風祭文庫・獣の館






「トレーニング」
(前編)



作・風祭玲


Vol.426





都心では連日最高気温が30℃を越す日々が続いていた8月上旬

コォォォォォ…

高原の風を切って1台の高級乗用車が右へ左へと曲がりくねる道路を疾走していく、

「柴田、

 まだですの?」

後部座席で移り変わる景色を眺めながら

小宮山翔子は運転席でハンドルを握る運転手の柴田に尋ねると、

「あっはいっ

 もぅまもなくだと思います」

柴田は振り返らずに返事をする。

「そう…」

柴田のその返事に翔子は短く返事をすると再び流れ行く窓の景色へと視線を移す。

手入れの行き届いた長い髪を軽くまとめ、

桜色を基調としたスーツ姿の翔子の姿は大人になったばかりの初々しさを醸し出していた。

しかし、景色を眺める翔子の手は硬く握られ、

キッ

と真一文字に結ばれたその唇からは彼女が何か重大な決意しているように見て取れる。



事の起こりは数ヶ月前の春にさかのぼる。

「確か…小宮山先生は乗馬のご経験がおありと聞きましたが」

「あっはいっ

 福島教頭先生、

 一応…齧った程度ですが…」

「おぉ、そうですか

 それは話が早い、
 
 実はですね、
 
 3月まで馬術部の顧問をしていらした久米先生が退任されたのですが、
 
 その後任の古館先生が他の部も兼任しているために
 
 なかなか馬術部にまで眼が行き届かなくて、

 それで、古館先生の補佐をお願いできる先生を探していたのですよ」

今年の春、大学の教育学部を卒業した翔子は朝○女子大付属中学に着任早々、

教頭を勤める福島より乗馬部の顧問就任を依頼されたのであった。

「え?

 でっでも…」

「いやいや、

 さすがは小宮山先生だ、

 先生なら秋の大会もきっと優勝間違いなしですよ、

 我が校の馬術部は大会を18連覇をしていますからねぇ、
 
 期待してますよ、小宮山先生」

渋る翔子の肩に手を置きながら福島はダメ押しをするかのようにそう言うと、

「でっでも…」

福島の申し出に翔子は即答を避けた。

すると、

「ははは、

 大丈夫ですよ、
 
 先生ならきっと出来ますって」

「でも…」

「先生、

 もっと自身を持ってください。
 
 先生のお父様は馬術でオリンピックに出られたのでしょう?」

「はっはぁ…」

「そうですとも、

 いやぁはっはっ
 
 先生に来ていただいて本当にありがたい」

渋る翔子の背中を幾度も叩きながら福島は笑いながら去っていく、

すると、

「きょ教頭先生!!」

意を決した翔子が声を上げた。

「なにかね?」

翔子の声に福島が立ち止まると、

「あのぅ

 ふっ古館先生はどの部を兼任しているのですか?」

「あぁ、レスリング部ですよ、

 いやぁ、今度のアテネ・オリンピックから
 
 女子レスリングは正式種目になりますからねぇ

 古館先生には頑張ってもらわないとね」

「そっそうですか…」

翔子の問いににこやかに笑いながら福島は返事をすると再び背を向けた。

「あっ

 なんであたし、断れば良いのに

 あんなことを聞いてしまったのだろう
 
 でも、どうしよう…
 
 馬術だなんて…
 
 そんな…」
 
去っていく福島教頭の背中を見ながら翔子はそう呟く、

それほど、翔子にとって福島からの依頼は重大な事だった。

そして、

ヒヒーン!!

「きゃぁぁぁぁ!!」

ドスン!!

