぜかそのときあたしは疲労感も、

息苦しさも感じずに泳いでいく。

「あれ?

 何かな?

 泳いでいるのがとっても楽」

そう思いながらあたしは泳いでいると、

ミシッ!

着ていた水着がなんだか広がってくるような感触を感じ始め、

それが、身体を覆って来るとさらに泳ぐ速度が増してくる。

「あはっ

 すごい

 すごい」

水の中をあたしは左右に身をくねらせながら泳いでいくと、

広がる水着に覆われた腕は小さくなると扁平になり、

またお尻から尾が伸びていくと

脚がその中に吸収されていく、

そして、

背中に背びれが突き出すと、

あたしは口を大きく開け、

口から入ってくる水を身体の奥へと流し込んだ。

すると、

シュワァァ

胸の両脇から水が一斉に流れ出し、

さらに早く泳げるようになっていく。

『あはは…』

鼻を突き出し、

プールの中全体を見渡せるようになったあたしは、

泳ぐことの楽しさを感じながら泳いでいく、

もぅ、止まることは出来ない。

生きるためにあたしは泳ぐ…



「きゃぁぁぁ!!

 サメぇぇぇ!」

突然、プールの中からその悲鳴が上がると、

「なんだ?

 みっみんな上がれ!」

プールの中を悠然と泳ぐ2つの魚影にを見た顧問は

慌てながら部員達に命令をする。

そして、

大騒ぎの中、

水泳部員は皆プールサイドに非難していくと、

部員の一人がプールを指差し、

「永江さんと長島さんが…
 
 さっサメになってしました」

と悲鳴を上げた。

そして、その声が響くプールの中では、

二匹のサメ・ホオジロザメとシュモクザメがいつまでも泳いでいたのであった。



おわり