風祭文庫・獣変身の館






「月野原」



作・風祭玲


Vol.759





暑かった夏も収まり、涼しげな秋風が舞い踊る夜。

月野原では満月を肴に獣たちの宴が始まるのであった。



ゲホゲホゲホっ

『ふぅ、やれやれでございますなぁ』

初秋の乾いた風が吹き抜けていく朝。

国道沿いに建つディスカウントストア脇の倉庫の中に

激しく咳き込む声が響き渡ると、

和服姿の中肉中背の老人が袖で額の汗を拭きつつ必死に何かを探していた。

『ご迷惑をおかけいたします。

 業屋殿』

そんな老人の背後から涼しげな女性の声が響くと、

「!!っ」

ピョォォォンン!

冷や汗を吹き出しながら老人が倉庫の中より飛び出してくるなり、

『いぇいぇ、

 在庫管理がなっていないのは、

 私どもの責任。

 こちらこそ、ご迷惑をおかけいたします。

 九巴殿』

と、もみ手をしながら謝罪をした。

そして、

『いましばらくお待ちください。

 間もなく間もなく』

と言い残すなり、

ピョン!

老人は疾風の如く再び倉庫へ戻り、

取り寄せたはずの品物を探し始めた。



それから約1時間後…

『おんやぁ?』

倉庫の奥、

埃を被る棚の上に

透明のプチプチで厳重に梱包された玉手箱があることに老人が気がつくと、

『おぉっ、

 こっこれに違いない!!』

と半ば小躍りしながら

『お待たせいたしました。

 こちらの商品でございますか?』

と表で待っている巫女装束姿の女性・九巴に手渡した。

『!!っ』

老人より梱包された玉手箱を渡された九巴は、

バリッ!

一気にプチプチを引き裂き、

そして

クンクン

と鼻をヒクつかせながら出てきた玉手箱の臭いを嗅ぐ。

『九巴さま?』

そんな彼女の様子を供をしている

幼い2人の巫女が心配そうに見上げると、

カッ!

九巴は長く細い目をまん丸に見開き、

『おぉっ

 これじゃ、

 これじゃ、

 これこそがわらわが願いをしていたもの』

と嬉しそうに声を上げた。

『あっ左様でございますか』

それを聞いた老人は安堵の表情を見せながら

『ではお会計はあちらで…』

開店前で人気がないストアを指差した。



『毎度ありがとうございます』

供の巫女2人を引き連れ、

玉手箱を大事そうに抱えた九巴が去っていくと、

『ふぅ…

 あの顎長の方も困ったものですなぁ、

 顧客情報はちゃんと引き継いでいただかないと』

彼女達を見送りつつ老人は愚痴をこぼすが、

ニヤリ…

ふとその口元が緩むと、

九巴に手渡したモノと同じ玉手箱を懐から取り出し、

『まぁ、いいでしょう。

 玉手箱はこのとおり、

 在庫がもぅ一つありましたしぃ、

 中身は何か特別な香料のようですな。

 ふっ、

 小分けして売ってみるのもいいかもしれませんな』

と呟くと店の中へと入って行く。



夕方、

「ねぇ、

 今夜、お月見の会があるんでしょう?」

このディスカウントストアを友人達と訪れた久保美穂は

ハンガーに掛かるワンピースを手に取りながら尋ねると、

「うん、

 7時、学校に集合だよ」

同じくシャツを見ていた駒場鈴美が返事をする。

「じゃぁ何を着ていこうかなぁ…」

横で話を聞いていた庭坂小百合が呟くと、

「ねぇ、

 お月見をするのに何時までもこんな所で屯っていていいの?」

小島繭子が6:00を指す店の時計を気にしながら指摘する。

だが、

「まだぁ早いって…

 6:00じゃない」

「焦りは禁物よ」

と言う声が次々と上がり、

腰を上げあげていた彼女達は再び品物を見始めるが、

「ねぇねぇ、

 ちょっとぉ」

と何かに気付いた桧皮那美の呼ぶ声が響くと、

「なによ」

皆、那美の傍へと寄っていった。



「どうしたのよ、

 那美」

香水コーナーの一角に立っていた那美に

皆が集まると、

「ねぇねぇ、

 この匂いって良くない?」

と言いながら那美は自分の手首に試供用の香水をつけ、

鈴美たちに嗅がせる。

「う…うん、

 まぁいいかも…」

「そうね、

 そんなに悪くはないか」

「なんか落ち着くね」

那美の腕の匂いを嗅ぎながら皆は感想を言うと、

次々と試供用の香水を手首につけ始めた。

そして、最後に美保が同じようにつけようとしたとき、

『いかがですかぁ〜っ』

の声と共に和服にチャンチャンコを羽織ったあの老人が姿を見せると、

手もみをしながら尋ねてきた。

「ひっ!」

突然の老人の登場に皆は一斉に引くが、

『おぉ、この香水がお気に召されましたか?