「せっ先生!!」

その数日後、古館の頼みで馬術部に出向いた翔子は

生徒達の目の前でシルバー号から見事に落馬してしまった。



「いやぁ、

 あの馬・シルバー号は気が荒いことで有名なのですよ
 
 馬術で使うには去勢をしなければならないのですが、
 
 いやぁ以前の久米先生が乗りこなしていたので、
 
 つい、後回しになってしまってね」
 
「そっそうですか」

落馬後、病院に担ぎ込まれた翔子を福島が見舞ったのは翌日のことだった。

翔子の怪我は大したことなくただの打撲と診断されていたが、

しかし、翔子にはこれを機会に馬術部の顧問から外してもらうように頼むつもりだった。

「きょ教頭先生…」

それを秘めながらベッド上の翔子が福島に話しかけると、

福島は自信に満ちた顔つきで、

「でも、真っ先にあのシルバーに騎乗しようとした先生ははやりすごい人だ、

 生徒たちも先生の勇気に感動し、
 
 やる気が出たようですよ、

 うん、わたしの目に狂いは無かった。
 
 小宮山先生、馬術部の正式な顧問としてお願いしますよ」

「え?

 えぇ!!」

福島は自分のひざを叩いてそう言うと、

翔子に馬術部のことを正式に依頼してきた。

「でっでも…

 あたし」

「ははは、

 大丈夫、大丈夫、
 
 大丈夫ですよ」

「でも…そんな」

なおも断る方向に話を持っていこうとする翔子だったが、

しかし、押しが強いことで有名な福島の話術に翔子が勝てるわけもなく、

翔子は福島の意のままに馬術部の顧問を任されてしまったのであった。



「困ったわ…」

平安貴族の流れを汲む名門・小宮山家の一人娘として

あらゆる教養を身に着けてきた翔子であったが、

しかし、馬術だけは苦手であった。

無論、オリンピックに出場経験がある父親の元、

翔子自身もそれなりの努力をしてきたのであったが、

けど、どうしても馬という生き物に苦手意識があり、

また、馬の方もそんな翔子の心を見抜いてしまうのか、

どの馬も翔子の言うことを聞かないどころか、

翔子を乗せることさえもさせなかった。



「如何なされました?お嬢様」

「いえ

 大したことはありません」

「そうですか?

 なにやら悩まれているように見受けられますので」

検査では異常が見つからず退院した翔子を自宅に送り届ける車中で

柴田は相変わらず悩んでいる様子を見せている翔子に話しかけた。

「……柴田」

「はい」

少し間をおいて翔子は運転席の柴田に声をかける、

「わたし…

 どうしたらいいのでしょうか?」

「と言いますと?」

「福島教頭より正式に馬術部の顧問を依頼されたのです」

「おぉ、それは素晴らしいことですね

 旦那様もきっとお喜びになられますよ」

「柴田、

 それはわたしへの嫌味ですか?」

「いえっ

 滅相も無い」

「それは…わたしだって本当は喜びたいのですよ、

 新任の者に任せてもらうだなんてこんな名誉なこと…

 でも…
 
 柴田も知っているでしょう?
 
 わたしが動物から嫌われていること…」
 
「はぁ」

「あぁ…

 困りましたわ、
 
 どこかにわたしのような者でも動物に好かれ、
 
 乗馬の技術を身につけることが出来るところは無いのでしょうか。

 わたし、
 
 生徒たちのためなら、どんなことでもするつもりですのに…」

ため息交じりに翔子がそう呟いたとき、

「お嬢様…

 ここにいかれては如何ですか?」

赤信号で停車したタイミングで、

柴田は高原の牧場に併設してある馬術クラブのことを記したパンフレットを取り出すと、

翔子に手渡した。

「これは?」

”厩牧場馬術クラブ”と書かれたパンフレット眺めながら翔子は尋ねると、

「えぇ…

 ここで合宿を受けた人は皆、馬と慣れ親しむようになれるそうですが、
 
 ここなら、お嬢様の苦手意識も克服できるのでは?」

と柴田は説明をする。

そして、その話を聞いた途端、

翔子の目は爛々と輝き、

「柴田っ

 決めたわっ

 夏休みなったらあたし、ここに行くわ!!」

眼を皿の様にして幾度もパンフレットを読み込んだ後、声を上げた。



コォォォォォ…

流れる景色を見ながら翔子はそんなことを思いだしていると

「お嬢様…

 あれではありませんか?」

柴田が道路わきに姿を見せた看板を指差すと、

「どこです?

