ガチャッ 目の前のドアが開くと ギラッ… 地平線から顔を覗かせた真紅の太陽が 赤茶けた大地を燃え立たせるように照らし始めているのが目に入ってくる。 その太陽の光を一身に受け止めながら、 ”ふぅ” 俺は大きく息を吐くと のそっ 4つの脚をしっかりと踏みしめ、 ひんやりと冷気が覆うサバンナに踏み入れた。 サクッ サクッ 潅木と雑草、そしてブッシュが入り乱れ、 ところどころに赤茶けた土が顔を出すサバンナの大地を 俺は悠然と歩いていく。 ザザッ! 突然、草陰から草食獣が飛び出すと、 一目散に逃げて行く。 ”おいっ 別に取って食べやしねぇよ。 俺はお前達を取って食べやしないんだから” 逃げていく動物に俺はそう話しかけるが、 「うるるる」 そんな俺の口から出るのは唸る猛獣の声。 まぁ無理もない。 いまの俺は誰だって逃げ出してしまうような姿なのだから… サク サク サク サク ネズミもヘビも その他様々な動物達が、 皆俺の姿を見た途端、草陰に入っていく、 ”ふふっ” ある意味とても心地よい。 そんな中を俺は気ままながらも、 ある目的地に向かって歩いていた。 目指すはあの岩だらけの小高い丘の上。 その陸の上からはあるものを望むことが出来るのだ。 それは”マサイ”と呼ばれる人間達の集落であり、 そこには俺にとってかけがえのない者が住んでいるのだ… 朝日は次第に高くなると、 白い光を放ち始め、 ジリジリと周囲を熱し始めた。 もはや早朝の涼しさなどすっかり影を潜め、 沸き立つ熱気が辺りを包み始めた。 ”ちっ今日も暑いか まっ当たり前といえば当たり前だけどな” 口を少し開けて、 俺は恨めしそうに太陽を見る。 だが、どんなに太陽を睨みつけて見ても涼しくなるはずなどなく、 ユラッ… ついに陽炎が立ち始めた。 ”こりゃぁたまらん” 暑さから逃げるように、 俺は一目散に丘へと向かっていく。 やがて、生い茂るブッシュの向こうに 岩山が姿を見せると、 俺は逃げ込むようにしてブッシュの中に飛び込んだ。 ザザザザ ザザザザ ”これを抜ければ岩の上だ” そう思いながら俺は鬣を引っ掛けないように進み、 ついに目の前が一気に開けた。 ”やった ここなら昼間で居られる” 開けた視界に俺は安堵したものの、 ”げっ” なんとそこには既に先客が居た。 「がうっ!」 いきなり現れた部外者に先客はのっそりと起き上がり脅しをかけてきた。 ”ちっ!” ここでケンカを売って追い払うのも手だが、 だが、先客の立ち位置がまずい。 よりによって、上の岩に座り込んでいたのだ。 ネコ科にとってこれではこっちは後手、 向こうは先手である。 体力的にはしてやれないわけでもないが、 これからのことを考えるとここで体力は消耗したくない。 うっかり手負いになってしまうと、 マサイの”狩”の対象になるからだ。 ”仕方がないなぁ…” そう思いながら俺はその場を引き下がろうとするが、 「がうっ」 何が気に入らないのか、 腹の虫の居所が悪いのか、 先客は引き下がりかけた俺に吠え掛かり始めた。 ”おいっ そこを譲るって判るだろう? お前はそんなことも判らないバカか?” しつこく吠え掛かり、 俺を倒さんと寄ってくる先客に向かって怒鳴るが、 「がうるるるるるる…」 どうやら、先客はやる気満々らしい。 ”所詮は獣か… 獣に空気を読めと言っても通じるわけは無いか” 先客の態度に俺は撤退するのを諦め、 そして、先客を見据えた。 ”そういや、 先日、うちの近所でドラネコ共がこんなことをやっていたっけなぁ…” そう思いながら俺は先客を見据え、 そして、脚を引き全身に力を込める。 勝負は一瞬。 俺は頭の中を獣の感覚でいっぱいにし、 その時を正確に読んだ。 「がうっ!」 「がうっ!」 岩の上に二匹の獣の声が響き、 その直後、 ガラガラガラ… 崩れていく岩の音ともに 俺の目の前にいた先客がゆっくりと視界から消えていった。 ”ば・か…” 咄嗟に俺の口からその言葉が漏れる。 こう、ここの岩はすっかり風化していて、 ちょっとした衝撃で崩れやすくなっているのである。 