 この香水はとある高貴な方がお使いになっているものを、

 私どもが特別に入手したもの。

 今を逃しては二度と手に入りませんよぉ』

アップで迫りながら巧みなセールストークをする。

「こっ高貴ですってぇ?」

それを聞いた小百合が思わず噴きそうになるが、

「小百合ったら…

 で、この香水は幾らなんですか?

 値段が何所にも書いてないですけど」

と小百合の口を塞ぎ鈴美は値段を尋ねた。

すると、

『ほほぉ、

 話がわかると商談もスムーズですね。

 はいっ、

 気になるこの香水のお値段ですが、

 なんと、スバリ!

 一瓶¥398にてご提供いたしますっ』

と老人は大見得を切りながら値段を思いっきり強調して見せた。



「なんか得したね」

「うん」

陽が落ち東の空に十五夜の満月が顔を出した頃、

鈴美達はディスカウントストアを出るなり、

シュシュッ!

っと次々と香水を吹きかけ始めた。

だが、

「………」

なぜか美保一人がその輪の中に入らず、

少し離れたところでその様子を見ていると、

「どうしたの?

 美保っ」

それに気付いた鈴美が尋ねた。

すると、

「うっうん。

 ねぇみんなぁ

 その匂いってそんなに良い匂いなの?」

と逆に美穂が尋ねると、

「えぇ?

 良いに決まっているじゃないっ」

「美保にもつけてあげようか?」

小百合達がそう言うが、

「いっいいわ、

 遠慮しておく」

美保はその申し出を断った。

そして、

「みんなどうしちゃったんだろう…

 この”臭い”って…」

美保はいま自分の鼻に掛かってくる匂いを心地よくは感じてなかった。

そのときだった。

「!!!!」

鈴美達が一斉にある方向を振り向くと、

まるで何かに惹かれるかのように歩き始める。

「あれ?

 ねぇ、みんなどこに行くの?
 
 そっちは学校だよ、

 一端家に帰って着替えるんじゃないの?」

と由美は皆が学校に向かっていくを指摘すると、

『…いいのよ』

『…そうよ、こっちで』

『…もぅ始まるから』

と那美と小百合は気が抜けたような声で返事をする。

「え?

 でっでも…」

てっきり着替えに戻るものと思っていた由美は困惑しながらも、

みんなの後に付いて行き始めるが、

いつもと変わらない下校風景…

いつもと変わらない街の夜景…

でも、何かが違い始めていた。

「あれぇ?

 クルマが…」

ふと、自分の隣を走る車道にクルマの光がないことに由美は気がつくと、

シーン…

会話すら満足にできないほど交通量があるはずの国道は静まり返っていた。

「えぇ?

 そんな…」

大地震が起きてもクルマが走っているに違いないと思っていた国道に、

クルマの姿がないことが信じられない由美は目をパチクリさせていると、

『どうしたの?』

隣を歩いていた那美が尋ねる。

「あっ、

 ねぇ見て見て、

 クルマが走ってないよ。

 変なの…」

国道を指差し由美がそういいかけたところで、

「へ?

 みっ耳ぃ?」

那美の頭の上でピクピクと動く2つの物体に

由美は思わず目を見張った。

表側は薄い赤茶色、

裏側は乳白色、

その先端にはアクセントになるこげ茶色の毛が生え、

一見して獣の耳と思えるものが那美の頭の上で動いているのである。

あまりにも唐突なものの出現に由美は言葉を失ってしまうと、

『どうしたの?

 久保さん?』

『何を立ち止まっているの?』

と先を歩いていた小百合や鈴美が振り返り話しかけてきた。

だが、そんな彼女達の頭の上にも2つの耳がピンと立ち、

さらにお尻からは薄い赤茶色をした大きくフサフサとした尻尾までも生えていた。

「あっあの…

 そっそれって、

 尻尾?」

彼女達のお尻から生えている尻尾を由美は指さすと、

『えぇ

 それがどうかしたの?』

二人はまったく動じず、

それどころか尻尾があることが普通のように振舞う。

「え?

 だって…

 っていうか、

 みんなおかしいよ。

 どうしたのよ、

 動物の耳や尻尾なんかつけちゃって、

 あたしをからかっているの?」

皆を指差して由美はそう訴えるが、

『うふふふ…』

『くすくす…』

鈴美達はただ笑うだけで反論はしてこなかった。

そして、

『ほら、

 学校に着いたわ』

と小百合が校門を指差すと、

サァァァァァ…

校門の向こうは一面のススキの原で、

その上を大きな月が妖しく光り輝いていた。

「なによっ

 どうなっているの?」

まるで妖術でも掛けられてしまったのかと疑いたくなる光景に、

由美は混乱するが、

『さぁ行きましょう…

 今夜はお月見』

と言う鈴美の声が響くと、

『えぇ、あたし達のお祭りよぉ…』

『うわぁぁ、

 楽しそう…』

と言いながら次々とススキの原へと足を踏み入れ、

そして、踏み入れるのと同時に、

ユラッ…

彼女達の手が一瞬揺らぐと

見る見る獣の前足へと変化し、

その前足がススキの中に隠れると、

ブワッ!