 あっ
 
 厩牧場・馬術クラブ…

 あぁここです、
 
 ここに間違いは無いわ
 
 柴田、
 
 その看板の角を曲がって」

看板に書かれた文字を見た途端、

すばやく翔子は柴田に指示を出した。

「はいっ、お嬢様」

翔子の指示に柴田は笑顔でハンドルを切ると、

ザザザザザ…

翔子を乗せたクルマはわき道へと入り、

砂埃をあげながら進み始めた。

「…舗装していないんだこの道…」

小刻みに揺れ、砂埃を上げて進む様子に翔子はそう言うと、

「まったく、けしからんですな

 いまどき舗装もしないだなんて」

と運転席の柴田は文句を言う、

すると、

「ううん、

 そうじゃないの、

 舗装をしていないのは馬を大事にしているからよ、
 
 馬ってね、
 
 硬い舗装された道路は苦手なんだそうよ」

「はぁそう言うものですか…

 私には馬のことは良くわかりませんが」

「うふふふ…

 これでも勉強したのよ、

 馬のことをちゃんと判ってあげないと、
 
 馬に嫌われちゃうからね」

「それは良いことです」

「そうよ、

 ここで、あたしは生まれ変わるのよ」

感心する柴谷に翔子は決意を言うと、

「はい…生まれ変わったお嬢様のお姿、

 早く拝見したいものです」

柴田はそう言いながら大きく頷いた。



やがて、二人を乗せた車の行く手に

落ち着いた茶色の屋根を持つ一軒の建物が姿を見せてきた。

「あそこですか?」

「そうみたいですわね」

その建物を見ながら翔子と柴田は言葉を交わすと、

クルマをそこへと向けていった。

すると遠めに見たとき1軒屋に見えた建物が、

一つ、二つと分裂していくとやがて数軒の建物の集合体へと変わり、

さらにその傍には馬術コースと思われる施設が姿を見せてきた。



ザザザザ…

砂利の音を鳴らしながらクルマは正面の建物の玄関口に停車すると、

ガチャッ

一足先に下りた柴田が

チャッ

すかさず翔子の脇のドアを開ける。

すると

「んしょっ

 んんん!!!」

開けられたドアより白いレース淵の帽子を押さえながら

お嬢様ルックの翔子が車から降りると思いっきり背伸びをした。

自宅を発ってすでに半日近くが過ぎ、太陽は少し西に傾いていた。

翔子が降り立ったのを確認した後、

柴田はクルマの後部へと回り

テキパキとトランクから翔子の着替えなどが入ったバックを取り出しはじめた。

「あっそれはわたしが持ちます」

その様子を見た翔子は慌てて柴田が取り出した荷物に手を差し伸べると、

「いぇいぇ

 お嬢様に持たせるものではありません」

翔子の手を払いながら柴田は笑みで答える。

すると、

キィ…

建物の正面玄関が開き、

中から乗馬スタイルの一人の女性が表に出てきた。

「どなたでしょう…」

「さぁ?」

姿を見せた女性を見ながら翔子と柴田が近づいていくと、

「ようこそ、厩牧場・乗馬クラブへ

 小宮山翔子さんですね。

 お待ちしておりました。

 私がここの責任者の厩妃津女です」

と言いながら女性はこの乗馬クラブの責任者・厩妃津女と名乗り頭を下げた。

「あっ、

 あっ小宮山翔子と言います。
 
 おっお願いします」

頭を下げた妃津女に合わせるように翔子はペコリと頭を下げると、

「まぁそんなに緊張しなくても良いですよ、

 ここに来られたからには何も心配しなくて良いのですから」

緊張気味の翔子を解きほぐすかのように妃津女はそう告げる。

「そっそうですか?」

彼女のその言葉に翔子は恐る恐る聞き返す。

すると、

「はいっ」

ニコリ…

妃津女はさっきまでのピシッとした表情とは打って変わって満面の笑みを讃えると、

ホッ

(良かった…そんなに怖い人じゃぁなくて)