そして、先客はこともあろうか、 浮き上がり崩れかかっていた岩を踏み台にしてしまったために 崩れた岩と共に落ちてしまったのであった。 ”あいつ、死んだかな…” そう思いながら恐る恐る下を覗き込んでみると、 ザザザザ… さすがはネコ科の一員。 先客は真下まで落ちずに巧みな脚裁きで崖を下りていた。 ”ふぅ、 バカでも獣、 運動神経はそれなりにあるか” 少しほっとしながら俺は先客を見送ると、 ベタ 悠々と岩の上に寝そべった。 崖の下からサバンナはまだ続き、 そして、その先には曲線を描く垣根と、 土色の壁を持つ住居が見て取れる。 『ごめんなさい… あたし、こんな身体になってしまったんです』 泣き声を上げながら、 弓子が漆黒に染まる男の肉体を俺に見せたのは つい1週間前のことであり、 俺達がこのサバンナを訪れたのはさらにその2日前で、 いわゆる新婚旅行というものだった。 ”野生の動物をナマで見てみたい” そんな弓子の願いを叶えた旅だったのだが、 だが、そのたびの途中、 弓子はこのサバンナで生きるマサイの禁忌に触れてしまい。 その代償として弓子の白い女性の肉体を、 マサイの漆黒で逞しい男の身体が蝕み始め、 数日で弓子はサバンナで一本の槍で生き抜く孤高の戦士 マサイと化してしまったのであった。 突然のことに俺は事態を理解できず、 ただ、弓子の変身を見ているしかなかった。 そして、マサイに変身してしまった弓子は ひどく乱れた字の書置きを残して俺の前から消えてしまうと、 俺は弓子の姿をも求めてサバンナを探し回った。 そんなことを思い出していると、 陽はさらに高くなり、 この岩場でさえも大分暑くなってきた。 ”ふぅ そろそろここもダメかぁ たまらんなぁ” ハッハッ ハッハッ 口を大きく開け、 舌をだして俺は体温調整を始める。 そして、ふと下を見ると、 「・・・・・・!!」 「・・・・・・!!」 漆黒の身体に赤い衣を巻いた姿のマサイ達が声を上げながら、 崖を上って来るのが見えてきた。 ”やっとおでましか” 槍を携え、 獣を思わせる身体を持つモランと呼ばれる年長の戦士が3人と、 坊主頭に赤土を塗りこめ、 朱染めの衣も初々しく、 槍の持ち方一つぎこちなさそうな まだ戦士に成ったばかり思える若い戦士が3人。 計6人のグループである。 ”んーと” 崖を上ってくる彼らを俺は見据え、 そして、若い戦士の中に俺が探していた顔を見つけると、 ”けっ、 弓子の奴、 それらしい顔つきになってきたじゃないかよ” と俺は呟いた。 「・・・・・!!」 「・・・・・!!」 マサイ達はモランが掛け声をかけ、 新入りがそれに答える形で声を出し合い、 ゆっくりと崖を上ってくると、 潅木の向こうに姿を消していった。 ”あの構成じゃぁ 間違いなくこれから度胸試しをするようだな、 ご苦労なこった” マサイ達を見送った俺はそう呟き、 ”どっこらしょ” 徐に腰を上げると、 ガサガサガサ… 潅木の中に潜っていく。 そして、 風上から漂ってくるマサイの匂いの強さを目安に距離を置き、 潅木からブッシュ、 そして、草の中を抜き足差し足と移動し始めた。 「・・・・・・!」 「・・・・!」 聞こえてくる声から、 どうやら、先頭のモランが周囲を警戒しつつ、 今日の獲物を求めてるようだ。 チャラッ チャラチャラッ 時折聞こえてくる頭飾りの音が獣避けになっているようで、 それが聞こえるたびに俺はつい怯んでしまう。 時間が経ち、俺自身も獣に染まり始めた証でもある。 ”さて、 頃合を見計らって、 さっさと用件を片付けるか、 この毛むくじゃらの身体では暑くてたまらん” そう思いながら俺はタイミングを計るが、 連中の眼は人間としては極めて良く、 俺のようなハンパな奴はスグに見つけられてしまう。 とにかく、注意するに越したことはない。 マサイ達に気付かれないように俺は常に風下を歩いていく。 天空の陽はピークを過ぎ、 サバンナは午後の佇まいになってきた。 なかなか隙を見せないマサイを苦々しく追いかけていると、 ようやく彼らは休憩を取り始めた。 ”よしっ、 いまだ!” この好機を逃さまいと、 俺は素早くマサイたちを追い抜き、 連中から良く見える場所をワザと通り抜けて見せた。 その途端、 「・・・・・・!!っ」 モランが俺を見つけたのか、 仲間に向かって小さく声を上げた。 すると、 「・・!」 「・・!」 休んでいた皆が一斉に腰を挙げ、 手に槍を取り、 俺を追いかけ始めた。 ”食いついてきたな、 さて、 どこまでついてくるかな?” その物音を聞いた俺はワザとゆっくり歩いてみせると、 カラン… カラカラカラ… ザザッ ザザザッ 頭飾りの音ともに脚音が俺の背後に響いた。 ”よーし、 きたなぁ” その音を聞いた俺はホッとしながらも、 少し緊張して歩き始めた。 いまのところ連中からは殺気は感じられない。 要するにこれは”狩”ではなく。 あくまで”度胸試し”が目的だという証。 だが、功名心の高い連中故に、 油断をするとスグに狩られてしまう。 まさに綱渡りをしながら俺はマサイ達を誘導していく。 そして、マサイ達と共に弓子… いや、マサイ・ラウもしっかりとついて来ているのを確認すると 俺はわき目も振らずに歩いていく。 「どうしてここに…」 「探したよっ さぁ僕と一緒に帰ろう」 探し出したマサイの村で俺は真新しい朱染めの衣を身体に巻く 弓子に向かって手を差し伸べるが、 だが、 「だめっ もぅダメなんです」 と弓子は返事をすると、 溶いた赤土で模様を書かれた顔を俯かせ、 視線を俺から外した。 「なんで?」 その訳を俺は尋ねると、 スッ 弓子は衣の裾を捲り、 その中にある男の性器を俺に見せる。 「これは…」 ポタッ… 弓子の性器からは血が滴り落ち、 さらに良く見てみると、 性器の皮の部分が横に半周ほど切り裂かれ、 その切り口からピンク色の肉の頭が飛び出していたのであった。 あまりにも痛々しい性器の姿に俺は言葉を失ってしまうと、 「あたし… 割礼を受けたのです」 と答えた。 「割礼? それってチンポを…」 その返事に俺は思わず聞き返すと、 コクリ 弓子は小さく頷き、 「あたし、 マサイ戦士に、 モランとなってしまったのです。 このオチンチンはその印であり、 そして、髪も全て剃り落されます」 と目の前のマサイが弓子である唯一の証である、 髪を撫でながらそう答えると、 「ごっごめんなさい… あたし… 頭の中もマサイになって来ているんです。 今話している言葉も段々話せなくなって来ているし、 いろんなことも忘れてきて… そして、代わりにマサイの言葉をはじめ 様々なことが判るように…」 と告げた。 「まさか、 じゃぁ、弓子っお前は、 身体だけではなくて、 心までマサイになっているの言うのか?」 それを聞いた俺は思わず怒鳴ってしまうと、 「ううう…」 弓子は俺を見詰めたまま涙を流し、 そして、 『・・・・・・』 マサイの言葉と思える言葉で俺に話しかけてきた。 あの弓子が…身体どころか心までマサイになっていく、 この衝撃の事実に打ちひしがれ、 俺はこの地をさ迷った。 そんな時、サバンナの外れにある街で ”黒蛇堂”という漢字の看板に引き寄せられた俺は 思わずその店の戸を開けると、 応対に出た少女より、 シンバ・ライオンの毛皮を譲り受けたのであった。 ”このライオンの毛皮を被れば陽の出ている間だけ、 本物のライオンに化けることが出来る” 少女からはじめてそれを聞いた時、 俺は半信半疑だったが、 だが、実際に被った途端、 俺は百獣の王・ライオンに変身してしまったのであった。 ”すげーっ マジでライオンだよ” 鬣を靡かせ、四つ足で走る猛獣になった自分を 鏡で見ながら驚いていると、 『マサイにとってライオンは特別な獣。 その弓子さんという人を見守るには都合が良いかと思いますが』 と黒い服の少女は俺に言う。 そして、その日から俺はライオンに化け、 弓子、 いや、ラウと呼ばれる新米の戦士を影から見張るようになったのであった。 そして、今日は新米戦士の度胸試しの日。 モランがライオンの前に立ち その注意をひきつけているうちに、 後ろに回った新米たちがライオンの尾に触れるというもので、 場合によっては死者も出る。