まるでタンポポの綿毛を噴き消すかのように

着ていた制服から白い綿毛が飛び散っていくと、

瞬く間に制服が消えてしまった。

そして、制服が消え去った後、

タタッ

タタッ

全身を覆う薄い赤茶色の毛を棚引かせ、

大きな尻尾を大きく振るキツネが一匹、

また一匹とススキの原の中を飛び上がりながら遊び始めた。

「えっえぇぇぇ?

 一体、どうなってんの?

 みっみんなキツネになっちゃったぁ?

 そんなぁ!!!」

戯れあうキツネ達を見ながら由美は一歩も動けないでいると、

『おやっ

 こんな所に人間が…』

と女性の声が響いた。

「え?」

その声に由美は振り返ると、

サクッ!

玉手箱を手にしたうら若き巫女と、

その女性に付き従う二人の幼き少女の巫女が立っていた。

「あっあなたは…」

3人の巫女達を見ながら由美が聞き返すと、

『こらっ、人間っ

 九巴さまの御前であるぞ』

『ここはお前が来るところではない!

 早々に立ち去れ!』

と少女の巫女が声をそろえて警告をするが、

クンクン

クンクン

玉手箱を手にした巫女・九巴が

銀髪を風にたなびかせながら盛んに鼻を動かすと、

『お前…

 なぜ、その香の匂いを漂わせている?』

と尋ねてきた。

「にっ匂いですか?」

その問いに由美は驚くと、

『これは我が一族に伝わる秘香…

 この秘香をなぜ漂わせている』

九巴は細い目を鋭くさせて聞き返すと、

ファサッ!

その背後より白銀色の尻尾が九本、伸びて来る。

「え?

 あっこれは、

 その…

 あっ、そうだ、

 そこのディスカウントストアで…つけてもらったんです」

そんな彼女の姿に由美は後ずさりしながら説明をすると、

『でぃすかうんとすとぁ?

 …あぁ…業屋のことかぁ』

その説明に九巴は大きくうなづくと、

『二つの玉手箱を頼んだのに一つしか遣さなかったんで、

 おかしいとは思っていたが…

 まったく…(ごーちゃんったら)』

と呆れた顔をする。

そして、

『人間の少女よ、

 スグにここから立ち去るが良い。

 ここはお前が来るところではない』

と由美に命じるが、

「あの…

 友達が…

 友達がキツネになってしまったんです」

と由美はススキの原で遊んでいるキツネ達を指差した。

だが、

『あの者達か…

 残念だが、

 もはや手遅れだな。

 人であったときの心はすでに消え去り、

 言葉も失ってしまっておる。

 諦めるのじゃ』

と九巴は告げる。

「そんなぁ!!

 鈴美ぃ!

 小百合ぃ!

 繭子ぉ!

 那美ぃ!」

それを聞いた由美は戯れるキツネに向かって声を上げるが、

タタッ

タタッ

その声が通じないのか、

キツネと化してしまった彼女達は遊びに興じるだけだった。

『判ったであろう、

 間もなく大勢の仲間がここに来る。

 騒ぎになる前にお前だけでも人間の世界にもどれ』

と言いながら、

スゥー

一枚の木の葉を手に九巴は大きく腕を上げると、

『それっ!』

の掛け声短くその木の葉を仰いだ。

すると、

ブワッ!!!

一陣の風が巻き起こり、

「きゃぁぁぁぁ!!」

風に巻き込まれてしまった由美は問答無用で吹き飛ばされてしまった。



「きみっ、

 きみきみっ」

「うっ」

幾度もかけられる声と、

揺り動かされる肩に由美は目を覚ますと、

「こんなところで寝てないで、

 早く家に帰りなさい」

と懐中電灯を照らしながら、

警備員が声をかけてきた。

「え?

 ここは?」

合点がいかずに由美はキョロキョロしていると、

「もぅとっくに閉店しているよ、

 さっさと帰りなさい」

真っ暗の店内をバックに警備員はそう告げると、

由美の手を引き、

業務用のドアから由美を表へと追い出す。

そして、

「あれは…

 夢?」

激しく行きかうクルマを横目にしながら由美は呟くが、

だが、彼女の傍には人の姿はなく、

トボトボと国道脇の歩道を歩き始めた。

そして、あのススキの原のことを思い出しながら、

「ちがうっ、

 夢なんかじゃない

 でっでも…

 あんなことが現実に…」

ススキの原で見たことがどうしても信じられなく、

由美は頭を抱え頭を大きく振った。

とその時、

「!!」

由美はあることに気がつくと、

「そうよっ

 夢なんかじゃなかったのよっ」

と現実であることを確信し

そして、再び立ち上がった。

サァ…

雲間から姿を見せた十五夜の月が由美を後ろから静かに照らし出し、

彼女の足元から影が伸びていくが、

その頭には

ピョコン

左右に立つ二つの耳と、

ウェストの所より伸びるふさふさの尻尾が優雅に動き始めていた。



『うふっ、

 あたしも…

 キツネになっていたのよね』



おわり