安心したのか翔子はホッと胸をなで下ろした。

「では、お嬢様っ

 私はここで…」

二人の話に一区切りが付いたとき、

様子を見ていた運転手の柴田が口を挟むと、

「あぁ、柴田、ご苦労様でした。

 では、1週間後に迎えに来てください」

柴田の声に翔子はそう返事をすると、

「はいっ

 再びお嬢様に会える日を楽しみにしております」

トレードマークの白い髭をクイッを引き上げながら柴田は笑みを浮かべると、

「えぇ…

 お父様やお母様に華麗に馬を操る私の姿を見てもらうためにも
 
 わたし、頑張りますから」

細い腕でガッツポーズをしながら翔子は気概を示した。

「その意気です、

 お嬢様、

 ご主人様もきっと変身なされたお嬢様の姿を見てお喜びになられるでしょう」

そんな翔子の姿に柴田はそう言うと、

「では、お嬢様のことを宜しくお願いします」

今度は妃津女に深々と頭を下げた後、クルマに乗り込むと

ザザザザザ…

柴田はクルマとともに去っていってしまった。



去っていくクルマを無言で手を振り続けていた翔子であったが、

お目付け役が居たなったのを見届けた途端、

「ふぅ」

思いっきり肩の力を抜いた。

すると、

「あらあら、

 いきなりリラックスとは」

妃津女はさっきの厳しい表情に戻ると、

皮肉にも取れるような台詞を言う、

「あっ、

 いえっ
 
 これは、その…」

妃津女の言葉に翔子は身体を固くして返事をすると、

「ふふ…

 まぁ今日は初日なのでよろしいです。
 
 でも、この乗馬クラブはは厳しさがモットーですので、
 
 あまり気を抜かないでください」

と釘をさした。

「はっはいっ」

「ではこちらに、

 入所の手続きをしてもらいます」

恐縮する翔子に妃津女はそういうと閉じたドアを開いた。



コツン…

翔子が最初に入った事務棟と思える建物の中は

エアコンが効いていないにもかかわらず空気は冷たく

「ブルッ」

その中に踏み入れた途端、

翔子は言い知れぬ冷気に身を縮こまらせてしまった。

「エアコンが効いていないのに意外と寒いのですね」

一気に季節が数ヶ月過ぎてしまったかのような空気の感想を言うと、

「ここは高原ですから、

 朝夕の冷気がこうして溜まってしまうのです」

と妃津女は返事をし、

「では、入所申し込み書にサインをお願いします」

翔子の目の前に申込書を差し出した。



「はいっ

 ありがとうございました。
 
 それでは、身体測定を行いますので着ているものを全て脱いで計測室に来てください

 これは現在の翔子さんの状態を正確に計測するもので、
 
 ここに入所した頂いた方にはすべて義務付けています」

翔子が書いた申込書に眼を通した妃津女はそう指示を出すと、

「え?