という危ない度胸試しであった。 ザザザザ… 突然、一人のモランが俺を抜き、 前に飛び出すと、 「・・・・・・!!!!っ」 俺に向かって声をあげ、 威嚇を始めた。 どうやら彼が引きつけ役のようだ。 「がうっ!」 そんなマサイに向かって俺はひと吼えして見せるが、 さすがは歴戦の戦士・モラン。 少々のことではひるまなかった。 ”へぇぇ” そんなモランの姿に俺は感心しながらも、 「がうっ がうっ がうっ」 と立て続けに吼えて見せると、 ザザッ 背後にマサイ達が集まってくるのを感じた。 いよいよ度胸試しの始まりである。 いまこの場所で俺の尻尾に触ることが出来れば、 触ったものはモランの一人として認められるのだ。 ”弓子も戦士に…” 自分の手、いや、尻尾で弓子をモランにしてしまうことに、 俺はためらいも感じるが、 だが、身体も心もマサイとなっていく弓子にとって、 もはやモランとして生きていく道しかない。 そう覚悟を決めたとき、 ”だからといって このまま触らせるのも…なんか癪だな” と俺は考えるなり、 クルッ! いきなり後ろを振り向くと、 「がうっ!」 と吠え掛かった。 その途端、 「うわぁぁぁ!!!」 俺の後ろに待機していたマサイの新米戦士は、 悲鳴を上げる者、 ぺたりと座り込む者、 と三者三様の反応を見せ、 割礼と同時にラウというマサイの名前をつけられた 弓子はと言うと、 槍をギュッと握り締めたまま、 ガタガタと震えていたのであった。 ”おいおいっ、 びびるなよっ 吼えられただけだろうが、 それでモランが務まるかぁ?” そんな弓子を眺めつつ、 俺はそう思うと、 また向きを変えると、 ギラッ! 万が一に備え、 俺に向かって槍を構えるモランを見た。 「・・・・・・・」 何かに祈っているのだろうか、 マサイは何かを口ずさみ、 俺をじっと見据えている。 ”食べやしないよ” そんなマサイに俺はそう呟いて見せると、 俺に攻撃の意思がないことを見抜いてか、 サッ サッ 槍を構えるモランは背後の連中に手で合図を送る。 すると、 ギュッ! いきなり俺の尻尾が掴まれ、 「がうっ!」 思わず俺は声を上げた。 だが、マサイ達は怯まずに、 ギュッ ギュッ っと次々と俺の尻尾を掴み、 そして、 ザザザザザ!!! 音を上げて走り去っていった。 ”まったく… やっと掴んで行ったか” 逃げていく赤い衣を見送りながら俺は唸っていると、 ザザザッ 俺の注意をひきつけていたモランも警戒しつつ引き上げて行く。 そして、程なくして サバンナに喚起の声が沸きあがり、 弓子、 いやマサイ・ラウは高らかにジャンプを繰り返していた。 サバンナの大地に夕日が落ちはじめ、 ようやく一日が暮れてきた。 ガサガサ… サバンナから引き上げてきた俺は、 期間の目印とした岩陰に向かうと、 どーん! 岩肌に不自然な扉がついているのが目に入る。 ”はぁ” その扉の前で俺は大きく息をつくと、 ”弓子は本当にマサイになってしまたんだなぁ” とサバンナの真ん中で喚起の声を上げるマサイを思い浮かべ、 そして、 ムズッ ムズムズムズ… 同時に俺が着ていたライオンの毛皮が緩んでくると、 しゅぅぅぅぅぅ… 大地に伸びるシルエットはライオンのそれから、 気ぐるみを着た人間のそれへと変わり、 5本の指が自由に動くようになると、 ゆっくりと立ち上がり、 かぽっ! 俺は頭に被っていた被り物を取った。 そして、胸元のチャックを開けると、 胸ポケットからタバコを一本取り出し、 「さぁて、明日は狩の練習だな、 はぁ、まだまだここから去るわけには行かないか」 と呟きながら俺は煙を揺らしはじめる。 禁煙ブームの中でこんなことを言っては何だけど、 このときのタバコが一番旨いし、 そして何よりも ガチャッ 『お帰りなさいませ、 今日のご用は済みましたか?』 「えぇ、 ありがとうございました。 また明日もよろしくお願いします」 『はいっ』 俺を暖かく出迎えてくれる緋色の瞳の少女の笑顔が 一番癒されるのであった。 おわり