 脱ぐのですか?」

妃津女の言葉に翔子は思わず聞き返した。

すると、

「当然です。

 翔子さんあなたの詳細を知らなくてはなりません。
 
 さぁ、こちらに…」

困惑する翔子に妃津女はそう言うと、

計測室と書かれた部屋のドアを開けた。

「はぁ…」

翔子は妃津女に言われるまま計測室に入り、

そして、脱衣所で全てを脱ぎ目の前のドアを開けると、

ぷ〜ん…

翔子の鼻に獣の臭いと肥の臭いが混ざったような臭いが忍び込んできた

「うっ」

その臭いに翔子は思わず顔を伏せると、

「何をしているのですか」

妃津女の厳しい声が飛んだ、

「だって、

 臭いんですもの」

鼻をつまみながら翔子は返事をすると、

「小宮山さん、

 馬はそう言うところをしっかりと見ますよ、

 馬に嫌われたく無ければこの臭いになれるのです」

と妃津女は指摘する。

「はっはいっ」

妃津女の指摘に翔子は自分の鼻を覆う手を慌ててどかす。

「こっここは…」

臭いをガマンしながら翔子は改めて計測室の様子を見ると、

打ちっぱなしの無骨なコンクリがむき出しの床に、

壁には巨大なドア、

そして、とても人間用とは思えないような計量機器が無造作に置かれた

診察室とはとても言い切れない様相を呈していた。

「どうしましたか?」

「あのぅ

 本当にここで測定するのですか?」

「えぇそうですが…

 この部屋の様子がそんなに気になりますか?」

「気になるって…

 これはとても診察室とは…」

アルコールの香りがする診察室を想像していた翔子はそれと180°違う部屋の様子に声を詰まらせる。

すると、

「まぁ細かいことは気にしないでください。

 さっ測定を始めます、
 
 こちらに…」

戸惑う翔子に妃津女はそう言うと、据え置かれている巨大な体重計を指差した。

「はっはい…」

全裸のまま翔子はかすかに砂がこびりつく体重計の上に乗ると、

ピッ

測定器は無機質な音を上げ翔子の体重を測定する

「(ふむ、体重は43kgか、

  となると、
 
  馬だと430kgくらいかな?)」

測定器から印刷された用紙を眺めながら妃津女はそう呟くと、

「え?」

彼女のその言葉に翔子は聞き返した。

しかし、妃津女はその言葉には答えずに次々と翔子をそれぞれの測定器に乗せると、

カシャッ

カシャッ

測定器が無機質な音を上げ、

翔子の身長・体重・体脂肪率などを精密に計測していく、

こうして、ようやく全ての測定が終わると、

「さて、翔子さん。

 あなたの身体ことは良くわかりました。

 馬になってみれば判ると思いますが、

 馬というのはきわめてデリケートな生き物でして、
 
 ちょっとしたことでも体調を崩すものです」

と告げた。

「はぁ…(馬になってって…面白いことをいいますのね)」

妃津女の言葉にそんなことを考えながら翔子は頷くと

「ですので、

 馬は毎日走ることで体調を整えるのです」

「はぁ」

「というわけで、

 翔子さんにはこれから、表のコースを走ってもらいます」

「は?」

「さっ、そこの戸を開けますとコースに出られますので、

 どうぞ行って下さい」

さっきから閉じられたままの大き目のドアを指差しながら妃津女は翔子に言うと、

「あっあのぅ…」

「なんですか?」

「何か着るものは無いのですか?」

全裸のままの翔子は胸を股間を出て隠しながら尋ねた。

すると

「甘えてはいけません。

 馬は何も着てはいません、
 
 馬に慣れるには馬の気持ちにならなくてはだめです」

妃津女はきっぱりと言い切ると、

「さぁ」

「いっいやっ」

ドアを開け、渋る翔子を表に連れ出して行った。



サクッ

妃津女によって翔子が表に連れ出された途端、

彼女の柔らかい足の裏に突き刺すような芝の感触が走った。

「あっ!」

ビクン!!

初めて味わう芝の感覚に翔子は思わず悶えてしまうと、

「ほらっ、

 そこで何をしているのです?
 
 早くこちらにきなさい」

先にコースに出ていた妃津女の声が響き渡った。

「そっそんな事言っても…」

足に突き刺さってくる芝の感触に難儀しながら翔子は妃津女の傍に行くと、

「はいっ

 ここから、向こうに見えるあの棒までの間を全力疾走で駆けてください。

 あっ、他に人は居ませんので何も気にせずに存分に駆けてください。
 
 はいっ!」

足を代わる代わるあげながら踏みしめる芝の感覚から逃れようとする翔子に告げると、

ピシャリ

と手にしていた乗馬用の鞭で翔子の尻を手で叩いた。

「きゃっ」

タッタッタ!!

叩かれるのと同時に翔子は小さな悲鳴を上げると、

お尻を押さえながら走り始めた。

「ほらっ、

 何ですか、その走り方は、
 
 ちゃんと走りなさい」

後ろから妃津女の怒鳴り声が響き渡る。

「なんで…

 なんで…
 
 こんなことをしないとならないの」

白い乳房を揺らせ、

身体を震わせながら翔子は全裸でコースを駆け抜けていく、

けど、

「そうよ、

 ここで頑張らなければ、
 
 あたし…馬に乗れないんだわ…」

お嬢様育ちにしては珍しい負けん気の強さが出てくると、

グッ

手を握り締め、走って行く。

ハァハァハァ…

ゴールとされた地点に翔子は到着すると、

その場にへたり込み土に手をつき呼吸を整えはじめた。

こんなにムキになって走ったのは、

そう、幼稚園の運動会以来だった。

ザワザワ…

荒い息をする翔子の裸体を高原の風がやさしく撫で回しはじめた。

「きゃっ」

まるで無数の冷たい手が撫で回すようなその感覚に翔子は思わず飛び上がると、

「はいっ、

 休憩はまだ早いわよ、
 
 到着したらすぐに折り返す。
 
 馬は待てはくれないですわよ」

妃津女の声が鳴り響いた。

「はっはいっ」

その声に翔子は立ち上がると、

タッタッタッ

折り返して妃津女の方へと再び走って行った。



夕刻…

コースでの全力疾走を幾本もこなした翔子がシャワーを浴びて、

身体に付いた汗と泥を洗い流してシャワー室から出てくると、

「あっそうだ」

自分の着替えが無いことに気がつき、

身体を拭いたばかりのバスタオルを身体に巻きつけて、

持ってきた着替えが入ったカバンを探してみたものの、

見当が付くところにはどこにもカバンが存在しなかった。

「あれ?

 無い…そんな…」

困惑をしながら翔子はカバンを探していると、

食堂で妃津女とここのスタッフの人だろうか、

数人の女性と何か話している姿が目に入った。

「あっあのぅ…

 すみません」
 
思い切って翔子は妃津女に話しかけると、

「はい?

 なんでしょう?」

話を止め、妃津女は翔子の方を見る。

「あっあのぅ

 そのぅ

 まだ…裸でいるんですか?」

蛇に睨まれたカエルではないが、

それに近い気分で翔子は恐る恐る妃津女に尋ねると、

「えぇ、そうですよ、

 この乗馬クラブにいる間は小宮山さん、
 
 あなたは裸でいるのです。
 
 馬に乗れるようになりたいのでしょう、
 
 それなら裸のままで頑張ってください」

バスタオルで巻いた胸を恥ずかしそうに隠しながら顔を赤らめる翔子に妃津女はそう言い聞かせると、

「さぁ、

 そのタオルを渡してください」

と手を差し伸べた。



カチャ…

「…………」

妃津女によってバスタオルを剥がされ、

再び全裸になってしまった翔子はテーブルの席に着くと、

俯き加減で食事を取りはじめた。

全裸での食事…

あまりにものの恥ずかしさに

翔子は自分の前に並べられた食事にあまり手をつけることなくあわただしく席を立つと、

「小宮山さんっ」

それを見ていた妃津女が翔子に声をかけた。

「はっはいっ」

一刻も早くこの場を立ち去りたかった翔子が振り返ると、

「はいっ

 お休みならこれを飲んでください。
 
 あなたのために特別に作ったジュースです」

と妃津女は緑色をした液体が入ったコップを翔子に差し出した。

「これを飲むのですか?」

妃津女からコップを受け取った翔子は、

その中に入った液体を見つめながらそう尋ねると、

「はい」

妃津女は即答をする。

「わかりました」

妃津女の返事に翔子は軽く一口、コップに口をつけると、

ウッ

口に広がった言いようも無い味に思わず戻しそうになるが、

しかし、ぐっと気合を入れて飲み干すと、

「ありがとうございました」

と言って妃津女に手渡した。

「はいっ」

空になったコップを見て妃津女は満足そうに頷くが、

そのときには翔子の姿はそこには既に無かった。



「うぅ…

 気も悪い…」

口を押させながら翔子はこれから1週間過ごすことになる自分の部屋へと飛び込むと、

6畳間ほどのフローリングの床におかれているベッドの中へと潜り込むと、

「とにかく寝ましょう…」

翔子はそう呟きながら目を閉じた。

そう、

嫌なことや過度のストレスが掛かったときなど、

翔子はいつもこのようにして眠ることによって英気を養っていたのであった。

しかし…

「ハァハァ

 ハァハァ
 
 クハァ…
 
 熱い…
 
 あっあぁ…」

深夜…、

全裸のままベッドに潜り込んだ翔子は全身を焼き尽くすかのような熱さに苦しみ回っていた。

その一方で高原の外の気温は時間が経つごとに低くなり、

ハッ

ハッ

ハッ

翔子の口から白い湯気の塊が吹き上がりはじめた。

すると翔子の全身から滝のような汗が噴出し、

メリッ!

グッググググ…

毛布を蹴り上げ、露になっている彼女の腕や脚から無数の血管が飛び出してくると、

まるで絡まる蔦のごとく腕や脚を覆い、

そして、その後、

メリメリメリ!!!

浮き上がった血管を覆い尽くすように筋肉が盛り上がっていった。



チチチチ…

翌朝…

「んっ」

静かな寝息を立てていた翔子が目を覚ますと、

「あれ?

 もぅ朝?」
 
寝ぼけ眼をこすりながらゆっくりと起き上がった。

そして、

「あれ?」

そのときになって視界が少し変化していることに気づく、

「あたし…

 あれ?
 
 背が高くなった?」

昨日と比べて少し遠くに見える床に翔子は戸惑いながら

ベッドから降り立つと、

グゥゥゥゥゥ…

翔子のお腹から空腹を訴える音が鳴り響いた。

「そっか、

 昨日、あまり食べなかったから…
 
 でも、こんなに大きな音を立てるだなんて…」

鳴り響いた音に翔子は顔を赤くすると、

トタトタ…

昨日と同じ全裸であることをあまり気にせずに廊下に出て行き、

そのまま食堂へと歩いていく、

「おっおはようございます」

朝の挨拶と共に翔子が食堂に行くと、

「おはよう…」

妃津女は昨日と同じように翔子を迎えると、

「ふむ」

と彼女の身体をしみじみと眺めた。

「あっあのぅ…」

「なっなに?」

「あたしの体、変わりましたか?」

妃津女の様子を見た翔子は朝感じた違和感を尋ねた。

すると、

「ううん…

 別に…昨日のままよ、
 
 なにか、変わったことがあるの?」

と妃津女は逆に翔子に聞いてきた。

「いえ、

 ただ
 
 なにか、こう背が伸びたような気がするのですが」

妃津女の質問に翔子はそう返答をすると、

「背が伸びた?

 そう?」

翔子の訴えに妃津女は首をひねると、

「いっいえ…

 きっとあたしの気のせいですよね」

妃津女の姿に翔子は自分でそう結論付け、

そのままテーブル席に着くと、

「いただきまーす」

用意されていた食事を食べ始めた。

ところが、2・3分後…

「あのぅ…お代わりいただけませんか」

用意されたいた食事を全て平らげてしまった翔子は恥ずかしそうにそう言うと、

「いいのよ、

 さぁ、たくさん食て…」
 
妃津女は満足そうに頷きながら翔子の前に朝食を用意する、

すると…

ハグハグハグ…

翔子はまるで体の中に空いた穴を塞ぐかのように朝食を食べ続け、

ようやく満腹を感じたときには、

大人10人分の食事を平らげてしまっていた。

「ふふ…

 さすがにあの薬の効き目は抜群ね…」

いきなり大食漢になってしまった翔子の姿に妃津女はニヤリと笑みを浮かべると、

「さっ、

 このジュースを飲んで

 今日も表のコースでの走りづめよ」

と翔子に今日のメニューを告げた。



つづく